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2010.01.31 (Sun)

苦痛に耐えるのが美徳という、さかやきのささやき

『史上最強のムダ知識』 P.186 (表題)

初めてカミソリを月代に使ったのは、織田信長である。


『史上最強のムダ知識』 P.187

 信長以前は、カミソリで頭髪を剃るのは坊さんだけだった。武士たちは、
伸びた毛をいちいち毛抜きで抜いて、月代(頭の中央の毛が除かれた
状態)を整えていた(抜く時の苦痛に耐えるのが美徳とされていた)。
 武士は普段は総髪で、烏帽子をかぶっていた。合戦の時にのみ、毛抜き
で毛を抜いて、月代にしていたのである。
 ちなみに、月代にするのは、頭頂部がカブトで、蒸れないようにするため。
周囲の毛は、カブトと頭の間とのクッションになる。
 信長が生きた戦国時代は、合戦が日常化していたため、つねに月代で
ある必要があった。このため、いちいち毛抜きを使っていては時間がかかる
と、信長は月代をカミソリで剃るようにした。
 いかにも合理主義の彼らしいエピソードである。


×月代(頭の中央の毛が除かれた状態)
○月代(前額部から頭上にかけての髪をそったこと。また、その部分)

唐沢俊一のいう「頭の中央の毛が除かれた状態」だと、まるでカッパハゲか、逆モヒカン
状態のヘアースタイルになりかねないので、ここは辞書の定義にしたがって、額から頭
の中ほどにかけて髪をそったことにしましょうということで。Wikipedia の定義の方では、
「頭髪を、前額側から頭頂部にかけて半月形に、抜き、または剃り落としたもの」となる。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=月代&stype=0&dtype=0
>さか‐やき【月=代】
>1 古代以後、成人男子が常に冠や烏帽子(えぼし)をかぶったためにすれて抜け上
>  がった前額部。つきしろ。つきびたい。
>2 中世末期以後、成人男子が前額部から頭上にかけて髪をそり上げたこと。また、
> その部分。


http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=月代&enc=UTF-8&stype=0&dtype=0&dname=0ss
>さかやき0 【〈月代〉】
>[1] 平安時代、男子が冠や烏帽子(えぼし)をかぶったとき、髪の生え際が見えない
>ように額ぎわを半月形にそり上げたもの。つきしろ。つきびたい。ひたいつき。
>[2] 室町後期以後かぶりものを省く露頂の風が一般化する中で、成人男子が額から
>頭の中ほどにかけて髪をそったこと。また、その部分。庶民の間にも広く見られ、明治
>の断髪令当時まで続いた。


http://ja.wikipedia.org/wiki/さかやき
>さかやき(月代)は、日本の成人男性の髪形のひとつ。頭髪を、前額側から頭頂部に
>かけて半月形に、抜き、または剃り落としたもの。
>「サカヤキ」の語源、また「月代」の用字の起源は諸説ある。
>一説にさかやきはサカイキの転訛であるという。 戦場で兜をかぶると気が逆さに上る
>から、そのイキを抜くためであるという伊勢貞丈の説が広く認められている。
> 『玉葉』安元2年7月8日の条に、「自件簾中、時忠(平時忠)卿指出首、(其鬢不正、
>月代太見苦、面色殊損)」とあり、平安時代末期、行われていたことが分かる。
>『太平記』巻5に、「片岡八郎矢田彦七あらあつやと頭巾を脱いで、側に指し置く。実に
>山伏ならねば、さかやきの跡隠れなし」とあり、絵巻物などと照らし合わせると、鎌倉
>時代、室町時代にさかやきが行われていたと分かる。当時は、戦場にある間だけのこ
>とであり、日常に戻った時は総髪となった。
>戦国時代になると、さかやきが日常においても行われるようになり、江戸時代になる
>と、一定の風俗となった。公卿を除く、一般すなわち武家、平民の間で行われ、元服
>の時はさかやきを剃ることが慣例となった。


また、「信長以前」も、「坊さん」が「カミソリで頭髪を剃」っていたのなら、「初めてカミソリ
を月代に使ったのは、織田信長である」という P.186 の表題はガセじゃないか――という
のはおいとくにしても、大辞林の定義「平安時代、男子が冠や烏帽子(えぼし)をかぶった
とき、髪の生え際が見えないように額ぎわを半月形にそり上げたもの」を素直に信用す
るなら、「カミソリで頭髪を剃るのは坊さんだけ」とかいうのも、本当かなあと思えてくる。

さらに、この「冠や烏帽子(えぼし)をかぶったとき、髪の生え際が見えないように額ぎわ
を半月形にそり上げたもの」 (大辞林)、または「烏帽子(えぼし)をかぶったためにすれて
抜け上がった前額部」 (大辞泉) を採用するならば、唐沢俊一のいう「月代にするのは、
頭頂部がカブトで、蒸れないようにするため」にも首をひねりたくなる。Wikipeda でいう
「戦場で兜をかぶると気が逆さに上るから、そのイキを抜くためであるという伊勢貞丈の
説」を、少し劣化コピーしたような感じ。(なお Wikipedia の「さかやき」は 2008 年 1 月に
新規作成されたもので、2007 年の『地上最強のムダ知識』のネタ元にはなれない)。


で、織田信長の肖像画が月代を剃った姿であるのに対し、その前の戦国武将が総髪で
描かれているためか、月代を最初に剃ったのは織田信長だという主張もネット上でよく
見かけるが、月代を剃るとの記述自体は平安後期や鎌倉時代まで遡ることが可能。

http://mentai.2ch.net/history/kako/996/996995968.html
>1 名前: 不勉強男 投稿日: 2001/08/05(日) 16:19
>スミマセン、質問なんですが、武士が月代を剃るようになったのはいつ
>からなんですか?
>歴史上の人物の肖像画を見ると、大体冠などを被っているから判らない
>し、足利尊氏なんかは月代を剃らずに長髪姿の肖像画になっているけど。
>月代を剃った肖像画で一番古いのは織田信長(私が知っている限りでは)
> ですが、信長が始めたんでしょうか?
>知っている方、どなたか教えて下さい
〈略〉
>7 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2001/08/05(日) 21:46
>月代は、烏帽子を着用して、髪際の出ないように剃ること。
>並行して、兜を装着したときにズレナイようにという配慮でもある。
>生えてくるのを遅らせるために毛は抜いてしまっていた。
>信長がはじめて剃刀をつかったというが、これはあやしい。ただ、その頃から剃刀を
>使用するようになったようだ。
>『平治物語』に牛若丸が、
>承安四(一一七四)年三月に、十六歳の元服の歳、
>鞍馬寺を出ていくその日、
>近江の鏡の宿で夜半、髪を自分で剃上て、烏帽子のほこりをはらって着る情景が
>みえている。
>これが最古の文献で、 彼がはじめたわけではもちろん無いだろう。


http://www.warbirds.jp/ansq/6/F2000301.html
>2. 散髪について検索して調べてみたら、日本で始めて月代を剃ったのは織田信長で
>意外と新しいようです。短髪の普及は散髪用具の発展とかなり関係が深いと見ていま
>すが。剃刀、西洋はさみ、バリカンの順に発明されてきているわけで、19世紀バリカ
>ンの発明により、刈上げが素人でも簡単にできるようになったため、短髪が主流に
>なったのでは。
>3.
>>2
>月代剃りについてですが、信長よりもう少し遡れるのではないでしょうか。平凡社世界
>百科大事典の「髷」の項にはこうあります。「また鎌倉時代からは,額から頭頂にかけ
>て髪を円く剃りあげる月代(さかやき)の風習も武家の間で広まった。この形の起りは
>諸説あるが,戦場で冑をかぶるおりに熱気がこもるためというのが定説になってい
>る。」太平記(14世紀後半には成立)には大塔宮の熊野落ちで、山伏に扮したが「さ
>かやき」でばれるというシーンがあったはずです(記憶モード故やや自信なし)。また、
>後期倭寇についての中国側資料は、倭寇の特徴として「頂前剪髪、椎髷向後(前と上
>の髪を刈り、横と後ろの髪を結う)」「こん髪薙頂(あたまの上を剃る)」などを挙げ、月
>代を日本人倭寇を判別するポイントとしています。後期倭寇ですと時代的には信長の
>少年・青年時代と重なりますが、両者のあいだに関連はないでしょう。おそらくその
>記事は、信長が冠、烏帽子を被らないで月代と髷を露出する、露頭・月代髪のパイオ
>ニアだったことをいっているのか、あるいは戦争のための実用としてではなく、ファッ
>ションとして月代を剃ったという事かも知れません。


ただし、唐沢俊一の書いている通り「初めてカミソリを月代に使ったのは、織田信長」
――と、最初に「月代をカミソリで剃るようにした」のは信長だとする資料は存在する。

下記に引用する資料を読んで、「カミソリで頭髪を剃るのは坊さんだけ」との唐沢俊一の
記述は、「カミソリは法具であり一般的には使用されていなかった」ことからきているよう
だと納得できた。信長以前には月代を剃るために、カミソリではなくて「小刀など当時の
道具を使用したようですね」とのこと。

しかし、下記の資料を信用するとすれば、唐沢俊一のいう「抜く時の苦痛に耐えるのが
美徳とされていた」というのは多分ガセということに。カミソリがあまり使用されなかった
大きな理由は「一般的にはまだまだ剃刀は高価なものだった」ためで、織田信長以降も
まだまだ「庶民などは毛抜きで月代を行っていた」ようだともいう。

まあ、その方が、戦国武将が「苦痛に耐えるのが美徳」と思うマゾ体質と考えるよりは
納得のできる話ではある。そして織田信長がカミソリを使用した理由は、裕福でもあり、
当時のファッションリーダーでもあったためとするのが妥当ではないかと思う。

http://www.kamisoriclub.co.jp/question3.htm
>飛鳥時代になると仏教伝来とともに日本にも大陸からカミソリが持ち込まれ、当時は
>法具としてヒゲをを剃る儀式に用いられたみたいですね。この時代くらいから一般の
>人もヒゲを剃るようになりましたが、カミソリは法具であり一般的には使用されていな
>かったと思われます。小刀など当時の道具を使用したようですね。また当時の中国か
>ら伝わった「けっしき」といわれる毛抜きで抜いて整える方法も一般的だったようです。
>室町時代から江戸時代まで
>室町時代に入ると、当時のヘアスタイル?として月代(さかやき)を剃る露頭が定着し
>はじめておりまして、月代を剃る際に剃刀をはじめて用いた人物は織田信長と言われ
>ております。ただ、一般的にはまだまだ剃刀は高価なものだった為に庶民などは毛抜
>きで月代を行っていたようです・・痛そすですね。


http://www.riyo.or.jp/library/etc_kobore_03.html
>室町時代に入ると、一般の風俗として月代(さかやき)を剃る露頭が定着しはじめまし
>た。この月代剃りに、剃刀を用いた初めての人物が織田信長だといわれています。
>しかし、剃刀は高価なものであったため、普通は毛抜きで月代を行っていたといわ
>れ、頭中血だらけで苦行のようでした。


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Comment

>だおさん
>「葉隠」には、 短刀を太ももに突き立てて

これ↓のことでしょうか。

http://nippon-bushido.seesaa.net/article/120714965.html
>股ぬきなどと云ふ事四五十年以前は男役と覚えて、疵無き股は人中に
>出されぬ様に候故、独してもぬきたり。皆男仕事血ぐさき事なり。

# 「短刀を太ももに」はどうしても、幻術師とか相手に、はっと正気にかえる
# ためにやるものだというイメージが強いのですが、おいといて。

「抜く時の苦痛に耐えるのが美徳とされていた」とかは、確かに『葉隠』みたく、世の中が平和で余裕ができたときに SM 体質な奴が言い出すことって気はしています。

>名字の印象も相まって「それってトンデモよね。カラサワシュンイチよね」

う……、その発想はありませんでした。<名字の印象
トンデモない一行知識 |  2010年02月01日(月) 23:16 |  URL |  【コメント編集】

武士と苦痛といえば「葉隠」には、
短刀を太ももに突き立てて痛みに耐える訓練をするという話があるそうですが、
なにせ(江戸)開府100年以上も経った辺りで元佐賀藩士の山本常朝さんが「4,50年前はやってたんだお」と言いだした話なので、
名字の印象も相まって「それってトンデモよね。カラサワシュンイチよね」と言いたくなるのは私だけでしょうか。
だお |  2010年02月01日(月) 20:44 |  URL |  【コメント編集】

>粗忽亭主人さん
どうもです。(_ _)

> (参考)http://www.cosmo.ne.jp/~barber/sakayaki.htm

あ、そのページの中の「中剃り」がありましたですね。
ワタシ的には、やはり「頭の中央の毛が除かれた状態」と聞くと、どうしてもカッパか、下でいう「アベ・ウイッグ(神父カツラ)」になるのですが……。

http://www.riyo.or.jp/library/riyo_history.html
>アベ・ウイッグ(神父カツラ)頭頂が剃られている。

ここまで「中央」だと、もういっさい悔いがないという感じで。↓
http://www.riyo.or.jp/library/photo/riyo04.gif

これ↓もいい感じです。
http://www.cosmo.ne.jp/~barber/taremae.html

# すいません何の話でしたっけ……。

おまけ: ぐぐっていたら、あらまたさん発見↓
http://aga-news.jp/secure/aramata/05.html
トンデモない一行知識 |  2010年02月01日(月) 18:32 |  URL |  【コメント編集】

●頭頂部を剃るのは

> 頭の中央の毛が除かれた状態
これでは「中剃り」のことになってしまいますね。
これも月代の一種ではあるそうですが。
(参考)http://www.cosmo.ne.jp/~barber/sakayaki.htm
粗忽亭主人 |  2010年02月01日(月) 12:52 |  URL |  【コメント編集】

●私はどちらかというと信長オサレ説に一票

>常夜さん
あ、NHK でやっていたりしたのですか。
「月代を剃刀で最初に剃ったのは信長」というのは、あちこちでみかけるのですが、その割には出典が不明だし、どうなのかなーと思っていたのですが。

http://rrmokkou.gozaru.jp/shincyo003.htm
>暢気な(というとかなり語弊があるが)時代はよかったが時は戦国。
>ほぼ毎日が戦争。エブリデイ国盗りロマン(バス○マンじゃあるまいし
>いちいち剃っては伸ばし、剃っては伸ばしするわけにはいかなくなり、
>とうとういつも剃るようになる。
>この殺伐とした時代、けつしきという木の鋏で抜いていた。
>ぶちぶちっと。すごく痛い。想像しただけで痛い。
>まさに血塗れになる事もあり、まさにしたくない髪型であった。
>しかししないと蒸れる。いらいらする。
>そんな惨劇に終止符をうとうとした男がいる。
>伊勢貞親という男だ。
>「もう痛いし血が出ることもあるからけつしきで抜くのは禁止!!
>これからは剃刀でやりなさい」
>それが広まり剃刀が使われ始める。
>一説にこのサイトの主人公、織田信長が剃刀で剃った最初とするものが
>あるが、これは誤りである。

これ↑はこれで、どこからとったのか不明ですし……。


>兜を脱いだときは、髷を解いている為、ざんばら髪が肩に垂れる姿が
>当時の子供(童)の髪型を思わせる為、そこから大童(おおわらわ)と
>云う表現が生まれたと云う説

( ・∀・)ノシ∩

武士とは大きな子どもであると?

http://fandrich.sl.lcomi.ne.jp/archives/article/9230.html
>大童(おおわらわ)
>ちなみに語源は、その昔、武士が戦の時に、兜が取れ、ちょんまげが緩み、
>束ねていた髪をばらばらにしながらも、奮闘している姿から来ているらしい。

>つまり大人が、子どものように髪を振り乱して、一心不乱に何かをする様。
トンデモない一行知識 |  2010年02月01日(月) 10:33 |  URL |  【コメント編集】

●河童じゃなくて童

月代を剃刀で最初に剃ったのは信長と云う説は、かなり以前NHKの歴史番組でも、抜くのと違って痛みが残らないとして、信長の合理性を示すエピソードとして目にした記憶があります。
後、兜で蒸れない様にと書くのならついでに、兜を脱いだときは、髷を解いている為、ざんばら髪が肩に垂れる姿が当時の子供(童)の髪型を思わせる為、そこから大童(おおわらわ)と云う表現が生まれたと云う説も書いてあれば話が拡がったのではと、考えたりいたしました。
常夜 |  2010年02月01日(月) 08:17 |  URL |  【コメント編集】

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