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2009.12.18 (Fri)

本当は女子高生になってコクトーを貶しまくりたかった唐沢俊一

http://www.tobunken.com/diary/diary20010904000000.html

ブースカは、子供向けを意識しすぎて、ストーリィのテンポがやや、おかった
るい。
〈略〉
 原稿、それでもちょこちょこと書く。書きながらあいまに植木不等式氏と
駄洒落のメールをやりとりしたり、歌舞伎町火災の替え歌を作ってみたり。
こういうときに人は不善をなすのかもしれん、と思う。ネットで資料を探して
あちこちうろうろしているうち、何故か知らないがジャン・コクトーを徹底して
毛嫌いしている女子高生の日記サイトを見つける。ところが彼女は、ある日
コバルト文庫(というところがなんとも)を読んで、コクトーが『美女と野獣』の
“原作者”であることを知り、愕然とする。これまた何故か知らないが、彼女
の中では『美女と野獣』の位置は非常に高いものであったらしい(読んでは
いないのだが)。“あの芸術家気取りがそんな大物だったのか!”と驚愕
した彼女は、古書店で『美女と野獣』を探し、同題名の不倫小説などを手に
とってしまってガッカリしたりした末に、とうとうホンモノを見つけ、その原作
者名を確認する。“ボバリー夫人”と。コクトーはこれを映画化した“だけ”で
あった。彼女は自分の考えが正しかったことに安心し、コバルト文庫のいい
かげんさに非常に憤慨して、日記に“出版物の文章には責任もてよ”と怒り
の言葉を書き付けるのであった。

 ……コクトーをエセ芸術家よばわりする女子高生。もし私が教師で、教え
子にこういう子がいたとしても、決して私は彼女を叱ったりしないと思う。
頼もしいではないか。こんなことを発言できるのは若いころの特権。コクトー
に限らず、どんどん、大物をケチョンケチョンに切って捨ててほしい。たまに
はそういう声にも耳を傾けないと、芸術も進歩しないだろう。ただ、同じような
言を吐いていた昔の私がそうであったように、数年後に彼女は凄く恥ずか
しい思いをすると思うけれど、その恥ずかしさがすなわち、大人になった
証拠なのだ。ちなみに、『美女と野獣』の原作者はボーモン夫人が正しい。
まあ、“ボ”が合っているだけでも、最近の高校生としては大したものだと思う。


×おかったるい ○かったるい ではないかと思ったが、近世江戸語に「おかったるい」
という言葉があるのね、ということで、間違い探し編に入れるのは中止。

http://dic.yahoo.co.jp/search?stype=0&ei=UTF-8&dtype=2&p=おかったるい
>お‐かったる・い [形]
>《近世江戸語》十分でない。不足である。 「百足(むかで)を後見(うしろみ)に頼んで
>も、まだ―・い」〈洒・二筋道〉


http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=おかったるい&dtype=0&dname=0ss
>おかったる・い
>〔補説〕 近世江戸語
>十分でない。不足である。てぬるい。
> ・三谷の毘沙門から百足(むかで)を後見にたのんでも、まだ―・い〔出典: 洒落本・
>傾城買二筋道〕


おそらく、この日の日記の冒頭の「3時ころ目が覚め、所在なく黄表紙など読む」という
のが、「かったるい」ではなく「おかったるい」となった伏線 (?) だったのかも。……それに
したって、ブースカのことを話すのに近世江戸語を使わなくてもよいのではないかとか、
「ストーリィのテンポが」が主語なのには少し違和感があるなとか、「ブースカは、子供向
けを意識しすぎて」ってブースカが子ども向けを意識しないでどうするとかは思うけど。


「こういうときに人は不善をなすのかもしれん」については、下でいう「『閑居』を暇と取り
違え」のきらいはあるものの、2008 年の裏モノ日記と違って「不正をなす」とはやらかし
ていないだけ、まあよいんじゃないかと。

http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/43.html
>「裏モノ日記」2008.02.21
>>いろいろとあせることあり。
>>しかしあせることが出来るというのは恵まれたことである。
>>小人閑居して不正をなす、という例はいくらも見ている。
>>小人であることを自覚すればノンビリはしない方がいい。

> そもそも「小人閑居して不善をなす」。原文は「君子必慎其独也,小人閑居為不善」。
>君子は独りでいる時に必ず慎み深くするが,小人は他人の目がないと悪い事をすると
>いう意味である。まさに唐沢俊一そのものだが、「閑居」を暇と取り違え、「小人」である
>ことを自覚して、忙しく働けばいいのだろうという意思表明。原典の引用も間違え、解釈
>も間違え、その結果アクションプランも見当違い。呆れ果てた無教養である


ただ、忙中閑ありといっていいような、わずかな暇しかないときに、「人は不善をなすの
かも」と、妙な一般化をされてもなあ……とは思う。


「ボーモン夫人が正しい」にも少し引っかかったんだけど、単に「ボーモン夫人」とのみ
表記している例が確かに多い。

https://www.so-net.ne.jp/storygate/sakuhin/s156.html
>原作はボーモン夫人、1711年に生まれたフランスの女性で、教育者でした。美女と
>野獣は、1757年に発表された作品です。〈略〉詩人のジャン・コクトオはこの作品を
>絶賛してファンタスティックな映画を作りましたし、1991年にはディズニーが映画化
>しました。


http://www.amazon.co.jp/dp/4042289010
>美女と野獣 (角川文庫) (文庫)
>ボーモン夫人 (著), 鈴木 豊 (翻訳)


e-hon のように「ルプランス・ド・ボーモン夫人/原作」としているところもあるし、日本版
Wikipedia では「J・L・ド・ボーモン夫人」だけど、長くなったはよいが夫人はとれないまま
のファーストネームなし、ってのもちょっとアレだと思うし。

http://ja.wikipedia.org/wiki/美女と野獣
>美女と野獣 (びじょとやじゅう, 仏:La Belle et la Bête) は、フランスの異類婚姻譚の
>民話。1740年にG・ド・ヴィルヌーヴ夫人によって最初に書かれた。現在広く知られて
>いるのはそれを短縮して1756年に出版されたJ・L・ド・ボーモン夫人版である。


個人的には、「ボーモン夫人」のみの表記でなければ、「ジャンヌ・マリー・ルプランス・
ド・ボーモン」にするのに一票。

http://en.wikipedia.org/wiki/Jeanne-Marie_Le_Prince_de_Beaumont
> Jeanne-Marie Le Prince de Beaumont
> From Wikipedia, the free encyclopediaJeanne Marie Le Prince de Beaumont (26
> April 1711 – 8 September 1780) was a French novelist.


http://www.neowing.co.jp/detailview.html?KEY=NEOBK-330501
>[本/雑誌] 美女と野獣
>ジャンヌ・マリー・ルプランス・ド・ボーモン/原作 宇野亜喜良/絵・文



ええと、そして、2ちゃんねるのスレでかなり盛り上がった (Read More 参照)、女子高生
の日記を読んでの唐沢俊一の感想についての感想。

この女子高生とは唐沢俊一自身のことではないかという意見まで飛び出したけど、一応
件の「女子高生の日記サイト」というのは実在していた模様。ついでに、下の日記でいう
「単に古い映画に興味が無い」、「単純にディズニーが好きでホモが嫌い」という推測に
は、一票いれたい。

http://homepage2.nifty.com/tuge/Diary/Diary_0109.html
> 唐沢俊一の裏モノ日記(9/4)に書かれていた女子高生の日記サイトに関する記述
>を読んで大量のクエスチョンマークを頭上に浮かべる。なぜか彼女はジャン・コクトー
>を毛嫌いしているのだが、ある日コバルト文庫にコクトーが『美女と野獣』の原作 者で
>あると書かれていてビックリ仰天。これまたなぜか『美女と野獣』を非常に高 尚なモノ
>と捉えていた彼女は驚愕し、古書店で『美女と野獣』を探し出し、原作者名 がボバ
>リー夫人であると確認、コクトーはこれを映画化しただけであったの で、彼女は自分
>の考えが正しかったと一安心。日記に「ちゃんとした出版社なんだからさ、出版物の
>文章には責任持てよ。」とコバルト文庫に対する怒りを書き付けて終 わるという話。
>  ・・・『美女と野獣』の原作者はボーモン夫人であることは裏モノ日記に書かれてい
>るが、ボバリー夫人と誤記しているところが面白い。少なくとも彼女はフローベールを
>読んでいるか知ってはいるわけで、古典の名作にもそれなりに手を伸ばす読書家であ
>ることが窺い知れる。であるのに『美女と野獣』を持ち上げながらも作者をしらない。
>コクトーの映画版『美女と野獣』を知らないのは単に古い映画に興味が無いだけ だと
>思うが・・・・。単純にディズニーが好きでホモが嫌いと見たね、私は。どや? !(ぉ


というか、唐沢俊一には、「ちゃんとした出版社なんだからさ、出版物の文章には責任
持てよ。」との意見にこそ、真摯に反応してほしかったような気もするが。

ちなみに、上に引用した日記の「女子高生の日記サイト」へのテキストリンクは、現在は
リンク切れだが、
http://isweb28.infoseek.co.jp/animal/kaseihp/updata/diary/kaseidiary01.html
Web Archive からは読める

それを読んでしみじみ思ったのは、唐沢俊一って要約というか紹介のしかたが下手クソ
だなということ。唐沢俊一の日記では、本物の (同名の不倫小説などではない) 『美女と
野獣』を発見した場所が古本屋みたいに読めるけど、実際は「駅ビルの本屋(有林堂)」
の方で見つけたと書いてあるし。

http://web.archive.org/web/20020417115336/http://isweb28.infoseek.co.jp/animal/kaseihp/updata/diary/kaseidiary01.html
>4.21 ジャン・コクトーは「怖るべき子供たち」の著者だ!
>私はジャンコクトーという作家が嫌いだ。
>その私が、衝撃的な事実を知ったのはつい先日のことである。(日記参照)

>「ジャン・コクトーは、『美女と野獣』の原作者」

>あまりの驚愕に、一瞬名前を読み返してしまった。
>コクトー!?あの芸術家気取りがそんな大物だったのか…!!
>ってなものである。普段から自分の考えを考えなしに吹聴して回る性質のある私は、
>当然の如く人前でだいぶコクトーの悪口を言った。
>よく知らないでそういうことをするのはかなり危険なのだが、所詮コクトーなぞその程度、
>と思いこんでいたゆえ、結構安心して言いふらしていたというに…。
>私はあまりのショックに、誰にも言わずに本を閉ると、こっそりバックにしまい込んだ。
〈略〉
>ふと、視線を下の壇に並べてある本の背表紙に落とすと――そこには、「美女と野獣」
>なんたらかんたら著、の文字が! 名前は忘れてしまったが、ジャン・コクトーではない。
> 「なにっ!?」と心の中で声を挙げながら、私は慌てて本を手に取った。
>そして裏に書いてあるストーリー紹介に目を通すと…
>またしても私は、こっそりとその本を元あった場所にもどす事になった。
>たしかにコクトーが書いたのではなかったが、正規の「美女と野獣」でもなかったのだ。
>どうやら、美女と野獣を現代風にアレンジした不倫?小説らしい。興味無し。
>がっくりと肩を落とすとまではいかないが、幾分それに近いような心境で、私は足を
>古本屋から駅ビルの本屋(有林堂)へと向けた。
>しかしそれが吉とでたか、私はそこでついに、真実と遭遇したのである!
>欲しかった本を手に取ろうとした時、隣の本の背表紙に
>「美女と野獣」 ボバリー夫人著

> ………
>コバルト文庫さんに一言。
>ちゃんとした出版社なんだからさ、出版物の文章には責任持てよ。

>結局、それが本物の「美女と野獣」だった。
>ジャン・コクトーは原作を映画化した監督だったらしい。
>なんでそれが原作者になっちまうんだよ…
>世の中って結構、いいかげんにできてることを知った日。
>(こんないいかげんな奴に言われたら、ホントおしまいだよ)

>4.18
>学校で友達から「ちょー美女と野獣」という小説を借りた。読んだ。
>恋愛ヤダ。
>私はもっと骨肉の争いが見たいのに……
>あと、あとがきに「美女と野獣の原作者はジャンコクトー」って書いてあったのはショッ
>クだった。ジャンコクトーはどうも好きになれない。
>嫌いと言えるほど知らないけどやっぱり嫌い。


それにしても、実際の日記には、「ジャンコクトーはどうも好きになれない。嫌いと言える
ほど知らないけどやっぱり嫌い。」、「私はジャンコクトーという作家が嫌いだ。」、「あの
芸術家気取りがそんな大物だったのか」、「人前でだいぶコクトーの悪口を言った」、
「所詮コクトーなぞその程度」くらいのことしか書かれていなかった、と。

これが唐沢俊一にかかると、「ジャン・コクトーを徹底して毛嫌いしている女子高生の
日記サイト」ということになり、「コクトーに限らず、どんどん、大物をケチョンケチョンに
切って捨ててほしい。」、「数年後に彼女は凄く恥ずかしい思いをすると思うけれど」と
なってしまうというのも、何だかなと思う。

2ちゃんねるのスレにあった (Read More 参照) 「唐沢の中のアニマJKに演じさせたフィ
クションによる自己紹介」というのは、結局正しい指摘だったような気がしてきた。

だって、「コクトーをエセ芸術家よばわりする女子高生」ってのが実在していないもの。
「芸術家気取り」という批判が、常に「エセ芸術家」という非難に結びつくわけでもないと
思うし。「エセ芸術家」といっているのは、件の女子高生ではなくて、あくまで唐沢俊一。



More...

http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1260560716/439-
-------
439 :無名草子さん:2009/12/16(水) 09:45:36
2001.09.04 http://www.tobunken.com/diary/diary20010904000000.html

>ネットで資料を探してあちこちうろうろしているうち、何故か知らないがジャン・コクトーを
>徹底して毛嫌いしている女子高生の日記サイトを見つける。
(略)
>とうとうホンモノを見つけ、その原作者名を確認する。“ボバリー夫人”と。
>コクトーはこれを映画化した“だけ”であった。
(略)
>コクトーをエセ芸術家よばわりする女子高生。もし私が教師で、教え子にこういう子がいたとし
>ても、決して私は彼女を叱ったりしないと思う。頼もしいではないか。こんなことを発言できる
>のは若いころの特権。コクトーに限らず、どんどん、大物をケチョンケチョンに切って捨ててほ
>しい。たまにはそういう声にも耳を傾けないと、芸術も進歩しないだろう。
>ただ、同じような言を吐いていた昔の私がそうであったように、数年後に彼女は凄く恥ずかしい
>思いをすると思うけれど、その恥ずかしさがすなわち、大人になった証拠なのだ。
>ちなみに、『美女と野獣』の原作者はボーモン夫人が正しい。まあ、“ボ”が合っているだけで
>も、最近の高校生としては大したものだと思う。

恥ずかしいと思う神経を持っているんですか?


441 :無名草子さん:2009/12/16(水) 09:53:43
>>439
>のは若いころの特権。コクトーに限らず、どんどん、大物をケチョンケチョンに切って捨ててほ
>しい。たまにはそういう声にも耳を傾けないと、芸術も進歩しないだろう。
>ただ、同じような言を吐いていた昔の私がそうであったように、数年後に彼女は凄く恥ずかしい
>思いをすると思うけれど、その恥ずかしさがすなわち、大人になった証拠なのだ。

未だに手塚治虫という超大物を必死にけなし続けているという事は
まだ大人になっていないんですよ。

452 :無名草子さん:2009/12/16(水) 11:44:57
>まあ、“ボ”が合っているだけで
>も、最近の高校生としては大したものだと思う。

最近の高校生でも、唐沢先生より知識も常識も備えている子は普通にいます。

454 :無名草子さん:2009/12/16(水) 11:57:58
>>439
>とうとうホンモノを見つけ、その原作者名を確認する。“ボバリー夫人”と。

>ちなみに、『美女と野獣』の原作者はボーモン夫人が正しい。まあ、“ボ”が合っているだけで
>も、最近の高校生としては大したものだと思う。

「ボ」が合ってるなんて苦しい話をするより,「ボヴァリー夫人」が小説の題名だと指摘するのが
最近のおっさんのあるべき姿ではないかと。

455 :無名草子さん:2009/12/16(水) 11:59:30
唐沢の行状を例にとって、「最近の五十代は」と言ってもいいんちゃう?

456 :無名草子さん:2009/12/16(水) 12:02:14
サンプル不適格

457 :無名草子さん:2009/12/16(水) 12:04:14
>もし私が教師で、教え子にこういう子がいたとしても、
>決して私は彼女を叱ったりしないと思う。

妄想乙

458 :無名草子さん:2009/12/16(水) 12:12:16
>>439
それの略になってるとこ、

>ところが彼女は、ある日コバルト文庫(というところがなんとも)を読んで、コクトーが『美女と野獣』の“原作者”で
>あることを知り、愕然とする。これまた何故か知らないが、彼女の中では『美女と野獣』の位置は非常に高いもの
>であったらしい(読んではいないのだが)。“あの芸術家気取りがそんな大物だったのか!”と驚愕した彼女は、
>古書店で『美女と野獣』を探し、同題名の不倫小説などを手にとってしまってガッカリしたりした末に、

「彼女の中では『美女と野獣』の位置は非常に高いもの
であったらしい(読んではいないのだが)。“あの芸術家気取りがそんな大物だったのか!”」

これって唐沢の行動原理そのものだと思う。
てか、唐沢の中のアニマJKに演じさせたフィクションによる自己紹介っぽい。


460 :無名草子さん:2009/12/16(水) 12:17:44
>>458
>これって唐沢の行動原理そのものだと思う。

だからこそ「私は彼女を叱ったりしないと思う。頼もしいではないか」と言っているんだろうね。

461 :無名草子さん:2009/12/16(水) 12:19:12
>>458
テンテーは女子高生になりたいのかも。
まえに唐沢シュンイチが女子高生だったら萌えるねって対談か何かで
言われてたのを思い出した。言ったのは岡田だったかなあ
眼鏡で雑学に詳しくて、脚が悪い女子高生。
記号に萌えてろって感じですが

462 :無名草子さん:2009/12/16(水) 12:21:19
>>461
ハゲを帽子で隠して毎晩飲み歩く女子高生?
むしろ燃やしてやりたいな

463 :無名草子さん:2009/12/16(水) 12:24:33
唐沢が普段からどんだけ名前間違いしてると思ってるんだろう?思い込みで断言するのは、
いつもやっているだろう。

どの面下げて、女子高生に先輩面して「頼もしいではないか」みたいな事言えるんだろうね。

464 :無名草子さん:2009/12/16(水) 12:28:59
女子高生になって、市橋容疑者に抱かれたいんですね。わかります。

467 :無名草子さん:2009/12/16(水) 12:50:12
余談ながら>>439のコバルト文庫は「ちょー美女と野獣」ね。
作者があとがきで
「ごめんジャン・コクトー!きみの作品を茶化すつもりじゃないんだ!」
と書いたが、続編で
「すいません、前作でジャンコクトーに謝りましたが、美女と野獣の作者は
ボーモン婦人で、コクトーは映画監督だったんですね。」と訂正した。

469 :無名草子さん:2009/12/16(水) 12:54:59
コクトーが阿片中毒から立ち直ったのはラディゲの死の 10 年後
http://tondemonai2.web.fc2.com/513.html

>『月刊ほんとうに怖い童話』 2008 年 7 月号
>コラム 『唐沢俊一が選ぶアブナイ奇書』 のジャン・コクトー『阿片』の紹介。
>この作品のタイトルは、正しくは『阿片―ある解毒治療の日記』で、 コクトー
>は恋人だったココ・シャネルのおかげで、阿片耽溺から快復し、この本を著した。


>×恋人だったココ・シャネル ○友人だったココ・シャネル

>コクトーを阿片中毒から救ったのはココ・シャネルで正しいとして、「唐沢俊一 まとめwiki -
>間違い5」の項目名にあるように、「コクトーは同性愛者である」。

>同性愛を公言し、「同性愛の相手の俳優ジャン・マレー」と共同で館を購入。小説『白書』
>で同性愛を告白したとも、そもそも阿片に溺れるもととなったのはレイモン・ラディゲの死
>からだが、彼とも同性愛の関係にあったともいわれる。

>まあ、ジャン・コクトーは女性とも関係をもったという話もあるけど、ココ・シャネルの恋人
>とされているのはエティエンヌ・バルサン、アーサー・カペル、ディミトリ・パヴロヴィッチ、
>ウェストミンスター公爵、ポール・イリブなど。コクトーを恋人としていたという話はない
>ようだ。

470 :無名草子さん:2009/12/16(水) 13:22:01
タマネギ「コクトーというより酷豚だ。」

471 :無名草子さん:2009/12/16(水) 13:27:11
なつい・・・なみだでてきた

496 :無名草子さん:2009/12/16(水) 16:45:03
>>439
そのJKが何か理由があってコクトーを酷評してるなら、別に後年恥ずかしくなる事はないと思う。
例えば「コクトー天狗になりやがって、むかつく!」といった下らない理由で叩いていたなら
思い出した時に「あぁ~」ってなるだろうけど。
どんな理由で叩いているかも分からないのに、芸術家に噛み付いてるってだけでJKを応援するのが
チンピラ臭くてそっちのほうが恥ずかしい。

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Comment

>yonoさん
横レスかもですが、女子高生の日記には

>4.18
>学校で友達から「ちょー美女と野獣」という小説を借りた。読んだ。

とあって、ここに収録させていただいた2ちゃんのスレへの書き込みには、

>467 :無名草子さん:2009/12/16(水) 12:50:12
>余談ながら>>439のコバルト文庫は「ちょー美女と野獣」ね。
>作者があとがきで
>「ごめんジャン・コクトー!きみの作品を茶化すつもりじゃないんだ!」
>と書いたが、続編で
>「すいません、前作でジャンコクトーに謝りましたが、美女と野獣の作者は
>ボーモン婦人で、コクトーは映画監督だったんですね。」と訂正した。

と、あるですね。すげ、どうしてこういう情報が、すぐにさらっと書き込まれるのだろうと驚いたのですが、私が知らなかっただけで、結構有名な作品&ロングセラーの本だったようで。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ちょーシリーズ
トンデモない一行知識 |  2009年12月19日(土) 12:33 |  URL |  【コメント編集】

>粗忽亭主人さん
>>ジャン・コクトーは原作を映画化した監督だったらしい。
>>なんでそれが原作者になっちまうんだよ…

>と書いているわけだから、ここの主眼というのはいい加減なことを書いたコバルト作家へのツッコミなわけですよね。

件のコバルト作家さんも続刊で気付いたみたいですね
「ちょー魔法使いの弟子」という本です
yono |  2009年12月19日(土) 04:28 |  URL |  【コメント編集】

>粗忽亭主人さん
どうもです。(_ _) まったくおっしゃる通りと思います。

好きか嫌いかは個人の感覚しだいなので、この女子高生が、将来恥ずかしく思うに違いないという、唐沢俊一の決めつけには首を傾げます。数十年経っても嫌いなままかもしれないし、途中で嗜好が変わって好きになったとしても、若い頃に嫌いだったことを恥ずかしがらなければいけないもんでもないと思いますし。

「そんな大物だったのか」、「所詮コクトーなぞその程度」あたりはまあ、昔の自分に苦笑する可能性がいくぶん高いかと思いますが、「よく知らないでそういうことをするのはかなり危険なのだが」とか書いているくらいだし、その手のリスクにはかなり自覚的な人じゃないかとも思います。

これが、好き嫌いを前面に出すタイプの文章ではなく、「嫌いと言えるほど知らないけど」、「よく知らないで」などということは (たとえ事実でも) ガンとして書くのを拒否して、偉そうな評論家風の自己陶酔文章を書いていたとしたら、「数年後に彼女は凄く恥ずかしい思いをすると思うけれど」と書くのもわかるんですけどね。

そして、そういう文章を、50 を過ぎた今も日々発表し続けている唐沢俊一が、「く恥ずかしい思いを」しているようには見えない不思議。
トンデモない一行知識 |  2009年12月19日(土) 00:02 |  URL |  【コメント編集】

>コクトーはこれを映画化した“だけ”であった。

というところもなんだかなあ。これだと件の女子高生が映画監督というものにまったく尊敬をはらっていないというか、文学作品の映像化なんかだれにでもできると思っているように受け取れるけど、

>ジャン・コクトーは原作を映画化した監督だったらしい。
>なんでそれが原作者になっちまうんだよ…

と書いているわけだから、ここの主眼というのはいい加減なことを書いたコバルト作家へのツッコミなわけですよね。

>彼女は自分の考えが正しかったことに安心し

というのも、もとの日記からは読みとれない。あくまでガセをふきこまれた怒りを書いているだけ。
それに、高校生の年代にかぎらなくても、世間の評価は高くても自分はまったく評価しない、というものはだれでも一つや二つはあるだろうし、この女子高生にとってはコクトーがそのひとつだったというだけのはなし。唐沢氏、意図的にねじ曲げて書いたのか、それとも本当に意味盲なのか……。
粗忽亭主人 |  2009年12月18日(金) 11:39 |  URL |  【コメント編集】

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