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2009.12.02 (Wed)

『プロ並みに撮る写真術III』――裏モノ日記編

『プロ並みに撮る写真術III』――『トンデモ本の世界R』編」の続きの、裏モノ日記編。

裏モノ日記 1999年 12月 19日(日曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary19991219000000.html

「普段から外食で毒を盛られている、良心的なジャーナリスト・芸術家・
ビジネスマン・政・財界人は内蔵が弱っているため少量の添加物が致命
的になる場合がある。あの社会のダニどもは食品の流通を握っていて、
あなたが定期的に摂取する食品の添加物を増やしてくるのだ。志ある
ならば慎重でなければ成就しない。定期的に同じ食品を摂らぬこと。
できれば好物もつくらぬ方がいい」
“志あるならば”という部分が味わい深い。

http://s03.megalodon.jp/2009-1201-0112-53/www.tobunken.com/diary/diary19991219000000.html

×内蔵 ○内臓

日沖宗弘著『写真術III』 P.41 では、正しく「内臓」と書かれている。つまり、唐沢俊一に
よる単純な誤変換。まあ、この部分が『トンデモ本の世界R』ではボツになっているのは、
誤字のせいではなく、「“志あるならば”という部分が味わい深い」といっているだけの
唐沢俊一の突っ込みが、今ひとつ意味不明でおもしろくないせいではないかと思うけど。

http://www.tobunken.com/diary/diary19991219000000.html

 なぜ、そんな高い学歴を誇っていながら著者は仕事につけないのか。
その理由が、彼の性格にあることは読んでいればすぐ、わかる。“名の
通った”さる出版社が出版契約書を著者に送ったとき、彼はその契約
書の、出版関係者なら通常目にしているであろう文言すべてを、自分に
不利な契約を相手が無理に結ばせようとしているのだと思い込む。
「この出版社は、前述のおかしな点について電話で指摘したところ訳の
わからぬ弁解をした挙句、とうとう尻っぽを出して怒鳴り出した」
 何か、例の東芝糾弾サイトのAKKY氏を思い出す。
「そんなことだろうと思って渡しておいたカメラやレンズの評価や章立て
は全てでたらめだから念のため」
 そういうことをするから仕事がなくなるのではないか?


「そういうことをするから仕事がなくなる」の「そういうこと」とは、「全てでたらめだから」と
いう部分をさすのだろうか。会議が通るか通らないかの段階で出した「カメラやレンズの
評価や章立て」について、そのように非難する唐沢俊一が、出版され多くの一般読者の
目にふれる本の中に、「全てでたらめ」といいたくなるくらい大量のガセを混入させている
のだから、頭が痛い。

それはさておき、「東芝糾弾サイトのAKKY氏」というのは懐かしいな、と。
- http://homepage1.nifty.com/kito/toshiba.htm

確かあの件で怒鳴られたのは「AKKY氏」の方で、怒鳴ったのは東芝のクレーマー処理
係のヤクザみたいなオヤジって話だっけ。「“名の通った”さる出版社」にも、そのような
担当の人がいるのか、なるほど――なあんて思われるようなこと書くのはマズいだろうと
いうので、ボツになったのかなこの部分。

または、「出版関係者なら通常目にしているであろう文言すべてを、自分に不利な契約
を相手が無理に結ばせようとしているのだと思い込む」ってのがマズかったのかも。
「通常目にしているであろう文言すべて」というのは大げさだし、『写真術III』の著者が
問題にしていることの半分は、打ち合わせのときの合意事項が含まれていないという
ことみたいだったし。

『写真術III』 P.52
> 執筆や出版の場合でも、できればきちんとした契約書を作成し厳重にチェックする
>必要がある。私のところに、ある名の通った出版社が出版の依頼に来た。はじめは
>うまいことを言っておきながら、この会社が作成して来たワープロで打った美しき契約
>書には私と同意したはずの条件が幾つも上手に抜け落ちているではないか。出版
>刊行の期限も「完全な文章および印刷用写真原稿の引渡しを受けた後六ヵ月以内」
>となっているが、これは三、四ヵ月で充分だろう。おまけに「やむを得ない事情がある
>時には甲乙協議の上、前項の期日(即ち六ヵ月)を変更することができる」ときたもの
>だ。これでは勝手に「やむを得ない事情」とやらによって、この出版と印税の支払い
>はいくらでも延期が可能だ。
> またこのイカサマ契約書には「甲(日沖宗弘)は、この契約の有効期間中に本書の
>利益を損なう類似または同一内容の書籍を出版しない」とあるがこれもおかしい。
>だいたいもの書きという連中は「類似」のことをあちこちに書き散らかして飯を食って
>いるのであって、これを禁止されたのではたまったものではない。無論、「同一内容」
>のところは正しい。
> さらに打ち合わせのときに合意したはずの『アサヒカメラ』・『日本カメラ』誌の広告
>掲載は、この契約書のどこを見ても出てこない。作例写真に用いる神の質や印刷技
>術についての約束に関しても態度がおかしい。


自分は出版関係ではないので、この本に引用されている契約書の文言が、唐沢俊一の
いうように「出版関係者なら通常目にしているであろう」ものかどうかは、わからない。

しかし、唐沢俊一のいうことが本当だとすると解せないのは、ではどうしてこの著者は、
この本を出すよりも前から、複数の出版社と契約して数冊の本を出す事が可能だったの
か――ということ。『写真術III』の著者略歴に書いてあるだけで、著書が 5 冊に訳書が
2 冊。『写真術III』の頸草書房の他に、ネコ・パブリッシング、ベネッセからも本を出して
いるのだ。

もっと解せないのは、もしも契約書に「本書の利益を損なう類似または同一内容の書籍
を出版しない」と書かれているのが通常ならば、唐沢俊一がよくやっている豪快な使い
回しは、やはりかなりマズいことではないのかということ。「『笑うクスリ指』の使い回しと
ガセの豪快さにクスクスと
」のエントリーにも書いたけど、唐沢俊一の使い回しの多さは
1999 年の時点ですでにはじまっていたし、使い回しの多い人だという指摘は Amazon
のレビュー (どちらかというと好意的な内容のもの) でも見かけた覚えがある。

だいたい、この裏モノ日記が書かれた 1999 年の時点で、唐沢俊一がどれだけ「“名の
通った”」出版社の契約書を目にする機会があったのかという疑問もある。弟の契約書を
見せてもらうことが多かったというなら別だけど。

で、唐沢俊一は、「“名の通った”さる出版社」――と「名の通った」を二重引用符で囲んで
いるのだが、以下の文章の「“”でくくって」うんぬんのところを読むと、「“名の通った”さ
る出版社」の部分は、唐沢俊一の「著者の屈折が表れている」と解釈することも可能かと
思えてきて面白い。

http://www.tobunken.com/diary/diary19991219000000.html

「私も研究者・教育者の卵として長く大学院(唐沢注・東大の大学院)
に在籍していた。私は成績も業績も能力も同僚たちに比べて明らかに
大きく劣るというわけでもなかったと思うのだが、五年契約という不思
議な講師の仕事のあとどういうわけかいまだに就職口もなければ非常
勤講師など仕事の依頼も全くない。どんな“四流大学”にでも教えに
行くつもりであったにもかかわらず、だ」
 わざわざ“”でくくって四流大学、と書くあたりに、この著者の屈折が
表れているように思うのは私だけか。要するに、自分の高い学歴と、
自認する能力に対し、世間の評価は何故か低い。そうこうするうち、
著者の心の中に、“コレハ何物カガ俺ヲネタンデ陥レヨウトシテイル
ノデハナイカ”という疑問が芽生えるのである。

ד四流大学” ○「四流大学」

まあ、『写真術III』の著者が「わざわざ“”でくくって四流大学」と書いた (元の本では
“”でなく「」でくくっている) のは、「四流大学」は辞書には載っていない言葉なので、
造語みたいな扱いで括弧でくくったとも考えられる。奇妙な造語――クソウ・ダとか
脅迫観念とか。単なる間違いともいう――も、“”や「」などで囲んだりはしないで書き
散らす唐沢俊一には、そういう発想はなさそうだが。

で、上に引用した文章の「屈折が表れているように思うのは私だけか。」までは、ほぼ
同じことが『トンデモ本の世界R』にも書かれている。しかし、「要するに」以降は日記に
しかない。

唐沢俊一の日記にしかない記述を読んでいくと、「世間の評価は何故か低い」あたり
まではそう違和感はなかったが、「俺ヲネタンデ陥レヨウトシテイル」には、あれっと思っ
た。『写真術III』の著者は主に、世の中には悪人が多いという方向で怒っていて、「俺ヲ
ネタンデ」という線はあんまり前面に出していない印象だったので。

しかし、「ネタンデ」が気になって読み返してみると、この著者は唐沢俊一に妬まれても
不思議ではない要素はいくつもある。1999 年の時点の唐沢俊一に比べれば単著の数
は多いし、『写真術III』の前に出した『写真術I』、『写真術II』ともに好評を得ていたこと
は、唐沢俊一も『トンデモ本の世界R』 P.238 に書いている。『写真術III』に載っている
自宅の玄関の写真を見ると、何だか一軒家に住んでいるっぽい。

前のエントリーには、近所とのトラブルがあったのではないかと書いたのだが、女性との
トラブルもあったのかもしれないと思わせる記述もあって、見方によっては女性関係が
華やか。

『写真術III』 P.46
>次に尾行が始まってから接近してくる艶っぽい女に注意。一味である可能性がある。
>私のように可愛がってさしあげてもいいが、飲食には気をつけること。それからこの女
>の会話から相手方が何を探ろうとしているのかが判ることもある。私を狙ってきた女性
>は大学生が二、三人、一人の目的は写真の技術関係、他方は哲学・美術・宗教関係、
>いわゆる思想調査であったと思われる。

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Comment

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/camera/1221348020/
とかでしょうか<2ちゃんねるのスレ
「カメラの初歩的な間違い」というのは、素人の私にはよくわからない (_ _); のですが、レンズを自分で研磨するあたりとか……? しかし、それが書いてあるのは『写真術III』の後ろの方であり、唐沢俊一は読んでいなかったのではないかという。

『写真術III』は 273 ページの本なのですが、『トンデモ本の世界R』で唐沢俊一が引用しているのは最初の 53 ページまで。まあ唐沢俊一の場合、本の最初の方と最後の方だけ読んで紹介しているのではないかというケースは結構多いのですけれども。
トンデモない一行知識@レス遅延気味すみません |  2009年12月05日(土) 10:55 |  URL |  【コメント編集】

作者の日沖氏を貶めたいために唐沢はむきになっているのですが今一切れ味がよくないですね。カメラの初歩的な間違いも多いので2ちゃんねるの日沖スレのように光学・カメラ工学の見地から書いてみれば違ったものになったとおもいます。
通りすがり |  2009年12月03日(木) 22:45 |  URL |  【コメント編集】

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