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2009.11.21 (Sat)

楳図かずおの雑誌転向時期が唐沢俊一時空では 5 年ずれる理由

『血で描く』 P.92

あんたも佐藤まさあきや楳図かずおの尻馬に乗って雑誌漫画に転向かい


小説『血で描く』の中での、日記内の記述より。日付けは昭和 35 年 4 月 20 日。

これについては、一月程前に、2ちゃんねるのスレで疑問と調査結果を書き込んでいた
人がいた (Read More も参照)。昭和 35 年 (1960 年) の時点では、楳図かずおはまだ
「雑誌漫画に転向」していなかったのではないか――というもの。

http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1255759155/353
>353 :前スレ861:2009/10/19(月) 15:39:42
>既決編
>図書館で以下の2点の資料を確認した
>1 ユリイカ 2004年7月号 『特集 楳図かずお』 
>2 ウメカニズム 楳図かずお大解剖、 登石もめ 編、1995年 小学館

>おおざっぱな事を言うとウメカニズムにおいて1955-1965を”貸本漫画の時代”、
>1965-1968を”恐怖漫画の確立”の時期としている。
>また、ユリイカの年譜や作品目録を見ても
>1958年に集英社【少女ブック】本誌への連載、
>1959年には講談社『たのしい5年生』等への連載があるものの
>1959年の”連載終了後、大手出版社からは一時は慣れるが、貸本作品の依頼は多く、
>描きまくりの状態と”なっていた様で、この時点で転向したとは思えない。
>そして大手への復活を1965年の『別冊少女フレンド』(ゆうれいがやってくる)
>としていることから、ウメカニズムの時代区分も適切な物と判断出来る。

>というわけで如何でしょう、個人的には楳図かずおの”転向”は1965年以降であると
>判断します。
>よって唐沢は小説の時代背景にもフィクションを盛り込んでいる状態であると判断いた
>します。
>作家名が架空だったらいいんだろうけど実名使ってたらもうちょっと気を使うべきだったん
>じゃないかな?

>一点、少し調べないといけないけど新説を提出します。
>【唐沢は昭和→西暦の変換を25年ではなく30年で行っているのではないか】
>只の思いつきなんだけど、この可能性は結構あるのではw

>あ、貸本漫画時代に貸本漫画に対する評論があったかどうかは未確認。



で、今回このエントリーを書こうと思ったのは、コンビニで買ったムックに、楳図かずおの
インタビュー記事を見つけたため。

週刊大衆 ミステリーMOOK 奇談『怪しい伝説』 P.135 「楳図かずお 第5回」
>――その後、地元で漫画家として多忙な日々を送り、いよいよ上京するわけですけど、
>きっかけは?

> 当時は大阪の出版社とよく仕事をしていたんですけど、貸本ブームが去って、バタ
>バタつぶれちゃったんですね。それで27歳のときに、じゃあ、東京に行こうかと。

>――長く住んだ地元を離れるのは、ツラくなかったですか?

> いえ、その辺はわりとあっさりと (笑)。でも、いままで長く住んだ土地を見ておこうと
>思って、上京前にあちこち行きましたよ。仲間と川に泳ぎに行ったり。泳ぎは、当時
>からよくやっていたんですよ。


週刊大衆のムックで、奇談『怪しい伝説』というのはちょっとアレだけど (失礼?)、インタ
ビューでの楳図かずお本人の言葉は、信憑性もそれなりにあると思ってよいだろう。で、
上の発言から推測するに、楳図かずおが活躍場所を貸本から雑誌へとシフトしたのは、
1963 年 (昭和 38 年) の上京以降のことになるのではないかと。

下記の Wikipedia の記述にも、「1961年、貸本短編誌『虹』29号に発表した「口が耳まで
さける時」」というのがある一方、作品一覧の最初にくる雑誌連載は、1966 年の『週刊
少女フレンド』の「へび少女」となっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/楳図かずお
>1955年、五條高校卒業後、『森の兄妹』(6月刊)、『別世界』(9月刊。共にトモブック
>社)でプロデビュー。前者は水谷武子との共作で『ヘンゼルとグレーテル』の漫画化、
>後者は太古の地球に舞台を取った壮大な叙事詩的SF作品。以後、貸本漫画を多く
>発表し人気作家となる。
>1961年、貸本短編誌『虹』29号に発表した「口が耳までさける時」において「恐怖マン
>ガ」という言葉を作った。1963年8月に上京。以後、池袋、目白、高田馬場、吉祥寺
>(現在)に住す。生来の自動車嫌いで、電車は利用するが、ほとんど徒歩で都内を移
>動する。
>1966年、講談社の少女漫画誌『週刊少女フレンド』に連載した「ねこ目の少女」「へび
>少女」等がヒットし、恐怖マンガ家として全国的に知られるようになる。


つまり、「佐藤まさあきや楳図かずおの尻馬に乗って雑誌漫画に転向かい」などと、
1960 年 (昭和 35 年) の時点でいったりするのは不自然で、2ちゃんねるのスレへの
書き込みにあった、「小説の時代背景にもフィクションを盛り込んでいる状態である」、
「作家名が架空だったらいいんだろうけど実名使ってたらもうちょっと気を使うべき」と
いうのは、正しい指摘と考えてよいだろう。

まあ、『血で描く』という小説自体、縦ロールを立てロールとしてしまうわ、ガセは多いわ、
つまらないわという代物ではある。

カラーの表紙に青鉛筆で網かけ処理指定はないでしょう
昭和三十年代だって写真館以外でも撮影されていた無数の写真
出来立てロールパンや出来立てカールじゃないんでしょ?
どうしてそこでもっと凝ろうとしないのか<『血で描く』

昭和 35 年から 36 年についての考証がなっていないということは、「唐沢俊一『血で
描く』を読んでみた。
」のエントリーの方で指摘されていることでもある。

一方、Amazon の『血で描く』の内容紹介には、「著者が造詣の深い貸本漫画の世界」
とか悪い冗談ではないかというようなことも書かれているが:

http://www.amazon.co.jp/dp/484012406X
>内容紹介
>呪いの貸本漫画との死斗!唐沢俊一、初の小説本!!
>と学会での活動やトリビアで人気の、唐沢俊一による初の小説。著者が造詣の深い
>貸本漫画の世界を舞台にした、レトロかつ斬新な怪奇小説(+α)です。


唐沢俊一が貸本関係に造形が深いか、時空を歪ませたりしないかといえば、これも
怪しい。

「昭和三十年代の子どもたち」にしていればよかったかもの貸本屋


さて、楳図かずお以外に名前のあがっている佐藤まさあきについては、どうかというと、
こちらは 1965 年 (昭和 40 年) 以降に、雑誌に進出と考えてよいだろう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/佐藤まさあき
>新制中学卒業後、工員となったが、1955年に『最後の流星投げ』(日の丸文庫)で
>デビューし、貸本漫画の世界で活躍。ニヒルな主人公を描いたハードボイルドもので
>人気を博す。1959年、盟友のさいとう・たかをや辰巳ヨシヒロたちと共に劇画工房を
>創立し、劇画ブームの急先鋒に立つ。


http://www.amazon.co.jp/dp/4163523200
>「劇画の星」をめざして―誰も書かなかった「劇画内幕史」 (単行本)
>佐藤 まさあき (著)
〈略〉
>裏劇画史, 2006/3/1
>By sirou55
>〈略〉貸本劇画家として頭角を現した著者はハードボイルド物で人気を博し、その過程
>でさいとうたかを、水木しげる、楳図かずお、つげ義春、水島新司らと知り合う。貸本
>業界が下火になって昭和41年からは雑誌に進出、昭和54年まで猛烈に仕事をする
>が、プロダクションを解散して新宿にパブレストランを出してから転落の日々が始まる。


つまり、2ちゃんねるのスレに書き込んだ人の唱えている「【唐沢は昭和→西暦の変換を
25年ではなく30年で行っているのではないか】」というのは、真面目に検討するべき説
ではないかということに。


ただ、5 年ずらして 1965 年 (昭和 40 年) にすればオッケーかというと微妙で、これは
あくまで個人的な推測にしかすぎないけど、人気作家が貸本から雑誌に移行していった
のを見て、後に続けとばかりに雑誌に移る作家というのは、そんなにいなかったのでは
ないかという気がしている。むしろ、楳図かずおや佐藤まさあきといった人気作家だから
こそ、衰退してパイの少なくなった貸本業界でも、かなり後まで仕事があって、比較的
食うに困らないですんでいたのではないかと。

『血で描く』の主人公のモデルではないかといわれている元貸本漫画家の徳南晴一郎
という人がいるが、彼の書いた『孤客』という本には、以下のような記述がある。

『孤客』 P.36
> 離合集散は世のならい。われわれ曙出版専属漫画家十人「+画人会」もその例に
>もれぬ。マンガブームいつしか衰え余喘を保ちし仲間も一人去り二人消えて淋しさを
>増すばかり。
> ナベさんは中学校美術の先生に転身し、浜田君は地球堂(特殊地図の会社)の
>製図工となり、神戸君は家業の酒場を継ぎ、小泉君は絶望のあまり自殺してしまっ
>た。
> 依然としてマンガにしがみついていたのは川田漫一、ヒモトタロウ、長谷邦夫、江戸
>川晴、鈴原研一郎そして自分だった。
> 世の中がだんだんと寒くなる頃、自分は曙出版での最終シリーズ「戦国武将物」に
>とりかかっていた。


「マンガブームいつしか衰え」たため、専属漫画家が 10 人から 6 人に減ったという。
これが「昭和三七年」 (1962 年) のこととして書かれている。この徳南晴一郎が漫画家
を廃業したのは、楳図かずおの上京と同じ年の昭和 38 年 (1963 年) のことだった。

『孤客』 P.41
> 曙出版に出頭すると土屋社長より事情万やむを得んから処決して呉れと云われた。
>就職口の斡旋の相談にものろうともいわれた。
〈略〉
> 顧客(貸本屋を指す)がわれらの生殺与奪の鍵を握っていて売行きの多寡を律して
>いた。だが彼らに確たる定見があろうとは思えなかった。



おまけ (楳図かずおって、いいなあ):
- http://umezz.com/jp/
- http://gwashi.com/



More...

http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1255759155/352-
-------
352 :前スレ861:2009/10/19(月) 15:36:35
前スレ861で完璧にスルーされた者ですが、
一応自分で調べて半分は解決したようなので報告します。

所詮小説なのでいくらでも嘘をついてはいいと思うのですが
奥付によると
”雑学、映画、貸本漫画、猟奇事件等さまざまなサブカルチャーに通暁”
しているらしい先生の小説なんだから、
専門分野について小説書くなら時代考証はきちんとして欲しいと思わないでもありません。

前スレ861を誤字訂正のうえ再掲し、解決編に続きます。

>861 名前:血で描く メェル:sage 投稿日:2009/10/16(金) 12:49:39
>p.73 沼波恭一は ”頭の固い評論家や同業者に、お前の作品はやれ観念的に過ぎるだとか構成の詰めが甘いとかと酷評され”
>→架空の漫画作品の中の記述だけど昭和35年以前に貸本漫画の評論家がいたのか、ちょっと疑問

>p.92 昭和35年4月20日の日記内の記述 ”あんたも佐藤まさあきや楳図かずおの尻馬に乗って雑誌漫画に転向かい”
>→確認できなかったけど楳図の転向はいつ頃?wikipediaによると上京は昭和38年のようだけど…

>教えて!エロい人!!

353 :前スレ861:2009/10/19(月) 15:39:42
既決編
図書館で以下の2点の資料を確認した
1 ユリイカ 2004年7月号 『特集 楳図かずお』 
2 ウメカニズム 楳図かずお大解剖、 登石もめ 編、1995年 小学館

おおざっぱな事を言うとウメカニズムにおいて1955-1965を”貸本漫画の時代”、1965-1968を”恐怖漫画の確立”の時期としている。
また、ユリイカの年譜や作品目録を見ても
1958年に集英社【少女ブック】本誌への連載、
1959年には講談社『たのしい5年生』等への連載があるものの
1959年の”連載終了後、大手出版社からは一時は慣れるが、貸本作品の依頼は多く、
描きまくりの状態と”なっていた様で、この時点で転向したとは思えない。
そして大手への復活を1965年の『別冊少女フレンド』(ゆうれいがやってくる)
としていることから、ウメカニズムの時代区分も適切な物と判断出来る。

というわけで如何でしょう、個人的には楳図かずおの”転向”は1965年以降であると判断します。
よって唐沢は小説の時代背景にもフィクションを盛り込んでいる状態であると判断いたします。
作家名が架空だったらいいんだろうけど実名使ってたらもうちょっと気を使うべきだったんじゃないかな?

一点、少し調べないといけないけど新説を提出します。
【唐沢は昭和→西暦の変換を25年ではなく30年で行っているのではないか】
只の思いつきなんだけど、この可能性は結構あるのではw

あ、貸本漫画時代に貸本漫画に対する評論があったかどうかは未確認。

-------
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23:41  |  その他の雑学本 間違い探し編 (324) +  |  TB(0)  |  CM(9)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

ええと、discussao さんのおっしゃっているような、後世から見たマンガ史的客観事実としての解釈とはズレているけど、当時の登場人物の感想としてはアリかも――という解釈の余地を、私がそもそも認めていないから、という話です。

そういう解釈の余地は、佐藤まさあきの名前をいっしょに出していること、1963 年に楳図かずおが上京した動機が「貸本ブームが去って、バタバタつぶれちゃった」、つまりそれ以前は貸本業界の隆盛に依存する生活をしていたと思われること (これらは本文に記述の通り) で、消えていると思っていますので。

それを再考するとしたら、「マンガ史的」に説得力のある別の有力な説か、『血で描く』の中の、他の登場人物のコメントまたは地の文でのフォローが必要と思っています。したがって、

>2.作中人物の発言はマンガ史的客観事実とは考えられず、文脈として
>楳図・佐藤への揶揄・やっかみ及び貸本マンガ関係者としてのいくばくかの
>矜持から発せられたものと推察され、批判的に「転向」という表現が使われ
>ることに不自然さは無い(というか、批判するのにわざわざ「移行」とかソフトな
>言い方も使わないだろうし)。

といわれても……ワタシ的には、「マンガ史的客観事実」でもないことは、小説の他の部分または解説などでフォローしないかぎり、はい、ダメねという方に分類させていただくということで……。(ちなみに、『血で描く』には、解説はついていません)。

そのため、この件にかぎって言えば、おっしゃるところの「<一行知識さんの言説を支える、資料としての「作品」データについて>」は、私にとってはさほど重要なことではないのです。小説内で語られる客観的な事実はどう扱われるべきかの考えは人それぞれでしょうし、議論によりその手の判断基準のすりあわせをおこなう必要性も感じていません。
トンデモない一行知識 |  2009年11月29日(日) 01:35 |  URL |  【コメント編集】

>うーん、ご意見の方は、多分理解できたと思いますが、申し訳ありませんが、同意しかねますとお答えするしかないように思います。すみません。

私が言説のメインは、先にコメントしたように<一行知識さんの言説を支える、資料としての「作品」データについて>であるので、前回ので言い終っているのですが、なんだか最後っ屁を嗅がされたかのような按配なので蛇足に蛇足を重ねます。


>ええと、その、それをいったらオシマイというか、何でもアリになってしまうのではないかと。それならば、佐藤まさあきの方ですら、登場人物の勘違いということで説明をつけることも可能です。他の登場人物の誰も、それを間違いと指摘しないまま終わっても、です。

私が「蛇足」部で言っているのは

1.楳図かずおは昭和30年(1960年)4月20日の時点で大手出版社に長期連載を持っていた(『人形世界』)。
2.作中人物の発言はマンガ史的客観事実とは考えられず、文脈として楳図・佐藤への揶揄・やっかみ及び貸本マンガ関係者としてのいくばくかの矜持から発せられたものと推察され、批判的に「転向」という表現が使われることに不自然さは無い(というか、批判するのにわざわざ「移行」とかソフトな言い方も使わないだろうし)。

以上を作品データを並べて考察、記述したつもりなので、一行知識さんが私の言説を「作中人物の主観に従えば<なんでもアリ>、客観データはすべて無視できる」かのように書かれているのはたいへん不本意です。たしかに私は作中人物の主観を問題にしましたが、それは一行知識さんが作中人物の言説を検討するのに客観的マンガ史との齟齬を論拠とした不適切を指摘のであり、状況証明としてはずっとマンガ史に即して記述しています。一行知識さんの御説正当化のために私のコメントの文脈を捻じ曲げるようなことは勘弁してください。

蛇足の蛇足の蛇足ですが、大手出版社に書いている時期は貸本のほうは出版が減る傾向があるようです(すべてがそうとは言わない)。楳図先生の場合で言うと、『母をよぶこえ』(おそらく唯一のバレエもの)の年は年間執筆枚数の半分をこの作品が占めており、またつげ義春のケースでは、大手「少女」「ぼくら」「冒険王」等に中短編を発表し「転向」を試みた年では、貸本は2作書いたきりです。ページ単価は数倍違い(これが揶揄・やっかみに関連)、編集サイドの作品への介入による意に沿わない作風の変更(これが矜持に関連)があるわけで、貸本マンガ関係者が「転向」と見るのを特に否定しうる材料はないのではないでしょうか?
まあ同意なさらなくとも結構ですが、いちおう根拠をもとに話をしているわけですから、なにかしらのデータに基づいて「5年ずれている」だの「貸本マンガ関係者が転向と考えるのは不適切」だの述べていただいたほうが有意義に思います。
discussao |  2009年11月27日(金) 23:37 |  URL |  【コメント編集】

どうもです。(_ _)

>漫画史的にはそこでも挙げた例のように、楳図かずおが大手出版系に
>移行したのは1965年以降なのは周知の事実なので、これ以上一行
>知識さんがそれを言い募る必要は無いかと思います。

了解しました。読み違えていたようで、すみません。

>それを漫画史と齟齬があるから云々といっても、登場人物の主観として
>描かれているかぎり無意味であり、

ええと、その、それをいったらオシマイというか、何でもアリになってしまうのではないかと。それならば、佐藤まさあきの方ですら、登場人物の勘違いということで説明をつけることも可能です。他の登場人物の誰も、それを間違いと指摘しないまま終わっても、です。

もちろん、おっしゃりたいことは、佐藤まさあき氏の方は、その登場人物が大ボケでないかぎりまずありえない記述だけど、楳図かずおの方は、そうでもないのではないかということではないかとは思いますが、となると私は、いえ楳図かずお氏をあげているのも似たようなレベルのボケぶりだと思いますよ――と、申し上げるしかないのかなあと思っています。

または、1960 年以降の分を、日記を書いた者は知らないことだと無視するとしても (現代の登場人物も同様みたいですが)、1960 年までの時期に「貸本作品の依頼は多く、描きまくりの状態」が偽とならないかぎり、「進出」はともかく「転向」はないだろう――と、また「転向」という言葉のニュアンスに話を戻すとか……?

うーん、ご意見の方は、多分理解できたと思いますが、申し訳ありませんが、同意しかねますとお答えするしかないように思います。すみません。


で、引用の順番は前後しますが、以下は本題とちょっとハズれた話ということで。

>エントリ本文で挙げられている作品が少女マンガに偏重しているので

これは、この時期の楳図かずおの作品で、ホラーの有名どころが少女マンガに偏重しているか、または私の関心の偏りによるものかで、指摘されるまで意識していませんでしたが、後者が大きいかもしれません。

何かこのエントリーを書いてからも、『少女クラブ』っていったいどんな雑誌だったんだろうと思っていたりします。

江戸川乱歩の小説が連載されていて、挿絵を石原豪人が描いていたり、
- http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-74.html
ここに描いていたために (?)、少女漫画出身といわれることもあるちばてつやや松本零士もいたり。
- http://ja.wikipedia.org/wiki/少女クラブ


>「週刊少年マガジン」掲載の傑作『半魚人』(1965年)

この作品も、かなり記憶に強く残っていた……はずだったのですが、1965 年の作品とはしらなかった (思っていなかった) もので……。

http://sea1900.exblog.jp/2951041/
>地球上の陸が海に変わり、人間は生きて行く事が出来なくなるので、
>人間を魚に変えるという話で、手の指と指の間に、水かきを作ったり、
>うろこを生やしたりと、不気味な漫画が描かれている。そして、最後に
>は、手術された人間は海に帰って行ったそうだ。

雑誌で読んだ記憶は何だったんだろうという。^_^; 親が何年分もためこんだ雑誌の一冊だったのか、1970 年頃に別の雑誌に再録 or 書き直し版が掲載されたのか、カラーページありの雑誌掲載というのは単なる記憶違いだったのか、ですね。
トンデモない一行知識 |  2009年11月26日(木) 23:36 |  URL |  【コメント編集】

エントリ本文の楳図作品について
>そもそも日記を書いた人物は、楳図かずおの作品を一作たりとも漏らさず詳細に把握しているような、すごい楳図かずおマニアとしては設定されていません。なので、Wikipedia とか http://umezz.com/works/works_2.html でチェックできるような目立った作品 (?) だけ押さえとけば、この件に関しては用が足りるかと思っていましたし、今も思っています。

なるほど。エントリ本文で挙げられている作品が少女マンガに偏重しているので、「転向」初期作品を念頭に摘出されているかのように読み取れてしまいました。「週刊少年マガジン」掲載の傑作『半魚人』(1965年)とか並んでいたら、バランスも取れて飲み込みも早かったかもしれません。

<あんたも佐藤まさあきや楳図かずおの尻馬に乗って雑誌漫画に転向かい>について
1.最初のコメントのときから、私は楳図かずおの漫画史的な「転向」時期について特に言及していないつもりです(あくまでも、一行知識さんの言説を支える、資料としての「作品」データについて話していたつもりです)。<考え方によっては「雑誌転向」的に捉えられ得る。>という1節を漫画史に否定されても、私は作品例を挙げて同文の中で65年や66年「転向」も提出しているわけで、書いたことの意味が伝わっていない気がします。
漫画史的にはそこでも挙げた例のように、楳図かずおが大手出版系に移行したのは1965年以降なのは周知の事実なので、これ以上一行知識さんがそれを言い募る必要は無いかと思います。
2.と言うわけで以下は蛇足ですが、「すごい楳図ファン」でなくともそれなりに名前は知られていた楳図かずおについて、1960年4月20日に「たのしい五年生」(もしくは「六年生」)連載の『人形世界』を読んだ貸本マンガ関係者が<雑誌マンガに転向>と考えたことを特に否定出来得る根拠は、一行知識さんの今まで提出されたものの中に見い出せないと思います。それを漫画史と齟齬があるから云々といっても、登場人物の主観として描かれているかぎり無意味であり、なおかつ状況証拠として楳図先生は大手雑誌に連載していたわけなので、まあそう考える人間がいても間違いではないとしか言いようがありません。
かと言ってこの台詞が1965年で正しいかと言うと、それもなんかおかしくて、ことさらに楳図かずお・佐藤まさあきが「転向」の先鞭もしくは象徴になったわけでもなく、1965年というと水木しげると今村洋子が第6回講談社漫画賞を受賞して(両者貸本マンガ出身)おり、こっちのほうがずっとふさわしい。この時期に「転向」しているのは白土三平、平田弘史ら著名な作家を含めおおぜいおり、佐藤まさあきはともあれ楳図かずおが「転向」の象徴となったことは考えにくい。

佐藤まさあき
1960年4月20日に<あんたも佐藤まさあきや楳図かずおの尻馬に乗って雑誌漫画に転向かい>と発言する不適切は、上記のような「微妙な」楳図かずおのケースで検証するよりも佐藤まさあきの「悪書追放事件」にからめて話したほうが適切かと思います。
これは、1959年ヒット・メーカーだった佐藤マンガの扇情性が「悪書」の槍玉に挙げられ、大手や貸本どころか発表の場を喪失する追放処置に遭うも、業界のしがらみのない貸本系「すずらん出版」から短編集『ボス』刊行(1960年1月)、即完売したところ貸本界が手のひらを返して追放撤回し、佐藤の名声はより高まったという事件。1960年4月20日はこの事件の直後(もしくは真っ最中)であり、この時期に上記発言がなされるのは相当不自然。
あいかわらず『血で描く』は読んでないのですが、私なら佐藤まさあきで突っ込みますね。
discussao |  2009年11月25日(水) 19:02 |  URL |  【コメント編集】

私は、データの解釈の問題だと思っています。

そもそも日記を書いた人物は、楳図かずおの作品を一作たりとも漏らさず詳細に把握しているような、すごい楳図かずおマニアとしては設定されていません。なので、Wikipedia とか http://umezz.com/works/works_2.html でチェックできるような目立った作品 (?) だけ押さえとけば、この件に関しては用が足りるかと思っていましたし、今も思っています。

とはいえ、すごい楳図かずおマニアではないとも書かれていないので、楳図作品をすべて詳細に洗っていけば、1960 年に「転向」との記述は変、1965 年に書かれた日記ならつじつまのあう描写だ――という結論がひっくり返るというなら、また考慮する必要があると思いますが、私にはそのような材料が提示されているとは思えませんので……。

><考え方によっては「雑誌転向」的に捉えられ得る。>

といわれましても、最初に2ちゃんねるのスレに書き込んだ人も、元ネタとなったウメカニズムの人も、私も、雑誌連載はあったことを知っていて、なお雑誌転向ではないと考えていたわけですし、連載期間の少しのブレが、結論部分にさほど影響をあたえるものとは私には思えないのです。1955 ~ 1960 年に発表した貸本向けが比率として予想外に少なかった or どんどん減っていたというわけではなさそうですし。「転向」という言葉のニュアンスの受け止め方の相違かもしれません。

>現実としてその後しばらく貸本系で活躍され、1965,6年に本格的
>「雑誌転向」ということがあっても、1960年4月の個人の思い込みに
>それが関わってくることは、「タイムトラベラー」でもなければありえない
>でしょう。

1960 年の日記に楳図かずおは「雑誌漫画に転向」と日記に書く者は、こいつ予知能力者かよw というのが私の解釈です。それも、1960 年時点の現実と、1965 年の状況の予知との区別がつかないタイプの。

百歩ゆずって、日記の記述が「個人の思い込み」に過ぎないものだったという設定でいくとしたら、その場合は、その日記を読んだ現在 (『血で描く』が発売された 2008 年頃の現在) の登場人物たちが何も突っ込みを入れることなく、作者である唐沢俊一本人が地の文でフォローするわけでもないという方を、批判の対象にさせていただきます、ということで。
トンデモない一行知識 |  2009年11月23日(月) 10:40 |  URL |  【コメント編集】

●「ミイラ先生」「続ミイラ先生」追記

>●完全復刻版「続ミイラ先生」
>本書は、1967年に貸本漫画出版社・佐藤プロから刊行された単行本で、
>前編、後編の2冊に及ぶ中編作品の後編です。

復刻版情報ページに「佐藤プロから刊行された単行本」と記されている意味は、後の普及したサンデーコミックス版が正続1冊にまとめられたためか削除増補があり、初出ヴァージョンの完全復刻というニュアンスであろうと思われます。
『楳図かずお大研究』収録の楳図・二階堂黎人対談でも

>二階堂 あと、『ミイラ先生』なんですけど、秋田書店のサンデーコミックス版って、連載よりもちょっと削ってあるじゃないですか。頁の都合なんでしょうけど。
>楳図 あ、そうかもしれませんね。いやですね。
>いずれ機会があったら完全版を。あれも大好きな作品なんです。

とあるので、この流れが<佐藤プロ版>復刻に結びついたのでしょう。対談の続きで楳図先生は、<『ミイラ先生』を書いてる最中に、原稿を持って講談社の編集室に入ろうとした時>と発言しいます。
discussao |  2009年11月23日(月) 09:03 |  URL |  【コメント編集】

(1)
>まあ、どこに雑誌転向の線を引くかはむずかしい問題もあるかと思いますが……。

一般論として、全くそうですね、ということは出来ますが、この場合単にベースとなる一行知識さんのデータが問題なのでは……?
「ミイラ先生」、「続ミイラ先生」
は<貸本向け>に書かれた作品ではないです。
「週刊少女フレンド」1967年2・3~14号に連載された、れっきとした大手雑誌収録作品。当時大手出版社から漫画単行本が出版されることは雑誌掲載作品であっても稀で、単行本で出す際にこの作品のように貸本漫画出版社からということは普通におこなわれていたようです。そしてこういうケースを普通<貸本向けに書いた>とは表現しない。
あえて一行知識さんの区分法にしたがい単行本版が貸本出版社なら<貸本向け>と規定するなら、最後の貸本向け作品は「月刊平凡」1968年12月号~翌年1月号発表『動く自画像』(後改題『こわい絵』)――花文庫(佐藤プロ系?)短編集『ひとこぶ少女』収録1969年だろうと思われます。

復刻版情報ページの『城跡にひそかにあつまれ!!』の紹介文にて『ママがこわい』を<デビュー>と表現している意図はよく分かりませんが、おそらく『ママがこわい』が代表作(続編『まだらの少女』と併せ『まだらの恐怖』に)のひとつであり、それにくらべて連載が先行する『ねこ目の少女』『百本目の針』が小品のたたずまいなので、『ママがこわい』をして<「週刊少女フレンド」デビュー>と通りよく書いたということではないでしょうか?まあこの紹介文がどうでも、楳図かずお「週刊少女フレンド」デビューは32号(8月6日)連載開始の『ママがこわい』ではなく26号(6月29日)連載開始の『ねこ目の少女』なのですが……。

(2)
あとコメントの後半は意図不明です。私のコメントの<考え方によっては「雑誌転向」的に捉えられ得る。>についての言及かとも推察されますが、私はいちおう<考え方によっては>と前置きしてひとつの「可能性」として述べているだけなので。だいたい『血で描く』は読んでいないので、該当文がどういう文脈のなかで記されているかわかりませんし。まあ印象としては、昭和35年4月20日にある人物が、「少女ブック」掲載『雪女』『母をよぶこえ』『お百度少女』をもって「楳図かずお雑誌転向」と捉えたと仮定して、いままでの一行知識さんの出してきた情報でこれを特に否定できるものは無いように思います。

>実際、1960 年以降も、1960 ~ 1961 年の「おみっちゃんが今夜もやってくる」、1962 年の「赤い蝶の少女」、1963 年の「宿り花」、1964 年の「雪の花」、1964 年の「恐怖の地震男」、「ロマンスの神様」、「城跡にひそかに集まれ!!」 と、どれも貸本です。この時期の雑誌連載ものは、このページにはありません。

↑のように書かれておられますが、現実としてその後しばらく貸本系で活躍され、1965,6年に本格的「雑誌転向」ということがあっても、1960年4月の個人の思い込みにそれが関わってくることは、「タイムトラベラー」でもなければありえないでしょう。まああくまでも印象論ですので、状況設定でそれなりに根拠がおありならばご容赦下さい。
discussao |  2009年11月22日(日) 23:50 |  URL |  【コメント編集】

まあ、どこに雑誌転向の線を引くかはむずかしい問題もあるかと思いますが……。

貸本と雑誌、両方に書いていた時期が何年かあったとして、最後に貸本向けに描いたのが、公式サイトの復刻版情報に載っている分に限れば「ミイラ先生」、「続ミイラ先生」の 1967 年。 (復刻対象になっていないだけで、もっと後の作品もあるかも)。

http://umezz.com/works/works_2.html
>●完全復刻版「続ミイラ先生」
>本書は、1967年に貸本漫画出版社・佐藤プロから刊行された単行本で、
>前編、後編の2冊に及ぶ中編作品の後編です。

ただし、同じく、復刻版情報のページによると、1955 年の「森の兄妹」、「別世界」のデビューとは別に、1965 年の少女フレンドの「ママがこわい」をデビューと表現。

http://umezz.com/works/works_2.html
>●完全復刻版「城跡にひそかに集まれ!!」
>著者が「ママがこわい」(『少女フレンド』)でデビューする直前の1965年に
>刊行された貸本単行本です。

>●完全復刻版「ねこ目の少女」
>楳図少女ホラーの黄金期を導いた名作! 1965年、『少女フレンド』に
>4回連載された作品の単行本を完全復刻したものです。

当時、傍で見ていても、この 1965 年頃が雑誌転向というように見えただろうと思いますし、これは「ウメカニズムにおいて1955-1965を”貸本漫画の時代”」とも一致、と。

実際、1960 年以降も、1960 ~ 1961 年の「おみっちゃんが今夜もやってくる」、1962 年の「赤い蝶の少女」、1963 年の「宿り花」、1964 年の「雪の花」、1964 年の「恐怖の地震男」、「ロマンスの神様」、「城跡にひそかに集まれ!!」 と、どれも貸本です。この時期の雑誌連載ものは、このページにはありません。

一方、1960 年頃に雑誌転向というのをとると、上に書いたようなこと、および、インタビューの「貸本ブームが去って、バタバタつぶれちゃったんですね。それで27歳のときに、じゃあ、東京に行こうか」との整合性が今ひとつになります。佐藤まさあき問題もありますしね。

また http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/~hangyo/umezu/hyoryu/umezuhis.htm
の人は、「奈良の実家生活時代(1955~1963)」、「上京、貸本マンガ家生活時代(1963~1967?)」、「講談社などの大手へ進出・多作生活時代(1965~1970)」としていますが、この分け方もアリかも。

http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/~hangyo/umezu/hyoryu/umezuhis.htm
>白土三平、水木しげる、楳図かずおやさいとう・たかをなんかは貸本マンガ畑の
>出身。貸本マンガが壊滅したのち、かれらは大手に引抜かれてゆくが、転職して
>やめた作家が八割以上いるとか言われてます。
>貸本業界が壊滅したのち、昭和40年くらいに、日販・東販ら、日本の取次ぎ一元
>帝国主義が完成するようです。
トンデモない一行知識 |  2009年11月22日(日) 13:12 |  URL |  【コメント編集】

●データの修正

>下記の Wikipedia の記述にも、「1961年、貸本短編誌『虹』29号に発表した「口が耳まで
さける時」」というのがある一方、作品一覧の最初にくる雑誌連載は、1966 年の『週刊
少女フレンド』の「へび少女」となっている。

>また、ユリイカの年譜や作品目録を見ても
1958年に集英社【少女ブック】本誌への連載、
1959年には講談社『たのしい5年生』等への連載があるものの
1959年の”連載終了後、大手出版社からは一時は慣れるが、貸本作品の依頼は多く、
描きまくりの状態と”なっていた様で、この時点で転向したとは思えない。
そして大手への復活を1965年の『別冊少女フレンド』(ゆうれいがやってくる)
としていることから、ウメカニズムの時代区分も適切な物と判断出来る

Wikipedia引用文からは、説得力のある情報はほぼ見い出せない。2ちゃん引用文については以下参照。

大手雑誌への登場は「少女ブック」1957年新年増刊号の『なきわらいやんちゃ物語』が最初。新年号なので'56年末に出回っていたかもしれない。 「少女ブック」新年増刊号には57年~59年まで毎回作品が掲載されており、特殊な事情があったと推察される。
大手雑誌への連載は同じく「少女ブック」1958年4月~12月号の『母をよぶこえ』が最初。 9回連載全238頁、ここまでの楳図作品で最長であり、考え方によっては「雑誌転向」的に捉えられ得る。
<1959年には講談社『たのしい5年生』等への連載があるものの
1959年の”連載終了後、大手出版社からは一時は慣れるが>
というのは、「たのしい五年生」後移行「たのしい六年生」連載の『人形少女』のことと思われるが、正確には1960年一月号~1961年3月号まで続いている。
<大手への復活を1965年の『別冊少女フレンド』(ゆうれいがやってくる)>というのも『ゆうれいがやってくる』は新学期おたのしみ号(第3号9月15日)収録とあるので、『ねこ目の少女』(「週刊少女フレンド」26~29号連載、6月29日~7月20日)が先行している。「別冊少女フレンド」登場を考えても夏休みおたのしみ号(第2号8月15日)収録「きちがいやしきの少女」が先。以後「週刊少女フレンド」には引き続き『百本目の針』『ママがこわい』『まだらの少女』『紅グモ』等ほぼ休みなく収録されており、これを本格的なメジャー進出期とみることができる。
ただし細かいことを言えば、上記考察には「雑誌転向時期」を大手出版社雑誌掲載ではなく最後の貸本掲載と考える思考が欠落しており、その意味では『キューピット』(貸本誌「17才」10号~12号掲載、雑誌廃刊により未完)が発表された1966年5月前後をそれとすることも可能。
(基本資料:『楳図かずお大研究』別冊宝島 および『半魚文庫』http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/~hangyo/umezu/ume.htm
discussao |  2009年11月22日(日) 08:19 |  URL |  【コメント編集】

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