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2009.11.08 (Sun)

まさか黄金列車と呼ばれたから黄色は「そのなごり」と書いたのではあるまいな

『トンデモ一行知識の逆襲』 P.97

西武鉄道の前身は「西武農業鉄道」といい、都心部で出た人糞を肥料と
して、練馬の大根畑に運んでいた。

西武の電車が黄色く塗られているのはそのなごりである。


「糞尿輸送列車」を運転していたのは、「西武農業鉄道」のそのまた前身の「武蔵野
鉄道と西武鉄道(旧)と食糧増産の3社」が合併する前の 1944 年に始まり、1945 年
の合併および西武農業鉄道への改称、翌年 1946 年の西武鉄道との改称を経て、
1951 年頃までの話 (書類上は 1953 年まで)。

一方、「西武の電車が黄色く塗られている」というのは、1969 年の「101系」が最初で
ある。何をどうすれば、15 年以上も前に終了した糞尿の輸送の、「そのなごりである」
なんてことになるのかと。

http://ja.wikipedia.org/wiki/西武鉄道
>また1944年には、東京都からの委託によって糞尿輸送が開始された。当時都内の
>糞尿処理は、トラックで湾岸へ運び船で東京湾へ捨てていたが、人手不足とガソリン
>統制により、処理が追いつかなくなっていた。そこで東京都長官の大達茂雄からの要
>請で、武蔵野鉄道と西武鉄道(旧)と食糧増産の3社が一体となり、専用貨車と積込
>所・貯溜施設を造って大規模な糞尿処理にあたることとなったのである。同年9月10
>日夜から普通貨車による糞尿運搬の臨時運転を開始し、11月21日には専用貨車を
>用いた本運転に入った。この糞尿輸送列車は、「汚穢電車」[7]「黄金電車」「黄金列
>車」などと呼ばれた。
〈略〉
>しかし衛生面などで問題が続出してしまい、糞尿輸送は次第にその輸送量を減らして
>行った。書類上は1953年(昭和28年)3月30日までの契約であったが、実際には1951
>年に輸送が休止して以降再開されないままの廃止で、堤の輸送拡大構想は結局実
>行されないまま終わった。
>なおこの糞尿輸送が行われている最中に武蔵野鉄道と西武鉄道(旧)と食糧増産の
>3社が合併しているが、社名に「農業」を付して「西武農業鉄道」とした由来はこのよう
>なことにある。
〈略〉
>1945年(昭和20年)9月22日 - 武蔵野鉄道は西武鉄道(旧)と食糧増産を吸収合併
>して西武農業鉄道に改称。これは陸上交通事業調整法に基づくものであったが、実
>際の合併は食糧増産に対する運輸通信省の査定に時間が掛かり、終戦後となった。
>1946年(昭和21年)11月15日 - 西武農業鉄道は現在の西武鉄道に改称。バス事業
>を武蔵野自動車(現:西武バス)に譲渡、分社化。


http://ja.wikipedia.org/wiki/西武鉄道
>昭和44年(1969年)には他社より一足早く、自社のイメージの確立に乗り出し、現在
>でも利用者の西武鉄道のイメージである「黄色い電車」の第1号となる101系[2]が登
>場する。


西武鉄道のサイトにあるページによると、黄色の 101 系 (ここから壁紙をダウンロード可)
が登場したのは、「西武秩父線開業に合わせて」であり、「山岳区間の運転からラッシュ
輸送まで幅広く対応」できる車両にしたとのこと。都心から埼玉方面の農業地帯 (?) への
貨物輸送とは、まったく関係がない。

http://www.seibu-group.co.jp/railways/unyu/zukan/zukan.html#301kei
>●101・301系
>1969年の西武秩父線開業に合わせて登場しました。3ドア車体の通勤車両で、山岳
>区間の運転からラッシュ輸送まで幅広く対応できる車両性能を備えています。



で、黄色の 101 系の登場前は、西武鉄道の車両は、「通称赤電色」とも「黄色と茶色の
2トーン」ともいわれていたみたいで。

http://wiki.chakuriki.net/index.php/西武鉄道
>02. 大昔には都心から武蔵野までウンコを運んでいた。ウンコ色か、道理で。
>・戦後直後の西武農業鉄道のこと。肥溜め電車と呼ばれていたらしく、1年で社名を
> 変えた。
>・「黄金電車」とも…
> ・だが、くどいようだがそのころ電車は赤かった
>  ・いや、通称赤電色になったのは昭和30年代半ば以降だよ。それ以前は黄色と
>   茶色の2トーンだった。501系(初代)の保存車を見てくれ。
>   ・赤電→黄色(一部のみ窓周り薄茶)だよ
>    ・ちなみにうんこ電車は事故って貨車の中身をぶちまけたことがあります....


この 501 系というのは、101 系の 1969 年より 15 年も前の 1954 年に製造開始されて
いて、淡い黄色 (101 系の黄色とは違いクリーム色に近い) と赤茶色に塗られた車両で
あった。ただ、1954 年というと、糞尿輸送の契約終了の 1953 年よりも後なので、この
型の車両がそれに使われたわけでもなさそう。

http://www.asahi-net.or.jp/~jy2t-ikze/501.htm
>501系2代目として1957年に登場。

http://www.g-gauge.jp/prototype/seibu/seibu.html
>1954年(昭和29年)より所沢工場で製造された車輌で、17m級車体の電動車です。
>当初はクモハ501を名乗っていましたが、後に新型車に追われてクモハ501→クモハ
>411→クモハ351と名前を変えて行きます。



ということで、捜していたら、「西武鉄道の貨物輸送に乗務員(機関士)として22年余りの
間付き合い、退職して10年近くにもなる」という人のブログを発見。それによると、「糞尿
輸送専用の貨車」は木製だった模様。

http://41-31.at.webry.info/200810/article_1.html
> また、糞尿輸送専用の貨車は、自社所有の無蓋貨車(ト31形)を改造(台枠と走行
>部を利用)し、別途作られた木製のタンク体(船底形の立方体)を載せたものであっ
>た。ちなみに、車体部分(タンク部分)は東京都の所有であったとか。


これは、Wikipedia 中の、以下の記述とも合致する。

http://ja.wikipedia.org/wiki/西武鉄道
>戦後、西武鉄道の復興は他社に比べ目覚ましいものだった。大手他社が国鉄モハ
>63形の割当てにより体制を整えようとしている中、西武鉄道では国鉄の戦災車や事
>故車、これらが枯渇すると老朽廃車となった木製車を大量に譲り受け、自社(当時は
>復興社のちに西武建設経営)の所沢車輌工場で改造、修繕や木造車体の鋼体化を
>実施した。


ブログに掲載の写真はモノクロで、色まではわからないが、黒っぽくうつっていることから
判断して、黄色く塗られてはいなかったことは確かだろう。

- http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/012/208/46/N000/000/000/122363026653816407108.jpg
- http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/012/208/46/N000/000/000/122363049801516206278.jpg


ところで、唐沢俊一の書いている「練馬の大根畑に運んでいた」というのもまた、ガセ
ではないかと思うのだけど……。以下の引用を見ると、糞尿列車の「取り卸し設備」の
あったという場所は、練馬区と隣接することはあっても、練馬区の中にはないような。

http://41-31.at.webry.info/200810/article_1.html
>糞尿輸送にあたって武蔵野・西武両鉄道では、専用の設備と貨車を用意した。糞尿
>の積み込み設備が長江(当時東長崎~江古田間の下り線から分岐していた貨物駅)
>と井荻に作られ、その取り卸し設備が清瀬、狭山ヶ丘、高麗、田無、東小平(廃止・花
>小金井~小平間)、東村山、入曽、南大塚、小川の各駅にあった。こうした設備構築
>の状況から、本格的な輸送体制で臨んでいたことが覗える。


そうでなくとも、「練馬の大根畑」というのは、限定し過ぎで、少し変だと思うし。

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