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2009.11.03 (Tue)

輝きが一瞬だったのは三遊亭圓楽のことではなくて……

裏モノ日記 2009年 10月 30日(金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20091030133250.html

三遊亭圓楽死去、肺ガン、76歳。
〈略〉
なお、円楽については四年ほど前に、追悼みたいに見える
文章を日記に記している。
http://www.tobunken.com/diary/diary20051014000000.html
その中で
「正直言って、今、圓楽さんが亡くなったとして、私に何か
慨が浮かぶかというとあまり期待できそうにない」
とシニカルなことを書いたが、やはりそんなことはない。
自分が最も落語を熱意もって聞いていた時代に、一番人気の
あった人だもの。
『近日息子』ではないが、先回りで追悼文を書いていたのかも
知れない。

http://s02.megalodon.jp/2009-1103-2121-08/www.tobunken.com/diary/diary20091030133250.html

略した部分に書かれている『円楽のプレイボーイ講座12章』、“星の王子様”、「実家が
寺で、名前も寛海」、「中原弓彦脚本の『すすめ! ジャガーズ敵前上陸』での色男の刑
事役」――等々については、唐沢俊一の日記なんかより、以下のページ等を読んだ方が
よさそうだとして。

- http://ja.wikipedia.org/wiki/三遊亭圓楽_(5代目)
- http://plaza.rakuten.co.jp/cinemaopensaloon/diary/200910310000/
- http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-749.html

10月 30日の日記では、唐沢俊一は特に印象に残るようなことも書いていないようだが、
気になるのが、「四年ほど前に、追悼みたいに見える文章を」とかいうリンク先の内容と、
「自分が最も落語を熱意もって聞いていた時代に、一番人気のあった人」という記述。

で、唐沢俊一がわざわざ自らリンクまでしている「先回りで追悼文」とは……


裏モノ日記 2005年 10月 14日(金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20051014000000.html

タクシーで仕事場。白夜書房のレトロムックの原稿を書いて送る。三遊亭
圓楽が脳梗塞で倒れた(実際は倒れたわけでなく自分で歩いて病院まで
行って脳梗塞の症状が発見されたらしい)との報。命に別状はないらしい。


「実際は倒れたわけでなく自分で歩いて病院まで」には、夏コミの頃のこういうの↓を
思い出したり (あ、冬コミ当選、おめでとうございます>kensyouhan さん)。

http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20090820/1250781295
>>toronei otaku, blog このブログの人に関しては、どっちもどっちという思いしかないで
>>すわ。少なくとも唐沢さんが倒れたときのエントリーは、このブログの中に出てくる人
>>よりドン引き言動でしたし

>“toronei”さんがどのような感想を持っても自由だし、妖怪「どっちもどっち」と仲良くさ
>れるのも自由なのだが、唐沢俊一っていつ倒れたんだろう? 入院したときのことを
>言いたいなら、唐沢は自力で病院まで行って医者から「入院しろ」と言われているの
>だから間違いですよ。どんな感想を書かれてもかまわないけど事実誤認はよくないと
>いうことで。


唐沢俊一定義でも、こういうのは「実際は倒れたわけでなく」――であるということで。
唐沢俊一の場合はさらに、「自分で歩いて」というだけでなく、タクシー使って自宅と病院
を往復までしているのだし (「2 度の入院手続き、そして 2 度の帰宅」を参照のこと)。


それはともかく、さすが唐沢俊一自身が「先回りで追悼文」などと表現しているだけのこと
はあって、この日の日記にはロクなことが書かれていない。

http://www.tobunken.com/diary/diary20051014000000.html

しかしながら、正直言って、今、圓楽さんが亡くなったとして、私に何か感慨
が浮かぶかというとあまり期待できそうにない。最後にお仕事をしたのが
もう二十年くらい前の横浜の落語会であったが、楽屋の椅子(教育会館の
応接室を使っていたので豪華なソファがあった)にすぐ横になって寝てしまっ
たので、
「ああ、ホントに体が弱いんだな」
と思ったものだ。

とはいえ、そこでの高座(『短命』)はさすが自家薬籠中のものという感じ
だったし、特別企画での談志との対談では若竹をネタにして丁々発止と
やりあって、なかなかのものだった。そのすぐ後、私は行かなかったが
学校寄席の仕事で一緒に行った事務所の者によると、高座に上がった
ものの落語などやらず、中学生を前にしてえんえんと教育論を語り、それ
が面白いならまだしも今の教育はなっていない、という年寄りの管巻きに
近いもので、生徒たちは不満でブーブー言う、主催者の学校からは文句を
言われるで、さんざんだったそうだ。

それ以来、うちのプロダクションは圓楽さんに仕事を頼まなくなってしまっ
た。体調不良が神経をいらだたせて、現代日本への不満を口走らせた
のだろうか。また、コアな落語ファンには弟弟子の圓丈が書いた『御乱心』
の中での悪役のイメージが染みついてしまい、ついにそれを払拭できな
かったことも、イラつきの原因だったかもしれない。


「高座(『短命』)はさすが自家薬籠中のもの」とか、「特別企画での談志との対談では
若竹をネタにして丁々発止とやりあって、なかなかのもの」とか、すごい上から目線の
褒め言葉 (?) が少々で、あとは何だか悪口めいた記述だけというか……。

気になるのは、2005 年時点の日記で、「最後にお仕事をしたのがもう二十年くらい前の
横浜の落語会であった」、「それ以来、うちのプロダクションは圓楽さんに仕事を頼まなく
なってしまった」などの記述である。2005 引く 20 は 1985 年で、その頃の唐沢俊一は、
仙台の東北薬科大学に通いつつ、イッセー尾形の劇団の「木戸御免になり、 スタッフ
まがいのことなど」をしていた
はずの頃。

さらに、1986 年になると、北海道の実家に戻り、黒ブリーフに白衣の姿でひたすらデータ
打ち込みとボディビルにはげむようになった頃のはずでもあって。

叔父の小野プロを手伝っていたにしても、このような状況で、「うちのプロダクション」も
「最後にお仕事をしたのが」もないものだと思うが。

参考
結局何歳のときに白衣に黒のブリーフでボディビルしてたんですか唐沢俊一先生
うちのうちの詐欺


そして、2005 年時点の日記を読んでいくと、唐沢俊一の「自分が最も落語を熱意もって
聞いていた時代」とは、何のことはない、彼の高校時代だったということがわかる。

http://www.tobunken.com/diary/diary20051014000000.html

高校生のころ、ラジオ局主催で行われる札幌のホール落語会に足しげく
通い、談志の『風呂敷』や『権兵衛狸』、圓楽の『悋気の火の玉』『阿武松』
『短命』などを聴くのが本当に楽しみだった。思うにあの頃が圓楽さんの
全盛期だったろう。『阿武松』は以前ラジオで聴いた師匠の圓生のものより
はるかに面白く、その日の鑑賞日記に
「談志より大衆性があり、しかもスケールが大きい。ずっと気になっていた
言いよどみや噛みも驚くほど少なくなった。そのうち圓生を継ぐのだろうが、
やはり将来の落語界を背負っていくのは圓楽師の方かもしれない」
と書きつけたくらいだ(実際、師匠の圓生は教えはしたが自分では『阿武松』
は高座にかけておらず、圓楽がやってあまりに受けるので自分もやりはじ
めたらしい)。で、半可通な高校生の私でもわかったくらいであるからかなり
評判になったのだろう。
〈略〉
・・・・・・とにかく、今の圓楽しか知らない人には信じられないだろうけど、次代
の落語界のエース争いで圓楽が談志や志ん朝に一馬身の差をつけていた
次代が本当にあったのだ。

今思えば一瞬の輝きだったが。原因は、やはりあの三遊協会設立騒動だろ
うか。あそこで談志のように機を見るに敏で、これはこっちに不利だ、と見る
とさっさと袂を分かってしまうことが、フットワークの遅い圓楽には出来なかった。

http://s04.megalodon.jp/2009-1103-2041-49/www.tobunken.com/diary/diary20051014000000.html

×次代が本当にあった ○時代が本当にあった

(次代ではなくて) 時代が本当にあった、「一瞬の輝きだった」については、他人事ながら
少々胸が痛む。

……いや、5 代目三遊亭圓楽に対してではなく、唐沢俊一が対象だけど。「落語会に
足しげく通い」、鑑賞日記をつけていたりした時代が、唐沢俊一にもあったのだなあ、と。
「一瞬の輝き」だったにしても……。

三遊亭圓楽に対しては、落語にくわしくない自分からみても、「一瞬の輝き」というのは、
そりゃないでしょうという感じ。笑点でおなじみの人でもあったし、手元にある『一個人』
編集の『落語入門』では、「現代の噺家列伝 この10人の名人芸をきけ!」のコーナーに
取り上げられている 10 人のうちのひとりになっている。

『落語入門』P.131
> ダンディズムを貫いた三遊亭圓楽にとっては、二〇〇七年二月の「引退宣言」は、
>苦汁に満ちた決断だった。
> 身体は大丈夫、噺の中身もしっかり理解できる、ファンも聞きたがっている――なのに
>である。
>「ろれつが回らない。自分の芸に納得できない」が、理由であった。周囲はその引退を
>押し留めようとした。だが、圓楽の美学はそれを許さなかったのだ。
> 圓楽の師、六代目三遊亭圓生は常々、人情噺・こっけい噺・怪談噺が出来てはじめ
>て一人前の噺家、と言っていた。圓楽もそれを目指し、人情噺については到達点に、
>こっけい噺も境地に近づいた。特に、人情噺には、圓楽独特の感情を盛り込んだ名演
>を披露した。
>「薮入り」で見せる子どもへの愛情、「中村仲蔵」で示した師弟・夫婦の絆の強さなど、
>圓楽の場合は感情を惜しげもなくさらし、激情が涙となってあふれることもある。
> 一人で何役も演じる落語では、演者の涙はご法度である。他の人物描写に影響する
>からだ。だが、圓楽はかまわず泣いた。それが人情噺の圓楽を創り上げた。まだまだ
>聴けるはずの噺家だった。



More...

http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1256663851/188-
-------
188 :無名草子さん:2009/10/30(金) 15:20:36
五代目圓楽が亡くなっなったな


189 :無名草子さん:2009/10/30(金) 15:39:48
>>188
自称落語通のテンテーの出番ですね
追悼馬鹿文に腰ぬかす準備しとかなきゃ

190 :無名草子さん:2009/10/30(金) 16:08:31
星の王子様死す、か。
若竹騒動と呂律が回らなくなって晩年は不遇、に1票。

191 :無名草子さん:2009/10/30(金) 16:13:03
老化で体が衰えることさえ不遇な晩年にしちゃうブレーキの壊れた荷車・俊一パワー殺法

192 :無名草子さん:2009/10/30(金) 16:43:07
糖尿病でハゲで虚言癖があって仕事が減り続けてても心を打ち込めるものがあるからボク不遇じゃないもん多幸だもん!

193 :無名草子さん:2009/10/30(金) 17:13:39
2009年10月30日 15:53 訃報 三遊亭圓楽 (裏亭)

194 :無名草子さん:2009/10/30(金) 17:17:23
>>193
唐沢、ヒマか?
単行本のネンマツシンコォで死ぬの生きるの言う程忙しいんじゃないのか?

195 :無名草子さん:2009/10/30(金) 17:21:09
寄席には十年以上行ってないし圓楽の落語は聞いたことがないが、あ、楽太郎に惚れたな、というのは
毎日香のCMを見て分かったんである。

202 :無名草子さん:2009/10/30(金) 21:24:44
円楽のプレーボーイ講座を聞いてプレーボーイになったんである

203 :無名草子さん:2009/10/30(金) 22:46:32
円楽は「笑点」で何度か見かけたが、あ、歌丸は小円遊に惚れたな、
というのは罵り合いを一度見てわかったんである。

204 :無名草子さん:2009/10/30(金) 23:43:00
唐沢は自称落語に詳しいのに、寄席に行かないよね。平気で「○○には10年ぶり」とか言うし。

208 :無名草子さん:2009/10/31(土) 00:23:02
立川文都も亡くなったな
多分接点ないと思うが

209 :無名草子さん:2009/10/31(土) 00:27:38
>>208
え?まじ?

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