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2009.02.23 (Mon)

唐沢俊一と松沢呉一との素敵なやり取り (4) - 唐沢俊一のトンデモ著作権2 -

唐沢俊一と松沢呉一との素敵なやり取り (3)」に続いて、
http://web.archive.org/web/20000930020623/http://www.tky.3web.ne.jp/%7Eshortcut/clm/wwm/wwm.html
からリンクをたどって孫引用シリーズのその 3。

http://web.archive.org/web/20010116003900/www.tky.3web.ne.jp/%7Eshortcut/clm/wwm/wwm-kara2.html

 また、貴兄のホームページにおいては、パソコン通信のネット上での
わたくしの発言を無断で引用しておられるようですが、ニフティ・サーブ
の規定では、パソコン通信上の発言には発言者の著作権が認められ、
発言者の許可なくしてこれを引用することは禁止されている筈です。
これに関しましては、後ほど、わたくし個人またはニフティを通じまして、
正式に抗議をさせていただくことになるかもしれませんのでご承知置き
ください。


上で唐沢俊一のいう「パソコン通信のネット上でのわたくしの発言を無断で引用」とは
多分、これのことなどをさすのだろう。

http://web.archive.org/web/19991115002332/www.tky.3web.ne.jp/%7Eshortcut/clm/wwm/wwm-kara1a.html
> では、以下、ロフトプラス1の会議室に唐沢氏が書いていたことを原文通りに引用し、
>反論していくことにする。事実関係を正確に伝えるために冗長になっている部分がある
>が、いい加減な文章は書きたくないので、こらえてやっていただきたい(以下に引用し
>ている唐沢氏の文章は、私が反論しやすいもののみを抜き出したわけではない。ここ
>半年間で、唐沢氏が私に関して発言したものや書いたものはこの数倍あるいは数十
>倍になる模様だが、その中で私が原文を入手し、間違えることなく引用できるもののす
>べてである)。 まずは、96年4月9日付け「最近腹の立ったこと」という文章の全文。

>     月刊漫画ガロ(これが正式名称)の5月号で、松沢呉一が自分の連載の日記
>   の中で、ロフトプラスワンのトーク企画を頼まれて断ったと自慢げに書き、
>   「喋っている暇があったら、書いている方がいい」
>    などといっぱしのことを言っている。


上記の文章の続きは、「唐沢俊一と松沢呉一との素敵なやり取り (1)」を参照のこと。

で、以下は、唐沢俊一に応えた松沢呉一の文章、「唐沢俊一氏に再び反論し、再び提案
する(つづき1)
」。

http://web.archive.org/web/20001204225800/www.tky.3web.ne.jp/%7Eshortcut/clm/wwm/wwm-kara3b.html
>    また、貴兄のホームページにおいては、パソコン通信のネット上でのわたく
>   しの発言を無断で引用しておられるようですが、ニフティ・サーブの規定では、
>   パソコン通信上の発言には発言者の著作権が認められ、発言者の許可なくして
>   これを引用することは禁止されている筈です。これに関しましては、後ほど、
>   わたくし個人またはニフティを通じまして、正式に抗議をさせていただくこと
>   になるかもしれませんのでご承知置きください。

> これには心底驚き、人ごとながら、恥ずかしさのあまり背筋が寒くなった(本当の
>話)。唐沢氏を批判しているのかとさえ思われるような内容の文書が、「唐沢1」が届
>いた前日に送られてきていた。見事なタイミングだったので、ここに引用しよう。JUCC
>秋季定例セミナー「第五回実務者のための著作権講座/『引用』の徹底研究」の案内
>文の冒頭だが、もちろん、これを引用するのに、これを主催する「日本ユニ著作権セン
>ター」に許可を求める必要はない。

>    無断でできるから「引用」なのにもかかわらず、「無断引用」なる摩訶不思
>   議な言葉が新聞紙上その他で横行しています。日本のマスコミの著作権知識の
>   低さを物語る言葉です。

> 「無断引用」はこの国でしばしば見られる表現であり、このことで唐沢氏個人を特に
>は批判しないが、文筆のイロハなんだから、是非とも著作権法を一度読んでください
>な。


後年、唐沢俊一は、自分のやった単なる盗用の言い換えとして「無断引用」という言葉を
使用している――というのは、以前に「無断引用という奇妙な言葉への奇妙な執着」という
エントリーに書いたことがある。

まあ「無断引用」については、上記エントリーよりも、そのリンク先の
- http://d.hatena.ne.jp/ykurihara/20070718#1184695735
- http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_4ea2.html
を直接見ていただくのがよいかも。

また、松沢呉一は「是非とも著作権法を一度読んでください」と書いているが、唐沢俊一
は後年、著作権法を直接読まないまでも関連する本を読み、一応は著作権を勉強した
形跡はある。……その勉強の結果が、何をどう間違えたのか、「漫画『ピーナッツ』の
主人公はチャーリー・ブラウンではなく、スヌーピーであると法律で決められている。
」と
いうことになってしまうのが、唐沢俊一のすごさだと思うが (これはマジな話なので、
http://tondemonai2.web.fc2.com/331.html を参照してみてください)。

松沢呉一の文章の続き。

http://web.archive.org/web/20001204225800/www.tky.3web.ne.jp/%7Eshortcut/clm/wwm/wwm-kara3b.html
> 唐沢氏の文章のどこがおかしいかをわからない人もいるだろうから、簡単に説明して
>おく。日本は無方式主義を採用しているため、著作権の発生に、表現物の公表、登録
>などを要件としない。手書きであろうとワープロであろうと、文章を書いた瞬間に著作
>権は発生するのだ(作品としての完成を待つ必要もない)。従って、ニフティ・サーブが
>規定するまでもなく、パソコン通信上の表現物に著作権が発生していることに疑問は
>ない(著作権の具体的運用については、既存の法律や判例、慣行では判断できにくい
>部分があるにしても)。であるが故に、パソコン通信上に公開された表現物も引用する
>ことが可能となる。引用である以上、一定の条件のもと、無断・無許可で使用すること
>ができるわけだ。刊行物を無断で複製して配布したり販売したりすると著作権法に
>ひっかかりかねないように、パソコン通信上の文書をコピーしたり、転載することには許
>可が必要になる場合があろうが、「松沢1」における唐沢氏の文書の使用法は引用で
>ある。これについては唐沢氏がはっきりと「引用」と認めてくれているのだから、問題が
>生じようがない。


これは 1996 年に書かれた文章であり、松沢呉一の説明も丁寧である。自分の周囲で、
「調べてみたら Copyright と表記しなくても著作権は発生することがわかった」などと、
著作権を話題にしはじめたのは、それより 2 ~ 3 年経ってからだったような記憶が。

> それでも抗議するならどうぞやってくださいな。「引用」についての全く新しい見解でも
>とくと聞かせていただきましょう。しかし、パソコン通信上の表現が引用できないとした
>ら、パソコン通信上で今現在日常的に為されている引用もすべてダメということになっ
>て、皆さん、困ったことになると思いますけどね。


唐沢俊一と松沢呉一との素敵なやり取り (2) - 唐沢俊一のトンデモ著作権 -」のエン
トリーに引用したが、結局唐沢俊一は抗議はしなかったものの、「松沢氏のご教示では、
そういうことは著作権から言っても一切問題ないんだそうです。不勉強にして存じません
でした」と悔し紛れに書いたりしている。

で、同エントリーにも引用した、「ビデオは平野氏のものであっても、その中で語られて
いる発言に関しては発言者に著作権があります。ですから、平野氏が自分の所有して
いるビデオを、発言者に無断で第三者に貸与することはできません」という発言がある
ので、「『引用』についての全く新しい見解」は立派に披露してくれたといえるだろう。

さらに、松沢呉一の文章の続き。

http://web.archive.org/web/20001204225800/www.tky.3web.ne.jp/%7Eshortcut/clm/wwm/wwm-kara3b.html
> ここでひとつ解明したことがある。唐沢氏が私の原文を平然とねじ曲げたり、出典を
>書かない理由だ。引用する際は、出典と著作者名と引用箇所を明示し、原文ママにす
>ることが著作権法に定められた規定であり、慣行上もそうなっている。そうしなければ
>著作権法違反となる。法的には部数やらマイナー、メジャーの区分はない(財産権の
>侵害という観点からは区分が生ずるが、違法であることの判断においては区分はな
>い)。だから、私は極力、どのメディアに出たものなのかを懇切丁寧に記載し、すべて
>原文通りにし、引用箇所を明示している(私がこうしているのは、法律を頑なに遵守し
>ようとするのでなく、それ以前に、第三者の検証を容易にするためである。これについ
>ては今まで何度も書いているので、詳しくは割愛)。
> これに対して、唐沢氏が出典を書かない、原文通りにしないのは、そうすると、許可
>が必要になると思っているんじゃないのだろうか。原文通りにし、出典、著作者名を明
>記するからこそ許可がいらないのに。唐沢氏のように、文意をねじ曲げると、今度は
>「同一性保持権」を侵害してしまって、どのみち著作権法違反ですぜ。
> 法学部学生が著作権法のゼミでもとらない限り学校では教えてくれず、出版関係の
>仕事をし始めてからでも、何かトラブルと直面しない限り著作権法を読むことなんてし
>ないんだろうが、こと引用の最低限のルールについては、教えられなくてもいつの間に
>か覚えてしまうようなことだと思いますけどねぇ。私は法学部出身だが、大学では著作
>権法を読んだことはなく、著作権と著作隣接権の違いなど、著作権について詳しく学ん
>だのは音楽の仕事をしていた時期のことだ。しかし、引用については誰に教えられるこ
>となく、それ以前から最低限のことはわかっていた。
〈略〉
> それにつけても不思議ですね。「依頼があった場合はどのような場合でもすぐ、許可
>いたします」という唐沢氏が、どうしてパソコン通信の文章の引用に対しては「抗議」を
>臭わせて恥の上塗りをしなければならなかったのか。仮に引用するには許可がいるの
>だと思い込んでいたとしても、改めて唐沢氏が私に許可を出すことによって、このまま
>インターネットを通じて堂々世界の人々に読ませればいいだけである。この答えは実
>に簡単、原文を読まれてしまうと、「唐沢1」の詐術がバレてしまうからだし、「唐沢1」
>において、いくら丁寧な文章を書いたところで今更になってしまうからだろう。


「原文通りにし、出典、著作者名を明記するからこそ許可がいらないのに。唐沢氏のよう
に、文意をねじ曲げると、今度は『同一性保持権』を侵害してしまって、どのみち著作権
法違反ですぜ」という松沢呉一の言葉を、10 年経っても唐沢俊一が理解しなかった――
理解することを拒否したのか、理解する能力がなかったのかは微妙――のは、2007 年に
唐沢俊一が引き起こした『新・UFO入門 日本人は、なぜUFOを見なくなったのか』の
盗作騒動でわかる。

文章比較その他は、下記のサイトを参照
- http://www.jarchive.org/temp/copyright2.html

さて、松沢呉一は、「唐沢氏が出典を書かない、原文通りにしないのは、そうすると、
許可が必要になると思っているんじゃないのだろうか」と書いている。

確かにそれは理由のひとつではあると思うのだけど、それだけが理由ではないだろう。

1. 第三者の検証を容易にしないため。つまり、松沢呉一が引用のルールを守ることの
  利点としてあげている「第三者の検証を容易にするため」の逆。

  松沢呉一が指摘している「原文を読まれてしまうと、『唐沢1』の詐術がバレてしまう」
  の件もあるし、ビデオの提出や公開討論を拒否するのも同根だろう。

2. 単なる能力不足で原文通りにできない。誤字脱字、入力ミス、読解力不足による
  トンデモ要約などで、原文を変形させて発表してしまう。

  実例多数だけど、たとえば以下のように、一応出典は書いてあるが原文にあたると
  相違点が発見され、かつ、その「変形」は唐沢俊一を利することにも何もならないで
  あろうというものが存在する。
  - http://tondemonai2.web.fc2.com/322.html
  - http://tondemonai2.web.fc2.com/427.html
  - http://tondemonai2.web.fc2.com/646.html

  最後の例では、クーヴァードまたはクーバードとすべきところを「クバーデ」としていた
  せいで、「検索したのだが、一件も出てこない」と唐沢俊一自身の首を絞めるはめに。

3. 出典を書いてしまうと、自分の手柄にならないから。

  松沢呉一が別のところであげている (下の方に引用) 「木村和久がみうらじゅんの造語
  『ベッドやくざ』を、木村の造語かのようにとられかねない形で使用」したのと同じような
  もので、「人の手柄を横取りしようとした」。

  パクリについては、前出の http://www.jarchive.org/temp/copyright2.html の他、
  まあたくさんあり過ぎて全部は紹介しきれないのが、唐沢俊一のすごいところだけど。
  - http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_3df8.html
  - http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/36.html
  - http://bhn.jpn.org/nippon/karasawa.html
  - http://sengna.com/log/eid23.html
  - http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/52.html
  - http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/53.html
  - http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/72.html
  - http://www.j-cast.com/2008/10/08028211.html
  - http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/73.html
  - http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-category-7.html
  - http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-9.html

http://web.archive.org/web/20010123174500/www.tky.3web.ne.jp/%7Eshortcut/clm/wwm/wwm-sho5b.html
> 小学館の「ビッグコミック・スピリッツ」で、木村和久がみうらじゅんの造語「ベッドやく
>ざ」を、木村の造語かのようにとられかねない形で使用したことがあって、ちょっとした
>トラブルとなった。このような言葉を使用すること自体、違法にはなり得ず、例えば木村
>和久が「あの男はベッドやくざだ」といったように使ったのならば問題は生じにくい。しか
>し、この場合、その言葉がどういう意味なのかにつき、みうらじゅんの考えをも実質借
>用しているのだから、木村和久が自分の文章に直したところで、この点において著作
>権侵害は成立し得る。
> 仮にこのような言葉のパクリが著作権侵害とまでは行かない用法であったとしても、
>倫理としてはやはり問題があると私は思う。広く知られるようになった言葉や、本や映
>画のタイトルのように、広く知られたいことが明らかな言葉なら、誰がどこでどう使うも
>自由、言葉の解説をつけようとも勝手だが、「ベッドやくざ」の場合、元ネタは「ガロ」で
>ある。まだほとんど誰も知らない段階で、より部数が多い雑誌に掲載されてしまったの
>では、頭 使ったみうらじゅんの立場がない。
> これについて、みうらじゅんは「一言、誌面で断りさえ入れれば腹は立たない」旨の
>発言をしている。そういうもんだと思う。「『ガロ』でみうらじゅんが書いている“ベッドやく
>ざ”という言葉は」との一文を入れるくらい、さほど面倒ではあるまい。それをやらない
>以上、「人の手柄を横取りしようとした」との批判をされてもしょうがないのではないか。
>みうらじゅんに恩義も何もありゃしないが、これについては断固みうらじゅんを支持する。



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Comment

●「心的移入」ってのも何か変な言い回し

遅ればせながら、『人間博物館』を入手しました。
もしかして http://tondemonai2.web.fc2.com/646.html で、

>×クバーデ ○クーヴァード または クーバード

としてしまったのは、言い過ぎだったかも。現在はあまり見かけない「クバーデ」表記も、この本が『宝石』に連載されていた昭和 50 年頃には、もっとメジャーだった可能性もありますし。

それへの言及も含めて、別途エントリーをアップした方がよさそうな気もしてきています。

>米山俊直がクバーデは“同情”の発露だ、と言っていた。同情は快感
>回路に直結する。イラク状況に必要以上に心的移入して嘆きまくるのも、
>人間の盾なんという無意味な行為に熱くなるのもクバーデの一種だな。

下記の文章が元ネタだとすると、これを「同情は快感回路に直結」だの、「イラク状況に必要以上に心的移入して嘆きまくるのも、人間の盾なんという無意味な行為に熱くなるのもクバーデの一種」だのという話にしてしまうというのは、やっぱりトンデモだと思うし。

『人間博物館』 P.42 ~ P.43
>細君 でも、そんなことやったって、本当にお産をする女の苦しみは、殿方にはわかりは
>しないし、女のほうの苦痛もやわらぎませんでしょ。
>海月 さあ、そいつが、人間のおかしなところであると同時にいいところでね。――他人の
>苦痛はいくらでもがまんできる、というやつもいるが、逆に他人の苦痛を「替わってやれな
>いのが苦しい」「見るに見かねる」という、大きな感情移入もできるでしょう。この「同情」と
>いうのは、おそらく動物界でも人間にとくに発達した情念の能力でしょうね。
> 時には、当事者より見ている人間のほうが苦しむ、という場合さえ、実際にあるらしい。
>テレビで、ベトナムの戦争や、ビアフラの飢餓を見て、いてもたってもいられない、という
>気持ちになるのも、一種の「クバーデ」かもしれませんな。

ついでに、感情移入能力の有無が人間とアンドロイドを区別するとした、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』を、ふと思い出したり。
トンデモない一行知識 |  2009年03月04日(水) 00:27 |  URL |  【コメント編集】

いえ、既出ではないです。<『人間博物館』。
( http://tondemonai2.web.fc2.com/646.html をアップした前後に、2ちゃんねるのスレでも話題になっていなかったと思いますが、記憶違い&拾い忘れだったら申し訳ないです )。
どうもありがとうございます。(_ _)

『トンデモ一行知識の逆襲』 P.80 で唐沢俊一は、小松左京の名前を出してはいるのですが、その書き方は以下の通り:

>作家の小松左京は、愛する妻の苦しみをたとえ精神的にも代わってやりたいとする愛情の
>発露からの行為ではないかという説をとっており、現在の読者にはこれが一番理解しやすい
>のではないかと思う。

なので、小松左京がエッセイか何かでそういうことを書いていたのかなと思っていたのですが、「フィクション的にまとめたもの」を上記のように書いていたとしたら、何だか
http://tondemonai2.web.fc2.com/468.html (久生十蘭の小説だけでチベットを語る?)
でやらかしたようなことを、またやっているという感じのような……。

>悪意が増している

「人間の盾なんという無意味な行為に熱くなるのもクバーデの一種だな。」などと日記に書いた唐沢俊一の悪意は、もっぱら人間の盾の参加者 (雨宮処凛氏とか?) に向けられたものだとこれまでは思っていましたが、もしかしたら米山俊直氏や小松左京氏も悪意をぶつける対象だったのかも――という気がしてきました。

まあ、『人間博物館』を未読のまま、あれこれいうのも何なので、後で入手して読んでみる予定。教えてくださって、ありがとうございました。
トンデモない一行知識 |  2009年02月26日(木) 22:47 |  URL |  【コメント編集】

●クバーデ

旧ブログの記事の話題なので既出かも知れませんが、「クバーデ」という言葉のネタ元は、小松左京の『人間博物館』でしょう。
文化人類学者の米山俊直らとの討論をフィクション的にまとめたもので、「擬産」という表記も出ています。
イラクの状況への心的移入などを「クバーデの一種だな」というのも、米山の「テレビで、ベトナムの戦争や、ビアフラの飢餓を見て、いてもたってもいられない、という気持ちになるのも、一種の「クバーデ」かもしれませんな」という言葉をイラクに置き換えただけ。
妙に断定的になったうえに悪意が増しているところがかろうじてオリジナリティなんでしょうか。
コバイア |  2009年02月26日(木) 02:44 |  URL |  【コメント編集】

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