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2009.10.23 (Fri)

「美しい星」の美しさから目をふさいでいるみたいな唐沢俊一

戦争を知らずにあなたは生まれた」の最後の方でも少しふれたことがあるけど、唐沢
俊一は、『トンデモ本の世界R』に、三島由紀夫『美しい星』についての文章を書いてい
る。表題は、「作家が描いたオカルト信者の心理パターン」。

唐沢俊一自身は最初に、『美しい星』の内容を以下のように紹介する。

『トンデモ本の世界R』 P.338

 主人公は火星人である。この地球を核軍拡の危機から守り、美しい星と
して宇宙人の仲間に迎えいれるという使命を帯びている。長い間彼は自分
を一介の地球人だと思い込んで暮らしていたが、ある日、空飛ぶ円盤に
遭遇した瞬間、真実の記憶を呼び起こされ、自らの使命に目覚め、家族と
いう形をとって暮らしている金星人の娘、水星人の息子、木星人の妻と共
に、核軍縮・世界平和達成を訴える運動を起こす。


そして、唐沢俊一は、「現実ばなれしたストーリィでありながら」、「空飛ぶ円盤以外、SF
的なものは一切登場してこない」、「超能力や超科学的危機などというSF風ガジェット」
は存在しないこと、「主人公と白鳥座61番星の宇宙人たち」との間の「激しい戦い」は、
「論争という形をとって行われ」ることを説明する。そしてその「“地球人類を存続させる
べきか、滅亡させるべきか”についての論議」は「どこか薄っぺら」で、「読者はそんな
議論をえんえんと、文庫版で五〇ページ以上にもわたって読まされるハメになる」と愚痴
ったあげく、この作品は「極めて変てこ」で、「どういうつもりで書いたのか、判断になやま
ざるを得ない珍作」であると、まあ好き勝手に貶している。それに続けて、こう語る。

 しかし、なにしろ“あの”三島由紀夫である。一筋縄で行くわけもないこの
作者が、SFという手法をとって描こうとしたテーマは一体何だったのか。
 今、“SFという手法”と書いた。確かにこの作品はSF的である。ラストに
おいて、ちゃんと本物の円盤が登場するのである。スピルバーグの『未知と
の遭遇』のラストは、あるいはこの作品の結末をより具体的に、派手に映像
化してみせたものかもしれない。『未知との遭遇』がSFならば、この作品も
SFでなければならない。三島はこのラストについて、“あれ(円盤)は出て
こなければならないように書いた”と言っているそうだ。


「ラストにおいて、ちゃんと本物の円盤が登場する」というのはよいとしても、では「ある
日、空飛ぶ円盤に遭遇した瞬間、真実の記憶を呼び起こされ」たという、最初の方に
登場する空飛ぶ円盤は「本物の円盤」ではないということにするのか、ラストに「本物の
円盤」が出てくるのは同じ (?) だからといって、「『未知との遭遇』がSFならば、この作品
もSFでなければならない」という理屈はありなのか、何だかよくわからない。

もしかして、続きの文章でいう「三島文学研究家」、「彼ら三島信奉者」を貶したい一心
で書いているだけだったりして……。

 しかし、この作品が発表されてから今まで、三島文学研究家の多くは、
この作品をSFとは認めていない。彼ら三島信奉者は、天下の三島由紀夫
がポルノならまだしも(三島自身、自分の作品『憂国』がポルノとして読める
ことを認めている)、SFなどという子供だましを書いたなどと信じたくないの
である。私(唐沢)が所持している文庫版(新潮文庫、昭和四二年発行、
昭和四四年三刷)の解説でも、文芸評論家の奥野健男氏は、この点に
ついて、作者が“SFめいた題材を提出するに当たって、これはSFでない
と明らかにするため”主人公の息子や妻を水星人や木星人という設定に
したのだ、と主張している。なぜかというと水星や木星にはどんな生物も
住めないとされているから、なのだそうな。しかし、三島はちゃんと、

   これは、宇宙人と自分を信じた人間の物語であって、人間の形を
  した宇宙人の物語ではないのである。(エッセイ『「空飛ぶ円盤」の
  観測に失敗して~私の本「美しい星」』)

 と言っている。で、あれば、主人公たちの故郷は天王星でも冥王星でも
かまわない筈なのではあるまいか。


×当たって ○当って

「宇宙人と自分を信じた人間の物語」であり、唐沢俊一が自分の文章の表題にしている
「作家が描いたオカルト信者の心理パターン」を語った話ならば、「これはSFでない」と
解説に書いたからといって、それは「天下の三島由紀夫が〈略〉SFなどという子供だまし
を書いたなどと信じたくない」せいでもないのではないかと思うのだが……。唐沢俊一の
真意はつかみかねるが、主人公たちはただの人間、でも円盤は本物、だからこれをSF
と認めないのは、「三島信奉者」がSFを「子供だまし」と思っているせいで、その代表格
といえるのが文庫の解説を書いている「文芸評論家の奥野健男氏」――との主張らしい。

しかし、新潮文庫の解説を読むと、奥野健男がSFに無理解で偏見をもっているから
「これはSFでないと明らかにするため」うんぬんと語っているようには思えない。

『美しい星』 解説 P.297
> さてぼくが『美しい星』を読んで大丈夫なのかと心配したのは、純文学の世界に、
>宇宙人とか、空飛ぶ円盤とか、いわばいかがわしいものを持ち込んだことについて
>である。明治以来の近代日本文学は、きわめて真面目であり、日常的であり、リアリ
>ズムしか信用しない伝統がある。この世にあらぬものが書かれているだけで、そっぽ
>を向き、信用しない風潮がある。奔放な空想、荒唐無稽なことが体質的に嫌いなので
>ある。もちろんはじめから戯画的、風刺的に、譬え話として書くのなら多分許される
>だろう。ところが作者は、大真面目な姿勢で円盤とか、宇宙人とかを小説の世界に
>持ち込んだのである。これではその上にいかに完璧な美的宇宙をつくりあげても、
>まっとうな純文学としては認められないのではないか、そういう危惧を抱いたのである。
>それではSF作品としてのリアリティーを持っているかと言うと、それも欠けているのだ。
>主人公の大杉一家は次々に円盤を見てから自分たちは宇宙人であると信じ込むのだ
>が、その生まれ故郷は主人の重一郎が火星人であることはいいとしても、娘の暁子が
>金星人、そして妻と息子は、人間はおろかどんな生物も住めないとされている木星、
>水星をそれぞれ故郷としているのだ。一家が揃って火星人とか金星人とかいうのなら
>SF的知識として素直に受け取れるが、火、水、木、金の星をそれぞれ故郷にすると
>いう設定からして、お伽話めいている。もちろんSFに造詣の深い作者が、そんなこと
>を知らないわけがない。とするとこれは作者が、円盤とか、宇宙人とか、いかにも
>SFめいた題材を提出するに当って、これはSFでないと明らかにするため、こういう
>設定にしたと考えられる。作者はSF的な制約や雰囲気からも独立し自由であろうと
>したのだ。


奥野健男自身は、その前のページ (P.296) で、「いささかうちわ話めくが、ぼくは作者
が、超現実な怪奇譚やSFや、特に空飛ぶ円盤の話に興味があるのを知っていた。僕も
そういうことには人一倍関心がある方なので、作者と会うたびに話題はSFや円盤のこと
になった」と書いている。

このような人が、唐沢俊一のいう「SFなどという子供だましを書いたなどと信じたくない」
という理由で、「SFでない」と主張するとは考えにくい。実際、奥野健男のいっているの
は、「SFに造詣の深い作者」ならば、「SF作品としてのリアリティー」をもつ作品を書く気
ならば書けたところを、あえて避けて、読者にもこれはいわゆるジャンルSFの作品では
ないと示しているということではないか。妥当な分析だと思うし、それに異を唱えるとして
も、唐沢俊一による「文芸評論家の奥野健男氏」の主張の紹介のしかたは、公正さを
欠くひどいものだ……。

そして、唐沢俊一は、奥野健男が無知だから、作品の「真の意味」がわからない――と
いわんばかりの解説を開始する。

『トンデモ本の世界R』 P.340 ~ P.341

 UFO関係史にちょっとくわしい人ならば、なぜ三島が、その発表当時(一九
六二年)、すでに時代遅れとされていた太陽系惑星の住人を登場させたのか、
その真の意味がわかるはずだ。そう、コンタクティー派として有名なアダムス
キーは、その著書で、太陽系の各惑星にはそれぞれ人間そっくりな宇宙人が
存在する、と言っているのである。また、アダムスキーと一緒に宇宙人と出会っ
たG・H・ウィリアムソンなどは、太陽は実は冷たい星で、そこにも人類が住んで
いる、と一九六一年の段階でもなお、主張しており、彼の講演は三島も聞いて
いるらしい。
 要するに三島はこの作品を書くにあたり、当時の日本の文化人の間にかな
りの程度蔓延していた“空飛ぶ円盤シンドローム”に興味を持ち、また自らも
ハマっていたようなのである。彼は一九五五年に結成された『日本空飛ぶ円盤
研究会』(代表荒井欣一)の、創設時からのメンバーとして石原慎太郎、黛敏郎
などと共に名を連ねているし(三人ともその後右寄り的論客として世間で有名
になったのは一奇だけれども)、作家の北村小松と共に、自宅の屋根に上って
再三ならず、円盤観測を試みていたという。


「一奇」って辞書にない言葉のようなのだけれども、まあおいといて。

ウィリアム・ハーシェルだけでなくG・H・ウィリアムソンも、太陽に人類が住んでいると主
張したのかどうか、三島は「創設時からのメンバー」だったのか、よくわからないが、これ
もまあおいといて。

http://gakken-publishing.jp/mu/library/wkagaku.html
>●冷たい太陽
>太陽といえば、熱いものというのは、あまりにも常識すぎる常識だ。ところが、この常識
>にあえて反対した人物がふたりいる。ひとりは天文学者ウィリアム・ハーシェルで、太
>陽には人間が住んでいると考えた。もうひとりはアダムスキーとともに金星人とコンタク
>トしたというG・H・ウィリアムソンで、異星人が太陽が冷たいことを教えてくれたという。


アダムスキーの話をそのまま書いたら、その当時でも、まっとうな (?) SFにはなるわけ
がなく、「これはSFでないと明らかにするため」と矛盾はしないと思うが。唐沢俊一自身、
「その発表当時(一九六二年)、すでに時代遅れとされていた」と書いているくらいだし。

http://www.asahi-net.or.jp/~ve3m-snd/shindo/essay/cba.html
>実はアダムスキー批判のひとつに、なりそこねのSF作家説というのがある。これはS
>F雑誌編集者のレイ・パーマーが伝えた話とされているが、アダムスキーは彼の編集
>する雑誌に一編の長編小説を送りつけて来た。これは採用にならなかったが、彼の体
>験談はこの小説の焼き直しだというのである。


それに、アダムスキーをなぞるならば、金星人や火星人、せいぜい土星人にとどめるの
ならともかく、奥野の指摘している水星人や木星人も混ぜるというのは、やはり変なので
はないかという気もする。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョージ・アダムスキー
>その後もアダムスキーは、他の宇宙人に会ったと主張している。会った宇宙人は、ほ
>とんどが金星人だが火星人や土星人もいたという。また、巨大な円筒形状の宇宙船
>(母船)に乗り月を一周したときには、月の裏側で谷や都市を見たとの主張をした。
>また金星を訪問したときには自分のかつての妻の転生した少女にあったと主張した。


で、「“空飛ぶ円盤シンドローム”に興味を持ち、また自らもハマっているようなのである」
と、何だか唐沢俊一は、私だけが知っているという風に書いているが、それは新潮文庫
の解説にも、ある程度言及されていることでしかない。

『美しい星』 解説 P.296
>いささかうちわ話めくが、ぼくは作者が、超現実な怪奇譚やSFや、特に空飛ぶ円盤の
>話に興味があるのを知っていた。僕もそういうことには人一倍関心がある方なので、作
>者と会うたびに話題はSFや円盤のことになった。ところが、この作品を書く一年ぐらい
>前から、作者は北村小松氏などに影響されたのか、空飛ぶ円盤について、異常なほ
>どの興味を示し、円盤観測の会合にも参加したりしていた。今考えると、それは『美し
>い星』を書くための準備であったのだろう。谷崎潤一郎の『春琴抄』などがその典型で
>あるように、小説家が身魂をこめてひとつの作品を書くとき、他人の目からはたとえ
>異常に見えようとも、その世界に溶け込み夢中にならなくてはならない。三島もある時
>期、空飛ぶ円盤に憑かれていた。その実在を心から信じこんでいるようであった。と
>同時に小説家の目でそういう自分や円盤マニアの生態を冷静に観察していたのだ
>ろう。


まあ、要するに唐沢俊一は、この『トンデモ本の世界R』で、「作家が描いたオカルト信者
の心理パターン」を語る以上のウエイトで、「文芸評論家の奥野健男氏」への批判をえん
えんと続けているのだ。それも公正さを欠くやり方で、悪意をもって相手を貶めるような
方法で。
(長くなったので、次に続く)

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Comment

●センチメンタル・ミシマベリー

>横さん
はじめまして (_ _)

>作家北杜夫氏による
> 『表面的な思い出など―三島由紀夫氏』(中公文庫「人間とマンボウ」収録

ありがとうございます。(_ _) たいへん興味深く読ませていただきました。

>ブラッドベリはセンチメンタルだから大嫌いで、ヴァン・ヴォクトのものが
>好きだと話した。

これには、「えーっ」と思いました。「ヴァン・ヴォクトのものが好き」という方は、『スラン』で『非Aの世界』だからというので何となく納得できるのですが、ブラッドベリがお嫌いとは。『美しい星』を読んで、ブラッドベリを思い出したりしていたのに。


http://kimyo.blog50.fc2.com/blog-entry-129.html (コメント欄)
>ところで、かつて日本のSF作家がブラッドベリを論じるとき、
>三島由紀夫の”なりそこねの抒情詩人”というブラッドベリ評に
>反論しようとしているのが異様でした。私なんか三島でも意識する
>ブラッドベリというだけでうれしかったのですが‥

何か、自分とかぶる部分が多いので、つい悪口いっていたんじゃないかと思ったり。

http://kimyo.blog50.fc2.com/blog-entry-129.html (別の人のコメント)
>そうそう、三島がブラッドベリを批判するのは、それが三島がブラッドベリと
>同じく本質的にセンチメンタルだからだ、とか言ってた人もいたような…。
>たしかに批判するにせよ、意識せざるを得ないというのは、やっぱり共通点を
>感じるからなんでしょうね。

「三島がブラッドベリと同じく本質的にセンチメンタル」には、かなり同意です。
トンデモない一行知識@レス遅延気味すみません |  2009年10月25日(日) 10:40 |  URL |  【コメント編集】

>猫遊軒猫八さん
>yonoさん

「後編」というより「中編」になっちゃいました↓
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-270.html

「地球ロマン」本体の参照はできていないし、次のエントリーでもそこまで手が回せないのがアレですが……どうせそこに書かれていることをマトモに紹介しているわけでもない、悪意込みの劣化コピーじゃないのとは予想していますが。次の次のエントリー (書くのか?>自分) なら、やれるかも。

>なぜ唐沢は話を聞かないのでしょう

これは、よいことだと思います。文章で発表されたものの紹介ならば、原文と照らし合わせて、ああ唐沢俊一は劣化コピーしているなとわかりますが、インタビューだとその点確認困難となるので……。

トンデモない一行知識@レス遅延気味すみません |  2009年10月25日(日) 10:16 |  URL |  【コメント編集】

こんばんは。初めてのコメントです。

長文になりますし、本題とはずれるかもしれません(私はトンデモ本の世界Rは読んでおりませんので)が、三島由紀夫氏、奥野健男氏とSFとの関係について、補足的な資料になるかもしれない話を紹介させてください。

作家北杜夫氏による
『表面的な思い出など―三島由紀夫氏』(中公文庫「人間とマンボウ」収録:初出は『新潮』昭47年11月号)より

以下斜体部引用です。
文庫本13ページより
 私(北杜夫氏)が三島さんに次に招ばれた料理屋は、あの事件の前に盾の会の青年と食事をされたという「末げん」であった。奥野氏と一緒で、三島さんは鳥鍋をあつらえ、
「昔の文士はこうして鳥をつつきながら文学論をやったものだ」
 と言った。
 しかし、そのときは概して七面倒な文学論をやらず、もっぱらSFだの、むかしの「少年倶楽部」に載った小説のことなどを話した。三島さんはたいそう乗気になって、南洋一郎「緑の無人島」がいかにすばらしくおもしろかったかを口を極めて力説した。もっとも「御自分でお書きになれば」というと、「ぼくにはああいうものは書けないよ」とあっさりと断定的に言った。


14-15ページより
私の場合はほとんど奥野氏と二人のことが多かった。三島さんは客の取りあわせにも心をくばる方で、たまたま奥野さんと私が同じ中学でもあり、SFその他で話題もあうと思われたからであろう。
 三島さんはSFでもなんでも夢中になる癖があり、一時は「空とぶ円盤」を半ば本気で信じていた様子であった。北村小松氏の影響らしく、いま紛失して見当たらないが、おおむね「昨夜は午前何時から何時までのあいだに、どこどこの方角に円盤が現れるはずだったので、ベランダでずっと待ったがついに現れなかった。次は何日の何時何分に現れる予定で、あなたもできたら起きていて観察してごらんなさい」という意のハガキを貰ったことがある。手元にある昭和三十六年十月のハガキの末尾にも、
「―このごろ手塚治虫も少々くたびれたらしく快作出ず、面妖奇々怪々なる本を何か教へて下さいませんか? 空飛ぶ円盤の本も、全く新刊がありません」
とある。
 面妖奇々怪々も三島さんの趣味で、だしぬけに一冊の小説本をわざわざ送ってくださったことがある。題名を忘れてしまったが、黒魔術についての大衆小説で、しかしごくこわいものであった。その旨を言うと、「こわいだろ、あれこわいだろ?」とわが意を得たりというような口調で言った。SFにしても、ブラッドベリはセンチメンタルだから大嫌いで、ヴァン・ヴォクトのものが好きだと話した。ヴォクトには、いわゆる宇宙怪獣ではなく、もっと面妖な宇宙化物がよく出てくる。
横 |  2009年10月24日(土) 21:32 |  URL |  【コメント編集】

なんで、こういう時の唐沢さんて人をおとしめる感じの文章書いちゃうんでしょうね(後編楽しみです(^0^))?
たとえ「あ、なるほど」と思う事が書かれてもそっちの方に視線がいってしまうのに…

yono |  2009年10月24日(土) 00:07 |  URL |  【コメント編集】

●偏見

 トンデモ本の世界Rの該当の項目の342ページで唐沢ははっきりと奥野氏を「無知と偏見の持ち主」と書いてますね。
 奥野氏の解説が気に喰わないのは結構なのですが自分の思い込みと地球ロマンという古いSF誌の復刻版のみをソースにしていて無知と偏見に満ちているのは唐沢のほうなじゃいかと感じます。
 341~342ページあたりでも文壇ではSFが正当な評価が下されていないかのように書かれていますが、文壇や文芸関係者にはまだ三島由紀夫と親交のあったかたがおられるのに接触を持った形跡が一切無いのですが、なぜ唐沢は話を聞かないのでしょう。トンデモ本の世界R刊行時の八年前ならその辺の事情に詳しいかたももっと大勢いたはずなんですがね。
 後編も楽しみにしております、ひきつづき頑張ってください。
猫遊軒猫八 |  2009年10月23日(金) 19:05 |  URL |  【コメント編集】

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