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2009.10.19 (Mon)

甘いもの、こってりしたものが好きだった胃弱の夏目漱石

『史上最強のムダ知識』 P.38

夏目漱石はピーナッツの食べ過ぎで死んだ。


『史上最強のムダ知識』 P.39

 作家の夏目漱石は、晩年、肺結核、トラホーム、神経衰弱、痔、糖尿病
など、様々な病気にかかったが、直接の死の原因となったのは、胃潰瘍
だった。
 漱石の好物はピーナッツで、これを食べ過ぎたのが胃炎の原因といわれ
ている。


せめて「砂糖つきピーナッツ」とか「落花生の砂糖まぶし」とか書いて欲しかった……。

「これを食べ過ぎたのが胃炎の原因といわれて」もいない。いやまあ消化に悪そうだし、
大好物だったそうだから、胃炎を悪化させた大きな要因のひとつではあっただろうが。

漱石の最後の言葉は『ありがとう』という説も」のエントリーの経験からして、またこれを
ネタ元に劣化コピーしたのかと思って、嵐山光三郎の『文人悪食』と照らし合わせてみた
ら、どうもそうみたいな感じ。文章が丸パクリというわけでもないから、ネタ元にしていたと
してもそれ自体はよいのだけれど、これがネタ元だとしたら、省略し過ぎと時空の歪ませ
による劣化コピーが問題かなと思う。

『文人悪食』によれば、「神経性の消化不良症であった漱石」は、ロンドン留学に行く
船の中で、すでに胃の不調を日記に書いている。ロンドン留学中も胃腸薬のお世話に
なりっ放しだったという。この時期、『文人悪食』の表題にも使われている「ビスケット」は
ともかく、「落花生を砂糖でかためた駄菓子(大好物)」が常食だったとは思いにくい。

そもそも、酒の飲めない漱石が好んで食べたのが甘いお菓子類であり、鏡子夫人に
とめられることもしばしば――というのは、誰もが耳にしたことのある話だろうに、どうして
わざわざ「砂糖」をつけない「ピーナッツ」に限定したのか、理解に苦しむ。

http://www.shinchosha.co.jp/books/html/141905.html
>夏目漱石――ビスケット先生
〈略〉
> 漱石が神経衰弱になったのは留学さきロンドンの食事がまずかったから、という説が
>ある。〈略〉漱石がロンドンに官費留学したのは、明治三十三年で、漱石は三十三歳
>だった。〈略〉そのころの『漱石日記』を読むと、出航してすぐ「胃悪ク腹下リテ心地悪
>シ」とあり、船の食事からしてすでにあわなかった。
〈略〉
> 気になるのは、
> 三月二十九日「カルルスバード一瓶ヲ買フ」
> とあることで、カルルスバードとは胃腸薬のことである。『倫敦消息』には「顔を洗ふ
>前に毎朝カルルス塩を飲まなければならない」とあるから、この薬は漱石の常備薬で
>あったことがわかる。漱石は一カ月に、ほぼ一瓶のわりでカルルスバードを服用して
>いた。
> 神経性の消化不良症であった漱石は、英国流の生活になじめず、神経衰弱となり、
>ロンドンで発狂した、という噂が流れた。それは、英国の食事が口にあわず、最初の
>下宿では、昼食がわりにビスケットを食べた、という状況からも推測できるかもしれない。
> 貧乏学生がロンドンの薄暗い部屋で「昼食がわりにビスケットを齧る」様子は、いま
>の時代から見ると、いかにも哀れに思えるが、酒を飲まない漱石は、ビスケットや砂
>糖つきピーナッツが好きだった、というのが本当のところだった。当時、ビスケットを昼
>食がわりに食べるのは、じつにオシャレなことだったはずである。


http://www.shinchosha.co.jp/books/html/141905.html
> そのほとんどが洋食であり、帰国後の日本人がすぐ食べたがる和食や蕎麦は見あ
>たらない。帰国してなお脂っ こい洋食を食するのである。日本食でも鰻丼、開化丼、す
>き焼といったこってりとした料理である。その他に目立つのは甘い菓子類である。とく
>にビスケットを好んだ。


http://www.shinchosha.co.jp/books/html/141905.html
>●落花生を砂糖でかためた駄菓子(大好物)

http://www.shinchosha.co.jp/books/html/141905.html
> 落花生の砂糖まぶしを食べると胃に悪いため、鏡子夫人が隠してしまうと、漱石は、
>それを捜し出してこっそりと食べたという。


http://www.shinchosha.co.jp/books/html/141905.html
>ロンドンで昼飯がわりにビスケットを食べた件も、妻の鏡子宛に書いており、ビスケット
>を食べはじめると、やめられなくなりつい食べすぎてしまう。


http://www.shinchosha.co.jp/books/html/141905.html
>また、『日記』に、「秋田蕗の砂糖漬を食つて 細君に叱られる」とあり、あまり甘い菓子
>ばかり食べて、 鏡子夫人に叱られることもたびたびであった。



さて、唐沢俊一の書いた「作家の夏目漱石は、晩年、肺結核、トラホーム、神経衰弱、
痔、糖尿病など、様々な病気にかかったが、直接の死の原因となったのは、胃潰瘍だっ
た。」の方も気にかかる。これらの病気って、別に「晩年、〈略〉かかった」ものでもなく、
もっと若い頃からの持病みたいなものではなかったっけ。

実は、Wikipedia には、以下のような記述がある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/夏目漱石
>漱石は、歳を重ねるごとに病気がちとなり、肺結核、トラホーム、神経衰弱、痔、糖尿
>病、命取りとなった胃潰瘍まで、多数の病気を抱えていた。


「肺結核、トラホーム、神経衰弱、痔、糖尿病など」の部分の完全一致もある意味感動的
だが、「歳を重ねるごとに病気がちとなり」「多数の病気を抱えていた」を、「晩年」「様々
な病気にかかった」――と、ほんの少しの変更 (改悪) で、何の問題もない文章だったもの
を、ガセに変換してしまう手際 (?) もすごい。

漱石が「肺結核」にかかったのは明治 27 年 (1894 年) の頃とされている。1867 年生ま
れの漱石は 27 歳であり、彼の死亡が 49 歳ということを考えれば、晩年にかかった病気
とはいえない。

「トラホーム」は、さらに 10 年近く前の大学予備門の時代。これは明治 19 年 (1886
年) の頃で、晩年どころか漱石はまだ 19 歳である。

「神経衰弱」は、上の方に引用しているように、遅くともイギリス留学時代にはかかって
いたとすれば、「明治三十三年で、漱石は三十三歳」。まだ晩年ではない。

「痔」の方は、乃木将軍の殉死した大正元年 (1912 年) に手術したという話だから、これ
はまあ晩年にかかったといってもよいかも。

「糖尿病」の方は、明治41年 (1908 年) という話をとると、死の 8 年前。これを晩年と
いうかどうかは微妙というところか。

まあ、Wikipedia にある「歳を重ねるごとに病気がち」というのはその通りだなと思うけど、
「肺結核、トラホーム、神経衰弱」を含めて、「晩年」「様々な病気にかかった」とする唐沢
俊一の記述は、それは違うだろうということで。せめて、「晩年には」「かかっていた」とか
書いていたら、また印象も違っていたのだろうけど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/夏目漱石
>夏目 漱石(なつめ そうせき、慶応3年1月5日(1867年2月9日) - 大正5年(1916年)
>12月9日)は、日本の小説家、評論家、英文学者。
〈略〉
>明治26年(1893年)、漱石は帝国大学を卒業し、高等師範学校の英語教師になるも、
>日本人が英文学を学ぶことに違和感を覚え始める。前述の2年前の失恋もどきの事
>件や翌年発覚する肺結核も重なり、極度の神経衰弱、強迫観念にかられるようにな
>る。その後、鎌倉の円覚寺で釈宗演のもとに参禅をするなどして治療をはかるも効果
>は得られなかった。


http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/bunka/bunjinroku/souseki.htm
>漱石は、明治27年の春頃から肺結核の兆候が現れ、療養につとめたもののはかば
>かしくなく、また、さまざまな苦悩から次第にノイローゼ気味になってしまいます。親友
>の菅虎雄に相談して円覚寺で参禅することにし、明治27年12月の末から翌1月7日
>まで円覚寺の帰源院に滞在しました。この参禅の体験を、後年「門」や「夢十夜」のな
>かに描きました。


http://novel.atpedia.jp/私の経過した学生時代-夏目%20漱石/page/4273/2.html
> 時間も、江東義塾の方は午後二時間|丈(だ)けであったから、予備門から帰って来
>て教えることになっていた。だから、夜などは無論落ち附いて、自由に自分の勉強を
>することも出来たので、何の苦痛も感ぜず、約一年|許(ばか)りもこうしてやっていた
>が、此の土地は非常に湿気が多い為め、遂(つ)い急性のトラホームを患(わずら)っ
>た。それが為め、今も私の眼は丈夫ではない。


http://ja.wikipedia.org/wiki/夏目漱石
>明治17年(1884年)、大学予備門(明治19年(1886年)に第一高等中学校(後の第一
>高等学校)に名称変更)予科入学。


http://痔.kenko-no-nayami.info/file/27.php
>『僕の手術は乃木大将の自殺と同じ位の苦しみあるものと御承知ありて、崇高なるご
>同情を賜り度候』
>これはかの文豪、夏目漱石が痔ろうの手術で入院中に、友人に当てた手紙の一節
>で、痔に苦しむ漱石の心情がよく察せられる一節ですね。 漱石の未完の大作『明暗』
>は、主人公が痔を治療しているところから始まります。同じ様な内容が漱石の日記に
>もあり、自信の苦痛と治療の経験をそのまま生かした書き出しになっています。痔の
>痛みは漱石の日常に相当なインパクトを与えたのでしょう。
>ちなみに、上記の一節に出ている乃木大将とは、漱石が痔の手術を受ける16日前に
>自殺した、当時の陸軍大将・乃木希典のことで、彼もまた漱石同様、痔に悩まされた
>一人でした。


http://www4.ocn.ne.jp/~sasaki/2008.2.htm
>漱石の糖尿病が発見されたのは明治41年1月に旧友菅虎雄氏宛に書かれた手紙の
>記載が始めてです。「胃病で一寸医者に診てもらった時に尿検査で糖分が出ていると
>いわれた。その尿糖を大学で調べて欲しいので、菅氏の親類に渡して調べてもらいた
>い。承諾してくれるなら小便をビールびんに入れて持参するからよろしく」という概略で
>す。つまり当時は血糖値が測れないので尿糖で診断し、治療をしていました。
>その後8年間は全く糖尿病の記録は残っていません。大正5年に京大物療内科教授
>真鍋嘉一郎先生に尿糖検査の依頼を何度もだしています。



夏目漱石関係:
牛耳るは夏目漱石の造語じゃなくて
漱石の最後の言葉は「ありがとう」という説も
『我輩は猫である』は平行世界の作品?

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Comment

>ハヤタ隊員さん
どうもです。(_ _) これですわね。↓

http://www.shinchosha.co.jp/books/html/141905.html
> 大正五年、四十九歳の漱石は『明暗』を朝日新聞に連
>載しはじめた。十一月二十一日、漱石は築地精養軒でひ
>らかれた辰野隆の結婚式に出た。漱石は気がすすまず、
>行くのをしぶるのだが、新郎新婦のたっての頼みで、い
>やいや出かけた。
> 精養軒に行くと、席が男女別々になっている。鏡子夫
>人は、食卓に南京豆が出ているのを見て「悪いものが出
>ている。私が側にいたらとめるのに」と心配した。
> 案の定、漱石は南京豆を食べた。

Widipedia では、夏目漱石の方ではなく、辰野隆の方に。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%e8%be%b0%e9%87%8e%e9%9a%86
>大正5年の辰野の結婚式に夏目漱石が出席した際、出された
>ピーナッツを食べて胃潰瘍が再発し床に臥し没した。

私は、夏目漱石はお菓子好き、甘いもの好きというイメージに引きずられていましたが、

http://www.aa.alpha-net.ne.jp/itimuan/maru/old5/aya494.html
> 日本では、夏目漱石が、これを加工したお菓子が(文字どおり)
>死ぬほど好きだったことが知られていますが、世界的には大豆と
>並んで油料作物(ピーナッツオイル)としての利用が盛んです。

考えてみれば、漱石が精養軒で食べたというビーナッツの方は、こちらのブログ↓の写真のような、薄皮つきで落花生という感じのものだったかも。

http://lo-olv.seesaa.net/article/107529857.html
トンデモない一行知識 |  2009年10月29日(木) 23:44 |  URL |  【コメント編集】

小学生の頃、伝記が好きでよく読みましたが、
夏目漱石の伝記に、亡くなる前にピーナッツを食べたという記述があったのを憶えています。

その伝記の冒頭の記述でしたが、たしか、教え子(だったかなあ?)の披露宴に行き、胃の調子がよかったので、医者から止められていたにもかかわらず、出された好物のピーナッツを食べてしまい、また胃の具合が悪くなり、まもなく亡くなったという内容だったと思います。

出版社等は全く覚えてませんが、変わった内容だったので、この部分は忘れられません。

検索してみたら、この話は事実のようですね。
(大正5年の辰野隆の結婚式だそうです。)

ただ、ピーナッツの食べすぎということはないでしょうね。
ハヤタ隊員 |  2009年10月29日(木) 15:19 |  URL |  【コメント編集】

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