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2009.09.21 (Mon)

ほとんど全ての意味で正反対 ―― アイザック・アシモフと唐沢俊一

『トンデモ一行知識の世界』 P.8

  SF作家で化学者、そして雑学マニアでもあったアイザック・アシモフ
 博士は、自身ものした一行知識の本の中でこう言っている。
 「人間は、無用な知識の数が増えることで快感を感じることのできる、
 唯一の動物である」


ずっと前の「そして番組冒頭の言葉はアリストテレスのものにと変更」のエントリーでは、
「既にいろいろな人に言及されている有名なガセビアのため、リンクの紹介で」ということ
で済ませてしまっているのだけど、ここのコメント欄で見て、ふと思い出したので補足。

http://tondemonai2.web.fc2.com/147.html に書いた分。
-------
「どこを探してもアシモフの著書の中にこの言葉を見つけだす事が出来ない」とか↓
http://tisen.jp/dia/2003/20031103.html

アシモフがそんなこと言っていた? Bertrand Russell の言った "There is much
pleasure to be gained from useless knowledge." と似過ぎているんだけどとか↓
http://talking.to/blog/archives/000027.html

最高のトリビアは、この名言の出典が不明だということだ、とか↓
http://www.toyama-cmt.ac.jp/%7Ekanagawa/essay/trivia.html

アシモフの研究家さえ「あんな言葉聞いたこと無い、原典はどこだ?」と悩んだとか↓
http://www.23ch.info/test/read.cgi/owabiplus/1185844277/

-------
これ以外にも当時、英文のサイトを探しまわったりもしたんだけど、やはり "There is
much pleasure to be gained from useless knowledge." は Bertrand Russell の言で、
Isaac Asimov ではないよなあ、という結論に。

http://www.quotationspage.com/search.php3?Search=useless+knowledge&startsearch=Search&Author=&C=mgm&C=motivate&C=classic&C=coles&C=poorc&C=lindsly&C=net&C=devils&C=contrib
> Results from Michael Moncur's (Cynical) Quotations:
> There is much pleasure to be gained from useless knowledge.
> Bertrand Russell (1872 - 1970)


それと、最初の唐沢俊一の文章をよく読むと、「自身ものした一行知識の本の中でこう
言っている」とも書いてある。アシモフの科学エッセイなどは「一行知識の本」とはいえ
ないので、該当するのは『アシモフの雑学コレクション』くらいか。新潮社から出ている
星新一編訳のこの本の中に、「人間は、無用な知識の数が増えることで快感を感じる
ことのできる、唯一の動物である」と書かれていないことは確認済みである。

ただ、ガセらしいと聞いた後も、「知識の数が増えることで快感」というのは、アシモフが
いってもおかしくないなとは思っていた。定義もしないで「無用な知識」と有用な知識を
区別するのは、アシモフらしくないかもとも思ったが。

どこまで本当かはわからないが、以前はインターネットのどこかに、冒頭の言をアシモフ
のものとして引用しているサイトがあって、唐沢俊一はそれをうのみにしたのではないか
――という噂もあった。

知識を収集する喜びについてならば、アシモフは以下のような文章を書いている。もし、
上記のようなアシモフのファンサイトが実在していたとすれば、このような文章が元に
なっていての誤解ではなかったか。

『わが惑星、そは汝のもの』アシモフの科学エッセイ 5 P.62 ~ P.63
>親父は私が科学のことを知っているのは当然と見なしていたが、私が古代史について
>の本を出しはじめたとき、私を物かげに呼んで(この弱気な行為を目撃されることを
>恐れでもするかのように、あたりをキョロキョロ見ながら)、こういったのである。
>「おい、アイザック、こんなにいろんなことを、どうやって覚えたんだい?」
> そして私は答えたのである。「あなたから教わったんですよ、お父さん」
> 親父は私が冗談をいっているのだと思った。そこで私は、これから諸君に説明しよう
>とするような意味を、説明しなければならなかった。
> 私の親父は、大人になってから、ふつうの意味での正式な教育を何も受けずに、
>この国に来た(もっとも、タルムード (ユダヤ教の律法と解説) についての知識はたい
>へんなものだったが)。彼は私の宿題を手伝うことさえできなかったのだ。
> しかし、親父にできたこと、実際にやったことは、私に(また私の兄弟に)ものを知る
>楽しさと、それが絶対に失われるおそれのないように、確実に深く人に伝えることの
>喜びとを植えつけることだった――あとは万事が自然に、そして何も特に私の力では
>なしに進んだだけのことである。
> この知識とそれを人に伝えることに対する貪欲さとは、たまたま私に多くの物質的
>成功をもたらした――しかし、そんなこととはまったく別に、このことは、金銭その他の
>目に見えるものでは測ることのできないようなさまざまな形で、私に人生の豊かさを
>もたらしたのである。
> ありがとうパパ。


アシモフのいう「それが絶対に失われるおそれのないように、確実に深く人に伝えること
の喜び」というのは、唐沢俊一のホザく「虚実の皮膜一枚のところでの勝負」だの「クジを
引くような、そのハラハラ感」だのとは次元が違う (「駄ボラのいかがわしさの混入率高過ぎ
<『トンデモ一行知識の世界』」
を参照)。唐沢俊一の文章の多くは、虚実の皮膜など軽く
ぶちやぶった数多くの「駄ボラ」で構成されていることを、おいといても、である。

『トンデモ一行知識の世界』 P.33 で唐沢俊一は、「間違いを間違いだからといって無下
に排斥するのは人間の文化を貧しいものにしてしまう。 事実、などというのは世界中の
人間のうちの数パーセントが知っていればいいことではないか?」ともホザいている。
これもまた、アシモフとは正反対の、次元の低さと志の低さをあらわすものだ。


なお、アシモフは別のエッセイで、現在の時刻を知るために時計に目をやる癖が自分に
あること、その行為に意味はないと相手に説明しても納得してもらえないので、特に女の
子といっしょのときは困ってしまうというようなことを書いていた。どこに書いてあったの
か、再発掘できてないけど……。「無用な知識」うんぬんの「無用な」は、ここからきたの
かもしれないと想像したりしている。

その他参考 URL:
- http://www.brainyquote.com/quotes/authors/i/isaac_asimov.html

追記: 唐沢俊一検証blogの「愛はブーメラン。」のエントリーには、こういうコメントがつい
ていたけど……。

>mailinglist 2009/09/22 15:50
〈略〉
>『アシモフの雑学コレクション』も買いましたが、意外と単純な話で、唐沢は巻末の星
>新一のあとがきを曲解しただけなのかもしれませんよ(星の署名が文末にまわってい
>て、本文との区別がまぎらわしい)。はじめの7行はまんま唐沢の主張だし。


……まあ、ちょっと (かなり?) 違うのではないかと。ちなみに、星新一の解説の、最初の
7 行というか 8 行に書かれていることは以下の通り。

『アシモフの雑学コレクション』 P.312
> このような本に解説は不要と思うが、なんとはなしに書いておく。
> 新しい知識を得るというのは、楽しいことだ。テレビの番組にクイズが多いのも、そのた
>めだ。テレビ出現前のラジオの時代でも、そうだった。さらに昔、雑誌には豆知識という名
>前で、そんな内容のコラムがあったものだ。
> 娯楽のひとつの形式といえよう。学問のきっかけとなるかどうかは、別問題。気に入っ
>たものを五つほどおぼえ、友人との会話に持ち出せたら、立派なものである。心の底での、
>科学や歴史への抵抗感が薄れれば、それもけっこうなことだ。


「科学や歴史への抵抗感が薄れれば、それもけっこうなこと」などという真っ当なことは
唐沢俊一はいっていないし、例の巻頭言にも反映されていない。「友人との会話に持ち
出せたら、立派なもの」という路線は、唐沢俊一の場合は後になってから打ち出してきた
もので、『トンデモ一行知識の世界』や『トンデモ一行知識の逆襲』の時点ではそういう
スタンスをとっていない。

『トンデモ一行知識の逆襲』P.218

 世の中には、知識をあまり増やしたくない、というたぐいの人々がいるの
である。
 どうか、この本の読者の皆さんも、一行知識を収集したら、その知識は胸
の奥にしまい、一般人にはできるだけ、そういう知識の収集の趣味がある
などということは押し隠し、くれぐれも学校や職場などでそれに勘づかれる
ことのないよう、気をつけた方がいい。その発表は、私のホームページの
掲示板のような、ごく特殊な趣味の人々が集まる場で発表するに止めて
おいた方が無難であろう。


そりゃまあ、「新しい知識を得るというのは、楽しいこと」で「学問のきっかけとなるかどう
かは、別問題」を、「無用な知識の数が増えることで快感を感じる」に対応づけることも
可能といえば可能だけど、その程度のことならば、アシモフ本人の書いている、「ものを
知る楽しさ」と、「金銭その他の目に見えるものでは測ることのできないようなさまざまな
形で、私に人生の豊かさをもたらした」の方をとればよいのではないかと。

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15:25  |  『トンデモ一行知識の世界』派生トリビア編 (58) +  |  TB(0)  |  CM(55)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

>新さん
>yono さん
>tamako さん
コメントどうもありがとうございます&レス遅延気味すみません。(_ _);

ええと、実は、金曜日の朝の時点では、関連のもろもろをまとめて、新規エントリーとしてアップしようかとも考えていたのですが、自分で書こうと思っていたこと以上の情報量のことが、あれよあれよという間に書き込まれていったので、これは私がつけ加えて書くこと、ほとんど残っていないような……という状態です。

なので、次に動きがない限り、保留ということにしようかなあと。


http://blog.goo.ne.jp/jinmeiryoku/e/c60d0d225d4f14fca59a01ce2c1e180d

これとか、http://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_naming_customs とか、つい読みふけってしまいました。Garcia って、日本でいえば、鈴木さんという感じ?


>自分が姓を2つ持つようになってから、

おっしゃるところの、「日本でも入籍した後でも職場では旧姓を使用」なら身近にもいたのですが、「松岡マックレイン陽子さん」のパターンはいなかったこともあり、ひたすら、へぇ~状態です。

http://www.dfnt.net/t/photo/column/he.shtml (?)

詳細かつ丁寧な説明、本当にありがとうございました。

トンデモない一行知識 |  2009年10月03日(土) 22:33 |  URL |  【コメント編集】

現物が出てこなくて、記憶では前書きぐらいだと思ってたのですが、もうそこまで進んだページの辺りで出てくる話だったのですね。

ご紹介いただいた旧ページの両サイドが丁度ぬこの画像で少し噴いてしまいました。

最初に読んだときは、いかにもひとかどの大人物が小物同士のいさかいを「まあまあ」と取り成すようなもの言いから、自分のエクスキューズへと展開する手際に慄然とした覚えがあります。その老獪な手腕が現在では片鱗も残っているように見えないのが少し寂しくも感じたりして。

最後にあの件につきまして、皆様、中立のお立場からのあくまで事実に基づいた公平なご発言である事は重々承知しておりますが、結果的に助けていただいた形になったようで、勝手に心から感謝しております。ありがとうございました。
だお |  2009年10月03日(土) 14:00 |  URL |  【コメント編集】

だおさんのいいたかったこととはハズれているとは承知しつつ……

>唐沢の一行知識本前書きに書かれた「猫がシューッと威嚇するのは
>蛇の真似をしている」と同じレベルの「お前本人に聞いたのかよ!?」
>と問いたくなる命題のようでもあります。

この件については、『ネコは何を思って顔を洗うのか』からのパクリ疑惑物件として
http://tondemonai2.web.fc2.com/405.html
の方に書いていたりします。「ツバを蛇と同じように吐いたりする仕草」は劣化コピー疑惑。

これ、『トンデモ一行知識の世界』の P.36 に載っている話なんですけど、それでも「プロローグ」のうちなのですよね。P.55 までがプロローグというのも、何気にスゴいかも。
トンデモない一行知識 |  2009年10月03日(土) 12:26 |  URL |  【コメント編集】

すみません、長文の後ですが、国際結婚の件で補足させてください。

特に女性で、結婚の際に戸籍の名字を旦那さんの方オンリーに変更される方はもちろん多いですよ。
tamako |  2009年10月03日(土) 01:05 |  URL |  【コメント編集】

すみません、いきなりぶしつけですが、自分の意見をば…。

別にmailinglistさん以外の方は分かってらっしゃると思うので一々書くことはないと思うのですが、スペイン系の名字を持つ人は、姓を1つしか使用しない国やビジネスシーンでは通常第一名字だけを表記します。
これは私が住んでいるイギリスで出会ったガルシア=マルケスと同じコロンビア人を含むスペイン系の人達がそうでした。
国際的に活躍している役者、歌手、映画監督などを思い浮かべば、姓を1つしか使用していない人がずらずらと出て来ると思います。ピカソもそういった一人じゃないでしょうか?
ガルシア=マルケスはどうやら主にスペイン語圏で活動していたようなので第二名字を落とす必要がなかったのではと推測します。
第一名字と第二名字を入れ替える人も少なからずいますし、必ず名字2つとも併記のガチガチルールはないはずです。
ガルシア=マルケスの活動範囲が広ければ、マルケスの方は落とされてたかもしれませんね。

名字の表記の略についてそんなに目くじら立てる必要がないと思えるのは、私自身が国際結婚をしていて名字を2つ持っているからです。
松岡マックレイン陽子さんの名前が出てきたので、国際結婚とスペイン系の名字のシステムは違うことの説明も込めて、長いですが書かせてもらいます。

国際結婚では特別に申請をしない限り、戸籍の名字は変わりません。
ところがパスポートの記載変更をすると、配偶者の姓をかっこ付きで追加できて、配偶者の国ではどちらの名字も自由に使えるのです。
私の場合、元の姓が鈴木で夫の姓がスミスとすれば、
パスポートではTamako Suzuki(Smith)となります。
イギリスでは姓の使用は1つだけなのでSuzuki(Smith)という表記は使わずに、どちらか一方だけ統一します。
(パスポートコントロールで面倒なことにならないように航空券の名前は日本名で取ったりなど皆さん臨機応変です)
結婚して以来一度も日本に帰国していませんのではっきり断定できませんが、日本では公的なものには戸籍の元の名字しか使用できないはずです。
日本でダブルネームを用いている人は、結婚した時にスミス鈴木のように名字変更した人(1つの姓扱いなのでばらせません)か、日本でも入籍した後でも職場では旧姓を使用するような感じで便宜上使用していると思います。

自分が姓を2つ持つようになってから、姓は1つだけという常識に無意識にとらわれていた自分に気づきました。姓を2つ持って使い分けることに違和感を持たなくなったのはつい最近です。
永住ビザの申請でも、フルネームの欄以外に、普段使っている方の名字ともう1つの名字を記入する欄が別々にあったので、それぞれ記入しました。
こんな私がスペイン語圏に引っ越したら、どちらの姓も表記するでしょうね。
その場その場で柔軟に変えられるんです。
日本人の感覚からするとテキトーですが、普通なんです。

以上のことから逆に考えると、日本人が(ここではmailinglistさんだけかな?)名前表記はこうでなくてはいけない、と頭カチカチに妙にこだわりすぎていると感じます。
別にガルシア=マルケスと書こうが、マルケスと書こうが、誰か分かればいいんですよ。特にここはマルケスの著書の表紙でもないですし、論文や書評の出だしでもありません。だおさんの表記は明らかに唯一の人物を指すものですから、全然問題ないですが。
英語圏だと、彼らの慣習で日本人の名字と名前の順番が勝手にひっくり返されますが、別にいちいち怒らないですよね?これと同じで、姓は1つだけの慣習を持つ日本人が無意識に片方の名字だけ使ったことで怒るスペイン系の人っているんでしょうか?

mailinglistさんが本当にスペイン系の名前の実際についてご存知で、あくまで慣例に沿って正確にきっちりすべきだ、というならマルケスではなく、第一名字のガルシアを使用するべきだと言うべきでしたね。
mailinglistさんの知識が地に足ついていれば、こういう指摘が先に出たと思うんですが…。
ところがハビエル・バルデムのように、どう見ても第二名字の方を使用している人もいたりするんですよね、これが。

まずmailinglistさんが、スペイン系の名字は略してはならないという確固たる慣習が国際的にあること、ガルシア=マルケスが自分の名字を略するなと公言していたぐらいのことをソース付きで証明しない限り、いくらWikiの表記が~と頑張った所であなたの主張は嘲笑の的になるだけですよ。

とか書きながら、mailinglistさんって、もしかしてガルシア=マルケスで1つの名字として完成されていてバラせないと勘違いしてるのかも?と思い始めました。
mailinglistさんが羽と柴と分けているのを読み直してちょっと怖くなりました。
だから、他の人がガルシアをミドルネームと間違えていると失礼な推測を書いたかも、と思いました。
それだけは違いますよね?
他のスペイン系の有名人の本名をいくつか見れば自由にバラせることに気づくはずですから。

(トンデモないさん、長文失礼しました)
tamako |  2009年10月02日(金) 23:47 |  URL |  【コメント編集】

wikipediaの日本語版に姓が1つで書かれていても、正しくスペインの文化にしたがって姓を並べて書くのが正しいとおっしゃられていたので、ピカソの場合はどのように説明されるのかと思っていたのですが、wikipediaに自分で名乗ったと書いてあるから正しいですか。。。
 では、自分からなのった訳ではないフランコ将軍(独裁者)だとかセルバンテス(ドンキホーテ作者)などの表記は全て誤りだとおっしゃりたいのですね。
新 |  2009年10月02日(金) 16:32 |  URL |  【コメント編集】

初対面であれですが
mailinglistさん、一行知識さんが問題としているのは「カリオストロの城批判」ではなく「カリオストロの城批判をした時の唐沢俊一の態度」という事わかりますか?

あなたでもわかる例だと「ガンダム論争の時の唐沢俊一」と同じ事をあなたがやっているように見えると言うことです(ガンダム云々は勿論、一行知識さんの考えではなく僕の感想です)

というか、一行知識さんの配慮を読めない上に足蹴にしたあなたの態度を見るに、討論に向いてないのではないか?と思ってしまいます…

一行知識さん、コメ欄を汚して申し訳ありませんでした
yono |  2009年10月02日(金) 12:43 |  URL |  【コメント編集】

またも出がけなので、これだけ。

mailinglist さん、私相手ならともかく、ここに書き込んでいる他の人に高飛車なものの言い方をするのは、おやめください。それを私が許容しているとは思われたくないのですよ。
トンデモない一行知識 |  2009年10月02日(金) 09:08 |  URL |  【コメント編集】

>だお様
連投はひかえようと思っていたのでありがたい。あなたにはもう簡単に済ませます。パブロ・ピカソは自称です。ロドリゴ・ガルシアも自称です。だからそれぞれピカソ、ガルシアでいいのです。

>一行知識様
>http://d.hatena.ne.jp/mailinglist/20091002/p2
星新一は『雑学コレクション』で確実に一件はガセをかましていたことが確定したようですが、どう思われますか? 星を激怒して許しませんか?
これ、どう考えても誤訳じゃないですよね。面白がってガセのままで残したと考える方がより自然です。
実際真に受けている人がちらほらいるようですよ。
http://blog.livedoor.jp/bananahiroshi/archives/2008-02.html
http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=291

>カリ城批判
私も言及していて忘れてましたね。
http://d.hatena.ne.jp/mailinglist/20081220/p4
私は、
「ゴート札を見て過去の遺恨を思い出したから公国へ行く→同時にクラリスのことを思い出さなかったのは不自然」
ということぐらいは思ったけど、映画全体としてそんなに矛盾がキツいとは思わなかったですね。
mailinglist |  2009年10月02日(金) 08:52 |  URL |  【コメント編集】

「最後に駄文をシャーロック・ホームズのセリフで」に訂正いたします。

シャーロック・ホームズを駄文だなんてそんな天につばするようなこと。
だお |  2009年10月02日(金) 07:56 |  URL |  【コメント編集】

ああ、なんてことだ。君の目の前にいる男はロンドン一の大ばか者だ。(C.V.露口茂)
僕にはピカソの名前が珍しいのがなぜ一行知識様や新様(こう呼ぶと時代劇の町娘みたいですね)、藤岡真様への反論になるのか解らない。
それにガルシア=マルケス本人は誰かの息子では無い突然発生した生き物ということだろうか?

ここで突然ですが、ホヲムズ氏もすなる推理といふものを、だおもしてみむとて、するなり

「いいかい、彼は奥方との共著による猟奇本のあとがきに
『もしK子婦人が害されるようなことがあれば、その犯人は司直にゆだねずに自分自身の手で、この本の内容に劣らない思いつく限りの猟奇的手法で復讐する』
といった趣旨の、善良な市民ならば思わず通報したくなるぐらいの歪んだ思い入れを表明するほどの愛妻家だ。
僕のような男にはこの手合いは恐妻家と同義に思えるがね、その彼が自分の犯した過ちにによって夫婦関係の破綻を招いてしまった。

そう、もう分別が付いているはずの、それなりにキャリアを積んできた中年の紳士が、
社会的な自殺同然の破滅的な発言や行動を繰り返した挙句に、生き地獄のような境遇に自らの身を置いているのは、
最愛の女性を裏切った自分自身への罰だと考えるのが当然の論理の帰結だよ、ワトスン君。」

……こうですか? わかりません><

自分でもやってみたからこそ言わせていただきますが、
悪い方の「だお」がよそのコメント欄で怒られた「勝手な決めつけ癖」と見分けがつきませんね。(道理でスラスラ書けると思ったお)
唐沢という人間を理解するために何か意味のあるアプローチとは私には思えません。

そもそも膨大な著作や言動にもかかわらず、唐沢俊一のモラルや動機を高く設定する証拠に乏しいのも問題に思えますし、
唐沢の一行知識本前書きに書かれた「猫がシューッと威嚇するのは蛇の真似をしている」と同じレベルの「お前本人に聞いたのかよ!?」と問いたくなる命題のようでもあります。
(この話が例の『知識は怪しげな方が面白いのダ』という趣旨の有名な序文に繋がるというのはご説明するまでも無い事でしょう)

誰の発言でしたか「最初の一歩を間違えると残り全てを間違える」といった趣旨の言葉があるように、
唐沢が能力をセーブしているという(その理由は凡人には想像もつきませんが)前提に立脚して論理を展開すれば、その破綻は必然の結果であると考えます。

最後を駄文シャーロック・ホームズのセリフで締めさせて頂くと、

「とりあえずの仮説を立てておいて(中略)それを改めていこうとする。よくないくせですよ」(サ○ックスの吸血鬼←禁止キーワードらしくてすみません)
だお |  2009年10月02日(金) 07:51 |  URL |  【コメント編集】

ここはウィキペディアに応援をたのみましょう。
>画家として活動を始めたピカソは、はじめパブロ・ルイス・ピカソと名乗り、
>ある時期から父方の姓のルイスを省き、パブロ・ピカソと名乗るようになった。
>ちなみにルイスはスペインではありふれた姓だが、ピカソは珍しいものである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/パブロ・ピカソ

ガルシア=マルケスの息子の話は前にしました。彼はガルシアだけでもいいんじゃないですか?
mailinglist |  2009年10月02日(金) 02:23 |  URL |  【コメント編集】

すみませんが、なぜか違う場所にコメントが入ってしまったのでこちらに書き直させてもらいます。

名前の話をしてても無駄とは思うんですが、スペイン人の名前について説明したブログの内容が興味深かったので紹介します。これによると、2つの姓をならべるのは格式ばった場合で、父姓のみに省略することも多いようです。
http://blog.goo.ne.jp/jinmeiryoku/e/c60d0d225d4f14fca59a01ce2c1e180d

ちょっと、mailinglistさんに聞きたいのはキュービズムで有名な画家のピカソのことをなんと呼ばれてますか?(ピカソはスペイン人ですので、ピカソやパブロ・ピカソなんて省略はしていないと思いますが)
新 |  2009年10月01日(木) 23:22 |  URL |  【コメント編集】

>今度は安部公房や筒井批判
筒井については崇拝していたので、実は凡庸な作家であることがわかったときにはショックをうけましたが、いまでは仕方の無いことだったのだと同情というか納得しています。安部については批判できるほど読んでいません。もちろんこのふたりだけが中南米文学をひろめたわけではあろうはずがなく、ほかにも言及した人たちはおおくいることでしょう。大江健三郎とか。とりあえず安部の『死に急ぐ鯨たち』や筒井の中公文庫の1980年代のエッセイを読んでみてください。

>あなたの勝手な脳内ルール
わたしばかりではなくガルシア=マルケスを翻訳した日本人の脳はみな守っているルールのようですが。

ちくま文庫の『幸福な無名時代』のあとがきで旦敬介は「ガルシア・マルケス」と表記していますが、いちども「マルケス」などと略していません。カバーの紹介文では一回だけ「マルケス」をやらかしていますが。姓と姓を「=」でつなぐ文化そのものがわりと最近のことなのではないですか? (昭和51年刊の東谷穎人、有本紀明『スペイン文学史』は「=」をいっさいつかわずぜんぶ「・」、こちらは翌年刊の石井栄一著『ベーコン』には、逆のパターン、「フランシス=ベーコン」の表記が頻出しています。)

>唐沢俊一の『カリオストロの城』批判
実は筋が成立していないとかいうやつですか。それについてはいまは余裕が無いのであとで調べます。
mailinglist |  2009年10月01日(木) 23:18 |  URL |  【コメント編集】

>mailinglist さん
うーん、いや、何をどう頑張ればよいのやら。

マルケスについては、「あまり言わない」から、日本版 Wikipedia も何するものぞ、「松岡正剛や素人なんかの怪しい表現」がどうのこうのというお話になり、今度は安部公房や筒井批判ですか。独自説を展開なさるのは結構ですが、その前に、だおさんに謝罪の一言も欲しかったところです。

このブログの性質上、私はもちろん、コメント欄に書き込む他の人も、書いたことに他の人から細かい突っ込みを入れられるとことに対し、ある程度覚悟が必要かなといった面はありますが、「あの『百年の孤独』のマルケスさん」という、意味不明でもなく、他の人が「あまり言わない」表記でも_ない_ものに、あなたの勝手な脳内ルールで突っ込みを入れるというのは、ちょっと酷過ぎます。

>「たとえ参考にしているとして、それが何? 」というコメント

最初の方にコメントしたように、私は「2 冊とも読んでいないんじゃないの、いや読んでいたとしても頭に何も残っていないんじゃないのと思ったりしています」ので。読んでいないのと変わらない (区別がつかない) ような読み方しかしてないんじゃないのってレベルなら、ワタシ的には「それが何?」でしかなく。

本来は、複数の文献にあたって文章を組み立てること自体は、精度を上げるためには望ましいことのはずなんですが、それで出力されたのが、あの文章じゃあなあ……ってのもあります。とどめが「ロジャー・ベーコン」。

で、まあ、失礼ながら、mailinglist さんの一連の書き込みを読んでいて、唐沢俊一の『カリオストロの城』批判の件が思い出されたり。私の想像上の唐沢は、このアニメを批判しているとき、誰も気がつかないことに気がつく自分、気がついてもスルーするようなことに、あえて言及する自分に、本気で陶酔していたりします。

トンデモない一行知識 |  2009年10月01日(木) 08:47 |  URL |  【コメント編集】

>人名表記
人名表記の問題ではないと思いますが。ガルシア=マルケスを日本で有名にしたのは安部公房あたりで、それを筒井が追いかけたのだと思いますが、どちらもマルケスと呼んでいて、それが伝播しただけでしょう。スペインに関する無知の問題でしょう。

図書館で新潮社のガルシア=マルケス全集を眺めましたが、解説ではみんな「ガルシア=マルケス」と書いていて、マルケスなどとは呼んでいません。まだ頑張りますか?

>面白いポイントをスルー
唐沢は、ウィリアム・バロウズを、知っているだけで関心がないのでしょう。裏モノ日記でも1件しかヒットしません。もうひとりのバロウズですら、その3倍ですが…。

知りません、できません、とはとりあえず言わない、というのも唐沢はどこかで書いていましたよ。どこだったっけ…。

裏モノ日記を読まないのは、案外遠回りだったのかもしれないと思っています。




私としては一行知識さんから「たとえ参考にしているとして、それが何? 」というコメントを引き出せたので、収穫だとおもっていますが…。

「それが何って、それが検証するってことだろうがよ…」<某氏がモニタの前でつぶやいた一言。

>唐沢自然現象説
もちろん自然現象を記録することは価値があることです。あとで振り返ることができるのですから。しかし、雲の模様が人の顔に見えて面白いとか、そういう面白さを楽しむことに追求側の人たちもおちいりつつあるような気がします。それは単に幼稚なだけです。
mailinglist |  2009年09月30日(水) 08:13 |  URL |  【コメント編集】

>皆様
どうもです (_ _)

まあ、ここは本筋からハズれた話もご自由にどうぞという方針でやっていますので、続けたい方はご自由に――なのですが、今現在、私の方で特に何かつけ加えたいことも思いつかず。

「想像上の唐沢」についての真面目な話は一段落しているということでよいのでしょうか。不真面目な方向でいえば、「想像を絶する唐沢」の方が好みかもしれないと思ったりします。

それと、kensyouhan さんのコメントを読んであらためて思ったのですが、唐沢俊一の場合、「読んでいない」と「飛ばし読みのみ」と「読んだけど理解していない (意味盲というやつ?)」を本気で区別しようとしたら、かなり難しそうですわね。

トンデモない一行知識 |  2009年09月30日(水) 03:30 |  URL |  【コメント編集】

どうも本来の話の本筋から離れている次元での枝葉末節に属する事柄ではないかと思うのですが、
mailinglist様がこだわっておられるこの手の「外国人名表記」に関する議論というものは
文明開化からこっち、教壇論壇学会誌上から酒席鍋会ネット問わず日本の至る所でなされてきた挙句に、先人の「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」という警句(?)を持ち出すまでもなく、
得てして正答の無い不毛の泥沼に陥りやすい大変やっかいなものであると認識しています。

ましてやコミュニケートのツールとして機能する名詞であれば、例え「ガル公」でも「マルちゃん」でも全くこだわりの無いスタンス(いい加減とも言う)である
私のような人間が混ざると、さらに話は噛み合わなく百家争鳴の体を成し始め、収拾が困難になることが予想されます。

そろそろ外野の方からの「いつまでやってんの」というご意見(ビートたけしの挑戦状ED?)もちらほらと目に入るようになってきている事ですし、
無責任なネット雀である私など足元にも及ばない、外国人名に関する豊富な知識と一家言を持たれる皆様のご意見とご主張も出揃ったこの辺りで、
後はご覧になる方々にこのやりとりを大いにご参考いただいた上で、それぞれにご判じいただくという辺りを落とし所に出来ればと思うのですがいかがでしょうか?

と、書き込みに来たらビッグネームのお二人の書き込みを見てビックリしました。私のような小物は卑屈に消えようとしたところ、

フッフッフッ、最新の記事内で何やらお困りのご様子。(最新記事のコメント欄へ続く)
だお |  2009年09月29日(火) 17:43 |  URL |  【コメント編集】

自分からも一言付け加えさせてもらいます。

実は以前に唐沢俊一の関係者から、唐沢が
「知らないことについて原稿を注文された場合でも、とりあえず知っているフリをして後から調べておく」
というようなことを言っていたと聞いていたので、「裏モノ日記」1999年9月27日にそのような記述があったとしても別に意外ではありません。それに今まで検証しているうちに「ドロナワでやっているんだろうな」と薄々見当はついていたので別に「痛恨」でもなんでもありません。

あと、mailinglistさんがコメントされているのは『アインシュタインをトランクに乗せて』のことだと思いますけど、自分が「本当に読んだのか?」と疑っているのは、タイトルと著者名を間違えているだけでなく、本の中の面白いポイントをスルーしているからです。

>本を読むことが好きで、しかも本の内容が頭に残らなくて、仲間とつるんで馬鹿話をするのが楽しい。

その「馬鹿話」の中で、面白いポイントをスルーしていたら、「お前本当に読んだのかよ?」ってやっぱり突っ込まれると思いますよ。

kensyouhan |  2009年09月29日(火) 12:29 |  URL |  【コメント編集】

>mailinglistさん

>kensyouhanさんが、直近の記事で、読んだとする本の情報がまちがってることを理由に、唐沢がホントにその本を読んだかどうかを疑問におもっておられますが、私にしたら「ああ、手入力したんだ」と思うばかりです。読んでない可能性までは疑わない。「読んでないかもしれない唐沢」というのは、検証上の唐沢というより、想像上の唐沢に近い気がします。

 kensyouhanさんへの疑義は、kensyouhanさんのblogにコメントするべきです。1度飯を食った中だから、お仲間だと思い込んでいるのでしょうか。

>「ああ、手入力したんだ」と思うばかりです

 そういうのを、「想像上の唐沢」と申します。


 
藤岡真 |  2009年09月29日(火) 12:29 |  URL |  【コメント編集】

出がけで時間のないので一言だけ。

>下の新さんの投稿も、私の意見を補強するもの…でもないか。

補強どころか、その逆でしょう。

>自然現象を面白がるのは、ではなぜだ、ということにもなります。

自然現象には面白いものがたくさんあるではないですか。唐沢俊一のようなセンスの悪い人間による、紋切り型の妄想などを軽く超えるようなものが。というか、事実より面白い虚構を発表できる才能のある人間など、実はごく限られていると思います。それがわかっていないで醜態をさらしているのが、唐沢俊一や件の NHK ディレクター。

いや唐沢俊一の妄想も面白いは面白いですよ。あくまでトンデモさんとして。

トンデモない一行知識 |  2009年09月29日(火) 09:21 |  URL |  【コメント編集】

>英語版の方は、"García Márquez" であって「ガルシア=マルケス」ではありません。

という判断は
>本当は日本でも「ガルシアマルケス」と表記すべきなんでしょうが、
>中黒が脱落してると誤解されるかもしれませんからね…。
>だからかわりに「=」を使っているんでしょう(この推測は未確認)。
という意見とは矛盾しないように思いますが。中黒は姓名を区切る記号として使われているから「ガルシア・マルケス」という表記は不適当でしょう。どうしても略したければ「ガボ」でいいじゃないか、と。

要はガルシアをミドルネームだとおもっている日本人が相当数いるだろうということです。安部公房も、筒井康隆も怪しい。

下の新さんの投稿も、私の意見を補強するもの…でもないか。さあ、片方の姓を呼ぶだけでも構わないというのは、どうなんでしょうか。旧知の人は、親しんだ方を使うでしょうが…。

ガボの息子の映画監督ロドリゴ・ガルシアは、母方の姓も知られつつ、仕事上はガルシアで通しているという感じでしょうか。

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0184007962
ジュンク堂だけ?に松岡マックレイン陽子名義の書誌があるのが気になりますね(カタカナ表記のみに「=」あり)。松岡マックレインさんはアメリカ人だから関係ありません?が、最近は日本人のアルファベット表記が国内とおなじく姓名の順になることがあるから、悩ましい人も出てくるかも。

唐沢について私が抱いていた疑問はあらかた解消されたので、とくにこれ以上どうということもないのですが。なんでこんな間違いをするのかわからないから面白いといまだにいうのは、どうかと。

唐沢が改変して文章をつくることを悪いと思っていない。出版社や新聞社の多くも悪いとおもっていない。それを規制する法もない。唐沢の主眼は面白さの追求にある(面白くないけど)。そして粗忽かつものぐさである。これだけそろったら、ああいう文章がでてくるのはもはや自然現象に近い。自然現象を面白がるのは、ではなぜだ、ということにもなります。愚鈍な唐沢にたいして、追求側もまた類推力や共感力に乏しい、あるいは乏しいふりを装う人たちに見えてきたわけです。

kensyouhanさんが、直近の記事で、読んだとする本の情報がまちがってることを理由に、唐沢がホントにその本を読んだかどうかを疑問におもっておられますが、私にしたら「ああ、手入力したんだ」と思うばかりです。読んでない可能性までは疑わない。「読んでないかもしれない唐沢」というのは、検証上の唐沢というより、想像上の唐沢に近い気がします。

本を読むことが好きで、しかも本の内容が頭に残らなくて、仲間とつるんで馬鹿話をするのが楽しい。そういう人はいっぱいいるでしょう。私のなかの唐沢は、結局のところ第一印象の唐沢に戻りつつあります。
mailinglist |  2009年09月29日(火) 02:15 |  URL |  【コメント編集】

First family name とsecond family nameと書いているんだからくっつけたらおかしいのではないでしょうか。2つの姓を受け継いだという意味なので区切りというのは意味があります。wikipediaの記法は3つ名前があるうちの・で姓と名を区切り、=で姓を区切ることを意味してわざわざ変えていると思います。
日本人でいうと、夏目漱石の孫の松岡陽子マックレイン(Yoko Matsuoka McClain)なんかもそうですね。彼女のことを松岡さんやマックレインさんと呼ぶのはおかしくないです。
新 |  2009年09月29日(火) 01:58 |  URL |  【コメント編集】

>mailinglist さん
>>This is a Spanish name; the first family name is García and the second is Márquez.

これは、わかります。しかし、「英語版ウィキペディアでは『ガルシア=マルケス』か『彼』に統一されています」は、わけがわかりません。英語版の方は、"García Márquez" であって「ガルシア=マルケス」ではありません。そして、英語版の Wikipedia が "García Márquez" であることが、日本語の文章中 (日本語 Wikipedia の記述を含む) に彼の名前を登場させる際に、「ガルシア=マルケス」または「ガルシア・マルケス」とすべきだ、「マルケス」はよくないと主張するに足りる理由とは思えません。

これが、Brown-Sequard のようにハイフン区切りなら、ちょっと分離しにくいかなあとも思いますが。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-213.html

実際、こちらの↑件では、日本語の文章中に登場するのは「ブラウン・セカール」ばかりで、「セカール」などと書いているのは唐沢俊一ばかり――という状況でした。

んで、日本語 Wikipedia も松岡正剛も書評ブログの人もとるに足りない、mailinglist さんの主張を正しいものとみなせ――というご主張ならば、無理ですそれ絶対。

>これを見落としていたのは、案外、追及側の人たちにとって痛恨に
>近い事実だと思うのですが。

「痛恨」ですか……何がそうも mailinglist さんの心を動かしているのか、これもまた、よくわからないのですが。「事実、などというのは世界中の人間のうちの数パーセントが知っていればいいことではないか?」などと比べると、インパクトはかなり薄いし。

>「前説事件」も臆さず載せて、見上げた作家魂じゃないですか。

「見上げた作家魂」とは思えないですね……。むしろ、見苦しい。これについての私の意見は、

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-217.html

の本文とコメント欄に書いた通りですので。

>私は、最初からと学会って、ちょっといやだなと思ってましたけど…。

私は、と学会は結構好きでした。『トンデモ本の世界』や『トンデモ本の逆襲』については、今も好きです。だから、今のと学会には、マジでがっかりしています。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-127.html

とはいっても、2004 年頃を最後に、と学会本って買っていなかったりしますけど。w

>間違いだらけといわれても、ああそうなんだと思うだけだったので…。

うーん。私は唐沢俊一のやらかす間違いは、質の点でも量の点で突出していると思っています。だから「面白い」というか。しかし、「ああそうなんだと思うだけ」の人に、無理にその面白さを共有してもらおうとも思っていません。逆に、私に「ああそうなんだと思うだけ」になれといわれても (あくまで仮定)、面白すぎるので当分無理とお答えするしか。
トンデモない一行知識 |  2009年09月29日(火) 01:49 |  URL |  【コメント編集】

http://en.wikipedia.org/wiki/Gabriel_García_Márquez
>This is a Spanish name; the first family name is García and the second is Márquez.

がっつり確認したわけではありませんが(ページ内検索で100件以上もヒットするから)、英語版ウィキペディアでは「ガルシア=マルケス」か「彼」に統一されています。松岡正剛や素人なんかの怪しい表現なんか典拠に値しないでしょう。

本当は日本でも「ガルシアマルケス」と表記すべきなんでしょうが、中黒が脱落してると誤解されるかもしれませんからね…。だからかわりに「=」を使っているんでしょう(この推測は未確認)。

ところでくどいようですが、みなさん、ちゃんと『裏モノ日記』1999年9月27日の記述は、ご存知だったんですか。これを見落としていたのは、案外、追及側の人たちにとって痛恨に近い事実だと思うのですが。書籍版にも採録しているということは、これ、本人みずから言いふらしていることなんだ、ということですよ。「前説事件」も臆さず載せて、見上げた作家魂じゃないですか。

私は、最初からと学会って、ちょっといやだなと思ってましたけど…。『トンデモ一行知識の世界』は、事実性を抑えてまで語り口の面白さにこだわる(そんなに面白くないけど)とはじめに宣言しているから、間違いだらけといわれても、ああそうなんだと思うだけだったので…。kensyouhanさんのところでも熟読したのは、最近まで「ガンダム論争」と「前説事件」のところだけだったですし(汗)。
mailinglist |  2009年09月29日(火) 00:24 |  URL |  【コメント編集】

>だおさん
>大切なコメント欄を匿名掲示板代わりのように使用してお汚ししてしまい、

いえいえいえ。「なぜか私も2ちゃんねるに書き込めない」との事情ならなおさら、ガンガン使ってください。旧ブログ時代に、規制で書き込めない人用のスレッド (とはちょっと違うか) を用意したこともあったくらいですし (まあ結局利用する人はいませんでしたが)。だおさんのような方なら大歓迎ですので、どうぞご遠慮なく、です。

# べ、別に、寂しがって引き止めているんじゃないんだからねっ!

>「やっぱりどっかの山奥に伝わる伝承とかであるよねえコレ。岐阜県とか」

これは、着眼点もよいよなあと思いました。とか書くと何か偉そうですが (汗)。昔読んだときも、そう言えば、何で弁慶がそんな願掛けしたのか説明してくれるお話って聞いたことがなかったけど、実際どうなのだろうと思ったりしたのでした。

トンデモない一行知識 |  2009年09月28日(月) 23:45 |  URL |  【コメント編集】

(続き)

>唐沢の文章はほとんどこじつけで成り立っていることを、唐沢自身が1999年
>9月27日付日記に表明しているのに、だれも気づいてなかったわけですし。

いや唐沢俊一の文章は、「こじつけ」とか、そんな生やさしい表現で通常予想される範疇を軽く超えているわけで……。ちょっとやそっとの不正確さや強引なこじつけ程度なら、「トンデモ of トンデモな物件」なんて、そうそう書けませんし、書いたりしません。

ええと、たとえば、『トンデモ本の世界R』に、渓由葵夫『奇想天外SF兵器』という本が、紹介されています。書いているのは山本弘氏。

『トンデモ本の世界R』 P.245
> 著者は同じ新紀元社から『奇想天外兵器』シリーズを出している人。その何とも
>形容し難い奇妙な文体は、以前からマニアの間で定評があった。
> その渓氏が、SFアニメやSF映画に登場する架空兵器について論じた本を書いた
>のだが……これがひどいひどい。壮絶なまでに間違いだらけ。時には一ページ
>に五~六箇所も間違いがあったりする。

これを読んだときには、世の中にはスゴい本があるのだなあと思いました。本を出すにあたって、編集なり校閲なり、出版社側のチェックが入っているだろうに、と。と学会の紹介するトンデモ本の中でも、その間違いの多さは特筆すべきもののように扱われ、だから山本弘氏も「ひどいひどい」などと書いているわけです。この『トンデモ本の世界R』が 2003 年刊。これを読んだ時点では、まさかその 5 年前に出版された、と学会会員の唐沢俊一著の『トンデモ一行知識の世界』という本が、「時には一ページに五~六箇所も間違いがあったりする」「壮絶なまでに間違いだらけ」だったという、驚天動地なオチがまっているとは思いませんでした。

http://tondemonai2.web.fc2.com/256.html
http://tondemonai2.web.fc2.com/282.html
http://tondemonai2.web.fc2.com/304.html
http://tondemonai2.web.fc2.com/200.html
http://tondemonai2.web.fc2.com/404.html

そりゃ唐沢俊一の書く文章は正確性や一貫性に欠けるということや、怪し気なのがよいだの何だのの開き直った意思表明については、知られてはいたでしょう。しかし、唐沢俊一は、と学会の本で紹介される通常の (?) トンデモさんに勝るトンデモ物件なんてのを予想していた人がどれだけいたか――ということです。まあ「あわびねこ」の件を指摘した人とかもいましたので、まったくいなかったとまではいえないでしょうが……。

そして、唐沢俊一は実はキング・オブ・トンデモだったということが、こうも意外に思えるのは、唐沢俊一が、と学会に属しトンデモさん批判をしていたからというのも理由のひとつです。逆に言えば、と学会でトンデモさん批判というのが、よい隠れ蓑になっていたということではないないでしょうか。犯人ならぬトンデモは、意外なところにひそんでいた、と。

トンデモない一行知識 |  2009年09月28日(月) 23:26 |  URL |  【コメント編集】

>mailinglist さん
>う~ん、マルケスではなく、ガルシア=マルケスなんですが。

「マルケス」のみの表記って、けっこう多いみたいですが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ガブリエル・ガルシア=マルケス
>特に『百年の孤独』は、マルケスが17歳のときに執筆を決意した作品であるため、
>祖父母の影響が色濃く残っている。

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0765.html
>もっともそれにくらべれば、文芸誌のマルケス賛歌などはいかほどの力ももっては
>いなかった。

http://blog.goo.ne.jp/full-chin/e/79dfad800bc397ce43364b35ea2d5b7e
>読了する4日ぐらい前から突如として無性にマルケスを読みたくて仕方がなくなっ
>たのだ。
(続く)
トンデモない一行知識 |  2009年09月28日(月) 23:25 |  URL |  【コメント編集】

>「ガルシア」の方は省略させていただいたのですが
丹羽長秀と柴田勝家にあやかってつけた名を「羽」とか「柴」とか略するようなものでしょうねえ(違うかな)、ちゃんと「羽柴」と呼んであげましょうよ。

>(筒井はマルケス、マルケスって連呼してましたね)
もうこの時点で私は皮肉として書いていたんですが。
mailinglist |  2009年09月28日(月) 21:56 |  URL |  【コメント編集】

>一行知識様

eが無い小説なんてあるんですね。何となくスティーブン・キングの「ミザリー」でタイプライターのEだかNだかのキーが壊れているというのを思い出しました。


>2ちゃんねる一般書籍板唐沢スレッド>>390様

私もよそのコメント欄に出没する方の「だお」の奴を、カッコを多用したくどい文章にねちっこい性格が滲み出ている、いけ好かない野郎だと思ってたんだお。
……べ、別に「似た名前の人」とは「だあ」さんのことなんかじゃなかったんだからね!

「天狗の落とし文」に大変な興味を示していただいたこと、とても嬉しく存じます。 ……「布教」はヲタクの醍醐味ですお。ホルホル


>2ちゃんねる一般書籍板唐沢スレッド>>403様

向こうの「だお」の野郎と同じくなぜか私も2ちゃんねるに書き込めないため(べ、別に同一人物なんかじゃないんだからね!)、
御手間をかけて武蔵坊弁慶のエピソードを書き込んで下さったご厚意に深く謝意を表します。
改めて読むと「やっぱりどっかの山奥に伝わる伝承とかであるよねえコレ。岐阜県とか」と思いました。助けて偽学博士!


>mailinglist様

突然私が前後の話の脈絡もなく「マルケスさん」と言いだしたならば、聞く人に「資本論の?」「いんちき商売?」といぶかしがられた上に
他人に分かるようにコミュニケーションを出来なかった返報としての言葉によるご打擲も甘んじてお受けいたします。(このくどい文体が嫌われるんだお。きっと)

しかし、この話の流れの中で「あの『百年の孤独』のマルケスさん」と言えばたいていの方は一人の「マルケスさん」に特定していただけると思い、
「ガルシア」の方は省略させていただいたのですが不味かったでしょうか? 
もし揚げ足を取られるならば(『あっしの足です』)そもそも海外の作家名をカタカナにさん付けで呼ぶことからして変ですしね。

また、私がmailinglist様のスタンスを擁護だと思い違いしているかのようにご発言への違和感を何かとカラサワに結び付けて示すのは、
お借りしているこの場がカラサワシュンイチを検証されている趣旨のブログのコメント欄であるため、例え話に使用するのに最適だと思うからであって、
「テンテーの関係者なんでしょ? ほらほらこんな痛いことテンテーもしてるよね~」という目的だと思われるのは大変心外に思います。

例えば「天狗の落とし文」をここに書くときは、私が読んで感じた内容を簡単に説明させていただきました。
このブログを読まれる方の中にはご存じない方もいらっしゃるかと考えたからです。

しかし「イッセー前説事件」については何も説明せずにただ書きました。
このブログを読まれるようなカラサワウォッチャーの方々なら、ほとんどがご存じである事だと考えたからです。


最後に>一行知識様

大切なコメント欄を匿名掲示板代わりのように使用してお汚ししてしまい、申し訳ございませんでした。

お恥ずかしい事に名前だけしか存じ上げなかった久生十蘭もまた、愉快なホラ吹きであるというお話をうかがって、
私も2ちゃんねる一般書籍板唐沢スレッド>>390様の知的好奇心とフットワークを見習って、秋の夜長の慰みにチャレンジいたしたく存じます。
だお |  2009年09月28日(月) 19:21 |  URL |  【コメント編集】

う~ん、マルケスではなく、ガルシア=マルケスなんですが。ヴィラ=ロボスのことを、ロボス、ロボスとはあまり言わないように。

>と学会ブランドに乗っかってトンデモさん批判や疑似科学批判めいたこと
>をやっていたおかげで、唐沢俊一自身が、並のトンデモさんと比較して、
>知性や虚構の構築力その他様々な点で落ちる、トンデモ of トンデモな物件
>であるのがバレにくかったとか。

これはどうでしょう。私は唐沢の情報のほうは信じていた(殆ど「調べなかった」と同義)時期でも、文章は変だし考え方も偏っているけど、なにか自分を信じてやっている人なんだなあというふうに思っていましたけど。唐沢によるガンダム論争の回想や、サイトの日記でのイッセー崇拝話など読んで、真面目なものを感じたりしていました。書き手としては、もともと読まれていなかったんじゃないでしょうかね。なんか読んでて気分悪くなりますもん。なに、こいつ、って思わせる感じは『トンデモ本の逆襲』のころからありましたよ。というか、ああいう文体だったから、今になってこんなに嫌われたということが言えるんじゃないでしょうか。

文章としては、もともと唐沢のものをそんなに好きではなかったから、私はわりと醒めて今回の騒動を眺めている面もあるかもしれません。

唐沢の文章はほとんどこじつけで成り立っていることを、唐沢自身が1999年9月27日付日記に表明しているのに、だれも気づいてなかったわけですし。そもそも読まれていなかったに一票。
mailinglist |  2009年09月28日(月) 10:34 |  URL |  【コメント編集】

>だおさん
>お陰で武蔵坊弁慶のエピソードを信じかけました。

読んだ覚えはあるけど発掘できない――といういつもの ^_^; パターンだったのですが、2ちゃんねるのスレに書き込んでくれた人がいたので、感謝しつつ、右から左にコピペ。

http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1253714720/403
>403 :無名草子さん:2009/09/27(日) 19:43:09
>>>390
>昔、鞍馬山に大きな禅宗の寺があった。
>ここでは、狸が化けて夜な夜な僧たちを困らしていた。
>そこに力も度胸もある若い僧が旅から帰ってきて、事情を聴くと
>自分が狸を成敗しようと、夜中、納戸にこもっている。
>するとそこに高僧がやってきた。
>若い僧はてっきりこの高僧は狸が化けたものだろうと思い
>打ち殺してしまうが、それは狸ではなく本物の僧だった。

>寺ではこの騒ぎが外にばれると外聞も悪いし、高僧を殺した若い僧も
>悪意はなかったのだからと、お咎めなしで高僧の葬儀だけを出す。
>ところがその高僧は成仏できないらしく、幽霊となって寺をさまようようになる。

>若い僧は悩み、幽霊に謝りたいと思うのだが、なぜか幽霊は肝心の若い僧の
>前にだけは現われてくれない。
>それで若い僧は高僧成仏のための願掛けをすることにした。
>それが、見事な太刀を千本集めるという願掛けで、その僧は立派な刀を
>持っている若者を求めて、夜ごとに五条大橋のたもとに立つことになる


>…大ざっぱにまとめたけど、たぶんこれだと思う。
>なんかいかにもありそうな話しで、読んだ時に面白いと思ったよ

ついでに、何か思い出したので、以前にこちらに書き込んでいただいた、久生十蘭の件についての話もコピペ。

http://tondemonai2.web.fc2.com/468.html
>2008/12/4 11:59
>投稿者:亜子十郎
http://blog.livedoor.jp/hisaojuran/
>久生十蘭には私もやられました。「顎十郎捕物帳」に「初鰹」の由来が
>まことしやかに「駿河湾で取ったものを八丁櫓の船で日本橋の河岸に
>持って行くのが…」とあり、真に受けそうになったのですが、一応地元
>の漁協関係者などに取材したら、「そんな話は初耳だ」と驚かれました。
>「嘘吐き十蘭」と言われることだけのことはあります。でも、説得力が
>あるんあだなぁ…。

『トンデモ一行知識の世界』で唐沢俊一のホザいている「虚実の皮膜一枚のところでの勝負」なんていうのは、こういうレベルのものをさしていうときにこそ光るのであって、幼稚な勘違いによるミスの糊塗や、退屈な妄想披露の言い訳に使うものじゃないよなあ本来は……などと思ったり。

んで、http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-40.html のエントリーの方にも書いたんですけど、唐沢俊一のいうように「『うめえこと考えやがった』 と、そのシャレっ気に手を打った」りすることを押し付けられる感じというのも、ちょっとイヤですね。出来のよい嘘の場合であっても「『木戸銭けえせ~~っ』って、ひとわめきして、ひっかかった自分に腹をたてながら、笑い話をひとつ仕込んだと思って諦める」の方が好きで、騙された読者にも、ひとしきり文句をいう権利を認めろw というか。

あくまでイメージでしかないのですが、久生十蘭あたりだと、文句をいって騒ぐ読者がいようが、それを尻目に涼しい顔をしているイメージ。筒井康隆だと、真に受ける読者がいるんだ困ったもんだとエッセイ等でボヤきながら、ちくちく読者を牽制したりもする感じ。唐沢俊一あたりになると、文句をいう奴は野暮だわかっていないと、あからさまに批判封じに躍起になると。この場合、誰よりも野暮なのは唐沢俊一というオチになると思いますが。
トンデモない一行知識 |  2009年09月28日(月) 01:00 |  URL |  【コメント編集】

>もともとネタ以上の情報を期待できないのが筋

それを、いろいろと粉飾して誤摩化してきたのが、唐沢俊一という人だったと思うのですわ。

と学会ブランドに乗っかってトンデモさん批判や疑似科学批判めいたことをやっていたおかげで、唐沢俊一自身が、並のトンデモさんと比較して、知性や虚構の構築力その他様々な点で落ちる、トンデモ of トンデモな物件であるのがバレにくかったとか。

雑学という形式で、実は虚構の作品を発表していたせいで、虚構の作り手としての能力の絶望的な低さ――もっともらしいリアリティのある嘘をつくのが下手、面白い話をでっちあげられないどころか、元は面白い話をつまらない方向に改ざんしてしまうセンスのなさ――を批判されることなくきてしまったとか。

>大多数がどう思っているか、

大多数の思いについてはアンケートでもとらないと……という話になりかねませんが、星新一の「といって、内容的にまちがっていることはない。」とか、以下に引用する『超辞苑』の「訳者あとがき」とかは、傍証としてどうでしょうか。

『超辞苑』 P.301
> 本書の各項目の配列と記述は一応百科事典の体裁をとってはいるけれども、
>それぞれの項目にみられる記述は、たんなる用語や事象の解説などではなく、
>波瀾に富んだ人間の歴史、人間の物語にほかならない。しかもそれらは、
>けっして虚構などではなく、生々しい人間のドラマであり、愚かしくも美しい、
>そして、おかしくも涙ぐましいこの世の見事な縮図である。

「けっして虚構などではなく」が、けっこう重要かと。

>そんなことを考えて雑学本を読む知り合いがいたら、私は注意しますよ。

注意されたら、私だったら、こう答えます。世の中には唐沢俊一のような書き手ばかりではない。一般向けにわかりやすく面白く、かみくだいた説明を供給してくれる、アシモフをはじめとする良質な書き手だっていると信じているから――と。

そして、良質な書き手に見せかけたクズに引っかからないためには、読者同士の情報交換も有効でしょうと。

トンデモない一行知識 |  2009年09月27日(日) 16:56 |  URL |  【コメント編集】

筒井康隆関係……というのには、直接関係ないかもしれないけど、こういうのも。

『超辞苑』 P.238
>文学 1939年、アーネスト・ヴィンセント・ライトは、5万8000語
>からなる小説『ギャッビー』を出版したが、この小説には "e" という文字が
>使われていない。1824年に出版されたホランド卿の『イヴの伝言』という
>短編小説では、"e" という母音しか使われていなかったので、これでやっと
>バランスがとれたと言うことができよう。

Wikipedia では別の作品がきていますね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/残像に口紅を
>La Disparition - eをまったく使用しない小説。ジョルジュ・ペレックの
>作品。邦題は『失踪』。

マルケスがどうのこうのというのは、筒井康隆の後期の作品というより、中期あたりの話になるのでは。1970 年代からなので。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-188.html

トンデモない一行知識 |  2009年09月27日(日) 16:54 |  URL |  【コメント編集】

>だお様
何かお考え違いされているのではないかと思うのですが、私は唐沢俊一の擁護派ではありません。一行知識さんの検証が不正確に思えたので助言させていただいたまでです。一行知識さんからは「たとえ参考にしているとして、それが何? 」というご感想を頂きました。

前説事件は、客商売の空気を読めなかった唐沢に非があるでしょうねえ。
mailinglist |  2009年09月27日(日) 16:20 |  URL |  【コメント編集】

>mailinglist様

>『乱調文学大辞典』以前に筒井が発表したそういう仕事って何があるんですか?

主に「天狗の落とし文」の話を述べさせていただいているのに、なぜ『乱調文学大辞典』以前の筒井の評価になるのかちょっと理解できかねます、すみません。


>後期の作品をよむなら、その元ネタのガルシア=マルケスなどを読んだほうがよほど面白いんではないかと思う

あの「百年の孤独」のマルケスさんがアルファベットが一文字ずつ消えていく小説を上梓されているとは存じ上げませんでした。勉強不足を深く恥じ入ります。


>「これ!」という作品でデビューできなかったのだから仕方ない

「これ!」という作品でデビュー出来なかった無名の人の主張を無条件で押し頂いて承った上に、
丁寧にあるんだか無いんだか定かではない行間も斟酌してあげる事なんて夢にも考えなかった私は心の狭い化け物エゴ男ですね。
純朴なおのぼりさんが突然始めた「若者の主張」に耳を貸さなかった前説事件時の観客達もテンテーにお詫びするべきだと思います。


>なをき氏に知識力があるというより、たんに謙虚であって、兄の気心も知ることができているだけでしょう

なをき氏が単独の仕事で描いてきた豊富な漫画や特撮の知識がほとんど札幌から来たお兄様がされる馬鹿話の受け売りだったとはショックです。
個人の知識力と兄の気心を知ることができることが両立できないならジャギ様の「兄より優れた(略」も真理だったのですね。
だお |  2009年09月27日(日) 15:40 |  URL |  【コメント編集】

>人類共有の知識のプールの充実を阻害する

人類。人類ですか…。人類知識補完計画とでもいうのでしょうか。壮大ですね。しかしそのために雑本を検証するところからはじめるのは遠大すぎはしませんか。

>何にするかその場の思いつきで決め、それについてインターネットや
>書斎の本から資料を探し、最近のニュースに結びつけて話を進め、
>オチをつけて落とす。うまくいかないときは悲惨になるが、うまく行くと
>落語家が三題ばなしを上手にまとめたようないい気分になる。
http://www.tobunken.com/diary/diary19990927000000.html

という態度で仕事している人からは、もともとネタ以上の情報を期待できないのが筋だとおもうのですが。面白いかどうかだけで唐沢は判断されるべきで、しかも市場からも判断されつつある様子。

>雑学本に望むのは、事実としての知識を集める喜びであり

う~ん。大多数がどう思っているか、この件に関しては自信ありませんが、そんなことを考えて雑学本を読む知り合いがいたら、私は注意しますよ。ちゃんと勉強して学者の書いた本を読んだほうがいいって。
mailinglist |  2009年09月27日(日) 15:25 |  URL |  【コメント編集】

>唐沢について考える時は、仮定どころか前提でしょう。

いや唐沢俊一には、ほとんど何も手を加えない豪快丸ごとパクリという技がありますので。この場合、パクリ元がちゃんとしたものなら、ガセも混入しないし、文章の質も高く保たれます。

私が http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-233.html で書いた「刺身とかで食べたらそこそこおいしいものを、下手に料理して激マズ料理にしてしまう」困った人の代表格が唐沢俊一であって。何もしないほうが、はるかにマシという「仕事」しかできない人というのも世の中にいるものだなあと。おかげで (?) 唐沢俊一の紹介しているネタ元の本とか、発見されたパクリ元の文章とかを読むと、とても感動できたりします。唐沢俊一の書いた方の文章が引き立て役になって、彼の加工やフィルターなしの文章が、ぐんと素晴らしく見えるという。

>『倫敦』と『雑学コレクション』の両者を「参考」にしていることは、これ以上
>争う必要を感じません。

まあ、そうですね。『雑学コレクション』を参考にしている説については、特に有力な材料が追加されることもなさそうですし、たとえ参考にしているとして、それが何? 状態ですので。結果として唐沢俊一の出力した文章の質が低いのには変わりがないので、何をどう参考にしようとしまいとダメな人の書いたものはダメなんだなあという結論にしかならないでしょう。

>詐欺師だと、無名性に甘んじなければならないですから、まあ作家と
>いう詐欺師のコースもあっていいのではないかと。

唐沢俊一のように、盗作屋とかパクリ&ガセの一人者とかいう方向で有名になるコースが用意されているというのがあると、もっとよいと思います。

>そもそも翻訳で内容を間引くことは日本の翻訳の慣行らしいのに、
>わざわざ読者に「内容的にまちがっていることはない」と伝えるのが、
>なにか不思議なのですが。

「内容的にまちがっている」かどうかを問題にする読者は数多いからでしょう。雑学本に望むのは、事実としての知識を集める喜びであり、著者のでっちあげた虚構を楽しみたいなら小説とかに手を伸ばします。

翻訳で内容を間引くってのは、昔話題になった「超訳」というやつですか。あれも反発をくらっていましたが。超訳までいかなくても、意訳という名目で、原文に忠実な訳をしない (できない) 言い訳に使う翻訳者も少なくないのが困ったものだと思っています。

そういう話ではなくて、日本の読者には需要がないだろうと、特定の章を省いたり、雑学本ではいくつかの項目を載せなかったりとかいうのをさすなら、また別ですが。

>なにも星新一がでたらめを混入して無知な読者を翻弄しようとしたなど
>とは思いませんが、

意図的にでたらめを混入をしたかしないかが、私にとってはとても重要です。読者にわかりやすい文章にした、直訳をさけたとかいう問題とは次元を異にするということで。mailinglist さんが、同じような次元の話だというご意見をもっていても説得しようとは思いませんが、逆に私の考えを変更させようとしても、はっきりいって無駄ですので、ご了承いただけたらと。

>出典を示さないかぎり誰の発言も嘘だと構えていればいいようなもの
>だと思いますがね。

出典を示して、なおかつ出典にないこと、出典と違うことを書いているのが、唐沢俊一のすごいところだと思いますが。思うに、単なる要約や紹介にも、一定以上の内容の理解と文章力が必要になる、だから大学ではレポートを書かせたりするのでしょう。そして、知識や知性、文章力に難のある唐沢俊一のような人がそれをやると、誰かの書いたできのよい文章を丸写ししないかぎり、出力は悲惨なものになる、ということだと思っています。そういう人のできるのは、ガセを出力するか、パクリをするかの二択ということに。

「誰の発言も嘘だと構えていればいい」については……まあ、大げさにいえば、そんな世の中イヤだなあと。アシモフのいう「ものを知る楽しさ」もおちおち味わっていられないし、「それが絶対に失われるおそれのないように、確実に深く人に伝えることの喜び」、ひいてはそれにともなう人類共有の知識のプールの充実を阻害するだけのものではないですか。
トンデモない一行知識 |  2009年09月27日(日) 14:39 |  URL |  【コメント編集】

>圧倒的な知性とナンセンスの才能を知らしめる仕事
『乱調文学大辞典』以前に筒井が発表したそういう仕事って何があるんですか?

私も『社怪学・心狸学』や『霊長類南へ』などは楽しみましたが、「点景論」や「遍在」や「中隊長」なんかは、正直どうでもいいです(こういうのこそ崇拝しなければいけないのだと思った時期もありました)。後期の作品をよむなら、その元ネタのガルシア=マルケスなどを読んだほうがよほど面白いんではないかと思う(筒井はマルケス、マルケスって連呼してましたね)。

>「お前誰やねん?」状態でいきなりそのような考えを読者に押しつけるのは何かイッセー前説事件を彷彿とさせる
「これ!」という作品でデビューできなかったのだから仕方ない。筒井だって「あの「お助け」の筒井康隆!」なんて言われない。多くの一般人は『時をかける少女』『文学部唯野教授』の作者としか思っていませんよ。一般人、というか、テレビの視聴者は、筒井のことを、よく知らない作家が出てきてみっともない演技披露してるなあ、とか。

>共著作品内でのなをきは、兄の発言やテキストに『なんじゃそりゃ』
>『ウッソで~』と突っ込んだり、『……まあねえ』とスカしたり、
>しかめっ面で何か言いたげにしている

『近未来馬鹿』の新装版のなをき氏によるあとがきマンガを、もし、ごらんになっていないのであれば当たってみることをおすすめします。札幌にいるはずのところを東京にきていろいろ馬鹿話して気が済んだら帰っていく俊一が描かれている。

なをき氏に知識力があるというより、たんに謙虚であって、兄の気心も知ることができているだけでしょう。『けんこう仮面』では、なをき氏はめずらしくボケ役に挑戦していますよ。
mailinglist |  2009年09月27日(日) 13:23 |  URL |  【コメント編集】

mailinglist様のおっしゃる

>作家がホラをふくことはそもそも許されないんでしょうか。面白ければなんだってオッケーだと思うのですが。
>「ワザと間違えた」のではなく、単に嘘をついたのでしょう。

という意図で書かれている本といえば、乱調文学大辞典の大デュマでまんまとやらかした実績のある筒井康隆による、
事実とホラを隔てる境界のあやふやさが心地よい短文が箇条書きにされている「天狗の落とし文」が近いのではないかと思いますが、
こういう「わかってやってる」のコンセンサスを巷間から得られているのは、
その前に圧倒的な知性とナンセンスの才能を知らしめる仕事(いわゆる『カレったら真面目にやっても凄いのよ』です)を質、量共に発表していることが大前提です。

実際に筒井は上記の本に「事実かどうかわからない怪しげさを楽しむのダ」などという自分が発表する文章に対するツッコミ避けのような無様な前書きなど書いていませんが、誰も検証しようとなどしていません。
(お陰で武蔵坊弁慶のエピソードを信じかけました。というか未だに『もしかしてコレホント? ねえ、ホントの話なの?』と考え続けています)

しかし唐沢にそのような実績があったかは大いに首をかしげるところですし、
「お前誰やねん?」状態でいきなりそのような考えを読者に押しつけるのは何かイッセー前説事件を彷彿とさせるものがありますね。

比較的評価されている唐沢商会名義の作品群も、兄抜きの単独仕事でも漫画のネームや「怪獣王」(山本会長も『デスモスチルスの上顎骨!』と大喜び)で
その文章を使った遊び心と深い知識力が如何なく発揮されている弟なをきの才能に依る部分が多いのではないかと私には思えます。
(実際、共著作品内でのなをきは、兄の発言やテキストに『なんじゃそりゃ』『ウッソで~』と突っ込んだり、『……まあねえ』とスカしたり、しかめっ面で何か言いたげにしている画が目につきます)

なんというか、よそのコメント欄にあった「あたかもシャーロック・ホームズが犯人になりきって現場を再現するかのように」を実際にやるとmailinglist様のご発言のようになるのかなあと思いました。
だお |  2009年09月27日(日) 12:15 |  URL |  【コメント編集】

ロジャー・ベーコンやフランシス・ベーコン(16世紀)以外にも、著名なベーコンは幾人かいるようですが(http://ja.wikipedia.org/wiki/ベーコン_(姓))、唐沢は両者すら知らない読者をひっかけようとした可能性もある、と思ったわけです。『倫敦』や『雑学コレクション』を目の前にして、なぜわざわざロジャーなどと書くのかの理由のひとつとして十分考えられる。ロジャーの写真をなをき氏に提示して唐沢俊一が作画を指示したすれば「犯意」は明らかだったでしょうが、どうも、そういうこともないみたい。

ヒゲの他に、帽子というのもありますね>フランシス・ベーコンの記号

>または唐沢俊一の妄想_も_混じっていると仮定

もちろんそれはあると思います。唐沢について考える時は、仮定どころか前提でしょう。『倫敦』と『雑学コレクション』の両者を「参考」にしていることは、これ以上争う必要を感じません。

>詐欺師にでもなるのが、もっとよい

詐欺師だと、無名性に甘んじなければならないですから、まあ作家という詐欺師のコースもあっていいのではないかと。

>意図的な嘘で、
>ワザと間違いを混ぜていたという証明の方をしなければいけないでしょう。

サドにおける佐藤晴夫のように、だれかに『雑学コレクション』直訳完全版を出してもらいたいですね(他力本願)。

なにも星新一がでたらめを混入して無知な読者を翻弄しようとしたなどとは思いませんが、「こちらのほうが読者の理解がいい」と判断して潤色したくらいのことはありえると思います。そもそも翻訳で内容を間引くことは日本の翻訳の慣行らしいのに、わざわざ読者に「内容的にまちがっていることはない」と伝えるのが、なにか不思議なのですが。「唐沢型」にしても「星型」にしても、どちらにしろ原著者を裏切っていることにはかわりない(よく翻訳本のあとがきに「著者の了解を得て省略した」などと書いてありますね)。現に、アシモフが記述しているレオンティウスの意図を、星は伏せてしまっている(星好みでなかったから?)。

>誰それはこのようなことをいっているということを、
>前書きや後書きにもってくるのは、
>雑学本の形式では一般的ではありません

唐沢のテーマには「面白いのは、単に雑学本であるということではなくて」というのがありますから(『世界』や『逆襲』は、だから普通の雑学本ではないわけです、唐沢の主観では)、それに関して権威の箔つけをしてみたかっただけなのではないでしょうか。出典を示さないかぎり誰の発言も嘘だと構えていればいいようなものだと思いますがね。でなければ、どれも「国会で青島幸男がそういった(そう決めた)」の類でしょう。
mailinglist |  2009年09月27日(日) 10:01 |  URL |  【コメント編集】

レスし忘れ。

>mailinglist さん
>ところで『怪体新書』の「ベーコン」の絵って、どんなでしたっけ? 
>『怪体新書』は十年以上前に読んだきりなので思い出せない。たしか
>フランシスのに似せてた印象があるが。もし、ロジャーの絵柄だったら
>(修道僧)、唐沢俊一はなをき氏にロジャーの絵柄で指示を出したこと
>になるから「わかってやってる説」に一歩近づくのですが…。

どうして「ロジャーの絵柄で指示を出した」ら、「『わかってやってる説』に一歩近づく」ことになるのかは、すみません、理解に苦しむばかりなんですが。

絵のベーコンは、修道僧ではないです。かと言ってフランシス・ベーコンにもそんなに似ていません。Wikipedia に載っている画像のようにヒゲを生やしてもいませんし。描き文字で「いーかげん」とあるので、なをき氏に特に指示を出していないか、いい加減に描いておけばよいと指示を出したかのどちらかでしょう。

トンデモない一行知識 |  2009年09月27日(日) 08:19 |  URL |  【コメント編集】

>新さん
http://questforenglish.cocolog-nifty.com/blog/2005/11/post_4fc9.html

ありがとうございます。(_ _)

ブログ主さんのいう「ゼロの発見」というのには、ちょっと引っかかりました。発見というより発明では。ゼロの概念の発明はインド人で、私たちの表記しているゼロ (0) はアラビア人によるものと聞いた覚えがあるので、「アラビアでゼロ表記が考案」には違和感がないのですが……。"ASIMOV'S CHRONOLOGY OF SCIENCE & DISCOVERY" の "The first important mathematician to make use of this positional notation was an Arab, Muhammad ibn Al-Khwarizmi" でいう Al-Khwarizmi (フワーリズミー) はアラビア人だけど、彼の著作で、「数の十進法表記で 「0」ゼロ を空いている桁に使用することなどが書かれて」いる本が『インドの数の計算法』ということでよいのかしら。

http://ja.wikipedia.org/wiki/フワーリズミー
>『インドの数の計算法』 Kitāb al-Jām'a wa'l-Tafrīq bi'l-Hisāb al-Hindī,
>825年
>チェスターのロバート(あるいはバスのアデレード)によりラテン語名
>『アルゴリトミ・デ・ヌーメロ・インドルム (Algoritmi de numero Indorum)』
>(直訳『インドの数に関して、アル=フワーリズミー』、意訳で『実用算術に
>ついてのアルゴリズムの本』)という題で翻訳され、ヨーロッパで知られた。
>この本には、四則演算、代数方程式の解法、二次方程式、幾何学、三角法、
>数の十進法表記で 「0」ゼロ を空いている桁に使用することなどが書かれて
>いた。
トンデモない一行知識 |  2009年09月27日(日) 08:04 |  URL |  【コメント編集】

11/23の件は以下のURLだと思います。
http://questforenglish.cocolog-nifty.com/blog/2005/11/post_4fc9.html
星新一の訳だと以下のようになっています。
「現在つかわれている十進法は、西暦800年ごろ、インド人によってはじめられた。アラビアでゼロ表記が考案され、それは非常に計算しやすいものとなった。ゼロのないローマ表記では、MXC など、ケタ数がわかりにくい。」
これに対する原文は書かれていませんが、他のアシモフの書いた文章から考えるとこんな間違いをするとは考えられないんで星の誤訳ではないかと疑ってます。
ただブログ主も間違っていて0も十進表記もインドで始まってアラブに伝わりそこでアラビア数字に改良されるんです。アラビア経由でヨーロッパに伝わったんでアラビア数字と呼ばれているんですけどね。
新 |  2009年09月27日(日) 05:39 |  URL |  【コメント編集】

>新さん
リンク先の紹介、ありがとうございます。(_ _)

このブログについては、この部分が気になりました。↓

http://questforenglish.cocolog-nifty.com/blog/2005/12/_2_4070.html
>11月23日に、「アシモフの雑学コレクション(アシモフ著、星新一編訳)」に
>間違いがあるということを書きました。」

「11月23日」の分がうまく見つけられないのですよね、うーん。

http://questforenglish.cocolog-nifty.com/blog/2005/12/_2_4070.html
>この翻訳ではアシモフの凄さが伝わらないのではと心配になります。

結論としての「アシモフの凄さが伝わらないのではと心配」には、そんなに同意できるものではないというのが正直な感想ですが、そのエントリーを書いた動機としては、かなり共感できるものだったり。

トンデモない一行知識 |  2009年09月27日(日) 03:39 |  URL |  【コメント編集】

>mailinglist さん
>やはり唐沢は『倫敦』と『雑学コレクション』の記述をまぜあわせて
>『怪体新書』や『世界』を書いたのだと判断するのが、一番自然だと
>思うのですが。

『アシモフの雑学コレクション』については疑問です。少なくとも、それ以外の本または唐沢俊一の妄想_も_混じっていると仮定しなければ、「肉や野菜」や「近くの農家から買ったニワトリ」の説明がつきません。この 2 つは他の雑学本からかという推測も成り立ちますが、「ロジャー・ベーコン」は……。w 唐沢俊一の雑学の怖さって、うっかり引用するとバカに見える間違いが数多く混入されていることだと思うのですよね。好意的なニュアンスで「バカだねえ」といわれるような種類のバカではなく、マジで頭が足りないんじゃないかと疑われる方向へのバカ。

>ちょっと考えたらわかりますが、小説家は作品で存分に嘘をつけば
>いいだなんて、読者から言われたら、作家はムッとすると思いません?

思いませんし、それでムッとするような作家さんは、いくらでもムッとしていただけばよいとも思いますが。

>騙すことが楽しい人間だけが、作家になればいいのですよ。

詐欺師にでもなるのが、もっとよいと思います。

>本当にアシモフが好色なのだと思いこんでいましたよ。

どちらでもよいです。私の意見は、前のコメントに書いた通り、「自分語りや楽屋オチの噂話等々では別に何とも思いません」。

>ですから、その場合はまず、星が『わが惑星、そは汝のもの』を読んだか
>どうかを確定しなければならないのではないですか。

まずは、「といって、内容的にまちがっていることはない。」が意図的な嘘で、ワザと間違いを混ぜていたという証明の方をしなければいけないでしょう。 また、星新一氏は、解説である「驚く楽しみ」で、「それにもまして驚かされたのは、アシモフの科学解説的エッセーである。知的興奮とは、こういうのをいうのだろう。」と書き、「さすが作家。話のきっかけ、逆説的な展開、どれもみごとだ。しかも、内容は高く、」とも書いています。これで (ミスによるものならともかく) 意図的にいい加減なガセ混入したとしたら、十分許し難い所業です。しつこいようですが、そんなものはほぼありえない、単なる仮定の話でしかないと思っていますが。

>それに一行知識さんに人としての道を勝手に決められても困ります。

何をおっしゃりたいのかよくわかりませんが、私は自分のブログの本文およびコメント欄では、人としての道について、自分の意見を自由勝手にいったりしていたし、これからもそうするつもりですが。

>まあ、どんな本だって、これと大同小異なのではないですかね。

どれが引用元、パクリ元かというにあたって、大切なのは「小異」だと思います。
また、「アイザック・アシモフ博士は、自身ものした一行知識の本の中でこう言っている。『「人間は、無用な知識の数が増えることで快感を感じることのできる、唯一の動物である』」のような、誰それはこのようなことをいっているということを、前書きや後書きにもってくるのは、雑学本の形式では一般的ではありません。しかもそれが嘘だったというのは、かなり珍しい部類かと。
トンデモない一行知識 |  2009年09月27日(日) 03:25 |  URL |  【コメント編集】

アシモフの雑学コレクションは、ガセを追加したのではなくて、
省略しすぎという批判ならあります。(省略したおかげでもとの面白さ
が伝わらないじゃないかと)
ただこれは出版する本の分量が決められていたとか、出版事情が優先
されたせいじゃないかと思います。
星新一さんが意図して変に嘘をまぜるとは思えませんよね。

原文と訳の対比で批判しているサイト
http://questforenglish.cocolog-nifty.com/blog/2005/12/_2_4070.html
新 |  2009年09月27日(日) 01:35 |  URL |  【コメント編集】

『倫敦千夜一夜』を、『怪体新書』と『トンデモ一行知識の世界』のあいだに刊行されたものだという勝手な思い込みにとらわれていました。すみません。1987年に出された本なのですね。

とすると、やはり唐沢は『倫敦』と『雑学コレクション』の記述をまぜあわせて『怪体新書』や『世界』を書いたのだと判断するのが、一番自然だと思うのですが。

ところで『怪体新書』の「ベーコン」の絵って、どんなでしたっけ? 『怪体新書』は十年以上前に読んだきりなので思い出せない。たしかフランシスのに似せてた印象があるが。もし、ロジャーの絵柄だったら(修道僧)、唐沢俊一はなをき氏にロジャーの絵柄で指示を出したことになるから「わかってやってる説」に一歩近づくのですが…。

ムダ知識への愛好については、雑学本のまえがきの定番なのかと、調べもせずに漠然と思っていました。

たまたま参考に安く買った『雑学全書 天下無敵のウケネタ1000発』という本をいま眺めているのですが(光文社知恵の森文庫)、この本は初版1刷が2000年7月15日発行だそうで(『世界』より後で、「トリビアの泉」放送前の発行)、この本の前書き(「はじめに」)には

>人間が”知りたがる動物”であることは、子供が「なぜ、夕日は赤いの?」
>と問うことからでもおわかりのとおり。

とか

>フトわいた疑問。その答えは、昔なら”人類の大発見””世紀の大発明”
>といわれることもあったが、現在ではたいてい”雑学”といわれる。
>べつにそのことを知っているからといって、大いばりできる知識ではない。

などと書いてあります(トリビア放送以前に『世界』にめざとく気づいてパクったのだという解釈も可能です)。まあ、どんな本だって、これと大同小異なのではないですかね。

>それをやっちゃダメです。SF 作家としても、人としても。

ですから、その場合はまず、星が『わが惑星、そは汝のもの』を読んだかどうかを確定しなければならないのではないですか。それに一行知識さんに人としての道を勝手に決められても困ります。唐沢が妙に星新一になついているのは、親類から過大な負債を背負わされたことも理由にあるかもしれませんね(これも嘘だったりして…)。

ちょっと考えたらわかりますが、小説家は作品で存分に嘘をつけばいいだなんて、読者から言われたら、作家はムッとすると思いません? だってそんなの嘘じゃないではないですか。騙すことが楽しい人間だけが、作家になればいいのですよ。

クイズの答え:アシモフとラッセルの共通点は、「好色」。

しかし、いま確認したら、アシモフの好色は受け狙いのための「ツクリ、ヤラセ」らしい。私は『素粒子のモンスター』の記述を真に受けて、本当にアシモフが好色なのだと思いこんでいましたよ。私はアシモフに騙されたんだ!(笑)
mailinglist |  2009年09月27日(日) 01:30 |  URL |  【コメント編集】

>ラッセルは誰でも思うことをことさらに言ったにすぎない

うーん、しかし、ラッセルの以外に、これぞというのが見つからなかったんですよね。「嘘つきは記憶力がよくなければいけない」のように、いろんな人がいっているという類いのものではなくて。

http://www.answers.com/topic/a-liar-ought-to-have-a-good-memory

まあ「嘘つきは……」は、ことわざに分類されているものだから、いっしょにするのは少しアレかもしれませんが。とにかく、無用な知識うんぬんの方は、もしもラッセル以外に、同じだけ似ている感じでいっていた人がいれば、その人の方にもこだわらせていただきますが。星新一の後書きあたりだと、表面的な言い回しも違うし、意味も違うのでボツと判断しますが。

ラッセルとアシモフの共通点については、すみません、わかりませんし、どうでもよいです。ついでに言えば、クイズとかそんな好きじゃないし、あえてクイズ形式にしなかったところが『トリビアの泉』のよいところと思っています。

>一行知識さんには、なにか作家に対する過大な理想があるのではないでしょうか。

あります。もともと過大な理想があったわけではなく、アイザック・アシモフというスゴい人がいたおかげで。

私は星新一氏も好きだし尊敬していますが、もしも氏が『アシモフの雑学コレクション』で、話を面白くするための嘘を混ぜたとしたら (ありえない仮定と思っていますが)、激怒して絶対に氏を許さないでしょう。

他ではいくら嘘をついてくれてもよいのです。小説の中で面白い嘘をつくことについては言わずもがなだし、自分語りや楽屋オチの噂話等々では別に何とも思いません。すぐれたお話をつくりだし上手に語ることのできる星新一の脚色ならば、唐沢俊一なんかのそれとは違い、本当に事実より面白くなっている嘘の可能性が高いでしょう。

しかし、「親父にできたこと、実際にやったことは、私に(また私の兄弟に)ものを知る楽しさと、それが絶対に失われるおそれのないように、確実に深く人に伝えることの
喜びとを植えつけることだった」 (http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-237.html) と語る、そのアシモフの作品の翻訳で、それをやっちゃダメです。SF 作家としても、人としても。嘘のお話などいくらでも自作の小説などで自由に発表できる――この点が唐沢俊一や、件の NHK ディレクターなどとは決定的に違う――星新一が、そんなセコいことをする理由はないし、私は氏の「といって、内容的にまちがっていることはない。」を信じますが。


>『怪体新書』の記述には『倫敦千夜一夜』にはない「近くの農家から買った」
>なんて記述があったり、

『アシモフの雑学コレクション』 P.309 ~ P.310
> エリザベス女王時代の、科学に理解のあった哲学者、フランシス・ベーコンは、
>食料の保存法を研究した。鶏肉は、なかに雪を詰めたらいいと、試みている
>うちにかぜをひき、それがもとで死んだ。

『怪体新書』 P,67
>彼はとある厳冬のさなか馬車の中から眺めた降り積もる雪景色を見ている
>うちこの雪で肉や野菜の腐敗を防止できるのではないかと考えた「冷凍保存
>の元祖である」彼はさっそく馬車を降り、近くの農家から買ったニワトリの腹を
>裂き、雪を詰めこんだ「厳冬のさなかのこの作業のせいで彼はカゼをひき、
>それがモトで死んだという」

『怪体新書』 P,67 の「肉や野菜」や「近くの農家から買ったニワトリ」は、『アシモフの雑学コレクション』にもないのですが。馬車に乗っていたのを降りてうんぬんというのは、『アシモフの雑学コレクション』にはなくて、『倫敦千夜一夜』の方にある記述だったりします。

http://tondemonai2.web.fc2.com/322.html にも引用してありますが:

『倫敦千夜一夜』 P.172 ~ P.174
>エリザベス朝の哲学者フランシス・ベーコン卿はその昔にこの地に建って
>いた教会で洗礼を受けた。その六十五年後のある朝、彼は馬車でハイゲイト
>を走りながら、死後どうやって肉体を保存するかという課題を考えて続けて
>いた。その時、ポンド・スクウェアで鶏が眼にとまった。彼は馬車から
>降りてその首をひねり、死体に雪を詰めた。実験は成功したが、おかげで
>ベーコンはひどい風邪をひき、翌月に死んでしまった。もしポンド・スク
>ウェアに幽霊が出るということにでもなれば、それは彼の幽霊だろうと
>思われるのだが、出るのは鶏であった。大きくて白い、羽毛の抜けた姿で
>一羽だけ、たびたび現れるのであった。時には木の枝に止まっていたり、
>またある時は、こっこ、こっこと鳴きながら、狂ったように翼をばたばた
>させて、ぐるぐる輪をかいて走り回っていた。近年は現れることは稀に
>なり、現れても前ほどはっきり見えなくなった。なにしろ三百年もたって、
>気の毒な鳥の怒りもそろそろおさまりはじめたのかもしれぬ。

http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20090226 で指摘のあった「ロジャー・ベーコン」 (『怪体新書』 P,66) というのは、他の人に書いた本のない唐沢俊一のオリジナルということだけは確かってのが、一番情けないですわね。
トンデモない一行知識 |  2009年09月27日(日) 00:53 |  URL |  【コメント編集】

一行知識さんには、なにか作家に対する過大な理想があるのではないでしょうか。もし星新一や唐沢俊一が嘘つきだったとしても、私はべつに非難しようとも思わないし、それこそが作家業の楽しみだろうねというくらいにしか思いませんが。

ムダな知識が人を楽しませる、だなんて誰でも思うことじゃないでしょうか。一行知識さんがラッセルにこだわる理由がわかりません。私にいわせればラッセルは誰でも思うことをことさらに言ったにすぎない(ラッセルとアシモフはそういえば共通点がありますね。クイズです)。

>「正式名称」だの、「正しくは」だのという類いのネタを多用しています。
>んで、それが正しくも何ともない

だから、そういう嘘をついている、というだけなんじゃないですか。もちろん、それを検証してくれるのはありがたいです。

鮎川哲也の話をしたりするのは(http://moura.jp/liter/toukouran/035/index.html)、単にそういうことを仄めかしているんじゃないでしょうかね。

パンダの学名だって、ようするにハナモゲラ語として適当に改変しているのでしょう(唐沢は、どの学者に引用の許可をとればいいのか分からないんですよ、きっと)。

http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20090226
『怪体新書』の記述には『倫敦千夜一夜』にはない「近くの農家から買った」なんて記述があったり、なにより「食料の保存法を研究した」という記述が『雑学コレクション』にはあるんですが。(「この雪で肉や野菜の腐敗を防止できるのではないかと考えた「冷凍保存の元祖である」」『怪体新書』)
『倫敦』だと、ここは「死後の肉体保存」ですよね。
『トンデモ一行知識の世界』には「ボンド・スクウェア」とあるから『倫敦』から「引用(許可をとるのが面倒くさかったので、例によって改変して)」したのでしょうが。
唐沢は『世界』の文章を、「アシモフの言ってることと違うなあ…」と首をひねりながら書いたのではないでしょうか。
mailinglist |  2009年09月26日(土) 21:36 |  URL |  【コメント編集】

>勝手に読者のレベルを想定してなにかをやってしまうあたり唐沢俊一を
>連想しないでもない。

お願いだから、読者に何の断りもなく「なにかをやってしまう」唐沢俊一と星新一とを、いっしょにするのだけはやめてください。また、直訳でない文章を、「といって、内容的にまちがっていることはない。」と自信をもって宣言することなど唐沢俊一ができるはずもなく。日本語の文章でさえ間違って要約するのが日常茶飯事だわ、高等教育を受けた人とは思えない非常識な間違いを多数やらかすわの、類い稀なるトンデモ物件であるのが、唐沢俊一の面白いところなんですから。

>唐沢だって人からパクることもあれば、適当に自分で考えたデマを
>飛ばすことだってあるでしょう。

この件に関しては、「人からパク」ったってことはあっても、唐沢俊一がいちから「適当に自分で考えたデマ」という可能性はないと思います。唐沢俊一が意図的に飛ばしたデマとしても、それは "There is much pleasure to be gained from useless knowledge." をいったバートランド・ラッセルのパクリが込みであって。パクリでない偶然の一致にしては似過ぎていますし。

>作家がホラをふくことはそもそも許されないんでしょうか。面白ければ
>なんだってオッケーだと思うのですが。

そもそも唐沢俊一は作家と呼んでいいもんなんでしょうか、アレは。

参考:
http://www.pot.co.jp/matsukuro/20090914_215744493914176.html

それに「作家がホラをふくことは」とか、「面白ければなんだってオッケー」とかは、唐沢俊一が自画自賛めいた文脈でいう、面白い切り口でネタを話すのが大切だの、雑学は怪し気なのが魅力だのというのに惑わされているのではないでしょうか。唐沢俊一の数々のガセのほとんどには、その手の擁護は適用できません。

たとえば、パンダの学名アイルロポーダ・メラノレウカを「エイルロポータ・メラルウクス」としているのは、話を面白くするためのホラとは考えられません。唐沢俊一はトンデモさんという視点で見れば、ある意味面白いネタにしかなっていません。

- http://tondemonai2.web.fc2.com/17.html

それと、唐沢俊一自身、「正式名称」だの、「正しくは」だのという類いのネタを多用しています。んで、それが正しくも何ともないというオチなのが唐沢俊一。

- http://tondemonai2.web.fc2.com/92.html
- http://tondemonai2.web.fc2.com/312.html

>ベーコンが雪のせいで死んだ話

これは、『アシモフの雑学コレクション』を読んでいなくとも、『倫敦千夜一夜』などからひけばオッケーです。実際、唐沢俊一は、『トンデモ一行知識の世界』で、『倫敦千夜一夜』に載っているエピソードとしてこれを紹介しています。まあ、唐沢俊一らしく、無惨な劣化コピーの文章ですが。

- http://tondemonai2.web.fc2.com/322.html
トンデモない一行知識 |  2009年09月26日(土) 20:19 |  URL |  【コメント編集】

「星新一の文意の乱れについての指摘」は私の誤読でした。気がついて冷や汗がでました。たしかに「内容的にまちがっていることはない」というのは星自身の編訳の方針についての断りでした。

ただし、そうすると「しかし、読んで面白いことが先決だ。」というのは、一般読者は「そんなふうに好奇心がふくら」まないと星は思っていたことになってしまいますが…。勝手に読者のレベルを想定してなにかをやってしまうあたり唐沢俊一を連想しないでもない。

それにしても、一行知識さんがパクリ元にこだわって、現時点でかつてホントに存在したかもわからない「パクリ元」氏のことをいろいろ想像するのが、私などには不思議です。唐沢だって人からパクることもあれば、適当に自分で考えたデマを飛ばすことだってあるでしょう。

作家がホラをふくことはそもそも許されないんでしょうか。面白ければなんだってオッケーだと思うのですが。「ワザと間違えた」のではなく、単に嘘をついたのでしょう。『逆襲』の「どうか、この本の読者の皆さんも、一行知識を収集したら、その知識は胸の奥にしまい」云々というのも、そもそも「嘘だよ~ん」て意味なのではないかと。『逆襲』の一行知識に「信用度」を付加したのも、そういう意味のフォローなのではないかと(小便少女(唐沢の表現だと「小便小娘」)の信用度は100%とある。トリビアの泉番組スタッフもこの「信用度」を参考にしたのではないでしょうか)。

唐沢が『アシモフの雑学コレクション』を読んでしかしなにも頭に残らなかったという説は疑問です。ベーコンが雪のせいで死んだ話は「驚く楽しみ」の前の前のページにあります。唐沢の持ちネタでしょう。
mailinglist |  2009年09月26日(土) 18:53 |  URL |  【コメント編集】

>mailinglist さん
私は、おっしゃる三択のどれもナシだと思っています。誰か "There is much pleasure to be gained from useless knowledge." をアシモフの言葉として間違えて紹介した人がいて、唐沢俊一はそれを確認もしないでコピペしただけだろうと。

本文では、そのネタ元の人のネタ元は『わが惑星、そは汝のもの』あたりかなあ……と推測のうえ書いています。知識を得る喜びについては、アシモフは他でも書いていたりしそうですが。『アシモフの雑学コレクション』の星新一の後書きをひいてくる必要もないでしょう。唐沢俊一のネタ元の人まで、唐沢俊一並みの誤読の天才だったと仮定するなら別ですが。

……と、ここまで書いて思ったのですが、唐沢俊一のネタ元の人は実は正しいことを書いていて、バートランド・ラッセルの言葉をアシモフの言葉としたのは、唐沢俊一の間違いという可能性もありますわね。何しろ、バイブレーターの人ですから。

http://tondemonai2.web.fc2.com/236.html


>『わが惑星、そは汝のもの』を読んだ可能性はたぶんゼロ…。

あうううう。いや、何しろ唐沢俊一のことなので否定できないのですが、そう書かれているものを読んで、ある種のショックを受けてしまう自分に、何を今さらそんなことで驚いているんだと突っ込みを入れたくなったり。……って、意味不明な文章ですみません。

『わが惑星、そは汝のもの』と『アシモフの雑学コレクション』は、と学会会員であり、一時期は SF 大会の常連だった唐沢俊一が、「読んだ可能性はたぶんゼロ」といえるような本ではないんです。本来だったら……。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-210.html

アシモフがヴェリコフスキーの『衝突する宇宙』を批判したのが、『わが惑星、そは汝のもの』であり、そこでアシモフはこんなことを書いています。

>(親愛なる読者諸君、科学の発見の中から選り好みをし、私の尊大な
>気まぐれのままに、あるいは受け入れ、あるいは捨てる自由を認めて
>もらえるなら、諸君が証明したいことを何でも証明してお目にかけよう)

疑似科学の話になると引用されることの多い文章で、山本弘会長も確かどこかで使っていたと思うのですが、まあ唐沢俊一の場合、もともとそっち方面の話題をあまり出さない人でしたから。

で、今思い起こすと、SF の話をあまりしない唐沢俊一と思っていたけど、「トリビアの泉」でアシモフを宣伝してくれるとは、何かうれしいと好感をもっていた時期もありました。その頃だったら、『わが惑星、そは汝のもの』や『アシモフの雑学コレクション』を唐沢俊一が読んでいないなどといわれたら、それはないと一笑にふしていたでしょう。

今は……2 冊とも読んでいないんじゃないの、いや読んでいたとしても頭に何も残っていないんじゃないのと思ったりしています。『アシモフの雑学コレクション』からの丸パクリがないのは、と学会会員や SF ファンにバレバレになるから避けたのだろうと思っていましたが、そもそも唐沢俊一はこの本を読んでないという可能性も捨て難いというか。


ええと、そして蛇足ですが、「星の文章は、推敲しすぎて文意が一意にとれない」ってことはないんじゃないかと。文末のアレは、「読んで面白いことが先決だ。だから、文章は直訳ではない。」が、「といって、内容的にまちがっていることはない。」、なぜなら、「私も農芸科学科を卒業し、大学院にも二年ほどかよったし、小説も書いてきた。」という話であって。「ただ、アシモフ博士ほどエネルギッシュでないだけ」というのは、何しろ相手が「さらに、アシモフは歴史の本も書いていると知って、驚いた。ギリシャ文明、聖書、暗黒時代、イギリス史など、何冊もある。もちろん、科学関係、SFの著作が多いが、最近、二百冊目の本を出し、さらに出版点数をふやしつづけている」のアシモフですから、ということで。


>>基本的な重大ごと……何だろう?「トリビア」のスペルが間違っているとか?
> >http://homepage1.nifty.com/SiteK4/tnikki.htm

>案外このアシモフの件なのかもしれません(確信度30%)。

これも、もう唐沢俊一のことだから、ありえないとは言いきれないですが。この件だとしたら、ガセビアの元になったお前が笑っている場合ではないだろと思います。可能性はうすいですが、ワザと間違えたとしたら、なおさら。

トンデモない一行知識 |  2009年09月26日(土) 12:36 |  URL |  【コメント編集】

>実は今日、あの番組に関する基本的重大事で、笑ってしまうようなことを発見。
>その話で談之助さんと二人、イヒヒ、と人の悪い笑みを浮かべる。
>http://www.tobunken.com/diary/diary20030904000000.html

>基本的な重大ごと……何だろう?「トリビア」のスペルが間違っているとか?
>http://homepage1.nifty.com/SiteK4/tnikki.htm

案外このアシモフの件なのかもしれません(確信度30%)。

アマゾンで注文した『逆襲』が今日届いていま眺めてますが(『博覧強記の仕事術』のメッセージがまえがきの冒頭2行で要約されている!) 星新一追悼なんてあったりして(一部『新・UFO入門』に流用している)、もしかしたらわかってやっていたのかも知れませんね。
mailinglist |  2009年09月26日(土) 03:04 |  URL |  【コメント編集】

確認が遅くていまごろコメントさせていただきます。

絶対にこれだ!と主張する気もありません。
とはいえ、唐沢が読んだ本が文脈上『雑学コレクション』しかないであろうこと、
人名を挙げる時には、唐沢はだいたいタネを必要としていること、などから
・まったくソラで唐沢がゼロから思いついたウソ(50%)
・星のあとがきをアシモフの発言と誤解+自分の主張に添うようにねじ曲げ(40%)
・実は唐沢だけが知っているアシモフの文章が実際に存在する(10%)
の三択だと思うのですが。『わが惑星、そは汝のもの』を読んだ可能性はたぶんゼロ…。

あと、星の文章は、推敲しすぎて文意が一意にとれないことがしばしばあります。
「驚く楽しみ」の末尾近く「といって、内容的にまちがっていることはない。私も農芸化学科を卒業し、大学院にも二年ほどかよったし、小説も書いてきた。ただ、アシモフ博士ほどエネルギッシュでないだけだ」とあります。
私(星)は、大学教育を受けて、著述業のキャリアを積んでいるから、アシモフの知識を保証する、という流れのはずなのに、いきなり照れて謙遜しはじめるので文意が乱れています。
「科学や歴史への抵抗感が薄れれば、それもけっこうなこと」というのも、そのパラグラフ冒頭の文章の主題である「娯楽のひとつの形式といえよう」という意見とは対立的なものです。娯楽と言い切るだけだとあまりにもそっけないので、付け足したのかもしれません。

mailinglist |  2009年09月26日(土) 02:10 |  URL |  【コメント編集】

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