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2009.08.30 (Sun)

唐沢俊一先生、その病、直っていません

以下に引用するのは、Web Archive に残っていたバトルウォッチャーの記事。そこで、
「『新世紀エヴァンゲリオン』キャラコン」のための「自動アンケート」での、唐沢俊一の
「師匠と弟子」についてのやり取りがあったという話。

http://web.archive.org/web/20040213204001/homepage3.nifty.com/BWP_XP/nonframe/store_t/200002/index.html

今さらエヴァ 2000/02/26
自動アンケート作成に今さら「新世紀エヴァンゲリオン」キャラコンの箱が
つくられる。 それはいいのだが、どうしたワケかエヴァのキャラコンなのに
[東浩紀][竹熊健太郎][伊藤(削除)剛][唐沢俊一]の名が。そのなかでも
[唐沢俊一]項で「師匠と弟子」について論議が始まり、

「唐沢自身の「師匠」って、誰?」
「どうしてそれが知りたいのですか?」
「師匠ではないが、イッセー尾形氏にはまってた」
「あそこでのイッセー尾形に対する唐沢氏の態度って、単なる厚かましいファン以外のなにものでもないでしょ?」
「唐沢はイッセー尾形が自分を受け入れてくれるだろうという勝手な期待をし、伊藤
剛には自分の言うことを全部聞いてくれるだろうという勝手な期待をし、結局「裏切られた」と思い込んで関係が破綻。」
「あの日記の書き方の余裕のなさから考えると、伊藤裁判の手前、精一杯過去を克服しようとしてかえってドツボにはまっている気がする。」
「鏡花になれなかった芋之介=唐沢さん?」


どうも唐沢氏のHPの裏モノ日記に基づいて悪口が書かれているらしい。
BWPの唐沢氏の証言では単独犯行説をあげるものの「私にゃ敵が多い
んで、だれだかさっぱりわかんねえや。」とのこと。

なお、津原泰水:aquapolis掲示板でも怨みを持つ人物が現れ

>オタアミの例の人が土曜日に神保町に出現すると聞いたとたん、殴りにいこうかと思
>いました。
02月25日(金)22時40分23秒 の発言より


ふむ


上でいわれている「伊藤裁判」については、「そんな愛なんていらないというのを許さ
ない人たちもいる
」のエントリーを参照のこと。「鏡花になれなかった芋之介=唐沢さん?」
は、「芸ごとだかゲイごろだか洗脳セミナーだかわかったもんじゃないが……」の件か。

この時点でのバトルウォッチャーの人は唐沢サイドに立っているので、「悪口」と表現
しているのだろうけど、こちらから見ると割と普通の噂話。

そして、「あそこでのイッセー尾形に対する唐沢氏の態度って、単なる厚かましいファン
以外のなにものでもないでしょ?」 「唐沢はイッセー尾形が自分を受け入れてくれるだろ
うという勝手な期待をし、〈略〉」あたりのイッセー尾形関係には、唐沢俊一まとめwiki に
以下のような記述がある。

http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/27.html
>1 唐沢がイッセー尾形に一方的に惚れ込み、 舞台の批判や感想を書いた手紙など
>  を送りまくる。
>2 イッセー尾形に名前を覚えられ、楽屋に出入りするようになる。
>3 ある日、舞台の前説を任されたのだが、そこで客を見下したような発言をして顰蹙
>  を買う。
>4 その件でイッセー尾形は唐沢を責めなかったが、心中では苦りきっていた(と、
>  唐沢は思い込んだ)。
>5 唐沢は「俺はあんたの素晴らしさを無知蒙昧な客どもに判らせてやろうとしたんだ!
>  なんで、それを理解してくれねえんだよ!」と憤り、悔し泣きしながらイッセー尾形
>  のもとを去る。
> ……というような経緯がいつぞやの裏モノ日記に書かれていた。
> 唐沢はそれを自分と伊藤剛との件になぞらえていたね。一応、自分に非があると自
>覚していたらしい。


じゃあ、ということで、自動アンケートや、上記のまとめwiki の記述がベースにしている
「裏モノ日記」に何がどう書かれていたか、見てみるテスト。

裏モノ日記 1999年 11月 27日(土曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary19991127000000.html

 私も一年ほど前、渋谷でイッセー尾形の一行に偶然会って、“いま何して
んの”と言われたことがある。同じ出版社の文庫に並んで著作が入っている
ではないか、お前のより売れてるぞ、と怒鳴ってやろうかと思ったものである。


「同じ出版社の文庫に並んで著作が入っている」と、「“いま何してんの”」と聞いたら
いけないものか、「お前のより売れてるぞ」って、ソースはあるのか、それとも唐沢俊一
の担当者は、イッセー尾形の本は唐沢俊一の本より売れていないとかいう情報を流す
イヤな奴なのか、「怒鳴ってやろうか」は穏やかでないなあとか、いろいろ考えさせら
れる。

この日記を書いてから 1 ヵ月と半分が過ぎた頃に、渋谷ジャンジャンの閉鎖に刺激され
たか、唐沢俊一は、自分とイッセー尾形についての長文の日記をアップする。

以下が、2000 年の 1 月 8 日と 1 月 10 日の日記。「唐沢俊一検証blog」の 「屈折
した星屑の栄光と挫折。
」には、本になった『裏モノ日記』からの引用と考察がある。

http://web.archive.org/web/20030425120658/www.tobunken.com/olddiary/old2000_01.html

8日(土) 異端として
〈略〉
 二十歳のときから通っていたジアンジアン、今年で閉館。これがたぶん、
最後の入場になるだろう・・・・・・たぶん。3月のイッセー尾形の公演は、いま
迷っているところなんだが、おそらく、いかない。イッセーと私の間にはいろん
なことがありすぎて、行って観ていたら感情がどう噴出するか、ちょっと怖い。
マストアドミット、この日もハネ後、ふと二十年間見慣れた黒い壁と照明器具
を見ていたら、ああいう会にもかかわらず(なんだそりゃ)、胸のあたりがモヤ
モヤッとしてきてアセった。

 当時二十歳の私はこの黒い壁に寄りかかって、イッセーの一人芝居を観
て、大感動し、俺のつくべき人はこの人だと勝手に決め込み、スタッフにして
くれと毎回々々、長文の手紙を書き、それが面白いと少しばかり認められて
楽屋にお出入り自由の身になると、今度はべったりと甘え、自分のみじめな
境遇を訴え、俺の才能を認めろとせまり続け、結局思いばかりがカラ回りし
て、自分勝手に俺は見捨てられたと思い込んで悪態をつくだけついた末に、
去っていった。マスコミでどんどん売れっ子になっていったイッセーに、最近
のあなたの芸は俗化している、もっとファンをつき話せ、先鋭化しろ、ファン
に尽くすのではなくファンがあなたに尽くすのが正しい姿だ、と言い続けた。
俺とファンのどちらを大事にするか、と迫っていたようなものである。当然す
ぎることだがイッセーはファンの方ををとって、私は落胆し、裏切られたと歯
がみし、もう俺の人生は終わった、と自暴自棄になった。・・・・・・書いていて、
何だ、このどうしようもないバカは、と呆れる。この文章を書いている最中にも
“ウワッ”と思わず恥ずかしさに叫んでしまい、K子がどうかしたのか、と驚い
て飛んできた。まだまだ、文字にも出来ない思い出が山ほどある。私の一生
の、たぶん最暗黒の面だと思う。

“見苦しくのたうちまわれるのが青春時代の特権だ”などと言うキレイごと
を、私は信じない。あのときの胸の中にあった不安や焦燥、自分を認めぬ
全世界に対する呪詛などというものは、本来、胸の奥底に永遠に封じ込め
ておくべきものだと思う。ただ唯一の救いは、私の場合そういう経験をした
末に、なんとかそのドロドロを克服し、イッセー尾形に対しても心の中で
距離を置いて観ることができるように、自分をケアするだけの理性を心の
すみに残しておいたことだろう。青春の煩悶というのは、下手をすると一生
その亡霊にとりつかれて、廃人のようになってしまったり、挫折感を繰り返
し々々、自虐的に反芻することのみに快感を得る無為な人生を送ることに
なってしまう、重篤な病である。今、なんとかマットウに生きている連中は、
その病にどうにかこうにか打ち勝ってきた、生存競争の生き残りにすぎない
ということを、青春賛美者は忘れているのである。


まあ、「当時二十歳」というのはかなりサバをよんでいて、1958 年生まれの唐沢俊一
が、渋谷ジャンジャンでイッセー尾形の芝居をみていたのは、24 歳の頃のはずだが。

http://www.t1010.jp/html/calender/2004/06/06.htm
>1980年、現在の一人芝居の基となる『バーテンによる12の素顔』を中目黒にある
>地下の劇場で演じる。
>1982年、渋谷ジャンジャンで『イッセー尾形のとまらない生活』を上演し、好評を
>得る。


http://web.archive.org/web/20030425120658/www.tobunken.com/olddiary/old2000_01.html

10日(月) さらにイッセー
〈略〉
鬱状態の日記をつけるのはイヤなものだが、当日よりその前日のイッセー
について書いた部分の記述が何か気恥ずかしい。つけ加えて言えば、イッ
セーと袂を分かった後の虚脱状態から、私は、何かひとつの対象に自己の
自我を完全投影してしまうことの危険性を骨のズイまで染み込ませたような
気がする。……私が東京に出てきた目的のひとつが演劇を観ることであり、
歌舞伎をはじめとして、あらゆる芝居に通いまくった。唐十郎を新宿の今は
高層ビルになってしまっている西口の広場で観、つかこうへいを高田馬場で
観、東京乾電池を渋谷のヤマハビルで観、そのほかテアトル・エコーにも
劇団雲にもシェイクスピア・シアターにも新宿コマ劇場にも通いまくり、果て
は東郷健のホモ芝居まで観に行った。だが、演劇がこれほど好きにもかか
わらず、そういった演劇人の持つ強烈なナルシズムと、劇団人の持つ閉鎖
性にどうしても共感を得ることが出来ない自分に疑問を感じていたことも確
かだった。



 そんなとき、イッセーの舞台に出会ったのである。『お笑いスタ誕』で最初
に彼を知り、演劇人というよりはお笑い芸人として意識していたこともある
ためか、彼の舞台には、他の演劇人がひとしなみに持っていた演劇くささが
感じられなかった。さらに、これはこちらの欲目だったろうか、彼自身がそう
いうところから脱しようとしてあのような芝居を行っているように私の目には
映った。つまり、脱演劇的観点から、イッセーの舞台は観ることが可能だっ
たのだ。若くて青い私にとって、これがいかに魅惑的に思えたか。この舞台
に出会ったのは運命なのだと信じた。……これほど好きなのに私の感性を
受け入れようとしない(と私が勝手にヒガんでいた)演劇という世界に対する
アンビバレンツな感情が、イッセーにハマりこみ、これと同一化することで
解決される。つまり、自分をイッセーの側に立たせれば、私をこばんでいた
旧来の演劇全般を、それをタテに否定することが出来るのである! 私は
イッセーの舞台の感想を毎回、長文の手紙にして書き送った。それが演出
の森田氏の目にとまり、ある日、

「ああ、あなたがカラサワさんか。いつもお手紙、楽しみに読んでます。あな
たの分析がないと、公演が物足りないとイッセーが言うんだよ」

 と声をかけられたときの私の舞い上がりを想像せられよ。



 それから私は木戸御免になり、スタッフまがいのことなどもちょいちょい
するようになった。紀伊国屋公演のパンフにも文章を書いた。“私の”イッ
セーは当時マスコミの寵児となりはじめており、雑誌やテレビなどにどん
どん取り上げられていった。イッセーと自分を同一化している者にとり、彼
が認められることは私が認められることである。うれしくて仕方なかった。
……だが、そのうち、それは不満に変わってくる。世間の馬鹿どもにイッセ
ーの本当のよさがわかってたまるか! という不満が湧いてくるのである。
森卓也はまだよかったが、永六輔あたりが“イッセーの舞台には庶民の
ペーソスがある”などと陳腐なコトバをあちこちに書き付けることに、私は
我慢が出来なかった。すぐ森田事務所に電話して、

「あんな凡庸な批評をなぜ、パンフに載せるのか」

 と苦情を言った。森田さんの奥さんが私をなだめるためか、

「まあ、ああいう人にはイッセーの本質なんか見えないのよ」

 と言ってくれた言葉に、私は満足した。いや、しすぎた。その言葉を拡大
解釈し、“乃公こそイッセーの本質をつかんでいるのだ”と思い込んだのだ。

 私の絶頂は、当時ジアンジアンと並んでイッセーの二大定期公演だった
池袋西武のスタジオ200での舞台に、前説として上がることになったとき
だろう。ついに、私の思うところを馬鹿な大衆の前に述べる時がきた。私の
卓越したイッセー論の前に、いつもアンケートで平凡な感想などを書きつけ
ている連中などは驚愕し、完全にひれ伏すことになるだろう。マスコミも大勢
来ているから、ひょっとして私の論を雑誌に転載したいというところも出てく
るかもしれない。いや、イッセーの公演自体よりも私の前説の方が話題に
なるかもしれないぞ……。妄想は際限なくふくらんだ。



 そして、その結果。私と観客は完全にぶつかった。なんと観客たちは壇上
の私に平伏するどころか、私に野次を飛ばし、引っ込めと叫んだ(ここの
場面、細部に至るまで全て克明に記憶しているが、書き付けるだに全身
の毛穴が開いて冷や汗が噴き出るので、このくらいの描写で止めておく)。
私は落胆したが、だがそれもよし、と思った。先端にいる者が理解されない
のはある意味で当然だ。イッセーさえ、いや、森田氏さえ、私の本意が解っ
てくれればいい……。



 だが、森田氏は私に冷淡だった。観客とケンカするなどもってのほか、
彼らは金を払って来てくれているのだぞと、口にこそしなかったが、表情が
それを語っていた。私は裏切られたと思った。逆上した。イッセーは何も
言わなかったが、言わないこともまた裏切りだった。逆上は長く続かない。
私は落胆し、ドツボにはまり、世の中の全てに対し自信がなくなり、全て
のことが空しく感じられた。そして、私は彼の舞台から遠ざかり、演劇青年
であった自分の青春に、そこでピリオドを打った。



 私の読者なら、このエピソードに、容易にあるもののアナロジーを見いだ
せるだろう。“イッセー”を“エヴァ”に、“演劇人”を“オタク”に……いや、
そういう野暮はやめておこう。ただ、ある種似通った性向を持つ、ある世代
の者にとり、イッセーのような、自分の全人格を投影できるような仕掛けを
持ったアートは、極めて危険きわまりないものなのだ。自己(アイデンティ
ティ)を他のものに投影する場合、次の段階でその投影像を含めて、自己
の内面にもう一度再取り込みする“アウフヘーベン”システムを用意してお
くことがなにより重要なことで、ここをしっかり押さえておかない場合、往々
にして投影された影の世界に行きっぱなしになり、帰ってこられないことに
なりかねないのである。私が生還できたのは単なる幸運に過ぎない。


「歌舞伎をはじめとして」とか、「演劇がこれほど好き」とか、とてもそうは思えない文章
を後年書き散らかしている唐沢俊一なのだが……。

今の歌舞伎も、そんな取り澄ましたものではないと思うが
平凡な文章の中に混じる常識を飛び越えたトンデモな世界?


んで、冒頭の自動アンケートに戻ってみると、そこに書かれていた「あそこでのイッセー
尾形に対する唐沢氏の態度って、単なる厚かましいファン以外のなにものでもないで
しょ?」 というのが、ああ本当にその通りだなあと思える。

「舞台の感想を毎回、長文の手紙にして書き送」るのはよいとしよう (←偉そう)。「演出
の森田氏」の「あなたの分析がないと、公演が物足りないとイッセーが言うんだよ」が、
何か難しそうなファンをあしらうための言葉という可能性に思い至らないのも、しょうが
ないというか、実際本当に評価されていたのかもしれないし。

しかし、「スタッフまがいのことなどもちょいちょいするようになった」といって、「それから
私は木戸御免になり」――と料金を払わないで出入り自由だぞというのは、「単なる厚か
ましいファン」だとしか。ちゃんとしたスタッフではなく、「スタッフまがい」と唐沢俊一も
書いているくらいだもの。

1980 年前後を思い出すと、本来は料金を払うところを、コネを使って割引またはタダで
すませることにやたら情熱を燃やし、成功すると得意になって自慢するタイプっていたよ
なあと、ちょっとイヤな感じ。本当に好きな劇団なら、木戸銭を払うのも応援のうちとは
思わなかったらしい。そのようなセコさは歳をとって経済的に余裕ができたはずの今も
同じで、そのせいで「3人分の料金払ったのはあっしなのに、トホホ。」と快楽亭ブラック
を嘆かせたりするのだろう。
(「モノカキというより落語家、でも落語からも落伍しそうな唐沢俊一先生?」を参照)。

そして「劇団人の持つ閉鎖性にどうしても共感を得ることが出来ない自分」というのは、
イッセー尾形のところ以外の劇団は――唐沢俊一はそこに長文の感想の手紙を送りつ
けたかどうかは定かではないが――何のことはない、唐沢俊一に、「木戸御免になり、
スタッフまがいのことなど」を許してくれなかっただけということかと。

さて、では唐沢俊一のなりたかったのはスタッフだったかというと……確かに 1 月 8 日
の日記には、「スタッフにしてくれと毎回々々、長文の手紙を書き」と書いてある。だが、
「楽屋にお出入り自由の身になる」の「木戸御免」で満足しているようにもみえる。

劇団のスタッフとはどんなものか門外漢にはわからないのでハズしているかもしれない
けど、イッセー尾形が「マスコミの寵児となりはじめ」たことに対して、「世間の馬鹿ども
にイッセーの本当のよさがわかってたまるか! という不満」というのは、通常はスタッフ
がもつものではなく、「単なる厚かましいファン」が抱くものでは。「あんな凡庸な批評を
なぜ、パンフに載せるのか」が、「問題提起」とかではなく「苦情」と表現されているのも、
スタッフという意識をもって参加していた者らしくない。

とにかく、「今度はべったりと甘え、自分のみじめな境遇を訴え、俺の才能を認めろと
せまり続け」たと自ら書く唐沢俊一は、その甲斐あってか、「紀伊国屋公演のパンフにも
文章を書いた」という地位にまで上り詰める (というと、何か大げさだが)。これは 1986
年頃のことと思われ、唐沢俊一は 28 歳。

http://www.t1010.jp/html/calender/2004/06/06.htm
>1986年『イッセー尾形の都市生活カタログ、パート3』で紀伊国屋演劇賞個人賞受賞。

『トンデモ創世記2000』 P.153
>唐沢● 最初に買ったワープロは、「ピコワード」という液晶の十七文字くらいしか表示
>できないやつ。イッセー尾形の事務所にいた頃で、仙台の大学に通っていたんです
>けど、講演があるたびに二ヵ月に一度往復していました。その往復の電車の中で打っ
>ていたら人が寄って来て、「何ですかこれ?」みたいにね。「ワードプロセッサー」って
>言ったら、「はあー」って。「もの書きの方は、変わったものを使いますな」って言われ
>た。プロでも何でもなかったんですけど、プロっぽい顔をしてね。


「ピコワード」は 1984 年の発売だから、上記のエピソードの時点で唐沢俊一は、少なく
とも 26 歳にはなっている。「講演があるたびに二ヵ月に一度往復」なら正式なスタッフ
としての参加も難しそうだし、唐沢俊一自身が「プロでも何でもなかったんですけど、プ
ロっぽい顔してね」ともいっている。20 代後半でこれは少々キツい状況の気がする。

参考 (ピコワードの単文節変換って使うのが大変だったみたい):
- http://zeak.air-nifty.com/main/2006/05/rother_1984_fb95.html
- http://homepage2.nifty.com/maeno-sc/page005.html
- http://blog.goo.ne.jp/shonan-info/e/e2548cf068782b8f0337068bc667694b

20 代後半にもなって、「マスコミも大勢来ているから、ひょっとして私の論を雑誌に転載
したいというところも出てくるかもしれない。いや、イッセーの公演自体よりも私の前説の
方が話題になるかもしれないぞ……。」と妄想をふくらませつつ観客の前に登場という
のは、なかなかスゴいが、これは唐沢俊一が赤裸々に自分の過去を書いたという点を
賞賛すべきかも。どうせなら、「野次を飛ばし、引っ込めと叫んだ」観客の様子も克明に
記してくれればよかったのにとも思うが。

観客の方だって、これは自分たちを楽しませよう笑わせようとしているんだなと思えば、
多少つまらなくとも、たいていは黙って我慢するのではないか。唐沢俊一が、「いつも
アンケートで平凡な感想などを書きつけている連中」が相手という意識で、自分に
「驚愕し、完全にひれ伏すこと」を目指して語るものだから、それが何となく観客にも
通じて、野次と怒号になったのではないかと想像したり。

そして、うわぁ厄介だなあと思うのは、「観客とケンカするなどもってのほか、彼らは金を
払って来てくれているのだぞと、口にこそしなかったが、表情がそれを語っていた」や、
「イッセーは何も言わなかったが、言わないこともまた裏切り」と、唐沢俊一が逆上する
あたり。これって結局、傷ついた唐沢俊一をフォローする、やさしい言葉をかけてくれな
かったというのが、逆上に値する裏切りということか……。落ち込んでいるだろうから、
そっとしとこうというだけではダメ、どこに地雷が埋まっているかわからない、と。

……まあ、大切なのは、過去よりも現在だ。唐沢俊一は、これで、「何かひとつの対象に
自己の自我を完全投影してしまうことの危険性を骨のズイまで染み込ませたような気が
する」と書いているし。

しかし、幸運にも「生還できた」と主張する唐沢俊一のいうのは、「私の読者なら、この
エピソードに、容易にあるもののアナロジーを見いだせるだろう。“イッセー”を“エヴァ”
に、“演劇人”を“オタク”に……」である。

サイコさんまたはエキセントリック中年ミドルエイジからの手紙」のエントリーに引用
したが、『実録!サイコさんからの手紙』 (1998 年) に唐沢俊一の書いた「“酒鬼薔薇”
を “エヴァンゲリオン”に、“あの犯人”を“庵野監督”に、“殺しちゃった”を“作品を作っ
ちゃった”に置き換えてみると」「まるでわざとしたかのようにピッタリと符合することに
気がつくだろう」を、ここでも繰り返しているに過ぎない。

どうした訳か唐沢俊一にとって「新世紀エヴァンゲリオン」にハマる人間は、エヴァと
「自分を同一化している者」で、エヴァが「認められることは私が認められることである。
うれしくて仕方なかった。」と思う一方、「世間の馬鹿どもに」エヴァの「本当のよさがわ
かってたまるか!」、自分こそがエヴァの「本質をつかんでいるのだ」と思う者らしい。
そんなファンが唐沢俊一の脳内以外に存在するかどうかは、はなはだ疑問であるが。

唐沢俊一は、『実録!サイコさんからの手紙』に、以下のようなことも書いている。

『実録!サイコさんからの手紙』 P.106

 なにしろ「キチガイアニメ」という肩書きがアニメファンの間で通り相場に
なったようなアニメである。かぶれてキチガイになるのが何人かは出るで
あろう、とは思ったが、身内から出たショックはやはり大きかった。自分が
育てていた人間が知らぬ間に異形のものになっていた、という、例のあや
しげな精神医学タームで言う“フランケンシュタイン・シンドローム”という
やつだ。


スモールサークルまたは破壊的カルトからの生還」のエントリーにも引用したこれを
改めて読むと、唐沢俊一のいうのとは別の「アナロジー」を見いだすことが可能だ。
つまり、唐沢俊一は唐沢俊一のままで、“イッセー”を“エヴァ”ではなく“伊藤剛”に
置き換えるだけでよい。

そう思えば、「自分が育てていた人間」といったって、もともと別の人間なのに「知らぬ間
に異形のものになっていた」と騒ぐのはなぜだという違和感にも、一応の説明がつくよう
な気が。唐沢俊一は自己同一化癖という「その病にどうにかこうにか打ち勝ってきた」
わけではなく、他人にそれを見るように症状をこじらせてきたということで。これがよくいう
投影ということでよいのかな。

http://ja.wikipedia.org/wiki/投影
>心理学で言う投影(とうえい)とは、自己の悪い面を認めたくないとき、他の人間にその
>面を押し付けてしまうような心の働き。


で、冒頭の自動アンケートを見直すと……的を射ていることが書いてあるなあと感心。

>「唐沢はイッセー尾形が自分を受け入れてくれるだろうという勝手な期待をし、伊藤
>剛には自分の言うことを全部聞いてくれるだろうという勝手な期待をし、結局「裏切ら
>れた」と思い込んで関係が破綻。」
>「あの日記の書き方の余裕のなさから考えると、伊藤裁判の手前、精一杯過去を克
>服しようとしてかえってドツボにはまっている気がする。」


追記: 「尾形イッセー」となっていた箇所を「イッセー尾形」に修正。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1251307113/497 さん、
指摘ありがとうございます。(_ _);

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テーマ : 感想 - ジャンル : 本・雑誌

13:33  |  資料編 (14) +  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

>多くのファンが庵野監督を神格化したとしてもそれとはまた別のことですしね。

エヴァのファンは「庵野監督を神格化」しているというので唐沢俊一が非難していたのなら、是非はともかく話の筋は通るかなと思うのですが、それとは違うようですし……。

http://www.netcity.or.jp/otakuweekly/PRE0.5/TR1.html
から続く一連のコラムを読み返してみたら、竹熊氏は「庵野萌え」を公言しているし、竹熊氏批判の方にそれを使うのはアリかもしれませんけど。

http://www.netcity.or.jp/otakuweekly/PRE0.5/TR4.html
>俺は「これでブームとしてのエヴァは死んだ。でも作品は傑作だ。
>オッケーだ」と。庵野さんがここまで一生懸命やったんだから、
>庵野萌えの俺としてはね。東さんはアスカ萌えだったらしいんだ
>けれども。

うーん、でも、「庵野萌え」と「庵野監督を神格化」は当然違うと思うし、唐沢俊一は常に「エヴァはキチガイアニメ」という感じで、監督やそのファンを非難というのは、あまりやってなかったようにも思うし、結局よくわかりません。@_@

あと、エヴァのファンをつつくのに、よく使われるのは、シンジくんと自分を同一視するのも程々にという論調ですが、この方向では竹熊氏はつつけないはずですし。
トンデモない一行知識 |  2009年08月31日(月) 00:18 |  URL |  【コメント編集】

●あぁ、読み込みが足らなかったようです。

>>太宰治は、もがく様はたっぷり見せてくれるとして、あまり自分はそれを克服したと宣伝するタイプではないと思います。
確かに太宰は死ぬまでもがきつづけましたからねぇ。

「生還した」という自己申告と現実のギャップがまぁ、見てて面白いところですね。


>>特定の作品と「自分を同一化」で、「認められることは私が認められることである」とのスリーカード
たしかにそれは無いでしょうね。
多くのファンが庵野監督を神格化したとしてもそれとはまた別のことですしね。
ある特定の”オタク”の人が
「エヴァの映画化は私の主催した活動が…」って言うのも聞いたこと無いですしね。
mino |  2009年08月30日(日) 22:27 |  URL |  【コメント編集】

>mino さん
太宰治は、もがく様はたっぷり見せてくれるとして、あまり自分はそれを克服したと宣伝するタイプではないと思います。克服したしたと五月蝿い割には、全然克服できてないのでは? というのが、唐沢俊一 - 田口ランディのラインかと。克服したと騒いだとしても、他人へのいわれのない批判とセットじゃなければ、私のようなウォッチャーも寄ってこなかったんでしょうけど。

>>「世間の馬鹿どもに」エヴァの「本当のよさがわかってたまるか!」、自分こそがエヴァの「本質をつかんでいるのだ」と思う
>こういった心情は私は理解できなくも無いです。

これだけなら私もアリと思います。ただ、これと、特定の作品と「自分を同一化」で、「認められることは私が認められることである」とのスリーカードは、どれだけアリかなあ、と。唐沢俊一が一時期イッセー尾形にハマったように、特定の「人」相手なら、想像もつくのですが。唐沢俊一が伊藤剛氏でも、まあ……。
トンデモない一行知識 |  2009年08月30日(日) 21:12 |  URL |  【コメント編集】

●まるで太宰の様だ

>>これは唐沢俊一が赤裸々に自分の過去を書いたという点を
賞賛すべきかも。

このあたり、もがいている様あたりがなんか太宰治の小説を読んでいるような気分になりました。
どうせなら志賀直哉クラスの大物に雑誌なんかで噛み付けばたいしたものなんでしょうけど。

>>「世間の馬鹿どもに」エヴァの「本当のよさがわかってたまるか!」、自分こそがエヴァの「本質をつかんでいるのだ」と思う
こういった心情は私は理解できなくも無いです。
対象がエヴァではないですが、私にもそういった面はありますし。
ただ、口に出すほどの勇気が無いだけで。

ここで言及されているとおり、唐沢氏は伊藤氏に自分が封印したかったものを
見せ付けられちゃったのかもしれません。
mino |  2009年08月30日(日) 15:44 |  URL |  【コメント編集】

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