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2009.07.10 (Fri)

読み返す気はありませんか? の『橋本治の男になるのだ』

唐沢俊一の裏の目コラム 「伊藤(バカ)くんとイニシエーション」
http://netcity.or.jp/otakuweekly/BW2.0/column1-1.html

そこから“男”になるためには、通過儀礼を必要とする。オタク大学の原稿
にも書いたが、アメリカの人類学者D・ギルモアは著書『男らしさの研究』
(春秋社)で、“男”というジェンダーは生物学的な先天的決定事項ではなく、
社会的通過儀礼によって後天的に付与される文化的な事項なのだ、と論じ
ている。また、作家の橋本治も、ごま書房から出した著書、『男になるのだ』
の中で、男とは人間関係の中で自立していくことで男になっていく、と述べて
います。橋本治から男とは、という説教を聞きたくはない、と思う人も多いだ
ろうが(笑)。


本の題名は、『男になるのだ』ではなく『橋本治の男になるのだ』――というのは「人は
パクリとガセ (P&G) 発生装置として生まれるのではない、P&G 発生装置になるのだ

に書いた通り。

「男とは人間関係の中で自立していくことで男になっていく」って……それをいうなら、
「男は人間関係の中で自立していくことで男になっていく」ではないかという問題も
あるが、書いてある内容も、橋本治のこの本の要約としてはかなり的外れなもの。

以前のエントリーにも引用したが、『橋本治の男になるのだ』の目次は以下の通り。
そして各章の題は、本文に書かれていることに忠実につけられている。

http://item.rakuten.co.jp/book/915884/
>橋本治の男になるのだ
>人は男に生まれるのではない
〈略〉
>【目次】(「BOOK」データベースより)第1章 男には男の「自立」がある/第2章 
>日本の息子達が「自立」で悩むのは、日本の父親達が自立していないからである/
>第3章 「男の自立」とは、なれあいからの脱出である/第4章 大人の中の「子供」
>に学ぶ/第5章 「できない、わからない、知らない」を認めよう/第6章 男にとって
>重要なのは、「自立」ではなく「一人前になること」である/第7章 「成功への道」は
>遠く、そしてその道は、「なんだかわからないもの」である


「第6章 男にとって重要なのは、『自立』ではなく『一人前になること』である」とある
ように、橋本治の重視するのは「自立」というより「一人前になること」。

本カバーの折り返しには、以下のように書かれている。(その下には小さく横書きで
「『人は女に生まれない。女になるのだ』――ボーヴォワール」の文字がある)。

> 男に必要なのは「一人前になること」です。「なーんだ」とおっしゃる方も多いでしょう。
>それは「もう一人前だな」と言われる機会が、男の場合はあまりにも多すぎるからで
>す。これは当然のことながら「お前ももう立派な一人前だ」じゃありません。人は、「も
>う“一人前の人間”として扱われる年頃なんだから頑張れよ」という意味をこめて、「も
>う一人前だな」と言います。それを、うっかりした人間が、「自分はもう“一人前”なん
>だ」と錯覚するんです。この人たちは「一人前なんだから自分のできないことは隠そう」
>とします。そしてこんな「水増しされたニセの一人前」が世間にはあふれています。
>――本文より


これは、本の中の P.186 から P.187 までの文章の抜き書きで、「あまりにも多すぎるか
らです。」と「これは当然のことながら」の間にある以下の文章が省略されている。

『橋本治の男になるのだ』 P.187
> 学校を卒業したら、「もう一人前」。二十歳になったら、「もう一人前」。就職をしたら、
>「もう一人前」。結婚をしたら「もう一人前」。結婚が先で卒業が後、就職が先で二十歳
>が後、二十歳が先で卒業が後とか、この順序はいろいろです。でも、そういう節目節目
>で「もう一人前」が言われるのだけは変わらない。へたをすれば、小学校に入学しただ
>けで「もう一人前」と言われてしまいます。


ここらへんを読む限り、橋本治は、卒業や成人式、就職や結婚などにともなう通過儀礼
にはやや否定的というか、「うっかりした人間が、『自分はもう“一人前”なんだ』と錯覚
する」原因といって片づけているように思えるのだが。本の中の別の箇所に、「節目節目
で『もう一人前』が言われる」ことを肯定的に評価するフォローがあるわけでもない。

つまり、どうして唐沢俊一がこの本を、「そこから“男”になるためには、通過儀礼を必要
とする。」ではじまる段落の中で紹介しているのか、さっぱりわからないという……。

(もう一冊のギルモアの本――『男らしさの研究』ではなく、『「男らしさ」の人類学』――も
その意味ではここで紹介するのは不適切という話は、こちらのエントリーで書いたけど)。

「人間関係の中で自立していくことで」というのもなあ……。確かに橋本治は、孤立は
よくないとも書いているけど、「第3章 『男の自立』とは、なれあいからの脱出である」
というのが、まずあって。

『橋本治の男になるのだ』 P.86 ~ P.87
> なぜ「組織べったりの男達」は「恥ずかしいです」の一言が言えないか? その答
>は、「誰もそんなことを言わないから」です。
>「下手なことを言って組織の中で浮き上がったらいやだ」と、組織にがんじがらめに
>なってしまった男達は思う。
〈略〉
>「オレはそんなことしない」と言える人間だったら、「今回の不祥事をどう思いますか?」
>に対して、きっぱりと「恥ずかしいです」と言える。でも、そういう人間だけじゃない。


この「組織」というのは必ずしも会社に限定されるものではなく、と学会とかにもあてはま
りそう――というのはおいといて。橋本治は、このような「なれあいからの脱出」を勧める。
で、「一人でもできる」「一人前になる」ことの重要さを説く。

『橋本治の男になるのだ』 P.221 ~ P.222
>「一人前になる」というのは、人間関係も含めて、「自分でいろんなことができるように
>なる」です。「自立」というのは、「なれあいになってしまった関係からの脱出」です。
>「一人前になる」は一人でもできるし、自分で“できない”を認めて一人でコツコツ努力
>をすることです。
> ところが「自立」は、一人じゃできません。「関係からの脱出」だから、「逃げた」と
>思っても、「その関係のもう一方」が追ってきたら「脱出」は不可能です。〈略〉「親から
>の自立」は簡単に口にできても、親というものは、自分の子供を永遠に「自分の子供
>=ただの子供」と思い込んでいるものなんですから、その親が「子供に愛情を持たない
>薄情な親」じゃなかったら、「親から逃げる」はむりです。〈略〉
> つまりどういうことかと言うと、「“一人前になる”よりも、“自立”の方がむずかしい」
>です。だから私は前の章で言ったんです――「“自立”なんかしなくたって、“一人前に
>なる”を達成してしまったら、“自立”は自動的に可能になる」と。
> 親を含めて、「人の思惑」なんてどうでもいいんです。いろんなことをさっさとできる
>ようになった方がいい。そうしれば自分に自信がついて、「人の思惑は人の思惑で、
>どうでもいい」と思えるようになります。そういう状態を、「他人の思惑から自由になっ
>た」と言って、そういう状態をこそ「自立している」と言うのです。


そもそも、唐沢俊一のいう「男とは人間関係の中で自立していくことで男になっていく」
とは、どのようなことをさしているのかも今ひとつはっきりしないのだが、上に引用した
ような「説教」をする橋本治の書いたことの要約にはなっていないことは確か。


さらに言えば、この文脈でなぜこの本を紹介するのかというのに加えて、唐沢俊一が
よくこの本を紹介する気になったなあというのも、ある。

「第5章 『できない、わからない、知らない』を認めよう」なんて、唐沢俊一のように
ハッタリで世渡りのタイプとは、無茶苦茶相性が悪そうなんだけど。

「橋本治から男とは、という説教を聞きたくはない」というので、飛ばし読みして終わりに
したんだろうか。

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Comment

どうもです。(_ _)
スポーツをする際のジョギパンスタイルとかなら、70 年代後半には既にアリだったと思います。それと、テニスなどをするときの短パンとか。年長者だと、スポーツウェアとしてもリゾートウェアとしても、断固として (?) 短パンははかない人も珍しくなかったから、どこかの時点で何かの変化があったんじゃないかなどと思ったりしているのですが (←単なる思いつき)。逆に、スポーツのときも長ズボンで通して、若いのにどうして? という感じで周囲にいぶかしがられていた人もいました。

橋本治の本に出てくる、夫婦で近所に買物に行くときの旦那の短パンも、80 年代になっていたからアリだったのであって、10 年くらい時代をさかのぼると、どうだったかなあと思います。バミューダパンツというのは、あったとしても。

橋本治は、電車に乗っていくようなところには短パンでは行かないだろうと書いていますが、スポーツウェアやルームウェアも街着も兼用というのは、80 年代初頭には既にアリだったという面もあって。トレーナー地の上下を、寝間着と街着兼用とか。

参考:
- http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1025773560
- http://www.motehimote.com/fact/himotefact/hf01/hf01_011.html
トンデモない一行知識 |  2009年07月14日(火) 07:44 |  URL |  【コメント編集】

ふむふむ、古びてしまったということですか。

私の記憶だと、当時でも言われているところでは「橋本治の書くものはダサい」と言われていて、たとえば当時出ていた橋本研究本『愛のレッスン』(北宋社)などでも、『桃尻娘』から『暗夜』にいたる諸作品が気色悪いだの稚拙だのボロクソに貶されていましたねえ・・・(研究本なのに)。

それと『革命的半ズボン主義宣言』の当時、今のように半ズボンがスタンダードなファッションではなかったので、<スポーツウェアや若者のファッションの方>に限らず語りようもなかったと思うのですが、どうでしょうか?
かなりオシャレな人のコスプレ的なサファリ・ルックとか、初期サザンやカクトウギ・セッションなんかがトランクス穿いていたケースなんかあったけれど・・・(しかしテキトーな記憶なので、誤りがあったら申し訳ないです。あんまり深入りすると橋本検証になってしますので、このへんで・・・)
discussao |  2009年07月12日(日) 23:07 |  URL |  【コメント編集】

>早いハナシが「つまんない本を薦めてごめんなさい」です

いえいえ、普通の意味で「つまんない本」ではないと思っています。
ただ、80 年代の軽いコラムによく見られた (オタク方面限定ではないんじゃないかと思います) 文体って、当時もそんなに好きではなかったし (個人的にニュートラルな文体が好き)、今読むとさすがに辛いものがあるなあ、と。

桃尻語訳の枕草子も、リアルタイムで読んでいたときは全然気にならなかったのですが、今の目で見ると文体に違和感あるかも……下の引用でいえば「ダサイのッ!」の「ッ!」とか。

http://www.hico.jp/sakuhinn/7ma/momojirigoyaku.htm
>まずは橋本治の『桃尻語訳・枕草子・上』 「春って曙よ!」ではじまる第一段は
>「昼になってさ、あったかくダレてけばさ、火鉢の火だって白い灰ばかりになって、
>ダサイのッ!」で終わる。

んで、唐沢俊一って、80 年代当時はともかく、今ではちょっと……というアクや臭みのある文体を、平気で今に持ち込んでしまうところがあって、それが (それも?) 文章の読みにくさや低好感度につながっているんじゃないかと。


半ズボン問題の方は、橋本治の書いていることを、昔の省エネルック、今のクール・ビズにからめて考えればよいのかしら (←ハズしているかも)。橋本治は、夫婦で近所のスーバーに買物にいく旦那の短パンには言及したりしているけど、スポーツウェアや若者のファッションの方はスルーで、背広をあまり着ない内勤の作業着サラリーマンについてはカバーしてないっすね。
トンデモない一行知識 |  2009年07月12日(日) 11:41 |  URL |  【コメント編集】

>『革命的半ズボン主義宣言』の橋本治の文章は、非常に正直に申し上げて、ところどころムカつくものが。特に、挿入されている短いエッセーというかコラムの文体に唐沢俊一を連想させるものがあったりして

こらこら!

(検証さんところの私のコメントより)
>トンデモない一行知識さんとこでとりあげられていた橋本治も、当時は「橋本治語」とか言われていたけど、今読むと「赤シャツ」的な物言いのコラムを書いてましたね

こらこら!!
・・・橋本センセェは以前から「思いつきでモノを言っている」と自分で仰っているし、良く言えば「孤立している」かたなのでこういう口のききかたしかできなかったような。また、全員がそうではなかったけれど、いまでいう「オタク」なポジションにいたかたは、ワリとこんな調子だったような気もします。
(ならばなぜ上記本を薦めたのか、と言われると、伊藤さんのコメントが入る前の半ズボン云々という文脈で挙げたワケで、早いハナシが「つまんない本を薦めてごめんなさい」です)
そういえば先日亡くなった平岡正明さんが上杉清文とやっていた「差〇別対談」、あれって<社会派くん>の原型みたいでしたねえ、と思いつきを上塗りし結びに代えさせていただきます。
 |  2009年07月12日(日) 02:40 |  URL |  【コメント編集】

●橋本治も唐沢俊一をつくった一人かな、と

>discussao さん

いえいえ、お気になさらずに。<前書きの件

橋本治の本についてのネタ振りは、あらためて感謝させていただきます。とは言っても、『革命的半ズボン主義宣言』については、入手はしたものの、もう少々お待ちください、ですが。

で、 http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20090710#c1247291083 にも関連しますが、『革命的半ズボン主義宣言』の橋本治の文章は、非常に正直に申し上げて、ところどころムカつくものが。特に、挿入されている短いエッセーというかコラムの文体に唐沢俊一を連想させるものがあったりして (似ているから嫌いというより、もともと苦手なタイプというか)。

『革命的半ズボン主義宣言』「よけいなお話 その1」 P.101
>それがどっかでおかしくなったっていうのは、明治になって学者というのが
>出て来たからだと思うのね。ルビを“インテリ”とふるけどサ。〈略〉 今や
>ネクタイしめるオケイジョンなんてのは、礼装という名の遊びでしかないんだ
>と私は思うんですよねェ。でもやっぱりそういう常識っていうのはまだあんまり
>常識になっていないしねェというので、私は今までズーッと、ネクタイをして
>本を書いていたのでした。

『革命的半ズボン主義宣言』「よぶんなコラム その5」 P.153
>でもサァ、あれが四十、五十になった大の男の買うもんだろうか? 北欧風
>だか南欧風だかオールドアメリカンダかなんだか知らないけど、ディズニー
>ランドみたいな家に住んで恥ずかしくないのかなァ? 大の男がだよォ。
>〈略〉 ホントにそういう人生で哀しくないんですかァ?

1984 年の本だから、しょうがない面もあるのかもしれませんが……。

トンデモない一行知識 |  2009年07月11日(土) 21:28 |  URL |  【コメント編集】

ご解読おつかれさまでした。
併せて、私の以前のコメントでガセネタを創作していたことを告白し、賞賛の挨拶に代えさせていただきます(申し訳ない、根が唐沢さんと同レベルなもので・・・)

ごま書房『橋本治の男になるのだ』とちくま文庫『これも男の生きる道』は、前書きが違うような旨コメントしておりましたが、あやまりです。両者は前書きを含め、活字に関する限りまったく同一内容でございます。
discussao |  2009年07月11日(土) 15:08 |  URL |  【コメント編集】

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