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2009.07.04 (Sat)

人はパクリとガセ (P&G) 発生装置として生まれるのではない、P&G 発生装置になるのだ

せっかく猿から進化したんだからマウンティングへの固執もほどほどにね」の続きの
ようなもの。

唐沢俊一の裏の目コラム 「伊藤(バカ)くんとイニシエーション」
http://netcity.or.jp/otakuweekly/BW2.0/column1-1.html

オタク大学の原稿にも書いたが、アメリカの人類学者D・ギルモアは著書
『男らしさの研究』(春秋社)で、“男”というジェンダーは生物学的な先天的
決定事項ではなく、社会的通過儀礼によって後天的に付与される文化的な
事項なのだ、と論じている。また、作家の橋本治も、ごま書房から出した
著書、『男になるのだ』の中で、男とは人間関係の中で自立していくことで
男になっていく、と述べています。橋本治から男とは、という説教を聞きたく
はない、と思う人も多いだろうが(笑)。


×『男らしさの研究』(春秋社) ○『「男らしさ」の人類学』(春秋社)
×『男になるのだ』 ○『橋本治の男になるのだ 』

ググってみたら、だいぶ前にも2ちゃんねるのスレで、このコラムに対して突っ込みが
入っていたという……『「男らしさ」の人類学』という書名を『男らしさの研究』と間違え
ているよという指摘もそこにあった (Read More 参照)。

ごま書房の橋本治の本の方は、「橋本治の」を入れて、『橋本治の男になるのだ』が
正しいみたい。副題は、「人は男に生まれるのではない」。

デイヴィッド・ギルモアの『「男らしさ」の人類学』も、『橋本治の男になるのだ』も、
「人は男に生まれるのではない」とボーヴォワールの言葉をパロったようなコピーが
ついている。この時期、そういうのが唐沢俊一のお気に入りだったのだろうか。

http://www.amazon.co.jp/dp/4393424522
>「男らしさ」の人類学 (単行本)
>デイヴィッド ギルモア (著), David D. Gilmore (原著), 前田 俊子 (翻訳)
〈略〉
>人は男に生まれるのではない、男に作られるのだ。日本を含む世界各地の事例を
>あげながら、“男らしさ”とはどのようなものか、それはなぜ必要とされ、いかなる役割
>を果たしているのかを考察した話題作。
〈略〉
>出版社: 春秋社 (1994/09)


http://www.amazon.co.jp/dp/4341017942
>橋本治の男になるのだ―人は男に生まれるのではない (ゴマブックス) (単行本)
〈略〉
>出版社: ごま書房 (1997/09)


http://item.rakuten.co.jp/book/915884/
>橋本治の男になるのだ
>人は男に生まれるのではない
〈略〉
>【目次】(「BOOK」データベースより)第1章 男には男の「自立」がある/第2章 
>日本の息子達が「自立」で悩むのは、日本の父親達が自立していないからである/
>第3章 「男の自立」とは、なれあいからの脱出である/第4章 大人の中の「子供」
>に学ぶ/第5章 「できない、わからない、知らない」を認めよう/第6章 男にとって
>重要なのは、「自立」ではなく「一人前になること」である/第7章 「成功への道」は
>遠く、そしてその道は、「なんだかわからないもの」である


で、唐沢俊一のいう「作家の橋本治も、ごま書房から出した著書、『男になるのだ』の
中で、男とは人間関係の中で自立していくことで男になっていく、と述べています。」
と、上に引用する目次に書いてある「第6章 男にとって重要なのは、『自立』ではなく
『一人前になること』である」との印象のズレも気になったり。

そもそも「日本の息子達が『自立』で悩むのは、日本の父親達が自立していないからで
ある」などと章題に書く、あの橋本治が、唐沢俊一流集団レイプつきヒエラルキー決定
の通過儀礼を批判することはあっても、素直に肯定するようなことを書いているとは考え
にくいけど……まあ、これは後で『橋本治の男になるのだ』を入手して確認してみたい。


ちなみに、「通過儀礼を上手く通過できなかったのは他でもないあなただったんですね
唐沢俊一先生
」という意味のことも、すでに過去スレで「『大人になるための儀式』を
受けていないのはお前のほうだろ」と、しっかり指摘されていたりする。



More...

http://www.23ch.info/test/read.cgi/books/1225599380/
-------
245 :無名草子さん:2008/11/04(火) 14:22:42
こんな文章がまだそのまんま残って居るんだね、ちょっとビックリした
http://netcity.or.jp/otakuweekly/BW2.0/column1-1.html

しかし、伊藤剛氏の事を悪く書いたのは
>言っておくが、アレを書かせたのは岡田斗司夫だからね。
と言い訳をするし、この2000年頃の文章ですでに
>しかし、あの原稿は(海外取材旅行出立の直前に4時間で書き上げたものにしては)
>非常に気にいったものとなった。
時間がなく、極短時間で書き上げたが満足満足、と自分で自分を褒める始末。

>伊藤(バカ)くんは以前、マジな顔で僕に、「どうして20歳すぎて半ズボンを
>はいちゃいけないのか、僕にはわからないんですよ」
>と言ったことがあった。彼はそれが許されるならば、いつまでも半ズボンをはい
>ていたい、と真剣に言うのだ(最近流行りのレジャー用半ズボンではないよ。子
>供用の、正太郎くんがはいているような、あの半ズボンのことだ)。聞いたとき
>は気味が悪かったものだが、これは彼の、成人式拒否を如実に表した言葉だったろう。

俺は、50過ぎてもなお「特撮」とか「アニメ」とか、
自分が子供だった時代に好きになった物にしがみつき、
なおかつそれで金儲けしようとしているオッサンが気持ち悪くてしょうがない。
唐沢の昔にこだわり、なおかつ「俺はヤマトによってオタクブームを作り上げた」という
捏造でありながら、若い頃の自慢話をことある毎に語り続けている奴の方が
重症だと思うんだが。

246 :無名草子さん:2008/11/04(火) 14:34:46
>しかし、あの原稿は非常に気にいったものとなった。

ではなく、その間に
(海外取材旅行出立の直前に4時間で書き上げたものにしては)
と入れるのは姑息すぎ。

247 :無名草子さん:2008/11/04(火) 14:43:04
>>237
唐沢しく同意

248 :無名草子さん:2008/11/04(火) 15:01:13
>>245
初めて読んだけどこりゃひどいわ。ほんとに下衆としかいいようがない。

254 :無名草子さん:2008/11/04(火) 16:45:55
>>245
http://netcity.or.jp/otakuweekly/BW2.0/column1-1.html
これって、まだトリビアの泉とかで名前が一般的に売れる前の話だろ?
この頃はこんな感じだったんだね。
一生懸命アカデミックな事を書こうとして上滑りしている感じが痛い。
ホント、「大人になるための儀式」を受けていないのはお前のほうだろ。

>オタク大学の原稿にも書いたが、アメリカの人類学者D・ギルモアは
>著書『男らしさの研究』(春秋社)で、

デイヴィッド ギルモアが書いて春秋社から出ているのは『「男らしさ」の人類学』

他にもツッコミの小ネタがいくつも転がっている


255 :無名草子さん:2008/11/04(火) 16:56:04
>「大人になるための儀式」を受けていないのはお前のほうだろ。
 まともに社会人になってないし、基本的なアカデミックな教育受けてないし
子供育てて一人前にするとか。なんか資格とるとか。文筆関係で賞を採るとか、
何一つやってねーよな。


-------

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Comment

>藤岡真さん

『トンデモ一行知識の逆襲』の中の「予備校の健康診断の問診項目には精神異常関連のものが異常に多い」から、唐沢俊一は就職試験を受けたことがなく、適性検査によくある「かげではみんな私の悪口を言っている」などの設問に新鮮に驚いたんじゃないかと思っています。……「超有名予備校のひとつ、Yゼミナール」が実施しているのが、他と比べてもその手の質問が「異常に多い」ものだったという場合は別ですが。

>仲人を頼み式場予約、招待者リスト造り

ここら辺は、私 (たち) は思い切りスッ飛ばしました。^_^;

唐沢俊一の場合は、かなり保守的な面があって、かなうことならば、藤岡さんがあげたような数々の「通過儀礼」をどれもこれも順調にクリアしていっては、「自分のヒエラルキーが共同体の中で上がり、新たな権利を獲得していく」過程を楽しみたかったんじゃないかと、勝手に想像しています。発表する文章も、純文学とか学術的な批評とか、正統派 (?) っぽいものが第一志望という感じで。

一方で、バンジージャンプやメイソンの入団儀式のような派手な通過儀礼にひきつけられる傾向もまたあるようで、一夜または数日後にはまったくの別人に変身というドラマチックな展開への憧れも、ずっと持ち続けていそうです。
トンデモない一行知識 |  2009年07月07日(火) 02:56 |  URL |  【コメント編集】

●通過儀礼

 通過儀礼って、至極当たり前のことですよね。それが下らないものであるからこそ、儀礼になるという。
 受検勉強をして大学に入る。就職課に通って就職先を探し、リクルートスーツを買って会社訪問する。筆記試験、面接試験で見事内定、研修、先輩、上司にしごかれ、得意先に頭を下げ、仕事を覚えて出世していく。婚活して相手を探し、両親に挨拶、親に紹介、仲人を頼み式場予約、招待者リスト造り……。
 こんなことをしながら人は大人になっていく。唐沢は大学に入学した以外にこうした儀礼を通過しているんでしょうか。それでひとかどの人物になっているならともかく、P&Gしか能のない自称作家では、やはり大人になりきれていないとしか言いようがありません。
藤岡真 |  2009年07月06日(月) 12:50 |  URL |  【コメント編集】

>伊藤 剛さん

どうもです。(_ _) うちのコメント欄の方では、はじめまして、ですかしら。

>これは唐沢氏の完全な創作です。
>一体全体、何が元になっているのかも分かりません。

あら、そうだったのですか。
# さすが唐沢俊一先生、予想の斜め上を……。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-162.html で Wikipedia から引用した、

>例えば、1984年4月3日の朝日新聞社説「中学生になった君たちへ」
>では「中学生になることは、大人への第一歩だ。男子なら、半ズボンを
>穿かなくなる」と述べている。

みたいなことがベースにあったのか、それともテクノかと、いろいろ考えたのですが。結局、「レジャー用半ズボン」とはどういう代物かは永遠の謎として終わるということですね。^_^;

蛇足ですが、個人的には、「半ズボン」はもちろん、それが「スカート」であったとしても、「どうしてはいちゃいけないのか」という問題提起自体は充分アリで、自分には「わからない」といったからって、即非難の対象になるものではないと思います。つまり、まあ、根も葉もないことをデッチあげるだけではなく、そうして好き勝手に創作した話が、悪口にすらならないような意味不明なものにとどまる (でも何だか悪意だけは充分伝わってくる) のが、低レベルで情けないなあと思います。

>過半の生徒が受験するものですから、閉会と同時にみんなさーっと帰宅して
>しまうという様子でした。

となると、やはり、「高校の卒業式」を「通過儀礼」としてとらえるのは無理がありますね。
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-162.html をアップした後で、就職組も結構いるような高校では、卒業式の日が社会への旅立ちの日みたいな感じになって、「通過儀礼」っぽくなるかもしれないなとか、一応考えてはみたのですが。

>もし、唐沢氏が本気で高校の卒業式を「大人になるための儀式」と
>考えていたのだと仮定するのならば、それはそれでいささか興味深い
>ことだと思います。
> もっとも、たぶんそんなことはなく、単なる思い付きの牽強付会だと
>思いますが……

今のところ、私も「単なる思い付きの牽強付会」に一票です。


この時期の唐沢俊一は、まだ結構オウムを引きずっていて、彼のいう「通過儀礼」には、オウム用語の「イニシエーション」の意味するところが微妙に混じり込んでいるんじゃないかとは思っています。何か独特の「通過儀礼」の定義と妙なこだわりを構成する要素のひとつが、そこら辺にあるんじゃないかと。
トンデモない一行知識 |  2009年07月06日(月) 03:17 |  URL |  【コメント編集】

追記です。

唐沢氏が高校の卒業式を「大人になるための儀式」ととらえている点に、すでにすれ違いがあるのだなとあらためて思いました。
当時(1996年ごろ)も、現在も、「高校の卒業式」は「大人になるための儀式」として機能しているのかどうか、はなはだ疑問です。
そもそも「通過儀礼」というものは、その共同体の成員みんなが、その「儀礼」をくぐりぬけた者を「大人」として認めるから成立するわけで、「儀礼」を受ける本人よりも、周囲の共同体の側にこそ意味があるものだと考えられます。

つまり、これをもって「大人」と認めるというコンセンサスが崩れてしまったということが、「通過儀礼」なき社会であり、またその中で「大人になること」の困難だという理解をしています。

このあたりのことついては、後に『網状言論F改』でもチラと触れましたが、当時はなかなか手際よく整理して言語化できていなかったので、もしかすると、こうしたぼくの意見を、唐沢氏は「「大人になるための儀式」全体への拒否」と受け取ったのかもしれません。

もし、唐沢氏が本気で高校の卒業式を「大人になるための儀式」と考えていたのだと仮定するのならば、それはそれでいささか興味深いことだと思います。
もっとも、たぶんそんなことはなく、単なる思い付きの牽強付会だと思いますが……これ以上の「唐沢俊一研究」は、ほかの方に譲ります。
伊藤 剛 |  2009年07月06日(月) 01:28 |  URL |  【コメント編集】

●当事者です。

こんばんは。当事者の伊藤です。
このあたりのことについては触れてこなかったのですが、そろそろ事実関係だけでも開示したほうがいいかと思いました。

>以前、マジな顔で僕に、「どうして20歳すぎて半ズボンを
>はいちゃいけないのか、僕にはわからないんですよ」
>と言ったことがあった。彼はそれが許されるならば、いつまでも半ズボンをはい
>ていたい、と真剣に言うのだ

これは唐沢氏の完全な創作です。
一体全体、何が元になっているのかも分かりません。

>彼は以前、高校の卒業式で感動のあまり涙
>を流した級友に、たまらない嫌悪感情を抱いた、とも電話で僕に語ったこと
>がある。そのときは、センチメンタルに流される安直な感動への嫌悪だろう
>と分析したのだが、これも、よく考えてみると、卒業式という、「大人になる
>ための儀式」全体への拒否が泣いた級友へ向けられたもの、ととれない
>こともない。

こっちはいちおう「元」になる会話が存在するので、多少はましかもしれないのですが、実際の内容は「級友」ではなく「一年下の文化祭実行委員」だし、「卒業式」ではなく「文化祭の閉会式」です。

ぼくは伝統もなく、たいへん学校への帰属意識の薄い地方の進学校に通っていました。卒業式も、数日後に国立大学の入試を控えていて、過半の生徒が受験するものですから、閉会と同時にみんなさーっと帰宅してしまうという様子でした。つまり、昭和59年度の名古屋市立向陽高等学校の卒業式では、「泣いた生徒」は存在しません。少なくともぼくはただの一人も見ていません。

このエピソードはですね。いまさら大真面目に語るのも馬鹿馬鹿しいといえば馬鹿馬鹿しいのですが、「文化祭の実行委員長が、閉会式の挨拶で一人で盛り上がり『みんな、サイコーでした!」』と言って泣き出してしまい、単に楽しいイベント程度に思ってたみんながドン引きした」という話です。

オタク的な共同体をことさらに強要する唐沢氏に対し、それこそ『ビューティフル・ドリーマー』的な「終らない学園祭」を批判する文脈でこの思い出を持ち出したような記憶はいちおうあります。

ご参考まで。


伊藤 剛 |  2009年07月06日(月) 01:05 |  URL |  【コメント編集】

>discussao さん
情報ありがとうございます。(_ _) (_ _)

『橋本治の男になるのだ』と『革命的半ズボン主義宣言』、どちらも入手でき次第、読んでみる予定です。……ただ、まあ、橋本治の本って、感想をまとめるのが難しいというか時間がかかりそうなので、気長にお待ちくださいということになるかも、です。


ギルモアの『「男らしさ」の人類学』も読んでみる予定。ネット上の書評をパラパラ見ているうちに、唐沢俊一の「“男”というジェンダーは生物学的な先天的決定事項ではなく、社会的通過儀礼によって後天的に付与される文化的な事項なのだ」という要約に疑問を感じてきたので。BOOK データベースいうところの「日本を含む世界各地の事例をあげながら」という本らしいんですが、世界各地どこでも「社会的通過儀礼」が前面に出ていると書いているのか本当かと。
トンデモない一行知識 |  2009年07月04日(土) 22:52 |  URL |  【コメント編集】

●連続投稿申し訳ございませぬ

これは要望なんですが、もし『橋本治の男になるのだ』a.k.a『これも男の生きる道』をご覧になる予定でしたら、出来るならば『革命的半ズボン主義宣言』(1984年)も目を通していただき、<通過儀礼云々>の回の伊藤剛氏半ズボン問題とあわせて突っ込んでいただけたら嬉しゅうございます。
まことに連投失礼いたしました。
discussao |  2009年07月04日(土) 21:03 |  URL |  【コメント編集】

●『橋本治の男になるのだ』は・・・

『橋本治の男になるのだ』は、2000年12月ちくま文庫よりタイトルを『これも男の生きる道』として文庫化されています。ご存知ならばご容赦ください。文庫版のための前書き1頁がついてる以外、中身は同一です。
第5章などは唐沢俊一さんも今後のために熟読なすったら良いのではと愚考します(と、たまには唐沢さんに言及しておきます・・・)
discussao |  2009年07月04日(土) 20:41 |  URL |  【コメント編集】

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