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2009.07.04 (Sat)

せっかく猿から進化したんだからマウンティングへの固執もほどほどにね

通過儀礼を上手く通過できなかったのは他でもないあなただったんですね唐沢俊一
先生
」の続き。

唐沢俊一の裏の目コラム 「伊藤(バカ)くんとイニシエーション」
http://netcity.or.jp/otakuweekly/BW2.0/column1-1.html

ところで、そういうイニシエーション小説の傑作として僕が評価しているもの
の一つに、SM作家の館淳一氏の作『肛姦未亡人』(マドンナメイト)がある。
タイトルから内容は一切想像できないと思うが(笑)、これはマドンナメイトと
しては珍しいショタ小説で、母が売春していることをネタに、主人公の啓少年
が不良に体をいいように弄ばれる話だ。
 もちろん、僕はショタ小説として興奮してこれを一気に読みおえたのだが、
啓と彼を犯す不良との関係に、これはイニシエーション文学としても読める
な、ということを発見した。
 大人の世界への入会儀式の話なのだ。やおい小説の読者ならご理解
いただけると思うが、男の子同士のセックスは全くの第三者から見れば
マウンティング(猿などの仲間うちでのヒエラルキー確認行為)に見えるの
ではないか。大人の世界へのパスポートを苦痛を代償にして得る、という
ストーリィを、日本の読者は今、ショタ小説の中に求めているのかもしれ
ない。


昔、これを読んだときには、「やおい小説の読者ならご理解いただけると思うが」という
くだりに「そ、そういうものなのか」と思ったものだが、「唐沢俊一にとっては『血と薔薇』
>>>『少年期ハードスペシャル』か
」にも引用させていただいたこれ↓を読んでからは
とてもそうは思えなくなった。

http://d.hatena.ne.jp/wagamamakorin/20090621
>マジモノのゲイの、とくにペドフィリアの世界を、ねちっこく、唐沢本人の性欲の生臭さ
>を漂わせながら、語るのである。「未成年の男の子を犯してみてぇぇぇ」文章から声な
>き彼の叫びが聞こえてくるようだ。唐沢俊一の、13歳の少年のエロ写真を執拗に追い
>つづけて、最終的には彼の射精の瞬間の修正前の生写真を手に入れるくだりを読ん
>だ時に、わたしは思わず大声で叫んでしまった。「きんめぇぇぇーーーーーっっ」
〈略〉
> まぁ、それはいい。彼が少年愛者でもなんでも、犯罪を犯さなければそれでいい。
>が、そのスタンスで知ったように「JUNEっ子はこういうが好きでしょ」と、あるいは「JUNE
>はかくあるべし」と、ぴんぼけな看破やら啓蒙やら読者にむけるのにはさすがに苦笑い
>を禁じえない。全然ちがいますよ、唐沢さん。普通のやおらーはあなたのように少年の
>アナルやペニスをねらってませんから。しゃぶったりしゃぶられたり、入れたり出したり
>したがってませんから。そういう彼のとんちんかんぶりを笑うには、楽しいネタ本なのか
>も知れない。


10 年くらい前に読んだときには、さらっと読み飛ばした「もちろん、僕はショタ小説として
興奮してこれを一気に読みおえた」にも、何か怖いものを感じたりする。

個人的に、「大人の世界へのパスポートを苦痛を代償にして得る」ことを美化して酔う
ことには強い嫌悪感をおぼえる。自分に試練を課すという意味の「苦痛」ならともかく、
どうせ自分より下の世代に苦痛を押しつけて楽しむ醜悪なオヤジ趣味でしかないから、
たいていの場合は。

唐沢俊一の場合は、さらに、年端もいかない少年への性的虐待を楽しむ性的嗜好と
つながっている疑いが濃厚だから洒落にならない。たびたび引用して恐縮だけど……。

http://d.hatena.ne.jp/wagamamakorin/20090621
> プールの裏手で悪いクラスメート数人に捕まって裸に剥かれたよ→それだけであき
>たらず、しごかれて、フェラチオもされて、強制射精されたよ→アナルセックスされそう
>になったら、見かねた親友が助け舟を出したよ「俺が身代わりになる。俺のアナルを
>使え」→親友は奥の野球小屋でひとりずつ順番にレイプされたよ、そんな親友のレイ
>プされてる時の姿はなんだか可愛かったよ→赤裸々な姿を見せ合ったふたりはそして
>親友から恋人へと発展したよ→おしまい
> よしんば事実なら、凄惨な性犯罪。とはいえ99%の確率で妄想と即断できるこの与太
>に、唐沢はこうコメントしている。
>「……しかし、単なる解剖でなく、その後アナルセックス(しかも輪姦!)までごく普通に
>行われていたなんて、昔の中学生は進んでいたんだねぇ」
> 進んでいたんだねぇ……じゃねぇだろっ、おい。あ・り・え・な・い。まるっきり信じてや
>がる、こいつ。どう読んでも「だったら俺のアナルを」が超展開すぎるだろ、くそみそすぎ
>るだろ。ホモの妄想与太話でないほうがおかしいだろ。さらに、こうも云っている。
>「文章の心得のある読者なら、このシーンのこの設定で耽美小説が一本書けるだろう」 
>耽・美・小・説・を・な・め・ん・な。そしてこんなふざけたまとめ方をしている。
>「いい年齢になってからの大人の性のねじれが問題になるのは、少年時代のこのよう
>な通過儀礼を体験できない情況に原因がある」
> えぇぇっっーー!? つまり、ちゃんとした大人になるために少年はレイプの被害者に
>なるべしってこと? なにそのトンデモレイプ推奨理論。唐沢、あんたがペドフィリアの
>ハンターとして活動するにはその方がいいかもしらんがだね、そんな世界は、未来永
>劫絶対訪れないぞ。


上に引用した人の批判しているようなことが、恐ろしいことに、『トンデモ美少年の世界』
という本には本当に書いてあるのだ。こういうのとあわせて考えると、唐沢俊一が「ショタ
小説の中に求めている」ことって、本当にフィクションの中だけの話で完結するようなこと
なのか、だいじょうぶかと不安になってくる。

そして、「唐沢俊一の裏の目コラム」の方は、以下のように続く。

http://netcity.or.jp/otakuweekly/BW2.0/column1-1.html

僕はあの、デブエヴァ映画『映画の中心でアイを叫んだけだもの』の
ストーリィを女房と作るとき、本家のエヴァが成人拒否の少年を主人公
にしたネオテニー・ドラマだったことへのアンチテーゼとして、シンジ
(中野貴雄)が最後にウケからタチになる逆転の物語としてパロディした
のだが、この『肛姦未亡人』の、啓が母親の客となるラストにも、見事な
そのビルドゥングスが描かれている。特にその前に、不良の尻奴隷と
なって全ての人格を否定される件りがあるから、余計、その死~再誕
という儀式性が強く感じられる。フリーメーソンリーはじめ、ほとんどの
秘密結社の入団儀式はこの形式をとっているのだ。 先ほど、イニシエ
ーションの訳語として「通過儀礼」というのが一般的だと言ったが、直腸
から肛門への暗闇を通過することで、出産~誕生を再体験し、男は一
人前になる、なんて深読みができそうである。 本家のエヴァでは、
あの地下基地からの射出がそれに当たるだろうか。・・・いや、ここで
エヴァ論をやる気はないのであった。


ええと、この話では母親は売春婦で、その息子の「啓が母親の客となるラスト」って、
それが「見事なそのビルドゥングス」なんですか、そうですか。それが成長だというなら、
一生成長なんかしないで引きこもっている方が百倍マシだわと思えてくる不思議――と
いうか、唐沢俊一の文章マジック?

また、この唐沢俊一の文章マジックを通すと、まるでフリーメーソンリーの入団儀式が、
最初に既存会員の「尻奴隷となって全ての人格を否定される」儀式のように読めて
しまうんだけど、よいのだろうか。その後に「直腸から肛門への暗闇を通過することで、
出産~誕生を再体験」と続け、これで「死~再誕」を説明しているフシがあるし……。

もちろん、「出産~誕生を再体験」うんぬんについて、「直腸から肛門への暗闇を通過」
と口走るのは、唐沢俊一くらいなもんである。……多分。他にもこの手のことをいう人が
いっぱいいたら何かいやだなあと思う。

http://www.nagaitosiya.com/a/initiation.html
>通過儀礼の原型は、出産である。子宮から、狭い隘路を経て、この世に生まれ出る
>過程は、死ぬときと同様に、大変に苦痛に満ちたものなのだそうだ。成人になるなど、
>新たな生まれ変わりをするとき、擬似的に出産のプロセスが反復される。


ちなみに、メイソンの入団儀式が「死~再誕」というのはまあよいとして (「死と再生」
とは意地でもいいたくなかった?)、志願者が「尻奴隷」にされたりしないのはもちろん、
志願者の経験する試練は、別に「全ての人格を否定される」という種類のものではない。

http://unkokuse.hp.infoseek.co.jp/shinpi/meison2.html
>そうした資料から再構成されるメイソンの儀式はおおよそ次のようなものである。〈略〉
>ロッジの内部では、マスターは東、シニア・ヴォーデン(マスターとともにロッジ運営に
>あたり、代理権限を持つ役職)は西、ジュニア・ヴォーデン(ロッジ訪問者がメイソンで
>あることを確認する役職)は南、志願者は北というように位置が決まっている。
> それは志願者が太陽の光と熱に耐える力がないと考えられるためである(太陽は東
>から南を通り、西に沈む)。マスターはメイソンの象徴である直角定規とコンパスを持
>ち、彼の前の小テーブルには『ヨハネによる福音書』と槌が置かれている。床にはト
>レーシング・ボードと呼ばれる敷物・敷板が置かれている。『徒弟』と『職人』の参入儀
>礼の内容にはほとんど差異がないため、ここでは一括して紹介する。志願者はロッジ
>に入ると、まず準備の部屋に通され、数分の間一人にされる。その後、身に着けてい
>るすべての金属類をはずし、左膝と左胸を出し、左靴の踵を潰す。『職人』の参入儀礼
>では右膝と右胸を出し、靴の踵も右の方を潰す。一般に、胸を出すのは志願者が女性
>でないことを証明し、膝を出し踵を潰すのは、志願者が経過した厳しい試練を示してい
>るとされる。
> 志願者は案内役(ジュニア・ディーコン)に導かれ、目隠しの布をつけて反省の部屋
>に入る。志願者はそこで3度のノックがするまで待つ。合図の音がすると、志願者は首
>にロープを巻かれて主室へと導かれる。主室では「ここに来た目的は何か」という質問
>がされ、志願者は「哀れな盲目の志願者である私は、長く暗闇にありましたが、暗闇
>から脱して光を見るために、この光栄あるロッジに来ました」と答える。志願者はロッジ
>の中を引きまわされ、幾つかの試練を経験する。それは地下牢を想定した空間への
>監禁や、火の中を通ったりする試練とされ、いずれも巧妙な装置によって志願者だけ
>がそう錯覚するように仕掛けられた擬似体験であるとされる。すべての試練が終わる
>と、マスターの合図で志願者の目隠しがはずされる。
> その後、徒弟はボアズ(職人はヤキン)と呼ばれる握手法と合言葉を伝授されたあ
>と、秘密厳守の誓いを述べ、トレーシング・ボードに描かれた二つの柱の間を通って、
>会員に「ブラザー(兄弟)」として受け入れられる。


「全ての人格を否定」とかは、フリーメーソンとかの魔術団の入団儀式というより、タチ
の悪い自己啓発セミナーやオウムなどの新興宗教が、好んでとる手法じゃないかと。
唐沢俊一の主張およびそこからうかがえるメンタリティーは、そちらの方に近い。

http://netcity.or.jp/otakuweekly/BW2.0/column1-1.html

伊藤(バカ)くんのようなホモっぽいスタッフと痴話ゲンカみたいなことを
やらかしたおかげで、僕までホモ疑惑が浮上してしまった。迷惑している
のであるが、しかし、彼のイニシエーションのためならば、一回くらい、尻を
犯してやった方がよかったかも、とも実は思っていたりする。
 一度、徹底して己れのジェンダーを踏みにじられたあとでなければ、彼が
啓のように“男”(大人)として再生することは、不可能なのではないのかと
思っているのである。


「僕までホモ疑惑が浮上」も何も、ホモと思われる (唐沢俊一によると、あくまで「間違わ
れる」、か) うんぬんは、1997 年刊の『トンデモ美少年の世界』にもそのようなことを書い
ていたくせに、何を今さらである。デッキの上にホモビデオを置いたりしておけば、そりゃ
「『あっ、唐沢さん、やっぱり』てな目つきをされた」 (P.115) としても、しょうがないだろう。
というか、ここでも自分の欠陥 (いや、同性愛指向イコール欠陥ではないけど) を、他人
に投影して八つ当たり、と。

「啓のように“男”(大人)として再生」するために「徹底して己れのジェンダーを踏みにじ
る」とか、目指すゴールも、そのための手段も、色ボケ混じりで狂いっぱなしだし。

性的ファンタジーもりだくさんなフィクションの中の登場人物としての人生の充実 (?) と、
実人生の充実とは全然違うだろうに。掘られる側から掘る側にまわればよいってもんじゃ
ないし。「徹底して」「ジェンダーを踏みにじ」りたいとか、脳内の性的ファンタジーを
実生活の領域にダダ漏れさせるのも、ひたすら醜悪で、みっともない。唐沢俊一の場合、
徹底して、掘る側が似合わないキャラクターなので、特に。

参考:
ロラン・バルトも何だかいろいろ大変だ

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Comment

>うさぎ林檎さん

どうもです。(_ _) 本当に、どんな性的ファンタジーだろうが、せっかく人間はフィクションというものを発明したのだから、その中で思う存分興奮して楽しめばよいのに――と思います。唐沢俊一の場合、性的興奮を求めるにあたって、二次元のアニメ絵よりも写真集、それも実在の「少年」が被写体なのが好みっぽいのがアレですが。

モデルが実在の子どもでも http://tondemonai2.web.fc2.com/423.html で取り上げたグローデンの写真集なんかは、さほど気にならなかったのですけどね。もう何十年も前のもので、存命の被写体の人も少ないだろうというので。
トンデモない一行知識 |  2009年07月04日(土) 23:11 |  URL |  【コメント編集】

これらの文章からは唐沢氏の独特な性的ファンタジーが、隠しようもなく浮かび上がっているとしか思えないですね。何に性的興奮を感じるかは極めてプライベートな事情としか言えないので、優劣の問題とは思いませんが、唐沢氏には受け入れられない事なんでしょう。よって歪んだとしか言えない表現に行き着くのですね。伊藤氏とのトラブルの詳細は存じませんでしたが、ご紹介の文章からは執着心のようなもの(伊藤氏には迷惑な)を邪推してしまいました。
うさぎ林檎 |  2009年07月04日(土) 22:22 |  URL |  【コメント編集】

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