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2009.07.04 (Sat)

通過儀礼を上手く通過できなかったのは他でもないあなただったんですね唐沢俊一先生

唐沢俊一の裏の目コラム 「伊藤(バカ)くんとイニシエーション」
http://netcity.or.jp/otakuweekly/BW2.0/column1-1.html

イニシエーション。文化人類学用語であり、入社式、成年式などと訳され、
それら人生の節目々々において、自分のヒエラルキーが共同体の中で
上がり、新たな権利を獲得していく一連の儀式を総称して“通過儀礼”と
訳されるのが最近の通例である。
伊藤(バカ)くんは、あのオタク大学での僕の講義においても語られて
いたとおり、共同体への無意識な参加をとにかく嫌悪していた人間で
あった。つまり、イニシエーションを拒否し続けていた存在なのだ。
〈略〉
 伊藤(バカ)くんは以前、マジな顔で僕に、「どうして20歳すぎて半ズボン
をはいちゃいけないのか、僕にはわからないんですよ」
 と言ったことがあった。彼はそれが許されるならば、いつまでも半ズボン
をはいていたい、と真剣に言うのだ(最近流行りのレジャー用半ズボンでは
ないよ。子供用の、正太郎くんがはいているような、あの半ズボンのことだ)。
聞いたときは気味が悪かったものだが、これは彼の、成人式拒否を如実に
表した言葉だったろう。また、彼は以前、高校の卒業式で感動のあまり涙
を流した級友に、たまらない嫌悪感情を抱いた、とも電話で僕に語ったこと
がある。そのときは、センチメンタルに流される安直な感動への嫌悪だろう
と分析したのだが、これも、よく考えてみると、卒業式という、「大人になる
ための儀式」全体への拒否が泣いた級友へ向けられたもの、ととれない
こともない。

ヤマト×沖田艦長=崖っぷちのリアリティ」から、「エヴァ論だったら、いつも空振り。
ヤマト論も。
」を経由して、久しぶりに読んでみたら、本当にいろいろな意味で酷い。

http://tondemonai2.web.fc2.com/777.html
-------
しかし、本当に何も書かないで、稼げるチャンスをことごとく棒に振ることも、唐沢俊一
にはできなかった。そこで原稿料稼ぎに利用したのが、伊藤剛をネタにした数々の名誉
毀損文章であったと邪推する。http://netcity.or.jp/otakuweekly/BW2.0/column1-1.html
とかも酷いし、「時空も歪ますトンデモ 80 年代で論破したんだと」のエントリーに一部引用
しているものも、いろいろな意味で酷い。
-------

で、この http://netcity.or.jp/otakuweekly/BW2.0/column1-1.html のコラムって、
伊藤剛の名誉をうんぬんだけでくくれる文章ではないぞと、しみじみ思ったので書いて
みる。

まず、initiation が「入社式、成年式などと訳され」ることがあるのは本当として、それは
「文化人類学用語」として訳されている例なのかとか、「一連の儀式を総称して“通過儀
礼”と訳されるのが最近の通例」って、「入会式, 入社式, 成年式」の意味で使用されて
いるときは、最近でも何でも「入会式, 入社式, 成年式」と訳されるのが通例ではないか
とか、いろいろと突っ込みたくなる。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=initiation&dtype=1&stype=1&dname=1ss
>[1] 創始, 開始, 着手.
>[2] 加入; 入会式, 入社式, 成年式,(initition cremony).
>[3] 手ほどき; (秘伝の)伝授.


http://home.alc.co.jp/db/owa/etm_sch
>initiation
>開始、着手
>これが語源!
>【語根】i-, it-eo, is
>【語根の基のラテン語(L.)・ギリシア語(Gk.)】
>L.eo/ire= go(行く)、F.ira=will go(行く、未来形)


唐沢俊一にとって、英語が日本語に「訳される」とは、いったいどういうことをさしている
のだろうと疑問に思う。英文中の initiation がどう訳されるかというのと、日本語の文章
中に登場する片仮名の「イニシエーション」が通常どのような意味に解釈されるかを、
混同しまくっているような気がしてならないんだけど……。「訳される」と繰り返し書いて
おきながら、「initiation」ではなく「イニシエーション」のみで押し通しているし。

そして、唐沢俊一による「通過儀礼」の定義は、「自分のヒエラルキーが共同体の中で
上がり、新たな権利を獲得していく一連の儀式」であり、「共同体への無意識な参加」
ということになるみたいなんだけど、これにも何か違和感が。

唐沢俊一は「ヒエラルキーが共同体の中で上がり」、「新たな権利を獲得」といい、一方、
唐沢俊一も愛用の (?) Wikipedia では「成長していく過程で、次なる段階」に「新しい意味
を付与」という。Wikipedia の記述の方にはすんなり納得できるが、唐沢俊一の定義だと、
「通過儀礼」の代表例に昇進試験や資格試験がきてしまいそうだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/通過儀礼
>通過儀礼(つうかぎれい、Initiation、rite of passage)とは、出生、成人、結婚、死など
>の人間が成長していく過程で、次なる段階の期間に新しい意味を付与する儀礼。人生
>儀礼ともいう。イニシエーションの訳語としてあてられることが多い。通過儀礼を広義に
>取り、人生儀礼を下位概念とする分け方もある。 イニシエーションとして古来から行わ
>れているものとしては割礼や抜歯、刺青など身体的苦痛を伴うものである事が多い。
>こうした事例は文化人類学の研究対象となっている。


さらに、「半ズボン」問題と「卒業式」問題についても、Wikipedia の記述と比較してみる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/通過儀礼
>また、戦後の日本では長らく、小学校を卒業して中学校に入学することが「大人への
>第一歩」と見なす考え方も存在していた。例えば、1984年4月3日の朝日新聞社説「中
>学生になった君たちへ」では「中学生になることは、大人への第一歩だ。男子なら、半
>ズボンを穿かなくなる」と述べている。半ズボン卒業が一種の通過儀礼の意味を持っ
>ていたわけであるが、1990年代後半以降のハーフパンツの普及や小学生の間で半ズ
>ボンが廃ってきたことにより、この通過儀礼の意味も消滅した。〈略〉
>なお、大学の入学式・新入生歓迎合宿、企業の入社式・新人研修といった行事が存
>在するが、これらも広い意味では通過儀礼と言えないこともない。他に、大学院・大学・
>高校等の入学試験や受験勉強、あるいは運転免許証などの資格の取得[1]、卒業研
>究[2]なども通過儀礼と考える人もいる。


唐沢俊一のいう「最近流行りのレジャー用半ズボンではないよ」の「レジャー用半ズボン」
とは、いったいどういうものをさすのだろうと首をひねっていたのだが、「ハーフパンツ」と
いってくれると、わかりやすい。

- http://ja.wikipedia.org/wiki/ハーフパンツ

いや、唐沢俊一のいう「レジャー用半ズボン」が本当に「ハーフパンツ」のことかどうかは
確信がもてないが。唐沢俊一は、「レジャー用半ズボン」と、「子供用の、正太郎くんが
はいているような、あの半ズボン」は別のものと主張しているが、具体的なデザインその
他の違いについて述べているわけではないので。ついでに 1980 年頃にテクノの人たち
がはいていた半ズボンも加えて、それらの違いについての説明もしてほしかった。

それから、「イニシエーションを拒否し続けていた存在」についても、Wikipedia の列挙
している広義のイニシエーションとしての例――「大学の入学式・新入生歓迎合宿、企業
の入社式・新人研修」、「入学試験や受験勉強」、「運転免許証などの資格の取得」、
「卒業研究」――と、唐沢俊一のこのコラムの文章および彼自身の経歴をあわせて考えて
みるのも興味深い。

「高校の卒業式」までも「イニシエーション」に含ませ、「高校の卒業式で感動のあまり
涙を流した級友に、たまらない嫌悪感情を抱いた」 (そもそもこれが本当かどうか不明
だが) からといって、「『大人になるための儀式』全体への拒否」とかいいだすのは、
唐沢俊一の難癖であり、トンデモ妄言でしかないから、おいといて。

「企業の入社式・新人研修」、「運転免許証などの資格の取得」、「卒業研究」といった
ものを「通過儀礼」と考えるならば、「イニシエーションを拒否し続けていた存在」とは、
何のことはない唐沢俊一自身である。

まあ、投影というか、自分にこそ当てはまることを他人のこととして非難するというのは、
よく聞く話ではある。そして、その無理を押し通すためにか、唐沢俊一のいう「通過儀礼」
は、微妙にトンデモない方向にと意味が歪んでしまっていると思う。

http://netcity.or.jp/otakuweekly/BW2.0/column1-1.html

彼こそが、大人になるための通過儀礼を受けられず、いや受けようとせず、
永遠の少年のままに、義務も力も放棄したいと望む、現代のピーターパン
なのではないか、と思いついた。そして、その時、彼とエヴァとの関係が驚く
ほどスッキリと見えてきたのである。オタク文化とは、大人への脱皮を拒否
した者によるネオテニー文化だ。伊藤(バカ)くんというウーパールーパー男
は、オタクたちにとって負の鏡なのである。

オタク=通過儀礼の拒否=大人への脱皮を拒否=ネオテニー=ウーパールーパー
――と唐沢俊一はすべて等号でつないでいるみたいなんだけど。

そもそも唐沢俊一がネオテニーというものを理解していない (その割には好んであちこち
で使っている) せいで話がややこしくなっているような。ネオテニーとは「幼形成熟」、
「幼態成熟」とも「訳される」言葉であり、「幼生や幼体の性質が残る」器官は存在する
ものの、個体はちゃんと「成熟」する。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ネオテニー
>ネオテニー(neoteny)は、動物において、性的に完全に成熟した個体でありながら
>非生殖器官に未成熟な、つまり幼生や幼体の性質が残る現象のこと。幼形成熟、
>幼態成熟ともいう。


つまり、ピーターパンはともかく、ウーパールーパーを「通過儀礼を受けられず、いや受け
ようとせず」、「義務も力も放棄したいと望む」ものの代表例のように扱うのがそもそも変と
いうことで。確かに脱皮はしないけど、それは人類をはじめとする哺乳類だってそうなの
だし、子どもを生んで世代をつなげることができているのだから、特に問題ないと思うが。

http://upa.client.jp/about.html
>両生類なんですよコレ。早く言えばサンショウウオの変態前です。
〈略〉
>一応この姿で卵を産んだりします。見た目は子供、でも大人。


ただ、ふと思ったのだけど、唐沢俊一にはウーパールーパーはすべてアルビノで虚弱
という思い込みがあり、それで「ウーパールーパー男」というのが「オタクたちにとって
負の鏡」というにふさわしい、罵倒の言葉として機能するものと思い込んだのかも。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1017221515
>そういえば、以前流行したウーパールーパーなんかもアルビノがいましたね。

http://store.shopping.yahoo.co.jp/meisyoen/kogata37.html
>ウーパールーパー アルビノ赤目

なにしろ、唐沢俊一の脳内ワールドでは、「アルビノはもともと劣性遺伝子の蓄積なの
だから、免疫力が弱く、寿命も短い」し、白い個体は「カムフラージュのための体色が
役に立たないのだから、そもそも野生に置いたらロクに獲物もつかまえられず、生存競争
からは脱落せざるを得ないだろう」ということになるのだから――という話は、「本当は野生
でも生きていけるホワイトタイガー
」のエントリーを参照のこと。

で、まあ、「虚弱」とか「生存競争からは脱落」とかは、決して唐沢俊一自身のことでは
なくて、他のオタクの人にあてはまることと思い込みたかったんだろうなあ。気の毒に。

長くなったので、続きは次のエントリーで。
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Comment

>NNT さん
唐沢俊一と橋本治、『革命的半ズボン主義宣言』につきましては、よろしければ、
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-168.html
と、そのコメント欄を参照してくださいです。

……ただ、唐沢俊一のいう「半ズボン」は、橋本治氏の本からきているとは、あまり考えられないんじゃないかなあと思っています。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-397.html
で、唐沢俊一が詩集と間違えて買ったと主張している『半ズボンの神話』、または、

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-155.html
で引用した文章で語られている『少年期』あたりからではないかと思っています。
トンデモない一行知識 |  2010年03月04日(木) 01:22 |  URL |  【コメント編集】

●革命的半ズボン主義宣言

2ちゃんの唐沢スレのリンクをたどって、このエントリに来ました。
タイトルは橋本治先生の本からです。
唐沢氏って中途半端に橋本治先生の影響受けているような気が…。
男の通過儀礼についてっていうなら、この本と『蓮と刀』ですからねぇ…。
唐沢氏は本音を隠すのが下手だなっと。
NNT |  2010年03月03日(水) 21:13 |  URL |  【コメント編集】

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