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2009.05.23 (Sat)

戦争を知らずにあなたは生まれた

裏モノ日記 2001年 09月 22日 (土曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20010922000000.html

例え世界中の全ての人間が戦争を忌避しても、国家や政府がそれを望む
ときには起こる。構成員の意志と集団の意志はパラレルでないからである。
これまでの戦争を思っても、まず全部、世界の潮流の中で起こるべくして
起こっているものばかりだ。それが起こるべきではないものだって、起こら
ねばならぬときには起こる。どうしようもない。個人がそこに自分の意志を
反映させられると思う、またされるべきだと思い込んだとき、人は往々にし
て精神のバランスを崩しがちである。人間が生きるということは、世界と自
分との関連性のなさを想い、自己の卑小さへの嫌悪を感じ、而してそれら
への諦念と共に自分の道を追い求めることであろう。それを勘違いしたと
き、人の行動や思想には傲慢さが生じ、自分が最先端にいるという優越
意識とは裏腹に、世界と乖離していく(これに関して私は、『トンデモ本の
世界R』で三島由紀夫の『美しい星』にからめて語ったのだが)。
さて、今の私にとって大事なのは、世の中がどんな有り様になろうと、ひた
すら私の分を守って、裏モノとしての自分を可能な限りまっとうすることだ
ろう。藤原定家が、平治・承久の乱と紛騒が続く世の中にあって、“紅旗
征戎わが事にあらず”と歌道に専念したことを想うべきなのだ。

http://s01.megalodon.jp/2009-0523-1956-48/www.tobunken.com/diary/diary20010922000000.html

×例え ○たとえ
×平治・承久の乱 ○治承・寿永の乱

まあ、「『裏モノ日記』における「たとえ」の使用例、正しく使っている例の方が少ない」
というのは、2ちゃんねるの過去スレでも指摘済みな件だけど (Read More 参照)。

「たとえ~しても」の「たとえ」は、漢字で書くとしたら「仮令」であり、「例え」と書くのは
間違い。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=たとえ&dtype=0&dname=0na
>たとえ〔たとへ〕【仮=令/縦=令/▽縦え】
>[副]《「たとい」の音変化か》「たとい(仮令)1」に同じ。「―親友でも許せない」
>「―むだになってもやってみよう」


http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=たとえ&dtype=0&stype=0&dname=0ss
>たとえ[たとへ] 32 【例え・▼譬え・▼喩え】
>[1] たとえること。また、たとえられた事柄や話。
> ・ ―にもあるとおり、…
> ・ ―を引く
>[2] 同じ種類の物事。例。ためし。
> ・ 世の―に漏れず → (句)例えを取・る



「藤原定家が生まれたのは応保2年(1162年)で、平治の乱(1159年)の3年後だよ」
というのもまた、2ちゃんねるの別のスレで突っ込まれていた (Read More 参照)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/藤原定家
>藤原 定家(ふじわら の さだいえ、1162年(応保2年) - 1241年9月26日(仁治2年8月
>20日))は、鎌倉時代初期の公家・歌人。


http://ja.wikipedia.org/wiki/平治の乱
>平治の乱(へいじのらん)は平安時代末期の平治元年12月9日(1159年1月19日)より
>発生した、院近臣らの対立により起きたクーデターである。


http://ja.wikipedia.org/wiki/承久の乱
>承久の乱(じょうきゅうのらん)は、鎌倉時代の承久3年(1221年)に、後鳥羽上皇が鎌
>倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れた兵乱である。


藤原定家の「紅旗征戎わが事にあらず」は、「治承四年(1180年)」、定家が 19 歳の
ときの言葉とされている。つまり、治承・寿永の乱 (1180 年から 1185 年) の頃のこと。
唐沢俊一が何を考えて、定家の生まれる 3 年前の平治の乱と、60 歳くらいで起こった
承久の乱をあげながら、治承・寿永の乱をすっ飛ばしてしまっているのかは謎。

http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C478131471/E768534415/index.html
>「紅旗征戎わが事にあらず」(藤原定家)
>日経日曜版で連載中の「日記をのぞく」(牧内岩夫編集委員)が面白い。今週からは
>藤原定家の「明月記」。冒頭にこの定家の名言が引いてある。さっそく孫引き。
>治承四年(1180年)9月のくだり。源頼朝の挙兵で時代は騒然としていた時、19 才
>の定家は平然と上のように言い放った。後世の歴史家は、このような時代の節目を前
>にして何を言っていたのかと定家のノンポリを批判するが、定家にしてみ ればそんな
>ことは「わが事にあらず」だったのである。


http://ja.wikipedia.org/wiki/治承・寿永の乱
>治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)は、平安時代末期の治承4年(1180年)から
>元暦2年(1185年)にかけての6年間にわたる大規模な内乱である。後白河天皇の皇
>子である以仁王による挙兵を契機に各地で平清盛を中心とする六波羅政権ともよば
>れる平氏政権に対する反乱が起こる。



で、まあ、唐沢俊一のこの日の日記の「面白さ」は、上記の間違いのせいだけが理由だ
ともいえなくて。

唐沢俊一自身が、「世界と自分との関連性のなさを想い、自己の卑小さへの嫌悪を感
じ、而してそれらへの諦念と共に自分の道を追い求めること」や、「世の中がどんな有り
様になろうと、ひたすら私の分を守って、裏モノとしての自分を可能な限りまっとうするこ
と」が人生において大事だとするのは勝手だが、どうしてそこに定家の「紅旗征戎わが
事にあらず」が出てくるのかと。

定家のこの発言を批判する人も好意的にとる人も、定家が何をどうしようと世の趨勢には
無関係な、卑小な存在の人物では決してなかったことをベースにしていると思うのだが。
結果的に「政治的な要職に就くことは適わなかった」とはいえ、それを狙うのがまるで
分不相応ともいえない生まれではあったわけだし。

http://d.hatena.ne.jp/caesar-blanca/20090308/1236519902
>「紅旗征戎、吾が事に非ず(こうきせいじゅう、わがことにあらず)」は、和歌の完成と
>頽廃を一身に担った藤原定家の日記「明月記」の中の一節。プレテクストは白楽天の
>「白氏文集」。「紅旗」は朝廷の権勢を示す旗。「戎」は古代中国西方にいた遊牧民族
>を蔑称で、「征戎」は、鎌倉の源氏を征伐するという意味。平安末期から鎌倉時代へと
>価値観の大転換期、戦乱の耐えない大混乱の最中、19歳の定家は「世の中のことも
>朝廷の権勢も源氏征伐も知ったことではない」と決然と書き記している。


http://ja.wikipedia.org/wiki/藤原定家
>定家が有職故実に深い知識を有していたことや政務の中心に参画することを希望して
>いたことは『明月記』などから窺い知ることは可能であるが、定家が憧れて夢にまで見
>たとされる(『明月記』安貞元年9月27日条)右大臣藤原実資のように政治的な要職に
>就くことは適わなかった[2]。



それだけならまだよいが、前段での個人の無力さの強調というものも半端じゃなくて。
そりゃまあ、大きな歴史のうねりの前には個人の意志などちっぽけなものだと書く人は
星の数ほどいるだろうけど、唐沢俊一の書いていることは、悪い意味でかなりユニーク。

いくら「構成員の意志と集団の意志はパラレルでないから」といって、「世界中の全て
の人間が戦争を忌避しても、国家や政府がそれを望むときには起こる」とは、また大きく
でたもんだなあと。戦争反対の国民が過半数でも戦争が起こる――くらいならまだ想像も
できるが、本当に「世界中の全ての人間」ともなると、国家や政府の意思決定に関わる
人間を含めて全員が「戦争を忌避」ってことじゃないのか、これでどう戦争を起こせるん
だろうと思ってはいけないんだろうか。

だいたい、戦争を起こすのがそんなに苦労なくできるもんならば、やれ戦意高揚とか、
世論を動かすために政府の皆さんがするプロパガンダの類は、実はいっさい不要な
ものだったということにもなる。

しかし、唐沢俊一は、戦争というものは「世界の潮流の中で起こるべくして起こっている
ものばかり」と書くばかり。さらに、「起こるべきではないものだって、起こらねばならぬ
ときには起こる」とも書く。……正直言って、解読はもう放棄するしか。せめて、それぞれ
の「べき」と「ねばならぬ」が、どういう意味――可能、当然、必然など――か、わかるように
書かれていれば、まだしもだったんだけど。

- http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=べき&dtype=3&stype=1&dname=2na
- http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=べし&dtype=0&stype=1&dname=0ss

さらに唐沢俊一は、「個人がそこに自分の意志を反映させられると思う、またされるべき
だと思い込んだとき、人は往々にして精神のバランスを崩しがちである」ともいう。何だか
よくわからないが、たとえば戦争反対・賛成の視点で候補者を選び投票するなどの行動
の全面否定なんだろうか。仮にも民主主義の国に生まれて、いちいちそんなことで「精神
のバランスを崩しがち」にならなくても。国民総ノイローゼって主張したいなら別だけど。

まあ、唐沢俊一ワールドでは、精神のバランスなどというものは簡単に崩れてしまうもの
であり、三島由紀夫の「精神が病み始めたのは 〈略〉 ボディビルなどで肉体を鍛えはじ
めてから」なんてことになっているから、それでもよい (?) のかもしれない。

ボディビルで精神崩壊したのは三島由紀夫の方じゃない

ちなみに、日記で唐沢俊一のいっている「三島由紀夫の『美しい星』にからめて語った」
というそれも、なかなか素敵な文章である。

『トンデモ本の世界R』の三島由紀夫『美しい星』 P.342 ~ P.343

「自分はそこらの平凡な連中とは違う。選ばれた、特別な存在なのだ」と
いう認識を持つことは、およそ人間と生まれ自意識のある者全てにとって
の、火の出るような願望であろう。


もう、「人間と生まれ自意識のある者全て」を巻き添えにしないでください、としか。



More...

http://www.23ch.info/test/read.cgi/books/1241964053/
-------
386 :無名草子さん:2009/05/13(水) 10:43:16

http://www.google.co.jp/search?q=%E4%BE%8B%E3%81%88+site:http://www.tobunken.com&hl=ja&lr=&safe=off&rlz=1T4SUNA_jaJP306JP306&start=0&sa=N

↑『裏モノ日記』における「たとえ」の使用例、正しく使っている例の方が少ないというのもスゴイ。


yahoo!知恵袋「例え/喩え/譬え」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310741123?fr=rcmd_chie_detail

>動詞「譬える」「喩える」、名詞「譬え」「喩え」は、それぞれ同じ意味です。

>「たとえば」 (副詞) を漢字で書けば「例えば」となります。
>“例を挙げれば” という意味です。

>「たとえる」(動詞)、「たとえ」(名詞)を「例える」「例え」と書くべきではありません。
>もしそう書いてあったら、表外漢字「譬」「喩」の書き替えに由来するものでしょう。
>副詞でも、「たとえ死んでも」の「たとえ」(仮令/縦令) には使いません。
>「いやしくも」を「卑しくも」、「かえって」を「返って」とは書きませんね。
>「例」「苟」「却」を訓読するとき「タトエバ」「イヤシクモ」「カエッテ」と読むことにしたのです。

-------

http://www.23ch.info/test/read.cgi/books/1242506776/601-700
-------
612 :無名草子さん:2009/05/21(木) 14:25:27
「裏モノ日記」2001年9月22日(土曜日)
ttp://www.tobunken.com/diary/diary20010922000000.html
>人間が生きるということは、世界と自分との関連性のなさを想い、自己の卑小さへの
>嫌悪を感じ、而してそれらへの諦念と共に自分の道を追い求めることであろう。
>それを勘違いしたとき、人の行動や思想には傲慢さが生じ、自分が最先端にいると
>いう優越意識とは裏腹に、世界と乖離していく(これに関して私は、『トンデモ本の
>世界R』で三島由紀夫の『美しい星』にからめて語ったのだが)。さて、今の私に
>とって大事なのは、世の中がどんな有り様になろうと、ひたすら私の分を守って、
>裏モノとしての自分を可能な限りまっとうすることだろう。藤原定家が、平治・
>承久の乱と紛騒が続く世の中にあって、“紅旗征戎わが事にあらず”と歌道に専念
>したことを想うべきなのだ。

632 :無名草子さん:2009/05/21(木) 16:34:30
>藤原定家が、平治・承久の乱と紛騒が続く世の中にあって、
>“紅旗征戎わが事にあらず”と歌道に専念したことを想うべきなのだ。

藤原定家が生まれたのは応保2年(1162年)で、平治の乱(1159年)の3年後だよ、唐沢先生。
治承・寿永の乱(1180-85年)から承久の乱(1221年)にかけて、としておいたほうがいいんじゃねw




633 :無名草子さん:2009/05/21(木) 16:40:04
なにやらしても駄目な子だな…

634 :無名草子さん:2009/05/21(木) 16:42:29
誰だよこんなハゲをライターにしたやつは

-------

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