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2011.11.29 (Tue)

志ん生と談志と唐沢俊一

http://www.tobunken.com/news/news20111124132804.html

イベント
2011年11月24日投稿
「可愛げ」の男 【訃報 立川談志】

「噺なんかやらなくッたッていいンだ。正ちゃん帽かぶッて
綿入れ着て、座布団に座ってニコニコしててくれりゃアいい。
生きていてくれさえすりゃアいいんで……」
……と、いうのは、古今亭志ん生が亡くなったときの、立川談志
のコメントである。伝説の人というのは、たとえ耄碌しても
何でも、ただ生きていてくれるというだけで価値があるものなんだ、
という愛情あふれた言葉であったが、自分自身について、談志は
そういう伝説の人になることを拒否したようだ。

21日に死去、そのまま家族が密葬して、23日になるまで、
弟子たちにも全くその報せがいかなかった。死に様を見せないという
美学と言えば一種の美学ではあるが、仮にも一門を率いる人間として
弟子たちにはまことに困った、迷惑な話である。しかし、最後の
最後まで家元のワガママに迷惑をかけられたという、弟子たちにとり
「高座での話のタネ」
という最高の遺品を残して逝った、と言えなくもないだろう。
最後まで談志流を貫いた一生だった。


http://ja.wikipedia.org/wiki/古今亭志ん生_(5代目)
>「高座に座る姿そのものが一枚の絵であり、落語である」とまで言われた志ん生である
>が、現代では考えられないようなエピソードにも事欠かない。ある日、志ん生は酔っ払っ
>たまま高座に上がって、そのまま居眠りを始めてしまった。それを見た客は怒るどころ
>か粋なもので、「いいから寝かしてやろうじゃねえか」「酔っ払った志ん生なんざ滅多に
>見られるもんじゃねえ」と、寝たままの志ん生を楽しそうに眺めていたという。しかし、こ
>の客が言った「寝かしてやろう」は、実は3代目三遊亭圓歌が作ったエピソードであり、
>圓歌本人が語っている。


http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/274912
>しぐさも芸に見せた古今亭志ん生が、酔って高座に上がり居眠りを始めた時、弟子が
>起こそうとすると客から声あり。「寝かしといてやれよ」

>▼居眠りを始めた客に怒って高座を下りた落語家もいた。立川談志さん。13年前の
>独演会でのこと。「お客さん、寝ちゃって大丈夫かい」と振ってみてもサッパリなので
>「やってられない」となった

>▼退席させられた客は主催者を相手取って損害賠償請求訴訟を起こし、棄却された。
>談志1 件さんいわく「独演会でのお客さんとの空間を壊されたことに腹が立った。客と
>芸人の空間を大切にしてくれた裁判官に感謝している」


2ちゃんねるのスレでは (Read More 参照)、「談志師匠って生きながらにして伝説の人に
なったような記憶があるのは俺様の気のせいですか?」と怒っている (?) 人がいるようだ
けど、談志を伝説の人扱いしているのは、その書き込みをした人だけではない。

http://www.henshusha.com/interview/053-01.html
>元木 師匠は食道ガンの手術をしたり、いろいろなことがありました。だからといっては
>失礼ですが、二千人の会場でやっても完売してプレミアがつくほどの人気です。「談志
>は生きながら伝説になった」と言う人もいます。


以下の裏モノ日記などを読むと、唐沢俊一定義の「伝説の人」というのは、「やれ高座で
寝たの、演ってるうちに違う話になっちゃったの、というエピソードが“ちょっといい話”として
語られたりする」人のことのようだ。しかし、それだと「自分自身について、談志はそういう
伝説の人になることを拒否したようだ」というのが、今ひとつ意味不明になってしまうような
気もするけど。

裏モノ日記 2000年 01月 26日(水曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20000126000000.html

志ん生の場合、彼を聞きにいっても大ハズシする可能性がかなりあるので
ある。すでに伝説となった人だから、やれ高座で寝たの、演ってるうちに
違う話になっちゃったの、というエピソードが“ちょっといい話”として語られ
たりするが、金を払って出かけた客にとってはたまるまい。志ん生のファン
であることはバクチだったのだ(一時の談志がそうで、三回聞きに行った
うちの二回は投げて演っていた)。バクチだからのめりこむマニアがつくの
であるが、そうしょっちゅう落語を聞きに行くわけではない一般の客のこと
を考えれば、文楽の持つ安心感はむちゃくちゃに大きいものだったに違い
ない。


なにしろ、唐沢俊一は、別の日の裏モノ日記では、以下のようなことを書いているのだ。
ここで唐沢俊一によって語られている立川談志は、「伝説の人になることを拒否」する
どころではなく、「自分のキャラクターを、志ん生や先代馬風のように落語界の伝説として
後世に残」すために、計算づくで「奇人のわがままぶりを発揮」しているような人間では
ないか、ということになる。

裏モノ日記 2004年 07月 14日(水曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20040714000000.html

『本家立川流』用の座談会原稿テープ起こしやる。談之助やブラックから
聞いているエピソードでも、その現場にいた当人たちの口から聞くとさらに
生々しい。これは外野からの想像なのだが、なぜ、談志がこのように意味
のないイジメとしか見えない行動を繰り返すのか、については、談志一流
の歴史感覚のなせる業ではないか、と思える。すでに高座の面で自分は
全盛期を過ぎてしまっていることを自覚しながら、しかし川戸貞吉などの
功績でベストの口演はすでに記録されており、自分の名人としての名は
残る、ということでまず、安心しているのだろう。後は自分のキャラクター
を、志ん生や先代馬風のように落語界の伝説として後世に残さなくては
ならない、という意識があり、このような奇人のわがままぶりを発揮して
いるのではないか。ただ、多くの噺家のエピソードというのは、周囲に
とっては迷惑な奇行であっても、その天衣無縫故に可愛げが醸し出され、
“いい話”として伝えられる。談志の場合、頭がいいだけにそこに何か演出
というか計算というか、が見てとれて、スッキリしないものが 残るのである。


そして、唐沢俊一によると、「多くの噺家」の場合は「天衣無縫故に可愛げが醸し出され」
るんだけど、談志の場合は「そこに何か演出というか計算というか、が見てとれ」たという。

それでいて今回の立川談志の訃報にあたって発表した文章のタイトルが「『可愛げ』の
男 【訃報 立川談志】」であり、「伝説の人になることを拒否した」である。……やはり、
今ひとつ何をいいたいのかわからない。「最後まで談志流を貫いた一生だった」と唐沢
俊一は書いているが、彼のいう「談志流」とはどういうものか、はっきりしないのだ。


「噺なんかやらなくッたッていいンだ。正ちゃん帽かぶッて〈略〉」というのを、立川談志が
言ったとするならば、以下の裏モノ日記でいう、「芸と人気のどちらを選ぶと言われたら
私は迷わず人気の方を選ぶ」というポリシーによるものではないかと思う。伝説の人とか
“ちょっといい話”とかいうよりも。

裏モノ日記 1999年 12月 28日(火曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary19991228000000.html

マンガ人気が落語家としての志加吾にどう影響与えるかはわからないが、
家元・談志の言に“芸と人気を並べて人気を取らないような奴は芸人では
ない”というのがある。人気があるときは、それがどんな人気であれ利用
するくらいのバイタリティがなきゃ大成しない。人気を利用するか人気に
流されるかはまた別問題だが。


裏モノ日記 2000年 08月 18日(金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20000818000000.html

“芸と人気のどちらを選ぶと言われたら私は迷わず人気の方を選ぶ。
また、選ばない者は芸人ではない”というのは談志の有名な言でもある。
江戸の話芸であった落語を明治の世に会うものに改造し、定着させたの
は、実は名人・圓朝ではなく、その弟子で、ステテコ踊りで一世を風靡
した、鼻の圓遊であった。この人なくしてその後の落語人気があったか
どうか。これを全く評価していないということで、私は小島政二郎という
人(小説『圓朝』の作者)を少し見損なった気がしたものである。


実は、「噺なんかやらなくッたッていいンだ。〈略〉座ってニコニコしててくれりゃアいい」に
似たようなことは、先に引用したページの中にも登場する。

http://www.henshusha.com/interview/053-01.html
>元木 こんなこと言っては失礼ですが、あと何十年かして、高座で座ってられなかった
>ら、布団を敷いて寝ていてくれるだけでもいいから、出続けてください。

>立川 そう言ってくれる人もいるんですけどね。昔、志ん生師匠に言ったことがあるんで
>す。しゃべれなきゃ炬燵に入ってるだけでもいい。皆が見て「ああ、志ん生がいる!」っ
>て喜んでくれるからって。


座布団に座るのと炬燵に入るのとの違いはどちらでもよいとして、唐沢俊一の書いている
「古今亭志ん生が亡くなったときの、立川談志のコメント」は、本来は「昔、志ん生師匠に
言ったことがある」で、「ただ生きていてくれるというだけで」は「皆が見て『ああ、志ん生が
いる!』って喜んでくれる」だったと考えれば、ああそうだったのかと納得がいく。

落語ができなくなっても、ニコニコとのんびりと「生きていてくれさえすりゃアいい」とかいう
のは、「よかった」ではなく「いい」となっているせいか、本人が亡くなる前のコメントという
方がしっくりくるし、「生きていてくれさえすりゃアいい」と思われるだけなら、何も伝説の
人物である必要はない――というか、落語家でも芸人でないただの一般人でもよい。
志ん生が伝説の人といわれるのは、落語を聞きに寄席に足を運んだはずの客が、ただ
座っているだけ (または寝ているだけ) の志ん生の姿を見るだけで満足した (満足したって
おかしくないと思われていた) からではないかと。

だから、「そういう伝説の人になることを拒否」というのが、たとえば以下のブログの記述
のように説明されていたのならば、話はわかったのだが。

http://ameblo.jp/counselors/entry-10508322818.html
>脳梗塞から復帰したものの、やはり口舌が全盛時代にはほど遠かった。それでも、観
>客たちはただ座っている志ん生だけでもよい。酒に酔っぱらって寝ているだけで木戸銭
>を支払う!と口にした。落語家が、しゃべりもせず座っているだけでも見たいと言わせた
>志ん生は、存在そのものが噺家だった。しかし、立川談志は違う。芸に厳しい人だから
>こそ、照れ隠しに毒舌を吐く。とても、しゃべりもせず座っていることに我慢できないし、
>そんな自分を許さないのが談志だ。


「布団を敷いて寝ていてくれるだけでもいいから、出続けてください」と「言ってくれる人も
いる」、談志自身も志ん生に、それで客が喜ぶんだからと、似たようなことをいったことも
ある、でも談志の性格上、それはやっぱりできなかった……と。

一方、以下のような解釈をする人もいる。こちらをとると、「談志はそういう伝説の人になる
ことを拒否した」のではなく、なりたくてもなれなかったということになる。

http://monetimes.web.fc2.com/ez-rakugo06.htm
> 美津子さんの本にも、マクラ、マエフリで笑わせようと、日々ネタ作りに努力していた
>志ん生のことが出てくる。新聞やテレビで何度もキューバのカストロ首相の名を聞くの
>で、それをメモしておき、「え~ちかごろ、カストロさんなんて名前の人がいるようで、
>なんだか焼酎の親分みたいな名前の人ですが」とやるだけで大爆笑になったと。だけど
>これは計算されたおかしさじゃない。だって晩年の志ん生は、高座に出てくるだけでもう
>クスクス笑いなのである。志ん生が咳をしただけで可笑しい世界なのだ。これは藝とし
>て超えるとかの次元ではないだろう。
〈略〉
> 超えられないのは時代とキャラクタである。あの時代に「寝床」のさげをあんなシュー
>ルなものにしてしまう才能は、電気を発明したエジソンみたいなものだから、どんなにす
>ばらしい発明をしたとしても、電気で動くものである限り、なかなかそれは超えられな
>い。それが時代だ。
>  談志の苛立ちもそれに通じるだろう。この本の巻頭でも談志は自分と志ん生のどっち
>がすごいかと問いかけている。そう言った時点でもう負けている。なぜなら志ん生は「お
>れと談志のどっちが上か」とは言っていない。ジャイアント馬場が言ったように、リングの
>上で相手の周りを回ったらもう格下なのである。
〈略〉
>談志は実際は小心者であり律儀であり、それこそ手のひらに書きたくなるタイプだが、
>意地でもそんなみっともないことはするもんかと自分を追い込んでいた。毎回の高座を
>毎回が名人芸と呼ばれるようきちんと勤めているが、いちばん憧れていたのは高座で
>寝てしまう志ん生だった。ただしこれもキャラクタによる差はどうしようもなく、談志がそ
>の種の問題発言、行動をしても、それはしようとしてしているのが見え見えだから、味
>わいが違う。談志が高座で寝たとしても、それはそれをしようとしての狸寝入りである。


http://oshimas.iza.ne.jp/blog/entry/1611415/
>「志ん生師匠は、世に容れられなかった。その頃に決めた落語のルールに合わなかっ
>た。いわく、せかせかしてる、舌っ足らずであると、いろんな悪口をいわれてました。だ
>けど志ん生師匠は、人間の業(ごう)を語っていた。もっというと、人間が生きるために
>しょうがなくつくったルール、常識といったり、文明といったりしてますけどネ、それのどっ
>かの嘘に気がついていた」

> たぶん、めったに人をほめないと思われる談志さんの志ん生評には、どこかぬくもりが
>あった。


その他参考 URL:
- http://www.youtu.be/watch?v=rz061kWzc-A
- http://www.app-beya.com/shinsyo/we_love_b.html
- http://kogotokoubei.blog39.fc2.com/blog-entry-35.html
- http://nicosound.anyap.info/sound/sm8230579
- http://www.kakaa.or.jp/~fukasawa/dansi_yuigonjyou.htm
- http://www6.ocn.ne.jp/~hokugo/Ki010624.htm
- http://densukedenden.blogspot.com/2011/02/by.html
- http://blogs.yahoo.co.jp/yacup/57154121.html


で、「弟子たちにも全くその報せがいかなかった」件について。

談志の訃報がマスコミで正式に報道される前、ツイートや2ちゃんねるへの書き込み、
Wikipedia の記述編集などの形でのみ情報が流れていた時点で、談志の弟子たちは、
自分たちに知らせがきていないから、そんなのはデマだと、ツイートやブログで主張して
いた。その様子は、スレへの書き込みや、Wikipedia の記述を参照のこと。

http://ja.wikipedia.org/wiki/立川談志
>談志の死去の報は、一門の弟子たちを含む落語界・芸能界・知人の誰にも伝えなかっ
>た。家族のみで通夜・告別式(密葬)を挙行。2日の間、死を誰からも隠し通した。戒名
>は、生前自ら考えた「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこ
>じ)」。2日後、事務所(談志役場=息子慎太郎の会社)が死の事実をプレス・リリースし
>たが、その際も弟子たちに知らせなかった。弟子たちは、死の2日後に、テレビニュース
>等で談志の死を知ることとなる。このことは弟子である立川キウイ[3]や立川談慶[4]に
>は伝えられていなかった。


以下の報道でいう「肉体的にも気力も落ち、声の出ない談志をさらしたくなかった」とか、
「弟子やファンの持つダンディーなイメージを損ないたくなかったのでしょう」などの思い
を、唐沢俊一は「死に様を見せないという美学と言えば一種の美学」と軽く片づけている
ようで、「仮にも一門を率いる人間として弟子たちにはまことに困った、迷惑な話」だの、
「最後の最後まで家元のワガママに迷惑をかけられたという、弟子たち」とか、談志および
遺族に対して容赦ない。

http://www.asahi.com/obituaries/update/1123/TKY201111230478.html
>談志さん、戒名は自分で 手術後第一声「声は出るのか」
> 立川談志さんの長男松岡慎太郎さん(45)と長女弓子さん(48)は23日夜、東京都
>内で記者会見し、最期まで落語家を貫いた闘病生活を明かした。

> 談志さんは3年前に発症した喉頭(こうとう)がんが昨年11月に再発。家族は「余命
>2、3カ月」と宣告された。本人は「プライドが許さない」と声帯摘出手術をしなかった。
>今年3月の高座を最後に活動は休止。がんの進行で呼吸困難に陥り、気管切開手術
>をした。筆談の第一声は「しゃべれるのか、声は出るのか」だった。

> 闘病中、弟子たちとは夏に一度会っただけ。友人らと会うことはなかった。弓子さんは
>「肉体的にも気力も落ち、声の出ない談志をさらしたくなかった」と話した。23日午後3
>時に密葬が終わるまで、弟子たちも死去を知らなかった。

> のどを切開後にステーキを食べようとして死にかけるなど、最期まで破天荒だった。
>戒名は生前に自分でつけた「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもと
>かってこじ)」


http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20111125/enn1111251243011-n1.htm
>■(1)なぜ密葬だったのか?

> 談志さんは生前、落語の枕の中で有名な先達の例を引き合いに出し、「落語家が
>普通の葬儀やってちゃダメ。もっとバカ騒ぎをしないと」と苦言を呈したことがある。なの
>に、21日に喉頭がんのために都内の病院で亡くなった事実は23日まで弟子にも知ら
>されず、家族のみでひっそり荼毘(だび)にふされた。

> ニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」に24日、生出演した立川志らく(48)
>が言った。 「家元(談志さん)は『墓も、お経もいらねぇ。戒名も戒名代がもったいない
>から自分で決める、できれば病名は“ふとした病”がいいな』なんて言ってましたよ」

> 芸を極めた自身は恬淡(てんたん)とした境地だったのか。談志さんに近い落語関係
>者が語る。

> 「昨年11月にがんが再発。今年3月に気管を切開してからは、みるみる痩せていた
>ようだ。弟子やファンの持つダンディーなイメージを損ないたくなかったのでしょう」


上に引用の記事に書かれていたようなことは、24 日朝のワイドショーでもやっていたこと
であり、痩せて弱った姿を見せたくなかったという気持ちは、インタビューを受けていた
弟子たちにも通じていたように思えたのだけど……。

まあ、弟子たちは気の毒だったというのはあるし、「弟子たちにとり『高座での話のタネ』と
いう最高の遺品を残して逝った、と言えなくもないだろう」というのは、唐沢俊一なりの
あたたかいフォローと見えないことはない。……ただ、今回は、先に引用した 2004 年の
裏モノ日記の、「なぜ、談志がこのように意味のないイジメとしか見えない行動を繰り返す
のか」だの、「落語界の伝説として後世に残さなくてはならない、という意識があり、この
ような奇人のわがままぶりを発揮しているのではないか」だのという記述を見つけて
しまっているので、あまり好意的な解釈をすることは自分にはできない……。

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