2010年08月 / 07月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫09月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT  |  Top↑

2010.08.30 (Mon)

「『エロジェニカ』編集部の流山児祥」と唐沢俊一は言った

『B級裏モノ探偵団』 P.74 ~ P.77

「超三流腐敗挑発分子=板坂剛を血の海K・O! 下北沢ストリート・デス
マッチで30秒でコテンパン! 断末魔の悲鳴を上げ命乞いする板坂弱を
病院送り――必殺のアリ・キック三連発、右顔面に裂傷、血みどろの鉄槌
を浴びせ理不尽の魔=流山児祥、遂にあの板坂剛(バカサカヨワシ)を完全
殲滅!」
 ……東京スポーツだって最近はこんな過激な見出しをつけないが、これは
一九七九年、『漫画エロジェニカ』の読者のページ「コーヒータイム」欄に
報告された、編集部の論争結果報告である。当時、三流劇画の御三家と
言われていたのは『漫画大快楽』『劇画アリス』そして『漫画エロジェニカ』
の三誌だったが、その『大快楽』においてライターの板坂剛が、
「流山児祥殲滅エロジェニカ撃破」
 を叫んだことに腹を立てた『エロジェニカ』編集部の流山児祥が、当人の
板坂剛を下北沢に呼び出し、鉄拳制裁を加えた次第を報告した文章であ
る。論争どころか実際の流血騒ぎを巻き起こすような乱暴さがこの当時の
雑誌の編集者にはまだ残っていたらしい。文筆にかかわる者としてペンより
剣を優先させるとはなにごとか、と憤る良心的読者もおいでと思うが、文筆
者の中にはペンより剣(拳)の使い手としての方が面白い人物も、ままいる
のである。

●“オタク論争時代”の始まり
 まあ、編集者がここまで熱くなるというのは珍しいことに属するのかもしれ
ないが(それでも最近にもないわけではなく、洋泉社の『映画秘宝』編集部
が『キネマ旬報』編集部に突撃パイ攻撃をかけた事件は話題になったもの
である)、実際、この当時の三流劇画誌の読者投稿欄はアツかった。
 さきほどの鉄拳制裁であるが、その報告中のアジ文句がまた、凄いという
か時代錯誤というか、
「が、諸君、本当の斗いは現在始まったのだ、敵はいる! 確実に、現在、
現前に存るニセモノのウジャウジャケさを粉砕せよ! “下北沢”板坂剛
完全セン滅から更なる“エロ劇画最終戦争”へ突入せよ! 知は立ったまま
疾走し続けねばならない!」
 というもので、六〇年安保時の極左の機関誌もかくやという文体である。
実際、当の『エロジェニカ』読者からも、編集部一派は(板坂らライバル誌の
人間も含めて)六〇年バカ、と揶揄されていた。ただし、揶揄しながらも読者
はこの編集部のアツさに拍手を送っていたわけで、「(『エロジェニカ』のほか
に)読んでいるのはアクションヤンコミ朝日ジャーナル」
 などと書いてあった投稿があった。まだ、若者は日本を改革しなければ
ならない、という夢を(夢とうすうす感じながらも)持ち、自分たちを突き動か
すアジテーターを求めていたのである。
 この騒ぎの起こったのが一九七九年、というところが筆者には興味深い。
筆者は当時、大学生生活の真っ最中であったが、政治には泡沫候補政見
放送聞き比べくらいしか興味がなく、海外アニメーション研究団体「アニドウ」
に所属し(同じ頃、ここにはかの宅八郎も所属していた)、オタクへの道を
突っ走っていたのであった。
〈略〉
 流山児の言うような“エロ劇画最終戦争”はついに勃発せず、六〇年全共
闘世代は完全に過去の世界へと忘れられた。そして、世は争いを好まない
オタクたちの、不完全燃焼型あてこすり合い文章を中心とした論争時代へと
移行していたのであった。
 ……この時代の論争の典型例を作った人物がひとり、いる。それが、自分
であるところが情けないが。年代的に言うと、この『エロジェニカ』の文章から
さらに三年経った、一九八一年。


×『エロジェニカ』編集部の流山児祥が ○『エロジェニカ』執筆者の流山児祥が
×この当時の雑誌の編集者 ○この当時の雑誌の執筆者

「文筆にかかわる者としてペンより剣を優先させるとはなにごとか、と憤る良心的読者も
おいでと思うが、文筆者の中にはペンより剣(拳)の使い手としての方が面白い人物も、
ままいるのである」というのも興味深い。

『B級裏モノ探偵団』は、1999 年の本。それから 9 年後、2008 年の唐沢俊一は、実力
公使どころか「暴力をにおわせるメールよこして人を脅かそうとする」だけでもダメ、「連れ
てくる人間の空手の段数まで書き込む」なんてトンデモない、という「メンタリティ」の持ち
主に変わってしまったようなのだから。

http://nuremusume.blog20.fc2.com/blog-entry-701.html
> 裏亭 2008年08月28日 19:57
> すいません、私、暴力をにおわせるメールよこして人を脅かそうとする
> ようなメンタリティの人間のところに書き込んだりする主義は持たないのです。
> ここを見つけたのはたまたま、別のキーワードで検索したら見つけたという
> だけのことであります。
〈略〉
> 裏亭 2008年08月28日 20:42
> ああ、すいませんw
> パソコン通信時代の人間なのでどうしても、ネットに全体公開で
> 書き込むということは他者からのコメントを求めていること、という
> 認識がありますので。
> あと、暴力は恐れません。連れてくる人間の空手の段数まで書き込むような
> 幼稚な方とは席を同じうはできないなと考えるまでです。
> 書き込み、足跡はこれを最後にします。
> お騒がせいたしました。


その他参考:
「こんなこと言われたら殴るね」「暴力は恐れません」

まあ、それから 2 ヵ月もしないうちに、「オレ、知り合いからフランクにこんなこと言われ
たら殴るね(笑)」などと社会派くんでいったりするようになったのは、上記リンクでも紹介
した通り。「暴力をにおわせる」だの「連れてくる人間の空手の段数まで」だのと騒いだ
のは、一時の気の迷いだったのだろう。きっと。

http://www.shakaihakun.com/vol081/01.html
>唐沢 あまりに面白い反応だったんで、ネットでも「あなたとは違うんです」ってキー
>ワードが大流行していたじゃない。記事になりにくい、つまんねえ首相だと思っていた
>けど、最後になってようやく一発、かましてくれたねえ(笑)。実はこの質問してきた
>記者と福田が知り合いなんで、福田としてはフランクに冗談のつもりで言ったそうなん
>だけど、オレ、知り合いからフランクにこんなこと言われたら殴るね(笑)。



それはさておき、「で、『完全に過去の世界へと忘れられた』って誰のこと?」のエントリー
で、「材料が集められたら」やろうかなと書いた、「『エロジェニカ』編集部の流山児祥」と
いうのはガセだろうという件 (こちらコメント欄も参照のこと)。

流山児祥は『エロジェニカ』の執筆者だったとのことだが、では編集者であった時期は
いっさいなかったと証明するのは難しいかも……と思っていたが、当時『エロジェニカ』
の編集長だった方が、「流山児さんは執筆者で、編集部ではないんだが」とツイートして
くれたので、これは間違いなく、唐沢俊一が間違っているのだろう、と。

http://twitter.com/kureichi/status/22372564981
>「エロジェニカ」の編集長は高取英 @takatoriei さんで間違いないです。 RT
>@baudrateRA 「完全に過去の世界へと忘れられた」って誰のこと?
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-512.html
>約24時間前 webから


http://twitter.com/takatoriei/status/22389363178
>流山児さんは執筆者で、編集部ではないんだが、めちゃくちゃですね。RT @kureichi
>「エロジェニカ」の編集長は高取英 @takatoriei さんで間違いないです。 RT
>@baudrateRA
>約18時間前 Twittelatorから
>----
>takatoriei
高取英(月蝕歌劇団)



そして、ツイートでもふれた通り (Read More 参照)、気になるのは吾妻ひでおの扱いで、
唐沢俊一によると、「吾妻ひでおなどのロリコン作家にカルト的人気が集まり〈略〉三流
劇画ブームは退潮し、入れ替わるようにしてロリコン漫画ブームがノシ上がって」とかいう
ことになる。

ここで唐沢俊一のいう「三流劇画ブーム」とは、『漫画大快楽』、『劇画アリス』、『漫画
エロジェニカ』といった「三流劇画の御三家」によるもののはずだが、「入れ替わるように
してロリコン漫画ブームが」といったって、その吾妻ひでおは『劇画アリス』にロリコン漫画
を連載したりしていたという話。

http://ja.wikipedia.org/wiki/吾妻ひでお
>1969年に『まんが王』(秋田書店)でデビュー。ナンセンス色とSF色の強い作風で一定
>の支持を得るが、当時人気だった永井豪の『ハレンチ学園』のようなハレンチコメディ
>路線を編集者に押しつけられ、嫌々描いた『ふたりと5人』(1972年~1976年)が広い
>人気を得る。
>1970年代後半にマイナー誌に活躍の場を移し、SF・ロリコン(美少女趣味)・ナンセン
>スを組み合わせたマニアックな作品を続々と発表、吾妻ブームをまきおこした。 1978
>年から『別冊奇想天外』などで散発的に発表した『不条理日記』は、1979年に単行本
>にまとめられ、のちの「不条理ギャグ」「不条理漫画」と呼ばれるジャンルのさきがけと
>なった[1]。
>同年、日本初のロリコン同人誌『シベール』をアシスタントとともに制作出版、また自販
>機本(ビニール本・エロ本)の『少女アリス』誌などにロリコンマンガを発表した。
>メジャー誌出身の漫画家が同人誌やポルノ雑誌に描くことは当時きわめて異例であっ
>た。


http://blog.livedoor.jp/planet_knsd/archives/2005-03.html
>吾妻ひでおの漫画は、いつも池袋の友だちの所で読んでいた。「みだれモコ」(1976)
>だったか「チョッキン」(1977)だったか「やけくそ天使」(1980)だったか。当時はエロ劇画
>全盛の頃で、漫画を描いていた友だちの薦めで「劇画アリス」「エロジェニカ」「大快
>楽」など三流エロ劇画誌を読んでいた。ダーティー・松本、宮西計三、平口広美、ひさ
>うちみちお、羽中ルイ、あがた有為らがガンガン傑作を発表していた頃だ。確か桜沢
>エリカもこの辺りでデビューしたと思う


http://twitter.com/takatoriei/status/22403250311
>@baudrateRA 誰がかいてるんですか、劇画アリスは吾妻ひでおさん連載。エロジェニ
>カは美少女路線といわれ、レモンピープルの創刊にも執筆者重なってました。流山児
>さんは元全共闘、板坂、亀和田武も。だから一部は正しいが。
>約15時間前 Keitai Webから baudrateRA宛


個人的には、ひさうちみちおも気になったり。吾妻ひでおや内山亜紀とは違う路線だけど
可愛い絵柄で、セーラー服着た登場人物にエロいことさせてる漫画をみた覚えがある。

http://hccweb1.bai.ne.jp/~hda25701/hisauchi-ue.htm
>(3) 「三流劇画ブーム」は、「劇画アリス」「漫画エロジェニカ」「漫画大快楽」などを
>中心に1978-80年にかけて起こったもの。「劇画アリス」の編集者でありながら「夜、
>家に帰ってから「ガロ」と大島弓子を抱いて寝る」という生活を送っていた亀和田武は、
>「闘争的三流劇画論」(「マンガは世界三段跳び」・本の雑誌社・1980)で、当時の三流
>劇画誌は実話誌からエロ漫画誌という路線転換の中で作家が不足し、貸本、
>「COM」、「ガロ」、少年誌、アシスタントなど雑多な経歴の作家がふきだまるように
>集まり、いつとはなく「エロを描かされる」雑誌から「エロさえ描いていれば」何を描い
>てもよい雑誌に変化していったと書いている。(同書、p101-103)しかし、私のような
>少女まんが読みが「三流劇画ブーム」という言葉を聞くようになるころには、個々の
>作家や編集者はよりメジャーな場所で活躍を始めるようになり、ブームはすぐに去って
>しまった。


スポンサーサイト

テーマ : 読書メモ - ジャンル : 本・雑誌

03:55  |  その他の雑学本 間違い探し編 (324) +  |  TB(0)  |  CM(13)  |  EDIT  |  Top↑
 | BLOGTOP |  NEXT
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。