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2010.06.28 (Mon)

「ひねくれたSF者」にならなかった人のための今日泊亜蘭

裏モノ日記 2008年 05月 20日(火曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20080520115639.html

新聞で、今日泊亜蘭氏死去を知る。97歳。
日本SFにハマったかなり初期のころに『光の塔』を
読んだその衝撃が、かなり私をひねくれたSF者にしたような、
そんな気がする。
レトロフューチャーという便利な言葉がその後発明されたが、
『光の塔』はレトロでもない、アナクロフューチャーとでも
言うべき作品であった。伝法な江戸言葉を人々が駆使する
未来世界! 思いつこうッたッてなかなか思いつけやしない
世界観である。読みにくいっちゃアありゃしない小説だったが、
しかしこの世界観に一度ひたると、小松左京も光瀬龍も子供っぽく
見えたのは確かであった。
SFの描く未来像が、実は未来ではなく過去のアナロジーなのでは
ないか、SFの魅力ってのはソコなのではないか、
という思いがそれからずっとしていたのであった。
実質的な未来派志向の福島正実とソリが合わなかった、と聞いて
さもありなん、と思ったものである。

はっきり言ってストーリィテリングは極めてあやふやな人だったが
語り口と設定がユニークで(題名を今、思い出せないが古代から
よみがえった吸血鬼を退治する考古学者を、実際“オリエントの宮様”
として有名な三笠宮崇仁をモデルにして描いていた短編があり、
コンナことを思いつく人の頭はどうなっているんだろう、と
ひっくり返ったものだ)、いかにもシャレていた。
父親がビアズレータッチで谷崎潤一郎の挿絵などを描いていた
水島爾保布、というのも驚く出自だが、幼い頃から東京の
(父子共に根岸生まれ)、多くの文人・画人に囲まれて育った
ところから、自然、観察力と表現力を研ぎ澄まされていったの
であろう。江戸っ子の口の悪さに言語学者としての語彙の豊富さ
が加わり、かなりのものであったらしい。


見よ韜晦の今日泊亜蘭 (?)」の続きみたいなもの。

かなり前、連休の頃 http://twitter.com/baudrateRA/status/13242247685 に、
-------
http://book.2ch.net/sf/kako/1001/10018/1001810676.html を読んだおかげで、
何か今日泊亜蘭読むぞスイッチが入ってしまった。注文したのが届くのは早くて10日だけど、
ゲットできたら読みまくろうと♪
9:01 PM May 2nd TweetDeckから
-------
などと書いて、ずっと放置してしまったわけだが。いや、上のツイートを書いたすぐ後に
本は無事届いて、読んだ後は「何コレ」と、よい意味で呆然としていたりしたんだけど。
( http://book.2ch.net/sf/kako/1001/10018/1001810676.html は Read More
参照のこと。今日泊亜蘭が「電脳」という語を発明したとかいろいろ書いてある)。

で、自分の感想としては、以下に引用する人のものに近くて、唐沢俊一が日記でいう
「読みにくいっちゃアありゃしない小説」、「ストーリィテリングは極めてあやふやな人」
なんてのは、ガセもいいところだと主張したい。これまで未読だった自分の間抜けさを
棚に上げ、その手の判定は主観に左右されるものに過ぎないのではという批判は覚悟
の上で。

http://delta16v.sblo.jp/article/15111790.html
>「光の塔」は一時刷り増しをした記憶はあるのですが、今はまた絶版になっているよう
>です。早川はなんであんな名作を品切れにしておくかな。福島正実氏とは折り合いが
>悪かったらしいが(どうやら福島氏側がよくなかったらしい)、まさかそれが原因ってこ
>とは、ね?どうなんでしょう。

> それにしても「光の塔」です。スピーディな展開。かっこいいアクション(天ン邪鬼の竜
>こと黎竜四郎が本当にかっこよい!)。広がる伏線が見事に収束する構成。どこをとっ
>ても国産SFの代表となりうる一作だと思います。これが1962年初版だから驚きます。
>国産SFとして最初にして既に完成品。

> なにしろあの素晴らしい未来の江戸弁に驚くべきです。あれこそが真の「口語体」と
>いうもの。また地の文の平易さ、読みやすさも素晴らしいです。本当によい日本語で
>す。未読の方は古書を探してでも、ぜひ一読を。


まず、上に引用した人のいう『光の塔』での「素晴らしい未来の江戸弁」は、唐沢俊一の
いう「伝法な江戸言葉」で普通想像されるそれとは、ちょっと異なるようなもので……。

『光の塔』 P.143
>同時にこれもいやに馴れ馴れしく、笑いを含んだ声がした:「ヘイ、親父(パト)! チョT
>待って!」――およそこの国際語『父(パテル)』から転訛し崩れてきた『パト』という俗語
>くらい、人を敬して敬せざるの甚だしきはない。典型的な現代言葉である。


『光の塔』 P.165
>「ップローバ(畜生)!」
> とかれは叫んだ。
>「よもやTァ思ったが………おッさん、ヤルじゃねえかヨ!」


これを「読みにくいっちゃアありゃしない小説」などといっていたら、たとえば『リングワー
ルド』シリーズなどさえも読みにくい小説ということになってしまうはず。……まあ、唐沢
俊一は「『リングワールド』も読んでいるかどうか怪しい」とは、「うーん、運がよければ
政界は天国?
」のエントリーに以前書いたことがあるのだけど。

さらにいえば、ハインラインあたりも「読みにくい」ということになりかねないのだが……
本当に中学のとき、ちゃんと読んでいたのかハインライン……。

http://www.tobunken.com/diary/diary20000806000000.html
>中学一年のころSFにはまり、図書委員だった特権を乱用して図書館にSFを入れよう
>と画策していたころはもちろん、ハインラインのアシモフのというSFのド本流をいって
>はいたが、それだって、SFというもの が当時、文学の本流からはずれた傍流だった
>からである。末端に立たねば面白いものは見られぬという私の本能みたいな嗅覚
>が、常に端の方へ端の方へと私を引っ張っていくのである。


百歩譲って「江戸弁」の会話が「読みにくい」としたって、その部分は印象的ではあっても
全体からすると一部に過ぎなくて、本の多くをしめる地の文や「江戸弁」ではない会話の
部分は癖のない読みやすい文章なのだから、どうもこれは後述の『宇宙兵物語』と混同
しているのではないかという疑いが消えない。(『宇宙兵物語』が「読みにくいっちゃアあ
りゃしない小説」だといいたいわけでは決してない)。

そして『光の塔』が、1962 年発表の国産最初の長編 SF とは信じられないほど完成度
が高いのは、上に引用したブログの人も書いている通り。唐沢俊一の文章だけを読んで
いると、なかなかそうは予想できないだろうなというのが、裏モノ日記の記述の残念な
ところのひとつではある。

まあ、唐沢俊一の場合、ウインザー・マッケイのアニメを「どれも夢オチでお茶を濁す」と
ホザいた件 (ここを参照) もあるから、いきなり出現した完成度の高い作品を評価するの
はとことん苦手ということなんだろう。

『光の塔』はまた、これが 1962 年の国産 SF にしてはオーパーツじゃないかというくらい
にニューウェーブしている小説でもあると思った (←私見、意味不明だったらスマソ)。
ディレーニより先に言語の蘊蓄を小説内で語る人がいたのか、言語学にうちこんだ今日
泊亜蘭ならではの凄みかなあと思った。

『光の塔』 P.108 ~ P.109
>「アーとかオーとか、我々の国語にも無数にある長い母音を考えてみてくれ:たとえば
>『トーヨー(東洋)』という言葉を発音すれば、二つの長母音をふつうの単音たとえば
>『トヨ(豊)』のそれぞれ二個分の長さだろう? 大がいの国語ではそうなんだ。そして
>『トーヨー』と『トヨ』では意味が違う」
>「なるほど」
>「そして普通音の三個分の長さ以上の長母音というものは、人類の場合、大がいの
>言語で基本的には使われないか意味をなさない。たとえば独逸語で『毛:HAAR
>(ハール)』という言葉の長いアーは、普通のA一個の二倍の長さで、それを三倍に
>引伸ばしてみたって意味の変りは来たさない。ドイツ語では、そして我々のもそうだ
>が、それは只、発音上の修飾にすぎない」
>「ウム」
>「火星語ではそうじゃないんだ:ここでは音の長短は基礎的に単語の意味につながり
>あっている。かりに通常の二音ぶんの長さを甲とすると、別に三個ぶんの長さにあた
>る乙類の長音:いわば『長長音』があって、甲と乙では単語の意味がぜんぜん違う
>場合があるんだ」
>「そうか!」
> 照岡はキセル巻を叩きつけるように足もとへ捨てて踏み消した。「思い出したヨ!
>――その通りだ。大尉の『HHHHT』という発音は妙に長かった――じゃ、そこにも何か
>隠れていたと君は言うんだナ? 何が隠されてたんだ。『フート』と『フウーート』との
>違いが語法的に明らかに存在するとすると、それはどういう事になるんだ」


これが、『時計じかけのオレンジ』が発表され、ディレーニが『アブターの宝石』でデビ
ユーした 1962 年の本で、しかもそれは 1961 年の『宇宙塵』の連載をまとめたもの
だから、海外 SF の真似とも考えにくい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/時計じかけのオレンジ
>『時計じかけのオレンジ』(A Clockwork Orange)は、イギリスの小説家アンソニー・
>バージェスによるディストピア小説。1962年発表。〈略〉原作同様、映画も主人公で
>ある不良少年の一人称の物語であり、ロシア語と英語のスラングで組み合わされた
>「ナッドサット言葉」が使用されている。


http://ja.wikipedia.org/wiki/サミュエル・R・ディレイニー
>『アブターの宝石』The Jewels of Aptor 1962年
〈略〉
>『バベル‐17』BABEL-17 1966年


「アナクロフューチャー」だから (?) 「実質的な未来派志向の福島正実とソリが合わな
かった」というのもどうかなあと思う。何歩も先を進みすぎていた年長の今日泊亜蘭が、
ひたすら脅威に感じられたのではないかと勝手に想像してみたり。方向性でいえば、
Speculative Fiction なのがいけなかったとか……?

http://ja.wikipedia.org/wiki/日本SF作家クラブ
>当時『SFマガジン』編集長だった福島正実の音頭取りによる設立で、福島が意図して
>いたのは、純文学への対抗意識とプロによるSF界のリードだったと言われる[4][5]
>[6]。そのため、『SFマガジン』とともに当時の日本SFを牽引していた同人誌『宇宙塵』
>を主宰していた柴野拓美は意図的に外されていた[7][8][9][10]。
〈略〉
>クラブ発足時に外された柴野拓美以外に参加しなかったSF作家には、日本のニュー・
>ウェーブSF運動を先導していた山野浩一がいる。山野は思想の違いから再三の入会
>の誘いを拒んで入会しなかったという[20]。(なお、山野は2007年の世界SF大会の
>「speculative japan」パネルに出席し、翻訳家増田まもるが創設したサイト「speculative
> japan」の理念に賛同したことから、2008年1月に入会した[21]。)



ええと、それから、唐沢俊一は、「題名を今、思い出せないが古代からよみがえった吸血
鬼を退治する考古学者を、実際“オリエントの宮様”として有名な三笠宮崇仁をモデルに
して描いていた短編があり」とか書いているが……。

「題名を今、思い出せない」というのもひどいし、内容の要約のしかたもひどいと思うが、
紹介されている (紹介になっていない?) 作品の方は良作で、『海王星市(ポセイドニア)
から来た男』に収録されている「ムムシュ王の墓」というのが題名。主人公の名前は、
「阿兎ノ宮義仁」という。

『海王星市から来た男』 P.10
>「その他にも個々の小さな踏査や探検はいくども試みられてきたが、一つとして成功
>したものはないのです」
> 古代文化史では世界的権威のひとりに指折られている阿兎ノ宮義仁殿下は、その
>特徴のある大きな額ごしにジッと来客をみつめながら語りつづけた:


http://homepage2.nifty.com/amane-s/book/body/2005/2005-5.html
> 主役は、阿兎ノ宮義仁殿下。おだやかな物腰が、歴史ミステリ調に落ち着いた雰囲
>気を醸し出してます。けっこう突拍子もない“秘密”なのですが。


http://mimizun.com/log/2ch/mystery/book4.2ch.net/mystery/dat/1089320252.dat
>6 :名無しのオプ:04/07/10 02:22 ID:HdvPGfIQ
>「海王星市から来た男」の収録作品は、どれもトリッキーだったなあ。
〈略〉
>26 :名無しのオプ:04/08/21 19:32 ID:jheCUvlM
>>>6 「ムムシュ王の墓」に出てくる宮様って名探偵だよな。

>27 :名無しのオプ:04/08/22 10:50 ID:057ino/p
>海王星市から来た男でググったらこのスレがトップでわらった。


主人公は、「古代文化史では世界的権威」というだけではなく、「名探偵」でもあり、
現代科学にもやたら強い万能な人でもあったり。


さて、唐沢俊一は『光の塔』と『宇宙兵物語』を混同しているのではないかと先に述べた
が、そう思った理由は、『宇宙兵物語』の方が「伝法な江戸言葉」というのにふさわしそう
な会話文のしめる割合が大きいこと、唐沢俊一が書いた「読みにくいっちゃアありゃしな
い」、「ストーリィテリングは極めてあやふやな人」というデマ――あえて断言させていただ
く――の元ネタになったのではないかと思われる記述が、解説の文章にみられるためで
ある。

「S-Fマガジン編集長/今岡 清」による『宇宙兵物語』の解説

『宇宙兵物語』 P.332 ~ P.334
> 本書を手にとられた読者は、文章を楽しむことについて、すばらしい機会を手にした
>と言えよう。今日泊亜蘭の文章は流麗にして闊達、登場人物は現実の人間以上に
>いきいきと語る。

>  「ぶっ放しやがったナこの兵六玉め! もう堪忍袋の緒がきれたぞ! アタマへ
>  来るほど鬱陶しく追ッかけ廻しやがるのは刑事(いぬ)に惚れられた身の因果と
>  あきらめてもやるが、ドスぱちんこの沙汰におよぼうというなら用捨はしねえ。
>  サア来やがれ、ボロ舟もろとも土手ッ腹へ風穴あけてやらア」

> この文章を読めば、胸がすく、という言葉が実感としてわかってくるだろう。いまどき
>は美文ばかりがすたれているだけでなく、悪口雑言のたぐいまでも日本語の中で
>やせおとろえている。美しい峰もなく、切りたった崖もなく、ただただ平板な、標準語に
>おさまりかえってしまっている。今日泊亜蘭のような文章というのは、そうした時代に
>あって日本語の表現の幅広さを目のあたりに見せてくれる、きわめて貴重なものだ。
> もっとも、この解説は文章鑑賞講座をやっているわけではないから、こまかな点に
>ついての鑑賞の手引きなどをしようというわけではないし、現代日本語の乱雑なこと
>をただ嘆いているわけでもない。ともかく、ここに引用したような胸のすくような文章、
>また情緒纏綿とした文章がちりばめられているのが、今日泊亜蘭の小説である。
>そして、読んでいれば何はともあれ気持が良いのだ。
> 今日泊亜蘭の小説を読む時、小説に対してこんな言い方が失礼なのは承知であえ
>て言えば、ストーリーなどなくとも読んでいる快感をおぼえる。これは、実は小説として
>は不可欠の要素であり、またしばしばSFにおいては忘れられがちなことである。
> どんな魅力的なアイデアがあろうと、魅力のない文章の彼方にそれが埋もれてし
>まっていては、とてもそこまで読み進む気力を失ってしまうというものだ。
> もっとも、いまの若い読者には、本書の文章は多少読みづらいかもしれない。“標準
>語”にならされてしまうと、それに出てこない単語、漢字を読むことは、たしかに慣れぬ
>作業にはちがいない。しかし、文章のおもしろさを満喫するための最低レベルの知識
>さえあればそれで充分なのだし、その努力の効はあると断言できる。極端な話、文字
>を知らなければ文章は読めないし、多少なりとも漢字を知らなければ大人の小説は
>読めない。それとまったく同じ理窟で、あと少しの知識を増やして、小説というものを
>満喫してはいかがだろう。


「中島梓」による『宇宙兵物語』の解説

『宇宙兵物語』 P.339
> 私は今日泊亜蘭の作品が好きである。『光の塔』以来、ずっと、今日泊亜蘭はもっと
>しかるべき注目と敬意をうけなくてはならないと思ってきた。しかし、多くの場合、SF
>ファンの口から、今日泊亜蘭の作品について語られるのをきかない。時代おくれだ、
>アナクロだ、というように思うのだろう。それでいて、かれらは、野田昌宏のノスタルジ
>アに喝采し、海野十三や小栗虫太郎を趣味的に愛する。懐古趣味としてしか、かれら
>には、現代と歩調を同じくせぬものを理解できぬのである。今日泊亜蘭は時代おくれ
>などではない。彼は、時代によって動かぬだけである。時代の一喜一憂もろとも浮き
>沈みしている木の葉のようなわれわれには、それがわからぬだけの話だ。


「いまの若い読者には、本書の文章は多少読みづらいかもしれない」を「読みにくいっ
ちゃアありゃしない」に。

「小説に対してこんな言い方が失礼なのは承知であえて言えば、ストーリーなどなくとも
読んでいる快感をおぼえる」を「はっきり言ってストーリィテリングは極めてあやふやな人
だったが語り口と設定がユニークで」に。

「時代おくれだ、アナクロだ、というように思うのだろう」を「アナクロフューチャー」だの
「未来派志向〈略〉とソリが合わなかった」に。

とにかく故人を貶め「追討」しないではいられない唐沢俊一 (ここの「失礼な訃報たち」
を参照) なので、この程度の悪意のある変換は朝飯前と思うが、どうだろうか。


おまけ:
http://www.asahi-net.or.jp/~li7m-oon/thatta01/that238/nzsf.htm
> この補巻に収録された<オール読物>昭和38年1月掲載の「独特の人」は「SF作
>家今日泊亜蘭こと水島太郎ミナモトの行衛なる人物はわが詩誌「歴程」では宇良島多
>浪と称する異才である」とはじまる今日泊先生紹介の一文。「寸志洞奇談、ドクターコ
>ボルトなど戦前書いて印刷されなかった千枚を越す大長篇はどうなったろう。戦後三
>田文学に「朝のタマゴ」という圧縮の利いた超短篇を発表したが、ショート流行以前
>だったから黙殺されてしまったようだった。」
> ショートショートを略してショートとかいってたんですか。この文章は全集を見て書い
>ていて、雑誌まで溯って確認していないので、題や掲載号が間違ってたり、収録時に
>改竄されてても知らないけど。
> しかし、そんな大長篇があったのか。どんな話なんだ。って、全集の1巻に「光の塔
>の作者」というほぼ同時期に<歴程>に発表した同主旨の随筆があって、そっちが峯
>島本で引用されとるがな。
> 殷の紂王の墓から考古学者が発掘したミイラが雷鳴で復活するってのが前者、話し
>が現代からどんどん溯ってエジプト十八王朝までいってしまうのが後者の筋立てだと
>いうが、峯島氏がたずねたら実際には完成してなかったのを辻がふくらませて紹介し
>ているんだという答えだった模様。

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