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2010.01.04 (Mon)

平成になってからはめっきり大人しくなったのかなの羽田の鳥居

http://www.tobunken.com/news/index.html#Event

イベント 2010年1月1日投稿
謹賀新年
〈略〉
写真は旧臘29日に羽田で撮った大鳥居。
羽田の鳥居はもともと穴守稲荷の鳥居でしたが、
昭和20年、進駐軍の羽田接収の折にこの鳥居だけが
駐車場の中に残され、平成11年、現在の場所に移転
されました。鳥居の奥には普通、神社があるのですが
ここはその先が空と海だけ、というのが何とも。
とはいえ、何か鳥居越しに見ると空と海の青さが
神々しく見えたことでした。
新年のみなさまの飛躍を祈り。

ちなみに少年探偵すばるとのツーショットです。
今年はすばる関連でも企画が目白押し。
それもお楽しみに!


「お楽しみに!」といわれても、なあ……。

特に間違ったことは書いていないし、「少年探偵すばる」とか書いてあるから、もしかして
ラジオライフの連載用にネタを温存しているのかなとは思うけど、それにしても羽田空港
の鳥居に言及していながら、よくここまでつまらないというか、無味乾燥な記述に終始
してくれるものだと。

で、せっかくなので (?)、派生ネタとして他サイトの記述を紹介してみるテスト。

http://www41.tok2.com/home/kanihei5/tokyo-anamori.html
>むかしむかし…羽田空港に神社があった。穴守稲荷神社という神社である。
>…羽田空港に行く途中、京急で穴守稲荷駅ってあるじゃん、と思った方、大正解。
>その神社の事です。戦前まで現在の羽田空港敷地内にあった穴守稲荷神社。そこは
>料亭があり、釣堀があり、海水浴場があり遊園地があり競馬場があり、の一大行楽
>地であったのだ。
>(穴守稲荷のホームページで当時の様子が伺えるので参照されたし)
>大勢の参拝客が押し寄せている当時の絵葉書などからその人気の様が伺える。また
>参拝客以上に隙間なく並べられ、積み上げられた鳥居の様子はチョット尋常じゃあな
>いレベルに達しているといわざるをえまい。いずれにせよ戦前のウォーターフロント行
>楽地として人気を博していたのは間違いないようだ。
>しかし、終戦直後の昭和20年9月21日、羽田三町の住民3000人は進駐軍の羽田
>接収により48時間以内の退去を命じられたというのだ。当時の方々の恨みつらみは
>想像するに余る。戦争に負けたとはいえ米軍に民間地を強制接収される法はないわ
>けでして。
>そんな怨念の象徴がかつて旧羽田空港ターミナル前の駐車場にあった赤鳥居。
>この赤鳥居、東京在住以外の方でも聞いた事がある方は結構多いと思う。いわく戦後
>米軍が撤去しようとしたら作業中に事故が起きたり、工事関係者に次々と災いが起
>こったり…という噂が立ち、今や立派な老舗の都市伝説と化している。
>その後、羽田空港滑走路拡張のため1999(平成11)年についに赤鳥居は現在地、
>弁天橋付近に移転したのだ。
>その際も色々噂が流れたが、この件に関してオカルト研究家の山口敏太郎氏は少な
>くとも平成の赤鳥居移転の際には祟りはなかった、と語っている
>まあ、戦後半世紀以上経ってもそのサイキックパワーがささやかれるほど穴守稲荷の
>霊力は人々の間に恐れられている、ということなのだろうか。


上に引用したページには、以下のようなことも書かれている。唐沢俊一は特に間違った
ことは書いてはいないと先に述べたが、「ここはその先が空と海だけ」というのは、実は
微妙に間違っているかも。

http://www41.tok2.com/home/kanihei5/tokyo-anamori.html
>ところで赤鳥居のすぐ近くにこんな不思議な建物が見えた。
>最初は港湾関係の小屋かと思ったのだが、よく見たら小屋の前に立っている角柱は
>角塔婆じゃないですか。
>行って見ると五十間鼻無縁仏堂とある。
>ここは多摩川の河口に位置している。震災や空襲においては大勢の死者がこの多摩
>川河口に流れ着いたという。
>この仏堂はその水難者を供養しているのだ。
>堂内は数年前に改装されたそうで比較的新しく、祭壇の中に祀られる古い仏像との
>ギャップが印象的だった。
>また、お堂の片隅には赤ちゃん人形が置かれており、一見水子供養っぽかったりす
>る。ま、供養堂だから似たようなもんすか。
>卒塔婆の向こうに並ぶたくさんの漁船。シュール過ぎて二の句がつげません。


まあ、これは供養堂だから、「神社」とはまた違うけど。

ちなみに、上記のページは現在の穴守稲荷神社の様子もレポしていて、一見をお勧め。
いや個人的に、赤い鳥居のトンネルとか、無数のミニ鳥居やミニ狐がツボだったので。


さて、鳥居の祟りの話としては、「オカルト作家・山口敏太郎氏は、少なくとも99年の
鳥居の移転にまつわる祟りの話は、実はデタラメだと断言する」との livedoor ニュース
の記事があったりする。

http://news.livedoor.com/article/detail/3637174/
> 羽田空港の敷地に取り残された鳥居は、“祟る”と言われており、人々から畏怖され
>てきた。元々、この鳥居は江戸時代から続く地元の穴守神社の鳥居のひとつであった
>のだが、昭和20年にGHQが羽田を国際空港にするため敷地を買い取り、移転される
>ことになった。そして、昭和20年に行われた移転作業中に不可解な事件が起こった。
>穴守稲荷の拝殿や他の鳥居は容易に倒されたのだが、問題の赤鳥居を倒す際、ロー
>プをかけて倒そうとしたところ、ロープが切れ作業員たちに死傷者が出てしまった。ま
>た、鳥居に手をかけた日にかぎって、飛行機の機器に不良が起こるという異常事態が
>続いたのだ。
> 結局、赤鳥居は残されたまま、昭和29年に東京国際空港ターミナルビルが建設さ
>れた。同時期には滑走路も拡張されたが、この工事中にも死傷者が続出した。また
>日本エアシステムでは昭和47年函館山で墜落事故が起こってから、毎月3日に会社
>幹部が、穴守稲荷に参拝するようになり、本社内どころか、整備場、旅客機、ヘリコプ
>ターなどに穴守稲荷のお札を貼るようになった。羽田・赤鳥居の祟りは近年まで続き、
>平成の移転に至ってようやく移動が完了できたというのだ。
> 確かにこの「羽田の鳥居」にまつわるうわさは昭和のある時期までは事実として語ら
>れていた。さらに、一部のムック本や怪談本では「平成の鳥居の移転のとき、作業を
>受け持った下請けの社長が死んだ」という話が語られているが、この話は事実ではな
>い。平成の鳥居の移転はなんの祟りもなく終わったのだ。実話ではなく、流布話(=
>都市伝説)として、フォークロアの一環という見地から評価するなら問題はないが、少
>なくとも実話ではない。
> 実は筆者は若いころ、この移転作業を請け負った企業・日本通運の社員であった。
>筆者は移転当時、日本通運関東支店広域営業に主任として赴任していた。この業務
>は、ゼネコンの鹿島が受注し、日本通運本社重機建設部が鹿島からの依頼を受け、
>作業を行った。無責任な怪談話では、町のトビが請け負ったように言われているが、
>この作業は“建設工事”ではない。この作業は“重量物運搬作業”であり、運送業者が
>請け負う作業であって、そもそも職種が違う。日本通運のアンダー、つまり鹿島からみ
>ると孫請けで、玉掛け作業や、クレーンの誘導などでトビが入ることがあっても、トビ関
>連の企業が一式を請け負うことはない。間違ってもスーパーゼネコンと町の一企業と
>の付き合いはありえない。また特殊な技術を必要とすることから、運送会社でも数社
>に限られてくる作業であった。
> 無論、筆者は当時から心霊・妖怪など不思議分野の研究に余念がなかった。故に
>この工事にも注目していた。しかも、筆者の直属の上司であったG課長が現場に立ち
>会ったのだ。作業の翌日、G課長に詳しく聞いたのだが、風がやや強かったというだけ
>で、何も呪いなどなかったというのだ。もちろん、鹿島から仕事を請け負った下請けで
>ある日本通運の社長が死んだという事実はない。


しかし、上で否定しているのは 1999 年の移転時での祟り話であって、1945 年の祟り
話はどうなのかなと思ったりもする。移転しないで残っているくらいだから、何かの事故
はあったのかと思う一方、噂にだいぶ尾ひれがついて語り継がれているんじゃないかと
いう気も。

それと、自分が最初に羽田空港の鳥居の祟りの話を聞いたのは、つのじだろうの漫画
だったような気がする。誰もがしっている話となっているのも、彼の貢献が大きかったの
ではないかと思ったり。

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