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2009.07.31 (Fri)

筒井康隆の「人生後半」って何年から開始?

裏モノ日記 2001年 11月 20日 (火曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20011120000000.html

純文学など、今やほとんど衰退し、食っていけない分野に落ちぶれている
が、しかし、歴史あるものとして、権威のみはいまだ高いのだ。筒井康隆の
ように、SFを捨て、文学者として認められることを人生後半の目標として
大あがきする人までいる。人間、やはり金の次は勲章を欲しがるものらし
い。かつての熱狂的筒井ファンとして、その見苦しさは地団駄を踏みたい
くらいなのだが、しかし、文学という世界の持つ魔力は、あの筒井康隆さえ
も狂わせるほど強いものなのである。

http://s03.megalodon.jp/2009-0730-0648-06/www.tobunken.com/diary/diary20011120000000.html

「SFを捨て、文学者として認められることを人生後半の目標として大あがき」について
は、2ちゃんねるのスレで、「いつ頃の作品のことを言ってるんだろう」といぶかしがられ
ていたりする (Read More 参照) が、それ以前に、唐沢俊一の定義では「SFを捨て」る
ことが「文学者」になることか、それも「純文学」という分類になるのかが気になったり。

筒井康隆で、「勲章を欲しがる」うんぬんといったら、最初に思い出されるのは直木賞の
数度の落選。これをネタに筒井は、『大いなる助走』を書いた。

http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun58TY.htm
>日本SF界の「暴れん坊」も、すでに大御所作家の風格。
>昭和52年/1977年~昭和53年/1978年『別冊文藝春秋』に連載した『大いなる助走』
>は、直木賞を想像させる架空の賞の候補者が、落選を怨みに選考委員を次々と殺害
>していくという筋で、話題となりました。


で、この騒動については、上にも引用させていただいた人のサイトが、さすが直木賞専門
サイトだけあって、詳しく面白く書かれていて。

- http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_db6c.html
- http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/2_6916.html

上記からの孫引用になるけど、筒井康隆は『腹立半分日記』に、

http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/2_6916.html
>  「一月十八日(水)
>  山田正紀、直木賞落選。何がSFブームだ。受難の日々はまだ続いているのだぞ。
>  山田正紀の落選は、正紀にとってではなく、選考委員諸作家にとって、非常にまず
>  いことになるだろう。なんちゃって。」


と、SF の過小評価を真面目に嘆いている (?) かのような文章を書いているかと思えば、
「「大いなる助走」騒動」の回想に、

http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/2_6916.html
>  「おれと肌あいの合わぬ編集長とはますます気まずくなり、田嵜君は間に立って
>  いろいろ苦労したようだ。特に名は秘すが文壇の長老のひとりが「あの連載をやめ
>  させろ」と、いちばん部厚い唇で怒鳴りこんできたりもしたらしいから、編集長とて
>  ずいぶんいやな思いをした筈であり、同情に堪えない。」


などと書いてもいる。もしかしたら、これが唐沢俊一いうところの「その見苦しさは地団駄
を踏みたいくらい」に該当するところなんだろうか。人それぞれとはわかっているつもりだ
が、このドタバタは、いいぞ、もっとやれー、と腹を抱えて笑うところだと思うが。

しかし、唐沢俊一のいう「勲章を欲しがる」が直木賞をさすとしたら、「純文学」というより
「大衆文学」だよなあと思う。実際の受賞作品を考えるといろいろブレはあるとしても。

http://japan.techinsight.jp/2009/01/maki20090106153.html
>基本的に芥川賞は、純文学の短・中篇作品が対象で新人に与えられるものである。
>直木賞は大衆文学の長篇や短篇集が対象で、元々新人に与えられていたが、最近
>では、ある程度キャリアを積んだ作家の作品に与えられることが多い。


推測するに、唐沢俊一の定義では、「文学」とは芥川賞の対象となるような純文学と、
直木賞の対象となるような大衆文学で構成されるものであり、「文壇」と呼ばれるもの
なのではないか。……これも乱暴な定義かもしれないが、深く考え出すと、「SFを捨て、
文学者として」とか、「文学という世界の持つ魔力」 (この「文学」には当然のように SF
は含まれない) あたりの記述に、まじめに腹を立ててしまいそうなので、そういうことに
させていただく。

で、「文学者として認められることを人生後半の目標として大あがき」とは、「いつ頃の
作品のことを言ってるんだろう」となると、次に考えられるのは、『虚人たち』、『虚航船
団』、『夢の木坂分岐点』、『残像に口紅を』といった「多種多様な実験小説」を発表して
いた 1970 年代末から 1980 年代にかけて――となる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/虚人たち
>それまでの作者の活動舞台(SF・中間小説誌)と異なり、純文学雑誌『海』(現在は
>廃刊)に1979年6月から1981年1月まで連載された。


http://ja.wikipedia.org/wiki/虚航船団
>純文学への進出以降、本作以外にも『虚人たち』『残像に口紅を』『夢の木坂分岐点』
>など多種多様な実験小説を発表しているが、この作品は数年にかけて他の執筆依頼
>を断って専念して執筆された意欲作であり、これまでに習得してきた欧米の文学理論
>や舞台俳優としての経験から自ら提唱する「感情移入批評」を駆使したその実験性が
>極限にまで推し進められている。


しかし、これらをさして、唐沢俊一のいうように、「大あがき」とか、「その見苦しさは地団
駄を踏みたいくらい」とかいうのが適切かといえば、かなりの違和感をおぼえる。「泉鏡
花文学賞受賞」、「谷崎潤一郎賞受賞」、「川端康成文学賞受賞」と、特に騒動もなく、
順調に賞をもらっていったように見えるので。いや、じゃあ、1970 年代あたりの直木賞関
連のあれは、「大あがき」の「その見苦しさ」で違和感がないのかと聞かれると困るけど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/筒井康隆
>1981年 『虚人たち』で第9回泉鏡花文学賞受賞(同時受賞:澁澤龍彦『唐草物語』)。
>1987年 『夢の木坂分岐点』で第23回谷崎潤一郎賞受賞。
>1989年 『ヨッパ谷への降下』で第16回川端康成文学賞受賞


http://ja.wikipedia.org/wiki/筒井康隆
>一方で、1971年より純文学雑誌『海』に作品の掲載をはじめ、純文学の分野にも進
>出。また同誌の海外作家特集を愛読し、ガルシア・マルケス、バルガス・リョサなど中
>南米の作家への興味を持った。1978年には大江健三郎の紹介から『海』編集長塙嘉
>彦の訪問を受け、中南米の文学について教示を受けるなどして大きな影響を受けた。
>同年、登場人物が自身を虚構内の存在だと意識しているという設定を持つ『虚人た
>ち』で泉鏡花文学賞を受賞。これを皮切りに、擬人化した文房具が乗り込む宇宙船団
>を描き純文学作品として刊行した『虚航船団』(1984年)、夢をモチーフに独自の文学
>空間を切り開いた『夢の木坂分岐点』(1987年、谷崎潤一郎賞)、使用できる文字が
>1章ごとに1つずつ減っていく『残像に口紅を』(1989年)など、メタフィクションの技法を
>用いた言語実験的な作品を多数執筆。


ちなみに、Wikipedia からの引用には「多種多様な実験小説を発表」、「言語実験的な
作品を多数執筆」などとあるが、筒井の「実験文学」について唐沢俊一の書いた「悪口」
は、ここで話題になったりもしていた。

http://netcity.or.jp/otakuweekly/BW1.0/column1-1.html
>東京っ子の星新一には、いまさら実験文学などという名で“文学者”という名声を得よ
>うともがくような、筒井康隆のような真似はできなかったに違いない



で、まあ、「中間小説誌」に作品を発表し直木賞候補になった 1970 年代はもちろん、
純文学の雑誌に書いて数々の文学賞受賞の 1980 年代の方をとるにしても、唐沢俊一
のいう「純文学など、今やほとんど衰退し、食っていけない分野に落ちぶれている」が、
「歴史あるものとして、権威のみ高い」から、「筒井康隆のように、SFを捨て、文学者と
して」どうのこうのとは、ここでもまた時空を大きく歪ませているとしか思えないけど……。

時空も歪ますトンデモ 80 年代で論破したんだと」もあわせて参照していただきたいの
だが、唐沢俊一が『国際おたく大学』に、「上記のものをネグった80年代は僕は認めな
い」と書いたもののひとつ、「なんクリ」こと『なんとなく、クリスタル』が 1980 年。

http://ja.wikipedia.org/wiki/なんとなく、クリスタル
>『なんとなく、クリスタル』は、田中康夫が1980年に発表した小説である。略称は「なん
>クリ」。1980年の第17回文藝賞受賞作品。1981年に第84回芥川賞の候補になった。


それ以外にも、『コインロッカー・ベイビーズ』、『ノルウェイの森』、『TUGUMI(つぐみ)』
などが、1980 年に売れた文学作品。

http://www.amazon.co.jp/dp/4062763478
>’76年に『限りなく透明に近いブルー』で群像新人文学賞、芥川賞を、’81年に『コイン
>ロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞


http://ja.wikipedia.org/wiki/ノルウェイの森
>単行本の発行部数は、上巻が238万部、下巻が211万部の計449万部。単行本・文庫
>本等を含めた日本における発行部数は2008年時点で計878万部[2]、村上人気が高
>い中国でも100万部以上が出版された[3]。上巻は、片山恭一の『世界の中心で、愛を
>さけぶ』に抜かれるまで、日本における小説単行本の発行部数歴代1位であった。


http://haryumy-fleur.jugem.jp/?eid=83
>特別企画・山本周五郎賞完全制覇!
>第2回・平成元年度受賞作は、吉本ばなな「TUGUMI」です。当時あまりに流行りまし
>たので私も読んでみましたが、どこがいいのかその頃は理解できませんでした。今改
>めて読むと、また違った思いがあります。


しかし、唐沢俊一の記述だと、その頃はもう文学は衰退し「食っていけない分野」になっ
ていて、だけど「金の次は勲章を欲しがる」筒井康隆は、「“文学者”という名声」を求め、
あがき、もがいていたことになる。なぜなら、「文学という世界の持つ魔力は、あの筒井
康隆さえも狂わせるほど強いもの」だから……。1980 年代の筒井って、金も充分稼いで
いたと思うが。


まあ、最初に引用した唐沢俊一の日記が書かれたのが 2001 年で、実際の数字はどう
あれ、バブル崩壊の 1990 年代を経て、文学が商業的に「衰退」した感じは、雰囲気と
してはわかるけれど。綿矢りさの『インストール』も 2001 年だぞというのは、おいといて。

http://ja.wikipedia.org/wiki/綿矢りさ
>高校在学中「インストール」で文藝賞を当時最年少の17歳で受賞しデビュー。大学在
>学中の2004年、「蹴りたい背中」により19歳で芥川賞受賞(金原ひとみと同時受賞)、
>同賞の最年少受賞記録を大幅に更新し話題となる。


そして 2001 年に書かれたものだと思えば、筒井が「SFを捨て」うんぬんも、印象として
はわかる気がする。個人的には、『朝のガスパール』 (1992 年)、『パプリカ』 (1993 年)
の頃は SF の人だという印象を強くもっていたんだけど、断筆宣言から復帰したときは
『邪眼鳥』だったし。その時点では、およそ 10 年後に「最高齢のライトノベル執筆者」に
なるとは予測できなかったし。

http://ja.wikipedia.org/wiki/筒井康隆
>近年は東浩紀との交流からライトノベルに興味を持ち、2008年『ファウスト』にてライト
>ノベル『ビアンカ・オーバースタディ』を掲載、最高齢のライトノベル執筆者となった。
>(挿絵はいとうのいぢが担当)。


http://mainichi.jp/enta/mantan/graph/book/20080823/
>「ビアンカ・オーバースタディ」は絶世の美女で学生のビアンカ北町が、ウニの生殖研
>究のためにあやしげな実験を繰り返していくうちに、不思議な出来事が起こるというSF
>タッチの青春小説


だが、1990 年代後半を念頭において語っているとすれば、SF は冬の時代を通り越して
氷河期とかいわれていた時期でもあるんだけど……。金より名誉というので「SFを捨て」
るどころか、金のため「SFを捨て」てもおかしくない時代。

http://www.asahi-net.or.jp/%7eFT1t-ocai/jgk/Jgk/Data/Satellite/Vol10/winter.html
> SF冬の時代という言葉を使い日本SFについて論じられたのは平成九年が最初で
>はない。記録をさかのぼってみると、四年前のSFマガジン93年12月号のテレポート
>欄においてすでに冬の時代の現状分析と打開への提言が述べられている。


http://homepage3.nifty.com/Noah/time_ser.htm
>1997年2月9日 日本経済新聞国内SF氷河期の様相


で、強引にまとめると、今回の唐沢俊一の時空歪みは、以下の 4 つを、まるで同時期に
起こったことのようにしてしまっていると思われる。

1. 日本で SF がブームだったといえる 1970 年代から 1980 年代前半にかけて
  (でも、SF 以外の「文学」も元気いっぱいで、より商業的に有利だったのは多分そっち)

2. 筒井康隆が中間小説誌に小説を発表し、直木賞候補になっては落選した 1970 年代
  (3 度の候補のうち、最初の『ベトナム観光公社」』は 1967 年、SF マガジン初出)

3. 筒井康隆が純文学系の雑誌に実験小説を発表、文学賞をいろいろ受賞の 1980 年代

4. 文学が衰退、筒井康隆は SF の人じゃなくなったようにみえる 1990 年代後半
  (その SF は「冬の時代」とか「氷河期」とか「SF クズ論争」とか……)


ところで、この日の唐沢俊一の日記は、「塚原くん」についても言いたい放題なような……。

参考:
- http://sv3.inacs.jp/bn/?2002030011350116031199.cybazzi
- http://oliinkai.hypermart.net/randay-f.shtml
- http://oliinkai.hypermart.net/1051449427.html

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