2009年04月 / 03月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫05月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT  |  Top↑

2009.04.30 (Thu)

本当はサークルの代表者ではなかった唐沢俊一

『トンデモ美少年の世界』 P.175 ~

 そして、実はこのブームを起こすきっかけとなったのは、その一年ほど前
から、各地方において、この作品の再放送を望む(もはや当時の状況など
忘れてしまっている方が大半だろうから説明しておくと『宇宙戦艦ヤマト』と
いう番組はその前年にテレビ放映されて、低視聴率のため打ち切りになっ
た)ファンたちが、草の根的に作り上げていたアニソン(アニメ番組の主題
歌)のファンクラブ・研究会の類であった。このファンたちの活動に目をつけ
た制作者によってやがてヤマトの再放送、そして編集版の映画、さらに新作
の上映へとつながっていく。
 当時僕は札幌を中心としたアニメソング研究会のサークルをまとめており、
北海道ネットのラジオ局にそういったコーナーを造らせたり、古いレコードの
コレクターたちに連絡をとってその音源を提供させたりしていた。札幌地区
だけのアニメ映画上映会などで、常時百人以上の参加者があったろうか。
ちょっと驚いたのは、そのほとんどが大学の一年生と予備校生であったこと
だ(僕自身予備校生だった)。
 ふつう、こういった子供向けのテレビマンガ──今では古臭い呼び方だ
が、当時アニメなんて言葉はめったに使われていなかった──を当然、
卒業する年代と思われていた十九、二十の人間が、かくまで熱意をもって
アニメとアニメソングのことを語り合えるのかと、火をつけたほうとしてもいさ
さか呆れる思いだったことを覚えている。



『トンデモ創世記2000』 P.32 ~ P.33

●唐沢 〈略〉それは札幌にアニメ、SFオタクのメッカとなった「リーブル
なにわ」という書店がありまして、この書店の店長だったHさんという人が
元々は詩のファンだったり、同時にファンタジー文学のファンでもあったん
です。国書刊行会の本とか月刊ペン社の「妖精文庫」だとか、他の本屋
さんには置いてないような本も売ってましたね。専門のコーナーまであって
札幌では一番売れている書店だったんだけど、我々はそこを溜まり場に
していた。〈略〉で、ドアの部分には物が置けないので、空いたスペースに
模造紙の「伝言板」を貼って、お客さんの意見交換の場にしてた。それこそ
最初はデートの約束だとか読書感想が書き込まれていたけど、徐々にアニ
メ・マニアのものになりはじめて、自分で選定した「手塚治虫ベストテン」
とか、「星新一作品ベストテン」とかを書く奴が出てきた。
その中に「『宇宙戦艦ヤマト』のファンクラブを作りませんか?」って、わずか
一行、目立たなくあったんですよ。すぐに連絡して参加しましたよ。
〈略〉
 あの頃、我々が喫茶店とか入ると、「じゃあ、今日は一日ヤマトのセリフ
だけで会話しましょう」とかね、そんな遊びをよくやってたな。とにかく、そう
いう世界に浸ることで自分のアイデンティティーを形成していた。今思うと
暗いように聞こえるけど、SFの草創期も似たようなもんなんですね。ある種
の文化的共同体を作るときには、まず独自性、それこそ他者との差違を
強調しないといけない。「アニソン以外絶対歌わない」と誓いを立てたりし
てね(笑)。僕はやらなかったけど。
 とにかく再放送率が一番高かったのは『宇宙戦艦ヤマト』で、「何でこんな
に北海道で再放送が多いんだ?」っていうことになるわけですよ。ヤマト関
連のレコードもずっと注文が続いたり。さっきの「リーブルなにわ」の上が、
レコード屋なんですよ。アニメのレコード注文がかなりあるんで、レコード会社
のコロムビアの営業マンや、出版の営業マンとかが、札幌の地方営業で
「リーブルなにわ」詣でをするようにまでなったんですよね。


まあ、何かと嘘の多い、唐沢俊一が語る彼自身の『宇宙戦艦ヤマト』ファン活動だが。

宇宙戦艦ヤマトのビッグネームファンになりたかった唐沢俊一?
本当はヤマトのファンでも何でもなかった唐沢俊一
角川歴彦さんにも感心してもらったんだぞという夢または妄想

2ちゃんねるのスレで発掘された (Read More 参照)、本当にリーブルなにわを本拠地 (?)
にした「アニメサークルの主催者」だった人のページの書きぶりから判断して、唐沢俊一
が『トンデモ美少年の世界』に書いている「アニメソング研究会のサークルをまとめてお
り」というのは、やはり嘘だったと判断してよいだろう。

http://www.clavis.ne.jp/%7Elistcam/profile/profile3.html
>アニメというジャンルを意識した事は無かったが、中学三年のある日の夜、何気なく
>TVをつけていると、「さらば~~地球よ~~~・・・」とオーケストラの無い合唱だけの
>テーマソングが流れ始めた。「なんやえらい渋い漫画やな」と思って注目すると、「ジャ
>ジャジャ~ン!宇宙の彼方、イスカンダルへ~~」と勇ましい音楽と共に、戦艦大和が
>宇宙を飛んでるではないか。あの時の衝撃は私の人生を大きく変えたのかもしれな
>い。25年前の話である。
〈略〉
>高校2年の当時、丁度私は札幌東区の玉ねぎ畑の真っ只中にある市立高校に転校
>して来た。学校では特に理由が有った訳ではないが、隠れアニメ・漫画アニアだった。
>放課後、そういった連中のたむろする中心街のリーブルナニワ書店に行って、その種
>の人種と交流する事が多かった。学校では軽音楽部でギターのケースを抱えて登校
>する長髪ジーパンの反戦スタイルだった事を考えると、かなり二重生活だったと言える
>かもしれない。3年のある時期に、特に理由も無く、たぶん私が男で、そのグループの
>ほとんどが女性で占められていた事から、アニメサークルの主催者に抜擢されてし
>まった。連日、大通周辺に集まり、喫茶店でアニメ談義で長時間を過ごした。当時の
>サークルメンバーには、今はそっち方面でも有名な、北星高校の唐沢直樹・俊一兄弟
>や、時には「炎の転校生」で有名な月寒高校の島本和彦なども顔を出していたようだ。
>サークル会報にも彼らのイラストが掲載されていた。もっとも、主幹事交代などを経て、
>そのサークルも数年後には休眠状態となり、いくつかの人脈を残して今に至っている。


「唐沢直樹・俊一兄」という書き方が、いかにも弟 (唐沢なをき) が主で兄の唐沢俊一は
従という感じで興味をひくが、もしも唐沢俊一が当時中心メンバーだったり「主幹事交代」
でとりまとめ役になったりということがあったとすれば、いくら何でもこのような書き方には
ならないはず。

特に唐沢俊一に対して悪気があるわけではなく、「サークル会報にも彼らのイラストが
掲載されていた」唐沢なをきや島本和彦に比べて、印象が薄かったから仕方がないと
いうことだろうけど。

http://www.clavis.ne.jp/%7Elistcam/profile.ssi (2009 年 4 月更新) と、ヤマトの放送が
1974 年開始ということから判断するに、おそらくこの人は 1959 年の 1 月生まれで唐沢
俊一と同学年ではないかと。浪人もしているから、唐沢俊一に後を引き継がせるというの
も時系列的には考えにくい。

2ちゃんねるのスレ (Read More 参照) には、「75年に高校時代を過ごして『長髪ジー
パン』で『反戦スタイル』とか言うの、ありなのかね?」という疑問の声も書き込まれて
いたが、他の人が答えているように、当時 (特に地方) では充分アリだったと思う。
ピークは過ぎているのは承知しつつ学生運動の熱気に何となく憧れる空気が残って
いたりとか。まあこれを書いた人は、「長髪ジーパン」といっても、ビジュアル系な感じと
はちょっと違って――ということを表現したかっただけという可能性もあるけど。

それより、「軽音楽部でギターのケースを抱えて登校」のあたりで、それでアニメソング
なのかと、今までのモヤモヤが晴れたような気分になった。いくら「『リーブルなにわ』
の上が、レコード屋」 (『トンデモ創世記2000』) といっても、音楽にはさほど強くない、
君の瞳は 1000 ボルト」の唐沢俊一が、なぜアニメソングのサークルをとりまとめること
になったのかという違和感があったので。

『トンデモ美少年の世界』にある「古いレコードのコレクターたちに連絡をとってその音源
を提供させたり」という唐沢俊一らしくない行動も、軽音楽部 (兼アニメやマンガのマニア)
だった人の活動だとすれば、ものすごく納得できる。

上に引用したページがもっと新しいものならば、唐沢俊一ウォッチャーを喜ばせる (?)
ためのツクリという可能性も考慮しなければいけないかもしれないけど、このページは
2001 年に WebArchive に収集されていて、今と同様の内容が確認できるし。

で、この時点で、「北星高校の唐沢直樹・俊一兄弟」「月寒高校の島本和彦」という
書き方をして、身元をあきらかにし、自分の会社へのリンクを貼っているページで嘘を
つくなんてことができる人は、あまりいないよなあ。蓋然性がとても低いというか。

ページには自慢めいた内容が含まれていないし。唐沢なをきや島本和彦にパシリをやら
せたことがある程度のことは、本人は忘れているかもしれないけどというエクスキューズ
つきでいくらでも書けるのに。

いやまあ「たぶん私が男で、そのグループのほとんどが女性で占められていた事から、
アニメサークルの主催者に抜擢」というのが、一種のモテ自慢ととれないこともないけど
(失礼)。唐沢俊一が、この人と人生代わりたいと思っても不思議ではないと想像させる
程度には。

スポンサーサイト

テーマ : 感想 - ジャンル : 本・雑誌

00:22  |  資料編 (14) +  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑
 | BLOGTOP |  NEXT
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。