2010.01.18 (Mon)
一円で唐沢俊一の本は買えますが
・一円で、昭和二二年には葉書が二枚出せた。昭和三五年にはチューイン
ガムが一枚買えた。現在では一円切手しか買えない。
「一円で、昭和二二年には葉書が二枚」は正しいとして。
http://homepage3.nifty.com/sanidai-nozomi/hagaki.htm
>昭和21年7月25日~ 15銭
>昭和22年4月1日~ 50銭
>昭和23年7月10日~ 2円
〈略〉
> **資料提供**北九州中央郵便局 須山裕隆さま
「昭和三五年にはチューインガムが一枚買えた」は、多分無理。バラ売りで低価格の
駄菓子屋のガムも、1 個 5 円で売られていたようなので。
http://www.maboroshi-ch.com/sun/pha_34.htm
> コリスの前身は昭和二三年に創業された「桔梗屋」。桔梗屋は笛ガムの研究を行
>う。昭和二七年一〇月に、一緒に笛ガムを開発して来た大阪の丹信堂が「チウイン
>ガム笛」の実用新案を取得する。この権利をハリスが買って、ハリス板ガムの断ち落
>しを利用し、コリスが笛ガムを作ってハリスから発売した(昭和三五年からは笛ガムの
>発売元がハリスからコリスへ変更)。ガムばかりではなく昭和三八年四月にはフエラ
>ムネも発売し、こども達に楽しんでもらえる菓子作りを行っている。
> マーブルガムを作る工場だった下新庄工場が昭和二八年五月にハリスから独立し、
>コリスは子ども向けのガムを作る。その時からあてクジガムはあった。「五円出して二
>〇円分のガムがもらえるかもしれない楽しみがあったので人気となりました」(コリス社)
>ガムだけに「夢がふくらんだ」のだ。
そして、「現在では一円切手しか買えない」と唐沢俊一は書いているが、1 円で買える
ものは、「一円切手」以外にもいろいろある模様。
たとえば、『トンデモ一行知識の世界』の出た 1998 年の時点でいえば、1 円の PHS、
ケータイも売られていたはず。加入料はかかるけど、本体価格は 1 円という感じで。
http://www.gojinka.co.jp/ichien/web/9610.html
>池袋駅で電車を降り、雨の中、ビックカメラに向かって歩くと、すぐに例の『PHS・
>1円』の看板が目にとまった。 店内に入ってみると京セラ製のDDIポケットの電話機
>に赤い"1円"のシールが貼られていた。
〈略〉
>「だからなんで一円なの? 五円でも十円でもタダでもいいのに、どうして一円になっ
>たの?」
> ぼくが訊くと男はそこではじめて露骨にメンドクサソウな顔を見せて、
> 「タダだと色々と問題があるんですよ。
> それで最低料金の一円で買って頂いているんです。
> でもお客さん、これはあくまでも電話機だけの値段で、後で加入料七千二百円をお
>支払い頂くことになりますんで、一円だけってことにはなりませんよ」
また、以下のリンクにあるのは、お試し価格の商品いろいろという感じ。
http://plaza.rakuten.co.jp/airgun/diary/200912240000/
>一円商品特集 一円で何が買えるのか
〈略〉
>楽天市場内の一円の商品を集めてみました。一円でもいろいろ買えますね。
定価で 1 円というのにこだわるなら、秋葉原の店で売られている部品いろいろとか。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1451406.html
>1円で買える物って?
>何も買えないと思っていましたが、
>「1円切手」と聞いて、なるほど!と思った事がありました。
>他にも何かあるでしょうか?(特売、限定品は除く)
〈略〉
>ネジ、歯車、ワッシャなどの細かい部品は、一円のものが何種類もあります。細かす
>ぎて10個1円とかもありますが、1個0.1円ではさすがに売ってもらえませんでした。
で、1 円で買えるといえば、Amazon で唐沢俊一の本も 1 円でたくさん売られていたな
――と思ってリストアップしようとしたのが運のツキ (?) で、予想以上の数で大変なこと
になってしまったというオチ。
Amazon 中古商品なら 1 円で買える唐沢俊一の著作一覧 (最初の数字は新品在庫数)
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まあ Amazon だけが書店ではないのだけど、新品の在庫が 0 冊、中古商品として 1 円
出せば入手可能という本については、プロフィールに書名をあげたりしない方が、なんと
いうか、みっともなくなくてよいのではないかと思う。(←大きなお世話)
2010.01.01 (Fri)
他人の宮沢賢治論についてアレコレ言っている場合ではない唐沢俊一先生 (3)
これが、桑原啓著『宮沢賢治と霊の世界』(土曜美術社出版販売)になる
ともっとすごい。
この著者は、宮沢賢治には霊の世界が見えていた、と言う。そればかり
か、賢治には霊媒の体質があり、始終、“あちら”の世界と行き来をしてい
たのだという。
著者が宮沢賢治の実弟である清六氏に聞いたところによると、賢治が
死後有名になったり、賢治のことを書く人たちがそれぞれ良い仕事をして
著名になっていくのは
「賢治があちらで一生懸命努力しているから」
とのことである。なんか、著名になることを求めるのは宮沢賢治にふさわ
しくないようにも思えるが、弟さんがそう言うんだから仕方ない。著者はこの
清六氏もまた霊媒体質であちらの世界が見える人に違いない、と直感する
が、話がそのことに及ぶと、清六氏は
「それはタブーですから」
と口を閉ざしてしまった、という。しかし、このことによって著者には、賢治
が霊の世界の具視者であったという確信をますます強めるのだ。
×桑原啓著 ○桑原啓善著
×このことによって著者には、 ○このことによって著者は、
「もっとすごい」というのは、「他人の宮沢賢治論についてアレコレ言っている場合では
ない唐沢俊一先生 (2)」のエントリーで引用した文章で唐沢俊一のいっている「過剰な
入れ込みの結果、すさまじいまでに独創的(好き勝手)な読み方をしてしまっている
トンデモなもの」としてすごいということだと思われる。
まあ、「他人の宮沢賢治論についてアレコレ言っている場合ではない唐沢俊一先生 (1)」
――そこに引用したのは上記の文章の続きの部分――の追記にも書いた通り、「桑原啓」
というのは「桑原啓善」の間違いであるわけで。そして、桑原啓善という人は唐沢俊一と
違って、森荘巳池を「森荘巳」と間違えたりはしていないというのも、どちらがトンデモか
わかったもんじゃない感を強くさせたりする。
また、桑原啓善はその著書の中で、「具視者」という言葉を使ったりもしていない。この
奇妙な用語は唐沢俊一のオリジナルのようで、「"具視者"」と二重引用符つきでググる
とヒットする項目なしで、引用符なしの検索結果では、岩倉具視に関するものばかりが
ヒットするというオチで……。
そのような細かい言葉上の問題 (これはこれで無視できない問題とは思っている) だけ
ではなくて、この『宮沢賢治と霊の世界』をトンデモ本呼ばわりするのは、結構難易度
高いんじゃないかなあという問題もあって。
「他人の宮沢賢治論についてアレコレ言っている場合ではない唐沢俊一先生 (1)」の
エントリーの方もあわせて参照していただきたいのだけど、生前の賢治と親交のあった
森荘巳池 (直木賞作家、本名は森佐一) の証言は、賢治を研究する人たちのあいだで
普通に重要視されている。
著者の桑原啓善は、この森荘巳池と、賢治の実弟の宮沢清六の両方に、直接話を聞い
ているというのが強い。これをトンデモと否定したいのならば:
1. 彼らがそんなことを話したはずがないということを、自分が実際に話を聞きにいくか、
他の資料との矛盾の指摘などで明らかにする。
2. 彼らはそんなことを話したかもしれないが、それをこのこと (この場合は賢治霊媒説)
の証拠とするのはおかしいと論理的に批判する。
のどちらかの線でいくしかないと思うが、どうだろうか。
困ったことに唐沢俊一は、「弟さんがそう言うんだから仕方ない」で、上のどちらも放棄
している感じ。
「なんか、著名になることを求めるのは宮沢賢治にふさわしくないようにも思える」とは
書いているものの、それはそれこそ単なる唐沢俊一の「入れ込みの結果」でしかないん
じゃないのと思えるし……。以前のエントリーと引用が重複するけど、宮沢賢治自身、
以下のようなことを手紙に書いているため、世に自分の名前を知らしめる願望と無縁
だったとも思いにくいのだ。
http://soumon-mori.com/us_page_28.html
>私はあの無暴な「春と修羅」に於て、序文の考を主張し、歴史や宗教の位置を全く
>転換しようと企画し、それを基骨としたさまざまな生活を発表して、誰かに見て貰いた
>いと、愚かにも考えたのです。あの篇々がいいも悪いもあったものではないのです。
>
>私はあれを宗教家やいろいろの人たちに贈りました。
まして、「賢治のことを書く人たちがそれぞれ良い仕事をして著名になっていく」の方は、
無私無欲なよい人としての賢治像を押し通したとしても、齟齬をきたすものではないし。
ちなみに、唐沢俊一の文章だと、「タブー」うんぬんについて意味不明のきらいがある
が、桑原啓善の書いているのは、以下のようなこと。
『宮沢賢治と霊の世界』 P.27
>たとえば、花巻農学校に森氏が訪ねて行った時、賢治が窓の外を指さして「あの森の
>神様はあまり良くない、村人を悩まして困る」と語ったことなど、本当かときくと、「そう
>です。賢治はそういうものが、見えたし、聞こえたし、はっきり感じたのですね。しかし、
>そういう事はうっかり同僚などには話せません。それにお父さんがそれを嫌い、それを
>口にすることは宮沢家のきついタブーだったのです」
『宮沢賢治と霊の世界』 P.28
>「賢治には、迷った魂のようなものがよく見えていたようです。ですが、それを口にしな
>いのは、関係者がいるから、その人を傷つけてはいけない、だから話さないと、この
>部屋で私に語りました。賢治は“瞬時といえども、人をまどわせてはいけない”そういう
>強いモットーに生きた人です」。
『宮沢賢治と霊の世界』 P.29
> 清六氏の最も印象に残った言葉は、賢治が死後どんどん有名になったのは、また、
>賢治のことを書く人達がそれぞれ良い仕事をして著名になるのは「賢治があちらで
>一生懸命努力しているから」と、繰り返し述べたことだった。これが判る人があろうか。
>私には晴天の霹靂のようによく分った。清六氏も賢治と同じだ。異次元のことが分る
>人だ。分るだけでなく、その存在を確信していて、現実に作用を及ぼすことを、身体で
>知っている人だ。私は賢治が半ばそこにいるのではないかと目を疑った。
> その事に気をよくして、私はつい図に乗って「鬼神」のことに話題を向けた。途端に、
>清六氏の顔がひきつり、「それはタブーですから」と語ろうとしなかった。
> 私は過ちを犯したのかもしれない。だが、その事がどんなに重い意味をもつか。
>逆に、私には、宮沢家の重いタブーが、それほどに、賢治が鬼神について多くのかか
>わりをもつ人間であったことを裏書きしている。そのことで賢治解明の切り口は十分
>であるかもしれない。
まあ、「賢治があちらで一生懸命努力しているから」程度のことは、特に霊媒体質でない
人でも、もののたとえみたいな感じでいうことはあるだろうから、それをもって「清六氏も
賢治と同じだ。異次元のことが分る人だ」とか「その存在を確信していて、現実に作用を
及ぼすことを、身体で知っている人だ」とまでいわれても、少々困るというのはある。
かといって、唐沢俊一の「しかし、このことによって著者には、賢治が霊の世界の具視者
であったという確信をますます強めるのだ」というのも、要約としてはどうかと思うし……。
2009.12.28 (Mon)
他人の宮沢賢治論についてアレコレ言っている場合ではない唐沢俊一先生 (1)
賢治が霊を見ることができる人物であった証拠はどこにあるか。それは、
賢治の生前に出版された唯一の詩集である『春と修羅』に印刷屋が勝手
に印刷した“詩集”という文字を賢治がブロンズ粉で消してまで、それを
「心象スケッチ」であると言い張った(森荘巳宛書簡)ことにあらわれてい
る、と著者は言う。
これは一般的には、未熟なスケッチに過ぎないものを「詩」と呼ぶことに
対する賢治の羞恥心のあらわれ、ととられているが、著者はあくまで、それ
が本当のスケッチ(見たままのもの)である故に、賢治はそれを詩集とは
呼ばなかった、と言い張るのである。
×森荘巳宛書簡 ○森荘巳池宛書簡 または 森佐一宛書簡
「賢治が霊を見ることができる人物であった」と主張している「著者」とは、『宮沢賢治の
霊の世界』を書いた桑原啓 (追記参照) をさす。
唐沢俊一のいう「“詩集”という文字を賢治がブロンズ粉で消してまで、それを『心象
スケッチ』であると言い張った」とのことが書いてある手紙については、少し長くなるが、
「食材岩手の野菜 岩手県盛岡市青果物惣門森商店」のサイト内のページから引用。
どうして、トップページでいう「岩手県の老舗八百屋」にこのようなコンテンツがあるかと
いうと、件の賢治の手紙を受け取った森荘已池 (直木賞作家でもある) が「先代社長、
森 正助の兄」だから――という話らしい。
http://soumon-mori.com/us_page_27.html
>小説家 森 荘已池(もり そういち) (先代社長、森 正助の兄)
>
> 1907-1999 本名 佐一(さいち)。岩手県盛岡市生まれ。盛岡中学卒、東京外国語
>大学ロシア語科中退。
> 昭和18年『蛾と笹舟』で第18回直木賞受賞。 平成6年第4回宮沢賢治賞受賞。 主
>な著書は『店頭』『蛾と笹舟』ほか、宮沢賢治の研究書多数。
〈略〉
> 大正14年2月(当時4年生) 宮沢賢治と知り合う。 中学時代に賢治の『春と修羅』を
>読み岩手詩人協会入りを勧め、その交友は賢治が亡くなるまで続いた。賢治が没し
>た翌年の昭和9年、詩人の菊池二郎とともに「宮沢賢治の会」を発足、生涯賢治の研
>究、文献の刊行に費やす。
>
>賢治からの手紙
>
>お手紙拝誦いたしました。
>詩の雑誌御発刊に就いて、私などまで問題にして下すったのは、寔に辱けなく存じま
>すが、前に私の自費で出した「春と修羅」も、またそれからあと只今まで書きつけてあ
>るものも、これらは到底詩ではありません。
>
>私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の仕度
>に、正統な勉強の許されない間、境遇の許す限り機会のある度毎に、いろいろな条件
>の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象スケッチでしかありません。私はあの無暴
>な「春と修羅」に於て、序文の考を主張し、歴史や宗教の位置を全く転換しようと企画
>し、それを基骨としたさまざまな生活を発表して、誰かに見て貰いたいと、愚かにも考
>えたのです。あの篇々がいいも悪いもあったものではないのです。
>
>私はあれを宗教家やいろいろの人たちに贈りました。その人たちはどこも見てくれま
>せんでした。春と修養をありがとうという葉書も来て居ます。出版者はその体裁から
>バックに詩集と書きました。私はびくびくものでした。亦恥かしかったためにブロンズの
>粉で、その二字をごまかして消したのが沢山あります。辻潤氏尾山氏佐藤惣之助氏
>が批評して呉れましたが、私はまだ挨拶も礼状も書けないほど恐れ入っています。私
>はとても文芸だなんということはできません。そして決して私はこんなことを皮肉で云っ
>ているのではないことは、お会い下されば、またよく調べて下されば判ります。
ちくま文庫の解説では、筆名の森荘已池ではなく本名の森佐一を採用して、「賢治が
友人の森佐一に出した1925年2月の手紙」となっている。
http://www.kenji-world.net/works/texts/jikuu7.html
> 心象スケッチという言葉で賢治が何を言おうとしたのかを知るための手がかりとして
>重要なもののひとつに、賢治が友人の森佐一に出した1925年2月の手紙がある。この
>中で「『春と修羅』も、------これらはみんな到底詩ではありません。私がこれから、
>何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の支度に、--------
>機会のある度毎に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象の
>スケッチでしかありません。」と賢治は書いている。「春と修羅」は「心理学的な仕事」
>のための準備の「心象のスケッチ」だと賢治が考えていたとすると、「心理学的」という
>言葉で彼が何を思っていたかが問題になる。
〈略〉
>ちくま文庫「宮沢賢治全集1~『春と修羅・序』『小岩井農場』」より
で、実は最初に引用した唐沢俊一の文章は、ほとんど同じものが『トンデモ怪書録』の
P.96 ~ P.97 に載っている。1996 年に出たこの本と、1998 年の『トンデモ一行知識の
世界』との相違は、前者が正しく「森荘巳池氏宛書簡」となっているのが、2 年後に出版
の後者では、「森荘巳宛書簡」と間違えていること、それのみだというのが何とも……。
さらに、唐沢俊一のいう「一般的には、未熟なスケッチに過ぎないものを『詩』と呼ぶこと
に対する賢治の羞恥心のあらわれ、ととられている」というのも、少し違うんじゃないかと
いう感じ。
確かに賢治の手紙には「ほんの粗硬な心象スケッチでしかありません」、「亦恥かしかっ
たためにブロンズの粉で、その二字をごまかして消したのが沢山あります」と書かれて
はいるが、「或る心理学的な仕事の仕度」との記述を無視するのには違和感があるし、
先のちくま文庫の解説や Wikipedia の記述をみても、あまり「一般的」でもない様子。
http://ja.wikipedia.org/wiki/春と修羅
>詩の多くは「心象スケッチ」と賢治自身が名付けた手法によって書かれ、時間の経過
>に伴う内面の変容、さらにその内面を外から見る別の視点が取り込まれている。この
>ため、難解であるとの評もある。この「心象スケッチ」の手法については、ウィリアム・
>ジェームズが唱えた「意識の流れ」との関連が指摘されている(賢治はジェームズの
>名を書き残しており、著作を読んでいたことが研究によって確かめられている)。
そして、「春と修羅」では、「序文の考を主張し、歴史や宗教の位置を全く転換しようと
企画し、それを基骨としたさまざまな生活を発表して、誰かに見て貰いたい」との意気
込みをもっていたという賢治の言葉を無視し、単なる「羞恥心のあらわれ」とするのは
どうかとも思う。手紙には「愚かにも考えた」とも書いてあったりするし、本を贈った人の
中には書名を「春と修養」と間違えて礼状を出した人もいたようではあるけれど。
http://www.eonet.ne.jp/~misty/kenji/kaiho/36.htm
>中学の友だちである阿部孝の証言にあるように、賢治が影響を受けたとされる萩原朔
>太郎の『月に吠える』の序を読んでみました。詩は説明するものではないといい、「詩
>とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である。」というようなことばも
>あります。心理学の支度のために書いたという賢治のことばを思い出します。賢治が
>なんらかのヒントを得たということは考えられますが、しかし違うぞと思うところがあった
>から、意気込んで『春と修羅』の序を書き、詩ではなく心象スケッチだといいはったの
>でしょう。
そして、唐沢俊一は、『宮沢賢治の霊の世界』の著者である桑原啓を批判して、以下の
ようなことも書いている。
『トンデモ一行知識の世界』 P.175
著者によれば、賢治のすべての作品、なかんずく『銀河鉄道の夜』は、
スピリチュアリスト・宮沢賢治が見たことを“そのまま”書いたものに
過ぎない、というのである。
これははっきり言えばひいきのひき倒し、というやつだろう。賢治の
作品が、単に霊視したものをそのまま書いているのだ、と主張すること
は、賢治の創作能力を認めないということになるのだから。
しかし、著者の桑原氏(心霊研究家で、その方面の著作が多数ある)
にとっては、心霊能力に比べれば、詩作の能力などはささいなものに
過ぎないらしい。
個人的には、この記述には、結構違和感を覚えた。霊視うんぬんとあるからまだよい (?)
ようなものの、唐沢俊一の理屈では、ある詩について、これは作者の見たものを「その
まま書いているのだ、と主張」したら最後、「創作能力を認めない」、「詩作の能力などは
ささいなもの」とみなす奴と認定されそうな……。
たとえば、美しい詩があったとして、それを書いた詩人の足跡を訪ねたら、詩に描かれた
通りの光景に出会うことができた、なるほどこの詩人は見たものをそのまま書いたのか
――といった感想をもつことさえ、「創作能力を認めないということ」になりかねない。
同じもの (現実の風景であれ幻視、霊視であれ) を見ても、それをどう文章化するかに、
創作能力や詩作の能力による差がつくものと思うけど。
結局、唐沢俊一の定義では、現実改変しないものは創作とはいわないということなのかも。
追記: 「桑原啓」は「桑原啓善」の間違い。唐沢俊一の入力ミスに引きずられたとはいえ、
著者名の間違い、失礼しました。(_ _);
「他人の宮沢賢治論についてアレコレ言っている場合ではない唐沢俊一先生 (2)」に続く。
2009.12.26 (Sat)
唐沢俊一による脳内『世にも美しいダイエット』批判
人間はもともとでんぷんを消化吸収できない体質の動物である。
『トンデモ一行知識の世界』 P.206 ~ P.207
そういうダイエット本のひとつが、講談社から出ている、『世にも美しい
ダイエット』という本だ。この本の著者はエッセイストの宮本三智子さん
だが、その宮本さんが師とあおぐM先生という人が独自のダイエット理論
の持ち主で、牛乳やご飯、果物などを一切食べ物から排除し、野菜
(菜っ葉)中心の食事をとればやせられる、と説いている。
これでやせられる、ということに異議を唱えるものではない。牛乳やご飯
などはいずれもカロリーの高いものであり、それを食事から遠ざければ
やせるのはある意味でいまさら言われなくても、といった類いのものだ。
問題は、そのM先生の理論なのである。
先生は、ご飯に含まれるでんぷんを罪悪視し、肥満、アレルギー、
アトピー、ガンなどは皆、人間がでんぷんを摂取し始めたから生まれた
病気だ、と断言する。人間はもともとでんぷんを消化するようには作られて
おらず(そもそも人間が農耕を始めたのはたかだか七千年前くらいからで
あり、人間の体はまだでんぷんに適応していない、という)、人間の体には
ずいぶん無理がかかっている、のだそうである。
人間の体がでんぷんを消化吸収できない、というこの先生の理論は、
たぶん、米や麦に含まれるβでんぷんのことを指しているのだと思われる。
表題の一行知識にあるように、確かにこのでんぷんは消化・吸収され
にくい。しかし、それだから、我々の祖先はこれに加水加熱処理をして、
吸収されやすいαでんぷんに変化させてから食べているのである。人類
の知恵が、自分たちの食生活を改善し、種を発展させてきたのだ。〈略〉
人類の発展は、M先生の勝手な思い込みで否定されてしまっていいもの
だろうか?
もちろん、「人類の発展は、M先生の勝手な思い込みで否定されてしまっていいもの」
なんかではないだろう。しかし、その、「M先生の勝手な思い込み」とやらが、唐沢俊一
の勝手な思い込みによるものでしかないのだから、始末におえないというか……。
仮に「M先生」とやらが、「肥満、アレルギー、アトピー、ガンなどは皆、人間がでんぷん
を摂取し始めたから生まれた病気だ、と断言」していたとして、どうしてそれが「人間の
体がでんぷんを消化吸収できない、というこの先生の理論」となり、「たぶん、米や麦に
含まれるβでんぷんのことを指しているのだと思われる」という唐沢俊一の思い込みに
つながっていくのか、理解に苦しむ。逆だろう逆というか……。「でんぷんを消化吸収
できない」という説の提唱者が、「肥満」のもとはデンプンだなどというのはおかしいし、
「独自のダイエット理論の持ち主」であるというM先生なら、むしろデンプンを勧める側に
回るはずでは。
だいたい「M先生」という表記からして、唐沢俊一の悪癖のひとつである妙なイニシャル
表記好き (ここやここなどを参照) のあらわれでないかという……。まあ、この点につい
ては、Amazon の説明 (「BOOK」データベースより)にも、「ある医師」としか書かれて
いなかったりするのだけど。
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4062564645/
>世にも美しいダイエット〈上〉 (講談社プラスアルファ文庫) (文庫)
>宮本 美智子 (著), 永沢 まこと (著)
〈略〉
>ある医師との出会いが作家の食生活と生き方をガラリと一変させた。お米やアルコー
>ルをふくむいっさいの糖分を避け、青菜と油脂をたっぷり摂るという、おどろくべき食事
>法がもたらした痩身と病気知らずの肉体、そして冴えた頭脳。従来のダイエットの常識
>を根底からくつがえし、ブームをまき起こしたメソッドを体験的に報告する。
上の紹介だけ読んでみても、唐沢俊一のいう「牛乳やご飯、果物などを一切食べ物から
排除し、野菜(菜っ葉)中心の食事をとればやせられる、と説いている」、「牛乳やご飯
などはいずれもカロリーの高いものであり、それを食事から遠ざければやせるのはある
意味でいまさら言われなくても」というまとめ方が、何か変ではないかと思わせるのに
充分である。
糖分を避けるというのはまあ普通だとして、このダイエットの画期的なところ (←褒める
つもりはないです) は、「油脂をたっぷり摂る」のを勧めていることではないかと思うのだ
けど、唐沢俊一はこれをいっさいスルーして、「いまさら言われなくても」のダイエット法
であるかのように片づけてしまっている。
そして、唐沢俊一のいう「ご飯に含まれるでんぷんを罪悪視」というのも少しハズした
まとめ方である。『世にも美しいダイエット』およびそのベースの三木治療が「罪悪視」
しているのは、「血液のなかの糖分が多く」なり過ぎることで、それを防止するための
「おなかのなかで糖分になるものは一切食べていけません」であり、「砂糖はもちろん
のこと、お米や甘いパン、お酒も禁止」で、「野菜も糖分が多い根菜類やたけのこは
食べられません」である。
http://kamatsunahakase.web.fc2.com/yonimo001.html
>では、このサイトの核ともいえる食事法、『世にも美しいダイエット』(三木治療)につい
>てお話したいと思います。
>この食事法は
> 「青菜を中心とした無糖の食生活と、たっぷりの水と塩をとり、
> しっかりと運動することによって健康的にやせ、体調も改善する!」
>を、コンセプトにしたものです。
〈略〉
>そしてもうひとつのキーポイントは「血糖値」。
>血液のなかの糖分が多くなると、やはり病気になる原因になります。
>糖尿病や、ガンです。
>これらの病気を予防するための食事法が、 この「世にも美しいダイエット(三木治療)」
>なのです。
〈略〉
>■ 「世にも美しいダイエット(三木治療)」のルール
> まず、おなかのなかで糖分になるものは一切食べていけません。
>砂糖はもちろんのこと、お米や甘いパン、お酒も禁止。
>野菜も糖分が多い根菜類やたけのこは食べられません。
>砂糖やみりんがはいった加工品もだめ。 はちみつや黒砂糖、三温糖もとってはいけま
>せん。
で、上記のサイトからリンクをたどっていくと、「糖尿病専門はやし診療所」というサイトの
「三木治療の話」にいくことができる。
http://members.at.infoseek.co.jp/t_matsumoto/mikichiryou.html
>三木治療は、患者さん一人一人に合わせた手作りの治療法です。食事指導・運動療
>法の内容は、患者さんごとに違います。ですから、-般的な話しをすることは難しいの
>ですが、ここでは自然治癒力を回復するための三木治療の概要についてのみ、紹介
>させて戴きます。
>
> 1. 白いご飯を始めとする血糖値の元は、一切やめてください。
> 2. エネルギー源は、べに花油と小松菜で取ってください。
> 3. 0.5%の自然塩を溶かした水を、4-5L飲んでください。
> 4. これで血液がサラサラになりました。
> 5. 一日一万歩を歩いて、サラサラの血液を全身に運んでください。
> 6. すでに血管が傷んでおり、サラサラの血液を上手に運べない場合は、パイ菌の
> エキスを注射します。
> 7. 腸の腐敗を防ぎ血液をきれいにするため、下剤と活性炭を飲んでください。
>
>以上7点が、三木治療のエッセンスです。真面目に実残して下されば、糖尿病はもち
>ろん、色々な難病も治ることがあります。これまでに、腎臓癌の末期(多発性肺転
>移)、膵臓癌の末期(手術不能)、糖尿病性網膜症(独りで歩けない)、膠原病(ステロ
>イド剤服用)、アトビー性皮膚炎(子供の時から)、花紛症(生涯治ると思わなかった)
>等の患者さんが治る場面を、私はこの目で見てきました。 人間の自然治癒力には、
>素晴しいものがあります。その自然治癒力を、我々は持っているのだから、上手に引
>き出してやれば病気と闘うことができます。皆さんも三木治療を実残されて、元気に
>生きる力を回復してください。(私も高血圧と肥満から生還しました)
つまり、三木治療というのはもともと糖尿病の患者を対象とした治療であり、血糖値を
高くする要因を徹底的に排除しようというのも、多分そのせいだろう。
http://raku2lunch.livedoor.biz/archives/12021022.html
>たしか10年近く前だったと思うのですが、「世にも美しいダイエット」という本に出会っ
>たのですよ。糖尿病治療の方の食事療法を基本としていて、『でんぷん質の食べ物は
>ほとんど食べない・青菜中心の食事・水を1日2リットル飲む』というのが柱です。イタ
>リアン風な食事が多く、イタめし好きな私にとっては結構長続きしまして、この方法で
>半年で15kgほどやせたことがあります。
それを考えにいれても、『世にも美しいダイエット』は、前述の通り油をたっぷりとることを
勧めている点、米は禁止だが同じデンプンでもパンや麺は少量ならオーケーとしている
点などが、割と独特だと思う。
http://kamatsunahakase.web.fc2.com/yonimo001.html
>お米を食べられないのならなにを食べるんだ!と思いますが、
>かわりにたっぷりの葉野菜と油でエネルギーをとります。
>葉野菜のなかでも栄養と食物繊維が豊富な小松菜をできるだけたくさん食べます。
>
>油のほうは、なんの油でもいいのかというとそうでもなく、
>べに花油、オリーブオイル、しそ油、えごま油、バターをたっぷりと使います。
〈略〉
>あと忘れちゃいけないのが強力粉をつかった炭水化物。
>お米や甘いパンなどが禁止されていますが、
>おなかのなかでこなれにくい(糖になりにくい)強力粉を使ったパンやうどん、パスタを、
>少量なら食べてもいいことになっています。
>
>健康のためには炭水化物は一切カットしたほうがいいのですが、
>それではあまりにもきびしすぎて続かないということで、
>強力粉を少量ならゆるしているというわけです。
>
>つまり、
>「 少量の 」フランスパンやバケットにバターを「 たっぷり 」つけて
>食べるのはいいのです。
>パスタも食べてもいいし、うどんも添加物が入っていないものならOK。
米は全面禁止だけど、「パンやうどん、パスタ」などは「少量なら食べてもいい」とする
理由は、「おなかのなかでこなれにくい(糖になりにくい)」ためである。
つまり、「人間の体がでんぷんを消化吸収できない、というこの先生の理論は、たぶん、
米や麦に含まれるβでんぷんのことを指しているのだと思われる。」という唐沢俊一の
理論 (?) は、やはり逆だったということで……。
http://ja.wikipedia.org/wiki/デンプン
>天然の結晶状態にあるデンプンをβデンプンと呼び、デンプン中の糖鎖間の水素結合
>が破壊され糖鎖が自由になった状態のデンプンをαデンプンと呼ぶ。(日本国内の呼
>び方で、国際的用語ではない。)
さて、唐沢俊一は、以下のようなことも書いている。
『トンデモ一行知識の世界』 P.207
そのほか、この先生の言っていることには、低血圧も塩と水とを正しく
たっぷりとれば元に戻るなど、実践したら人によっては危険なことまで
あって、どうも信用がおけない。
それで、座談会ではそういうところを指摘しておいたのだが、そうしたら、
この「世にも美しいダイエット」を実践している女性たちから、感情的な
批判がこちらに飛んできた。反論にもなっていない(反論の根拠を示して
いない)単なる悪口雑言の類いだったのでいちいち答えはしなかったが、
かなり腹が立ったことだった。これでは新興宗教と変わらないではないか。
座談会というのは、「某女性誌の依頼で、『と学会』のメンバーたちで」やったというもの
で、「チマタにあふれるダイエット本に、どれだけトンデモ本が多いかを話題にする、
というのが趣旨」 (P.204) だったとのこと。
三木療法または『世にも美しいダイエット』が本当に「低血圧も塩と水とを正しくたっぷり
とれば元に戻る」と主張しているかどうかは、唐沢俊一のいっていることなので今ひとつ
信用できないとしても、先に引用した通り、三木療法では「0.5%の自然塩を溶かした水
を、4-5L飲んでください」としているので、あまり塩分はカットしない方針ではあるようだ。
唐沢俊一以外の人たちも当時、「実践したら人によっては危険」という批判を展開して
いた記憶もあるし、素人考えかもしれないが、糖尿病の療法を、別に糖尿病にかかって
いるわけではない一般人のダイエットに、過激さを残したまま適用するのはどうかとも
思う。
著者が 1997 年に急死したという事実もあり、『世にも美しいダイエット』には、いろいろ
批判も多い。また、今でもこれを信望する人のいうことは、はっきりいって「新興宗教と
変わらない」と思わせるものもある。
しかし、唐沢俊一に向けられた批判が、「反論にもなっていない(反論の根拠を示して
いない)単なる悪口雑言の類い」だったかどうかは、唐沢俊一の脳内の『世にも美しい
ダイエット』は、実際のそれとは別物じゃないかという問題があるので……これはこれで
信用できない。
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4062081180/
>著者の急死についての説明を, 2003/10/11
>By カスタマー
>低インシュリンダイエットが出てきた昨今、同書の先見性に改めて驚かされる。しか
>し、同時に矛盾を来たしていたり、疑問を感じざるを得ない点も多い。大昔の食生活に
>戻る、というが、それならなぜ豆や木の実、乳がダメなのか。大昔の人間は木になる
>実を食べたのではないか。家畜から絞った乳を飲んだのではないか。なぜ玄米はい
>けないのか。なぜバターを大量摂取するのか。著者は、「それは本人の選択だ」という
>が、やはり健康に関する本として説明責任はあるのではないか。最も説明責任の必
>要を感じるのは、著者の急死に関してである。このダイエットの何がよくて何がよくな
>かったのか説明がほしいところである。読者として踏まえておくべきは、この著者が50
>代にして急死したという冷厳たる事実である。
>本を過信しないこと。, 2004/6/17
>By カスタマー
> 私自身も彼女のダイエット本を2冊読み、6.5キロ痩せました。
>ただしこの本を過信して、そのまま通りのダイエットを行うのは危険と感じます。例え
>ばこの本で勧められている紅花油です。リノール酸の過剰摂取により、いろいろな弊
>害が起こることはすでに今日では実証済みです。(血栓を作りやすくし、高血圧、狭心
>症、心筋梗塞、不整脈、脳梗塞の原因となる。アレルギーや炎症の原因となる。発ガ
>ンのリスクを高め、免疫を低下させる等)この本では特にリノール酸の多い紅花油
>を”ジュースに入れて飲む”ことを勧めていることを考えると、このダイエットは不健康
>を通り越して、極めて危険な食事提案がされていて、宮本さんご本人がこの食事をさ
>れて急性心不全にて若くお亡くなりになったこととを考えると、早急に改定するべき、
>又は注意書きするべきではと思います。
http://natto.2ch.net/diet/kako/997/997475773.html
>35 名前: スリムななし(仮)さん 投稿日: 2001/08/12(日) 10:36
>34の続き。
>亡くなる前の宮本さんは「またやせた。体調はバツグン」とインタビューなどで
>おっしゃってましたが、写真に写った彼女はファンデーションがムラムラで、
>とても健康な人には見えませんでした。
>食事は腹八分目という所から、超小食みたいになり、睡眠も少しで大丈夫!
>とご本人はどんどん突っ走っていかれたようです。
>周囲の人が心配したり、〇木先生が忠告しても聞かなかったとか。
>そして仕事もどんどん受けて、忙しくなり倒れられたと…。
>まぁでもこれらも「亡くなったのはレシピのせいではない」という
>情報操作による後日談なのかもしれませんけどね…。
>
>その後、宮本さんが亡くなったことで〇木先生が何度か取材されましたが、
>「世にも~には迷惑している。うちはあくまで医者の指導のもとに食事を
> してもらいたいという方針」と宮本さんのやり方を否定なさってました。
〈略〉
>39 名前: スリムななし(仮)さん 投稿日: 2001/08/12(日) 19:18
>私もやってたことあり。調子はよかったよ。とにかく肌がきれいになる。
>ただし、ちゃんとやらないと駄目よ。
>極端な食事法だから、きちんとやってこその効果だと思う。
>もともと医者の指導の元の食事法だから素人の適当な判断でやるには危険。
>元の提唱者のM先生も方法だけ一人歩きされてしまってかなり迷惑だったらしい。
>宮本美智子さんも倒れる前に、周りが忠告しても聞く耳をもたずに「素人判断」
>を続けて高血圧であるにもかかわらず無理をしたのが、元の体質(高血圧の家系)
>を克服できずに早逝されることになったのだと思います。
その他参考 URL (同種のアトキンスダイエットというのも危険っぽい):
- http://plaza.rakuten.co.jp/aminovital/diary/200801200000/
- http://blog.excite.co.jp/shioya-antiaging/5271039/
2009.12.26 (Sat)
「頭をよくするということは、かくもムヅカシイ」……そうでしょうとも
かのオウム真理教では、厳しい修行を積んだ者には、七つの超能力が
授かるという。中には、ウンコを黄金に変える、などというワケのわからない
ものも含まれているが、とにかくその中の第六番目の超能力というのは、
脳の力を数百倍に高めるというもので、一度目にしたり耳にしたりしたこと
は永久に忘れない、というすばらしいものである。
あの事件の一年ほど前、麻原教祖にインタビューしたあるライターが
「なるほど。……で、次の七番目の超能力はどういうものなんですか?」
と質問すると、その麻原教祖はしばらくじっと黙っていたが、やがて
「……何だったかな」
とつぶやいたそうだ。頭をよくするということは、かくもムヅカシイ。
×第六番目の ○六番目の または 第六の
「ムヅカシイ」も原文ママ。
その七つの超能力とは結局何だろうと思って調べたら、予想以上に苦戦するハメになっ
てしまったネタ……。そもそも、唐沢俊一はオウムネタもまともに書けない人というのを
忘れていたのがいけなかったというか。
関連ガセビア
・オウムは遠くなりにけり
唐沢俊一は「厳しい修行を積んだ者には、七つの超能力が授かるという」とか書いて
いるが、オウム真理教がらみで「七つの超能力」がどうこうという話自体が、まず見つか
らないという壁があって。
あちこち捜してみたら、「『オウム真理教大辞典』の誤植訂正《等》要望リスト」という
ページ――『オウム真理教大辞典』とは http://www.amazon.co.jp/dp/4380032094
の本のことだろう――があり、それを見ると、授かるとかいう超能力というのは、どうも
7 つではなくて、6 つなのではないかという……。
http://www.angelfire.com/theforce/unyaunya/dg-teisei.html
>p.96 上段 【天眼通】 「遠くのものも見える遠隔透視の能力で、いわゆる千里眼」→
>初期にはそのように言っていたが、後には来世を見通す能力(死生智)として、前世を
>見通す能力である宿命通と区別。[by 山本@ニヒ板8474]
http://www.angelfire.com/theforce/unyaunya/dg-teisei.html
>p.92 中段 【超越神力】 「天眼通、天耳通、神足通、他心通、宿命通、漏尽通の6つ」
>→順番を「神足通、天耳通、他心通、宿命通、天眼通、漏尽通の6つ」に入れ替えた
>ほうがよいのでは?[by 山本@ニヒ板8474]
上でいう「超越神力」は、オウム製作のアニメの題名にも使われていたもので、オウム
独自の用語ではないかなと思う。しかし、 「天眼通、天耳通、神足通、他心通、宿命通、
漏尽通の6つ」の方は、オウム真理教の専売特許みたいなものとは異なる。これらを
含む「六神通」については、Wikipedia にも曹洞宗関連用語集にも説明があったりする。
http://ja.wikipedia.org/wiki/六神通
>六神通 (ろくじんずう)とは、仏・菩薩などが持っている6種の超人的な能力。6種の
>神通力(じんずうりき)。六通とも。
>具体的には以下の6つを指す。
>・天眼通(てんげんつう) - 五眼(ごげん)の一。神通力により、ふつう見えないものを
> 見通す超人的な眼。
>・天耳通(てんにつう) - ふつう聞こえる事のない遠くの音を聞いたりする超人的な耳。
>・他心通(たしんつう) - 他人の心を知る力。
>・宿命通(しゅくみょうつう) - 自分や他の人間の前世を知る力。
>・神足通(じんそくつう) - 機に応じて自在に身を現し、思うままに山海を飛行し得る
> などの通力。
>・漏尽通(ろじんつう) - 仏のみが持つとされる通力。
http://wiki.livedoor.jp/turatura/d/%CF%BB%BF%C0%C4%CC
>つらつら日暮らしWiki〈曹洞宗関連用語集〉
〈略〉
>六神通
>【定義】
>神境通(神足通)・天眼通・天耳通・他心通・宿命通・漏尽通のこと。なお、曹洞宗に
>於ける神通力の考え方は、『正法眼蔵』「神通」巻も参照のこと。
>>六通とは、神境通・他心通・天眼通・天耳通・宿命通・漏尽通なり。 『正法眼蔵』
>>「袈裟功徳」巻
唐沢俊一の書いた「ウンコを黄金に変える、などというワケのわからないものも含まれて
いるが」というのは、この時点でガセビア認定してよいと思う。
オウム真理教というもの自体、地下鉄サリン事件以前は一部の知識人に受けがよかっ
たりしたのだけど、好意的にとらえられていた大きな要因に、原始仏教や伝統仏教の
ことをよく勉強しているとかいう評価があって……「ウンコを黄金に」などという「ワケの
わからない」変形を加えるようなところだったら、そういう評判はえられなかっただろう。
まあ、オウム真理教の場合は、その一方で、「コスモクリーナー」などアニメネタの大胆
な取り入れという側面ももつわけだけど。しかし、何かを黄金に変えるとかいうだけなら、
キューティーハニーの空中元素固定装置とか錬金術方面とか、元ネタにできそうなもの
もあるといえばあるけど、「ウンコを黄金に」となると……だいたい、それはいったい誰に
どうアピールするためのものなのかと。
ちなみに、http://sinri.wordpress.com/supernatural-power/ から「超越神力PART3」
のリンクをクリックして参照できる文書に書かれているが、1991 年時点の麻原彰晃に
よる「超越神力」の定義は下記の通り。他の資料の六神通の定義と比較して、そんなに
突飛なことはいっていない。また、オウムにしても、それ以外のところにしても、物質変換
する超能力について語っているものも見あたらない。
>あなたの持っている本当の力
>超越神力PART3(完全なる絶対なる神の叡智、漏尽通)
>91.12.21初版発行
〈略〉
> 超越神力には六つの種類があり、その内容は次のようになる。
> ・神足通【じんそくつう】 (空中浮揚やテレポーテーションを行なったり、高い世界へ
> 飛んだりすることのできる能力)
>・天耳通【てんにつう】 (神々の声を聞いたり、遠くの音を聞いたりする能力)
>・他心通【たしんつう】 (他人の心を知る能力)
>・宿命通【しゅくみょうつう】(前生を知る能力)
>・天眼通【てんげんつう】 (一般に遠隔透視能力といわれているが、これは北伝系
> 仏教の間違いであって、実際には南伝仏教のいう死生智【ししょうち】のこと。死生智
> とは転生先を知ったり、生きながらにしていろいろな世界とつながる能力)
>・漏尽通【ろじんつう】 (完全なる絶対なる神の叡智)
で、ガセビアにしても、唐沢俊一がどこからどうやって「ウンコを黄金に」というのを思い
ついたかについては謎。SM 方面からとか、または、オシッコから若さの素を抽出とか
いう錬金術師のエピソードからとか――などと想像してみるくらいのことしかできない。
・若さといっても恋のテレフォンナンバーじゃないリン燐リリン
そして、唐沢俊一のいう「脳の力を数百倍に高めるというもので、一度目にしたり耳
にしたりしたことは永久に忘れない、というすばらしいもの」というのも、オウムのいう
「超越神力」の中には含まれていない。
で、どうもこれは、オウム真理教というより、阿含宗のネタではないかという気がする
のだけど……。下の引用にある「求聞持聡明法(ぐもんじそうめいほう)」というものが、
それにあたるのではないか。
http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/agonsyu.html
>阿含宗(あごんしゅう)は、桐山靖雄(きりやま・せいゆう)が「阿含経の教説を密教の
>方式で実践することにより、誰でも超能力を備え、仏陀(ぶっだ)になれる」と主張し、
>設立した教団です。
〈略〉
>教団では、これらの霊障を取り除き、さまざまな悪因縁から解放され(因縁解脱)、
>自由自在の境地になるためとして、
>(1)「成仏法」……生者、死者の業(ごう)を断ち、因縁解脱して仏になる
>(2)「如意宝珠法(にょいほうじゅほう)」……「真正仏舎利」の力によって因縁解脱
>成就へと導く
>(3)「求聞持聡明法(ぐもんじそうめいほう)」……人の記憶力を数倍に高め、超能力
>を与え、凡人を天才にすると同時に、仏の悟りを得る
>という、三つの実践法を教えています。これらは阿含経の教えに基づくと言っています
>が、実際には密教様式を採用しているものです。
面白いことに、この「求聞持聡明法」は、麻原彰晃が桐山靖雄を攻撃するネタに使って
いたりする。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1733/aum/agon-1.html
>麻原教祖、阿含宗管長桐山靖雄師を斬る!!
〈略〉
> 阿含宗ではその名の示すとおり、原始仏典である『阿含経』をもとに立宗されたこと
>になっている。そして、桐山氏 自身、今年(1989年)2月26日の講話でも、こう言っ
>ている。
>「仏陀釈迦牟尼以外のものを崇拝してはいけない。」
>と。これは、釈迦牟尼の言葉が最もよく残されているといわれている『阿含経』をもとに
>している宗教だから、当然で あると云えよう。
> しかし、その一方で、彼はこうも言っている。
>「私は求聞持法(ぐもんじほう)をやったから、知能指数が普通の人の2,3倍になって
>いる。そして、この求聞持法 は、三宝の中の重要な法である。」
>と。ところがである。仏陀釈迦牟尼の直説であるはずの、そして、阿含宗がよりどころ
>としているはずの『阿含経』の どこを探しても、求聞持法の「ぐ」の字も出てこないので
>ある。しかも、仏教に精通している人は、すぐ気付くであろ う。求聞持法の本尊は、仏
>陀釈迦牟尼ではないじゃないか、と。
> 中村元著の『佛教語大辞典』では、こう説明されている。
><求聞持法>
> 「虚空蔵求聞持法の略。虚空蔵菩薩を本尊として修する行法で、頭脳を明快にし、
>記憶力を増大するものとされ、 空海が入唐前に勤操(ごんそう)から授かって修したこ
>とで著名である・・・。」 つまり、桐山氏は、虚空蔵菩薩を本尊とする求聞持法を修め
>たと喧伝していながら、仏陀釈迦牟尼以外を崇拝し てはいけないと、矛盾したことを
>言っているわけである。
〈略〉
>(「マハーヤーナ・NO.21」より転載)
ただまあ、麻原彰晃は、「『阿含経』をもとに立宗」した阿含宗管長桐山が、「仏陀釈迦
牟尼以外のものを崇拝してはいけない。」と語りつつ、『阿含経』にはいっさい出てこな
い、「仏陀釈迦牟尼の直説」でもない求聞持法を修めたと喧伝していることを非難して
いるのであって、求聞持法というもの自体が、いけないもの、ありえないものと批判して
いるわけではない。
上で引用した資料にも書かれているが、麻原自身、阿含宗に所属していた時期がある
し、オウム真理教にはそれなりの数の元阿含宗の信者が流入していたという。そのせい
もあって、オウム真理教の教義や修行法には、阿含宗からのパクリが結構多いとも聞く。
パクリといってよいかどうかは別にして、前述の六通は、阿含宗にもあったりする。
http://members.jcom.home.ne.jp/ikedazisui/7ka37.htm
>阿含経に説かれている成仏法、七科三七道品は次の如くである
>1 四念処法 身念処法 受念処法 心念処法 法念処法
>2 四正断法 断断法 律儀断法 随護断法 修断法
>3 四神足法 欲神足法 勤神足法 心神足法 観神足法 (如意足)
>
>四神足法の神足とは神通のことである。つまり、釈迦牟尼の教団は神通力の修行も
>行っていたのである。神足通、天耳通、天眼通、他心通、漏尽通、宿命通の6通であ
る。
>現代的に言うならば六つの超能力を得るための修行を行っていたということになる。
なので、超越神力とは別に、虚空蔵求聞持法にあたる超能力の宣伝や、それを獲得
するための修行法が、オウム真理教にも存在していたという可能性は残るかなと思う。
で、個人的に、この件のからみで読んだあちこちの文章のうち、いちばん感動 (?) した
のが、「★★阿含宗桐山氏の経歴詐称問題★★」という2ちゃんねるの過去スレに
あった、下記の文章。
http://mentai.2ch.net/psy/kako/973/973211774.html
>5 名前: 転載 投稿日: 2000/11/03(金) 09:42
>294 名前:ヌマエビ投稿日:2000/10/29(日) 20:35
>「桐山氏は阿闍梨か?」 3.都合の悪いことは存在しなくなる
>
>普通の僧侶でさえ忘れない伝法潅頂の年をどうして覚えていないのでしょう。
>ここには桐山氏の頭の中がよく現れています。
>まず、桐山氏には本人が言うようなすごい記憶力などありません。
>阿含宗の職員の顔と名前すらも完全には覚えきれません。
>数字はさらにデタラメで、分数の概念を理解していません。
>
>記憶力や数字が不得意なだけではなく、桐山氏の独特の心癖も影響しています。
>それは、桐山氏の頭の中では自分にとって都合の悪いことは消去されるのです。
>
>僧侶としての資格がないのは都合が悪いことですから、思い出さないようにして
>いたのでしょう。
>その結果、ほんとうに年を忘れてしまったのです。
>嘘でも同じ年を言い続ければいいものを、それすら忘れてしまったのです。
上記の文章の「桐山氏」批判が正当なものかどうかは、判断するだけの材料を自分が
もっているわけではないので保留にするけど、もしこれが本当だとすれば、こういう
タイプの人間というのは唐沢俊一ひとりではないのだなあ――ということに。
2009.12.24 (Thu)
なんちゅうか中華料理店症候群
昭和三十年代前半生まれの方なら記憶にあるかもしれないが、昔、
「頭のよくなるラーメン」というキャッチフレーズのインスタントラーメンが
あった。グルタミン酸ソーダが頭のよくなるクスリだ、と言われていた
時期があって、世の母親の中には毎日子供に科学調味料をスプーン
一杯飲ませていた人もあったらしい。
このインスタントラーメンも、それが大量に含有されており、アニメを
使ったテレビCMでは食べていた子供の頭がどんどんデカくなり、最後
には破裂して“あら、食べ過ぎた”というオチになっていた。まだJARO
(日本広告審査機構)が発足する以前の話であり、なんともうれしい
いいかげんさの広告だった。
この製品が出たすぐ後くらいにグルタミン酸ソーダの過剰摂取の害が
報告され、中華料理症候群、などという言葉も新聞に出た。上記の、
毎日科学調味料を飲まされていた子供は代謝異常で背中が真っ黒に
なってしまったそうだ、などという話が都市伝説のように学校中に広がり、
担任の教師は授業の冒頭にこう説教をした。
「楽して頭をよくするクスリはない。毎日キチンと勉強するのが一番の
クスリだ」
そりゃそうだが、それじゃツマンネエだろう、というのが僕らの正直な
気持ちだった。
×科学調味料 ○化学調味料
先生のいうことを、ちゃんと聞いておいた方がよかったのではないかという気がして
たまらないが、おいといて。
関連ガセビア:
・カフェインだってスマート・ドラッグ
まあ、辞書にのっているのは、「化学調味料」の方 (だけ) だぞ、と。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=化学調味料&dtype=0&stype=1&dname=0ss
>かがくちょうみりょう[くわ―てうみれう] 6 【化学調味料】
>鰹節(かつおぶし)・昆布などに含まれる、うまみのもととなる化学物質を、細菌を利用
>するなどして人工的に生産した調味料。イノシン酸・グルタミン酸ナトリウムなど。うま
>み調味料。
上に引用したのは「大辞林」の定義だけど、「大辞泉」では、下に引用するように「化学
調味料」を「『旨み調味料』の旧称」と定義する。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=化学調味料&stype=0&dtype=0
>かがく‐ちょうみりょう〔クワガクテウミレウ〕【化学調味料】
>「旨み調味料」の旧称。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=旨み調味料&dtype=0&stype=0&dname=0na
>うまみ‐ちょうみりょう〔‐テウミレウ〕【▽旨み調味料/▽旨味調味料】
>昆布・かつお節・シイタケなどのうまみの成分を、デンプンを原料とした発酵法や、
>酵母を用いた方法で作った調味料。昆布味のグルタミン酸ナトリウム、かつお節味の
>イノシン酸ナトリウム、シイタケ味のグアニル酸ナトリウムなどがある。これらのうまみ
>成分を混ぜたものもあり、特にグルタミン酸とイノシン酸を合わせるとうまみが強くなる
>といわれる。化学調味料。複合調味料。
「化学調味料」を「旧称」とするのは、以下に引用するような考え方がもとになっている
のかもしれない。いわれてみれば、「化学調味料」という呼び方は、その調味料がどの
ように作られているかを誤解させる恐れがあると思う。それに、「旨み調味料」の方が、
肝心の (?)、どのような味の調味料かという情報を抜け落ちさせないし。
http://www.ffcci.jp/wp-content/uploads/2009/01/kaiho_2-4-2.pdf
>さて、ここでこうしたうま味調味料を化学物質として排斥しようとしている人達の幾つか
>の理論について検証をしてみたい。まず、化学調味料という言葉に対しては、一般市
>民の大半の方は何かの化学物質を元に有機化学的に合成されていると感じておられ
>る。しかし、たとえばグルタミン酸は最近ではサトウキビやトウモロコシの糖分を発酵
>させて作られている。そして、イノシン酸、グアニル酸といった調味料も皆天然物から
>抽出し、生成されている。このように発酵させて作られた物であっても、食品添加物と
>して粉末となっている物質を見せられると我々は「化学調味料」という言葉に納得を
>してしまうものである。しかし、「化学調味料」という言い方は、麦やブドウを発酵させ、
>蒸留によってアルコールが濃縮された「ウイスキー」や「ブランデー」を化学合成飲料と
>いう表現をするような奇妙なことである。
さらに、上に引用した資料――「長村 洋一 (健康食品管理士認定協会 理事長)」に
よる文章――には、唐沢俊一のいう「グルタミン酸ソーダが頭のよくなるクスリだ、と言わ
れていた時期」、および、「グルタミン酸ソーダの過剰摂取の害が報告され、中華料理
症候群、などという言葉も新聞に出た」ことについての説明も含まれる。
http://www.ffcci.jp/wp-content/uploads/2009/01/kaiho_2-4-2.pdf
> そして、昭和35年に慶応大学医学部の林髞教授は条件反射の研究で有名なパブ
>ロフの研究所への留学後「頭の良くなる本」という本を書かれ空前のベストセラーと
>なった。林教授はグルタミン酸ナトリウムが脳内でγアミノ酪酸(GABA)に変化し、こ
>れが重要な神経伝達物質になることを分かりやすく大衆に伝えた。この本の記事を
>契機としてグルタミン酸を大量に摂取することに抵抗が比較的うすくなっていた。
>
> やがて発生した中華料理店症候群
>
> そこへ追い打ちをかけるように次のようなことが発生した。グルタミン酸ナトリウムを
>販売していたある会社が、食卓に置く振りかけようの小瓶のキャップの穴を少し大きく
>した。このことにより、グルタミン酸ナトリウムの売り上げが大幅に伸びたことが、経済
>学関係の一工夫の語りぐさとして今も伝えられている。逆に言えば大衆は知らない間
>に多量のグルタミン酸ナトリウムを摂取させられる状態になった。そして、間もなくグル
>タミン酸ナトリウムを空腹時に多量に摂取したとき感受性の強い人に、灼熱感、顔圧
>迫感、胸痛、頭痛などを主徴とした症状がおこることが、Schaumburgらにより報告さ
>れ、中華料理店症候群(CRS)と呼ばれ、グルタミン酸ナトリウムに関する危険情報が
>発信された。その少し前当たりに日本では水俣病、イタイイタイ病、ヒ素ミルク中毒事
>件など公害的な原因での化学物質による悲惨な事件が次々と発生していた。また、
>バターイエローのような食品添加物に強い発がん性が報告され、使用禁止になるよう
>なことも大きなニュースとして伝えられた。こうした報道は多くの国民に化学物質、特に
>合成化学物質に対するそこはかとない恐怖心を植え付けた。この恐怖心を日本では
>天然物は安全であるという根拠の薄い理論によってカバーしているのが現実である。
味の素の主成分でもあるグルタミン酸ナトリウム (グルタミン酸ソーダ) が頭をよくすると
いわれていたのは、1960 年 (昭和35年) に「慶応大学医学部の林髞教授」の書いた
『頭のよくなる本』が元ネタであること、中華料理店症候群の症状が、「灼熱感、顔圧迫
感、胸痛、頭痛など」であり、「グルタミン酸ナトリウムを空腹時に多量に摂取したとき感
受性の強い人」におこるものだということなどが、すんなりわかるのが、唐沢俊一の書く
文章との大きな相違である。
http://auction.woman.excite.co.jp/item/129791106 (魚拓)
>古本です。頭のよくなる本/大脳生理学的管理法/林髞著/はやしたかし/カッパ・ブッ
>クス/光文社/KAPPA BOOKS,昭和35年11月5日13版発行、当時の定価は:150円
>です。ほぼ新書版サイズ、215ページのソフト表紙本です、
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=131035
>MSGについてのもう一つの問題は、中華料理症候群(Chinese Restaurant
>Symptoms,CRS)で、1968年Schaumburgらが報告したもので、灼熱感、顔圧迫感、胸
>痛、頭痛などを主徴とし、このような症候群が中華料理を食べた者に起こることから中
>華料理症候群と呼び、その原因はMSGの大量を空腹時に摂取したとき感受性の強い
>ものに起こるとされている。
また唐沢俊一は、現在の科学では、グルタミン酸ナトリウムが中華料理店症候群を引き
起こすとは考えられていない――ことについても、わざわざ言及したりはしない。
http://www.ffcci.jp/wp-content/uploads/2009/01/kaiho_2-4-2.pdf
>こうした次々と報道される化学物質の危険性は多くの国民になんとはない化学物質
>不安感を育て上げた。そんな矢先に報道された中華料理店症候群は「やっぱりグル
>タミン酸ナトリウムは良くないのだ」という確信と共に「化学調味料」というネーミングで
>華々しくデビューしていたこの物質の化学という部分の不安要素が強調される結果を
>導いた。この中華料理店症候群はその後の2重盲検法を用いた厳密な実験で完全に
>否定されている。何よりも脳神経の研究者の多くがこの事実を否定している。しかし、
>一端報道されたこの問題は今なお多くの人に信じられおり「グルタミン酸ナトリウム」
>は危ないという根拠にされている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/中華料理店症候群
>今日では多くの研究によるとMSGと中華料理店症候群とには関連がないとされる。
>一方、一部の消費者は有害であると信じてMSGの摂取を避けている。少数のレストラ
>ンではMSG無使用のコーナーを設けてその様な消費者を呼び込んでいる。あるいは
>マスメディアや漫画「美味しんぼ」などではうま味調味料の弊害だと断じている場合も
>見受けられる。
代わりに (?) 唐沢俊一が語るのは、「毎日科学調味料を飲まされていた子供は代謝異
常で背中が真っ黒に」なったとかいう話だったりするのだが……こんな話は、都市伝説
としても聞いた覚えがないし、ググってもそれらしいものが見つからない。
ついでに、「食べていた子供の頭がどんどんデカくなり、最後には破裂して“あら、食べ
過ぎた”というオチ」の CM についての情報もうまく捜せなかった。一応 Youtube も
チェックしたんだけど。そんな CM があったような気もするけど自信がないし、まして
それが頭のよくなるインスタントラーメンのものだったかどうかわからないし。
2009.12.23 (Wed)
戦前からの伝統重視なら「エヂソンバンド」
とにかく、アタマがよくなるというウリのものは片っ端から試してみた。
戦前からの伝統があるというエジソンバンドもハメてみた。あれは頭寒
足熱、という日本古来の考え方を応用した製品で、金属のブロックを頭部
に密着させることで、勉強しすぎでたまった熱を発散させる、という方針の
元に考案された器具であるが、弱点は痛いことだ。頭の皮膚が金属製の
ブロックのあいだに挟まる。うまくかぶらねばならないのである。たとえ
うまくかぶれて痛みはなくても、つけていることが気になって勉強が手に
つかなくなったのでやめてしまった。
× エジソンバンド ○ エヂソンバンド
それ以外にも、「頭寒足熱、という日本古来の考え方を応用」って、じゃあエジソンという
のは、どこからきたのかとか、「金属製のブロックのあいだに挟まる」としたら「頭の皮膚」
ではなくて額の皮膚ではないのかとか、いやそもそも、本当に皮膚が「ブロックのあいだ
に挟まる」ような構造になっているのかとか、いいたいことはいろいろ。
まず、「エジソンバンド」については、元と学会の岡田斗司夫も、唐沢俊一の絶賛する
串間努も、「エヂソンバンド」とかいているぞ、と。
http://netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/priodical/future/future4.html
>毎日新聞『失われた未来 LOST FUTURE 2000』第三十一回~第四十回
〈略〉
>子供の科学 1937年第一号昭和12年1月号『子供の科学』(誠文堂新光社刊)に
>掲載されてれいる通販広告。「頭のよくなるエヂソンバンド」や「モダーンタイプ ポケッ
>ト望遠鏡」が取り扱われている。
http://www.maboroshi-ch.com/ata/ord_04.htm
>串間努
>第4回「エヂソンバンド」の巻
>
>エヂソンバンドとはですね、額につける「頭がよくなる」健脳器具だ。
ただまあ、滝田ゆうの漫画では、「エジソンバンド」となっているようだけど。
http://www.seikyusha.co.jp/books/ISBN978-4-7872-9180-6.html
>滝田ゆう奇譚
〈略〉
>20 物干し台とエジソンバンド
昔は「エヂソンバンド」という商品名で売られていたのが、後で「エジソンバンド」に変更
された可能性も一応考えてみたけど、画像検索してみても、「エジソンバンド」だとそれ
らしいものはヒットしない。「エヂソンバンド」なら結構見つかる。
とはいっても、画像の種類としては、戦前のものらしい『科學的健康器 エヂソンバンド』
(能率研究會)、昭和 29 年の「少年」に掲載との「ニュー・エヂソンバンド」 (協和製作所)
の 2 種類が、複数サイトで共通して使われているという感じ。
http://bonkura-oyaji.blog.so-net.ne.jp/2009-10-19
> 能率研究會なるメーカーが販売していた『科學的健康器 エヂソンバンド』の広告に
>は、確かにエジソンと思しきお爺さんが父のしていたものと同じベルトを付けた写真が
>載っている。
http://www.maboroshi-ch.com/ata/ord_04.htm
> ……てなこといいましたが、実はエヂソンバンドの広告資料がないのです。「少年」
>の昭和29年に協和製作所に「ニュー・エヂソンバンド」というのがあったのでそれで
>勘弁してください。
その 2 種類以外に、ノーベルバンドとか類似品もいろいろあって、それらを含めた広告
の画像は、ここ↓で一覧可能。
- http://blogs.yahoo.co.jp/nietzsche_rimbaud/46700516.html
で、唐沢俊一は「金属のブロックを頭部に密着させる」、「頭の皮膚が金属製のブロック
のあいだに挟まる」と書いているが、類似品を含めて、広告の図や写真は、「金属製の
ブロック」の部分を額にあてているように見える。
それに、皮膚が「ブロックのあいだに挟ま」って「痛い」状態というのも、わかるような
わからないような……。額じゃなく頭につけている感じなら、髪の毛がはさまって痛く
なるんじゃないのかという問題もある。「眉は頭に属して、顔には入らない」などと断言
したりする唐沢俊一だから、そこに突っ込んでも虚しいかもしれないけど。
ちなみに、父親の使っていたエヂソンバンドをつけさせてもらったという人の体験談は、
以下に引用する通り。重かったと書いているが、挟まって痛いとは書いていない。他の
人の体験談でも、痛い思いをしたというのは見つけられなかった。
http://bonkura-oyaji.blog.so-net.ne.jp/2009-10-19
> ベルトは持ってみるとずっしりと重く、額に当たる部分には1.5センチ角ぐらいの白く
>光沢のあるタイルがワイヤでずらりと繋がれていた。〈略〉おねだりして付けさせて
>もらったこともあったけど、重たいわベルトはずり落ちるわでチィとも気分のいいもの
>じゃなかった。
〈略〉
> 何だかよく分からないエヂソンバンドは、昭和30年代に主に受験生の間でもてはや
>されたものの、昭和40年代には既にすっかり忘れ去られていたようだ。父のエヂソン
>バンドも、ぼんくら少年が小学校の高学年になった頃には押し入れの中で錆び付いて
>いた。
そして、上に引用した部分にも書かれているけど、エヂソンバンドが元気に販売されて
いた時期というのも気になる。1958 年 (昭和 33 年) 生まれの唐沢俊一が、自分で購入
して試したものなのか、それとも親か誰かがもっていたものなのか。
http://blog.livedoor.jp/zo_roku/archives/51140689.html
>エヂソンバンドが流行ったのは昭和30年代前半です。この頃の学卒初任給は9,000円
>程度だったことと、現在の学卒平均初任給が20万円程度であることを考慮すると、エ
>ヂソンバンドの「一個 370円+送料 50円」というのは、送料込みで9,332円…約一万
>円に相当します。
〈略〉
>ダボハゼ式に通信販売広告を載せていた時代に、雑多なトラブルを経験した出版界
>は、一定の基準にしたがってフィルターをかけるようになったということです。
http://plaza.rakuten.co.jp/okuman2611/diary/200907050000/
>エジソンバンドをご存知だろうか?昭和30年代から40年代にかけて、一部の受験生
>の間で流行った「ひらめき」をもたらしてくれる運気アップグッズだ。ネーミングからし
>て、偉大なる発明家であるエジソンのような頭脳に導いてくれるかのようなグッズだ。
で、エヂソンバンドは発明王エジソンと関係あるかどうかについては、串間努が調査
していた。「『エヂソンが考案した』というのは誇大広告だろう」とのこと。
http://www.maboroshi-ch.com/ata/ord_04.htm
> とりあえず、エヂソンの発明リストをアメリカのエヂソン博物館のhpで見てみること
>にした。この一連の健脳器は永久磁力線の働きと、空冷式で頭がよくなるというのが
>ウリなので、磁気という点に注目する。磁気を額にあてることで身体および脳に影響を
>及ぼすという発明なのではないかということだ。エヂソンの発明一覧をみると、マグ
>ネットということばはもの凄くたくさん使われている。〈略〉1890年の「磁気ベルト類
>( Magnetic Belting)」というのを見つけました。おそらくこれがそうなのではないだろう
>か。特許番号は#457,343 だ。次に早速アメリカの特許商標庁のhpにアクセスして番
>号検索から図面をみる。まったく違う、なんつーか自転車のギヤに巻きつけるベルトの
>ようなものだった。しょうがないからバンドでもベルトでも探してみるが、出ない。
> 結論としては、「エヂソンが考案した」というのは誇大広告だろう。
「自転車のギヤに巻きつけるベルトのようなもの」というのは、多分これ。
その他参考 URL (ヨコジュンと坪内逍遥):
- http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20061227/p1
2009.10.03 (Sat)
最近は French letter とはあまりいわないらしい
・イギリス人はコンドームのことを“フランス人の手紙”と呼ぶ。
דフランス人の手紙” ○“フレンチ・レター” または “フランスの手紙”
かなり前、「イギリス風の頭巾の形状とは」で、
-------
french letter はコンドームの意味で正しいが、“フランス人の手紙”と訳してよいもの
かは不明。
-------
と書いておいた話。ネタ元の有力候補である『話のネタ:会話がはずむ教養読本』の
中では、「語源はわからない。ただ、いずれなにかフランス人の悪口に関係したこと
だろう」というので、「フレンチ・レター」と表記している。
後日、「沈黙より混乱の方がマシだったかもしれない」を書く流れで、阿刀田高の
『ことばの博物館』を読み、ああこちらにも載っていたと思いつつ、放置していたのを
今回改めて書いてみる。
『ことばの博物館』 P.26
> “フレンチ・レター”、英語のつづり字を示せば“French letter”である。
> 少し英語のスラングに明るい人ならばご存知の通り、閨房用のゴム帽子をこう
>呼ぶ。
> イギリスのゴム帽子は、昔フランスの郵便物とよく似た袋に入って売られていた。
>そこで、“フランスの手紙”を意味する“フレンチ・レター”が、その呼び名となった
>という。
> いや、そうではない。むかしイギリスで用いられたゴム帽子の原産地は、おおむね
>フランスで、説明書その他はフランス語で書かれていた。そこで“フランスの文字”
>を意味する“フレンチ・レター”が、その呼び名になっていたという説もある。
> さらに、いや、いや、それも違う。“フレンチ・レター”の“レター”は手紙や文字の
>ことではなく“妨害する”という意味の動詞“let”から生まれたもので、すなわち、
>“妨害するもの”という意味。つまり“フランス式妨害物”だという説もある。
> この三つの学説(?)、どれが真実か、ここでは簡単に断定できないけれど、
>いずれにせよ、イギリスが「これは自分の国の原産ではない」とにおわせ、上品
>ぶっていることは確かなようだ。
> その仕返しかどうか、これもよくわからないが、フランス語では同じ品物を“イギリス
>頭巾”と呼んで、これまた「自分の国の原産ではない」ような顔をしているのは、
>おかしい。
“フレンチ・レター”のままでは、わかりにくいだろうという唐沢俊一の配慮 (大きな
お世話?) で日本語訳したのかもしれないけど、これも結局は劣化コピーになって
しまったという……。
上記で阿刀田高の紹介している学説 (?) をとるなら、「フランスの手紙」を「フランス人
の手紙」としてしまうのは話に合わない。無難にいくならば「フレンチ・レター」だったの
では。
その他参考 URL:
- http://www.sff.net/people/gunn/dd/f.htm
- http://books.google.com/books?id=tvRp1whVFUsC&pg=PA426&lpg=PA426&dq=%22French+letter%22&source=bl&ots=gQ7Q7YYC6F&sig=nNtIcKQbkq2l7z2HfPRDVm2fs30&hl=ja&ei=itjGSujyJ5qWkAXL79nbBQ&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=8#v=onepage&q=%22French%20letter%22%&f=false
2009.09.29 (Tue)
いなくてよかった病気の子ども、いなくて残念金持ちの父
「チップを払う習慣がある国ではいろいろ大変?」で引用した文の次に続くエピソード。ほかにもこのロックフェラー一世には、ホテルの一番安い部屋を予約して、
「息子さんはいつも最高級のお部屋にお泊まりになりますが」
と言われ
「ああ、彼には大金持ちの親父がいるからな。だが、わたしにはいないんだ」
と言った、というエピソードもある。してみるとロックフェラー二世は浪費家
だったらしいが、だからと言って親の財産をくいつぶしたという話も聞かない
し、このエピソードからすれば、むすこの無駄遣いを親がとがめた風もない。
そちらのエントリーでも言及したが、ロックフェラー二世は一世よりもケチじゃないかと
いうエピソードが複数個伝わっているので、これはロックフェラーの話とは違うのでは
ないかと。
http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?_r=1&res=9E01E3DF1E39E333A25756C0A9609C946196D6CF
> Young Mr. Rockefeller dislikes to tip. He does it, but with a painful effort.
http://nobee.jefferson.lib.la.us/Vol-142/07_1905/1905_07_0106.pdf (HTML)
> ROCKEFELLER TIPS BARBER
> John D., Jr., Shows His Appreciation of a Haircut in Pecuniary Manner.
> New York.―John J. Phelan, a barber, formerly employed at the Standard Oil
> company's building at 26 Broadway, is the only person ever known to have
> received a tip from John. D. Rockefeller,
〈略〉
> A hearty laugh came from his friends as he held Rockefeller's tip before them. It
> was a five-cent piece.
> "I will keep it forever," Phelan said.
> Accordingly he has had the nickel framed and decorated it with the following
> inscription: "John D. Rockefeller, Jr.'s. one best tip."
> The framed nickel is hung in the parlor of Phelan's home in Brooklyn.
試しに、「息子 最高級 大金持ちの親父がいる」でググってみると、ネット上には、
これ↓のコピーが、かなりの数存在している。
http://2channel2.blog32.fc2.com/blog-entry-448.html
>537 : 節分草(千葉県):2009/07/18(土) 02:56:56.76 ID:lkiba6KF
>ある大金持ちがホテルへ行き、一番安い部屋を予約した。
>すると支配人は、
>「 息子さんはいつも最高級の部屋にお泊まりになりますが? 」
>と言われたが大金持ちは一言、
>「 ああ、彼には大金持ちの親父がいるからな。 だが、私にはいないんだ 」
「支配人は」は、「支配人に」の間違いじゃないかと思うが、唐沢俊一の書いた文章では
ないので、おいといて。ロックフェラーうんぬんを抜きにしたエピソード自体は、唐沢俊一
の文章より前に見かけた覚えもあるものなので、「2009/07/18(土)」より前のものはない
かと捜してみると、こういう↓のも。
http://hobby2.2ch.net/owarai/kako/1024/10241/1024160193.html
>アメリカンジョーク大好き
〈略〉
>371 名前: 名無し職人 投稿日: 02/08/24 19:16
>ある大金持ちがホテルへ行き、一番安い部屋を予約した。
>すると支配人に、「息子さんはいつも最高級の部屋にお泊まりになりますが」
>と言われたが、大金持ちは一言、
>「ああ、彼には大金持ちの親父がいるからな。だが、私にはいないんだ」
こちらは、助詞の乱れもなしで、アメリカン・ジョークというのにも納得できる。でも、日付
は 2002 年 8 月で、1998 年の『トンデモ一行知識の世界』よりも新しい。
参考URL (Web Archive で 2004 年までは遡れる「アメリンカンジョーク」のページ):
- http://yellow.ribbon.to/~joke/0001.html
では、オリジナルが唐沢俊一の文章で、それがネット上のあちこちに広まったのかと思う
には、「ロックフェラー」等の入っているバージョンが見あたらないのが、ふに落ちないし。
そして、英文の資料の検索も試みたのだけど、ジョーク / ジョーク以外ともに、うまく捜せ
なかったので、不明点を残しつつも、いったんアップ。
誰か何か知っている人がいないかなあ……と他力本願なことを考えつつ。(_ _);
2009.09.21 (Mon)
唐沢俊一に語られるヒクイドリ。薄いというより低いレベルで。
箇所について。(実はこちらのエントリーでも引用してたりするけど)。
『トンデモ一行知識の世界』 P.33
しかし、間違いを間違いだからといって無下に排斥するのは人間の文化
を貧しいものにしてしまう。事実、などというのは世界中の人間のうちの数
パーセントが知っていればいいことではないか?
火食い鳥は火を食べ、ヒマワリは太陽に常に顔を向け、妊婦のおなかの
右側(左側だったか?)を蹴とばす子は男の子。そう国民の大半が信じて
いたからって、日本社会はどうってことないのである。
前エントリーでふれた志の低さはともかく、改めて読むと、「火食い鳥は火を食べ」るなど
と、日本の「国民の大半が信じて」いるように書いているのは変。仮定の話として書いて
いるとしても、本当に「国民の大半が信じて」いるようだったら、「日本社会はどうってこと」
あると思うし。技術立国として。
また、『トンデモ一行知識の逆襲』の方には、こう書かれている。
『トンデモ一行知識の逆襲』 P.68
では、あの古典ギャグの中の、バナナを踏んでスッテンコロリとひっくり
かえるギャグは、完全に空想の世界、われわれがイメージとして作り出し
た、火を食べるヒクイドリだの太陽の方へ花を向けるヒマワリだのと、同じ
ようなものなのか?
唐沢俊一がバナナについて書いたバカなガセビアについては、「バナナにではなく時間に
スベってタイムスリップ」と、「バナナの皮ですべってころぶのは、そんなバカナ話では
ない」を参照していただくとして。
問題は、「無下に排斥するのは人間の文化を貧しいものにしてしまう」ような「間違い」
だけど、「国民の大半が信じていたからって、日本社会はどうってことない」ものとして、
唐沢俊一があげているのが、レベルとしてバラバラであることだ。「間違い」と断言する
からには根拠のない間違い・迷信と明らかになっているものかと思うし、「国民の大半
が信じて」どうこうというなら、誰もが聞いたことのある話、昔は広く信じられていたような
話であってほしいものだが、唐沢俊一の例示しているのは、そうでもない。
「妊婦のおなかの右側(左側だったか?)を蹴とばす子は男の子」というのは、そもそも
あまり聞かない話だし。強く蹴ったり妊婦の顔がきつくなったりするのは男の子という話
なら聞いたことがあるが、そちらでさえも現在は信じられていないというか、エコー診断で
性別が判明するようになった今ではもう、「国民の大半」が知っているような話ではなく
なってきている模様。まあもともとハズレが多いとも聞くし、昔から「国民の大半が信じて
いた」ような話ではなかった可能性が高い。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1128890076
>迷信? 絶対ではないと承知で質問させて下さい。胎動で性別を判定する場合男の子
>だと激しく蹴る感じ女の子だとうにょうにょ動き回る感じと聞きましたが皆さんはどのよ
>うに聞いた事がありますか??
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q114755006
>それは、うちの姑が根拠の無い、でたらめだと笑っていました。実家の母も同じ意見で
>す。娘である私が、まだ胎内にいた頃、あまりの、つわりの重さに、顔がやつれて怖い
>顔をしていたところ、奥さん、赤ちゃんは絶対に男の子よ!とみんなに言われたそうで
>す。でも母は、悔しいので、出産時まで、お腹をさすっては、あなたは絶対に可愛いい
>女の子なのよ!と念じ続けていたそうです。母を、やつれさせ、お腹を散々蹴りまくり
>男の子だと言われて、やっと生まれた私は、なんと立派な待望の女の子でした。
「ヒマワリは太陽に常に顔を向け」の方は、それを聞いたことのある日本国民の割合は、
ずっと多いと思われるけど、こちらは「間違いだからといって無下に排斥する」ようなもの
ではないのではないかと思う。確かに「花が開く頃には生長が止まるため動かなくなる」
けど、つぼみの頃までは太陽の方向を追うように動くのだから、唐沢俊一のいう「完全に
空想の世界」というのは、ちょっと違うのではないかと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヒマワリ
>和名の由来は、太陽の動きにつれてその方向を追うように花が回るといわれたことか
>ら。ただしこの動きは生長に伴うものであるため、実際に太陽を追って動くのは生長が
>盛んな若い時期だけである。若いヒマワリの茎の上部の葉は太陽に正対するように動
>き、朝には東を向いていたのが夕方には西を向く。日没後はまもなく起きあがり、夜明
>け前にはふたたび東に向く。この運動はつぼみを付ける頃まで続くが、つぼみが大き
>くなり花が開く頃には生長が止まるため動かなくなる。その過程で日中の西への動き
>がだんだん小さくなるにもかかわらず夜間に東へ戻る動きは変わらないため、完全に
>開いた花は基本的に東を向いたままほとんど動かない。
で、本題の火食い鳥。唐沢俊一の文章だけ読むと、昔の人は火食い鳥という名前の、
火を食べる鳥の存在を信じていたかのように思えるけど、そんなことはなかったみたい
だぞ、と。
命名の由来は、「喉の赤い肉垂が火を食べているかのように見えたことから名づけられ
たとの説が有力」で、火を食べる鳥と信じていたからではない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヒクイドリ
>和名は「火食鳥」の意味であるとされている。喉の赤い肉垂が火を食べているかのよ
>うに見えたことから名づけられたとの説が有力。
そして、江戸時代の人にとっての火食い鳥は、火を食べるという空想上の生物ではなく、
見世物小屋でお目にかかることのできる、珍しくはあるけど実在の動物であったのだ。
http://www.rakugo.com/library/intro-h.html
> 江戸時代には、ゾウ、ヤマアラシ、ヒクイドリ、ラクダ、ロバ、ヒョウなどが渡来し、
>見世物になりました。
> 注目すべきことは、動物の見世物を見ることによって、開帳の神仏を拝むのとおなじ
>ように、厄払いになるとか、疱瘡や疫病などの悪病がさけられると考えられていたこと
>です。
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/activity/kiyo.html
>怪鳥カズワル江戸を歩く寛政元年渡来のヒクイドリ成 澤 勝 嗣
> 寛政元年(1789)長崎へ来航した阿蘭陀船が、一羽のヒクイドリを輸入した。日本人
>がこの鳥を「駝鳥」と呼んでいた時代のことである。このヒクイドリは民間に売られて見
>せ物となり、翌年から京都、大阪、江戸、伊勢と興行する間に、各地で様々な反響を
>まきおこす。
> 蘭学者・大槻玄沢はこれが駝鳥ではなく、火食鶏(Emeu)であることを考証し、それ
>をもとに「駝鳥・火食鶏図」という双幅の絵を作った(当館蔵)。かと思えばかたや「ヒク
>イドリは猪と鷲の混血種である」というような戯作本を発行する人もいた。本稿はそれ
>らを紹介し、一羽の異国鳥が江戸時代にまきおこした波紋の数々をまとめてみたもの
>である。
ちなみに、唐沢俊一が「間違いを間違いだからといって無下に排斥するのは人間の文化
を貧しいものにしてしまう」とか書いているのは、以下に示す一行知識が、ガセと判明し
たのを惜しんでのことである。
『トンデモ一行知識の世界』 P.32
カシオ計算機の社名は創始者の樫尾俊雄氏に由来しているが、「CASIO」
はラテン語で「計算する」という意味である。
これに「カシオ計算機の初代社長は父の樫尾茂氏です」とか「“CASIO”という言葉に
ラテン語の意味はないようです」と「フォロー発言があった」そうである。唐沢俊一によると
「一行知識としては、業界情報とラテン語の知識、そして偶然の一致の不思議さ、という
三つの視点を備えた、なかなかの出来のものである」から、「惜しいことである」という
ことらしいが……「事実、などというのは世界中の人間のうちの数パーセントが知ってい
ればいいことではないか」などと言い出すほど、この一行知識は面白くて惜しいものか
という疑問も。
2009.09.06 (Sun)
正しく引用できぬ君のために (5)
や「正しく引用できぬ君のために」も参照のこと。
『トンデモ一行知識の世界』 P.216
×アメリカ政府の ○アメリカの一九四三年のアメリカ政府の調査によると、六歳以下の子どもをいじめる
方法は、百五一通りある。
唐沢俊一は勝手に「政府の」を追加して、「アメリカ政府の調査」ということにしてしまって
いる。
『超辞苑』 P.17
>いじめ 1943年のアメリカの調査によると、6歳以下の子どもをいじめる方法は151通り
>ある。
類似の例として、『ドナルド・ダックを読む』には、 「ウォルト・ディズニーのマンガが世界
で売れているのは、アメリカ政府がひそかに後押ししているからである」と書いてあるか
のように捏造したという件があったけど……。(「『ドナルド・ダックを読む』と捏造される
トンデモ」を参照)。唐沢俊一はよほど、「アメリカ政府」を関与させるのが好きらしい。
で、「正しく引用できぬ君のために」で、『超辞苑』の中には見つからなかったと書いた
もののうち、以下の 3 つは、やはり見つけられませんでした、ということで。見落としの
可能性はまだ残っているけど……。(本当に見落としていたという話は、「追記 2」で……)
『トンデモ一行知識の世界』 P.216
麻薬の一種アンフェタミンは猿が相手の表情を読み取る能力を高める。
『トンデモ一行知識の世界』 P.217
『モナ・リザ』の最初の所有者フランシス一世は、その絵を風呂場にかけていた。
〈略〉
人間は仰向けになって寝る唯一の動物である。
以上の 3 つはまた、どれもガセっぽい。
「麻薬の一種アンフェタミン」って、そもそもアンフェタミンって麻薬なのかという疑問は、
こちらのコメント欄にも書かれているけど、それを抜きにしても、「猿が相手の表情を読み
取る能力」とアンフェタミンとの関係を述べた資料も見つからない。
「『モナ・リザ』の最初の所有者フランシス一世」というのも、「フランシス一世」でよいの
か、フランソワ一世の間違いではないのかという疑問が。これはまあ、資料によっては
「フランシス一世」となっているものもあるとして。
http://ja.wikipedia.org/wiki/モナ・リザ
>レオナルドは1503年にこの絵を描き始め、3年から4年制作にあたった。完成後もレオ
>ナルドの手元に置かれ、フランスのフランソワ1世の招きによりレオナルドと共にアンボ
>ワーズ城近くのクルーの館へ移り、その後1510年頃にフランソワ1世によって4000エ
>キュで買い上げられ、フォンテーヌブロー宮殿に留め置かれたとされる。
そして、「その絵を風呂場にかけていた」といっても、フランソワ1世の時代のフォンテーヌ
ブロー宮殿のバスルームって、どんなものだったのか、そもそもそんな部屋というか施設
があったものかどうかが不明。ルネサンスの頃は、ヨーロッパの貴族が風呂嫌いになった
時代でもあって。
http://www.ligne-roset.jp/carnet/bn18.html
>しかし、中世時代になると、キリスト教会の影響もあり、共同風呂は国民性を「堕落」
>させる悪い習慣として見られことになり、あまり使われないようになりました。ルネッサ
>ンス時代(15~16世紀)はさらに、「お風呂は健康に悪い」というイメージになったので
>す。当時のヨーロッパは、ペスト、天然痘などの伝染病が流行っていて、「水によって
>病気が広がり、感染する」、つまり水が危ないような考えがありました。さらに、「水が
>肌の毛穴をあけて、柔らかくする」、という有害な効果を持っていることが信じられ、水
>によって体が病気に弱くなる、というような固定概念ができ上がってしまいました。
現在、フォンテーヌブロー宮殿を訪れると、ナポレオンのバスルームを見学することは
できる。これが設置されたのは 19 世紀になってからの話。絵を飾っておくような場所
ではなさそうだし、実際に何かの絵をかけていたという話もない。
http://www.uk.fontainebleau-tourisme.com/pays-fontainebleau/the-castle/the-palace-2.asp
> Napoleon resided in these private apartments, which have just been refitted
> following fifteen years of restoration. One can discover the very beautiful
> bedroom of the Emperor and his display bed, his study where he worked during his
> nights of insomnia, his bathroom and the drawing-room which became famous
> since he signed his abdication there in 1814.
http://www.dokodemo-bessou.com/france/france3/page4-4.htm
> ルイ16世の「英国風の場所」があったところに、1806年にナポレオン用の浴室が設
>置された。
> 壁面装飾は1985年から1988年に復元された。マホガニー製の椅子は当時のもの
>で、帝国時代の習慣に従って白の面の布地で補強されている。
> ナポレオンは深夜の執務時に風呂を好み、朝5時に仮眠をとり、遅くとも7時には目
>を覚ましたという。
バスルームの写真↓
http://www.flickr.com/photos/leminhduc62/2844975376/
その他参考 URL:
- http://kibisun.blog.ocn.ne.jp/sun/2007/12/post_9bba.html
- http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/davinci_monalisa.html
- http://ja.wikipedia.org/wiki/レオナルド・ダ・ヴィンチ
- http://ja.wikipedia.org/wiki/ルーヴル美術館
で、最後の「人間は仰向けになって寝る唯一の動物である。」だけど、これはまあ、昔
ウチで飼っていた猫も仰向けで寝ていたことあったし、有名どころでは、赤塚不二夫の
飼い猫の菊千代という例もあるし……。
http://www.necomachi.com/topph/g_win247.htm
>赤塚不二夫が溺愛した猫、菊千代はおなか丸出しバンザイ姿で仰向けに寝る猫とし
>て、テレビ・雑誌など当時のマスメディアで大活躍!
ネット上では、他にも、飼い犬や飼い鳥、飼いハムスターの仰向けで寝ている姿の報告
例もけっこう見つかる。まあ野生の動物にはそんなのいないと主張する人もいるけど、
じゃあ野生の人間ってどういうのという疑問にこたえられないと、唐沢俊一のいうような
「人間は仰向けになって寝る唯一の動物である。」という一行知識は成り立たない気が。
http://kumikan.jugem.jp/?eid=128
>夜はライトがついているようなのですが、一昨日の夜だったか、「あっ、ハッチが寝て
>る!」といって大騒ぎ。仰向けになって、脚を上げて寝ていたそうです。カンガルーって
>仰向けになって寝るんだぁ、知らなかったわ。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q115845291
>フェレット、スカンク、コツメカワウソ、ジャビール、クロハラハムスター、ゴールデンハム
>スター、プレーリードッグ、は仰向けでねてたなあ。殆ど、穴蔵暮らしのやつら。あと、
>魚で、オオウナギ(ちう種)。
また、うつぶせになったり横向きになったりして寝ると、溺死の心配があるラッコがいる
ので、野生うんぬんを条件につけても、「人間は仰向けになって寝る唯一の動物」には、
やはり無理があるだろう。
http://www.rakuten.co.jp/rakkodo/909851/657958/
>【3】さぁ、いざラッコ水槽へ…!と行ってみたらお昼寝中でした。しかし、海草をお腹に
>のせて、スヤスヤ気持ちよさそう~。眠っている姿も可愛いです♪
ちなみに、『超辞苑』には、ラッコの睡眠について、以下のような記述がある。
『超辞苑』 P.55
>カワウソ 身体を毛皮で包まれた水棲の肉食哺乳類。カワウソの仲間であるラッコは、
>横になって眠りにつくときには潮流に流されるのを防ぐために海藻につかまる。
その他参考 URL:
- http://bt-doggy.com/articles/burton/20090808.html
- http://office-lila.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_d485.html
追記: コメント欄でも指摘があったが、「フランシス一世」もアリの方向で。
追記 2: 「『モナ・リザ』の最初の所有者フランシス一世は、その絵を風呂場にかけて
いた。」の元ネタを今さら発見。
『超辞苑』 P.76
>毛
〈略〉
> フランシスI世は『モナ・リザ』の最初の所有者で、その絵は浴室に置かれていた。
>その時代の体毛を嫌うファッションを配慮したかのように、モナ・リザの肖像には媚毛
>がない。そのモデルの謎めいた微笑の奥には義歯が隠されているという。ダビンチ
>は、銅のフレームと遺体から盗み取った3本の歯で彼女の義歯を作ったらしい。彼女
>は何度もモデルに通うあいだに自分の歯を悪くしてしまったのだった。
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-236.html#comment553
で教わった、ガイドさんの説明の件もあるし、真偽はともかく、ガセで片づけられる話では
やはりなかったというオチで……。(汗)
2009.09.05 (Sat)
正しく引用できぬ君のために (4)
も参照のこと。
今回は、「正しく引用できぬ君のために」で、うっかり見落としていた件を含めて 3 つ。
『トンデモ一行知識の世界』 P.217
×ドルリー・レーン劇場 ○ドルーリ・レーン劇場一八四〇年、ロンドンのドルリー・レーン劇場では、呼ばれると口笛を吹くカキ、
モリーの公演が大当たりをとった。
『超辞苑』 P.47
>牡蠣 二枚貝の軟体動物。牡蠣を地でいく無言劇画喝采を博した時代はもう終わった
>が、「口笛を吹く牡蠣」として評判となったモリーは、1840年、ドルーリ・レーン劇場で
>の公演で大成功を収めたのだった。ただし、彼女がいつでも「モリー」という呼び名に
>応答したかどうかについては検討の余地がある。なぜなら、牡蠣は雌雄同体であり、
>はじめはオスだが、その後、オスになったりメスになったりを何度もくりかえすからで
>ある。
> メリーランド州では、牡蠣の扱いが悪いと罰金刑に処せられることがある。
いやまあ、日本での Drury Lane の表記は、「ドルリー・レーン」が一般的かもしれない
けど、『超辞苑』という本にはこのようなことが書かれているという紹介をしているのだか
ら、勝手に変更するのはいかがなものかと。
参考 URL:
- http://ja.wikipedia.org/wiki/ドルリー・レーン
- http://en.wikipedia.org/wiki/Drury_Lane
- http://en.wikipedia.org/wiki/Theatre_Royal,_Drury_Lane
『トンデモ一行知識の世界』 P.217
「正しく引用できぬ君のために」では、『超辞苑』には見あたらないと書いてしまったけど、胃の鳴る音でその人の未来を占う、“胃占い”という占いがある。
よく見たら、あった。
『超辞苑』 P.29
>占い 胃の発する音から未来の運勢を占う方法は「胃占い」と呼ばれている。
「☆ガウディと☆まで同じにしなくとも……」や「もちろん『ばばばばば』だってそのままだ」
などでは、出典を示さず文章を丸ごとコピペで、今回のように書名をあげて紹介している
ときには、いじらなくてよい文章をやたらいじって、ついでに意味やニュアンスまで変えて
しまうのは、逆だろう逆! といいたくなるが……。
まあ唐沢俊一が元の文章をいじればいじるほど、変な文章になったりガセになったりする
ので、反省して文章の変更を控えた結果が、豪快パクリという芸風の確立につながった
のかもしれない。
『トンデモ一行知識の世界』 P.217
×栄養価 ○蛋白価アリのフライは同量の牛肉や卵よりも栄養価が高い。
これについては、以下の文章では「アリのフライ」ともいっていないし、本当にこれが元に
なっているのか今ひとつ自信がもてなかったりするほど、『超辞苑』の記述とは違ったもの
になっているという感じ。
『超辞苑』 P.221
>人食い 〈略〉
> メキシコでは蟻を食べるが、それは、牛肉、鶏肉、魚肉、卵などより蛋白価が高いと
>いう。また、青虫を焼いたものがアフリカの一部の国々では好まれるが、これも蟻と
>同じ程の栄養価があり、しかも食べてもそれほど太らない。
追記: この件については、どうも、別の箇所に書いてある「シロアリ」の話が混ざっている
ような……。
『超辞苑』 P.45
>海軍 19世紀、イギリス艦隊の建造がこのうえない成功を収めた陰には、なんといっ
>ても、イギリスの海岸にシロアリがいなかったことが深く関与しているといえる。シロ
>アリのいる国では、この貪欲な生き物のいけにえになることなく木製の船を建造し保管
>するのは不可能なことである。
> シロアリのフライは、100グラムあたり560カロリーの栄養価をもつ。またタンパク質が
>46パーセント、脂肪が44パーセントを占めている。 (比較のためにサーロインステーキ
>を例にとると、タンパク質が23パーセント、脂肪が32パーセントである。)
こちらをベースとすると:
×アリのフライ ○シロアリのフライ
×牛肉や卵 ○サーロインステーキ
追記 2: 「正しく引用できぬ君のために (5)」に続く。
追記 3: コメント欄で指摘のあった (ありがとうです) 「歓待」と「Fライ」を訂正。
正しく引用できぬのは何のことはない自分だったというイヤんなオチ……。
2009.09.05 (Sat)
正しく引用できぬ君のために (3)
も参照のこと。
『トンデモ一行知識の世界』 P.218
スターリンの趣味はオオカミの頭の絵の落書きであった。
「会議のときよく落書きをした」からといって、「趣味は〈略〉落書きであった」とかいわれ
ては、スターリンもたまらない。
『超辞苑』 P.282
>落書き 1960年に書かれた「抑制的ないしは開放的描画に見える人間の性格」と
>いう題の論文中で、ウォラックとガームは、外向性の人は内向性のひとよりも屈託の
>ない落書きをすると述べている。スターリンは会議のときよく落書きをしたが、いつも
>彼はオオカミの頭部の絵だけを描いていたという。
『トンデモ一行知識の世界』 P.218
コアラの離乳食は母親の肛門から垂れるユーカリの樹液である。
冷静に考えると、「ユーカリの樹液」が、コアラの「母親の肛門から垂れる」のか、コアラ
の子どもが吸わないといけないものかは、わからないような気が。少なくとも、『超辞苑』
の文章からだけでは、樹液が「母親の肛門から」ぽたぽた垂れてくるものがどうか判断
はつかない。
『超辞苑』 P.277
>ユーカリ ギリシア語の eu (よく)、kalyptos (繁る) が語源。フトモモ科の樹木。コアラ
>の子は母親の肛門から直接与えられるユーカリの樹液によって離乳される。まるで
>この肛門に集まる視線を隠すかのように、ユーカリの葉は垂直にたれさがる。
追記: 「正しく引用できぬ君のために (4)」に続く。
2009.09.05 (Sat)
正しく引用できぬ君のために (2)
参照のこと。
『トンデモ一行知識の世界』 P.218
×十二年 ○十三年エルビス・プレスリーは四十二歳で死んだが、これはネアンデルタール人の
平均寿命より十二年も長い。
前回のエントリーを書いたときは見落としていたけど、唐沢俊一はネアンデルタール人の
平均寿命を、勝手に 1 年長くしていたと。
『超辞苑』 P.195
>ネアンデルタール人 エルヴィス・プレスリーは42歳で死んだが、これは、ネアンデル
>タール人の平均寿命より13年も長い。エルヴィス・プレスリーは、初コンサートを終えた
>直後、トラック運転手という堅実な職業を続けたほうがいいというアドバイスを受けた
>という。
唐沢俊一が、何でわざわざ「エルヴィス」を「エルビス」にしたり、英数字を漢数字にしたり
したのかも謎。まあ、これは編集者の責任もあるのかもしれないけど。
以下は、前のエントリーのコメント欄より。
『トンデモ一行知識の世界』 P.218
フロイトはひとり旅をしたことがなかった。時刻表が読めなかったからである。
どちらかというと、『アシモフの雑学コレクション』の方に近い記述。「鉄道の時刻表」、
「列車の時刻表」をただの「時刻表」にしてしまうとか、はしょり過ぎな気も。
『超辞苑』 P.138
>精神分析 シグムンド・フロイトは何年間もコカインを使用していた。 これは彼の神経
>を刺激したはずだが、それにもかかわらず、彼は鉄道の時刻表の読み方がさっぱり
>わからず、そのため、一人で列車に乗って旅行したことは一度もなかった。
『アシモフの雑学コレクション』 P.211
>心理学者のフロイトは、列車の時刻表の見方がわからなかった。旅行には、だれかと
>でないと出かけられなかった。
追記: 「正しく引用できぬ君のために (3)」に続く。
追記 2: コメント欄で指摘があった (ありがとうございます (_ _);)、「ネアンダール人」を
「ネアンデルタール人」に訂正。 # 何でこんな妙な間違いをするのか>自分
2009.09.05 (Sat)
正しく引用できぬ君のために
×ひっくりかえる習性 ○転がる性癖中でも僕が好きで繰り返し読んでる雑学本の一冊に、ケンブリッジ大学出
の二人の著者、B・ハーストンとJ・ドーソンによる『超辞苑~新・眠られぬ夜
のために』(新曜社)がある。この本は、そういう無用な知識の本としては究
極を行っていると思われる。よくもまあ、これだけ役に立たぬ知識をかき集め
たな、 と感心させられる出来なのだ。たとえば、ここに挙げられている知識に
はこう いうのがある。
アリは興奮すると必ず右腹部を下にしてひっくりかえる習性をもつ。
『超辞苑』 P.10
>アリは自分の体重の50倍もの物質を持ち上げることができ、体重の300倍のものを
>引っ張ることができる。また、興奮した場合には必ず右腹部を下にして転がる性癖が
>ある。
小ネタといえば小ネタ。だけど、まさか、ここで列挙されている (「『超辞苑~新・眠ら
れぬ夜のために』から」参照) が、『超辞苑』という本に書かれていることを正確に
引き写したものではなかったとは……。いや考えてみれば、「『倫敦千夜一夜』は
マトモな本なのに……」という前例もあるので、今さら驚くこともないのかも。
『トンデモ一行知識の世界』 P.218
×四十分から一時間かかる ○好みに応じて、40分から1時間半ゆでればよいダチョウの卵をゆで卵にするには四十分から一時間かかる。
これは、なぜかは知らないけど、元の文章の「1時間半」が「一時間」に減っている。
『超辞苑』 P.151
>ダチョウ 現存する最大の鳥。体重が280ポンドある人でも、ダチョウの卵を割らずに
>その上に載る事が可能である。この卵が一個あって、なんとか殻を割ることに成功
>すれば、12人分のオムレツを作ることができるという。もしゆで卵のほうが好きだと
>いうなら、好みに応じて、40分から1時間半ゆでればよい。
『トンデモ一行知識の世界』 P.217
×三度、体位を変える。 ○三つの体位を使って愛の交歓にふけることがあるという。ザトウクジラは一回のセックスの際に三度、体位を変える。
『超辞苑』 P.70
>観察によると、ザトウクジラは三つの体位を使って愛の交歓にふけることがあるという。
唐沢俊一の文章だと、まるでザトウクジラがいつも決まって「三度、体位を変える」みたい
なのが気になっていたけど、元の文章だと、まあ納得。
『トンデモ一行知識の世界』 P.218
ハンバーガーはドイツのハンブルグ市に由来する名前だが、チーズバーガー
はチーズブルグ市(実在する)には何の関係もない。
『超辞苑』 P.158
>チーズバーガー この名称はドイツのチーズブルグ (Cheeseburg) という名の町とは
>全く関係がない。
「ハンバーガーはドイツのハンブルグ市に由来する名前」は、『超辞苑』の中には該当
する箇所は見つけられなかった。
見つけられなかったといえば、『超辞苑』に書かれているものであると唐沢俊一が列挙
した一行知識のうち、以下のものは、まだ見つけていない。見つけるか、『超辞苑』には
書かれていないと確認できるかした時点で続きを書きたい。
『トンデモ一行知識の世界』 P.216
麻薬の一種アンフェタミンは猿が相手の表情を読み取る能力を高める。
一九四三年のアメリカ政府の調査によると、六歳以下の子どもをいじめる
方法は、百五一通りある。
『トンデモ一行知識の世界』 P.217
胃の鳴る音でその人の未来を占う、“胃占い”という占いがある。
〈略〉
『モナ・リザ』の最初の所有者フランシス一世は、その絵を風呂場にかけていた。
〈略〉
人間は仰向けになって寝る唯一の動物である。
フロイトはひとり旅をしたことがなかった。時刻表が読めなかったからである。
『トンデモ一行知識の世界』 P.218
アリのフライは同量の牛肉や卵よりも栄養価が高い。
〈略〉
スターリンの趣味はオオカミの頭の絵の落書きであった。
追記: 「正しく引用できぬ君のために (2)」、「正しく引用できぬ君のために (3)」、
「正しく引用できぬ君のために (4)」、「正しく引用できぬ君のために (5)」に続く。
2009.09.01 (Tue)
チップを払う習慣がある国ではいろいろ大変?
ロックフェラー一世は、チップを払うのもいやがるケチだった。ある日、
行きつけの床屋でどうしたわけか十セントのチップを渡した。床屋は
あまりの珍事に、この十セント硬貨を額に入れて店に飾った。
以下に引用するようなエピソードだったら、見つかったんだけど、床屋の話というのは、
見つからなかった。
http://www.amazon.co.jp/review/R1S9OGA1CS63VU
>レビュー詳細商品 世界史こぼれ話 2
〈略〉
>暇つぶしにもってこい, 2008/11/21
>By K
〈略〉
>私が面白いと思った話をいくつかあげてみようか。
>○ロックフェラーは、あるレストランで毎日簡単な食事をし、帰りにボーイに15セントの
>チップをやる慣わしだった。ところが、ある日どうしたことか5セントしかやらなかった。
>ボーイは不満そうに「わたしがあなただったらたった10セントを惜しみはしないのです
>が……」といった。するとロックフェラーは「だから君はいつまでもボーイなんかしている
>のだよ」
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/sen2n136/diary/200907A
>ロックフェラーは巨大財閥を成したが昔の苦労を忘れず
>贅沢に甘んじる事無く
>昼食はいつも安料理店でローストビーフとポテト
>35セントにチップ15セントと決めて居たと云う
http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?res=9E01E3DF1E39E333A25756C0A9609C946196D6CF
> John D. Rockefeller, Jr., Hates Tips
〈略〉
> An Illinois farmer called out once when he put down 15 cents for some Standard
> Oil, "Here's where I give 10 cents to higher education." Mr. Rockefeller's
> servants at any rate may also have the satisfaction of being philanthropists
> without any effort. The favorite little economy of Mr. Rockefeller, Jr., is
> somewhat like his father's. Young Mr. Rockefeller dislikes to tip. He does it, but
> with a painful effort. As Tommy Traddles said, with a wince. " It's-it s a pull."
上に引用したような話も、どこまで信用してよいのか微妙な気はするが、ロックフェラー
は大金持ちになってからも、かなりの節約家だったといわれてはいるらしい。
しかし、唐沢俊一が書いている「チップを払うのもいやがるケチ」というのは、単に額が
少ないとか渋々チップを払うとかいう問題ではなく、チップを渡すこと自体が、「あまりの
珍事」であり、だから「この十セント硬貨を額に入れて店に飾った」という話になっている
ような……。
チップをめったに払わないという生活をアメリカで続けていられるかどうかは疑問だし、
他のチップにまつわるエピソード (一応はチップを払っている) とも矛盾してしまう。
「十セント硬貨」というのがロックフェラーにしては破格のチップの額と解釈するのも、
他のエピソードに出てくるチップの額と比較すると無理がある。
ということで、床屋が「十セント硬貨を額に入れて店に飾った」のは、多分ガセだろう。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tip
> Tipping in the United States is so common and expected in some cases that in
> many service establishments, such as hair salons and restaurants, customers
> have actually been asked to pay a tip on occasion, or have been verbally abused
> by staff for "stiffing" them, even though such behavior on the part of the staff is
> considered completely contrary to proper etiquette and standard business practices.
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4422095.html
>我が家は、どんなレストランでも、朝食・昼食は15-20%、夕食は20%を目処にチップを
>払います。特別良くしてもらったら、それプラスアルファという形です。
http://kyota.sblo.jp/article/6464314.html
>タクシーでは料金の15~20%を渡す人が7割やそぉや。レストランでは、68%が代金の
>20%を、11%が同15%を渡しとんねやて。VAT(value- added tax、付加価値税、日本の
>消費税みたいなもん)の2倍の金額を渡すっちう手を使う人が21%やそぉや。
http://oshiete.sponichi.co.jp/qa5215199.html
>日本人は誤解していますが、チップは労働者の権利であって、お客側の義務です。
>なので、不必要にチップの額を下げるのは、労働者の権利を侵害している事になり
>ます。全く支払わないと言う事も同じ。
>なんで、ハワイでは事前にチップ額が書き込まれた請求書が持ってこられるんです。
>ですが、もちろん「サービスが全くなってない!」と言うときは、低いチップ額、あるいは
>払わないと言う選択を取る事は全く制限されていませんが、それ相応な理由と覚悟が
>必要と思った方がいいです。
関連:
・金を産むか、炎上するだけか
・貯金より 同族結婚 ロスチャイルド (字余り)
追記: コメント欄で教わった (ありがとうございます(_ _)) 1905 年の新聞記事によると、
×ロックフェラー一世 ○ロックフェラー二世
×十セント硬貨 ○五セント硬貨
ということになると判明。
http://nobee.jefferson.lib.la.us/Vol-142/07_1905/1905_07_0106.pdf (HTML)
> ROCKEFELLER TIPS BARBER
> John D., Jr., Shows His Appreciation of a Haircut in Pecuniary Manner.
> New York.―John J. Phelan, a barber, formerly employed at the Standard Oil
> company's building at 26 Broadway, is the only person ever known to have
> received a tip from John. D. Rockefeller, Jr. Rockefeller was in a great hurry as
> he climbed into the barber's chair to have his hair trimmed.
> "Good work," John D., Jr., said, as he felt in his trousers pocket for change
> after the job was done. "Take this," and he handed Phelan a coin.
> "What is it, a gold piece?" the other barbers asked as they crowded about
> Phelan.
> Holding the coin between thumb and forefinger, Phelan displayed it aloft.
> A hearty laugh came from his friends as he held Rockefeller's tip before them. It
> was a five-cent piece.
> "I will keep it forever," Phelan said.
> Accordingly he has had the nickel framed and decorated it with the following
> inscription: "John D. Rockefeller, Jr.'s. one best tip."
> The framed nickel is hung in the parlor of Phelan's home in Brooklyn.
上に引用の文に「one best tip」とあるので、John. D. Rockefeller, Jr. Rockefeller が
払ったチップの額としては最高ということで、別に彼がいつもチップを払わないという話
ではないのだろう。
で、額に入れて飾ったというニッケル貨が、最初「"What is it, a gold piece?"」とか
いわれているのは、同じ 5 セント貨でも通常の銀色のものではなく、金色だったため
と思われる。
http://www.littletoncoin.com/webapp/wcs/stores/servlet/Product5%7C10001%7C10001%7C-1%7C35757%7C17009
> Many discriminating collectors consider the 1913-38 Buffalo nickel the most
> American coin design ever created.
上記のバッファロー貨の金色っぽいものは 1913 年以降の発行なので、この記事の
1907 年には間に合わない。多分、1883 年の Liberty nickel が、記事でいう「a gold
piece」ではないかと。サイズも見かけも、当時流通していた 5 ドル金貨と似ていたそう
なので、それで床屋で働いていた John J. Phelan や同僚達は、一瞬盛り上がったとか?
http://www.coin-rare.com/1883-racketeer-nickels.aspx
> In 1883, the U.S. Mint issued a new nickel, known as the Liberty nickel. This new
> coin had no recognizable denomination on the back. Josh Tatum a deaf mute
> noticed the coin was the same size and had a similar look to circulating $5 gold
> coins.
2009.08.30 (Sun)
そんなゴキブリレストラン、いろんなゴキがもがいてる
……では最後にゴキブリにまつわる歴史のエピソードを。かのロシアの
ピョートル大帝は、ゴキブリが大のニガテであった。ゴキブリを見ると蒼く
なったので、宮廷の内部はもちろん、いきつけのレストランなどでも、ゴキ
ブリが出たとたん悲鳴をあげた。そこへ
「そんなことでしたら私どものレストランを王室御用達にしていただけません
か。何しろゴキブリが出てきたこともないのが自慢なんで」
というレストランが現れた。そこで大帝がそこのレストランに行ってみると、
なるほどゴキブリの影も形もない。すっかりうれしくなって大帝が
「すばらしい! これには何か秘密があるのかね?」
と訊ねると、支配人が
「はい、実は先祖代々伝わるゴキブリよけのまじないがあるのでございます」
と言う。大喜びした大帝がそれをぜひ、教えてもらいたいと所望すると、
「お安い御用でございます。それ、一匹をああしておけば、ほかの連中は
絶対にその店に近づかないので:
……支配人が指さす方を見たとたん、大帝は悲鳴をあげて店を飛び出し
た。そこには、壁の真ん中に、特別に大きな一匹がピンでとめられ、足を
バタバタ動かしてもがいていた。
「壁の真ん中に、特別に大きな一匹がピンでとめられ」ているのに、「何しろゴキブリが
出てきたこともないのが自慢」というのは何か詐欺だし、「そこのレストランに行ってみる
と、なるほどゴキブリの影も形もない」って、どこに目がついているのかと。
そもそも、捕えた一匹がジタバタ暴れていたら他のゴキブリは近づかない――なんてこと
があり得るなら、ゴキブリホイホイのような商品は成立しないはずという問題もある。
で、「歴史のエピソード」というが、「ピョートル大帝は、ゴキブリが大のニガテ」自体が、
ほとんど見あたらなく、以下のようなことが書いてあるのは珍しい。
http://wiki.chakuriki.net/index.php/ロマノフ朝
>ピョートル1世
〈略〉
>04. ゴキブリが大の苦手(実話)
日本語のページには少なくても、「Pyotr Alekseevich cockroach」あたりでググれば、
英文のページはヒットするかなと思ったけど、これといったのが見あたらないのが少々
意外だった。レストランのエピソードは嘘っぽいとして、ピョートル大帝がゴキブリ嫌い
という資料くらいは、どこかに流通しているものと予想していたんだけど……。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ピョートル1世
>ピョートル1世(〈略〉ラテン文字表記の例:Pyotr I Alekseevich, 1671年6月9日 - 1725
>年2月8日)は、ロマノフ朝第5代のツァーリ(在位:1682年 - 1725年)、初代のロシア
>皇帝(インペラトール / 在位:1721年 - 1725年)。
ピョートルはあきらめて、「ゴキブリ レストラン ピン」や「cockroach restaurant pin」で
検索しても、殺虫剤だの、Cockroach restaurant とは English restaurant の意味だの
(←ひどい)、ゴキブリのブローチがあるだの (←今は売ってないような) だの、関係の
ない話ばかりがくる。何かの伝承かジョークを唐沢俊一が「歴史的なエピソード」と取り
違えたという線も薄いみたい。いくらネット上にすべてがあるとは限らないといっても、
元ネタがあるなら、かするような話が少しはあってもよいはず――ということで。
http://codawari.info/health/otaku/archives/2008/05/post_442.html
>“グルメなゴキブリを徹底研究“と銘打たれ、ナイフとフォークが描かれたパッケージが
>印象的な「ゴキブリレストラン」 (アース製薬)“ゴキブリ好みの7種の極上ブレンド”を
>うたう「ホウ酸ダンゴ プレミアム」(フマキラー)……。いったい、殺虫剤業界に何が起
>こっているのだろうか。
http://cockroachjokes.wordpress.com/
> All English jokes are called, Cockroach jokes, because the English people are
> called, Shakespeare cockroaches.
〈略〉
> Cockroach Joke
> 19A man went to a Cockroach restaurant (English restaurant) and ordered food.
> After waiting for half an hour, he aksed the English waiter, “When would you
> prepare my food. I have been waiting for half an hour” ? The Shakespeare
> cockroach waiter replied, “We prepared the food last month and we are now
> heating it up for you”.
http://pinfeatherscom.blogspot.com/2009/07/cockroach-will-live-nine-days-without.html
> A cockroach will live nine days without its head before it starves to death
その他参考 URL (ゴキブリブローチ):
- http://mappingthemarvellous.wordpress.com/2007/06/13/roach-brooch/
- http://www.roachbrooch.com/
追記: コメント欄で教わった、薄田泣菫『茶話』の岩波文庫版を入手。この本の P.13 に
『油虫嫌いの皇帝』という話があるのだが……これが元ネタだとすると、唐沢俊一は何を
考えて、こんなに劣化させた話に仕立て上げたのか、謎が深まるばかりというか。
・『油虫嫌いの皇帝』に登場する「ピイタア大帝」は、「油虫」 (「虫のなかでも一番いやな
奴」とも書いてあるので、多分ゴキブリのこと) が「嫌い」ではあるが、唐沢俊一のいう
「ゴキブリが出たとたん悲鳴をあげた」なんてことは全然書かれていない。
「ゴキブリを見ると蒼くなった」はまあ、『油虫嫌いの皇帝』の中の「大帝の顔は菜っ葉
のように青くなった」をさしているのかもしれないけど、この青くなった理由は、どこまで
「ゴキブリがニガテ」なせいか、それとも怒りで顔面蒼白になったと解釈すべきか微妙。
・『油虫嫌いの皇帝』の話の舞台は、大帝の「お気に入りの家来の別荘」であって、
レストランではない。当然、唐沢俊一の書いているような「私どものレストランを王室
御用達にしていただけませんか」といった売り込み文句なんてものなど出てこない。
・唐沢俊一が書いているように、大帝が「すばらしい! これには何か秘密があるのか
ね?」とは、『油虫嫌いの皇帝』の中の大帝は、訊ねたりしない。
こちらの大帝は、「他の家へ入る時には室をきれいに掃除させた上で、『御覧の通り
油虫は一匹も居りませんでございます。』という家来の保証がなかったら、夢にも閾を
またごうとはしなかった」。「これには何か秘密が」うんぬんは、入る部屋入る部屋で、
毎回のようにゴキブリに遭遇する人間の発する質問である。
『油虫嫌いの皇帝』では、別荘の持ち主の家来に、「この別荘には無論油虫など居る
はずはなかろうね。」、「ほんとうに一匹も居なかろうな。」としつこく確認しているのだ。
・家来は大帝に、「よしんば居りましたところで、決してお目通りへ出てくるようなことは
ございません。御覧遊ばせ。あれ、あのように生きた奴を一匹針で壁にとめて虫よけ
の蠱いが致してございますから。」と答える。
唐沢俊一の書いた「先祖代々伝わるゴキブリよけのまじない」は、どこにも出てこない。
「留め針で刺された油虫」は、「特別に大きな一匹」だったとも書かれていない。
油虫が「ぴくぴく手足を動かせていた」というのが、唐沢俊一にかかると「足をバタバタ
動かしてもがいていた」という記述になってしまうらしい。
また、油虫が針で刺されていた場所は、『油虫嫌いの皇帝』では、「主人の指ざす方へ
眼をやると、それはちょうど自分の頭の上で」とか書いてあるので、唐沢俊一のいう
「壁の真ん中」ではなく、壁の上方、天井近くで、部屋に入り食事をしているときには
死角となっていた位置かと思われる。
・そして『油虫嫌いの皇帝』の大帝は、「悲鳴をあげて店を飛び出し」たりはしない。
「いきなり主人の頭に拳骨を一つ喰らわして、そのまま外へ飛び出した」のだそうだ。
「あとに残された主人は壁の油虫のように椅子の上でやたらに手足をもがいていた。」
とのこと。前述の「足をバタバタ動かしてもがいていた」の記述は、ここからとったのか。
2009.06.14 (Sun)
昆虫以外の長時間交尾はミンクの最長 8 時間とか
シラミのセックスは六時間、続く。
シラミは、長時間交尾をしないんじゃないかと……。
昆虫のなかには、雌を独占して他の雄をよせつけないようにするために、長時間交尾を
する種が存在する。ベニツチカメムシの長時間交尾は平均 23 分、ババホタルトビケラは
2 時間をこし、ウリミバエでは短くとも 5 時間、ミナミアオカメムシにいたっては、平均
55 時間 (!) とのこと。
http://books.google.com/books?id=WWS5JbCYDpkC&pg=PA215&dq=長時間交尾&as_brr=3&hl=ja
> 昆虫の雄には, つがい相手の雌が他の雄によってのっとられてしまわないための
>さまざまな行動が, 同性内選択により進化している.
〈略〉
>(2) 長時間交尾:交尾を長時間継続することにより, つがい相手を独占する
> (例) カメムシ類に交尾時間が長いものが多い.
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jes2/JEcontents/18(1)J.html
> 集合性を持つベニツチカメムシの交尾時間には,より普通にある短時間交尾(平均
>15秒)とさらに長時間交尾(平均23分)の2つのタイプがある。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110001086613/
> ババホタルトビケラ (Nothopsyche babel) の成虫の行動を調査したところ、2時間を
>こす長時間交尾をすることがわかった。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110001084543/en
>ウリミバエでは非常に長い交尾を行う(日没直後に交尾を開始し、少なくとも5時間、
>長い場合には明け方まで交尾する)
http://ci.nii.ac.jp/naid/110001085807/
> ミナミアオカメムシは交尾時間が非常に長いことが知られており、その平均は55時
>間に達する。
他に長時間交尾をする昆虫として名前のあがるのは、アオモンイトトンボとか、シリアゲ
ムシとか。
http://hokuryukan-ns.co.jp/magazines/archives/2002/08/index.html
>昆虫と自然 2002年8月号定価\1,300(税込) 送料76円
〈略〉
>アオモンイトトンボの長時間交尾について(澤田 浩司)
http://insect3.agr.hokudai.ac.jp/%7Eseminar/abstract.html
>シリアゲムシは性選択の研究材料としてしばしば使われる昆虫です。〈略〉
>1本目の論文は長時間交尾を強制しようとする雄と、それを拒否する雌の間に対立が
>あり、notal organを使用する雄は有利になる、という話です。
また、真偽については少々あやしくなるが、テントウムシは 9 時間という話もある。
http://kkeita5129.blog8.fc2.com/blog-entry-283.html
>テントウムシ、彼らもまたセックスマシーンと呼ぶにふさわしい存在である。テントウム
>シほど交尾をする生物は地球上どこを探してもいない、と言う科学者もいるほどだ。驚
>く無かれ、テントウムシは9時間に渡って、しかも毎日交尾をするというのだ。
( 元ネタは http://www.funreports.com/fun/28-11-2005/1301-0 )
しかし、シラミが長時間交尾をするという話は見つからなかった。「カメムシ類に交尾時間
が長いものが多い」とのことなので、もしかしたら「トコジラミ」ことナンキンムシ (シラミで
はなく「セミやカメムシの仲間」) ならば交尾を長時間おこなうかもしれないとも思うが、
ナンキンムシの交尾は独特で、また、下でいう「ナンキンムシのメスは、次なる交尾を阻
止する手立てを持っていない」というのが本当ならば、あまり長時間の交尾ではないっぽ
い気がする。
http://www.kaiteki-club.net/tokosirami.html
>トコジラミはシラミの仲間ではなくセミやカメムシの仲間になります。
http://www.papy.co.jp/act/books/1-39831/
>ナンキンムシはトコジラミとも呼ばれ、寝床に入り込んでは人間の血を吸い、激しい
>かゆみを起こさせる。この虫はちょっと変わった交尾の仕方をする。
>〈略〉ナンキンムシのオスもメスも交尾器を持っている。ところが、メスのほうはその
>交尾器を交尾に用いない。
> では、オスとメスはどうやって交尾するのか。オスの交尾器は、鉤状に鋭くとがって
>いる。それでメスの腹部に穴を開け、メスの体内に精子を注ぎ込む。
> 但し、穴を開けるところは決まっている。メスの腹部には中間に切れ込みがあり、そ
>こに交尾器を挿入する。メスの交尾器を使わずに、どうしてそんな交尾の仕方をするよ
>うになったのか。その理由はまだ解明されていない。
> オスがメスの体内に注ぎ込んだ精子は、やがて体液の中に泳ぎ出て、最終的には
>精子を貯蔵する受精のうに集まる。ナンキンムシのメスは、次なる交尾を阻止する手
>立てを持っていない。そこで、場合によっては何匹かのオスと交尾する羽目になり、そ
>の結果、オスが放出した精液でメスの体は一杯になり、動けなくなって死ぬこともある
>という。
その他シラミ関係:
・シラミつぶしに捜しました。本当です。
・ナポレオンの遠征でもシラミとチフスの犠牲者多数とのこと
2009.06.14 (Sun)
龍の子は龍――とはかぎらないみたい
ここの説明に出てくる竜の名前のひとつ「覇下」をとって、芥川龍之介は
自分の号にしている。
×竜の名前のひとつ ○龍生九子の名前のひとつ
芥川龍之介が「覇下」という号だったというのも、多分ガセビア。
唐沢俊一のいう「ここの説明」とは、『南総里見八犬伝』の最初の方に出てくる、竜につい
ての蘊蓄部分のこと。そこでは、「覇下(はか)」というのは、竜の生む子の「第九子(だい
くのこ)」ということになっている。
http://www.fumikura.net/text/8kenden/01.html
>又(また)九ッの子(こ)を生(う)む説(せつ)あり。〈略〉第九子(だいくのこ)を覇下(は
>か)といふ。重(おもき)を負(おふ)を好(このむ)もの也。鼎(かなへ)の足(あし)、火
>爐(ひはち)の下(あし)、凡(およそ)物(もの)の枕(まくら)とするもの、鬼面(きめん)
>のごときは則(すなはち)これなり。
「覇下」は「蚣蝮」と書かれることもあり、「龍生九子」のひとつとされる。そして、龍生九子
は、竜が生んだ子ではあるが竜ではない。「竜生九子不成竜」、つまり、「親である竜に
なることはできなかったという」のが、「竜が生んだ九匹の子」なのだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/蚣蝮
>蚣蝮
>〈略〉(こうふく、はか、ばしゃ、本来の表記は[虫八][虫夏]、拼音:bāxià)龍生九子の
>一つ。覇下とも書かれる。
>水を好み、柱や雨樋、橋や、水路の出口の意匠として彫られる。中国の故宮などの
>建物の欄干からたくさん頭を突き出した龍に似た動物がこれである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/龍生九子
>竜生九子(りゅうせいきゅうし)とは、中国の伝説上の生物で、竜が生んだ九匹の子を
>指す。それぞれ姿形も性格も異なっている。各々の性格に合わせた場所で各々の活
>躍を見せるが、親である竜になることはできなかったという。これを「竜生九子不成竜」
>と言う。また、兄弟でも性格が違う事を指してこの言葉を用いる事もある。
龍生九子の絵が以下にあげるリンク先にあるけど、確かに竜に似ているが竜ではない
という感じ。ちなみに、これらの資料では覇下 (蚣蝮) は、第九子ではなく第六子扱い。
- http://lalunaforest.jugem.jp/?eid=670
- http://pengzi.maruzen.com/zhongguo/zatsugaku/zglong.htm
- http://angelgroup-japan.com/angelstone/color/hori.html
ちょっと引っかかるのは、八犬伝や下記の和漢三才圖會でいう「重〔き〕を負ふことを
好む」というのは、第一子の「贔屓」の特徴のような気もすることだけど……。こちらだと
さらに竜離れ (?) していて、外見は亀に近い。
http://homepage2.nifty.com/onibi/wakan45.html
>和漢三才圖會
〈略〉
>覇下〔(はか)〕は重〔き〕を負ふことを好む【碑座の獸。】。
http://ja.wikipedia.org/wiki/贔屓
>竜が生んだ九匹の子である竜生九子(りゅうせいきゅうし)の一匹である。亀に似てい
>る姿である。重きを負うことを好むという。故に石碑や石柱の土台の装飾とされる。
そして、唐沢俊一によると、「『覇下』をとって、芥川龍之介は自分の号にしている」との
ことなのだけど……芥川の号は「澄江堂主人(ちょうこうどうしゅじん) 」、俳号は「我鬼
(がき)」であり、「覇下」というのはどこにも出てこないような……。
http://ja.wikipedia.org/wiki/芥川龍之介
>芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年3月1日 - 1927年7月24日)は、日本
>の小説家。号は澄江堂主人、俳号は我鬼を用いた。
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/224.html
>芥川龍之介 あくたがわ りゅうのすけ
〈略〉
>号・別称等 澄江堂主人(ちょうこうどうしゅじん) , 我鬼(がき)
八犬伝関連のガセビア
・値段は気にしていても、「曲亭馬琴」の名前は目に入らなかった?
・「生血を全身にあびた」のは志乃じゃなくてエリザベートでは
・薬学でもあり文学でもあり――ガセビアが混じらない方が不思議
芥川龍之介関連のガセビア
・「最近の研究」では、「妻子ある女性」がいた
・不可解と妄想が後追い自殺を誘発することもある
・テロテロといってるだけでご満悦? の硫化水素ネタ
2009.06.13 (Sat)
『ドナルド・ダックを読む』と捏造されるトンデモ
ウォルト・ディズニーのマンガが世界で売れているのは、アメリカ政府が
ひそかに後押ししているからである。あのマンガの中には必ず、アメリカ
帝国主義賛美のメッセージが含まれており、そのマンガを読んだ子供たち
の意識下に、拝金主義とアメリカへの従属を刷り込むのである。
……これは『ドナルド・ダックを読む』というタイトルで晶文社から出版され
ているチリ人A・ドルフマンとA・マテラールの共著の中にある陰謀論だ。
確かにディズニーのマンガの中にはアメリカ的生活が描かれているが、それ
はディズニーのマンガ作品の多くがアメリカを舞台にしているからにすぎない
のではないか、といった見方をこの本はとらない。すべてには深い深い裏の
アテコミがあるのだ。
たとえば、ドナルド・ダックの甥っ子たちヒューイ・デューイ・ルーイの帽子
の色は、よく混同されて入れ替わったりする。単純な印刷ミス(何しろ三つ子
だから顔がソックリなのだ)によるものととるのがフツーだろうが、この本は
それを「キャラクターの個性を不鮮明なものにすることによって、読者である
子供を情緒不安定にする」陰謀であると推測するのである!
『ドナルド・ダックを読む』の共著者の名前は「マテラール」ではなく「マトゥラール」だぞ
というのは、「『ドナルド・ダックを読む』は本当にトンデモ本?」のエントリーの方で。
前のエントリーに「本の内容の要約も、唐沢俊一によるそれで正しいのかどうか不安に
なってきたり」と書いたけど……実際に『ドナルド・ダックを読む』を読んでみると見事に
その不安は的中していたという感じ。
「ウォルト・ディズニーのマンガが世界で売れている」という意味のことは序文に書かれ
ているが、「アメリカ政府がひそかに後押ししているから」だとは説明されていない。
……まさかとは思うが、以下の記述を唐沢俊一はそのように解釈したのだろうか。
『ドナルド・ダックを読む』 P.13
>いくつもの国で、ミッキー・マウスが、その時々の国民的英雄をもしのぐ人気をえて
>いることが報告されてきた。中央アメリカでは、AID[米国国際援助局]が製作した
>避妊具を導入するための映画のなかで、『ファンタジア』の登場人物たちが使われ
>ている。
「必ず、アメリカ帝国主義賛美のメッセージが含まれており」や、「子供たちの意識下
に、拝金主義とアメリカへの従属を刷り込む」も、用語の選択含めて、まとめとしては
どうかと思うし。特に、「必ず」とか「アメリカへの従属を刷り込む」とかは、唐沢俊一の
勝手な暴走っぽい。また、この本の著者は別に陰謀の「い」の字も出していないのだが、
唐沢俊一にはあっさりと「陰謀論だ」と断定されてしまう。
参考までに、以下に引用するのは、少なくても唐沢俊一のそれよりは、ずっとまともな
『ドナルド・ダックを読む』の要約と内容紹介である。
http://www.toyama-cmt.ac.jp/%7Ekanagawa/essay/tezuka.html
>ドルフマン&マトゥラールはマルクス主義や精神分析の観点からディズニーを読み込
>んだ。主人公たちには両親が不在で、子どもたちの世界から「性」が排除されていて、
>外部の権力(叔父さん)に律せられてしまう。大人:帝国、子ども:植民地というような
>図式も見られ、子どもは原住民と同じ扱いなのだ。また、拝金主義というか、ディズ
>ニーの世界では誰も労働せず、生産過程を排除してしまっていると考えた。この本の
>後書きにもあるように、ディズニーはこの本に対して訴訟を起こすことができなかった
>(ただ、彼らの参考にしていたドナルドのマンガはアメリカ版とは違っていた)。
http://semiprivate.cool.ne.jp/blog/archives/000326.html
>本のコンセプトを、大雑把に話すと
>----------------------------------------------
>「ドナルドダックやスクルージやらの行っている
> ディズニー話の冒険話ってのは要するに
>・何も知らない原住民の野蛮世界に行って
>・頭の悪い悪党と争いつつ
> (この悪党は正義の味方と同じ世界から来ている)
>・正義の味方が、悪党に勝利を収めて、
> 自分の世界に宝物を持ち帰る・持ち帰った宝物はドル(金貨)に
> 変換されて倉庫に蓄えられる。
> (宝物が持っていたはずの「原住民の歴史」は、
> この時点で塗り潰される)
>というのが、基本ストーリーだ。違う?
>そういうアメリカのビジネスマンの考え方で
>子供を洗脳教育してんじゃねえの、お前等」
>----------------------------------------------
>という論説。
>・・・まあねえ。こんな論説が大売れしてしまったら
>こりゃディズニー側は怒るよな。
すぐ上の引用文を読んだだけでも、この本の内容についての批判として唐沢俊一の
書いている「ディズニーのマンガの中にはアメリカ的生活が描かれているが、それは
ディズニーのマンガ作品の多くがアメリカを舞台にしているからにすぎないのではない
か、といった見方をこの本はとらない」というのが、かなりトンデモなく的外れなもので
あることは、見当がつくのではないかと。
『ドナルド・ダックを読む』の著者たちが、批評の対象としているマンガのうち、上でいう
「ディズニー話の冒険話」は、そもそも「アメリカを舞台にしている」ものではなく、未開の
地が舞台のものなのだ。その地の名前は架空のものでも、実際のモデルは明白だったり
することも多い。
そして、何よりヒドいなと思ったのは、唐沢俊一の書いた「たとえば」以降の段落の内容
について。「『キャラクターの個性を不鮮明なものにすることによって、読者である子供を
情緒不安定にする』陰謀であると推測するのである!」って感嘆符「!」までつけている
けど、そんなこと、『ドナルド・ダックを読む』という本のどこに書かれているのかと。
そもそも、「ドナルド・ダックの甥っ子たちヒューイ・デューイ・ルーイの帽子の色は、よく
混同されて入れ替わったりする。」というのからして、何だかデタラメだったりする。実際に
帽子の色について言及している箇所の記述は、以下の引用の通り。
『ドナルド・ダックを読む』 P.140
> 実際のところ、律動は決して衰えない。刻々と形を変える万華鏡のなかに、私たちは
>投げこまれる。息つくひまもなく動きまわるキャラクターは、めまぐるしく色さえ変える。
>たとえば、ドナルドの台所は、コマごとに青、緑、黄、赤と色を変えるし (D 445) 、甥っ
>子たちの寝室の色も (D 185) まず空色、ついで黄、それからピンク、紫、赤、青と変化
>する。警察署長の部屋は (TB 103)、あっというまに空色、緑、黄、ピンク、赤になる。
>モノの物理的外観がもっとも派手に変化するのは、甥っ子たちのふちなし帽子である
>(D 432)。そのひとりが悪漢に追われて柵をとびこえるとき、帽子の色は青だが、柵の
>反対側に着地するときには、赤に変わり、捕まったときには緑になっている。こうして
>帽子は、彼の行動全体を通じて、三人の甥っ子全員がまた再会し、色の変化がふた
>たびはじまるまで、捕われの身から救い出されたいという欲求の情緒的な要素であり
>つづける。
> こうした外見上の変化は、モノの実体性や硬直性を排除しない。色をさまざまに変え
>はしても、永久に同一物としてとどまる帽子は、技術的「革新」に似ている。つまり、
>一切はうつろうが、なにも変化しない。
著者たちは「キャラクターの個性を不鮮明なものにする」などということを問題にしている
わけではない。外観が「派手に変化」し、「一切はうつろう」けれど、それが「硬直性を排
除」することや「変化」につながらないことを指摘しているのだ。
で、まあ、「と学会って……何だったんだろうとガッカり」のエントリーを書いた時点で、
2ちゃんねるのスレで話題になっていた「育てるトンデモ」の件 (Read More 参照)。
そこに書き込まれていた「トンデモと呼べないような対象を強引にトンデモ認定すること
の言い訳」というのが、ずっと気になっていたわけだけど……。
唐沢俊一が『トンデモ一行知識の世界』を出したのは 1998 年だが、冒頭に引用した
文章は『別冊宝島223 陰謀がいっぱい!』が初出で、これは 1995 年の出版。
つまり、1995 年の時点ですでに唐沢俊一は、「育てるトンデモ」などというものを通りこ
して、「デッチあげるトンデモ」「捏造するトンデモ」とでもいうべきもので、原稿料をもらい
糊口をしのいでいたということになる。