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2012.01.22 (Sun)

ドン・シャープがいっぱい

http://www.tobunken.com/news/news20120108202611.html

イベント
2012年1月8日投稿
名コンビだった男 【訃報 ドン・シャープ】
〈略〉
R.I.P.

※なお、ドン・シャープと言えば東宝特撮ファンには、1969年の本多猪四郎
監督作品『緯度0大作戦』のプロデューサーとして知られており、訃報記事
にもそのことに触れたものがあったが、IMDb(インターネット・ムービー・
データベース)によると、監督のドン・シャープと、プロデューサーのドン・
シャープは別人、という扱いになっている。名前のスペルも、監督の方は
Sharp、プロデューサーの方はSharpeである。音が同じゆえの混同だろうか。
監督のドン・シャープがプロデューサーをしたのは1950年、自らが出演した
自主製作映画『Ha'penny Breeze』だけのようだ。


「名コンビだった男」で済ませるのはちょっとヒドいと思う<ドン・シャープ

の続き。結論から先にいえば、去年 12 月に亡くなったドン・シャープは、『緯度0大作戦』
のプロデューサーとは別人――というのは唐沢俊一に同意なんだけど、興味深いネタだな
と思ったので、ちょこっとだけ調べてみた。

唐沢俊一が「訃報記事にもそのことに触れたものがあった」と書いているのは、多分以下
の記事のこと。

http://www.cinematoday.jp/page/N0038167
>2011年12月28日
>[シネマトゥデイ映画ニュース]
> クリストファー・リー主演映画『怪人フー・マンチュー』などで知られるドン・シャープ監
>督が現地時間12月14日に亡くなっていたことが明らかになった。
〈略〉
> 1969年には『ゴジラ』で知られる本多猪四郎監督の特撮映画『緯度0大作戦』にプロ
>デューサーとして参加したシャープ監督は、1990年代以降は第一線から退いている。
>バラエティーによると、享年90歳で、死因などの詳しい情報は明らかにされていない。
>(編集部・福田麗)


日本語版 Wikipedia も、2011年12月14日に亡くなったドン・シャープが『緯度0大作戦』
のプロデューサーとしている (後述の通り、英語版 Wikipedia では混同されていない) の
は、まあ 007 の件もあるし (ここを参照)、想定内として。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ドン・シャープ
>ドナルド・ハーマン・"ドン"・シャープ(Donald Herman "Don" Sharp, 1921年4月19日 -
>2011年12月14日)は、オーストラリア出身のイギリスの映画監督である。
〈略〉
>・緯度0大作戦 (1969) 製作


今回少し意外に思ったのは、http://blogs.yahoo.co.jp/gh_jimaku/7641559.html
引用の画像を見ると、日本で発売の DVD の解説でも、「『緯度0大作戦』の製作者」
となっているらしいこと。

http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/46/82/gh_jimaku/folder/274617/img_274617_7641559_3?1254238576
>日本では東宝の特撮映画「緯度0大作戦」の
>製作者としても有名



とはいえ、唐沢俊一のいう IMDb、それと英語版 Wikipedia をたどる限りでは、『吸血鬼の
接吻』などを監督した Don Sharp と、『緯度0大作戦』 (Latitude Zero) の Don Sharpe
とは別人として扱われている。

英語版 Wikipedia の Latitude Zero の項から http://en.wikipedia.org/wiki/Don_Sharp
へのリンクは張られていない (日本語版だと昨年 12 月に亡くなった「ドン・シャープ」 に
リンクされる)。

http://en.wikipedia.org/wiki/Latitude_Zero_(film)
> Produced by Don Sharpe
> Tomoyuki Tanaka


IMDb では Don Sharp と Don Sharpe は別のエントリーになっていて、「緯度0大作戦」の
プロデューサーは後者 (下記の IMDb の検索結果では 2. の方) となっている。

http://www.imdb.com/find?q=Don+Sharpe&s=allNames
> (Exact Matches) (Displaying 2 Results)
> 1. Don Sharpe (I) (Sound Department, Aliens (1986))
> aka "Donald Sharpe"
> aka "Don Sharp"
> 2. Don Sharpe (II) (Producer, "My Hero" (1952))
> aka "Don W. Sharpe"
> aka "Donald W. Sharpe"
> aka "Don E. Sharpe"


上の 1. の方の人は、Don Sharpe だったり Don Sharp だったりするのでややこしいが、
そちらも『吸血鬼の接吻』 (The Kiss of the Vampire) などの Don Sharp とは別人 (没年
は 2004 年) で、2011 年に亡くなった Don Sharp はこちら↓

http://www.imdb.com/name/nm0789033/
> Don Sharp (1921–2011)
> Director | Writer | Second Unit Director or Assistant Director
> Don Sharp was born on the island of Tasmania off of Australia, and began his
> show-business career there as an actor. After World War II he traveled to England
> and continued his acting carer.


ついでに、前のエントリーで、どうして「リーとは6本もの作品で組んでいる」のは当たって
いるのに、『海賊船悪魔号』をスルーし、フー・マンチューの第一作目より後の『白夜の
陰獣』について「これでリーとはウマがあったのか」などと、時系列が無茶苦茶な記述が
出てくるのか不思議に思ったのだが、こういう記述↓を発見して謎がとけたような気が。
各作品をチェックして 6 本とかいっていたのではなく、「Directed Christopher Lee six
times」をそのまま持ってきたのだと考えれば納得はいく。

http://www.imdb.com/name/nm0789033/bio
> Trivia
> Directed Christopher Lee six times.


それはさておき、『緯度0大作戦』の方の Don Sharpe のエントリーはこれ↓

http://www.imdb.com/name/nm1094693/
> Don Sharpe (II)
> Producer | Miscellaneous Crew | Actor
> Contribute to IMDb. Add a bio, trivia, and more.
〈略〉
> Ido zero daisakusen (producer) 1969


この人について IMDb にはバイオグラフィーとかは未登録なので、生没年等の情報は
IMDb からはたどれなかった。IMDb の「Ido zero daisakusen」の記述の方は以下の通り。

http://www.imdb.com/title/tt0064470/
> SEE RANK Ido zero daisakusen (1969)
〈略〉
> Production Co: Ambassador Productions, Don Sharpe Enterprises, National
> General Pictures See more »


この Don Sharpe Enterprises というのも、1952 年から 1953 年に My Hero という TV
シリーズをやって、その後は 1969 年の「Ido zero daisakusen」が最後の作品のように
書かれていて、これだけだとよくわからない。

http://www.imdb.com/company/co0014843/
>Don Sharpe Enterprises
〈略〉
> Production Company - filmography
> 1. Ido zero daisakusen (1969) ... Production Company
> 2. "My Hero: Beauty and the Beast (#1.19)" (1953) ... Production Company
> 3. "My Hero: The Boat (#1.14)" (1953) ... Production Company
> 4. "My Hero" (1952) ... Production Company
> 5. "My Hero: Oil Land (#1.1)" (1952) ... Production Company
> 6. "Terry and the Pirates" (1952) ... Production Company
> 7. "Terry and the Pirates: The Maitland Affair (#1.2)" (????) ... Production Company


興味深いと思ったのは、Don Sharpe Enterprises は、単独での資金繰りは無理そうだと
いうので、製作費を東宝と折半の日米合作と持ちかけたのはよかったんだけど、結局、
アメリカ側の資金調達は難航して、全額を東宝が負担することになったり、ドン・シャープ
プロは倒産して権利関係が長いこと不明瞭になったりしたとのこと。

http://www.scifijapan.com/articles/2009/02/26/
> latitude-zero’s-linda-haynes-interviewed/Haynes was a neophyte actress when
> producer Don Sharpe whisked her away from Hollywood to Japan, where she spent
> several months filming alongside big-screen legend Joseph Cotten and co-stars
> Patricia Medina, Richard Jaeckel, Cesar Romero, Akira Takarada, and others in the
> troubled U.S.-Japanese co-production about a war between undersea kingdoms.


http://www.badmovies.org/capsules/l/latitudezero/
> Joseph Cotten talks about this film over an entire chapter in his autobiography,
> detailing the US producer Don Sharpe's money hassles and that the cast, to
> preserve face for Toho, agreed to finish the film for nothing provided that the
> studio took care of all their living expenses etc.


http://www.geocities.jp/tustation/idozero.html
>そこでシャードマンは気鋭の監督であったドン・シャープに本作品の企画を打診すること
>となったがここでも問題となった。ドン・シャープはプロダクションを所有しているとはいえ
>大予算の映画は不可能であったのだ。そこでドン・シャープは東宝に共同制作を申し入
>れるという方法を取り映像化する事を思いついたのである。


http://ja.wikipedia.org/wiki/緯度0大作戦
>当初、アメリカ側のキャストの諸費用はアンバサダー(ドン=シャープ)、日本側のキャ
>スト及びスタッフは東宝、製作費(公称3億6千万円、実質2億9千万円)は折半として契
>約がまとまり、『海底大戦争 -緯度ゼロ-』の仮題で製作発表された。70ミリパナビジョ
>ン大作での案もあったが、当時日本に機材がなかったため実現しなかった。撮影中、
>ドン=シャープ側の資金調達が困難となり、撮影が一時中断。契約不履行でアメリカ側
>のキャストが帰国すると言い出したため、ドン=シャープ側が支払うべきギャランティー
>と製作費は全て東宝が負担することで、撮影を再開、完成させることになった。製作費
>の大部分はアメリカ側キャストのギャラであり、1969年(昭和44年)製作の東宝映画で
>は、この作品の直後に公開された戦争大作『日本海大海戦』の予算を大幅に超える結
>果となった。


http://godzilla.open-g.com/latitude_zero_1969.html
>東宝、ドン・シャーププロによる日米合作映画。
〈略〉
> 元々は戦前の1940年代にラジオで放送された"Tales of Latitude Zero"の映画化を
>原作のテッド・シャーマンが1960年代になってドン・シャーププロに持込み、制作費を安
>く上げたい米側と映画低迷期に入り資金難であった東宝側の思惑が合致し日米合作
>での制作が決定した作品です。しかし、米側の資金調達が難航し、結局東宝側が全額
>負担した上、契約関連が不明瞭であった事とドン・シャーププロの倒産などを原因とす
>る版権等契約絡みの問題で、人気がある作品にも拘らず長らくソフト(DVD、LD、ビデ
>オ)が発売が出来ない状態にあった為に"幻の作品"となっていた映画です。(現在は
>2006.4月よりDVDで発売中。
〈略〉
>しかし、ドン・シャーププロの資金調達の失敗と制作費の殆どが日米の豪華な出演者の
>ギャラに充てられた為か、本来東宝が得意とする筈の着ぐるみ登場シーン、緯度0や
>ブラッドロックなどのセットが貧弱になっているところは残念なところ。



で、「緯度0大作戦」の Don Sharpe に話を戻すと、彼は 1975 年に亡くなっていたという
話らしい。本人が亡くなっているので、日本での勘違いが訂正される機会も少なかったと
いうことになるかもしれない。

http://reaper-g.livejournal.com/297925.html
>1975: DON W. SHARPE, co-producer of “Latitude Zero”, dies at his home in Studio
> City, Calif.


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2012.01.15 (Sun)

ここにサッチモあり

http://www.tobunken.com/diary/diary20010704000000.html

 終映8時、タクシー拾って渋谷まで。K子と花菜で待ち合わせて食事。
アジ天ぷら美味。生二ハイ、日本酒(菊水)ちょっと、焼酎ソバ湯割り一
パイ。モリ一枚を二人で分けて食べる。BGMに1920年代のサッチモ
のジャズ。陶然たり。私が生まれる三十年以上前の音楽でちゃんと
ノスタルジーの快感を味わえるのは、学生時代から古い映画、レコード、
本にたっぷりすぎるほど親しんできた恩恵というもの。“自分は若いから”
“世代が違うから”と、ノスタルジーに対する勉強を拒否してきた連中は、
結局、人生を半分(前半分)しか楽しめていない。かわいそうだなあ、と
思う。


2ちゃんねるのスレで話題になっていた、2001 年 7 月の裏モノ日記 (Read More 参照)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ルイ・アームストロング
>ルイ・アームストロング (Louis Armstrong, 1901年8月4日[1] - 1971年7月6日)は、
>アフリカ系アメリカ人のジャズミュージシャンである。
>サッチモ(Satchmo)という愛称でも知られ、20世紀を代表するジャズ・ミュージシャンの
>一人である。
>サッチモという愛称は「satchel mouth」(がま口のような口)というのをイギリス人記者
>が聞き違えたとする説や、「Such a mouth!」(なんて口だ!)から来たとする説などがあ
>る。その他、ポップス(Pops)、ディッパー・マウス(Dipper Mouth)という愛称もある。
〈略〉
>1923年、シカゴに移りキング・オリヴァーの楽団に加入。同年、初のレコーディングを行
>う。1924年にはニューヨークに行きフレッチャー・ヘンダーソン楽団に在籍。この時期、ブ
>ルースの女王ベッシー・スミスとも共演。その後シカゴに戻り、当時の妻リル・ハーディ
>ン・アームストロング(ピアノ)らと共に自分のバンドのホット・ファイヴを結成。同バンド
>が1926年に録音した楽曲「Heebie Jeebies」は、ジャズ史上初のスキャット・ヴォーカル
>曲として知られる[2]。
>1930年代にはヨーロッパ・ツアーも行う。第二次世界大戦時には慰問公演も行った。
>しかし人種差別が法的に認められていた当時のアメリカでは、公演先でも白人と同じ
>ホテルへ泊まれない他、劇場の入り口さえ別々というような差別を受け続けた。

>幅広い活躍
>1950年代には「バラ色の人生」や「キッス・オブ・ファイア」等が大ヒット。また、1953年
>には初の日本公演を行う。1956年にはエラ・フィッツジェラルドとも共演。1960年代、時
>代がビートルズを代表とするポップ・ミュージック一色となる中でも、「ハロー・ドーリー」
>はミリオン・セラーとなり、多くのアメリカ国民に受け入れられた。
>1967年には、「この素晴らしき世界(What a Wonderful World)」が世界的なメガヒットと
>なった。1968年にはウォルト・ディズニー映画の曲を取り上げたアルバム『サッチモ・シ
>ングス・ディズニー』を発表し、ジャンルに縛られない柔軟な姿勢を見せ付けた。
>1969年には、『女王陛下の007』の主題歌に近い挿入歌、「愛はすべてを越えて」を発
>表。イギリスでは1994年に、「ミュージック・ウィーク」誌で、最高位3位を獲得している。
>高い音楽性と、サービス精神旺盛なエンターテイナーぶりが評価され、映画にも多く出
>演した。


代表作のひとつとされる「バラ色の人生」はこれ↓

http://www.youtube.com/watch?v=wADat9wg834
>La Vie En Rose - Louis Armstrong HD

「セ・ラ・ヴィ(これが世の中さ)」なんて訳し方をする唐沢俊一 (ここを参照) にかかると、
「バラ色の世の中」にされかねないが、まあそれはおいといて。

「キッス・オブ・ファイア」、「ハロー・ドーリー」、そして個人的に一押しの「この素晴らしき
世界(What a Wonderful World)」はこれ↓

http://www.youtube.com/watch?v=XCXxJFmfGVc
>Louis Armstrong - Kiss of Fire (El Choclo) - Tango

http://www.youtube.com/watch?v=kmfeKUNDDYs&list=PL2A31A72A53FBB86C
>Louis Armstrong - Hello Dolly Live

http://www.youtube.com/watch?v=m5TwT69i1lU&list=AVGxdCwVVULXfC9Q-wGwVaotcA_HZcgIfU
>Louis Armstrong What A Wonderful World

「第二次世界大戦時には慰問公演」というのは、このあたりか↓

http://www.youtube.com/watch?v=kcyup878Li4
>Louis Armstrong Live

2ちゃんねるのスレでは、「今若い子が初めて聴いても、年輩者が初めて聴いても、最初
からノスタルジーに浸れるはずだ」と書き込まれていたが、それにはひたすら同意としか。

もっとも、上にあげたリンクは「1920年代のサッチモのジャズ」ではない。「食事処の
BGMで掛かっていたサッチモの演奏を1920年代と断定出来るほど好きらしいから」、
「唐沢ってサッチモの1920年代の音源と、40年代の音源の差って理解できるのかな?」
などともスレには書き込まれていたりした。1920 年代といえば、こういう感じ↓

http://www.youtube.com/watch?v=XGgbpe0_47c
>Louis Armstrong - He Like It Slow (1926)

http://www.youtube.com/watch?v=1iJdXWY7JRo
>Louis Armstrong - Savoy Blues (1927)

http://www.youtube.com/watch?v=w1DNA4q14fM
>Louis Armstrong - Got No Blues (1927)

http://www.youtube.com/watch?v=zQBjD06a6l8
>Louis Armstrong - Basin St Blues-1928

http://www.youtube.com/watch?v=tlHUqFSDD9A
>Louis Armstrong - After you`ve gone (1929)

こういうのを聞いて「ノスタルジーの快感を味わえる」ようになるためには、「ノスタルジー
に対する勉強」が必要なのかと考え始めると、なおさらわからなくなる。そもそも唐沢俊一
が古いジャズについて若い頃「勉強」していた話なんて他で目にした覚えもないけどなあ
――と思ったら、スレに書き込まれていた「サッチモはベティ・ブープシリーズの『ベティの
蛮地探検』に出演してるからね」で、なるほどと謎が解けたような。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm665661
>「ベティの蛮地探検」"I'll Be Glad When You're Dead You Rascal You"(1932)

上のリンク↑は、実写の演奏部分も楽しそうだわ、サッチモの首もぶんぶん飛んでいるわ
で、かなりお勧め。このニコ動のコメントにあるように、今なら放映できなさそうな黒人=
土人扱いっぽいものだったりするけど。

それはともかく、前に「Baby Betty Boop Boop a Doop」のエントリーに、ルイ・アームスト
ロングが "boop boop a doop man" と呼ばれていたという話を書いたことがある。サッチモ
とベティとは縁が深いといってよいだろう (?)。

ちなみに、Wikipedia に「ジャズ史上初のスキャット・ヴォーカル曲として知られる」との
説明がある、「1926年に録音した楽曲『Heebie Jeebies』」はこれ↓

http://www.youtube.com/watch?v=ksmGt2U-xTE
>Heebie Jeebies-Louis Armstrong and his Hot Five

で、唐沢俊一が古いジャズを「勉強」したのは、アニドウの上映会などでベティ・ブープを
観たついで――と仮定すると、困る (?) のは「1920年代のサッチモのジャズ」の「1920
年代」。いっそ「×1920年代 ○1930年代」とやってしまいたい気が。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ベティ・ブープ
>1930年8月9日に、フライシャー兄弟による『トーカートゥーン(原題:Talkartoon)』シリー
>ズ6番目の作品『Dizzy Dishes(日本未公開)』で、ベティ・ブープは銀幕へのデビューを
>飾った。



以下、かなりチラ裏。

唐沢俊一が「ノスタルジーの快感を味わえるのは、学生時代から古い映画、レコード、本
にたっぷりすぎるほど親しんできた恩恵」というのは多分、当時はさほど感動も覚えなくて
半分聞き流していたような曲でも、年月を経て聞き直す機会にめぐまれると、懐かしさに
浸れて「陶然たり」の心境になれたりするということに過ぎないのではないかと思う。

リアルタイムではさほど好きではなく、むしろウザいと思って聞いていたような流行曲も、
懐かしのメロディーとかものまね選手権とかいう類いの番組で聞くと、「あ、懐かしい!」と、
つい感動してしまうということがあるもの。

一方、2ちゃんねるのそこここのスレで目にするタイプの意見として、「○○を読んだ /
聞いた / 観たことがないの? それは羨ましい! ○○を、はじめて読む / 聞く / 観るとき
の感動を、これから味わうことができるなんて」とかいうのがあって。

唐沢俊一のいう「ノスタルジーの快感」は、若い頃を思い出すなあ、しみじみ――とかいう
個人的な思い出との連動にひたすら依存するせいで「ノスタルジーに対する勉強」なんて
のが前面に出るしかなく、その作品にはじめてふれた者をも引き込み感動させる、作品
それ自体の力みたいなものを、唐沢俊一はほとんど信じていないんじゃないかと思ったり
する。

まあ、ものによっては、最初はとっつきにくくても、繰り返しふれているうちに良さがわかっ
てくるというものもあると思うし、「“自分は若いから”“世代が違うから”」で喰わず嫌いを
していたらもったいないよ、という意見は充分アリだと思うけど、そういうことを主張したい
なら、「ノスタルジーに対する勉強」じゃなくて、現在進行形であれやこれやを楽しむため
の「勉強」であってよいと思う。遠い未来の自分のためにというより、いま現在またはごく
近い未来の自分のための、お勉強。

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2011.12.26 (Mon)

リング外では悪玉でなかった上田馬之助

http://www.tobunken.com/news/news20111222121823.html

イベント
2011年12月22日投稿
徹底した男 【訃報 上田馬之助】

梶原一騎/辻なおきコンビによる『タイガーマスク』、第一部の
クライマックス。捕らわれた健太を助けに単身“虎の穴”本部に
乗り込み、ピンチとなったタイガーマスクの前に、彼を助けに現れた
6人のタイガーマスク。それは、ジャイアント馬場、アントニオ猪木
をはじめとする、6人の日本プロレスのレスラーたちだった。

この6人の中に上田馬之助もいる。ちょうど海外遠征中だった彼が
馬場にタイガーの情報を伝えるという、大事な役目を負っていた。
このエピソードが掲載されたのが1971(昭和46年)。
まさにその同時期、日本プロレスは、団結してタイガーを助けにいく
どころか、クーデターによる分裂の危機を呈していた。

もともとは力道山なきあと、団体を私物化していた芳の里や遠藤幸吉、
吉村道明(吉村も上記6人の中に入っていたのだが……)ら経営陣
に猪木が不満を抱き、彼らの追放を計画し、それに馬場と上田が同調
してクーデター計画が立案された。しかし、話が進むにつれ、三者の
思惑が次第に乖離していき、ついに上田が猪木の計画を会社にご注進する
という裏切り行為に出て、猪木は日本プロレスを追放される。
この上田の裏切りは今に至るもプロレス界の闇の部分とされているが、
もともと上田は遠藤の付き人出身であり、遠藤を芳の里らと共に
追放しようとした猪木の過激な改革案に上田が抵抗を感じたためでは
なかったかと言われている。

だが、上田が裏切者の名を覚悟してまで忠誠を尽くした遠藤は、
日本プロレス崩壊後、つらりとして猪木の旗揚げした新日本プロレス
に加わり、プロモーター、解説者として地位を確保した。

馬場が著書『16文が行く』(ダイナミックセラーズ出版)の中で語って
いるところでは、この時に感じた人間不信が、上田馬之助をしてあれだけの
ヒールへの転身をさせたのではないか、ということだ。

馬場は同じ著書の中で、上田が「まだら狼」としてヒールで売り出した
とき、故郷に帰ったら子供に石をぶつけられた、というエピソードを
紹介して、
「よくもそこまで悪に徹底出来たと思う」
と馬場一流の賞賛をしているが、裏切りにしろ、ヒールへの徹底にしろ、
これは上田馬之助という人間の不器用さを表していると思う。
猪木の過激改革に不満があったにしろ、そもそもクーデター計画に
かなり初期から加担していたということは、若き上田の中に正義感
があふれていたということだ。しかし、それと(馬場の言を信じる
なら)かつて付き人だった遠藤への義理を両立させるというのはいくら
なんでも無理があり、その両者の心理の間で板挟みになった結果、
彼一人が裏切者の汚名を着るという、最もブの悪い選択をしてしまった。
〈略〉
馬場が感心したヒールへの徹底も、後のアメリカン・プロレスの
方式を取り入れたレスリングなら、ギミックとして“悪を演ずる”
ことも出来ただろうが、真面目な上田は、悪を演ずるならリング上
だけでなく、徹底して悪玉を演じ続けなければ、悪になり切ること
が出来なかったのだろう。1982年の映画『爆裂都市 BURST CITY』
(石井聰亙監督)に上田は暴力団のボス役で出演しているが、その
セリフの棒読み具合は凄いもので、これは“役を演ずる”ことなど
とても出来ないわ、と思わせるに充分であった。

とはいえ、タイガー・ジェット・シンとの凶悪コンビにおける
上田の役割はなかなかのものだった。悪というよりは狂気であるシン
の入場時、プロレスのタブーを無視して客にまで襲いかかろうと
するシンを必死で押さえてリングまで誘導する上田の姿は、ある意味
で真面目人間が一所懸命悪を演じながら出してしまっているボロ、
なのであるが、それが、あのプロレスブームの雰囲気の中では、
狂人をあやつっている男、という“頭脳派”のイメージを与え、
かつて馬場や猪木を裏切った男という悪印象を、“油断のならない
策士”という、リング上でのギミック作りにうまく転じさせていた。
これは完全にギミックの狂虎であったジェット・シンからの信頼も
絶大であったという。真摯さゆえの成功であったろう。

交通事故で晩年は下半身不随という不運に見舞われたが、自分のこと
よりも、共に車に乗っていて命を落とした若いスタッフのことに
涙し、“変わってやりたかった”と言っていたそうである。
ここらも、車椅子になってからまでヒールを演じていたフレッド・
ブラッシーなどに比べ甘いが、その甘さが、日本人にはちょうど
よく感じられる。

21日、誤嚥性窒息により死去、71歳。
あの、リングサイドでの痺れるようなワクワク感を与えてくれたお礼と
共に、冥福をお祈りする。


「ヒールをやり通して、尊敬する先輩でしたね」と語る坂口征二をはじめ、上田馬之助が
「徹底したヒールキャラを通していた」ことを賞賛する声は多い。

http://www.njpw.co.jp/news/detail.php?nid=6807
>■坂口征二相談役の追悼コメント
>『日本プロレスに入門した時から、先輩でしたからね。アメリカで一緒にタッグを組んで
>いたこともあるし、新日本では闘ってきたしね。日本人レスラーには出来ないような、
>ヒールをやり通して、尊敬する先輩でしたね。事故のあとも何度かお見舞いに行って、
>早い回復を祈っていましたが、とても残念です。心よりご冥福をお祈りいたします』


http://ja.wikipedia.org/wiki/上田馬之助_(プロレスラー)
>・徹底したヒールキャラを通していたため、親類の幼い子供から「おじちゃんは家に来な
> いで!」と言われたことがあるらしい。プロとしてヒールを演じていた上田は後に「あれ
> が精神的に一番辛かった」と述べたという。しかし、現在行っている施設慰問は現役
> 当時から続けているもので、訪問先では「上田のおじちゃんが来た!」と子供たちに
> 大喜びで迎えられていたという。施設慰問のことを取材したマスコミが「このことを記
> 事にしてもいいか?」と聞いたら上田は「そんなことしたら俺の悪役のイメージが壊れ
> るからやめてくれ」と断った。
〈略〉
>・引退のきっかけとなった交通事故で、運転していたIWAジャパンの営業部員は死亡し
> た。その話を聞き「俺が死ねばよかった。なんで人生まだこれからの若い奴が死なな
> きゃならないんだ」と号泣したという。


http://zenmai-zikake.at.webry.info/201112/article_6.html
>上田は悪役としてピークを迎えようとしていた頃、
>身内に危害が及ぶのを懸念して、家族をアメリカへ移住させている。
>いまでは考えられないが、プロレス黄金期の悪役というのは
>それほどリスクの高い仕事だったのだ。

>実際、上田が親類の子供に会いに行くと、
>「おじちゃんは悪い人だからもう来ないで!」などと云われる始末で、
>子供好きな上田にとっては、これが相当きつかったらしい。

>要は“本気なんだけど本気ではない”というプロレスの心が
>理解できていたファンは、当時は大人でさえ少なかったのだ。
〈略〉
>現役時代から続けていた施設慰問に関しても、
>嗅ぎつけた記者が『記事にしてもいいか』と上田に訊ねたところ、
>「悪役のイメージが壊れるからやめてくれ」と。大変なプロ意識だった。


しかし、唐沢俊一は、「真面目な上田は、悪を演ずるならリング上だけでなく、徹底して
悪玉を演じ続けなければ、悪になり切ることが出来なかったのだろう」と、わけのわから
ないことを言い出す。「施設慰問」のエピソードなどは、この説 (珍説?) に都合の悪いせい
か、それとも今回は Wikipedia にさえ目を通していないせいか、唐沢俊一の文章には
登場しない。

『爆裂都市 BURST CITY』のセリフについては、「演説シーンのことか? あれは棒読みで
いいんだよ」と、2ちゃんねるのスレで突っ込みが入っていたりしたが (Read More 参照)、
そもそもセリフが凄い棒読みだったとしても、「これは“役を演ずる”ことなどとても出来ない
わ」と、それを「リング上だけでなく、徹底して悪玉を演じ続けなければ、悪になり切ること
が出来なかった」説の補強に使うのは無茶苦茶というか、説得力なさ過ぎ。

映画俳優としての演技の上手さとリングで悪役を演じる上手さは別ではないかと思うし、
リング外では良い人だったことを示すエピソードが上田馬之助には多過ぎる。それとも
唐沢俊一は、以下のような話をすべてガセと断じるのだろうか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/上田馬之助_(プロレスラー)
>・また茅ヶ崎のダウン症の子供たち向けに焼き物を作ることを通して、コミュニケーショ
> ン能力を教えている施設の遠足会には「荷物持ちのおじちゃん」として参加。川原で
> のバーベキュー等でも活躍。
〈略〉
>・深夜、出待ちの中学生に隠し撮りをされたことがあった。気付いた上田は「こら!」と
> 叱ったが、少年の自宅に「必ず息子さんをお返しします」と電話した上で、「写真を撮
> りたいときはな、まず相手の人にお願いするんだぞ」と優しく諭し、その場で書いたサ
> インを持たせて家まで送り届けたという。


http://blog.livedoor.jp/fugofugoyumeji/archives/52216465.html
>ある日、公園で集団の喧嘩をボコボコと派手にくりひろげていたとき
>「こおらあああっ!!クソガキどもぉ!!なにやってんだああ。」
>と遠くから全力疾走で走ってくる
>金髪の大男!!
>上田馬之助!!
>なぜかそこに居合わせた馬之助さんにより、クソガキどもはみんなまとめて説教され
>次の日から一週間、馬之助さん監視のもと
>その公園の掃除を命じられたのだ。


「プロレスのタブーを無視して客にまで襲いかかろうとするシンを必死で押さえてリング
まで誘導する上田の姿は、ある意味で真面目人間が一所懸命悪を演じながら出してし
まっているボロ」というのも意味不明だし……。止める役がいなければ、「タブーを無視
して客にまで襲いかかろうとするシン」の設定を中途半端に押さえるか、本当に襲わせて
下手すると興行停止になるまでやらせるかしかなくなるだろうと思うのだが。

ちなみに、そのタイガー・ジェット・シンも、いろいろと良い人の顔を見せているという話も
ある。

http://logsoku.com/thread/anago.2ch.net/morningcoffee/1324444989/
>16 : 名無し募集中。。。 : 2011/12/21(水) 14:31:07.38 0
>プロレス界ってヒールの方が普段は穏やかでいい人で
>ベビーフェイスは性格がアレな人が多いらしいね

>20 : 名無し募集中。。。 : 2011/12/21(水) 14:34:03.78 0
>>>16
>そういやスタンハンセンか誰かがヒールは性格のいいやつじゃないとできないっていっ
>たなぁ

>32 : 名無し募集中。。。 : 2011/12/21(水) 14:49:24.66 0
>その頃相棒のタイガージェットシンは笑顔で子供達にプレゼントを配ったり
>せっせと日本の被災地へのチャリティー活動に精を出していました
http://tigerjeetsinghfoundation.com/wp-content/uploads/2011/12/slider-toy-drive-2011.jpg
http://tigerjeetsinghfoundation.com/photos/?cat=9

>40 : 名無し募集中。。。 : 2011/12/21(水) 14:55:35.02 0
>>>16
>たしかにヒールでリング外の評判が悪い奴の話はあまり聞かないな
>シンとかこんな感じだし


さらに、唐沢俊一によると、「共に車に乗っていて命を落とした若いスタッフのことに涙し、
“変わってやりたかった”と言っていたそうである。ここらも、車椅子になってからまでヒー
ルを演じていたフレッド・ブラッシーなどに比べ甘い」そうである。

「“変わってやりたかった”」は「“代わってやりたかった”」ではないかとか、「その甘さが、
日本人にはちょうどよく感じられる」というフォロー (?) つきとはいえ、「甘い」とは酷いん
じゃないかと思うが、それをおいとくとしても、「フレッド・ブラッシーなどに比べ甘い」とは
どういう意味なんだろう。以下の引用は、『お怪物図鑑』 (唐沢俊一と唐沢なをきの共著)
に唐沢なをきが描いていることなんだけど、これはガセだといいたいのかと。

『お怪物図鑑』 P.141
>で、話はとぶが今から10年くらい前だったかな、
>テレビの「あの人は今」みたいな企画に出演した
>「やあ よくきた ねぇ」 ははは
>フレッドブラッシーは なんだか信じられないくらい
>好好翁で豪邸を訪問したスタッフを歓待
>そのとき どんな話を してたかはもう忘れちゃったけど最後に日本のレスラーたちに
>ひとこと、とふられて
>「いやあ」「ははは」
>カメラの方を向いた お爺ちゃん、いきなり
>「聞いているか馬場っ猪木っ今度こそこのキバでおまえらのノドぶえを噛み切ってくれる」
>「それまで首を洗ってまっていやがれ!! わかったかっ」
>プロってカッコいいなあと思いました。


いやまあ唐沢俊一がフレッド・ブラッシーを引き合いに出したのは、以下のような話 (真偽
未確認) が念頭にあったのかもしれないが、同業者であるプロレスラーが相手なら、やれ
ヒールを貫いた、プロだとかいえるにしても、上田馬之助の相手はプロレスラーではない
し、リング上の事故ではなく交通事故なのだから、これで比較するとしたら間違っている。

http://mimizun.com/log/2ch/wres/1054628845/
>59 :お前名無しだろ:03/06/03 22:12 ID:Me92B9iU
>こいつは、力道山の特集番組でインタビューを求められ、
>「俺は力道山には一度も負けていない。」
>「力道山は今頃地獄で苦しんでいる。」
>と言い放ったくそじじぃ。

>すげー萌えたぜ。

>60 :お前名無しだろ:03/06/03 22:12 ID:???
>力道山が亡くなった時(記念興行だったかな?)に天国の力道山に一言と言われ、
>「天国?アイツが行ったのは地獄だ!オレ様が地獄に送ってやったんだ!」と最後まで
>ヒールを貫き通したプロ


参考 (「フレッド・ブラッシー 唐沢俊一」でググった上位)
ガセを書いたらブラッシーに噛み付かれるぞ。
泥棒のようにパクり詐欺師のようにガセを書く。
昭和という時代の一部を殺し続ける劣化コピー


それと、2ちゃんねるのスレで (Read More 参照) で、「漫画『タイガーマスク』のエピソード
に始まって、次のクーデター未遂のくだりは 漫画『プロレススーパースター列伝』の丸写し
じゃないか」と指摘されている件。

http://www.twitter.com/yude_shimada/statuses/149432725747675136
>上田馬之助て漫画の「タイガーマスク」の中では 馬場や猪木と一緒にタイガーマスクの
>コスチューム身につけて虎の穴のアジトまでタイガー助けにきてくれたんだよな。


唐沢俊一は「上田が猪木の計画を会社にご注進するという裏切り行為」と書いているが、
確かにこれは『プロレススーパースター列伝』からとっているっぽい。

http://blog.livedoor.jp/kanshin2005/archives/51366028.html
>2011年12月21日上田馬之助 死去
>元プロレスラーの上田馬之助が亡くなった。71歳だった。
>長らくヒールとして、タイガー・ジェット・シンとのコンビでの活躍が長かった。
>日本プロレス時代からシュートに強いだとか、日プロから猪木が追放されたのは、選手
>のクーデターの計画を上田馬之助が幹部に密告してなんて話(これは「プロレススー
>パースター列伝」だったか)もあった。
>全日本プロレスやインディー団体でも活躍したが、前述のシンとのコンビで新日本での
>活躍が長く、印象的であった。
>晩年、交通事故にあったのが本当に不幸だったと思う。選手じゃなくても、もう少し表舞
>台で活躍してほしいというものもあった。
>時代もあるのだが、これほどヒールに徹した日本人レスラーもいなかったのではないか。


少し長くなるが、これについての Wikipeia の記述は以下の通り。

http://ja.wikipedia.org/wiki/上田馬之助_(プロレスラー)
>1971年末の猪木追放騒動では、猪木の計画を日プロ幹部に密告したといわれる
〈略〉
>力道山が亡くなった後の日本プロレス末期に、不透明な経理に不満を抱いていた馬
>場・猪木ら選手会一同は、一部幹部の退陣を要求しようと密かに画策していた。もし
>要求が受け入れられない場合は、選手一同が退団するという嘆願書に全員がサインを
>していたという。
>ところが、仲間だと思っていた上田が「猪木が日本プロレスを乗っ取ろうとしている」と
>幹部に密告したため、慌てた幹部連中の懐柔工作によって選手達は次々と寝返り、猪
>木のみが孤立し選手会を除名され、日本プロレスから永久追放される事件が起きた。
>一方で、猪木と腹心の仲でありサイドビジネスの手伝いもしていた経理担当の某氏
>が、不透明な小切手を切ったり、猪木を社長に祭り上げて日本プロレスの経営権を握
>ろうと画策しているかのような動きを見せたため、このことに気付き危機感を持った上
>田が馬場に相談したのが発端であったともいわれている。
〈略〉
>猪木自身は自著である『アントニオ猪木自伝』の中でこの件について触れ「経営陣の
>不正を正したかったことに嘘はない」としているが、誤解を与える行動があったのは事
>実で100%非がないとは言い切れない。また、馬場の自伝においては、猪木の行動は
>日本プロレス経営改善の名を借りた乗っ取り計画だったとされ、これに関係していた上
>田を馬場が詰問したら「上田が全部しゃべったんです」との記述がある。雑誌ゴングの
>元編集長竹内宏介(馬場の側近としても有名だった)も「馬場が上田を詰問・上田が真
>相を告白・馬場が幹部に報告」という経緯で著書を書いている。
>ただ2007年1月から5月にかけて東京スポーツにて連載されていた「上田馬之助 金狼
>の遺言」において、上田は「実はあの事件で最初に裏切り首脳陣に密告を行ったのは
>馬場であるが、当時の社内の状況ではとてもそのことを言える状態ではなく、自分が罪
>を被らざるを得なかった」と語っている。上田は「証拠となるメモも残っている」と語って
>おり、これが事実なら定説が覆ることになるが、今となっては馬場を含め当時の関係者
>の多くが亡くなっていて事実関係を検証するのは困難であり、真相は藪の中というのが
>現状である。
〈略〉
>「裏切り者」の汚名をきせられた猪木は、以降攻撃的な策士の面をみせる一方でその
>行動にはスキャンダルが付きまとった。元来お人好しで馬場より猪木と気が合ったとい
>われる上田は、以降孤独の身となりフリーとして悪役レスラーを貫き通した。馬場・猪
>木・上田のみならず日本のプロレス界にとっても重要な出来事であり、三者の心に暗い
>影を落としたことも事実である。
> 上田は引退興行の際「猪木さんにお詫びしたい」と語ったといわれ、後に和解したもの
>の、猪木は「追放された事実よりも仲間だと思っていた上田の裏切りに深く傷ついた」と
>語っている。


つまり、猪木とその周辺の「誤解を与える行動」を心配した「上田が馬場に相談したのが
発端であった」とする説もあり、ジャイアント馬場の自伝や、「雑誌ゴングの元編集長竹内
宏介(馬場の側近としても有名だった)」の著書では、「馬場が上田を詰問・上田が真相を
告白・馬場が幹部に報告」ということになっている。

また、上田自身は、「実はあの事件で最初に裏切り首脳陣に密告を行ったのは馬場で
あるが、当時の社内の状況ではとてもそのことを言える状態ではなく」と語っている。

真相は薮の中かもしれないが、「猪木の過激な改革案に上田が抵抗を感じたためでは
なかったか」までならともかく、「上田が裏切者の名を覚悟してまで忠誠を尽くした遠藤」
とか、他の説をとると成り立ちにくい話を、諸説あります状態であることを伏せたまま
一方的に語るのはどうかと思う。上田馬之助の訃報に際しての文章なのに、上田馬之助
自身の言い分をなかったことにしているのも気になる。


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2011.12.25 (Sun)

桂文治と談志と唐沢俊一

裏モノ日記 2007年 10月 28日(日曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20071028130600.html

ここでは字数の制限で言い尽くせなかったが、
この本の解説の談志の落語に対する姿勢でヒザを打ったのは、
談志が“下手な”噺家を認めていること。私も大好きな九代目
桂文治(トメさんの文治。この本の中ではまだ翁家さん馬)を
「一口にいやァ、“下手”“お下手”である。で、とてもとても
落語研究会の対象にゃあならなかった」
「新旧両刀遣いだが、とても両刀遣いなどというものに非ズ。
精々チャンバラの世界の両刀遣いであった」
とさんざけなし、その持ちネタである『歌劇の穴』のセンスの古さを
あげつらった揚げ句、いま、誰の落語が聴きたいかときかれたら
「迷わずに言う。春風亭柳好の『棒鱈』とトメさん大明神である」
と断言し、
「そして聴きたい題目(ネタ)は『歌劇の穴』」
と言いきってしまうのだ。

下手な同業者に厳しい談志の言としては矛盾しているのだが、
談志のノスタルジーの中にある、古き良き“寄席”の体現である
文治の存在そのもの、生き方そのものに対する愛が噴出した、
素晴らしき矛盾の言であると思う。いや、矛盾ではないのかもしれない。
以前にも人と話したことがあるが、聞いてるときは“下手だなあ”
と思ってる芸人の方が、二十年たってみると無性に懐かしくなる。
上手い芸人が好き、なんてのはまだ、本当の演芸ファンでは
ないのかもしれない。いや、演芸に限らず……。


「ここでは字数の制限で言い尽くせなかった」の「ここ」とは朝日の書評のことで、そちら
については、もうちょっと何とかならなかったかな」の『談志絶倒 昭和落語家伝』の朝日
書評
のエントリーを参照のこと。

「下手な同業者に厳しい談志の言としては矛盾している」と唐沢俊一はいうが、もともと
立川談志は、「とてもとても落語研究会の対象にゃあならなかった」ようなタイプの噺家を
否定してはいなかった――というか、落語研究会的な上手い下手の評価に、しばしば懐疑
的な意見を表明する人だったのでは。

以前、「『現代落語論』から『立川流騒動記』までの道?」のエントリーにも引用したけど、
唐沢俊一自身、立川談志の、「おもしろけりゃ、それでいいやネ……」という言葉を紹介
したりもしているのだ。

裏モノ日記 2002年 05月 31日(金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20020531000000.html

 もう一○○回以上になるだろうが目を通し、いまだ膝を叩く部分ばかりな
のには驚く。もっとも、これは私の落語論が全てここから出発しているんだ
から無理はない。うるさ方のマニアがいちいちトックリの持ち方の高低まで
指摘して高座を批評する若手試演会の様子を聞いて、
「いいじゃねえか、トックリなんかどう持ったって、おもしろけりゃ、それでいい
やネ……。そんな連中のいうことを聞いてると、売れなくなっちまわァね」
 と毒づくところは何べん読んでも笑える。今でも落語に限らず、あらゆる
分野において、“いうことを聞いてると、売れなくなっちまう”批評家という
のがいる。


立川談志は、下手な噺家なんかよりも、つまらない噺家に、とにかく厳しかったと思う。
『談志絶倒 昭和落語家伝』での桂小文治――唐沢俊一が話題にしている、のちの九代目
桂文治「トメさんの文治」「翁家さん馬」とは別人――についての記述などは、かなり厳しい。

『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.78 (桂小文治)
> これは何度も聴いているが、つまらなかった。
> 『英語本屋』『つもり貯金』『理屈按摩』なんというものもあったっけ。
> この師匠も、勿論古典も演ったが、愚作の新作や古典の改良が随分ある。この種の
>ものは、誰が演っても皆ダメ。「右女助の小勝」を除いては。
>“それは談志、お前がこのスタイルが嫌いなせいだろう”と自問してみるが、どうみても
>面白くない。無理がある。ナンセンスにもなってない。
>“それらを含めて寄席なんだ”と、これまた色川武大氏の弁である。
>「したがって、寄席とは、こよなくつまらない場所なんだよ、あそこは。同じことを毎日
>々々喋り、それを聴かされる。けど、ほかに行くところのない僕としては、そこにいた。
>で、それが後年になって懐かしく思い出されて、語るんだよ」


唐沢俊一が朝日の書評で連発していた「ノスタルジー」とか「昔はよかった」というのは、
立川談志本人の意見よりも、すぐ上に引用した「色川武大氏の弁」にやや近い。もっとも
唐沢俊一の方には、「ほかに行くところのない僕」というものがない分、悪い意味で軽く、
「それが後年になって懐かしく思い出されて、語るんだよ」といったとしても、色川武大の
ような説得力を持たせることは難しいだろう。

立川談志はといえば、色川武大の言葉を紹介しつつも、桂小文治に関しては、「こよなく
つまらない」ことを、「後年になって懐かしく思い出されて」までの境地にはいけなかった
らしい。

ネタがつまらなかったといい、売れなくなった老芸人は浅い (早い時間) の出番にされるの
だが「浅い出番にされた小文治師匠、強引に深いところに自分の権勢で上がっていった
ような気がする。プログラムは浅いが、勝手に深い時間に上がるのだ」 (P.81) とバラし、
落語家のくせに白粉で顔をパフパフはたいてから高座にあがるなんてとクサし、最後まで
大したフォローもなく文章を終えている。

『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.81 (桂小文治)
> と語っている事柄は皆、小文治師匠の全盛を知らない談志が、自分の見たことだけを
>基準に書いているという反省がある。
> 小文治というと、“ああ、踊りだよな”という表現で終わってしまう。
> 本来は、若い頃、売れまくった頃の情景を書き添えなければいけない、書かなければ
>いけないのだろう。でも、それは無理です。


これに対し、翁家さん馬に向ける立川談志の視線は暖かい。唐沢俊一が引用している
通り、「一口にいやァ、“下手”“お下手”である。で、とてもとても落語研究会の対象にゃあ
ならなかった」、「新旧両刀遣いだが、とても両刀遣いなどというものに非ズ。精々チャン
バラの世界の両刀遣いであった」と「さんざけなし」ているのは本当だし、「その持ちネタで
ある『歌劇の穴』のセンスの古さをあげつらっ」たりもしているのだが、貶すと同時に褒め
てもいるし、語り方が楽しげだ。

『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.162 ~ P.164 (九代目翁家さん馬)
> 本名,高安留吉、いい名だ。庶民の名である。長屋の住人の名でもある。
> で、楽屋では「トメさん」と、同僚、同期、仲間は呼ぶ。
> 馬風はガキの頃から一緒に育ったし、手前えのほうがガキ大将だから、同じ噺家に
>なっても、“トメ公”と親しげに呼んだ。
> いい顔である。これまた庶民の、江戸っ子の顔だ。それもどっか飄々としていて、もっ
>というと人のいい、もっといやァ間が抜けていて、性格もそうで、すごォーく人がいい。
>あまり、いや、怒ったのをまったく見たことがない。いや怒ったときもあったろうが、
>「でネェ、これがネェ、ですからネェ」
> が高座の口癖で、新旧両刀遣いだが、とても両刀遣いなどというものに非ズ。精々
>チャンバラの世界の両刀遣いであった。

> 一口にいやァ、“下手”“お下手”である。で、とてもとても落語研究会の対象にゃあな
>らなかった。寄席で喋るネタも、ほとんど物凄いアナクロの『歌劇の穴』。
>「ねえ、お客さん、近頃の歌ァ聞いて下さい。何ですか、あれ、“忘れちゃいやよ”てン
>ですがネ」
〈略〉
>「忘れちゃいやよ」は確か戦前、歌詞からいって戦雲暗くなる前の渡辺はま子のヒット
>曲だ。調べりゃすぐ判るが、相変わらず家元、記憶だけを頼りにこの原稿用紙に立ち向
>かっているのだ。いや座って向かっているのだ、落語らしくね。


唐沢俊一が朝日の書評に、「自分が知る以前の各落語家の経歴なども、調べればわか
るものを、あえて自分の記憶の範疇(はんちゅう)のみで語っている。調べて書いたものは
ノスタルジーの域を逸脱するというのだろう」とかいっていた (ここを参照) のは、上でいう
「記憶だけを頼りに」にかかっていたのだろうか――と今気がついた。渡辺はま子は落語家
ではないけど。「各落語家の経歴」の方は、各章の始めに記載されているけど。

それはさておき、唐沢俊一は、「『歌劇の穴』のセンスの古さをあげつらった揚げ句」と、
「いま、誰の落語が聴きたいかときかれたら」の間にはさまっている、以下のような記述を
飛ばして紹介している。このせいで、「談志のノスタルジーの中にある、古き良き“寄席”
の体現である文治の存在そのもの、生き方そのものに対する愛」とかいうのが、意味不明
かつ唐突な記述にしかなっていないのだろうと思う。

『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.167 (九代目翁家さん馬)
> このトメさん、妙に落語は可笑しいのだ。下手すぎたのがよかったのか、同じ下手でも
>月の家円鏡の下手は嫌だった。下手な噺家は、あげりゃあいくらでもいるが、トメさんは
>別格で、下手だが、何か愛嬌があったのだろう。


『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.168 (九代目翁家さん馬)
> 演題は変わったところで『大蔵次官』『電話室』。前者は十代目文治の父親柳谷蝮丸
>の新作、後者は大阪時代に林屋染丸に教わったのだろう。
> これらの噺、他に演り手はいなかった。いえ、別に難しいからではございません。バカ
>バカしいからであります。
> 思い付くままに書くと、『大師の杵』『不動坊』『女給の文』『古手買い』『寄合酒』
>『牛の丸薬』『桃太郎』『小粒』。『辻八耳』は先代からか……。
> と書いてて、この師匠のネタと姿を思い出せる人は、いま、はたして……やめよう。
>悲しくなる。
> けどトメさん、ラジオ民放の時代を迎え、その栄光もいささか生まれ、あの絶品『勘定
>板』の物凄さ。後年、後輩の柳家小さん師匠も、この師匠を大いに立てた。興津要
>(早大教授)も同様であった。
> オイ、談志、いま、もし誰かが高座に出てきて聞かせてくれるとしたら、誰だい、と
>いう、よくあるセリフというか、ゲームでもあるが、迷わずに言う。春風亭柳好の『棒鱈』
>とトメさん大明神である。そして聞きたい題目は『歌劇の穴』。


でも、まあ、引用が不正確というわけとも違うし、唐沢俊一は『談志絶倒 昭和落語家伝』
という本の、翁家さん馬 (のちの九代目桂文治) の章にだけはきちんと目を通していると
いえるだけよしとするべきかも。さすが生まれてはじめて聞いた落語が桂文治だけある
(ここを参照)。というか……はっきりいって、唐沢俊一が、『談志絶倒 昭和落語家伝』と
いう本のそれ以外の部分に、どれだけ目を通しているかははなはだ疑わしいと、個人的
には思っているのだけど。


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2011.11.04 (Fri)

唐沢俊一とはほとんど無関係の、北杜夫についてのあれこれ

北杜夫に耽溺していたって本当ですか、唐沢俊一先生 - (または「佳作の下」)

の続き――という感じでは全然ないけど……北杜夫についての派生トリビア編。
ここのコメント欄や、ここのコメント欄も、あわせて参照のこと。

- 『どくとるマンボウ昆虫記』 (1961 年) など、昆虫好きでも有名な北杜夫は、少年時代は
 昆虫採集に熱中していた。しかし、東京大空襲で青山の自宅が焼けたときに、絶滅種を
 含む百箱に及ぶ昆虫標本はすべて灰になってしまった。

 それ以降、昆虫採集はあまりしなくなったがコガネムシ類にだけは高齢になっても執着
 し続けていたともいうし、躁状態のときは、夜に別荘に明かりをつけて窓を開け放って
 虫を集め、家族をおびえさせながら虫取り網を振り回し、捕えた虫は昆虫採集仲間に
 送ったりしていたともいう。

 北杜夫のファンでもあり、昆虫採集仲間でもあった平沢伴明という人が、コガネムシの
 仲間「ビロウドコガネ」の新種を発見。学名をラテン語で「ユーマラデラ・キタモリオイ」、
 和名を「マンボウビロウドコガネ」とつけた。
 この命名に北杜夫が「とても照れくさいけれど光栄。大好きなコガネムシなのでうれし
 い」と喜んでいたと報じられたのが 2011年 9月。亡くなる 1 ヵ月と 10 日ほど前のこと。

(http://ja.wikipedia.org/wiki/北杜夫
http://www11.ocn.ne.jp/~abe/chronology.html
http://mainichi.jp/select/today/archive/news/2011/09/16/20110916k0000e040066000c.html
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/410113104X
http://www.sepia.dti.ne.jp/yuugeki-internet/zakki028.htm)

- 北杜夫は 1927 年生まれで、医学博士で昆虫採集好きという共通点がある手塚治虫
 (1928 年生まれ) とは 1 歳違い。

 『アラビアンナイト-シンドバッドの冒険』というアニメ (1968 年) では、この 2 人が脚本を
 書いている。

(http://www.amazon.co.jp/dp/B00006F23V
http://tezukaosamu.net/jp/anime/3.html)

- Wikipeia によるとペンネームの北杜夫の「杜夫」は、「仙台(杜の都)在住時、心酔する
 トーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』(杜二夫)にちなんでつけた」、「北」は「北の都に
 住んだので」とのこと。その後「東」、「南」、「西」と名字を変えていこうと思っていたが、
 北杜夫で売れたため、「出版社との契約等で支障があると判明し、そのままになったら
 しい」としている。

 別の資料によると、「大学時代に殴り書きしたノートの中に『浦杜二夫』という名前が出て
 くる」とか、「東」、「南」、「西」とペンネームを変更するのに挫折した理由は、「一応文壇
 に認められたら、すぐさま筆名を変更するつもりでいたが、なかなか認められ」なかった
 ため、「北杜夫」が定着することになってしまったとか。

(http://ja.wikipedia.org/wiki/北杜夫
http://www.geocities.co.jp/PowderRoom/8158/Profile.html)

- 風間杜夫の「杜夫」は、日活の俳優部長が北杜夫ファンであったことからつけられた。
 日活ロマンポルノ「艶説女侠伝 お万乱れ肌」に出演した際につけた芸名で、「風間」の
 方は、この作品の役名の名字からとった。

(https://twitter.com/#!/nichipro/status/128987531814506496
http://moriofan.sakura.ne.jp/sigoto/movie/ensetsu.htm))

- 「人はなぜ追憶を語るのだろうか。」
 北杜夫の処女作である『幽霊』の書き出し。同人誌「文芸首都」に連載していたこの
 長編小説を、最初は文芸首都社名義で自費出版で出した (1954 年) が、このときは
 売れなかった。

 頭にきた北杜夫が庭で売れ残りを焼いてしまったため、現在流通している部数はごく
 わずかで、「一部20万円という高値が付いているらしい」という説もある。

(http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20111026-OYT1T00081.htm
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/5035/
http://www11.ocn.ne.jp/~abe/chronology.html
http://movie.geocities.jp/tom_kasa55/column121.html)

 ググってみたら、45,000 円で売られているものがあったけど。

(http://gyokueido.jimbou.net/catalog/kn_product_info.php/products_id/27839?osCsid=34b6f6d5aeba60bda354984cc4daaeef)

 さらに、別のページで見たら、18,900 円から 168,000 円まで。何だか署名の入り方に
 よって値段が違うようで、ものによっては「一部20万円」というのもありえそうではある。

(http://www.kosho.ne.jp/~ryusei/bungaku/2k/kita-morio.htm)

- なだいなだは、北杜夫の中学の後輩にあたり、病院の精神科医局で一緒、同人誌
 「文芸首都」でも一緒だった。
 そのなだいなだによると、「彼 (北杜夫) がそう病になったときには、私が最初に診た」。

(http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/10/27/kiji/K20111027001898470.html)

- 娘の斉藤由香 (エッセイスト) によると、小学校にあがる前までは、父親の北杜夫も
 穏やかな性格で、「まさに絵に描いたような幸福な家庭」だった。
 彼女が小学校1年の夏休みの終わりに、北杜夫が躁病になって状況は一転。それから
 毎年、夏の終わる 9 月頃から 2 ヵ月は躁状態。

 「父が映画を作りたいと言い出して、資金集めに銀行で株の売買を始めたんです。
 あっという間に貯金が底をつき、母が『もう家にはお金がないからやめてください』と言う
 と、父は『喜美子なんて作家の妻として落第だ!阿川弘之さんの家を見ろ、遠藤周作
 さんの家を見ろ、うちよりもっとひどいんだぞ!』と。

 なお、由香という名前は、ちばてつやの『ユカをよぶ海』からといったという説がある。

 (http://www.wendy-net.com/nw/person/230.html
 http://www.sepia.dti.ne.jp/yuugeki-internet/zakki028.htm)

- 「そしてゴキブリの正史が始まったとき、この『高みの見物』は、最初にゴキブリを主人
 公として書かれた本として、ゴキブリたちに尊敬されるだろう。あたかも人間が旧約聖書
 に敬意を払ったと同じように――。 ゴキブリ紀元前三十年二月 ゴキブリ国際連合書記長
 ゴキ・ブリオリス」

 『高みの見物』の解説より。書いたのは、井上ひさし。いつも通りというべきか、だいぶ
 締め切りを過ぎてしまっていたとの、井上ひさし本人の弁。

- 北杜夫にファンレターの返事をもらったという証言は多い。葉書 (往復葉書の再利用
 のことも) に自筆で、マメに返事を送っていたようだ。

(http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/5035/readers.html
http://yaplog.jp/tekopi/archive/896
http://ameblo.jp/ishin-kaden/entry-11059438084.html
http://togetter.com/li/205946)

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2011.10.30 (Sun)

緑の怪物は緑がお嫌い?

2011 年 10 月 30 日 11:45 からの日テレ『スクール革命』

http://www.ntv.co.jp/s-kakumei/onair/111030.html
>子ども用の商品に???を使うことが大ヒットのカギ

>模範解答.赤・青・黄色
>解説
>・子供は色彩認識能力が低いので、赤・青・黄色のような原色を好む
>・LEGOなどの子供向けおもちゃには,原色を使ったものが多い

>その他の色の法則
>・「赤」 :食欲を誘う色だと言われている。ファーストフード店の看板に多い
>・「ピンク」 :エイジングケアに効果があると言われる色。
>      女性ホルモンの分泌を活性化するとも言われている。

>★お仕事で役に立つ法則
>Q.居酒屋店は、???の近くに出店すると繁盛しやすい
>模範解答.ライバル店
>解説
>・同業種が集まるところに店を出す方が賑やかで集客しやすい
>・何も情報がない所で市場調査するより、
>  競合店から利用客を奪う作戦を練る方が確実
>・ただし、ライバル店に負けない強みがないとダメ

>派生情報
>■系列店は同じビルに出店する
>  ⇒繁忙期になった際にお互いに助けあえるから
>   系列居酒屋やカラオケが複数入ってるビルがあるのはこの理由から


これ、唐沢俊一が出演するとは知らなくて、たまたまチャンネルを合わせたらやっていた
(そのため、これより前の分は直接は聞いていないんだけど)、「模範解答.赤・青・黄色」
で「LEGOなどの」というのは、あんまりじゃないかと思った。

「子供向けおもちゃには,原色を使ったものが多い」という文脈での「原色」には、緑なども
はずしてはいけないと思う (少なくとも LEGO の場合は) が、唐沢俊一は、光の三原色で
あろうが何だろうが、原色というと「赤・青・黄色」とする人だからなあ……(ここを参照)。
「???」に入れるのは、なぜ「原色」ではいけなかったのかと疑問。

参考:
- http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Lego.jpg
- http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:LEGO-01.jpg

なお、以下のリンクを見ればわかるように、現在販売されている LEGO には、オレンジや
黄緑もあれば、白,黒、茶色もある。

- http://www.happinetonline.com/NASApp/mnas/MxMProduct?Action=prd_detail&KIND=0&SHOP_ID=1&PRODUCT_ID=5702014518032

http://stud-and-tube.com/Knowledge/Color/index.html によれば、LOGO の基本色
は、白、黄、赤、青、緑、灰色、濃い灰色、黒ということになる。

ところが、日本語版 Wikipedia によると、なぜか緑は基本色から外れていて、「レゴ社は
長年、〈略〉緑色のブロックを作らなかった」ということになっている。「赤・青・黄色」にして
緑がないようにテレビでいっていたのは、このせいかもしれない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/レゴ
>レゴブロックにおける一般的な基本色は、赤、黄、青、黒、白、灰色である。1990年代
>から徐々に他の色も多用されるようになり、現在では濃灰色や緑色、砂色、茶色なども
>多く見ることができ、透明のブロックもある。レゴ社は長年、戦車や軍用機を作るのに
>使用されて、レゴ社自らが戦争を推奨しているかのように見られてしまうのを恐れ、緑
>色のブロックを作らなかった。しかし、さまざまな中間色のブロックや近世の銃器がセッ
>トに含まれている現在では、こうした懸念は過去のものとなっている。


しかし、上に引用した記述は結構謎で、英語版 http://en.wikipedia.org/wiki/Lego には
該当する箇所はない。http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Lego の方にある最初期
の LEGO の画像: http://en.wikipedia.org/wiki/File:Legoland_creation_centre_6.png
には、緑色も使われている。

推測だが、http://www.brickiwiki.com/page/Lego+Color+Chart を見るかぎりでは、原色
の Green は 1957 年から使用されているようだが、Lime などは 1980 年代になってから
で、Dark Green のように「戦車や軍用機」に向いてそうな色は 2003 年から。このことが
日本語版 Wikipedia の記述の元になったのではないか。


で、「唐沢俊一検証blog」の「宇宙の法則が乱れる!」には、「唐沢俊一が紹介する必要
のないネタだよなあ」と書かれていて、その通りだとしか……。

自分は、「居酒屋店は、ライバル店の近くに出店すると繁盛しやすい」のネタをやっていた
ときに、「ただし、ライバル店に負けない強みがないとダメ」のところで、テレビの前でマジ
でコケた。それができれば苦労はしないだろうというか、確かにそれならライバル店の近く
がよいかもしれないが、しかしそれは何もいっていないに等しいのではないかと思ったり。

一方、「系列店は同じビルに出店する」ネタの方は、なるほど繁忙期にお客や従業員や
食材の融通がきくから便利よねと、へぇ~ボタンを押したくなったけど、そういうよいネタに
かぎって (?)、唐沢俊一ではなく劇団ひとりに割り振られるみたいなんだよなあ。それとも
話術の差とか説明の上手下手の問題なのか。


ええと、順番が前後するけど、色関係のネタに戻ると、「赤は食欲をそそるからファースト
フードの看板によく使われる」の方は、よく聞く話として、「ピンクはエイジングケア」だの
「女性ホルモンの分泌が活発になるからお肌ツヤツヤ」だのと唐沢俊一が言い出したの
には、あれっと思った。聞き違えでなければ、「色彩心理学」がどうこうとも唐沢俊一は
言っていたような。

あれっと思った理由は、最近は「ピンクには人を落ち着かせる効果がある」の方ではなく、
エイジングケアに女性ホルモンの方が流行なのかと思ったことがひとつ。

http://unkar.org/r/dqnplus/1197781846 (改行は変更あり)
>独房内の壁面をピンクに塗り替えたいのです……そう保安官に提言されたとき、
>刑務所の管理責任者ディー・サンディーさんは最初冗談だと思った。
>しかし保安官は真剣だった。

>チャールズ・コックス保安官は「ピンクには人を落ち着かせる効果がある」と主張、
>マイアミ郡の刑務所でこれまでクリーム色だった独房内の壁面がピンクに塗り替え
>られることになったという。

>このため、サンディーさんは青色だった監獄の縦棒を紫色にすることも決定した。
>同刑務所には現在男女受刑者111名が収容されている。

> 「色には精神的、肉体的に何らかの影響をもたらす効果がある」と、これまで研究者ら
>が発表しているため、心を落ち着かせる効果があるとされるピンクが国内多くの刑務所
>で採用されている。

>アリゾナ、テネシー、そしてテキサス州でも以前に同様の塗り替え作業が行われた。
>しかし昨年、ミズーリ州カンザスシティの警察当局はピンクを廃止して独房内をグレー
>にしている。
>その理由について刑務所関係者は「効果がはっきり分からなかった上、ピンクの壁は
>看守らがイライラする原因となっていたため」と発表している。

>ソース:エキサイトニュース
> http://www.excite.co.jp/News/odd/00081197769870.html
〈略〉
>6 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2007/12/16(日) 15:14:49 0
>ピンクは女性ホルモンの分泌を促すらしいけど
>囚人も看守もみんなでおかま化www


それと、以前から色にまつわるガセビアを多数発表し、「色彩言語学」とかわけのわから
ないことを書いていた (ここを参照) 唐沢俊一のいう「色彩心理学」って、どういうもんだろう
というのが、もうひとつ。

唐沢俊一の「色」関係ガセビア:
ヨーロッパでは黄色は裏切り者の色
十種類どころか十六種類の色覚細胞
ウグイス色はウグイスの色
失礼だな! ブッシュ大統領のネクタイの色についての真っ赤な嘘
イスラム教の喪の色は白にしろと誰が言い出したかは不明
一般家庭向けのホームシアター機器を購入した方がよかったのでは
クレパスが 24 色だったら神田川
「さて教育現場のみなさん、どうする?」なんていっている場合では……


で、まあ、「色彩心理学」については……ごめん……ちょっと怪しげじゃないかなあ、と。

以下に引用するように、卵巣ホルモンだ女性ホルモンだと書かれている資料はあるのだ
が、「だそうである」とか「と言われています」という記述のしかたが少し気になるし、医学
的根拠については、どうにもよくわからないのだ。

http://xsvx1023784.xsrv.jp/2007/11/post_1.html
>また、ピンクは卵巣ホルモンに働きかけて、ホルモンを分泌させ、脳に刺激を与えるの
>だそうである。健忘症などのいわゆるボケ防止にも、脳を刺激するという面では役に
>立つ。


http://health.goo.ne.jp/column/fitness/f002/0031.html
> さらに、ピンクは内分泌を活発にし、卵巣ホルモンの分泌を促すと言われています。
>女性ホルモンである卵巣ホルモンは、肌のうるおいやハリを保ち、若々しい美しい肌を
>つくる助けをしてくれます。そのためピンクは、色彩心理学では「若返りカラー」とも呼ば
>れます。ピンクの服を着たり、インテリアや小物にピンクを使うことで、心身ともに若返り
>の効果が得られるのです。
〈略〉
>【監修】 木下代理子先生 カラーカウンセラー、カラーセラピー研究所 所長


すぐ上の引用には「カラーセラピー」とあるけど、「色彩心理学とはカラーセラピーとほとん
ど同じような意味のもの」だそうで……。

http://www.hirakukokoro.net/001/002/
>色彩心理学といいますとその言葉を聞いただけでは難しそうと思われる方も多いかも
>しれませんが、色彩心理学とはカラーセラピーとほとんど同じような意味のものです。
>色彩によって人間の心理状態に与える影響というものは、想像以上に大きいもので、
>例えば青には鎮静作用があって意識の集中ができるようになり、赤には心理的に興奮
>したり高揚感を感じて精神の働きが活性化する働きがあるのです。


そして、大学には「発達心理学」はあるけど、「色彩心理学」というカリキュラムは存在し
なくて、学ぶならば「大学に行くよりも専門学校」という状況だそうで……。

http://www.hirakukokoro.net/001/008/
>色彩心理学に興味を持たれている方も多くなってきており、本格的に勉強してみたいと
>いう方もかなり増えてきています。色彩心理学という言葉でインターネットで検索する
>と、カラーコーディネートや発達心理学などのさまざまな分野のサイトがあり、色彩心理
>学はそのサイトの一部として紹介されていることが多くなっています。
>それらのサイトの多くは色の調査結果や自分に合う色の診断、色彩学の基礎などが
>中心となっており、学問としての心理学とは若干異なっていることが多くなっています。
>ですが、色彩が心理に影響するとはいっても、大変複雑なものがありイメージも固定化
>しずらいもので色彩心理学でも証明するのが難しくなっています。
>大学のカリキュラムの一つとして発達心理学というものはありますが、色彩心理学は
>それと同等な位置づけとしてではありません。色彩心理学の専門学校というのは何校
>かがあり、色彩心理学をより本格的に学んでみたいという方は、大学に行くよりも専門
>学校の方が更に深く学ぶ事ができるでしょう。
>日本色彩心理学研究所では色彩心理学の資格を作りましたので、正式な認知に向っ
>て動いているというのは明らかでしょう。人の心理との関係を探る新しい分野が登場し
>てきていますので、色彩心理学が確立されるという可能性は十分にあるといえますが、
>色彩心理学の本格的な研究が始まってからまだ十数年程しか経っていませんので、
>正式に認知されるまでにはまだまだ長い時間が必要となってくるでしょう。


さらに、下に引用の文章を読むと、「色彩心理学の本格的な研究が始まってからまだ
十数年程しか経っていません」どころか、2011 - 2003 = 8 という計算では、まだ 8 年
ということで。

http://www.nihon-shikisai-shinrigaku.com/about_toha.html
>色彩心理学は2003年にAmerican Graduate School(現Green Leaf University)(米・
>ミズーリ州)において、一人の日本人である高橋佳子(Yoshiko Takahashi)がその博士
>号(Ph. D.)を取得したことによって、学問としての歴史を歩み始めました。色彩心理学
>は、色彩と人間の関係性を心理学的に解明する学問です。各色の根源的な性質や特
>質、それらと"イメージ"、"自我"、"魂"、"意識"、"無意識"といった心の諸要素との
>連関などを主として研究しています。
>色彩心理学には、晩年に色彩を研究し、それが最も偉大な仕事であったと言い残した
>ゲーテ(Johan Wolfgang von Goethe[1749-1832])を初めとし、東洋では空海
>[774-835]、そして、心理学の中でも分析心理学や深層心理学などのイメージを扱う
>心理学を研究した、ユング(Carl Gustav Jung[1875-1961])、フロイト(Sigmund Freud
>[1856-1939])、アドラー(Alfred Adler[1870-1937])など、偉大な先人たちの智恵が息
>づいています。


そして、「"魂"」に「ユング」ときたところで、自分の心はポキリと折れました、と。


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2011.09.20 (Tue)

唐沢俊一先生はチョンマゲでなくて帽子姿で落語をするという噂

http://www.tobunken.com/news/news20110912125038.html

イベント
2011年9月12日投稿
江戸にいた男 【訃報 柳家さん助】

三十年前、新宿末広亭に入り浸っていた当時、出てくるのが楽しみだった
のがこのさん助師匠だった。
頭にちょんまげを乗せていて、もちろんカツラなどではない、ホンモノの
ちょんまげであった。出てくると、
「頭にピストルのようなものを乗っけておりますが……」
と話をはじめ、
「そそっかしい方は“ずいぶん目方のない関取だこと”とか思うようで」
などと笑わせていた。確かに、鶴のような痩身であった。

もっとも、ちょんまげを結うなどという小細工を認めていたわけではない。
学生で落語ファンなどというのは生意気な存在で、最初にそのちょんまげ
姿の高座を聞いたときには
「そんな外見でなく、芸で興味をひけ」
とか鑑賞ノートに感想を書いた(これだけで嫌なマニアである)りした。

しかし、そのうちそれが気にならないどころか、楽しみになってきたのは、
この師匠の口調や風貌が、いかにも落語に登場する長屋の住人、という
雰囲気をただよわせていたからで、ずっと後で立川談志家元にそのことを話したら、
「うん、江戸時代の長屋にいたのはああいう顔の男だ」
と、まるで見てきたかのような断言をしてくれたことがある。
寄席が楽しかったのは、芸の突出した人ばかりでなく、こういう、“雰囲気”で
楽しませてくれる芸人さんがたくさんいたからである。

美人の代名詞を山本富士子でずっと通していたり、アナクロさもあったが
そこが嬉しい高座であった。落語というものは(少なくとも寄席の落語という
ものは)進化しちゃダメだ、という私の持論はそこから生れた。
いかに時間が過ぎようと、昭和30年代前半、つまり吉原遊廓がまだあった時代、
そこでギリギリ止まっていてくれないと、本質が変化しちゃうのだ。

http://megalodon.jp/2011-0919-2334-15/www.tobunken.com/news/news20110912125038.html

唐沢俊一も書いているように、「頭に丁髷を結っていた」という柳家さん助。

http://ja.wikipedia.org/wiki/柳家さん助
>柳家 さん助(本名:松本 光春、1926年8月6日 - 2011年9月9日)は、埼玉県大里郡寄
>居町出身の落語家。落語協会所属(協会相談役)。出囃子は『しゅんどう』。かつては
>頭に丁髷を結っていたことで知られている。2011年9月9日、肺炎のため死去[1]。85歳
>没。


「カツラなどではない、ホンモノのちょんまげであった」というのも本当らしく、チョンマゲを
揺っていた期間は、着物の襟の汚れ、頭頂部の剃り、そして洗髪と、経費も手間もかかり
何かと大変だったそうだ。本当は写真でも見てみたかったけど、残念ながら見つけること
はできなかった。

http://blog.goo.ne.jp/yanagiyakoenji/e/b8d4cfc078aeb2d4c3a24f3f94a6932d
>★昔、大先輩のさん助師匠がチョンマゲを結っていた時期があった。マゲを結う前、髪
>の毛をどんどん伸ばして由井正雪みたいになっちゃた、楽屋の噂では国家転覆を狙っ
>ているのではないか?と洒落た噂を流す人がいたが、な、なんとチョンマゲを結ってし
>まったのだ。これには驚きましたね\(>。<)/ギャ-

>さん助師匠そのものが面白い方だしその上にチョンマゲで、高座に上がると噺をする前
>から馬鹿うけで落語にならなかったことがあった。結局、現代の生活にはマゲは不向き
>だということでいつの間にかやめちゃった。元結という紙で頭を結う紙の管理が大変で
>代用で白いゴム紐で結っていた。お侍のマゲでも背面の襟が汚れやすいので着物で
>生活することは経費が掛かりすぎるといっていた。中剃りもマメにやらないと不潔に感じ
>る、髭(ひげ)と髷(まげ)用に顔と頭の天辺を電気カミソリで剃るのが大変らしい。とにか
>く自分一人じゃ大変なのでお内儀さんの負担が増えて大変だったそうだ。現代のお相
>撲さんのチョンマゲの苦労と似ていて、洗髪が大変なんだよ。毎日、朝シャンなんて絶
>対無理だと言っていた。


上の引用には「さん助師匠そのものが面白い方だしその上にチョンマゲで」と書かれて
いるけど、考えてみると唐沢俊一が書いている「そんな外見でなく、芸で興味をひけ」に、
「芸の突出した人ばかりでなく、こういう、“雰囲気”で楽しませてくれる芸人さん」という
のは、かなり酷い言い草のような。

「芸の突出」しているわけでないのに、落語協会理事や相談役に就任できるものなのかと
疑問に思うし……このエントリー自体は間違い探し編にいれるつもりはないけれど、この
点については、唐沢俊一のガセみたいなものではないかと疑問を呈しておきたい。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110909-00001248-yom-peo
>柳家さん助氏(落語家)が死去
>読売新聞 9月10日(土)0時41分配信
> 柳家さん助氏 85歳(やなぎや・さんすけ、本名・松本光春=まつもと・みつはる=
>落語家)9日、肺炎で死去。告別式は親族で行う。自宅は東京都板橋区大谷口2の65
>の9。喪主は妻、アケミさん。
> 1951年に五代目柳家小さんに入門、61年に真打ち昇進。落語協会理事を経て20
>06年に相談役就任。滑稽噺(ばなし)を得意とした。
>最終更新:9月10日(土)0時41分


http://unkar.org/r/rakugo/1203262186
>63 :重要無名文化財:2008/03/03(月) 09:21:25
>あの近石真介や亡くなった三波伸介が落語の弟子すじになるんだよね

>64 :重要無名文化財:2008/03/03(月) 11:18:24
>円歌が当時一番恐れた噺家
>「さん助さん、なんであんなに普通にしゃべっておかしんだろう」三平談


で、唐沢俊一は、「三十年前、新宿末広亭に入り浸っていた当時」に柳家さん助のチョン
マゲ姿を見たというのだから、1980 年前後に目撃したということになる。この時期、柳家
さん助がチョンマゲだったかどうかは裏が取れなかった。

「昭和50年」、つまり、1975 年の時点にチョンマゲだったのは、ほぼ確実として。

http://blog.livedoor.jp/shunputei_shocho/archives/50288248.html
> 写真は、柳家さん助師匠です。落語協会のプロフィールによると1926年生まれですか
>ら、今年の誕生日がきたら80歳になる「落語界の重鎮」です。
> 私が入門した昭和50年当時は、ちょんまげを結っていました。「ちょんまげの噺家」で
>売っていました。フラのある面白い師匠です。


以下の2ちゃんねるの落語板での書き込みが正しければ、2001 年から数えて 20 年前、
1980 年くらいにはもう、柳家さん助はチョンマゲではなかったことになる。

http://logsoku.com/thread/hobby2.2ch.net/rakugo/999614867/
>141 : 重要無名文化財 : 01/12/30 00:52
>柳家さん助?ってもうお亡くなりになってるの?
>確か「ちょんまげ」結ってた人・・。

>142 : 重要無名文化財 : 01/12/30 00:57
>>>141 おいおい、殺すなよ(w お元気ですよ。
>ただしチョンマゲは、もう20年以上前にやめたけど。


でもまあ、唐沢俊一が最初に上京したという 1978 年あたり (ここここを参照) には、
柳家さん助はチョンマゲ姿で新宿末広亭だったとして。……気になるのは、2ちゃんねる
のスレでも指摘があったように (Read More 参照)、その時期の唐沢俊一の異様な忙しさ
である。唐沢俊一の自己申告によると、大学に入って名画めぐり古本通い
アニドレイ、それに今回の「三十年前、新宿末広亭に入り浸っていた」が追加され
たのだから……。

唐沢俊一は落語のネタに言及することが多く、うちのブログでも何回か取りあげてきた。
だが、唐沢俊一が若い頃、「新宿末広亭に入り浸っていた」という話は、今まで出てきて
いない。

落語関係でも落伍者のライター?
駄ボラのいかがわしさの混入率高過ぎ<『トンデモ一行知識の世界
モノカキというより落語家、でも落語からも落伍しそうな唐沢俊一先生?
芸ごとだかゲイごろだか洗脳セミナーだかわかったもんじゃないが……
唐沢俊一と SF 大会 ―― 大事だったのはメロンとステーキ
ときどきは江戸の鹿野武左衛門のことも思い出してあげてください
女王を王女と間違えるとは……恐れ入谷のイリザベスかも
輝きが一瞬だったのは三遊亭圓楽のことではなくて……
そして百バカは百を超える
『幽』に使い回し発覚、でも「怪我の功名」←間違った方向に全力でポジシン
「地下へ潜れ!」と唐沢俊一は言った
井上ひさしについても時空を歪ます
劇団に関しては語らないのがルール? < 恐怖の人間カラオケ
「オトナたちの反対こそを唯一のエネルギー」の「反逆の歌」ということにされた『ダイアナ』
「そのそのほのめかしの手段」。……落ち着こうよ、唐沢俊一先生
その団鬼六さん、あなたの脳内で劣化コピーされてませんか

三遊亭圓楽についての話のとき (ここを参照) は、「もう二十年くらい前の横浜の落語会」
での思い出を語っている。「横浜の落語会」とは、団鬼六のとき (ここを参照) に出てきた、
「伯父のプロダクションが横浜で定期落語会をやっていた」ことをさすと思われる。

唐沢俊一が熱心に落語を聞いていたのは、この時期か、高校生の頃のようだ。

http://www.tobunken.com/diary/diary20051014000000.html
>高校生のころ、ラジオ局主催で行われる札幌のホール落語会に足しげく通い、談志の
>『風呂敷』や『権兵衛狸』、圓楽の『悋気の火の玉』『阿武松』『短命』などを聴くのが本
>当に楽しみだった。

末広亭の方は、裏モノ日記にもそんなに出てこない。「site:www.tobunken.com 末広亭」
でググってヒットするのは 18 件で、その中で末広亭で落語を聞いたという話は 2 件
くらいか。

http://www.tobunken.com/diary/diary20020814000000.html
> 5時、新宿三丁目、末広亭に神田山陽襲名披露興業を聞きに行く。『クリクリ』の絵里
>さんケンさんからのお誘い。末広亭に(打ち合わせとかでなく)落語を聞きに行くのは十
>何年ぶりのことだろうか。


http://www.tobunken.com/diary/diary20060510000000.html
>新宿、末広亭で春風亭昇輔改メ瀧川鯉朝真打披露興業最終日。さすがに満席。なんと
>か席を見つけて座る。ちょうど夢太朗(長屋の花見)が上がっているところで、それから
>Wモアモアの漫才、小遊三(時そば)、小柳枝(粗忽長屋)でお仲入り。口上は三人の
>新真打とそれぞれの師匠に小遊三、司会が昇太。


まあ、チョンマゲ姿の柳家さん助を目撃しているのだから、何度か新宿末広亭には足を
運んでいたのだろうけど、「入り浸っていた」とまでいえるかどうかは少々疑わしい、という
ことで。


ついでに、これは自分だけかもしれないが、「いかに時間が過ぎようと、昭和30年代前
半、つまり吉原遊廓がまだあった時代、そこでギリギリ止まっていてくれないと」というの
には、どういう意味だろうと少し悩んだりした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/吉原遊廓
>戦後、純潔主義を掲げるキリスト教女性団体である婦人矯風会の運動などにより、昭
>和31年(1956年)5月21日に売春防止法が可決成立し、翌昭和32年(1957年)4月1日
>に施行されると、吉原遊廓はその歴史に幕を下ろし、一部は「トルコ風呂」(ソープラン
>ド)に転身する。


「うん、江戸時代の長屋にいたのはああいう顔の男だ」という立川談志の断言を紹介し、
タイトルからして「江戸にいた男」なのに、何で「昭和30年代前半、つまり吉原遊廓が
まだあった時代」が出てくるのかと。江戸時代でなくとも、明治か大正くらいに線を引くの
ならば、古典落語と新作落語の境目のことかと素直に思えるのだけど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/古典落語
>古典落語(こてんらくご)とは、落語の演目のうち、一般に江戸時代から明治時代に作
>られたものを指す。それよりも新しい時代に作られた演目は、新作落語と呼んで区別さ
>れる。


しかし、考えてみると、「昭和30年代前半」ということにしないと、「美人の代名詞を山本
富士子でずっと通していた」というのが、おさまりが悪くなる。江戸時代や明治時代で時間
をとめてしまうと、山本富士子もいなくなってしまうことになるから……。

http://ja.wikipedia.org/wiki/山本富士子
>1950年、読売新聞社、中部日本新聞社、西日本新聞社の三社が主催する第1回ミス
>日本(700人近い応募者があった)の栄冠に輝く。


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2011.08.21 (Sun)

原田芳雄や野沢那智もよいけど高城淳一の話をしてください

http://www.tobunken.com/news/news20110820134118.html

イベント
2011年8月20日投稿
万能だった男 【訃報 高城淳一】

『西部警察最終回スペシャル』で、テロリストの役を演じた原田芳雄が
亡くなったと思ったら、その最終回スペシャルで、原田と大門軍団の最後の
対決に、ひとり連れていってもらえず取り残される佐川係長役の高城淳一氏
が亡くなった。8月18日死去、享年86。

佐川係長は典型的な中間管理職で、本人はいい人なのだが個人より組織の
方を先に立ててものを考えてしまい、若い熱血刑事たちの反感をかってしまう。
http://www.youtube.com/watch?v=MWpRLfilGjY
大河ドラマ『峠の群像』の水戸家家老藤井紋太夫もそんな中間管理職で、
お家のためを思って実力者・柳沢吉保と内通し、怒った当主の光圀(宇野重吉)
に成敗されてしまっている。

こういう役があまりにハマり役なので、
「そんな役ばかりやっていた」
役者さんという印象が強いが、どうして、思いつくままに記憶をたどると、
嫌味な役はもとより、冷徹なエリート、気のいい小市民、頼りになる科学者
からマンガチックな怪人(『ザ・カゲスター』の怪人フクロウ男)まで、
ありとあらゆる役を演じていて、ほぼ万能と言っていい俳優だった。
”自分にあった役を演じる”のではなく、“役に合わせいかようにでも演技が
出来る”タイプの、プロだった。新劇出身俳優らしく、あくまで
本業は舞台であり、映画やテレビはその舞台費用を稼ぐためのアルバイト
という意識だったのかもしれない。

若い頃から演技を志し、日大芸術学部に入学するが戦争の激化で中退、
戦後改めて舞台の世界に飛び込み、1950年に劇団『七曜会』を創立。
青野武、肝付兼太、雨森雅司などがそこの出身者である。後に声優として
名をなした人が多いが、これは劇団自体が、生活費稼ぎのために当時新しい
職業として成立しつつあったアテレコのアルバイトを積極的に劇団員に勧めて
いたためだった。演出家候補として入ってきた野沢那智は高城に“役者の方にしろ”
と言われて転向した。ある意味、声優・野沢那智の生みの親である。

私より上の世代だと最初にこの人の顔と名前を一致させたのは、NHKの
『事件記者』だろうが、私たちだと『サインはV!』の、岡田可愛たち
立木大和チームの最大のライバル、レインボー(モデルはニチボー)の
監督役が最初なのではないか。立木大和の牧監督(中山仁)が熱血漢なのに対し、
冷静沈着、計算でチームを勝たせるタイプ。とはいえ、椿麻里が朝岡ユミ
(岡田)と対決するために立木大和を離れ、レインボーに入部してくると、
牧と同じく特訓を椿に課し、一心同体になってX攻撃を破る技を開発する。
悪役というより、よきライバルとして描かれたキャラクターだった。
後年の高城淳一とスポーツマンのイメージは全く合わないが、そこらへんは
融通無碍という感じである。融通無碍と言えば、朝岡ユミの岡田可愛とは、
その以前に『でっかい青春』で親子役を演じているという。

役者には、二通りのタイプがある、とよく聞く。
「役者たるもの、“個”を消して、どんな役でも演じなくてはならない」
というポリシーを持つタイプと、
「どんな役を演じていても、その底に必ず演技者本人が見えていなくては
観客には伝わらない」
とするタイプである。海外ではローレンス・オリビエ型とマーロン・
ブランド型として分類しているようだ。

高城氏は当然のごとく、前者のタイプだった。そのため、原田芳雄のような、
何を演じても原田芳雄という個性が出ている役者とは違い、役の記憶は
残っても、役者の名前は知られない、という役者である。しかし、日常的に
テレビで放映され続けるドラマが成立するには、高城氏のような万能の役者
たちが、絶対に必要であった。そして高城氏が出た膨大なドラマの数の中の、
演じた膨大な役の中から、影絵のように、高城淳一という人の個性が
浮かびあがってくる。私が脇役俳優たちのことを愛してやまないのは、その、
光の当て方を変えたとき、浮かび上がってくる陰画の個性に魅せられたからなのだろう。

高城氏が生きた時代は、テレビドラマの最盛期だった。いま、テレビドラマ
は視聴率が取れず、青息吐息である。高城氏のような俳優がどんどん減って
いっているからではないか、と思わざるを得ない。

晩年は日本俳優連合(日俳連)や日本芸能実演家団体協議会(芸団協)で
俳優の失業保険や労災などの権利確保に働いたという。根っから芝居と
役者が好きだったのだろう。長きにわたりご苦労様でした。
R.I.P.


×”自分にあった役を演じる” ○“自分にあった役を演じる”

全角二重引用符の開き方が変なのが一ヵ所。

高城淳一は 8 月 19 日に亡くなったばかりなのに、「いま、テレビドラマは視聴率が取れ
ず、青息吐息である」理由を、「高城氏のような俳優がどんどん減っていっているからでは
ないか」というのも、時空を歪ませているきらいがあるというか、晩年は俳優として活動停
止状態ということにしたいのかと勘ぐりたくなるというか。


で、唐沢俊一の定義では、「ローレンス・オリビエ型」というのは「役者たるもの、“個”を
消して、どんな役でも演じなくてはならない」というポリシーをもつ俳優であり、「マーロン・
ブランド型」は「どんな役を演じていても、その底に必ず演技者本人が見えていなくては」
ということで、原田芳雄ならば「何を演じても原田芳雄という個性が出ている役者」という
ことになるらしい。

ほう、そうなのかと思ってググってみたかぎりでは、内面からして役になりきろうとする
「メソッド演技法」の申し子のひとりがマーロン・ブランド、メソッド演技法には批判的で、
確立されている演劇手法や形から入るといったことをないがしろにしないポリシーなのが
ローレンス・オリビエという分類になるのではないかと。

http://ja.wikipedia.org/wiki/メソッド演技法
>メソッド演技の特徴としては、担当する役柄や劇中での状況やその感情に応じて、より
>自然な形で演技を行う点である。メソッド以前の演劇においては、役者は役作りや演技
>を行う際は、発声や仕草、パントマイムなどのテクニックを使用し、感情や役柄の表現
>を行っていたが、メソッドでは、そうした形式的で表現主義的な古典的な演劇手法と距
>離を置き、より現実と近い、自然な演技を追求している。そのため、演技をする過程に
>おいては、担当する役柄について徹底的なリサーチを行い、劇中で役柄に生じる感情
>や状況については、自身の経験や役柄がおかれた状況を擬似的に追体験する事に
>よって、演技プランを練っていく。
〈略〉
>1950年代、先にハリウッドへと進出し、新鋭監督として注目を集めていたエリア・カザ
>ンに導かれ、ストラスバーグの教え子であり「アクターズ・スタジオ」出身のマーロン・
>ブランド、ジェームス・ディーン、ポール・ニューマンらがスクリーンに進出。「理由なき
>反抗」や「乱暴者」といった映画に主演し、これまでの既成概念にあてはまらない自由
>で、刺激的な演技を披露した。生々しい彼らの演技は、若い世代の観客の支持を集
>め、新しい時代のアイコンとしての地位を確立した。
〈略〉
>メソッド演技法では、役作りのために自己の内面を掘り下げるため、役者自身に精神
>的な負担をかけ、そのため、アルコール中毒や薬物依存などのトラブルを抱えるケース
>も少なくない。マリリン・モンローやモンゴメリー・クリフトは役作りに専念しすぎるあま
>り、自身のトラウマを掘り出したがため、情緒不安定となり、以後の役者人生に深刻な
>影響を及ぼしたと指摘されている。
> 演技自体も即興性が強いため、表現技術にメリハリに欠け、不明瞭なものになりがち
>であり、また、リサーチやリアリティを重視するあまり、役者の持つ表現力や想像力を
>疎外してしまうことも指摘されている。
> こうした指摘は、特に古くから演劇が確立されていたイギリスの俳優陣から挙がって
>おり、ローレンス・オリヴィエやピーター・ユスティノフは様々なメディアでメソッド演技に
>対する批判や問題点を公表している。


http://omp2006.blog85.fc2.com/blog-entry-390.html
>三人とも有名なアクターズ・スタジオの出身。アクターズ・スタジオでは”メソッド”と呼ば
>れる演技法をとっていますが、これは演技に形から入るのではなく内なる感情の吐露と
>しての演技を求めるということのようです。より自然体に近い演技を求めるわけです
>が、”切れる”マーロン・ブランドは当然のことながら、過去を知ったミッチがブランチを
>なじるときのカール・マルデンの演技や、殴られて家を飛び出した後にスタンレーの元
>に戻るときのステラ役キム・ハンターの演技などはまさに感情の爆発。


さらに、「ケーリー・グラント型、ジョン・ウェイン型」というのを加える人もいるようだが、
この 2 つの型については、残念ながらよくわからなかった。

http://cinema-magazine.com/old_page/kako/starpage/star52d.htm
> 英語圏の役者の演技を4タイプに分類する者がいる。すなわち、ローレンス・オリビエ
>型、ケーリー・グラント型、ジョン・ウェイン型、マーロン・ブランド型の4つだ。ニューマン
>はブランド型に分類されるが、このスタイルは、ブランドとニューマンの二人の功績に
>よって確立されたといってよい。二人が映画における「演技」そのものの概念をガラリと
>塗り替えたのである。ニューマンの演技には精神的なリアリズムがあり、スクリーンの
>外に体温が伝わってくる。出世作のボクシング映画「傷だらけの栄光」では汗が画面か
>ら飛びださんばかりであった。



で、まあ、ローレンス・オリビエにしてもマーロン・ブランドにしても、「主役級でなおかつ
美男の俳優同士の比較」になるわけで、「変に個性や雰囲気を出して主役を食ってしまう
ようでは仕事にならない」脇役俳優を語るのは少しおかしいのではないかという書き込み
が2ちゃんねるのスレにあった (Read More 参照) が、これについては同意。さらに、
「“役に合わせいかようにでも演技が出来る”タイプの、プロ」だったという話から、どこを
どうすれば、「新劇出身俳優らしく、あくまで本業は舞台であり、映画やテレビはその舞台
費用を稼ぐためのアルバイトという意識だったのかもしれない」という話になるのか、
理解に苦しむというのにも同意。

訃報記事をいくつか参照しても、「あくまで本業は舞台」で、「映画やテレビはその舞台
費用を稼ぐためのアルバイト」と匂わせるような記述は見あたらない。真っ先にあげられ
ている出演作はテレビドラマの「事件記者」「西部警察」だし、次に時代劇とか映画とか
悪役とか声優とかの話になる。

http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20110819-822219.html
>「事件記者」「西部警察」高城淳一氏死去

> テレビ草創期の人気ドラマ「事件記者」や「西部警察」にレギュラー出演した俳優高城
>淳一(たかぎ・じゅんいち)さん(本名・依田郁夫=よだ・いくお)が18日午後2時56分、
>肺がんのため都内の病院で亡くなった。86歳だった。〈略〉
> 高城さんは戦後、新劇活動を始め、58年スタートのNHKの人気ドラマ「事件記者」で
>は、中央日日のウラさんこと浦瀬キャップ役で人気を集め、「西部警察」で佐川捜査係
>長役、「大都会」では城西署の加川捜査課長役でレギュラー出演。「水戸黄門」などの
>時代劇でも敵役を数多く演じた。
> 7月27日に体調が悪化して入院。精密検査で末期の肺がんと分かり、本人にも告知
>されたという。
> [2011年8月19日7時47分 紙面から]


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110818/t10014991941000.html
>俳優の高城淳一さん 死去
>8月18日 18時33分
> 昭和30年代のNHKの人気ドラマ「事件記者」など、テレビや映画の渋い脇役として
>長年活躍した俳優の高城淳一さんが午後、肺がんのため亡くなりました。86歳でした。
>高城さんは大阪の出身で、大学を中退して終戦後、演劇の道に進みました。昭和33
>年に始まったNHKのドラマ「事件記者」では、激しい特ダネ競争を繰り広げる新聞社の
>警察担当キャップの役を演じ、人気を集めました。その後も、テレビや映画を中心に刑
>事物や時代劇などに長年にわたって出演し、悪役もできる渋い脇役として活躍しまし
た。
>最近は、舞台の演出なども手がけていたということです。高城さんは先月末に体調を崩
>して肺がんと診断され、東京都内の病院に入院して治療を続けていたということです。


http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2011081800805
> テレビドラマ「事件記者」「西部警察」シリーズ、映画「不毛地帯」などに出演したほ
>か、声優としても活躍した。 (2011/08/18-21:10)


まあ、「戦後、新劇活動を始め」、「最近は、舞台の演出なども手がけていた」と、舞台に
ついての言及もあるし、唐沢俊一も書いている通り「1950年に劇団『七曜会』を創立」
――これは多分 Wikipedia から――のには間違いはないのだろうけど。

しかし、本当に唐沢俊一のいうように「あくまで本業は舞台」という意識が強い人なら、
自分である程度制御可能なプロフィールの記述に、それらしいことを書くのではないかと
思ったりもする。

http://www.theminds.jp/04.htm
>マインズエンタテインメント<声優俳優塾>
〈略〉
>高城 淳一
>特別講師
>マインズエンタテインメント所属俳優
>昭和20年、戦後すぐに新劇活動を始める。昭和25年には劇団七曜会を創立。映画、
>テレビと幅広くそのキャラクターで数々の作品に出演し、お茶の間の顔となる。吹き替
>えでは創生期の時代より携わる。


そもそも高城淳一は「刑事コロンボ・美食の報酬」の吹替えなどもしていたというのに、
高城淳一自身の声優の仕事についてはスルーして、「野沢那智は高城に“役者の方に
しろ”と言われて転向した。ある意味、声優・野沢那智の生みの親」――と、野沢那智の
ことばかり書いているのも解せないというか……。

http://ja.wikipedia.org/wiki/高城淳一
>日本大学芸術科(現・日本大学藝術学部)中退(戦況悪化の為)。新劇活動を経て、
>1950年には劇団七曜会の設立に参画。
〈略〉
>吹き替え
>・ER緊急救命室
>・眼下の敵
>・刑事コロンボ・美食の報酬
>・黄金の指
>・サンダーバード(ウィルバー・ダンドリッジ三世)


いやまあ、野沢那智の Wikipedia の項を見ると、何か謎がとけたような気もしたけど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/野沢那智
>劇団七曜会を退団後、野沢は役者仲間を集めて「劇団城」を立ち上げた。初めて演出
>を担当するが、難しい演目ばかりやっていたため、客は入ってこなかった。そのため、
>金はかかるとたちまち運営に行き詰ってしまい、劇団は分裂。製作の責任者であった
>野沢は3年間で370万円(現在の価値で2000万円ほど)もの借金を抱え込んでしまっ
>た。
〈略〉
>借金返済の見通しも立たず困り果てたある日、野沢が銀座の街を歩いていると、劇団
>七曜会にいた頃の先輩である八奈見乗児と道端で偶然出くわした。そこで野沢は「何
>か仕事がないですか」と聞いたら、「お前、アテレコやれ。事務所は紹介するから」と八
>奈見に言われるが、


つまり、「費用を稼ぐため」とかいうのは、野沢那智のエピソードとごっちゃになっている
可能性もある、と。まあ、それでなくても、原田芳雄だ野沢那智だと、大した必然性もなく
他の者について言及して焦点をぼやかさない方がよかったのではないかと思う。


唐沢俊一がスルーしたことには、高城淳一自身の声優の仕事の他に、「時代劇でも敵役
を数多く演じた」、「悪役もできる渋い脇役」といった、悪役としての活躍もある。

「典型的な中間管理職」の方を強調し、その他「嫌味な役はもとより、冷徹なエリート、
気のいい小市民、頼りになる科学者からマンガチックな怪人」までいろいろな役をやった
とのみ書いて、『サインはV!』のレインボーの監督役は、「悪役というより、よきライバル
として描かれたキャラクターだった」と、いきなり「悪役」とかいわれても困るというか……。

それでいて、「高城氏が出た膨大なドラマの数の中の、演じた膨大な役の中から、影絵の
ように、高城淳一という人の個性が浮かびあがってくる。私が脇役俳優たちのことを愛し
てやまないのは、その、光の当て方を変えたとき、浮かび上がってくる陰画の個性に魅せ
られたからなのだろう」と、ポエムだけは立派なのだから、さらに困る。

唐沢俊一の書いた文章を読んでも、見ていない分についてはさっぱりイメージがわかない
し、見ていたものについてもあまり記憶を呼び起こすよすがにならないし。

――と、いうことで、唐沢俊一以外の人の書いた文章を並べてみたら、「浮かび上がって
くる陰画の個性」があるか試してみるテスト。いや高城淳一を無個性な俳優みたいに
思っているわけではないけれど。

http://search.seesaa.jp/高城淳一/index.html?mode=#wiki
>高城 淳一(たかぎ じゅんいち、1925年1月20日 - )は昭和中期から平成期(1950年
>代-)の俳優。大阪府大阪市出身。日本大学芸術科中退。1958年からのNHKテレビド
>ラマ『事件記者』ですぐ「バッキャロー」と怒鳴りながらも部下思いの中央日日新聞の
>浦瀬キャップ(ウラさん)を演じ、人気を博す。気短かで口うるさいキャラクターは後に嫌
>味さが加わって『大都会 PARTIII』の城西署捜査課長・加川乙吉役を経て、『西部警察
>PART-II』および『西部警察 PART-III PART-III』の西部署2代目捜査係長・佐川勘一役
>に受け継がれていく(ちなみに初代捜査係長は庄司永建)。『水戸黄門 (テレビドラマ)
>水戸黄門』など時代劇では悪役が多かったが、年齢とともに善良な役を演じる機会が
>多くなった。


http://www.md.ccnw.ne.jp/rantaroh/aku/n-rentaka.html
>▼「影同心」最終話の悪役ゲストでしたが、もう悪い悪い…画面に出るたびに悪事ばっ
>かり(当たり前ですね…)。ラスト、血しぶき上げて滅多斬りにされてしまいますが、子供
>心に見たこの回が強烈で、以降どんな善人役を拝見しても、ピンときませんでした。後
>に「西部警察」の係長を見て、ようやくこの方の芸域の広さに感心しました。佐川勘一
>係長の高城さん、掃除に煩いという設定だったようで、「必殺仕事人」の芝本正氏扮す
>る"掃除の達人"筆頭同心・荒巻様を髣髴させます。何があっても常に板挟みという境
>遇が哀れさを誘いますね。主役編の「傷だらけの天使」では自分のために親を亡くして
>しまった姉弟に毎月仕送りをしているという事実が明らかになり、最後には二人のため
>に奔走するという"善人"振りが描かれていました。結局は大門軍団に見せ場はさらわ
>れますが…


http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1313686532/
>112 :名無しさん@恐縮です:2011/08/19(金) 07:34:26.92 ID:mjrVHpet0
>「三年間、とても楽しく仕事をさせていただきました。
>石原、渡のご両人を中心としたチームワークは、それは見事なものでした。
>(中略)私の役柄は、立場上彼らの活躍に水をさすようなことになるのですが、
>こういう面を逆に強調することで、大門軍団の結束力に照明を当ててみたんです。

>そうする事で、ファンの皆様の彼らに対する親しみが倍増すると思ったんですよ。
>(高城淳一氏)

>115 :名無しさん@恐縮です:2011/08/19(金) 07:39:00.57 ID:G9hE0YYPO
>>>112
>子どものころ、マジ係長ウゼェと思ってた
>高城さんにまんまと踊らされてたわけだ
>ご冥福をお祈りします

>137 :名無しさん@恐縮です:2011/08/19(金) 08:45:46.48 ID:a1uHh6tkO
>昭和の刑事ドラママニアとしては知的冷徹、少しだけ抜けた悪役としてスゴく愛着ある
>俳優さんでした
>金八での加藤優引き取る墨東工業社長さんも無茶苦茶素晴らしかった
>心より合掌

>143 :名無しさん@恐縮です:2011/08/19(金) 09:08:27.87 ID:mJalq1J/0
>事件解決すると、木暮課長の部屋にニヤニヤ顔で入ってきて
>戸棚のブランデーを勝手に飲み始めるあの係長か...

>憎まれ役ながら愛嬌のある役者だった

>156 :名無しさん@恐縮です:2011/08/19(金) 09:23:46.89 ID:bMa5/cOKO
>西部警察PART-?の最終回で、軍団全員が警察手帳置いてったのを発見して涙ぐむ
>シーン最高。
>「私だって・・・」
>の一言の重さが大人になってから分かった。

>256 :名無しさん@恐縮です:2011/08/19(金) 20:33:47.17 ID:NFbqgfKBO
>>>112
>本物の役者だったんだな… 。・゚・(ノД`)・゚・。
>ご冥福をお祈りします。

>259 :名無しさん@恐縮です:2011/08/19(金) 21:15:10.36 ID:i7aljCs3O
>金八で、加藤と松浦が捕まった時にこの人が『あの子達をさっさと保釈しねぇんだった
>ら、今日限りで保護司辞めさせて貰うよ』
>と、タンカ切ったのと君塚校長が担当刑事の若い頃のやんちゃを持ち出して、刑事が
>ぐうの音も出なくなったのが保釈の要因。
>金八は泣き叫ぶだけで対した事はしてない。

>265 :名無しさん@恐縮です:2011/08/19(金) 23:32:25.43 ID:pxDGOMsd0
>この方が俳優時代は知りませんでしたが、
>某銀行での大切なお客様で、上司から俳優さんだった方だとお伺いしました。
>とってもダンディで品があって、物腰の優しい素敵なお爺さん・・というかおじさまでしたよ。
>そんなご年齢だったのですね。とってもお若く見えたので、意外です。

>ご冥福をお祈り申し上げます。

>289 :名無しさん@恐縮です:2011/08/20(土) 19:08:44.62 ID:AjzLlw+ZO
>テキサス殉職の時、拳銃を密造してた町工場の経営者だった人、のイメージが強いで
>す。合掌…

>291 :名無しさん@恐縮です:2011/08/20(土) 22:27:51.14 ID:QlNNMrfy0
>>>289
>実はテキサス初登場の回にも、テキサスの先輩警官役で出てる。
>詰めてた交番が爆破されちゃって、その事件がテキサスの初仕事。

>>>290
>神山繁は本庁のおエラいさん役。
>七曲署の署長は南原宏治、平田昭彦、草薙幸二郎。

>293 :名無しさん@恐縮です:2011/08/21(日) 02:02:52.90 ID:N9PZDax00
>この人部長刑事の人だよなあ
>訃報の経歴には出てないけど俺ぐらいの歳で関西ならそっちが馴染み深い 合掌


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21:28  |  その他の雑学本 派生トリビア編 (3) +  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2011.08.02 (Tue)

似ているようで違う ―― 博覧強記の小松左京と博覧強記の仕事術 (2)

http://www.tobunken.com/news/news20110729122033.html

2011年7月29日投稿
さよなら巨星(ジュピター) 【訃報 小松左京】
〈略〉
小松左京という名前が『日本沈没』で日本中に知れ渡った頃。
NHKの演芸番組を見ていたら、桂米朝師匠の番組の解説に
小松氏が出てきて、米朝師匠との長いつきあいのことを語り、
「『日本沈没』ね、あれ、落語聞いてて思いついた話で」
と言い出した。米朝師匠が
「はて、そんな噺、あったかいな……」
と首をひねっていると、
「『釜どろ』いう落語があるでしょう、泥棒をつかまえようと
釜の中に入っていたら、釜ごと盗まれて野原に捨てられて、
顔を出して“しまった、家を盗まれた”……ちゅうやつ。
“国破れて山河あり”というのはあるが、“国破れて山河なし”に
なったらどうなるか、そう考えているうちに思いついたのが、あの
小説で……」
と語り、米朝師匠は
「なんや、冗談みたいな思いつきであないに儲けておいて……
落語協会になんぼか寄付しなはれや」
と冗談にまぎらしていた。

普通に考えてそんなわけもない、これは落語の番組に出るのだから、
という一種のリップサービスであるわけだが、小松左京という
人は、これが抜群にうまい人だった。『さよならジュピター』の
プロモーションで一時やたらいろんな番組に出演していたが、
グルメ番組に出れば宇宙食に話をからめ、街角情報番組に出れば
日向ぼっこに適した路地から太陽というものの大切さに話題をつなげ、
『さよならジュピター』に話を持っていく、その持っていき方が
自由自在という感じであった。コジツケがすぎるという見方もある
だろうが、そういう番組の大半の、SFに興味もないであろう
視聴者に、自作の映画の話を聞いてもらうための見事なテクニック
であることは確かであった(映画自体はそのテクニックを下手に
応用してしまった悪例でしかなかったのが残念だったが……)。


似ているようで違う ―― 博覧強記の小松左京と博覧強記の仕事術」の続きのようなもの
……だけど、今回は唐沢俊一の文章とは、直接はあまり関係ない派生トリビア編。

そもそもは、小松左京が桂米朝に番組内で語ったという『日本沈没』は『釜泥』からヒント
をえたという話とか、「グルメ番組に出れば宇宙食に話をからめ、街角情報番組に出れば
日向ぼっこに適した路地から太陽というものの大切さに話題をつなげ」たとかいう話を、
唐沢俊一以外の誰かが語っていないかといろいろ探していたのだけど……探したものは
見つからない一方、いろいろと興味深い話が目についたので……。

ただし、以下にあげるのは、ネット上で読める新聞記事からの切り貼りが主でしかなく、
何を今さらと思う人も多そうなのが怖いけど……その点についてはご容赦を。

- 小松実の兄は姓名判断にこっていた。小説を雑誌に応募しようとしていた弟に「『右京』
 なら大金持ちになれる、『左京』は新しいことができる」といった。「新しいこと」を選んだ
 弟は、「小松左京」の名で、『地には平和を』 (1963 年) というSF小説を世に出した。
(http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20110729k0000m070144000c.html)

- Wikipedia の記述では話は少し違い、早川書房主催の第1回空想科学小説コンテスト
 応募にあたり、「五画と八画の文字を使えば大成する」と兄から助言されたのを受け、
 「左がかっていた京大生だから」というので「左京」を選んだ。
 京都大学時代には、日本共産党に入党して政治活動もしていたのだ。「反戦平和」を
 唱える共産党に共鳴していたのに、ソ連は原爆開発。ショックを受け共産党を離党した。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/小松左京)

- 大阪に「アパッチ族」と呼ばれた者たちがいた。戦後、空襲で焼け野原になった大阪城
 近くの砲兵工廠跡にいたくず鉄泥棒たちで、警官らと派手にやりあい、追い払われても
 すぐに舞い戻った。
 小松左京の初長編『日本アパッチ族』 (1964 年) は、「鉄を食べる」人間という着想、
 〈社会のくずといわれた連中が、くずであるがゆえに超人間的な存在になるという構想〉
 で書いたもの。代表作のひとつとされ、スピーディな展開にファンも多い。
(http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110730/plc11073003420008-n1.htm
http://www.news-postseven.com/archives/20110730_27020.html)

- 星夫くんと月子ちゃんが登場する『空中都市008』 (1969 年) も小松左京の作品。1969
 年から 1970 年にかけて NHK でも放映された。たくさんの子どもがワクワクしながら、
 本を読み、テレビを見ていた。そのうちのひとり、小学四年生のときに『空中都市008』
 を愛読していた少年は、後にノーベル賞をとった。2002 年ノーベル化学賞の田中耕一
 がその人。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/小松左京
http://ja.wikipedia.org/wiki/空中都市008
http://www.ne.jp/asahi/sf/komaken/komatsu/dousei/do0211.htm)

- 大阪万博 (1970 年) での小松左京は、テーマ館サブ・プロデューサー。太陽の塔内部
 の展示も担当。岡本太郎とともに「太陽の塔」内の展示を考え、DNA の巨大な模型を
 作り、生物の進化を現すようにした。

 万博跡地にできた国立民族学博物館 (1977 年) の設立にも関わった。太陽の塔には
 石毛直道らが収集した世界中の神像や仮面を展示されていて、それらのコレクションが
 国立民族学博物館の元となった。

 石毛直道は、『人間博物館 「性と食」の民族学』 (1977 年) の共著者でもある。

 その石毛直道 (国立民族学博物館元館長) は、告別式では、棺の中に小松左京の好き
 だった酒とたばこを入れ、「あの世でいい居酒屋を探しといてほしい」と語りかけた。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/小松左京
http://ja.wikipedia.org/wiki/太陽の塔
http://www.sankei-kansai.com/2011/07/29/20110729-055900.php
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110728/art11072821190010-n1.htm)

- 『日本沈没』 (1973年) では、12 桁の電卓 (当時 13 万円) で日本列島の“重さ”を計算
 した。小松左京がいうには、「細部をつめないと、安心して書き出せないんだね」。

 「日本を丸ごと沈めちゃうなんて、世が世なら治安維持法違反で逮捕だもの(笑い)。
 あのとき僕は夜逃げも覚悟した」と、小松左京は当時のことを語っている。
 夜逃げ先として調べたオーストラリアを、『日本沈没』の中では、日本国民が避難する
 先に使った。
 拍子抜けすることに、右翼から 1 件、左翼から 2 件抗議の電話があっただけ。夜逃げ
 はしなくてすんだ。
(http://www.news-postseven.com/archives/20110730_27020.html)

- 『日本沈没』の部数は、上下巻あわせて 400万部を超した。税金の支払いを心配した
 小松左京は「もう増刷を止めてくれ」と出版社に電話したが、「それはできません」と
 断られた。
(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20110728-OYT1T01145.htm)

- 『日本沈没』のなかで小松左京は、マグニチュード7.6級の直下型地震によって、高速
 道路の高架が傾き、車が次々と落下し炎上する場面を描いた。
 本を出したら、大学教授に呼ばれ、「キミは高架の建築基準を知らないのかね。高速
 道路が傾くわけないだろう」といわれた。
 そんなものかと思っていたら、阪神大震災 (1995 年) では高速道路が横倒しになった。
 「SFより現実の方がはるかに上回ったわけです」と小松左京はいった。
(http://www.news-postseven.com/archives/20110728_27013.html)

- 「日本列島弧を中心にして、巨大な地殻変動が起こりかけている、というアメリカ測地
 学会の発表が電撃のように世界をゆすぶったのは三月十一日…」。

 『日本沈没』の中の「その日付にはドキリとさせられる」と読売新聞の編集手帳 (2011年
 7月29日) は書いた。東日本大震災からこっち、ドキリとしないでいるのは難しい。

 東日本大震災について、小松左京は、「いつ死んでもええテ思てたんやけどな。ほんま
 やで。でもこれから日本がどうなるのんか、もうちょっと長生きして、見てみたいいう気に
 いまなっとんのや」 (2011 年 5 月 23 日) と語ったという。これを現実にしてくれれば
 よかったのに。
(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20110728-OYT1T01145.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110728/bks11072819140002-n1.htm)

- 日本SF大会のファン投票で選ばれる星雲賞。1974 年に『日本沈没』は、日本長編賞
 を受賞した。同じ年の日本短編賞は、筒井康隆の『日本以外全部沈没』。

 後に小松左京は自伝 (『SF魂』) に書く。「筒井さんは後に、紫綬褒章をもらうわけだけ
 ど、それはこの時、日本以外を沈めたからじゃないかという説がある」。ちなみに、筒井
 康隆の紫綬褒章は「SF界では、はじめての慶事」。2002 年のことだが、後に続く日本
 SFの小説家は、今のところいない。
(http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2011072902000012.html?ref=rank
http://www.ne.jp/asahi/sf/komaken/komatsu/dousei/do0211.htm)

- あだ名は「ブルドーザー」。「持ち前のバイタリティー」ゆえという人もいれば、「該博な
 知識と大胆な発想で次々に作品を発表する姿」からという人もいる。
 「星新一さん(故人)がけもの道を開き、小松さんが整え、その上を筒井康隆さんが
 スポーツカーを駆って走った」からだと説明する人もいる。
(http://www.news-postseven.com/archives/20110729_27016.html)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2011072902000012.html?ref=rank
http://www.sankei-kansai.com/2011/07/29/20110729-055900.php)

- 「ゆうきまさみ年代記」の中で、小松左京はゆうきまさみとの対談の中で、レイバーと
 コンピュータウィルスに関する視点を提示していた。
 当時 58 歳だった小松左京が、コンピュータやウィルスについて嬉々として語ったのは
 1989 年のこと。コンピュータも、そのウィルスも、まだまだ一般的ではなかった頃の話。
(http://slashdot.jp/articles/11/07/28/0626257.shtml)

- 小松左京が亡くなって数時間後の高座のまくらで、桂吉坊は小松左京の訃報をネタに
 した。

 桂米朝とは 50 年来の仲だった小松左京は、米朝独演会にも毎年きていた。しかし、
 ある年の独演会に小松左京の姿がなかった。楽屋などでは、「死んだんと違うか」、
 「ンなアホな…」と、皆が心配していた。
 理由を聞かれた小松左京は、「自分の入れ歯に噛まれた」という。

 「胸ポケットに入れ歯を入れてた時に、こけはって、それで噛まれたらしい。先生ご自身
 がSFでした」。
(http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110730/enn1107301419005-n1.htm)

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2011.06.06 (Mon)

地震に敏感というのは役に立ちそう……気圧に敏感よりは

『唐沢俊一の雑学王』 P.113 「地震」のトリビア
四コマ漫画より。

吉川英治は地震に敏感だった
「おや何か…」
「外へ出なくては」
関東大震災はこうして助かっている
当時のペンネームの一つ“雉子郎 (きじろう)”
「雉子も地震に敏感な鳥だしね」
「荒廃した東京の人々に娯楽を!」
キングが創刊され、ここに書いた小説ではじめて“吉川英治”を使う
そして大文学作家になったのであった
「震災と宮本武蔵のビミョーな関係」


唐沢俊一は「関東大震災はこうして助かっている」と断言してしまっているし、「“雉子郎
(きじろう)”」という「ペンネーム」――川柳の号でもある――は「雉子も地震に敏感な鳥だし
ね」という理由でつけられたかのように書いているけど、これらの真偽は微妙。

以下は、ブログ「吉川英治記念館学芸員日誌」からの引用。

http://yoshikawa.cocolog-nifty.com/soushido/2005/07/post_31de.html
>ところで、吉川英治は、非常に地震に敏感だったそうです。
>少し前に書いたように、吉川英治は関東大震災を経験しています。
>いま流行のPTSDやトラウマを声高に喧伝する人たちなら、関東大震災の経験が吉川
>英治を地震に敏感にした、などと言い出しそうですが、事実はそうではなく、関東大震
>災以前から驚くほど敏感だったのだそうです。
>いわゆる初期微動の段階で地震を察知し、周りの人が地震と気が付いた時には、とっ
>くに建物の外に逃げ出していた、などという話も伝わっています。
>むしろ、そのおかげで関東大震災の被害をまぬがれた、と言った方が良いかもしれま
>せん。

>吉川英治が川柳家時代に名乗っていた「雉子郎」という号も、キジが地震に敏感な鳥だ
>ということにちなんだものだ、とする説もあります。

>ただ、これに関しては、「焼け野の雉、夜の鶴」からとったものと、吉川英治本人が書き
>残しています。

>「焼け野の雉、夜の鶴」とは、「巣を営んでいる野を焼かれた雉子が自分の身を忘れて
>子を救い、また、霜などの降る寒い夜、巣ごもる鶴が自分の翼で子をおおうというところ
>から、親が子を思う情の切なるたとえ(広辞苑)」ということわざです。


まあ唐沢俊一も「“雉子郎 (きじろう)”」の由来は「キジが地震に敏感な鳥だということに
ちなんだものだ」と、はっきり書いているわけではないし、実際にそういう説もあるとのこと
だから、間違いだとまではいえないが。

「初期微動の段階で地震を察知」する能力があったために、「関東大震災の被害をまぬ
がれた」という話もあるようだし。ただし、「周りの人が地震と気が付いた時には、とっくに
建物の外に逃げ出していた」というのが関東大震災の際のエピソードかどうかはわから
ない。

気になるのが、漫画の絵では、自宅に一人でいて原稿執筆しているときに揺れを感じて
外に出たら、その直後に自宅は倒壊したようにしか見えないこと。そこに「関東大震災は
こうして助かっている」という文字がかぶさっている。

関東大震災の年には、吉川英治は東京毎夕新聞社に入っていたという話だし、すでに
赤沢やすと結婚していた。で、関東大震災の発生したのは平日 (9 月 1 日) のお昼時。
会社にいたにしても、自宅で何か原稿を書いていたにしても、周囲に誰もいないのも、
一人きりで家から逃げたように描かれているのも、不自然な気がする。

http://yoshikawa.cocolog-nifty.com/soushido/2006/09/post_7474.html
>大正12年の今日、関東大震災が発生しました。

>何度か書いているように、吉川英治はこれを経験しています。
>この時のことを自筆年譜にこう書いています。

>  九月、関東大震災。社屋焼失。
>  新聞休刊、社業再起の見こみたたず、全社員一応解散ときまる。焦土の生計として
>  上野の山に葭簀を持ち牛飯を売る。夜々、焦土流離の人々と樹下に眠り、あらゆる
>  境遇と人間の心に会う。――この事より卒然と文学の業の意義深きを感じ、身辺す
>  べての物を売って、十月中、北信濃の角間温泉へ籠る。


http://ja.wikipedia.org/wiki/吉川英治
>1910年(明治43年)に上京、象眼職人の下で働く。浅草に住み、このときの町並みが
>江戸の町を書くにあたって非常に印象に残ったという。またこのころから川柳をつくり始
>め、井上剣花坊の紹介で「大正川柳」に参加する。1914年(大正3年)、「江の島物語」
>が『講談倶楽部』誌に3等当選(吉川雉子郎の筆名)するが、生活は向上しなかった。
>のちに結婚する赤沢やすを頼って大連へ行き、貧困からの脱出を目指したが変わら
>ず、この間に書いた小説3編が講談社の懸賞小説に入選。1921年(大正10年)に母が
>没すると、翌年より東京毎夕新聞社に入り、次第に文才を認められ『親鸞記』などを執
>筆する。
>関東大震災により東京毎夕新聞社が解散すると、作品を講談社に送り様々な筆名で
>発表し、「剣魔侠菩薩』を『面白倶楽部』誌に連載、作家として一本立ちする。1925年
>(大正14年)より創刊された『キング』誌に連載し、初めて吉川英治の筆名を使った「剣
>難女難」で人気を得た。このとき本名の「吉川英次」で書くように求められたが、作品が
>掲載される際に出版社が名を「英治」と誤植してしまったのを本人が気に入り、以後こ
>れをペンネームとするようになった。


http://ja.wikipedia.org/wiki/関東大震災
>関東大震災(かんとうだいしんさい)は、大正12年(1923年)9月1日11時58分32秒
>(以下日本時間)、神奈川県相模湾北西沖80km(北緯35.1度、東経139.5度)を震源
>として発生したマグニチュード7.9の大正関東地震による地震災害である。



その他参考 (漫画に描かれた表紙の絵は一応あっている?):
http://www.dnp.co.jp/about/history.html (表紙画像)
>★5 大日本雄弁会講談社(現、講談社)「キング」創刊号

http://ja.wikipedia.org/wiki/キング_(雑誌)
>創刊号は1925年(大正14年)1月号で定価50銭。

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2011.05.29 (Sun)

傘がないわけじゃないけれど、ロンドンの雨は主に当地に降る

『唐沢俊一の雑学王』 P.171 「イギリス」のトリビア

関連トリビア 雨の街というイメージのあるロンドンだが、年間降水量は
760ミリで、実際は東京の半分程度しかない。


×760ミリ ○700ミリ

雨に濡れると放射能が怖いよと親が真顔でいっていた 1960 年代」の続きのようなもの
……嘘です、ごめんなさい。

降雨量は、http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000066970 経由
で飛べるリンク先で調べたかったのだけど、エラーが出たり反応が戻ってこなかったりする
ので、別のところから拾ってみた。

http://www2m.biglobe.ne.jp/%257eZenTech/world/infomation/kion/uk_london.htm
>ロンドンの年間気温11度、年間最高気温14.4度、年間最低気温7.5度、年間降水量
>611ミリメートル世界気象機関データ。
〈略〉
>東京 月別気温(Tokyo Temperature)
〈略〉
>年間平均気温:15.9 ℃、年間総雨量:1466.7㎜ 「気象庁1971~2000年データ」


http://ja.wikipedia.org/wiki/ロンドン
>ロンドンは、ケッペンの気候区分では西岸海洋性気候(Cfb)に分類される。ロンドンの
>緯度は樺太中部と同程度であるが、メキシコ湾流の影響を受けて温暖かつ適度の湿度
>を持った比較的暮らしやすい気候となっている。ただし、一年を通して小雨や曇天がや
>や多い。


Wikipedia の表によると、ロンドンの「降水量 mm (inches)」は年「583.6 (22.976)」で、
「出典: Met Office 2009-03-20」とのこと。

まあ唐沢俊一の書いているように「年間降水量は760ミリ」の年があった可能性はある
ものの、ちょっと多過ぎではないか、ということで。

「雨の街というイメージのあるロンドン」という書き方にも違和感がある。霧の都ロンドン
とはいうし、晴れた日よりは曇や小雨の日が多そうなイメージは確かにあるが、日本の
ように雨がざんざん降り注ぎはしないというイメージもある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ロンドン
>1858年には大悪臭が発生する。特に大気汚染が深刻で、石炭の煤煙によるスモッグ
>の発生により「霧の都」と揶揄された。

で、気になったのは、上記のトリビアの上に描いてある四コマ漫画。

『唐沢俊一の雑学王』 P.171 「イギリス」のトリビア

イギリス紳士のトレードマークと言えば…
「山高帽と」
「コウモリ傘!」
「あっ雨!」
「でも…ささないのだ」
傘は専門の巻き師がかっこよく巻くので…
“びしっ!”
「また巻き師に巻いてもらうまで持ち歩けないから!」
イギリス人は雨にぬれるのに慣れているから風邪ひかない
わけわからん~


「イギリス紳士のトレードマーク」が「山高帽とコウモリ傘」だったのは、もう昔のことでは
ないかなあとも思うが、おいといて。

http://ja.wikipedia.org/wiki/山高帽
>元々は乗馬用の帽子であるが、上流階級が被るシルクハットと労働者階級が被るフェ
>ルト製ソフトハットの中間的な帽子として街中で被る人達が増え始め、19世紀末にイギ
>リスで人気がピークに達した。その後、チャーリー・チャップリン等の映画の登場人物や
>多数の著名人に愛用されたこともあり世界中に普及したが、イギリスでは1960年頃に
>は廃れてしまった。現在は、世界中で伝統を重んじる保守層や新たな若者層などに支
>持されている。


http://okwave.jp/qa/q5471831.html
>もう、いまから20年ほども前のことになりますが、はじめてロンドンを観光で訪れた時の
>ことでした。地図を片手にベーカーストリートに向かったのは、もちろんあのシャーロッ
>ク・ホームズ氏のオフィスを表敬訪問?する目的があったからでした。
>ところがベーカーストリートは思ったよりも広く長い通りですし、ただ見渡しただけでは目
>的の場所が見つかりません。と、前方から近寄ってくるひとりの紳士、まさに黒い三つ
>揃えのスーツに山高帽に、細く巻いた雨傘の、絵に描いたようなイギリス紳士でした。


漫画には大雨の中、傘もささずににこやかに歩く英国紳士の絵が描かれているのだが、
イギリスとかヨーロッパの人が傘をささないで歩き回ることが多いのは、日本と比べたら
雨が小降りであることが多いせい (もある) という話ではなかったっけ。

http://london101.blog25.fc2.com/?mode=m&no=10
>現代ではさすがに山高帽を普段から被っている人はいませんが、傘は紳士でなくても
>必須です。
>よく「イギリスには一日に四季がある」と言われまして、朝カラッと晴れていても、いき
>なり寒くなって雨が降り出すなんていうのは日常茶飯事です。ですので外出には傘は
>必携。
>ちょっとの小降りぐらいでは傘を差さないイギリス人は多いのですが、私は雨にあたっ
>て風邪を引くパターンが多いので傘は必ず持ち歩きます。


http://wamkam.web.infoseek.co.jp/London.htm
>「イギリス紳士は傘を細くしぼって携行し、雨が降ってもなかなかささない」という話を
>昔聴いたことがありました。山高帽に傘といういでたちの昔ながらの「イギリス紳士」が
>歩いているのを見かけることはなくなりましたが、ロンドンのしぐれのような雨では、いち
>いち傘を開かなくてもたいして濡れることはなく、このような作法にも納得します。


それと、昔のイギリスでは、傘は女性が日傘としてさすものと思われていたが、ある人が
変人扱いされても気にすることなく、雨の日に傘をさし続けていたら、それが段々と受け入
れられて――というエピソードも聞いた覚えがある。男性であるイギリス紳士がなかなか傘
をささないのは、その名残りもあるのかもしれないと思った。

http://ja.wikipedia.org/wiki/傘
>イギリスでは、18世紀頃に現在の構造の物が開発された。傘開発当初は、太陽から肌
>を守る為、つまり、日傘として開発され、雨の日は傘をさす習慣がなく濡れていた。ある
>1人の紳士が雨の日に傘をさし笑われたとも言われている。しかし時が経ち、その紳士
>のマネをするようになり次第に雨の日の必須アイテムとなった[6][7]。[8]
〈略〉
>6. ^ 当初、雨傘は女性の持ち物とされていたが、1750年、慈善家で旅行家であり、
> 著述家、商人でもあったジョーナス・ハンウェイが雨傘を使用したことを切っ掛けに
> 男性にも大幅に普及した。
>7. ^ 彼がペルシャを旅行中に見つけた中国製の傘が雨傘として使われていたのに
> 感激し、これを広めようと思って防水を施した傘をさしてロンドンの町を歩いたという。
> 女性の持ち物とされていた傘を、男性は雨の日には帽子で雨をよけるのが当たり前
> で雨具として男が傘を使うのはペチコートを着るのと同じことだというほど奇異に思わ
> れる時代にその大胆さは変人扱いをされたとされる。ところがジョナスが約30年間も
> 手に持ち歩き雨傘として使い続けたことで、イギリスの男たちの目にも次第に傘が見
> 慣れたものとなっていったという


http://sj.shueisha.co.jp/contents/saruto/conoscenza.swf
>傘は本来権威の象徴であり、身分の高い者がお付きの者にさしかけて貰う物であっ
>た。故に、貴族が 傘を持ち歩くのは、馬車もお付きも持っていないと見られ、男を下げ
>る結果となった訳だ。
>ヨーロッパで傘を最初に雨よけに使ったのは18世紀のイギリス人ジョナス・ハンウエー
>である。
>当時は傘と言えば女性用の日傘の事で、雨の日に傘をさしてロンドンを歩くハンウエー
>の姿はかなり奇異に見られたという。しかし、細く上品に巻ける傘が発明されると、雨よ
>けにもなるステッキとしてイギリス紳士の間に流行した。とは言え、ヨーロッパは湿気が
>少なく雨も早く乾くため、大抵の雨は帽子やパーカーで済ませてしまう。


http://wonderlanduk.blog47.fc2.com/blog-entry-256.html
>「イギリスの人は雨が降っても傘をささない。」
>*****
>30年以上経った今、一年間イギリスに住んでみて、
>「三つとも変わっていない。」
>三つ目の「傘」については、「ささない。」と断言することは間違いだと思いますが、
>「そんじょそこらのことでは、傘をささない。雨なんか気にしない。」
>ということは言えると思います。


さて、イギリス紳士はあまり傘をささないというのまではよいとして。唐沢俊一はその理由
を「傘は専門の巻き師がかっこよく巻くので…」「また巻き師に巻いてもらうまで持ち歩け
ないから!」と説明する。

好意的に解釈すればお洒落に一生懸命なイギリス紳士――ということになるかもしれない
が、専門の巻き師に依頼する手間や費用をいちいち惜しむのは貧乏くさい気がするし、
漫画に描かれたようにずぶ濡れになっても我慢するくらいなら、「雨よけにもなるステッキ」
としての用を足さないのだから、傘ではなく普通のステッキを持ち歩けばよいような気も
する。

そもそも唐沢俊一のいうような「専門の巻き師」がいたかどうかもはっきりしない。以下の
ブログの記述はあったが、この日付けは 2010 年で、『唐沢俊一の雑学王』 (2007 年) が
元ネタではないかと思われるし。

http://guud.exblog.jp/12288561/
>2010年 03月 11日
〈略〉
>ちなみに細く細く傘を巻くことが美学のイギリスには「傘の巻き師」なる人がいるそうです。



追記: コメント欄の指摘によれば理科年表の古いものでは760mmになっているとのこと
なのだが、考えた末、www.london.gov.uk の値を採用することにし、「×760ミリ」のまま
「○700ミリ」に変更してみた。

追記 2: これもコメント欄の指摘からだけど、改めて捜したら、「アンブレラローラー」と
呼ばれている「専門の巻き師」について話しているページがいくつか見つかった。

http://www.echirashi.com/column/column.cgi?view=306
>傘を持っていても、あえて差さないのも英国流、これも英国紳士のダンディズムなのか
>も知れない。1868年、ロンドンの金融街シティにトーマス・フォックスにより「フォックス・
>アンブレラ社」が設立された。
〈略〉
>昔、ロンドンにはアンブレラローラーという職業まであったという。自慢の傘をきりりと
>細く巻くには技術が必要で、チップを払ってまでローラーに細く巻いて貰う。その傘を
>振って辻馬車やタクシーを止める紳士の所作、ハンドルを腕に掛けて歩くオシャレ、
>パブなどで心持ち傘に寄りかかった姿勢で飲む姿の格好良さ、そしてステッキとして
>使うには、やはり細巻きの方が見栄えがいい。因って、英国紳士にとって雨を凌ぐため
>の機能は、傘としての機能の何分の一しか無いのである。


実は、唐沢俊一の本に描かれている漫画では、英国紳士の手にしている傘は、日本で
普通に街中で見られる傘と同じような形でしかない。上でいう「フォックス・アンブレラ社」
の傘の写真を見ると、本当に細身で、ステッキとみまごうシルエットなのだが、K子の
漫画では、そこら辺が全然表現されていなかった……。

- http://edwardism3.blogspot.com/2010/11/fox.html (写真)
- http://204.202.11.113/htmls/foxumbrellas.html (写真)

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2011.05.06 (Fri)

少しホラーな原子力関連ネタ?

裏モノ日記 2008年 04月 11日(金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20080411111906.html

DVDで『リトルショップ・オブ・ホラーズ』。フランク・オズ版。
CG時代直前とはいえ、自在に動き回る触手などには、
かなりアニメーション合成が使われていると公開時に思って
いたが、メイキング映像を見ると、ライル・コンウェイが
原子力研究所(AEI)に開発を依頼して、実際にあそこまで
手動で動かすことの出来る仕掛けのツタを制作したと聞いた
ときには仰天したものである。
この動きを見ると、SFX映画というのはCGの出現で
堕落したとしか思えない。


×原子力研究所(AEI)に開発を依頼 ○英国原子力公社(UKAEA)の技術的助言を得て

「自在に動き回る触手などには、かなりアニメーション合成が使われていると公開時に
思っていたが」と唐沢俊一は書いているが、動画を見る限りでは、「アニメーション合成」
と見まごうような映像とは思えないんだけど……。立体感、質感、影の感じなどが。

- http://www.youtube.com/watch?v=bLO7IxKwruc
- http://www.youtube.com/watch?v=BGRN39oifsE

唐沢俊一と同じように、『リトルショップ・オブ・ホラーズ』のオードリー II (Audrey II、下の
引用でいう「血を吸う宇宙植物」) の動きはアニメーション合成かと思っていた??と感想
を語っている人も自分には見つけられなかった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/リトル・ショップ・オブ・ホラーズ_(1986年の映画)
>みなしごのさえないシーモアは、マシュニク店長に拾われ育てられて以来、恋人の歯
>医者の暴力から逃れられないオードリーといっしょに花屋で働いている。そのシーモア
>が、ある日、中華街で奇妙な植物の鉢を買ってきた。それを店先に飾ったところ、客が
>興味をひかれて押しかけてきた。店長は、その植物を絶対に枯らすな、と命じるが、し
>かしその植物は、シーモアの血を吸う宇宙植物だった。


で、まさかとは思いつつ、唐沢俊一はアニマトロニクスというのをどこかで聞いたことが
あって、それとアニメーション合成を混同していたのでは……といってみるテスト。

http://ja.wikipedia.org/wiki/アニマトロニクス
>アニマトロニクス(animatronics)はSFXの一種で、生物のロボットを使って撮影する技
>術。「アニメーション(動作)」と「エレクトロニクス(電子工学)」を組み合わせた造語と
>される。
>コンピュータによって制御されたロボットを人工の皮膚で覆い、リアルで滑らかな動き
>のある生物を演出する。飼いならすのが難しい動物や恐竜、空想の生物などを造形し、
>骨格や筋肉、顔の表情などを機械で表現する。技術自体は古く、形態の問題で着ぐる
>みでは(人間では)表現できない生物や俳優との共演が重要となる場合に使用されて
>きた。


http://blogs.dion.ne.jp/dohige/archives/5081810.html
>そんなSFXの展示なので特殊メイク、と言うかアニマトロニクスの展示なんですけど、特
>殊メイクが生きた人間の顔に施す立体的なメーキャップや人に被せるマスク等の範囲を
>指すとして、そんな人間+メイクでは表現出来ない表情や全身可動のキャラクターを必
>要とする時に作り起こした物と言うんでしょうか、
〈略〉
>展示品中一番制作年代の古い「オードリー2」
>だから表面のリアリティの表現がそれ程エキセントリックじゃない「オードリー2」
>なので知らない人から見たら微妙に見劣りしてるかも知れない「オードリー2」
>今度の展示品の中で多くの客達からすれば場違いに認知度が低い「オードリー2」
>まだ見た事の無い者のなら、その神懸かった動きを見れば襟を正すだろう。
>製作者のライル・コンウェイがすごいのか演者のライル・コンウェイがすごいのか、
>CGでバレ消しも安易に叶わぬ遥か過ぎし栄光の黄金時代
>その縦横に暴れる蔦とわななく唇はフィルムの上で永久に怪物からくり芝居の頂点を
>刻むだろう、
>たぶんライル・コンウェイが凄い奴なんだろう。



で、本題。昔の2ちゃんねるのスレで話題になっていた「原子力研究所(AEI)に開発を依頼」
の件について (Read More 参照)。

「原子力研究所」を Google 翻訳にかけると「Nuclear research plant」だけど、日本原子
力研究所の英語名が Japan Atomic Energy Research Institute で、クルチャトフ原子力
研究所が Kurchatov Atomic Energy Institute だから、「原子力研究所(AEI)」までは
一応ありとして。

http://translate.google.co.jp/translate_t?rls=en&oe=UTF-8&q=原子力+研究+所#
>日本語から英語に翻訳
>Nuclear research plant


http://ejje.weblio.jp/content/日本原子力研究所
>日本原子力研究所
>読み方:にほんげんしりょくけんきゅうじょ
>(名詞) Japan Atomic Energy Research Institute; JAERI


http://www.3r-net.com/info/words.cgi?mode=list&key=K
>[原文表記]:Kurchatov Atomic Energy Institute
>[日本語]:クルチャトフ原子力研究所


で、「"little shop of horrors" "Atomic Energy"」で捜すと、以下のページが見つかった。

http://issuu.com/vinnierattolle/docs/little_shop_of_horrors_1986_press_kit
> Conway next turned to the Atomic Energy Authority at Harwell, England, for
> technical advice on creating a core which would support ... and control ... the
> creature. "The scientists there saw it as a game, a pleasant break from their
> top-security work. They were immensely helpful," he says. "


上でいう「Conway」は、1986 年の映画『Little Shop of Horrors』で、Audrey II のデザイン
を担当したライル・コンウェイ (Lyle Conway) のこと。

http://www.imdb.com/name/nm0176732/
> Little Shop of Horrors (creator: "Audrey II")

http://muppet.wikia.com/wiki/Little_Shop_of_Horrors
> Lyle Conway designed Audrey II for the film (based on Marty Robinson's theatrical
> designs), with Sherry Amott as head of fabrication, and Neal Scanlan and Dave
> Elsey also contributed.


そのライル・コンウェイが技術的支援を受けたのが「Atomic Energy Authority at Harwell,
England,」とすると、これは唐沢俊一のいう「原子力研究所(AEI)」ではなく、英国原子力
公社 (UKAEA: United Kingdom Atomic Energy Authority) のことと考えてよいだろう。
England の Harwell で、Atomic Energy Authority で――とくると、他に該当しそうなものが
見あたらないため。

http://www.uk-atomic-energy.org.uk/
> Welcome to the United Kingdom Atomic Energy Authority (the Authority) website.

http://kotobank.jp/word/UKAEA
>ユー‐ケー‐エー‐イー‐エー  【UKAEA】
> 《 United Kingdom Atomic Energy Authority 》英国原子力公社。放射性物質除去や
>核融合研究を行う。1954年設立。本部はイギリスのハーウェル。


まあ本当は『Little Shop of Horrors』のメイキングの方も確認しておくべきなんだけど、
自分では英語のヒアリングが苦手なので……。得意な人は、下記のリンクで確かめて
みてください。(←おい)

- http://www.youtube.com/watch?v=MnDO5y6KigY
- http://www.youtube.com/watch?v=KxqRH3uo2WQ


おまけ:

http://www.cinefex.com/backissues/issue30.html (自動翻訳)
> Enlisted by director Frank Oz to design and create a believable plant character
> that could hold its own in a multimillion dollar musical comedy, Conway and a
> crew of forty animatronics specialists rose to the challenge by producing six
> fully-articulated versions of Audrey II ranging in size from four-and-a-half inches
> to twelve-and-a-half feet ? and then taught the largest three how to speak and
> sing.


http://forums.ilmfan.com/viewtopic.php?f=1&t=1703&start=0 (自動翻訳)
> Conway use to have a HUGE crew on those mindblowing projects of the 80s
> (up to SIXTY puppeteers operated Audrey II at some points simultaneously!!)
> with relatively simple techniques- times have changed now and generally you
> won't see puppet jobs that crewed out as you know- it's no wonder that the
> practical stuff on this fell apart, especially as Conway was only involved in prep
> and not the whole way through.
> Conway is renowned for burning himself out as well as other people- The amount
> of torn muscle they got through on Little Shop is pretty much legendary.


http://classic-horror.com/reviews/little_shop_of_horrors_1986 (自動翻訳)
> The puppet for Audrey II (or puppets, to be precise, as there were several) is a
> marvel to behold and its movement is for the most part effective and real -- one
> is almost never removed from the reality of the story. This is made more amazing
> by the fact that Audrey II had to be shot at 12-16 frames per second, so actors
> that shared a shot with it were often forced to lip synch in slow motion.


http://dvd.ign.com/articles/037/037183p1.html (自動翻訳)
> The creature herself, Audrey II, looks pretty funky for a prop that is over a ton
> heavy. 〈略〉 The final product took over 40 puppeteers, and before she was
> finished propmaster Lyle Conway had hand-made 15,000 leaves, 2,000 feet of vine,
> used several hundred gallons of KY jelly, and 11 miles of cable.


追記: コメント欄の指摘を受けて、確かに Institute といっているように聞こえるし、
固有名詞ではなく普通名詞としての「 原子力研究所(AEI)」はアリかと思えてきたので、
「×原子力研究所(AEI)に開発を依頼 ○英国原子力公社(UKAEA)の技術的助言を得て」
に抹消線を入れてカテゴリを変更。

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2011.04.17 (Sun)

大きくしたんじゃなくて増やしたそうです<味の素の瓶の穴

http://www.tobunken.com/diary/diary20110411140040.html

11日
月曜日
古い映画をみませんか・16 『ガンパー課長』

東宝映画『ガンパー課長』(青柳信雄監督・1961)
〈略〉
日本中がガンに浮かれていたのである。
ガンパーのCM(オリジナルのアニメなども出てくるのは後の
キンチョールの先駆けである)で、インディアンに扮した子供たちを
ハエに見立て、ガンマンがシューッとひと吹きでやっつける、
現代の目から見ると苦笑してしまうシーンがあるが、
時代の勢いだったんだなあ、と思う。

「ピストル型の噴霧器にすれば子供たちが遊びに使って、必要以上に
殺虫剤を消費しますからね」
と、ガンパーを開発した営業部長・北原(藤木悠)は得意げに言う
のである。消費は美徳(1959年の流行語)、必要以上に殺虫剤を
使わせてしまうのも高度経済成長のためには当然許される行為なのだった。
“味の素のフタの穴を大きくした”のがアイデア成功談として語られる
ようになった(都市伝説であるらしいが)のはこの時代からだろう。


あるあるシックスティーン」で指摘させてもらった、「古い映画をみませんか・16」が
複数存在する件については……すぐ直すと思っていたんだけど、4 月 13 日の時点で
「古い映画をみませんか・17」が登場し、どうもこのまま「古い映画をみませんか・16」
が 2 つ存在し続けることになりそう。

http://www.tobunken.com/diary/diary201104.html
>13日 水曜日 古い映画をみませんか・17 『七変化狸御殿』
>11日 月曜日 古い映画をみませんか・16 『ガンパー課長』
>01日 金曜日 古い映画を見ませんか・16 『野獣都市』

http://megalodon.jp/2011-0417-2111-37/www.tobunken.com/diary/diary201104.html

で、今回は、ガセというより派生ネタを。

「オリジナルのアニメなども出てくるのは後のキンチョールの先駆けである」とは何のこと
だろうと思ってググったら、どうもこれ↓のことだったらしい。

http://www8.ncv.ne.jp/~qvarie/cmh/natska60.html
>★大日本除虫菊 / キンチョール(1968)
>●名称不明(桜井センリ)
>西部のガンマンで、早撃ちならぬ“早殺虫”。
>手に持ったキンチョールで悪人を倒す。
>▼悪人(不明)
>数人存在。キンチョールに撃たれた直後にハエ(アニメ)に変わる。


http://www.youtube.com/watch?v=13n4xtDBZcE
>1968年 キンチョールCM

ああ、これなら覚えがあるぞ、と。「現代の目から見ると苦笑してしまう」、「時代の勢い」
という感じではないなあ。

「インディアンに扮した子供たちをハエに見立て」たり、「ガンパーを吹き付けられた原住民
が卒倒」したりするなら、確かに今の目で見るとまずそうだけど、どちらが正しいのかは
不明。この映画、DVD も発売されていないようだし。

http://plaza.rakuten.co.jp/romang/diary/200510220000/
>ガンパーを吹き付けられた原住民が卒倒する劇中CMが、かなりヤバイ。


「“味の素のフタの穴を大きくした”のがアイデア成功談として語られるようになった(都市
伝説であるらしいが)」という唐沢俊一の書き方は、少々誤解を招きそうな表現かも。

「売上(消費)促進の為に」というのは都市伝説として、「“味の素のフタの穴を大きくした”」
ではなく、「従来の“卓上瓶”に比べて口の面積を広くし、穴の数を増やし」たということな
らば、そのこと自体は味の素社も公式に認めている事実ではある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/味の素
>企業における柔軟な発想の転換の重要性を表す例として「味の素は売上(消費)促進
>の為に瓶の蓋の穴を大きくした」、と語られることがあるが、公式には否定されている
>[15]。


http://okyakusama.ajinomoto.co.jp/qa/ajinomoto/11.html
>Q 昔、販売量を増やすために「味の素®」の瓶の穴を大きくしたと聞きました。
>本当ですか?

>A そのようなことはありません。当社は、昭和26年に食卓用「味の素®」“卓上瓶”を
>発売しました。家庭に普及するに従い、食卓での使用以外に、台所で調理にも使われ
>るようになりましたので、お客様の使い方に合わせて昭和37年に「味の素®」“調理
>瓶”を開発・発売しました。その際、調理に使い勝手が良く、湯気による目詰まりを
>防ぐために、従来の“卓上瓶”に比べて口の面積を広くし、穴の数を増やしました。
>このことが、おもしろおかしく伝えられたものだと思われます。


子どものころに読んだ雑学マンガには、味の素の瓶の穴を大きくするか増やすかしたら、
売り上げが伸びたとか描かれていた記憶がある。販売数を増やすためではなかったに
しても、実際に売り上げがよくなったのかどうか。

それまでの容器より目詰まりが発生しにくくなったのなら実際に使用量も増えるだろうし、
増えもしないのに味の素の瓶の穴の話が売り上げと関連して出てくるのも不自然だと
思って探してみたのだけれど、都合よく年間消費量の表やグラフを見つけることもできな
かったのでやや挫折……。

ただ、味の素社の資料によると、売上高が拡大したのは 1966 年頃からのことだそうで、
「口の面積を広くし、穴の数を増やし」た「味の素®」“調理瓶”の登場した 1962 年よりも
4 年も後のこととなる。穴と売り上げとは直接の因果関係はなく、下でいう「大量陳列と
大量販売、マスメディアを通じた広告宣伝活動」が都市伝説を生んだと考えるのが妥当
かもしれない。

http://www.ajinomoto.co.jp/company/history/pdf/his06_2.pdf
> まず、「味の素」は、時折停滞や減少を伴いながらも、全体を通して見れば、増加傾
>向を示した。この時期のMSG需要は、加工食品の普及や調理習慣など食生活の変化
>に対応して、急速に増大した。しかし、その一方で、協和発酵社、旭化成工業社、味の
>素社がMSGの量産体制を整え、供給能力を飛躍的に拡大させたため、MSG市場は供
>給過剰傾向を示した。味の素社は、こうした情勢に対して相次ぐ値下げを行った(表6
>-9)。この値下げ競争は、1962年4月の物品税の廃止に伴う値下げを契機に、ますま
>す激しくなった。
> そのため、味の素社は、値下げだけではなく、品質の改善や積極的な販売促進活動
>によってこの情勢に対処していった。販売促進活動は、激しい競争のなかで「味の素」
>のブランドイメージを消費者に強く印象づけながら、「味の素」の消費量を拡大する方向
>で続けられた。具体的には、スーパーや小売店における大量陳列と大量販売、マスメ
>ディアを通じた広告宣伝活動、業務用大口需要家へのテクニカルサービスなどが行わ
>れた。
> この結果、「味の素」の売上高は、1966年から再び高い増加傾向を示すようになっ
>た。この売上高の拡大は、家庭用、業務用双方の伸びによるものであったが、とくに業
>務用の伸びは著しく、国内における「味の素」販売量に占める業務用「味の素」の割合
>は、1964年の39%から1968年の47%にまで上昇した。



ついでに。「『ガンパー』とは、拳銃バカの意」なのか、「ガンッとぶっ放すと、害虫がパ~
とやられる」からガンパーなのか、あるいは両方とも正しいのか。w

http://mizurinx.jugem.jp/?eid=2
>ガンマニアの藤木は、ピストル型の噴霧器を提案。
>これを気に入った社長は、さっそく「ガンパー」と名付け商品化。
>(ここで「ガンパー」とは、拳銃バカの意だと判明)
>過激なCMの効果もあって、「ガンパー」はバカ売れ。


http://www.e-asakusa.net/sensohji.html
> 東宝にはこの他にも『ガンパー課長(1961)』なん ていう、意味不明の役職モノがある
>が(藤木悠主演)、 こちらはピストル型の殺虫剤を売るお話。ガンッとぶっ 放すと、害虫
>がパ~とやられるという、アホみたいな 商品。『ガンパー、ガンパー、ガンパー』と歌う
>CM ソングまで登場するところがおかしい。


その他参考 URL:
- http://miwako-f.web.infoseek.co.jp/actress/roko-ganpaa.htm
- http://movie.goo.ne.jp/movies/p20472/story.html

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2011.03.22 (Tue)

「伝説と事実があるなら、伝説を事実にする」のが朝日新聞記者というわけではないだろうけど

朝日の書評より。

http://book.asahi.com/review/TKY200806100131.html

鉄腕ゲッツ行状記―ある盗賊騎士の回想録 [著]ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン
[掲載]2008年6月8日 [評者]唐沢俊一(作家)

■事実は伝説より奇だった英雄像

 「ここは西部だ。伝説と事実があるなら、伝説を事実にする」とは映画
「リバティ・バランスを射った男」の中の名セリフだが、西部でなくとも往々
にして伝説は事実以上に事実として流布していく。

 文豪ゲーテは1773年、戯曲『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』を書き、
その300年ほど前に実在した鉄の義手をつけた一人の騎士を、悪徳
領主たちから農民を解放するために戦う自由のヒーローとして描いて
熱狂的な支持を得た。主人公のゲッツはいまだにドイツでは国民的英雄
としてたたえられている。

 本書は、そのゲーテが創作のネタ本にしたゲッツ自身の自伝の初訳で
あるが、読んでみると、やはり伝説と事実の間にはかなりの違いがある。
彼が主に金を稼いでいたのはフェーデという、いいがかりをつけて決闘を
申し込み相手からわび代を取るというもので、なんのことはないユスリ稼業
である。なによりゲッツはゲーテの戯曲のように英雄的な死を遂げたりせず、
傭兵(ようへい)やフェーデでためた金で、安楽な老後を送り長寿を保った。

 しかし、読み進んでいくうちに、この悪漢騎士が作られた英雄像よりずっと
人間的に思えてきて、憎めなくなっていくのが面白い。当時としては驚異的
に精巧な、その義手のカッコよさも必見である。


「『リバティ・バランスを射った男』の中の名セリフ」について語っているものには、たとえば
以下のブログのようなものがある。

http://bokuen.net/archives/651
> 消費しやすく、わかりやすく、心地よく、都合のいい情報はうそだろうがなんだろうが
>広まる。受け手の多くがそういう情報を求めるからでもあるし、送り手の多くがそういう
>情報を発信したがるからでもある。科学的な「事実」や、人の数だけ存在する歴史的な
>「事実」をきちんと調べるのはたいへんだけど、断片的な情報からおもしろおかしい「伝
>説」をつくるのは技術さえあればむずかしいことではない。
> いまにはじまったことじゃないですが、最近はこんなことをぼんやり考えております。
>なんとなく、ジョン・フォード監督の傑作映画『リバティ・バランスを射った男』のセリフを
>思い出します。二種類に翻訳してみます。

>This is the west. When the legend becomes fact, print the legend.
>(通釈)ここは西部です。検証のすえに伝説のうそが消えて、事実がわかったとしても、
>新聞の記事になるのは伝説の方です。
>(台詞調)事実より伝説の方が面白いなら伝説を残す。それが西部のやり方です。

> この「西部」のところはいろいろ替えられますね。たとえば「オタク業界」とか「トリビア」
>とか「ブログ」とか。


映画の中での元のセリフは、以下の通りらしい。

http://www.imdb.com/title/tt0056217/quotes
> Memorable quotes for
> Ribati baransu wo utta otoko (1962) More at IMDbPro »
> The Man Who Shot Liberty Valance (original title)
> Ransom Stoddard: You're not going to use the story, Mr. Scott?
> Maxwell Scott: No, sir. This is the West, sir. When the legend becomes fact, print
> the legend.


これは翻訳にもバリエーションがいろいろありそうだなと思い、まず「"ここは西部だ。伝説
と事実があるなら、伝説を事実にする"」と二重引用符つきでググってみたら、ヒットする
のは唐沢俊一の文章の他に数個ほど。元は和田誠の訳ということなのだろうか。

http://plaza.rakuten.co.jp/footonthemoon/7002
>ここでは特に映画の中の名ゼリフを集めてみました。ほとんどが、和田誠が書いた
>「お楽しみはこれからだ」シリーズからの引用です。
〈略〉
>「ここは西部だ。伝説と事実があるなら、伝説を事実にするのだ」
>(『リバティ・フランスを射った男』)


他のサイトでは、どのようにこの映画のセリフを紹介しているかというと、例えば以下のよう
な感じ。

http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/THE%20MAN%20WHO%20SHOT%20LIBERTY%20VALANCE.htm
>長い思い出話を語り終えたランスは記者に言った。「記事にするかね?」  記者は答え
>た。「記事にはしませんよ。西部では、伝説が事実となるのです」


http://spacecowboys33.blog130.fc2.com/blog-entry-112.html
>ところで、ウェインのリバティバランスを撃った男って知ってる?
>ジミースチュワート扮する西部の英雄について取材した記者が偶像破壊的な真実を
>聞いた時(ここは西部です。事実と伝説があるなら、伝説を取ります)と言いメモを破り
>捨てるんだけど、掛布の話でちょっと思い出してしまいました。


ええと、つまり唐沢俊一は「ここは西部だ。伝説と事実があるなら、伝説を事実にする」、
「伝説は事実以上に事実として流布していく」としか書いていないからわかりにくいけど、
要はせっかく本人から事実を聞いた新聞記者が、いや伝説の方を事実としましょうといって
真実を隠蔽するのを選んだという話といえなくもない。これがよりによって (?) 朝日新聞に
掲載された文章だったというのが、ちょっと面白いと思った。

しかし新聞記者が事実より伝説をとった――しかもそれ自体はフィクション中のエピソード――
という話は、ゲーテが実在の歴史的な人物をモデルに書いた戯曲『ゲッツ・フォン・ベルリヒ
ンゲン』と、当のゲッツの回想録に書かれていることとはだいぶ違うと語るにあたっての、
前振りとしては、ちょっとどうかと思うのだが。肝心の『鉄腕ゲッツ行状記―ある盗賊騎士の
回想録』の方が、伝説と比較して捨てられるべき事実ということにもなりかねないのだし。


で、唐沢俊一によると、「彼が主に金を稼いでいたのはフェーデという、いいがかりをつけて
決闘を申し込み相手からわび代を取るというもので、なんのことはないユスリ稼業である」
という話になるのだが、これは他の資料に書かれている話とはずいいぶん印象が異なり、
当の『鉄腕ゲッツ行状記―ある盗賊騎士の回想録』の内容紹介の文章とも食い違うという
のが何とも……。

http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4560026297/
>義の騎馬武者か、盗賊騎士か?

> 舞台は16世紀前半の神聖ローマ帝国。ドイツの地にもルネサンスが開花し、宗教戦争
>の嵐が吹き荒れていた。この大転換期にあって、中世以来の騎士の特権を振りかざし
>て暴れ回った男がいた。われらが主人公ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンだ。
> 子供時代からの暴れ者で、さる辺境伯の小姓として数々の戦闘に参加、皇帝マクシミ
>リアンからは直々に声をかけられている。20代半ば、1504年のバイエルン継承戦争で
>右腕を失うが、精巧な鉄の義手を得るや自由に剣をあやつり、「鉄腕ゲッツ」の異名を帝
>国中に轟かせる。(ちなみにこの義手は現存。手首や指の関節は自由に曲げることがで
>き、スイッチによりバネで元に戻るというスグレ物。)
> 本書の魅力は、滅びゆく騎士階級とその時代の実像を余さず伝えていることだ。ゲッ
>ツは君主に仕える道を選ばず、あくまでも独立の騎士として生きようとする。そのために
>フェーデという「自力救済手段」、ありていに言えば私闘や強奪をくり返す。繁栄する都
>市や貴族・司教に正義を振りかざしつつ難癖をつけ、金品を奪ったり身代金を巻き上げ
>たりするのだ。
> 五年にわたる二度の投獄と武闘の日々を経た晩年に書かれたこの自叙伝では、ドイ
>ツ農民戦争での農民側隊長としての体験や、決闘・襲撃の一部始終が実にいきいきと
>語られており、文化史の一級資料であるばかりか興趣つきぬ読物となっている。前代未
>聞・痛快無比の一冊!


http://ja.wikipedia.org/wiki/ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン
>ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン(独: Götz von Berlichingen, 1480年 - 1562年7月23日)
>は、中世ドイツの騎士。戦争で片腕を無くすが鋼鉄の義手を付けて戦い続けたことから
>「鉄腕ゲッツ」の異名を誇った。
>史実の人物としてよりもヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテが24歳の時に書いた戯曲
>「鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」の登場人物として有名になる。ゲーテの作品
>ではかなり美化されて英雄として描かれているが、史実ではフェーデを悪用して決闘と
>称した強盗、恐喝、追いはぎを繰り返して財産を築き盗賊騎士と揶揄されたほどで、血
>の気が多く戦いには首をつっこまずには居られない性分だったという。最期は軟禁生活
>からの開放の条件としてフェーデを行わないという誓約書を書かされた。


http://ja.wikipedia.org/wiki/フェーデ
>中世初期においてはフェーデは一種の決闘であり、決まった場所・決まった時間に全く
>武力に頼って決着された。フェーデを行なう時は場所・日時をしかるべき形式の果たし状
>として公開し、無関係の者が巻き込まれるのを防がなければならなかった。
>10世紀頃にはフェーデは広汎に行われるようになったが、徐々に身代金や掠奪を目的
>としてつまらない言いがかりをつけてフェーデをおこなうことも増えたので、これを規制し
>ようとする動きが現れた。
〈略〉
>完全禁止になった理由の主なものとして、制度末期に合法的に営利誘拐を行い身代金
>を要求する手段として悪用されたことが挙げられる。本来であれば事前に送らなければ
>ならない決闘状も、とりあえず襲っておいて人質が取れてから決闘状を送って身代金を
>要求することが常態化していた。このため貴重品輸送の一団は大規模な警備部隊の随
>伴を必要とするようになり、襲う側も最低でも数十人規模、多いときには300人を超える
>軍事組織の集団にまで膨れあがった。 制度を悪用して営利誘拐を繰り返した人物に
>ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンなどが居る。


唐沢俊一のいうような、「いいがかりをつけて決闘を申し込み相手からわび代を取る」に、
「なんのことはないユスリ稼業」とかいう可愛らしいもの (と書いて悪ければ、しょぼいもの)
ではすまないような気がしてたまらないのだか……。

Wikipedia によれば、「決闘と称した強盗、恐喝、追いはぎを繰り返して財産を築き盗賊騎
士と揶揄された」り、「制度を悪用して営利誘拐を繰り返した人物」として有名だったりした
そうだし、本の内容紹介の方にも、「私闘や強奪をくり返す」、「金品を奪ったり身代金を
巻き上げたり」と書かれているのだ。

その他参考 URL:
- http://ja.wikipedia.org/wiki/ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン_(ゲーテ)
- http://www.geocities.jp/kg_tazipie/Ritter/berlich.html

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2011.03.20 (Sun)

イロハの「イ」の字は

日テレ『半径3mの解体新書』

『諸説あります』の鐘の音」の続きのようなものだけど、今回は間違い探し編ではなくて、
派生トリビアとして。

前回同様、「唐沢俊一検証blog」の「『映画秘宝』&『半径3mの解体新書』について。
からの引用で。

http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20110319/1300529688
>・「世界で初めてブラウン管に映し出された文字はカタカナの“イ”」というネタの時に、
> 「あれはイロハの“イ”です」と発言。


2ちゃんねるのスレへの書き込み (前エントリーRead More 参照) には「誰でも知ってる
よ、その手の番組で散々使われた雑学」と書き込まれていたが、正直いって、その批判は
どうなのかなと思った。「世界で初めてブラウン管に映し出された文字はカタカの“イ”」と
いうネタ本体の方ならともかく、唐沢俊一がしゃべったのは、「あれはイロハの“イ”です」、
ただそれだけみたいなので。

もしも「カタカナの“イ”」というのが実は「イロハの“イ”」ではなかった――という話ならば、
説明をつけ加えるのも充分ありだと思えるが、「あれはイロハの“イ”です」ならば、それは
もう「その手の番組で散々使われた雑学」以前の話で、常識的に考えて当たり前のことを
あえて話して何をどうしたかったのかと不思議に思っていた。

しかし、これについては、以下の引用のリンク先を見て、謎がとけたような気がした。
唐沢俊一は、「なんで『ア』じゃなくて『イ』なのかというと、イロハの1番目の文字だから」
といいたかったのかもしれない。

http://blog.timestage.net/?eid=1330293
>さて、昭和元年の今日12月25日、世界で初めてテレビのブラウン管に映像が映りまし
>た。浜松高等工業学校(現=静岡大学工学部)の助教授であった高柳健次郎が研究の
>末、世界で初めてブラウン管による受像を成功させたのです。
>世界最古のテレビ局であるイギリスのBBCがテレビ放送を開始させる10年前の出来事
>でした。その時にテレビに映った映像は、カタカナの「イ」。なんで「ア」じゃなくて「イ」な
>のかというと、イロハの1番目の文字だから。この受像機は今でもNHKの放送博物館で
>再現されています。


または、「何故、【イ】であったのでしょうか?」という類いの疑問にこたえるため、とか。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1023266465
>日本で始めてテレビに映し出された画像は片仮名の【イ】ですが
>何故、【イ】であったのでしょうか?
>御教示頂けましたら幸いです(*^-^*)

>イロハの「イ」です。
>高柳健次郎氏の実験です。
>世界で初めてCRT(ブラウン管)に描かれた物です。
>このTV画像は現在の様に左上から右上にスイープするのでは無く
>右上から右下へ、縦に字を書くようにスイープしてました。
>ついで、フジTVだったか画面に「ロ」という字を映していました。
> 「口(くち)ちゃ、何か」と言う問い合わせが多かったそうです。
>もちろんイロハのロです。


ちなみに、高柳健次郎がブラウン管に「イ」の文字を映し出す実験に成功したのが 1925
年 (昭和元年) のこと。その頃には五十音が一般に馴染みのあるものとなっていたので、
実験に「ア」の文字が使用されるという選択肢もあったかもしれない。また、 画面に「ロ」と
いう字を映していたというのは、フジテレビの番組だったらしい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/五十音
>五十音の考え方が普及した後における、かな学習歌の代表的なものとして挙げられる
>のが、北原白秋によって執筆された詩歌(4・4・5型定型詩)『五十音』である。一部では
>『あいうえおのうた』として紹介されることもあるが、正式なタイトルとしては『五十音』が
>正しい。
>1922年、雑誌『大観』1月号に上梓されたものを初出とし、後に作曲家・下総皖一によっ
>て曲がつけられ、学習歌(童謡)『五十音の唄』として成立した。


http://ja.wikipedia.org/wiki/ロ_(テレビ番組)
>ロ (ろ) は、1992年にフジテレビの深夜帯「JOCX-TV+ (プラス)」で放送されていた
>テレビ番組。
>当時、実験的な番組を多く放送していた同時間帯において、その極め付きとも言えそう
>な存在の番組だった。というのもこの番組の内容は、テレビ画面いっぱいに大きく片仮
>名のロの字を大きく映し、バックに雑談の音声を流すだけ、というだけだったのである。


ついでに。何かこのブラウン管に「イ」の文字って、ごく最近どこかで見かけた気がしてたま
らない――と思っていたら、Google のロゴだった件。

http://rai10mypace.blog51.fc2.com/blog-entry-110.html
>今日1月20日はテレビの父と呼ばれる高柳健次郎さんの誕生日ということで
>Googleロゴが変わっていました。
>テレビの研究・開発をしてブラウン管による電送・受像を世界で初めて成功した人物で
>最初に映し出された文字がカタカナの「イ」であったことから
>今回のロゴもテレビに映し出されるイが入っています。

(画像: http://blog-imgs-34-origin.fc2.com/r/a/i/rai10mypace/20110120193139488.png)

ついでに、その 2。日本語版 Wikipedia 的には、インターネット=2ちゃんねるなのか
という疑惑がもたれる件。

http://ja.wikipedia.org/wiki/い
>・世界で初めてテレビ(ブラウン管)に映し出された文字である。(カタカナの「イ」)
>・片仮名の「イ」は漢字の部首である人偏とほぼ同形になっている。インターネットでは、
> 「位」を「イ立」と倍角文字代わりに表記するように、「イ」が人偏に代用されることが
> ある。


その他参考 URL:
- http://abyssal.biz/archives/50750630.html
- http://shouwashi.com/nhktv/tv-front-history.html

13:55  |  その他の雑学本 派生トリビア編 (3) +  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2011.03.19 (Sat)

緊急地震速報のあの音の作曲者が天才過ぎる件

http://www.tobunken.com/news/news20110318110115.html

イベント
2011年3月18日投稿
ちょっとトリビア!
〈略〉
そんな中で、友人から聞いたちょっと「へぇ」なトリビアを紹介。

余震が続くなか、日に何度か耳にすることもあるあのNHKの
緊急地震速報のチャイムですが、
「緊急地震速報チャイムの作曲者は、伊福部昭の甥である」
http://kikaku.rcast.u-tokyo.ac.jp/modules/wordpress/index.php?m=20091102

災害地で文字通り命がけの救援に出動する自衛隊、福島原発等で
危険な作業に従事する作業員たちの姿をテレビ画面で見るたびに、
われわれ東宝昭和特撮ファンとしては頭の中にあの伊福部マーチ
が鳴り響いているわけですが、まさかあのチャイムがその伊福部
氏の甥御さんの作であったとは! ちゃんと通底していたのだな
と、ちょっと感動しました。

昭和怪獣映画がわれわれに与えてくれたイメージは、怪獣の恐ろ
しさばかりでなく、怪獣対策に向う自衛隊に対する、強い信頼感
であったと思います。今回の災害で、その信頼感が誤ったもので
はなかったと、再度、再々度ではありますが認識できて嬉しい
限りです。

まあ、ゴジラの音楽をヒントにして「人々を不安にさせないように
警戒させ、また安全に導く音を考案」というのは、かなり難しいと
思いますが……(笑)。


緊急地震速報チャイム: http://www.youtube.com/watch?v=ZkpxjZzDk7A

「伊福部昭の甥」、「あの伊福部マーチ」で今ひとつピンとこなかった自分にとっては、最初
何が何だか状態だった……。「ゴジラの音楽をヒントにして『人々を不安にさせないように
警戒させ、また安全に導く音を考案』というのは、かなり難しい」とか、いきなりいわれて
も困るというか。

これは自分に基礎教養が不足しているのに加えて、読む順番を間違えていたのも一因
のようで、まずリンクをクリックして、リンク先の文章を読んでから、唐沢俊一の文章の続き
を読めばまだマシだったと思う。逆にいえば、唐沢俊一の文章だけ読んでいると、ゴジラの
音楽を作曲したらしい伊福部昭という人がいて、その甥が緊急地震速報チャイムの作曲者
なのかな、よくわからないや、という感じで……。

http://kikaku.rcast.u-tokyo.ac.jp/modules/wordpress/index.php?m=20091102
>生誕地であるアイヌの部落で触れたアイヌ音楽、ゴジラの作曲者であるおじ様の伊福
>部昭氏の影響、研究分野である福祉工学における「聞く」「話す」そして「見る」と音の
>関係、さらには蝋管のデモンストレーションなど、先生の半生とともに語っていただきまし
>た。
>地震の際にテレビで流れる緊急地震速報が伊福部先生によるものだということ、ご存知
>ですか。それこそゴジラの音楽をヒントに、人々を不安にさせないように警戒させまた安
>全に導く音をさまざま考案して決定されたのが、少し前に流されたあの音。


で、http://tweetmeme.com/story/3224348438/rcast24 を見てみると、3 月 16 日に
緊急地震速報は「伊福部昭の甥」が作ったものだとツイートしている人がいて、それが
3 月 17 日には数十人にツイートされて広まり、3 月 18 日の 11:00 頃には唐沢俊一が
「ちょっとトリビア!」という題でサイトにアップすることになった――という流れらしい。

http://twitter.com/hotate66/status/48239385153507328
>緊急地震速報ってどこかの誰かが作ってるんだろうなー、と調べたら、東大先端研の人
>だった。伊福部昭の甥と聴いてなんか納得。
http://kikaku.rcast.u-tokyo.ac.jp/modules/wordpress/index.php?m=20091102
>8:29 PM Mar 16th webから
>25人がリツイート
>hotate66


http://twitter.com/gabin/status/48240096377438208
>え、あの音が伊福部遺伝子なの? RT @hotate66: 緊急地震速報ってどこかの誰かが
>作ってるんだろうなー、と調べたら、東大先端研の人だった。伊福部昭の甥と聴いてなん
>か納得。 http://bit.ly/gVBSOi
>8:31 PM Mar 16th Echofonから
>55人がリツイート
>gabin伊藤ガビン


ちなみに、この NHK の緊急地震速報の音は最初の揺れの直後からあれこれ話題になっ
ていて、「作曲者は天才」、「元々NHKの著作音だったものが各局の同調でスタンダード
に」、「作曲者を調べたけれど不明、フラッシュバック引き起こす音だ」等々、書き込んで
いる人たちがいた。以下は 3月 15 日以前の分を拾ってみたもの。

http://logsoku.com/thread/raicho.2ch.net/news4vip/1299871136/ID:p1PweALp0
>92 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2011/03/12(土) 05:05:00.27 ID:p1PweALp0 (10 回発言)
>つまり作曲者は天才か


http://twitter.com/hinoharu/status/46566084245078016
>緊急地震速報のチャイムは一言で言えば聞いている人を最後に裏切ることで不安を
>かき立てているんだと思う。 ソ―ド―ミ―シ♭―ミ♭。 最初の4音はC7の綺麗なコード
>なのに、最後にありえない音が出現する。 アルペッジョなのもそれを強調している。
>よく出来ている。
>5:39 AM Mar 12th Tweenから


http://twitter.com/amika32/statuses/46879324481134592
>緊急地震速報のチャイム音 http://www.nhk.or.jp/bousai/chime/index.html 元々NHK
>の著作音だったものが各局の同調でスタンダードになったのか。
>7:24 PM Mar 13th Tweenから


http://sakuranishino.blog115.fc2.com/blog-entry-457.html
>2011年03月14日 15時10分 月曜日
>個人的に思っていたのだが、緊急地震速報の警報チャイムの音が各放送局で統一じゃ
>ないみたいだったので、総務省宛てに「警報チャイムの音を統一してほしい、できれば
>多くの人に周知されていて効果の高いNHKの音にしてほしい」という内容のメールを送っ
>た。
>今日も午前中に緊急地震速報があった。見ていたのは日テレだったがあのおなじみの
>音が鳴った。(先日は鳴らなかったか、違う音だった)私と同じことを考えた人がいたのだ
>ろう。他の民放はどうなのかちょっとわからないが。


http://twitter.com/cafeavant/statuses/47617269722914817
>耳にこびりついて離れない「緊急地震速報」の音はNHKに著作権 http://bit.ly/eexrgk
>作曲者を調べたけれど不明、フラッシュバック引き起こす音だ。
>8:16 PM Mar 15th YoruFukurouから


http://2bangai.net/read/8b29e1251979ecac5f2448ed2c36a22d703459eaae1ad418ec9c6554dbfe11bc/501
>【 512 】: 山師さん@トレード中 2011/03/15(火) 05:36:34.25 GjQzgcHO0
> この緊急アラーム不気味だよなあ 作曲者誰だ


なお、伊福部昭と伊福部達についての Wikipedia の記述は以下の通り。

http://ja.wikipedia.org/wiki/伊福部昭
>伊福部 昭(いふくべ あきら、1914年(大正3年)5月31日 - 2006年(平成18年)2月8日)
>は、日本を代表する作曲家。ほぼ独学で作曲家となった。日本の音楽らしさを追求した
>民族主義的な力強さが特徴の数多くのオーケストラ曲のほか、『ゴジラ』を初めとする
>映画音楽の作曲家として、また音楽教育者としても知られる。
〈略〉
>1954年(昭和29年)、40歳。『ゴジラ』の音楽を担当。以後、『ビルマの竪琴』や『座頭
>市』シリーズなど多くの映画音楽を手掛けた。


http://ja.wikipedia.org/wiki/伊福部達
>伊福部 達(いふくべ とおる、1946年(昭和21年) - )は工学者。北海道出身。作曲家の
>伊福部昭は叔父に、放送作家の伊福部崇は甥にあたる。
>音響学と電子工学・医療工学の境界分野で活躍している。蝋管レコードの再生技術の
>研究がテレビでも取り上げられており、レーザー再生機の開発も行っている。



さて、上に引用したようなことを頭に入れて唐沢俊一の文章を読み直してみると……実は
それでもよくわからない部分が残ったりもする。

「まあ、ゴジラの音楽をヒントにして『人々を不安にさせないように警戒させ、また安全に
導く音を考案』というのは、かなり難しいと思いますが……(笑)」というのは、唐沢俊一が
リンクした先の、「それこそゴジラの音楽をヒントに、人々を不安にさせないように警戒させ
また安全に導く音をさまざま考案して決定されたのが、少し前に流されたあの音」との記述
を受けてのものらしいというのはわかった。

で、「難しいと思いますが……(笑)」と書いているのは、結局唐沢俊一は、「人々を不安に
させないように警戒させ、また安全に導く音」になっていないといいたいのかな、と。

まあ個人的には、あの音が聞こえて、余震が始まっての繰り返しで、テレビからあの音が
するたびにびくびくするようになったし (数日前も、ついさっきも……)、それがなかったと
しても、「不安にさせないように」の音かな、どうかなあとは思ったりする。ただ、唐沢俊一
が、「不安」、「警戒」、「安全」のどれに違和感をもっているのか、またはどれにももって
いないのか、唐沢俊一の文章からはわからない。

それはともかく、「難しいと思いますが……(笑)」からは、音それ自体の唐沢俊一の評価
はあまり高くないように思えるのが少し気になるところ。自分などは、あのゴジラの音楽を
つくった人の甥が緊急地震速報の音をつくったのか、緊迫感を盛り上げるインパクトの
強さは共通しているかもしれない、さすがだなと思ったりしたのだが (←単なる素人考え)。

代わりに (?) 唐沢俊一が力を入れて説明するのは自衛隊についてで、「昭和怪獣映画が
われわれに与えてくれたイメージは〈略〉怪獣対策に向う自衛隊に対する、強い信頼感」、
「今回の災害で、その信頼感が誤ったものではなかったと〈略〉認識」したと主張するのは
よいのだけれど、それが
「緊急地震速報チャイムの作曲者は、伊福部昭の甥である」
というトリビアと、どこまでどう関係するのかが、何だかよくわからない。

単に、「伊福部昭の甥」→「あの伊福部マーチ」→「東宝昭和特撮」に「昭和怪獣映画」
→「今回の災害」での自衛隊の活躍――という連想で自衛隊を褒めたというだけのことで、
緊急地震速報の話とは別に考えるのが適当なのかもしれないけど、唐沢俊一はその前に
「まさかあのチャイムがその伊福部氏の甥御さんの作であったとは! ちゃんと通底して
いたのだなと、ちょっと感動しました」とか書いているしなあ……。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?dtype=0&dname=0na&p=つうてい
>つう‐てい【通底】[名](スル)
>ある事柄や思想などがその基本的なところで他と共通性を有すること。「現代の風俗に
>―する志向」


しかし、これについては唐沢俊一がどうこうというより、自分の知識の不足が原因で、話が
つながらないように思えるという可能性も否定できなくて……。

とりあえず自力では、
「陸上自衛隊演奏のゴジラ」 http://www.youtube.com/watch?v=D3ZHPbuteAE
はよいものだとか、
「『自衛隊マーチ』 ゴジラ(1984) gozira」
http://www.youtube.com/watch?v=A7SH7LJBJPk
というのもあるのだなというまでが精一杯だったので、親切な識者の人のご教示をお待ち
することにしようかと。


その他参考:
http://ja.wikipedia.org/wiki/伊福部昭
>1945年(昭和20年)、31歳。宮内省帝室林野局林業試験場に兄と同じく戦時科学研究
>員として勤務。放射線による航空機用木材強化の研究に携わるが、当時は防護服も用
>意されず、無防備のまま実験を続け、放射線障害を負うことになった。この研究は「マッ
>カーサー上陸後、数日後に禁止となった」と語っている。


テーマ : 感想 - ジャンル : 本・雑誌

21:08  |  その他の雑学本 派生トリビア編 (3) +  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2011.02.11 (Fri)

なぜかルパン三世を思い出した<『ビッグ・コンボ』のサーチライト

http://www.tobunken.com/diary/diary20110131145649.html

31日
月曜日
古い映画をみませんか・4 【ビッグ・コンボ(暴力団)】

『ビッグ・コンボ』ジョゼフ・H・ルイス監督(1955)

フィルム・ノワールの神髄、のような一本。
日本公開時の題名は『暴力団』という、これまたストレートなもの。
『ゴッドファーザー』でコルレオーネに敵対するバルツィーニ家の
ドンを演じたリチャード・コンテが、ミスター・ブラウンという、
何とも平凡な名前で、自分の身の保全のためには部下でも何でも
平気で殺すボスを印象深く演じている。

なにしろ低予算のB級映画なので、ビッグ・コンボ(大組織)という
タイトルに反して、コンテの一味は副ボスのブライアン・ドンレヴィと
下っ端のリー・ヴァン・クリーフ、アール・ホリマンの4人しか
出てこない(後は警察の一斉手入れで牢屋にぶち込まれた子分たちが
出てくるが、それでも十数人)。そもそも、主人公の刑事(コーネル・
ワイルド)が捜査予算をオーバーしてまでコンテを追いつめることに
執着する、そのモトとなるコンテ一味の犯罪がどんなものかもよく
わからない。

照明の天才、ジョン・オルトンによる撮影は陰影を極端に強調し、
ほとんどの場面で画面の半分は暗くて何が映っているんだか
わからない。非常にスタイリッシュではあるが、セットやエキストラ
の数をケチるための手段ではなかったか、とも思える。
とはいえ、冒頭、夜会服を着たヒロイン、ジーン・ウォレスを
ヴァン・クリーフとホリマンが詰問するシーンでは、照明が三人の
上半身にのみ当たり、ウォレスの剥き出しの肩と腕が強調される
ため、まるで彼女が全裸にされて責められているかのように見える。
そしてラストシーン、彼女は自分を責めさいなんだコンテを、
サーチライトで追いつめ、“光”で復讐を果たすのである。
ファンタジー映画などで象徴的に語られる“光と闇の戦い”が、
ここでは超具体的に呈示される。

へえ、と思ったのは、コンテの取り調べに嘘発見器が使われることだ。
この映画の公開が1955年。嘘発見器は1950年代初頭から
いわゆる“赤狩り”、マッカーシズムによる共産主義者摘発に多用され
ることで広まり、悪魔の機械として恐れられていた。それを正義の側
である主人公が使うことで、追う者と追われる者の立場の相違が
不鮮明になってしまう。もちろん、あえてやっているのだ。

本作の脚本はフィリップ・ヨーダンとされているが、彼こそは
ハリウッド映画の黒歴史を代表する怪人物で、赤狩りで仕事が出来なく
なった脚本家たちに名前を貸して仕事をさせ(これを“フロント役”
という)、基本7:3の割合で脚本料を取り(もちろんヨーダンが
7である)財をなした、と言われる人物である。本作の脚本も
おそらくは別人の手になるものと思われるが、誰かはまだわかって
いない。赤狩りでハリウッドを追われた人物が、自分たちを追った
悪魔の機械である嘘発見器を主人公に使わせる、この倒錯した感情
こそ、40年代から半ばから80年代末まで、形を変化させながら冷戦ノイローゼと
して欧米を覆っていた神経症的状況の、極めて50年代的なあらわれと言えるだろう。


レプリカントには消えない薔薇を」のエントリーでは、主に『ブレードランナー』について
書いたので、今回は『ビッグ・コンボ』について。

唐沢俊一の書いていることのうち、「フィルム・ノワールの神髄」、「日本公開時の題名は
『暴力団』」、「リチャード・コンテが、ミスター・ブラウンという〈略〉ボスを印象深く演じて
いる」、「主人公の刑事(コーネル・ワイルド)が捜査予算をオーバーしてまでコンテを追い
つめることに執着する」、「照明の天才、ジョン・オルトンによる撮影は陰影を極端に強調」、
「非常にスタイリッシュ」――といったあたりが、ネット上で読むことのできる映画評と、内容
および表現がかぶっているのは、ほぼ予想通りだから、よいとして。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D3%A5%C3%A5%B0%A1%A6%A5%B3%A5%F3%A5%DC
>原題『The Big Combo』。
>1955年製作のアメリカ映画。
>劇場公開題『暴力団』。原題は「一大犯罪組織」の意。マフィアのことだが、低予算のた
>め大組織の存在感はない。
〈略〉
> 古典フィルム・ノワールの代表作の1本。とりわけジョン・オルトンのスタイリッシュな
>モノクロ撮影がすばらしい。
> 都会を舞台に、ある大組織の犯罪を追うダイヤモンド刑事(コーネル・ワールド?)は、
>犯罪大組織のボス、ブラウン氏(リチャード・コンティ)の愛人スージー(ジーン・ウォレス)
>に惹かれてゆく。自ら拷問を受け、女友達をブラウン氏に殺されたダイヤモンドはブラウ
>ン氏の過去を知る怪しい人物たちと接触し、彼を追いつめていく。


http://cul-de-sac.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/h-34a0.html
>監督は「拳銃魔」のジョーゼフ・H・ルイス。先の「B級ノワール論」で紹介されていた3人
>の監督の内の一人だ。
〈略〉
> 特筆すべきは撮影(ジョン・オルトン)の見事さで、光と影の織り成す完璧な映像美に
>はただただ見惚れるばかり。闇の中に人物が絶妙の位置で浮かび上がるライティング
>の素晴らしさ。これぞフィルム・ノワール、これぞ映画の醍醐味!


http://gretagarbo.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_5809.html
>『暴力団』という題名で、日本公開された本作は、<フィルム・ノワール>映画の佳作です
>ね。けだるいジャズっぽい音楽、光と影の秀逸なカメラワーク、そして腹黒いギャング団
>のリーダー、その人物に執着するあまり捜査費用を使いすぎクビになりかけている刑
>事、そして何とかしてブラウンから逃れようとあがくがそれが出来ない彼の情婦、刑事の
>ガールフレンドの踊り子…と、<フィルム・ノワール>の条件が軒並み揃っているんです
>ねぇ。


http://www.asahi-net.or.jp/~hi2h-ikd/film/critique07aug.htm
>照明の魔術師オルトンの撮影の見事さがラストシーンの煙と影の映像からも理解でき
>ます。
> コーネル・ワイルドの警部補が「正義派」らしく一本調子なため、共感を呼びにくいの
>ですが、ラジオの音を補聴器で大きくする拷問や爆弾入りの弁当など、突出した表現が
>多々あります。


気になったのは、複数の人間が言及しているのだけど唐沢俊一がいっさいふれていない
ことについてで、ひとつはすぐ上の引用でいう「ラジオの音を補聴器で大きくする拷問」、
もうひとつは『B級ノワール論』という本の存在である。

http://slashdot.jp/~Pravda/journal/474794
>吉田広明『B級ノワール論』(作品社、2008年)の解説によると、この映画に見える「手慣
>れた感じ」は、ルイス監督の自作『秘密調査員』やフリッツ・ラング監督作品『復讐は俺
>に任せろ』の二番煎じだからのようです。18min.頃の、大量検挙で悪人どもが警察に
>連行されるシーンは、『拳銃魔』のストックからの流用。


「B級ノワール論」でググると、上から 2 番目あたりに、唐沢俊一の朝日新聞での書評が
くるのだが……。

http://book.asahi.com/review/TKY200901270152.html

B級ノワール論―ハリウッド転換期の巨匠たち [著]吉田広明
[掲載]2009年1月25日   [評者]唐沢俊一(作家)
〈略〉
 だが、皮肉なことに本書が成立し得たのは、暗い映画館や古いフィルム
という“過去の”映画状況が完全に変化した、2000年代初頭の映画シーン
のたまものである。言うまでもなく、DVDソフトの充実などによる、1940年
代から50年代にかけての日本未公開作品群の、系統だった、しかも膨大
な作品数の鑑賞が可能となった時代背景がこのユニークな映画論集を完成
させたのである。
〈略〉
ひさびさに赤鉛筆を片手に、会心の指摘に傍線を引きながら読むという
知的興奮を体験した本である。


本の方は表紙がよい感じに思えたし (http://www.amazon.co.jp/dp/4861822114)、また、
唐沢俊一以外が言及しているのは見あたらなかった冒頭の場面――「冒頭、夜会服を着た
ヒロイン、ジーン・ウォレスをヴァン・クリーフとホリマンが詰問するシーンでは、照明が三人
の上半身にのみ当たり、ウォレスの剥き出しの肩と腕が強調されるため、まるで彼女が
全裸にされて責められているかのように見える」と唐沢俊一は書いている―――この場面に
ついて、本ではどのように語られているかが興味があったので、買ってみることにした。

冒頭の場面とは http://www.youtube.com/watch?v=hebHHPn9KPQ のそれだと思うが、
確かにバッグを胸元に当てたポーズの箇所などでは、何も着ていないみたいに見えなくも
ないけど、でもこれは「全裸にされて責められているかのように見える」といえるものなの
かなあ……とちょっと微妙に思えたため。唐沢俊一の文章を先に読んでいたせいか、いか
にも「責められている」という感じの場面を何となく想像していたのだけど。ここでは逃げる
ヒロインを二人が追いかけ連れ戻す様子が描かれていて、「詰問するシーン」というには
どうかなあというか、そのそも「詰問」はあまりしていないような気が。


なお、『The Big Combo』の最後は http://www.youtube.com/watch?v=n6Zyw-Ji5Z4 で、
全体は http://www.youtube.com/watch?v=axlCehRdy5w で、見ることができる。


で、『B級ノワール論』なのだが、こちらには (ネット上の映画評の多くと同様?)、件の冒頭
の場面についての記述はなかった。ついでにいえば、嘘発見器 (こちらを参照) にも興味を
ひかれなかった模様。

意外だったのは、この本の著者は、「想像させることで直接描写以上に効力を持つ暴力
描写、性描写」の「性描写」として、「二人組の手下が、同じ部屋に寝ていることからホモ
セクシャルと分かる」ことや「この映画は口唇性愛を描いている」ことに注目しているのに
対して、唐沢俊一はこのどちらについても書いていない。

「ホモセクシャル」に「口唇性愛」とか、唐沢俊一が食いつきそうなネタなのに……あ、いや
文句をいっているのではなく、安易にコピペしたりしなかったことは、むしろよいことかと。

『B級ノワール論』 P.79
> 警官が悪人を追いつめるというほとんど形骸化した内容以上に、悪人と刑事とのキャ
>ラクター造型のほうに遥かに重きが置かれている。実際この作品では、もはやギャング
>の実体が何なのかはどうでもよくなっている(原題の『ビッグ・コンボ』は大組織を意味
>するが、実質ギャングは首領を含めて四人しか出てこないし、何を生業にしているのか
>判然としない)。この映画の見るべき内容とは、刑事の悪の追及という犯罪もののストー
>リーであるよりは、ギャングの情婦の魅力に偏執狂的に囚われる刑事と、洗練され、性
>的魅力にこと欠かないギャングの首領の逆転した位置関係そのものであり、それを支え
>る、想像させることで直接描写以上に効力を持つ暴力描写、性描写である。


『B級ノワール論』 P.111
> まず、それを明示する台詞や場面はないものの、二人組の手下が、同じ部屋に寝てい
>ることからホモセクシャルと分かる。この時代にあって、そしてまたマチスモの支配する
>犯罪映画の環境にあって、ホモセクシャルがほのめかし程度であれ取り上げられること
>自体極めて異例であり、これもノワールのオルタネイティブ的性格を示すものだろう。
>ウォレスがコンテから離れられないのも性的執着の故である。この映画は口唇性愛を描
>いているが、あくまでほのめかしに留められているその描写はかえって想像を掻き立て
>る。立っているウォレスを後ろから抱きしめるコンテが首筋や胸にキスをする.コンテの
>顔は次第に下がってゆき、やがて視界から消える。そのままカメラがウォレスの顔に寄
>り、ウォレスの顔のみを捉え続けるのだが、その顔はやがて恍惚で満たされる。これは
>脚本にあったものではなく、ルイスによる即興らしいが、この場面を見たワイルドは激怒
>したという(ワイルドとウォレスは実の夫婦である)。製作者でもあるワイルドに、ルイス
>は、一体何が映っているというんだ、と突っぱねた。検閲もこの場面に難癖をつけてきた
>が、同じような逃げ口上で押し通した。


『B級ノワール論』 P.112
>最終的にこの生き残った手下の証言により、コンテは逮捕されることになるが、霧の飛
>行場に逃げ出したコンテとウォレスの二人、ここでもウォレスがコンテの居場所をサーチ
>ライトで照らして警察に知らせることによって、コンテを死に追いやる。〈略〉しかし最後に
>ワイルドとウォレスが並んで飛行場を去ることで〈略〉映画は終わるのである。


(すぐ上の引用については、http://eigageijutsu.com/article/120762775.html の著者
インタビューに、「コンテを死に追いやる。→コンテを逮捕せしめる。」との訂正がある)。


それから、本を読んでいて、以下の記述で「おや」と思った。

『B級ノワール論』 P.78
>脚本のクレジットはフィリップ・ヨーダンであるが、ヨーダンはブラックリスト脚本家を雇っ
>て脚本を書かせ、自分の名義で発表することで有名で、この作品についても実際にヨー
>ダンが書いているのか、それとも誰かに書かせたものなのか、詳細は現在に至るまで
>判明していない。


唐沢俊一が書いていた「本作の脚本もおそらくは別人の手になるものと思われるが」と
いうのを特に疑っていなかったのだけど、「別人の手になるもの」は定説でも何でもなく、
フィリップ・ヨーダン自身が脚本を書いた可能性も低くないようだ。

http://cul-de-sac.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/h-34a0.html
>脚本は「レッドパージ・ハリウッド」でも紹介されていた怪人物フィリップ・ヨーダン。ヨー
>ダンは「赤狩り」に遭った複数の脚本家の代理人として名を貸しており、本作の脚本も
>本当に本人が執筆したものか分かっていないという。


でも、フィリップ・ヨーダンが自分で書いた脚本ということになると、唐沢俊一のいう「赤狩り
でハリウッドを追われた人物が、自分たちを追った悪魔の機械である嘘発見器を主人公に
使わせる、この倒錯した感情」というのが、まるで成り立たなくなる、と。


その他参考:
http://d.hatena.ne.jp/kinokos/20090507/p1
>「ビッグ・コンボ」とはマフィアの大組織のことだが、製作当時マフィアという語は一般に
>知られていなかった


http://ja.wikipedia.org/wiki/マフィア
>1957年11月幹部がペンシルベニア州アパラティンに集合した際のFBIによる大量検挙
>で、マフィアの名がアメリカのメディアにも登場するようになった。



『B級ノワール論』の朝日新聞での書評については、別エントリーでやる予定。


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2011.01.30 (Sun)

52 歳にしては老けていると評判の人が、アン・フランシスは「老けが目立って」と悪口

http://www.tobunken.com/news/news20110129125609.html

イベント
2011年1月29日投稿
イコン(聖像)だった女(ひと) 【訃報 アン・フランシス】
〈略〉
極端なミニスカート姿で、父親以外の男性に接したことがないため
言動も相手がドキリとするほど時に大胆、というキャラクターは、
今にいたる萌え系アニメキャラの遠いが直系の祖先である。

とにかくこの頃のアン・フランシスは可愛かった。
強烈な可愛さだった、と言っていい。
ジョン・スタージェスの異色西部劇『日本人の勲章』(55)は、
主役のスペンサー・トレイシー、悪役のロバート・ライアン
はじめ出演陣が実力派揃いで、ディーン・ジャガー、ウォルター・
ブレナン、アーネスト・ボーグナイン、リー・マーヴィンと脇役に
錚々たるメンバーが揃っているが、アン・フランシスは軽々と
彼らを飛び越し、キャストロール順でトレイシー、ライアン
に続く三番目という大厚遇を受けていた。

まあ、ヒロインなのだから無理もないのだが、脇役俳優好み
だった私は、これを見たとき、ああ、演技力なんてのは
可愛さの前には何の意味もないのか、と嘆いたものである。
もっとも、彼女はど新人などではなく、子役スターとして5歳の
ころから映画・演劇界で活躍していた。ステージデビューは1941年、
11歳のとき。ボーグナインのデビューが50年だから、
ショービジネス界ではずっと先輩なのであった。
〈略〉
日本人がアン・フランシスの魅力にまいったのはさらにその10年後、
1965年のテレビシリーズ『ハニーにおまかせ』。
普段は優雅なドレスに身を包み(当然、拳銃はガーターベルトに)、
探偵活動のときは全身黒のタイツ姿。峰不二子の、これは直系の
先祖的なスタイルの女探偵を演じて大人気だったがなぜか1シーズン
のみで終了。いくら若く見えても当時すでに35歳、やや若作りに
くたびれてきたのかもしれない。
http://www.youtube.com/watch?v=bcLbPTT7o3w&feature=player_embedded
↑ペットがオセロット、というのもユニークだった。

それからもさまざまなテレビ番組でゲスト出演を続けたが、
われわれが彼女を印象に強く残したのは70年代に入っての、
『刑事コロンボ』のゲスト出演だろう。
『死の方程式』では犯人ロディ・マクドウォールの愛人で社長秘書。
『溶ける糸』では犯人の心臓外科医レナード・ニモイの犯行の手がかり
をつかんで殺されてしまう看護婦。どちらも、かつてのアン・フランシス
を知る身としては老けが目立って悲しかったが、しかしいまだ健在を
知ってうれしかったのも事実である。

それ以降は日本未公開の作品が多く、ほとんど見かけなくなって
いたが、コンスタントに出演は続けていたようだ。2007年、
ガンにかかり、手術と化学療法を続けていたという。
2011年の訃報のトップを切って1月2日死去、80歳。

なお、80年代から90年代初めにかけて、本名のアン・ロイド・
フランシスを名乗っていた時期もあったようだ。“アンドロイド”
を連想させて、いかにもSF映画のイコンらしい。
黙祷。


峰不二子といえば「全身黒のタイツ姿」ではなく黒のライダースーツではとか、「2011年
の訃報のトップを切って1月2日死去」って、確かに死去は 1 月 2 日だが、唐沢俊一が
「訃報」を目にしたのは 1 月 4 日ではなかったか (「ロサンゼルス3日AFP時事」という
ことで 1 月 3 日かも) とか多少引っかかる点はあるが、今回は明らかな間違いというのは
多分含まれてないと思う (なので、間違い探し編にはいれないことにする)。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=訃報&dtype=0&dname=0na
>ふ‐ほう【×訃報】
>死去したという知らせ。悲報。訃音。訃。「恩師の―に接する」


http://www.cinematoday.jp/page/N0029376
>『禁断の惑星』出演の女優アン・フランシスさんがすい臓がんのため死去
>2011年1月4日 15時16分
> [シネマトゥデイ映画ニュース] 映画『禁断の惑星』に出演した女優アン・フランシス
>さんが、すい臓がんによる合併症のため、カリフォルニア州サンタバーバラの高齢者
>施設で亡くなったと、ロサンゼルスタイムズなどが報じた。享年80歳。
> アン・フランシスさんは、1930年ニューヨーク州オシニング生まれ。子どものころから
>モデル活動やブロードウェイ出演などをこなし、1956年に映画『禁断の惑星』でロボット
>のロビーと共に謎の惑星に住む美少女アルテラを演じ注目された。60年代には日本で
>も放映されたテレビドラマ「ハニーにおまかせ」の美人探偵ハニー・ウエスト役で人気を
>集め、この役で1966年にゴールデン・グローブ賞を受賞。その後もテレビを中心に活動
>した。
> 『禁断の惑星』で共演した故・レスリー・ニールセンさんも、昨年肺炎による合併症が
>原因で亡くなっている。


http://www.jiji.com/jc/a?g=afp_cul&k=20110104026257a
>米女優アン・フランシスさんが死去=「禁断の惑星」「ハニーにおまかせ」など
>【ロサンゼルス3日AFP時事】
>1950-60年代に活躍した米国のブロンド美人女優アン・フランシスさんが2日、がんの
>ためにカリフォルニア州サンタバーバラで死去した。80歳だった。ロサンゼルス・タイム
>ズが報じた。(写真は、死去したアン・フランシスさんにささげられた花輪) 娘によると、
>2007年に肺がんと診断されて手術を受けたが、その後、すい臓にがんが見つかってい
>た。
> 1956年にSF映画「禁断の惑星」に出演して注目を浴びた。その後、探偵物のテレビ
>ドラマ・シリーズ「ハニーにおまかせ」ですご腕の女探偵を演じて人気を博し、エミー賞
>の候補にも挙げられた。 〔AFP=時事〕(2011/01/04-15:56)


「『禁断の惑星』で共演した故・レスリー・ニールセンさんも、昨年肺炎による合併症が原因
で亡くなっている」ことについては、唐沢俊一は「イベント 2011年1月8日投稿」の「二つの
顔を持った男 【訃報 レスリー・ニールセン】
」でやったばかりなのに、なぜかスルーして
いるのは解せないが。


で、唐沢俊一の書いていることや、それ以上の情報は、以下のページを読めばだいたい
把握できる。

『禁断の惑星』関連:
- http://www.asahi-net.or.jp/~uy7k-ymst/wakatai/kindan.htm
- http://sleepyluna.exblog.jp/8142710/
- http://www.imdb.com/video/screenplay/vi463995161/
- http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1240731527

『日本人の勲章』関連:
- http://movie.goo.ne.jp/movies/p6813/
- http://www.imdb.com/video/screenplay/vi3869705497/

子役出身関連:
- http://www.fmstar.com/movie/a/a0119.html

『ハニーにおまかせ』関連:
- http://honeywesttv.seesaa.net/archives/200410-1.html
- http://www.geocities.jp/saitohteruhiko/home/tv/tv02.html

『刑事コロンボ』関連:
- http://kiyosegingateikoku.blog.so-net.ne.jp/2008-07-04
- http://hori109.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/03/vol15_8145.html
- http://harufe.exblog.jp/page/2/

アン・ロイド・フランシス名義:
- http://www.tora-2.com/HARRY.HTM

上記のリンク先に書かれていないのは、『ハニーにおまかせ』が「なぜか1シーズンのみ
で終了」した理由を、「いくら若く見えても当時すでに35歳、やや若作りにくたびれてきた
のかもしれない」と推測 (?) している部分と、『刑事コロンボ』のゲスト出演では「老けが
目立って悲しかった」としている部分。

『死の方程式』では「犯人ロディ・マクドウォールの愛人で社長秘書」の役だっただけあって
「老けが目立って」はいなかったという気もするけど……。
http://kiyosegingateikoku.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_b3e/kiyosegingateikoku/080704.29-798a8.gif

『ハニーにおまかせ』は「若作りにくたびれてきた」とか書いているけど、そもそも年齢は
何歳の設定なのか唐沢俊一は書いていない。検証うんぬんは別にしても面白そうだから
入手してみようかと思ったが、入手はちょっと難しそうな……。

http://www.geocities.jp/saitohteruhiko/home/tv/tv02.html
> 「ハニーにおまかせ」は、黒いタイツで身を包んだブロンドの美人探偵が秘密兵器を
>駆使して難事件を解決して行くという、当時 中学生で色気付き始めていた小生には
>たまらない番組でありました。 日本で放映されたのはNET(現テレビ朝日)で1966年1月
>から、 「危機一髪シリーズ」の番組タイトルで前半が「ハニーにおまかせ」、 後半がスパ
>イ・コメディ「それ行けスマート」という構成でした。
〈略〉
>「それ行けスマート」は家庭用ビデオ発売後にまとまって再放送されたので再会する事
>が出来ましたが、「ハニーにおまかせ」は初放送の時代には再放送されていたのかも
>しれませんが、何故か家庭用ビデオの時代になってからは再放送も映像ソフト化もされ
>ませんでした。アメリカ版も探してみましたが海賊版のようなDVDが発売されていた形跡
>があるものの、正規にはビデオもLD・DVDも未発売のようです。


http://honeywesttv.seesaa.net/article/921207.html
>Vol.1とVol.2に4エピソードずつ収録されている。このDVDはAmazonで検索してもヒット
>しないのでマニア向けの小規模製作されたDVD-Rと思われる。


ここでちょっとした疑問が。「日本で放映されたのはNET(現テレビ朝日)で1966年1月から」
とのことだが、当時 8 歳頃の唐沢俊一 (1958 年生まれ) は見ていたのだろうか。後追い
でビデオや DVD を入手して見るのも大変そうだし、裏モノ日記等に『ハニーにおまかせ』
についての記述はないようなんだけど。


それはともかく、今回一番気になったのは唐沢俊一の書いていることではなく、そういえば
『禁断の惑星』の「極端なミニスカート姿」って、1956 年当時の人にはどう映ったのだろう
かということ。

50 年代だって、怒れる若者にスウィンギングだったイギリス?」のエントリーのとき、ミニ
スカートのはじまりは 1960 年頃のマリー・クワントか、それより前のロンドンのストリート
ファッションかとかやった記憶が新しいせいもあって、1950 年代中頃にアレというのは、
水着のようなものとか、それこそ SF 映画の中でしかありえなかったのかもと思ったり。

つまり、「そもそも美幼女じゃなくて美少女もロリコンの対象?」に引用したことがあるけど、
「SFは半裸のねーちゃんだ」 (by 高橋留美子) ということで。

http://home.ibuki-fan.com/talk/2001/talk1052.htm
>(ちなみに、その昔「スターログ」に高橋留美子が書いていた「SFは半裸のねーちゃん
>だ」というのは真理だと思ってます。全裸じゃないところがポイント。だから古いスペオペ
>に出てくる半裸同然の宇宙服姿のおねーちゃんとか、ヒロイック・ファンタジーに出てく
>る半裸の女戦士というのはOKです。もちろん、それがすべてではありませんが)


http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/8689/nikki08-02.html
>パラドックス 『PARADOX-EX SEXY CREATURES』
>加藤洋之&後藤啓介 山本貴嗣 藤川純一 青木邦夫 安部ひろみ さいとうともこ
>「SFは半裸のねーちゃんだ」という高橋留美子の言葉をコンセプトにしたイラスト集。
>スバラし。


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2010.09.23 (Thu)

ほにょ、ほんにょ、ほにお、すずきの木

2010 年 9 月 5 日 11:45 からの日テレ『スクール革命』

「光宇宙 (ピカチュウ)」は非実在?
オードリー踊るなら
一という名字だったら一という名前をつけたくなるかな人情として
時々でいいからお公家さんのことも思い出してください
実在しない名字をカウントするのは止めましょうということで 10 万種類
元データ不明の「知念」は「約20倍いる」
唐沢俊一に“スミス”を扱わせたのがいけなかったんじゃなかったかという話も

の続きみたいなものだけど、今回は別にガセの指摘ではなくて、「鈴木」さんについて。
んで、いつもにも増してダラダラ度が高いので注意のこと。


日テレ『スクール革命』の唐沢俊一担当部分では、鈴木という名字の由来も、ちょっと
やっていたのだが……。

http://www.ntv.co.jp/s-kakumei/onair/100905.html
>第2位 「鈴木」
>由来:刈り取った後の稲藁を“すずき”といい、ここから「鈴木」姓が生まれたと
>言われている。


本当に、ちょっとだけで、番組のナレーションも、上に引用した文章以上の情報はなし。
唐沢俊一は、鈴木の由来については特に何も語らなかった。

画面には、「刈り取った稲藁→鈴木」というキャプションと、下に引用のブログ (番組とは
無関係) に載っている写真と似た感じの、稲穂を天日に干して乾燥させている様子が
映っていた。

http://www.cafeblo.com/newnew/entry-8038c0550b5db3a0c9a19612b3a286c1.html
>こちらは、刈った稲穂を逆さまにつるして、乾燥させています。
>(鳥たちにお米をつつかれないように、良く見ると、
> 細かいオレンジのネットでカバーされていました。)

写真: http://www.cafeblo.com/user_images/1a/f4eb7d8b475c15fb364d1bbdd53dc199.JPG

この「はせがけ」と呼ばれている (参考: http://pixta.jp/photo/1175823) ものがテレビ
に映し出されたのだが、それを見ても、「刈り取った稲藁→鈴木」というのが何かピンと
こないのが気になって、まず Wikipedia を参照してみた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木
>鈴木の由来は、神の祭礼に関係する姓氏。鈴木氏参照。
>1. 祭礼の際に奉る神木のことをいう。同じ由来を持つ名字に穂積がある。
>2. 稲作にまつわる他の祭礼儀式・神に由来。


http://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木氏
>鈴木氏(すずきし)日本の代表的姓氏のひとつ。かつての武家である鈴木氏との関係
>は諸説あって定まらないが、祭礼の際に祭られる稲穂に由来した神官の姓氏とされる。
>鈴木を名字とする家の多くは穂積を本姓としており、熊野三山信仰と関係が深い。穂
>積姓鈴木氏は熊野新宮の出身で、神官を受け継ぐ家系である。鈴木氏は熊野神社
>の勧進や熊野を基地とする太平洋側の海上交通に乗り、神官として東日本を中心と
>した全国へ広まった。また穂積姓の子孫ではなくても当時苗字を持つことを許されて
>いた武家、源姓や平姓などの中で、熊野新宮へ信仰心の深い武家には神姓である
>鈴木姓を与えてきた。 そのため鈴木姓のほとんどが、神姓穂積姓または源姓・平姓
>を含む武家の子孫と考えられる[要出典]。


http://ja.wikipedia.org/wiki/穂積氏
>現在の姓氏で穂積を名乗る人の数は少ないが、日本を代表する姓である「鈴木氏」の
>多くが穂積姓の末裔とされている。


「刈り取った稲藁→鈴木」よりは、「刈り取った稲藁→穂積」の方が納得できるかなあと
思った。まあ『スクール革命』の画像は、稲を積んでいるという感じはしない (はせがけ
というだけあって、棒にかけて干している) ものだったけど。

そして「鈴木」の方は「祭礼の際に奉る神木」のことだったとするならば、だから「木」と
ついているのかと思えるのだけど、「祭礼の際に祭られる稲穂に由来した神官の姓氏」
とも書かれているし……。


次に、「刈り取った後の稲藁 すずき 鈴木」でググってみると、何だか『スクール革命』
に酷似しているページが、NHK のラジオ番組のサイトの中にあることを発見。

http://www.nhk.or.jp/r1-night/quiz/archive/kako/091027.html (「2ページ」)
>Q・日本人の名字で多いといわれる、佐藤さん、鈴木さん、高橋さん。 多い順に並べ
>てみてください!
>A・(1)佐藤さん (2)鈴木さん (3)高橋さん
>※佐藤さんは推定200万人前後 東日本が優勢で特に、秋田や山形に多い
>※鈴木さんは推定180万人前後 紀伊半島熊野から全国へ。
>諸説あるが有力なルーツは、刈り取った後の稲わらを積み重ねたものを「すずき」といい、
>これから生まれた。祭礼に使う、特別な稲穂のこととも。東日本優勢。
>※高橋さんは、全国的に広く分布。橋は古代においては土地を象徴する建築物。
> 秋田県のある地域を調べたところ、○丁目世帯の全員が高橋さん


「刈り取った後の稲わら」だけでなく、こちらのエントリーの方でふれた「佐藤さんは推定
200万人」というのも、かぶっていたりする。唐沢俊一がいつものようにネタの使い回しを
したわけではなく、NHK の番組には「姓氏研究家」の「森岡 浩さん」が出演していて、
唐沢俊一とは関係がない。

http://www.nhk.or.jp/r1-night/quiz/archive/kako/091027.html
>※森岡 浩さん…1961年生まれ 姓氏研究家。
>電話帳にとらわれず、現存する名字分布をルーツ解明の手がかりとする。
>著書に『日本名字家系大事典』『名字の地図』『名字の日本史』『名字の謎』など
>多数。
〈略〉
>Q・日本には、何種類くらい名字はあると思いますか?
>A・はっきりわかってないのですが、ざっくりいうと、十数万種。
>定義により異なるので、サイトウさん、一つとっても旧字体があって4種類同じ名字でも、
>ヤマサキさん、ヤマザキさん、と2種類ありますよね。

>世界一多いのは?おそらく、一番多いのはアメリカ。(他民族国家なので数えられない)
>(※10億人を超す中国は、数千種類を超える程度で日本より少ない)


上の引用にある「世界一多いのは?おそらく、一番多いのはアメリカ」も、こちらに引用
した「⇒世界で一番名字が多い国は『アメリカ』で100万種類以上あると言われてる:」
「アメリカは多くの国から人が移住している移民の国であるので」とかぶっているような。

まあ、「一という名字だったら一という名前をつけたくなるかな人情として」のエントリー
後半にも書いたように、ネタがかぶってしまうのはしょうがないかなあとも思う。

で、NHK のラジオ番組の方も「鈴木」についての情報量としては、日テレの番組と似たり
寄ったりのような気がするし、「他民族国家」というのもどうかと思うが、おいといて。


稲藁の方に話を戻すと、NHK のサイトには「稲わらを積み重ねたものを『すずき』といい」
と書かれている。「積み重ねたもの」または「つみあげたもの」とするのが正解っぽくて、
日テレ『スクール革命』の方で使用した画像は、あまり適切なものではなかったようだ。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1421489649
>紀伊半島では刈り取ったあとの稲藁をつみあげたものを「すずき」と呼ぶことに由来
>し、鈴木発祥の地とも言われています。


http://blogs.yahoo.co.jp/snooker_doherty/51814700.html
>関 西
〈略〉
> この地域をルーツとする代表的な名字は「鈴木」です。この名字は,刈り取ったあと
>の稲藁をつみあげたものを紀伊半島で「すずき」と呼ぶことに由来するもので,和歌山
>県の海南市には今でも鈴木総本家の屋敷跡が残っています。


http://www.sanyasou.org/cgi-bin/diary14/diary14.cgi?year=2008&mon=9
>田んぼで稲藁を乾燥・保管する装置は「すすき」と一般的に言われているが、三谷で
>は「すずき」と呼ばれ、田から浮いた独特の形で、冬の風物詩となっている。畳め床の
>需要も減り、稲藁はコンバインによる収穫と同時に粉砕されて田に戻されるため、ほと
>んど見ることがない。この伝統を続けておられる北西さんに作り方を習った=写真。


つまり、すぐ上に引用した日記で使用されているような、稲藁を積み上げた「すずき」:
http://www.sanyasou.org/cgi-bin/diary14/diadata/368.jpg
これと同じような絵を、番組でも使ったらよかったのに――という話。

参考 (?):
(笑) の代わりに (藁) というのも最近ほとんど使わないなあ


しかし、「刈り取ったあとの稲藁をつみあげたものを『すずき』と呼ぶ」地域が存在した、
そして、現在も存在することは間違いないとして、稲藁をつみあげたものをなぜ「すずき」
と呼ぶようになったか、それは前述の「穂積」が「鈴木」に転じたのと、どちらが先でどちら
が後かという疑問が実は残る。

まあ、あんまり難しい話になると、それを追っかけるのは自分の手に余る話となるのだ
けれど、「鈴木」はどうして「鈴木」なのかという説明で、個人的に一番納得できたのは、
以下に引用する「八咫烏は樹に鈴をかけて道案内したのでその功績で鈴木の苗字を
賜った」というそれ。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1421489649
>鈴木という苗字は神武東征の昔までさかのぼります。神武天皇一行が浪速から淀川
>をさかのぼって長髄彦と戦ったけど勝てなかったのです。それで熊野から再上陸して
>捲土重来を謀りました。
>紀伊3兄弟が神武一行を迎えたのです。長男は榎木で祭壇を作り次男はお餅を、
>3男は稲穂を献上しました。この功績により長男には榎本、次男は丸子、3男は穂積
>の姓を賜りました。
>神の命令で穂積氏のうちの八咫烏が道案内することになりました。熊野から大台ケ原
>を越え大和の宇陀まで進んだのです。八咫烏は樹に鈴をかけて道案内したのでその
>功績で鈴木の苗字を賜ったということです。それで鈴木氏の中には八咫鳥の家紋の
>家もあるそうです。
>鈴木さんは紀伊の藤代が発祥の地でそのうち農業指導が目的で全国に散らばりまし
>た。特に関東に沢山移住したみたいです。関東に鈴木多いでしょう。ついでに熊野神
>社も広めました。


http://ja.wikipedia.org/wiki/八咫烏
>咫(あた)は長さの単位で、親指と人差指を広げた長さ(約18センチメートル)のことで
>あるが、ここでいう八咫は単に「大きい」という意味である。
>戦国時代には、紀伊国の雑賀衆を治めた鈴木家の旗ともなっている。
〈略〉
>三本足の意味
>いくつか言われており、「宇井」「鈴木」「榎本」という熊野地方で勢力を誇った熊野三
>党を表しているという説や、 熊野本宮大社の主祭神である家津美御子大神(けつみ
>みこのおおかみ)の 御神徳「智」「仁」「勇」の三徳であるという説があり、 また、
>「天」「地」「人」を表すとも言われている。

>シンボルマーク
>現代では、日本サッカー協会のシンボルマークにも用いられている。


もっとも、下に引用するように、「稲穂を熊野地方では『ススキ・スズキ』と呼んだ」という
方が先で、「鈴木の漢字」は当て字であるという話もあるのだけど (鈴木は当て字という
話は、他でもちょくちょく目にするところ)。

http://www.harimaya.com/kamon/column/karasu.html
> 神武東征の縁から、三本足の烏は野権現の神使とされ、神官鈴木氏とその後裔が
>家の紋として用いるようになった。熊野鈴木氏は饒速日命五世の孫千翁命の子孫と
>いい、熊野神に稲穂を捧げて穂積の姓を賜った。「穂積」とは積まれた稲穂のことで、
>神に一年間の収穫を感謝し、稲穂を高く積むことによって神の降臨を願ったものであ
>る。稲穂を熊野地方では「ススキ・スズキ」と呼んだところから、主に鈴木の漢字を充
>てられ、のちに「宇井」「鈴木」「榎本」に分流した。中世、武家の間で誓約の神文を
>交わすときに用いられたのは、八咫烏文字で描かれた熊野牛王神符であった。



で、刈り取った稲の干し方について再度話を戻すと、「一本の『棒』を中心に稲を、丸く
積み重ねるやり方もあった」、「『スズキ』さんの名前の由来はこの『棒』からきている」
という話も見つかった。

http://hougen.atok.com/cafebbs/replyorder.sv?did=14&sid=18cfd8a5e9940301
>No.2802 ★投稿者:おっぽろげ  ★投稿日:2007/01/08/21:52
>ずいぶん遅いレスで申し訳ないのですが、とても大事なお話だと思いますので、すこし
>補足させてください。
>福島や宮城では刈り取った稲を 孟宗竹の長い干し物に 稲の束を「股裂き」にして
>干すのを「はせがけ」と言い、「はせ」には一段のものだけではなく、二段、三段のもの
>もありました。
> 「はせ」には稲だけではなく、大根なども干しました。
>狭い小さな田んぼなどでは、一本の「棒」を中心に稲を、丸く積み重ねるやり方もあっ
>たが、さて、なんと呼んでいたか覚えていません。民俗学者の友人が、かつて、「スズ
>キ」さんの名前の由来はこの「棒」からきている、と話してくれたのを思い出しました。


前述の、稲藁を積み上げた「すずき」:
http://www.sanyasou.org/cgi-bin/diary14/diadata/368.jpg
では棒らしいものは見あたらないし、下に引用する「ツボケ」も、「丸く積み重ねるやり方」
ではあるが、棒はない。

http://homepage2.nifty.com/ryofuu/saijiki.html
> 尚、愛知県ではこのように藁を積んだものを「ツボケ」と言います。ツボとは愛知県
>地方の方言でタニシのことをいいます。ツボケとはツボ家で、つまりタニシの家、と言う
>意味であろうというのが私の独断的な解釈です。(2006.12.15)

写真: http://homepage2.nifty.com/ryofuu/image401.jpg

一方、「1本の棒を中心に積み重ねる」やり方は、東北地方とかで目撃されている模様。

http://blog.goo.ne.jp/agrico1/e/98b783bf04dd04622f4b6f8ca4a4d1a0
>以前、岩手の田舎を走ったとき、ちょうど今頃ですが、田んぼの中で刈り取った稲わら
>を1本の棒を中心に積み重ねるところを見ました。ご夫婦で旦那が上にいて、奥さん
>が下から差し出す作業でした。また完成したあの稲わらの円形がなんとも見慣れない
>ものでした。どうも東北独特の形です。


http://www.antares3.com/PAGE/tubuyakiNo23.htm
>奥州旅日記(その5) 〈略〉 車窓からみた稲わらの積み方も特徴があり所変わればで
>面白いです。

写真: http://www.antares3.com/OthersPhote2/2007.10.06No231a.jpg

http://www.antares3.com/OthersPhote2/2007.10.06No231a.jpg とかを見ると、
確かに「一本の『棒』を中心」にしている。外見は、しめ縄っぽい感じ (?)。

東北でも、もっと丸い感じの干し方もあって、「ほにょ」「ほんにょ」「ほにお」などという
ようだ。

http://www.bionet.jp/2008/12/ine/
>調べてみたところ、この干し方は「ほにょ」「ほんにょ」というようです。漢字で書くと
>「穂仁王」。「ほにょ」「ほんにょ」という何だかかわいらしい音の響きと、漢字の持つ
>イメージのギャップが面白いです。その他、次のような言い方もあるようです。
>ほにお(穂鳰、穂仁王)
>くいがけ(杭がけ)
>稲杭掛け
>棒掛け
>棒はさがけ

写真: http://www.bionet.jp/wp-content/uploads/2008/12/ine_02.jpg

やはり「一本の『棒』を中心」にする方式には、以下でいう「ほぎ」というのもある。

http://www.inakabook.com/photo/photo9/hogi1.htm
>この季節になると田舎でよく見る風景です。
>稲を刈り取った後、藁(わら)と籾(もみ)を乾かすために木に引っかけるのです。
>これを「ほぎ」といいます。

写真: http://www.inakabook.com/photo/photo9/hogi1.JPG

個人的には、稲を干すときにまっすぐ上を向いて立てられた木があって、「その木から
神が降りてきて、寝ている稲穂に稲魂を植える。それが『すすき』と呼ばれ、後に稲穂
を摘んだものも『すすき』とされた」との説明は、前述の八咫烏の鈴と樹の話の次に、
心情的にはしっくりくる。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1433570574
>【鈴木】
>古くから「すすき」と読まれた。それは、秋に稲を収穫して、田に積んでおく
>ありさまを指す言葉であった。
>山のように積んだ稲の中に、一本の棒、または竹を立てる。
>その木から神が降りてきて、寝ている稲穂に稲魂を植える。
>それが「すすき」と呼ばれ、後に稲穂を摘んだものも「すすき」とされた。
>古代には稲穂を積んだありさまを「穂積」とも言った。
>熊野大社の神官は、古代豪族物部氏の同属の穂積氏であったが、
>彼らは中世に「穂積」が主に「すすき」と呼ばれるようになると
>「鈴木」を苗字にした。
>そして中世に熊野大社は各地に山伏を送って意欲的に布教した。
>熊野大社の分社をまつるようになった武士は、自分の苗字を鈴木に改め、
>支配下の農民に自分と同じ苗字を与えた。
>つまり、今日「鈴木」の苗字を持つ大部分は中世に熊野信仰を持った者の
>子孫だと考えられる。


でも、現在「すずき」と呼ばれている地方の積み方には棒がなく、棒を使っている地方
では「すずき」と呼ばないらしいというのを、弱いところととるべきか、面白いところととる
べきかは、ちょっと迷う。

テーマ : 感想 - ジャンル : 本・雑誌

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2010.09.15 (Wed)

一という名字だったら一という名前をつけたくなるかな人情として

2010 年 9 月 5 日 11:45 からの日テレ『スクール革命』

「光宇宙 (ピカチュウ)」は非実在?
オードリー踊るなら

の続きみたいなもの。

唐沢俊一検証blogの「『スクール革命!』を観てみた。」に書いてあった、「実際のところ
『幽霊苗字』という問題もあるようだしね。」を読んで気になった件について――でもある。

http://home.r01.itscom.net/morioka/myoji/yureimyoji.html
>現在、幽霊と実在の間をさまよっているのが「一」(にのまえ)という名字です。「一」と
>いう名字については、「いち」「かず」「はじめ」は私も確認していますが、「にのまえ」
>さんは、タレントの芸名でしか確認できていません。しかし、「実際に見た」という方も
>結構います。


しかし、『スクール革命』という番組の唐沢俊一担当分では……。

http://www.ntv.co.jp/s-kakumei/onair/100905.html
>Q.「日本で一番画数の少ない名前は名前と名字で2画 「○」
>⇒「一(にのまえ) 一(はじめ)」
>*「一」・・二の前にある⇒にのまえ


「にのまえ」と読む「一」という名字。その実在さえ危ぶまれているのに、「一(にのまえ)
 一(はじめ)」さんが実在していると断言する。きっと綿密な調査の結果と信じることが
できればよいのだけれど、何といっても唐沢俊一だし、同じ番組で語られたこれこれ
の件を考えると、ちょっとそれは難しいかな……という感じ。

http://www.unkar.org/read/qiufen.bbspink.com/hgame/1190015505
>59 :名無したちの午後[sage]:2007/09/27(木) 22:43:49 ID:UAkO0Gby0
>ちなみに、本名が「小鳥遊」(たかなし)姓の人は全国で30名ほどしかいない
>「一」で「にのまえ」と読む人も稀少。(以前は実在が確認されたけど、その方が
>亡くなって以降は、現存するかどうかは不明。少なくても電話帳の記載はない模様)
>普通は「いち」「はじめ」「かず」と読む。(これらを合わせて全国で300名弱)

>60 :名無したちの午後[sage]:2007/09/27(木) 22:52:51 ID:/i1twhWx0
>痕のスタッフロールで一一(にのまえ はじめ)という名前があってだな・・・

>61 :59[sage]:2007/09/27(木) 23:09:23 ID:UAkO0Gby0
>>>60
>ペンネーム等で一(にのまえ)や小鳥遊(たかなし)を名乗る人は
>結構いる。
>本名でと言うことになると、どちらも稀少だということ。
>ちなみに、葉の一一(にのまえはじめ)の本名は「二宮一雄」(にのみやかずお)だ。


上の引用にある「葉の一一(にのまえはじめ)」の人は、現在は「二宮一雄」と名乗って
いる模様。

http://ja.wikipedia.org/wiki/Leaf
>プログラム・スクリプト
>二宮一雄(にのみや かずお 一にのまえはじめ)


http://wiki.livedoor.jp/rosswise/d/%C6%F3%B5%DC%B0%EC%CD%BA
>旧名一一(にのまえはじめ)。
>ほかのスタッフにあわせて普通の名前に変更した。
>プログラマー


「一一」が本名だったら、「ほかのスタッフにあわせて普通の名前に変更」というのは、
なしなんじゃないかと。まあ確かなことはいえないけど。

http://vote3.ziyu.net/message.php?3380529&bayaphy
>一で(にのまえ)というのは芸名では確認されているが、本名では確認されてません、
>でも一とかいて(はじめ)(かず)(いち)、と読む名字はあるそうです

>僕の社会の先生はこの名前の人がいたと言い張ってました!!!!


個人的に不思議に思うのは、どうして「一一(かず はじめ)」の方は採用しなかったの
かということ。こちらの方が有名みたいだし、「一」を「かず」と読む方は実在を疑問視
されたりしてはいないのに。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11613311
>昔、バイト先にいらっしゃいました。一一(かず はじめ)さんでした。

http://www.geocities.jp/kazuhajime555/
>一 一(かず はじめ)
>HNの由来
>大学時代先生が「日本に実在する一番シンプルな名前」と教えてくださり、とてもイン
>パクトがあったもので・・・


http://plaza.rakuten.co.jp/ginryousou/5018
>日本で一番短い名前は・・・・一一(かずはじめ)
>これも有名だよなあ~~~


http://fleshwords.at.infoseek.co.jp/dt/dt028.htm
>そんな二字の名前の中で、画数が最も少ない名前は、

>一一(かず はじめ)さんです。


しかし、まあ、「一一(にのまえ はじめ)」という人が実在しないという証明は自分の手に
あまるので、ガセビアの可能性が高いという指摘のみにとどめようかと。


ついでに、この番組のネタは、すぐ上に引用した 2 つのページと、かなりかぶっていたり
する。

http://plaza.rakuten.co.jp/ginryousou/5018
>はてさて、最初の問題は名字の多い国
>これは実は簡単なんです
>新しく出来た国を考えれば良い
>正解はアメリカ
>移民の国だから、好きな名前を付けたり母国の名前
>これらが混然として名前が付けられる
〈略〉
>日本で名前の無い人とは「天皇」
>こりゃ簡単
>天皇の血筋の宮家は、どこも名字が無い
>宮家で称されるから
>彼らの血筋は皇系の籍に全て記載される
>勿論、今回のように女性が結婚したら籍から除外


http://www.ntv.co.jp/s-kakumei/onair/100905.html
>Q.世界で一番名字が多い国は日本「×」
>⇒世界で一番名字が多い国は「アメリカ」で100万種類以上あると言われている:
>アメリカは多くの国から人が移住している移民の国であるので
>*名字が多いと言われている日本でも約15万種類である。

>Q.天皇家に名字がない「○」
>天皇家は日本の象徴であり、戸籍には掲載されていない


http://fleshwords.at.infoseek.co.jp/dt/dt028.htm
>ちなみに、良くある珍名は「鳥遊(小鳥遊)(たかなし)」「月見里(やまなし)」「四月一
>日(わたぬき)」 「八月一日(ほずみ)」「栗花落(つゆ)」
〈略〉
>数字一字の名字としては、

>一(かず)、一(にのまえ)、一(でかた)、一(いちもんじ)、一(はじめ)、

>二(いちのつぎ)、二(さんのまえ)、二(したなが)、九(いちじく)、十(つなし)

>などがあります。


http://www.ntv.co.jp/s-kakumei/onair/100905.html
>■実在する珍しい名字
>前  ⇒ 「すすむ」
>九  ⇒ 「いちじく」 *一字で九と読む
>十  ⇒ 「もぎき」 *「木」の枝をもぐ⇒十(もぎき)
>十八女 ⇒ 「さかり」
>月美里 ⇒ 「やまなし」 *月が美しく見える里⇒山が無い⇒「やまなし」
>小鳥遊 ⇒ 「たかなし」 *小鳥が遊べる⇒鷹がいない⇒「たかなし」


といっても、別にパクリとか非難したいわけではなくて。

ネタがかぶるのはしかたないとは思うものの、細部に微妙な食い違いがあり、しかも
どちらかというと、テレビの説明の方が劣化コピーっぽいのが気になるのだ。

切り出し方も上手とはいえなくて、「十」を「もぎき」にするとしても「つなき」とするにして
も、ネット上のサイトのように、そう読む (ことがある) という紹介だけならば気にならない
のだが、『スクール革命』のようにクイズ形式にされると、どうかなあと思ってしまう。他の
読み方もあるようなのに、正解は 1 つだけのように扱われると、違う読みの名をもつ人の
気分を害するのではないかと心配になる (?)。

http://www.geocities.co.jp/Playtown-Domino/4406/kiseikanwa.html
>十さん
> 「十」数字の10です。こういう苗字の方いるんです。さて、なんて読むんでしょうか? 
>そのまま「じゅう」? まんまやん? まあ、まんまでいいんですけど・・・。そういう方、
>いらっしゃいます。

> 他に、「十」っていう漢字は、棒が十字に交差しています。なので、「よこたて」と読む
>人もいます。「たてよこ」じゃないところがミソですよね。苗字っぽいです。

> また、十字路のことで、「つじ」と読まれる方もいます。「辻」の「しんにょう」を省い
>ちゃったんですね。

> もうひとつの読み、ひとつ、ふたつ、と数字を数えていきましょう。みっつ、よっつ・・・
>ここのつ、とう「とう」だけ、なにかがないですねぇ~。「つ」がないんです。これが、基に
>なった読みがあるんです。「つ」がない、なので、「つなし」です。
> 以上、「十」さんでした。


http://wiki.chakuriki.net/index.php/難読漢字・名字
>39. 十(つなし)
>  これも名字らしい。ひとつ、ふたつ、…、こののつ、とお(「つ」がつかない)
〈略〉
>48. 十(よこだて)
>  読んで字の如しPart2。


ちなみにここも、部分的にネタがかぶっているというか、解説のしかたも似てますね、と。

http://wiki.chakuriki.net/index.php/難読漢字・名字
>05. 小鳥遊(たかなし・鷹がいないので小鳥が遊べる)
>06. 月見里(やまなし・山がないので月がよく見える)
>07. 十六女(いろつき・ロリコン?)
>  16程度でロリを名乗ろうなぞ笑止!
>08. 十八女(さかり・早すぎない?)
> 確かにそれは早すぎると思う。
〈略〉
>30. 一(にのまえ)
>  実在する名字。読み如く 二の前だから。
>  実在しないそうです。ねつ造らしいです。
>   一一(にのまえはじめ)さんがいたらおもしろいかも
〈略〉
>33.九(いちじく)
>  実在する名字で一(にのまえ)同様に、一字で九(く)だから。


http://home.r01.itscom.net/morioka/myoji/uniq.html
>十
>一見、漢数字の「十」に見えますが、本当は漢数字の「十」ではありません。実は、
>「木」という漢字の両側の払いがなくなっているものです(ここでは漢数字の「十」で代
>用しています)。読み方には「もげき」とも「もぎき」とも言われていましたが、「もぎき」
>が正しいようです。その理由は、「木の払いをもいだ形だから」ということに由来しま
>す。漢数字の「十」は縦棒は先を止めますが、「木」という漢字は行書では縦棒の先
>をはねます。ですから、「もぎき」さんも正しくは縦棒の先をはねるのだそうです。



自分はこれまで、2ちゃんねるのスレなどでよくいわれている通り、この手の番組に出演
するときの唐沢俊一は、スタッフが用意したネタをほぼそのまま読み上げるだけかなと
思っていたのだが……。今回は、ネタとしてはありふれていても、細部に悪い意味での
独自性が発揮されているので、唐沢俊一が自分でネタを提供した可能性も低くないの
ではないかと思いはじめている。

その他参考 URL:
- http://www.geocities.jp/journey4web/Tsu/TSURname1.html
- http://miyozi.hp.infoseek.co.jp/kanpekinasuuzimixyouzi.html
- http://www.amazon.co.jp/gp/product/4490107137
- http://5zaru.com/NEWS/?ss=20091001203816
- http://www.houbunkan.jp/myouji/

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