2012.01.09 (Mon)
林光は「変な色眼鏡をこちらに与えていた」 (by 唐沢俊一)
http://megalodon.jp/2012-0108-2224-30/www.tobunken.com/news/news20120108000556.htmlイベント
2012年1月8日投稿
融合を目指した男 【訃報 林光】
1月5日、死去。80歳。昨年9月自宅の玄関で転んで頭を打ち、意識不明が
続いていたという。
大学生のころ、千石の三百人劇場で大島渚の『忍者武芸帳』(1967)を
観て、主題歌が非常に印象に残った。軽快で勇壮だが、どこかアニメソング調
でもある。ふと、曲調が子供の頃よく歌っていた『バンパイヤ』(1968)
の主題歌とソックリだ、と気がついて、(まだ、パソコンで簡単にググること
などできない時代だったから)わざわざ国会図書館まで行って調べて、二つの
曲が同じ作曲者だと知って、深い満足感を覚えたものである(この二作、どちら
も創造社の俳優たちが多く出演しているとか、監修に福田善之が加わっている
とか、共通点が他にもいろいろある)。
http://www.youtube.com/watch?v=He48iBPpuRY&feature=player_embedded
で、その作曲者が、林光だった。
うっかりだったが、そんな苦労して調べたのに、私の大河ドラマテーマ中、
ベストと思っている『花神』の作曲者の林光となかなか結びつかなかった。
勇壮・雄大なメロディの多い大河ドラマのテーマ中、『花神』のテーマは、
殺伐な幕末のドラマとは思えないほどゆったりとして温かく、ちょっと寂しげ
なところもあり、しみじみと心に染みる名曲だったために、こっちは聞いて
いて、イメージが直結しなかったのだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=y0LuczMCHRU&feature=player_embedded
60年以上にわたって作曲の世界にいた人であるが、その成果の多くは舞台
の上にあった。斎藤晴彦(『ロボット8ちゃん』のバラバラマン)などと
組んで、日本に、日本語によるオペラ、オペレッタを定着させるべく、
活動をしてきたのである。シェイクスピアの『ベニスの商人』を長崎の話
に置き換えたミュージカルを、NHKで観たことがあり、大変に面白かった
ことを覚えている。演劇にハマるのがもう少し早かったら、通い詰める
ようになっていたかもしれない。もっと積極的に追いかければよかったの
だが、思想的には革新系・労組系の人であり、それも変な色眼鏡をこちらに
与えていたのかもしれない。
林光の曲のイメージをひと言で表すとしたら、ちょっとバタくさい、日本調の
西洋楽曲という感じであるが、そのイメージは、ミュージカルにはあまり
向かない日本語と西欧楽曲との融合を目指していたから、ということがいえる
だろう。
他に子供向け、家族向けの名曲も多く残しているが、多くが未聴なのが
残念である。……と、思ったら、凄い曲を覚えて口ずさんでいたことを
思い出した!
なぜかウィキペディアの作品歴の中にも入れられていないが、
谷川俊太郎作詞・熊倉一雄歌のこの曲、これも林光だったのであった。
http://www.youtube.com/watch?v=c-ctneSZMJs&feature=player_embedded
この愛すべき歌を、差別意識云々で葬り去ろうというなら、それは
悲しいことだ。
そこにあるのは、作詞家、作曲家ともども、“日本語の持つイメージ”を愛し、
その響きと創造力の広がりを、歌曲というものの中でより楽しめるものに
しようという、その語感力、なのである。
日本語というものを愛し、それを曲に乗せ続けた類い希な才能に、
敬意を表する。
R.I.P.
唐沢俊一のサイトの写真 http://www.tobunken.com/news/images/purof.jpg は、以下
のサイトから取ってきたものっぽい (ファイル名も同じ) けど、よいのかなあ……。
http://homepage2.nifty.com/hayashi_hikaru/newpage2-3.html
>写真:大原哲夫
(画像: http://homepage2.nifty.com/hayashi_hikaru/purof.JPG)
何も、「画像の持ち出しはバーナーを除き、一切禁止」と明記しているところから、パクって
こなくてもよいだろうと思うんだけど。
http://homepage2.nifty.com/hayashi_hikaru/index.htm
>当ホームページの文章の引用・転載は厳禁です。
>画像の持ち出しはバーナーを除き、一切禁止とさせて
「昨年9月自宅の玄関で転んで頭を打ち」と唐沢俊一は書いているが、これは報道よりも
公式サイトの記述をもとにしているためか。どちらにしても発表は 1 月 7 日で、唐沢俊一
が記事をアップしたのは、URL から推定すると 1 月 8 日の 0 時 5 分頃。何をそんなに
急ぐのか、という気が。
http://konnyakuza.blog.shinobi.jp/Entry/78/
>こんにゃく座の芸術監督・座付作曲家である林光さんが、1月5日18時33分、入院先の
>都内の病院で亡くなられました。80歳でした。
>昨年9月に自宅近くで転倒し、頭に大けがを負い、以来意識不明の状態が続いていま
>した。
>葬儀は近親者のみで行なわれ、後日あらためて「お別れの会」を行なう予定です。詳
>細が決まりましたら、お知らせいたします。
>2012/01/07 (Sat)
http://www.asahi.com/obituaries/update/0107/TKY201201060748.html
>2012年1月7日1時9分
>作曲家の林光さん死去 多くの日本語創作オペラ生む
> 日本語の創作オペラと社会性を持った活動で知られた作曲家の林光(はやし・ひか
>る)さんが5日午後6時33分、都内の病院で死去した。80歳だった。葬儀は親族で行
>う。後日、お別れの会を開く予定。
で、2ちゃんねるのスレでは、「『バンパイヤ』を持ち出したけど、『バンパイヤ』は基本
アニメじゃないだろ。 アニメ合成部分もあったけど」と指摘されている (Read More 参照)
『バンパイヤ』。確かにその通りで、唐沢俊一が「アニメソング調」と書いているのは、ミス
リードのきらいがあるかも。
http://www.youtube.com/watch?v=iI8uiQAXOZE
>バンパイア VOL.01 水谷豊主演
前エントリーでやった『傷だらけの天使』でドラム缶に入れられていた水谷豊が、この番組
では狼に変身する (←何という書き方)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/バンパイヤ
>1968年10月5日から1969年3月29日までフジテレビ系で全26話が放送された、実写と
>アニメの合成のモノクロ作品。バンパイヤの変身シーンと変身後の動物形をアニメー
>ションで描いている。
〈略〉
>水谷豊の事実上のデビュー作である。
そして、「曲調が子供の頃よく歌っていた『バンパイヤ』(1968)の主題歌とソックリ」か
どうかは微妙として、『忍者武芸帳』はこれ↓
http://www.youtube.com/watch?v=LsjQI856HEQ
>忍者武芸帳 予告編 Tales of the Ninja
>忍者武芸帳 予告編 1967年 監督:大島渚 製作:中島正幸、山口卓治、大島渚 原作:
>白土三平 撮影:高田昭 音楽:林光
もしかして、「アニメソング調」というのは、『忍者武芸帳』の方からきたのかもしれない
とも思った。白戸三平の絵は、アニメ (動画) ではなく静止画として使われているけど。
確か、唐沢俊一は何かの本で、これをアニドウで上映したら、カムイ伝みたいなアニメを
期待して見にきた客に文句をいわれたとか書いていたような (←うろ覚え)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/忍者武芸帳
>映画版は1967年に大島渚監督が、静止画によるモンタージュという実験的技法で製作
>した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/林光
>・忍者武芸帳(1967年)
> 本作には木下藤吉郎役で声の出演もしている。
その他参考 URL:
- http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20101030/1288436420
それから、「殺伐な幕末のドラマ」なのかなあ、の『花神』について。
http://ja.wikipedia.org/wiki/花神_(NHK大河ドラマ)
>『花神』(かしん)は、NHKで1977年1月2日から12月25日に放送された15作目の大河
>ドラマ。周防の村医者から倒幕司令官に、明治新政府では兵部大輔にまで登りつめた
>日本近代軍制の創始者・大村益次郎を中心に、松下村塾の吉田松蔭や奇兵隊の高杉
>晋作といった、維新回天の原動力となった若者たちを豪快に描いた青春群像劇。
〈略〉
>オープニング
>林光が作曲した舟歌風(8分の6拍子)のテーマ音楽[2]。
『花神』のテーマ音楽については、唐沢俊一の示したリンク:
http://www.youtube.com/watch?v=y0LuczMCHRU&feature=player_embedded
をクリックして、ああこれのことかと思ったり、あれこれだったのと意外に思ったり。
「勇壮・雄大なメロディの多い大河ドラマのテーマ中、『花神』のテーマは、」なんて書き方
を唐沢俊一がしていたので、あまり大河ドラマらしくない曲なのかと思ってリンクをクリック
したら、いかにも NHK 大河ドラマだなという感じの、聞き覚えもある曲が流れてきたので。
「勇壮」は該当しないかもしれないが、「雄大」さは感じられるんじゃないかとも思った。
たまたま前エントリーのからみで聞いていた『黄金の日日』 (こちらの作曲は池辺晋一郎)
や、個人的にこれこそ大河ドラマだと思っている『国盗り物語』のテーマ (これは林光) と
並べてみても、『花神』が特に異色とは思えない。他の曲が皆『山河燃ゆ』 (これも林光)
くらいのテンポで演奏されていたら、また別の感想になっていたかもしれないけど。
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&v=GN-ttLjTf9Y
>黄金の日日
http://www.youtube.com/watch?v=CgbVhpXdIAM
>国盗り物語のテーマ
http://www.youtube.com/watch?v=zyxvlyooemI
>[HD]山河燃ゆ OP Sanga moyu
http://www.youtube.com/watch?v=TfuHA6em9ec
>真田太平記 オープニングテーマ
でも、まあ、そこら辺は、自分も音楽的センスがある方でもないし、ハズした感想を書いて
いるかもしれないし、他人のことはあれこれいえないとして。(『国盗り物語』のテーマなど
は、あえて勇猛さを押さえたという話を聞いた気もするが、自信はない。ご意見募集)。
それにしても、唐沢俊一の「思想的には革新系・労組系の人であり、それも変な色眼鏡を
こちらに与えていたのかもしれない」に、は、いくら何でもなあ……と思った。2ちゃんねる
のスレには「なにこの馬鹿文章。てめえが『変な色眼鏡』をかけてたんだろ」とか書き込ま
れていたけど、「変な色眼鏡をかけて見てしまっていた」と書く人は多くても、相手の方が
「変な色眼鏡をこちらに与えていた」というように、色眼鏡は相手の与えたもの、とにかく
相手のせいだといわんばかりの主張をする人は、悪い意味で珍しいと思う。
2ちゃんねるのスレにはまた、「その曲のタイトル『ひとくいどじんのサムサム』を意図的に
書かないってのはどうなんだろ」という指摘もあったけど、「この愛すべき歌を、差別意識
云々で葬り去ろうというなら、それは悲しいことだ」と書きながら、タイトルさえ書かないと
いうのは、これも悪い意味で珍しい。商業誌に掲載しようとしたら編集者に止められたとか
いうならわかるけど、唐沢俊一自身のサイトに載せるなら、いわゆる言葉狩りからも自由
でいられるはずなのに。まあ、唐沢俊一が一時期得意にしていたような、無意味な伏字
の使用ではしゃいだりしなかっただけマシかもしれないのだけれど。
参考ガセビア (「て×か×患者」とか「テ×カ×の守護聖人」とか):
・その聖バレンタイン、違う人のことです
・ひっくり返りそうになる電波文章 < ×ン×ン退治の守護聖人
その他参考 (「ひとくいどじんのサムサム」関係):
- http://www.nicovideo.jp/watch/sm2306333
- http://www.nicovideo.jp/watch/sm1043110
- http://www.youtube.com/watch?v=75vF4b1FqBo
- http://www.youtube.com/watch?v=gr4lwioYPWo
「他に子供向け、家族向けの名曲も多く残しているが、多くが未聴なのが残念である」とも
書いているけど、たとえば大河ドラマのテーマ曲などは歌詞もないし、「思想的」にどうこう
関係なく聞くことができるのだから、この機会に聞いてみればよかったのにと思ったりも
した。歌詞つきの曲にも、『ひとくいどじんのサムサム』と同様谷川俊太郎の詩もあれば、
宮沢賢治のものもある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/林光
>・四つの夕暮の歌(谷川俊太郎) - 混声合唱版あり。
>・「道」「空」「子供と線路」~ソプラノとフルートのための (谷川俊太郎)
〈略〉
>・セロ弾きのゴーシュ
〈略〉
>・歩くうた(谷川俊太郎)
〈略〉
>・ポラーノの広場のうた(宮沢賢治)
〈略〉
>・岩手軽便鉄道の一月(宮沢賢治)
〈略〉
>・混声合唱とピアノのための「うつくしいのはげつようびのこども」(2003年 マザーグー
> スによる)
>・男声合唱のための「日本抒情歌曲集」(1992年 - 2004年)
>・女声合唱とピアノのための「天使のせいぞろい」(2004年 谷川俊太郎『クレーの天使』
> による)
http://www.youtube.com/watch?v=ZbmuzQ3schM
>武満徹 死んだ男の残したものは / 林光編曲版 東京混声合唱団
まあ、「言葉をきらびやかに飾る天才である谷川俊太郎」とか書いたり (ここを参照)、宮沢
賢治については、こうでああであれだったりする唐沢俊一だけど。
映画音楽もいろいろ手がけていて、唐沢俊一が石堂淑郎のときに言及していた『絞死刑』
の音楽担当も林光。
http://ja.wikipedia.org/wiki/林光
>・北斎漫画(1981年)
〈略〉
>・絞死刑(1968年)
〈略〉
>・みんなの科学(1965年 - 1980年、NHK教育テレビ)
http://www.youtube.com/watch?v=9tFn8vz69TI
>Hokusai Manga 北斎漫画 (1981) Trailer
個人的には、「みんなの科学」のテーマ曲も気になっているのだけど、これは現時点では
YouTube にはアップされていない模様なのが残念。
- http://ja.wikipedia.org/wiki/みんなの科学
- http://mkagaku.jugem.cc/?eid=426
2011.03.24 (Thu)
「古い映画をみませんか」。「映画としては全く面白くない」『謎の空飛ぶ円盤』だけれど。
http://megalodon.jp/2011-0324-0051-22/www.tobunken.com/diary/diary20110321155602.html21日
月曜日
古い映画をみませんか・13『謎の空飛ぶ円盤』
マイケル・コンラッド監督『謎の空飛ぶ円盤』(1950)
http://www.youtube.com/watch?v=J7sWqwLzaHI&feature=player_embedded
↑予告編。
原題はそのものズバリ『THE FLYING SAUCER』。
おなじみカルト映画のDVDメーカーWHDジャパンから。
いや、素晴らしい。
こんな作品を字幕付きで観賞できるとは思いもよらなかった。
WHDジャパンさまさまである。
とはいえ、パッケージにある公開年は1953とあるが実際は1950年。
ここらのいいかげんさもWHDジャパンである。
それくらいどうでもええやんと思うかも知れないが、実は1950年、
という公開年こそが、この作品のキモなのだ。ひょっとして、唯一の価値
かもしれない。
つまり、ケネス・アーノルドが1947年6月に謎の飛行物体を目撃し、
それをマスコミが“フライング・ソーサー”として発表してからわずか
三年後(劇中に大写しになる電報の日付が1949年8月とあるので
撮影は二年二ヶ月後)に作られた映画なのだ。
世界初の“空飛ぶ円盤映画”という栄誉をこの作品は担っているのである。
UFOという存在がそもそも根源からして怪しげなのは、実際にアーノルドが
目撃した三日月型ではなく、マスコミが名付けて報じた“円盤”という名称に
合わせた目撃報告が、記事の発表直後から続出したことである(この映画の
冒頭にもそういう各地での目撃シーンが出てくる)。そういう意味で、空に
目撃される物体そのものはUFOでいいが、20世紀後半に起った一連の
UFO騒動全体は、“空飛ぶ円盤事件”と称するべきであると私は思っている。
その、映像における最初の(それ以前に、すでにTVドラマでは登場して
いるらしいが)現れがこの映画であり、かつ、この映画の特長は、そこに
宇宙人というファクターが介在していない(ネタバレしてしまうのでこれ以上は
言えないが、ネットではもうあちこちでバラされている)ということであろう。
UFOと言えば宇宙人、というのが(異次元人だとか未来人とかいう説もあるが
9割まではやはり宇宙人説だ)通り相場になった現在から見ると異色だが、
それはこの作品の一年後に作られ、この映画とは比べ物にならない完成度を示した
『地球の静止する日』(1951)が映画界に与えた影響があまりに強かった
ためである。逆に言うとこの映画はそのような宇宙人説の波をまだかぶっていない
貴重な映画なのだ。公開年が価値だと言った意味がおわかりだろう。
残念ながらこの映画のネウチはそこまでで、後は映画としては全く面白くない。
何故か大々的(?)なアラスカ・ロケを敢行し、雄大な自然の描写がエンエン
と続くが、こっちはそんなもんを見たくて映画を見てるのではないのである。
ロマンスもアクションもショボいことこの上ない(ヒロインのパット・ギャリソン
のおっぱいはちょっといいW)。
肝心の円盤が、脇見をしていると見逃してしまうくらいホンのちょっとしか
出て来ないし、その飛び方がジグザグの、目撃談によくある飛び方である
ことは感心だが、実物大の造形物のデザインは、どう見てもそういう飛び方
が出来る作りではない。まして、オチが……。
とはいえ、1949年にソ連が核実験を成功させ、一気に戦略的優位をくつがえされた
アメリカの精神的あせりが産んだ、空飛ぶ円盤という20世紀最大の妄想の、
これはかなりチャチとはいえ、その映像化の嚆矢である。あたかも三畳紀の
おしまいあたりにちょこちょこ走り回っていたトカゲが、やがてジュラ紀、白亜紀の
恐竜群となって大繁栄を迎えるように、円盤映画も大発展を遂げる。
この映画には、その狂気の原点である東西対決がストレートな形で表現されている。
それ以前のスリラー映画と円盤映画をつなぐミッシング・リンクこそこの映画と
言えるだろう。
この映画、主演のマイケル・コンラッドが制作、脚本、監督、出演の四役を
こなしている。かなり空飛ぶ円盤に入れ込んだあかしであろう。彼もまた、
50年代のアメリカを襲った円盤熱(ソーサー・フィーバー)の感染者だったの
だろうか。IMDbによればその後もB級映画に出演を続け、数年のブランク
の後、1956年に出演した一本を最後に映画界を去っている。
その一本の題名が『怪獣王ゴジラ』(1954年の日本映画『ゴジラ』にレイモンド・バーら
アメリカ人俳優の演技シーンを撮り足して再編集したもの)。
やはりわれわれスキモノにとり忘れてはならない名前のようだ。
UFOに興味がある方であれば、低価格でもあり、資料として備えておくべき
作品ではある。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004KU8VIO/
「劇中に大写しになる電報の日付が1949年8月とある」からといって、「撮影は二年二ヶ
月後」とは限らないのではないかとか、「実物大の造形物のデザインは、どう見てもそう
いう飛び方が出来る作りではない」って、デザインからは考えられない動きをしたりする
のが UFO というものではないのか、そもそも「実物大の造形物のデザイン」とはどういう
意味かとか、「ちょっといいW」の「W」が大文字だけど、そういう独特の表記をする荒らし
が2ちゃんねるの唐沢俊一スレに来たこともあったような気がするなあとか、突っ込みたい
ところはいろいろあるが、おいといて。
さて、唐沢俊一は、「こんな作品を字幕付きで観賞できるとは思いもよらなかった。WHD
ジャパンさまさまである。とはいえ、パッケージにある公開年は1953とあるが実際は19
50年。ここらのいいかげんさもWHDジャパンである」と書いている。そして、Amazon での
その DVD のページへのリンクをはっている。
なので最初は、唐沢俊一は買った DVD を見て、そしてそのパッケージをながめながら、
この「古い映画をみませんか」を書いたのかと思った。……しかし、リンク先の Amazon の
ページを見ると、DVD の発売日は今年の 3 月 25 日でまだ予約受付中の段階。上記の
唐沢俊一の文章の日付は 3 月 21 日となっているので、発売日より 4 日も前ということに
なる。さらにややこしいことに、自分が昨日 (3 月 23 日) の昼くらいに見たときには、この
「古い映画をみませんか・13『謎の空飛ぶ円盤』」は公開されていなかったような気がする
のだが……。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004KU8VIO
>発売予定日は2011年3月25日です。 在庫状況について
>ただいま予約受付中です。
〈略〉
>タイトル :謎の空飛ぶ円盤
>発売日 :2011/03/25(金)
>価格(税込み):1500
〈略〉
>製作者 :WHDジャパン
〈略〉
>原題 :The Flying Saucer
>製作(公開)年:1953
〈略〉
>【INTRODUCTION】
> ■世界で最初にUFOをスクリーン・デビューさせたとして話題になった幻の映画。
> ■実物大UFOの外形は、今見ても異様で美しいデザインとして語り草。
> ■1947年のケネス・アーノルド事件を基に作られたリアルな描写が見所。
> ■全編アラスカ・ロケの壮大な風景が圧巻!
〈略〉
>製作、監督、脚本、主演をこなすマイケル・コンラッド
特に Amazon だけが遅いのではなく、他のサイトでも発売日は 3 月 25 日となっている。
http://whdjapan.shop4.makeshop.jp/shopdetail/002000000039/
>謎の空飛ぶ円盤
>商品コード : IDM-514
>製造元 : WHDジャパン・フォワード
>通常価格 : 1,500円
〈略〉
>ご予約開始!
>発売日3月25日(金)
http://www.furu1online.net/shop/goods/goods.asp?goods=1883007
>謎の空飛ぶ円盤
>主演者(アーティスト):マイケル・コンラッド
〈略〉
>発売日:2011年03月25日
で、まあ、早売りする店があってそこで購入した場合や、発売前に WHD ジャパン側から
DVD を先渡ししてもらったという場合は、あまり問題ない。後者の場合は、それを伏せて、
「低価格でもあり、資料として備えておくべき作品ではある」などと第三者の顔で購入を
勧めるのは、ちょっとどうかと思うけれど。
それ以外には、現物を見ないで、他の人の書いたレビューのみを元に書いたという可能性
も否定できない。ことUFO に関しては (も?)、この件とかこの件とかこの件とか、何かと前歴
のある唐沢俊一なのだから――というだけの理由でいっているのではない。今回唐沢俊一
がアップした文章中には、以下に引用するブログに書かれていない情報は、実はほとんど
含まれていないのだ。
http://palladion.fantasia.to/step_blog/archive_172.htm
>謎の空飛ぶ円盤
>2010-7-5 21:24
>『謎の空飛ぶ円盤』(1950)は、マイケル・コンラッドが監督、製作、脚本、主演の全てを
>一人でこなした作品。
>
>と聞けば、これはもう絵に描いたようなB級映画であるという事が分かるわけですが・・・
>
>注目すべきは、この作品が製作された年。
>
>1950年といえば「空飛ぶ円盤(UFO)」という概念ができたケネス・アーノルド事件から
>わずか三年後。
>
>それでは「空飛ぶ円盤」が初めて映画に登場したのは? と考えてみたところ・・・
>
>テレビ・シリーズでは『Bruce Gentry』(1949)という「空飛ぶ円盤」が登場する連続活劇
>が存在したようですが、映画としてはこの『謎の空飛ぶ円盤』が最初ではないかと。
〈略〉
>つまりこの映画は、侵略物でもなければ宇宙SFでもなく、どちらかといえばスパイ物に
>近い作品なのです。
>
>ある意味これは興味深い、というか非常に珍しい映画ですね。たしかにUFOが目撃され
>始めた当時は、宇宙人の乗り物という考え方とは別に、どこかの国の秘密兵器なので
>は、という説も多かったようですが、実際にこういう設定の映画が存在していたのは驚き
>です。
〈略〉
>見せ場であるはずの円盤の登場シーンがトータルでも数十秒程度だったり、格闘シーン
>がわざわざ相手のパンチを待っているのか、というほどわざとらしかったり、もう書くのが
>面倒くさいほど全てが酷い。
>
>これでは、映画史に名を残すどころではありません。
>
>ただ、当時の目撃例を忠実に再現したと思われる円盤の飛行シーンは結構迫力があり
>ました。
〈略〉
>最大の見どころは、この映画全編で見られるアラスカの風景。
>
>このアラスカのシーン、主人公がちゃんと映っているので流用フィルムばかりではなく、
>実際のロケしたものが多く使用されているようです。
>
>ほとんど映画の半分くらいを占めるのでは、と思われるほど多く挿入されている風景の
>ショットは素晴らしく、まるでドキュメンタリー映画を見ているようでした。実際、アラスカ
>の風景を見せたいだけじゃないの?って思わせるほど不自然なくらい多いのです。
>
>ただ、そのせいで物語が全く進行しないんですけど・・・。この監督一体何がしたいのか
>さっぱりわからん。
DVD が未発売だけあって (?)、「"謎の空飛ぶ円盤"」でググってみても、映画の内容を
紹介している日本語のブログは、あまり見つからなかった。上に引用したブログのように
検索結果の最初のページに表示されるものは例外といえる。唐沢俊一は、映画のオチが
「ネットではもうあちこちでバラされている」と書いているが、自分はそう何個も見つける
ことはできなかった。
そのブログに書かれていないことで、他のページから引っ張ってくるのも難しそうな記述
として、「パッケージにある公開年は1953」というのがあるが、これは Amazon の
画像 http://ec2.images-amazon.com/images/I/51aU4rg5KFL.jpg を見れば、右上の方に
1953 と書かれていることが確認可能。
ただし、その他に「劇中に大写しになる電報の日付が1949年8月」という記述もあり、
こちらについては、わからない。DVD の現物が入手できなかったのかもしれないとか
思ってしまうのは、こちらの考え過ぎという可能性も低くない。
その他参考 URL:
- http://x51.org/x/06/10/2543.php
- http://www.sightings.com/1.reports2010/hollywoodconresurf.html
- http://ja.wikipedia.org/wiki/SF映画の一覧
追記: コメント欄に書いたけど、「電報の日付が1949年8月」は、IMDb の方に書かれて
いた。
http://www.imdb.com/title/tt0042469/
> Did You Know?
> Trivia
> According to the dates shown on two telegrams, the basic action of the film
> takes place mid-August 1949.
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-616.html に続いて (?) IMDb の
Trivia の項目はしっかりチェックする唐沢俊一、という話かも。
2010.10.09 (Sat)
英語バージョンなら、お二人の間に I が割り込む余地はありません、とか?
-------
とはいっても、「ジュニアラマタの世界ウィット遺産」を見逃したため、唐沢俊一が本当に
アルファベットの I を、「GとHの間」とかやらかしたのかどうかは、自分で確認したわけ
ではないのだけれど。
-------
とか書いた、唐沢俊一の脳内ワールドではアルファベットの順番も G - I - H と変更され
てしまうのかという疑惑について。 (以前のエントリーの Read More も参照のこと)。
件のテレビ番組の様子については、「唐沢俊一検証blog」の「HのあとにはIがある。」
を参照していただくとして、気になったのは、2ちゃんねるのスレに書き込まれた以下の
文章。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1285723672/846
>846 :無名草子さん:2010/10/07(木) 21:54:34
>飛行機の座席にIがなく、新婚さんがスチュワーデスに聞きに行ったら
>「アイはお二人の間にございます」という話は
>かなり昔、上前淳一郎の「読むクスリ」で読んだ。
>
>うろ覚えだけど、Iがないのはiとjが間違えやすいからという理由だと
>書いてあったような記憶もある。
元ネタがあって、しかもそれが上前淳一郎の『読むクスリ』となると、もっとちゃんとした、
わかりやすい話だったのではないかと思った。アルファベットの順番が滅茶苦茶になって
いないのはもちろんとして、飛行機に乗ってからアテンダントに聞く前に、チケット購入の
際のカウンターとか、ツアーの場合はツアーコンダクターにとか、尋ねる機会はあった
だろうという疑問に応えてくれるのではないかとも。
で、本屋か図書館で探そうかなと思ったけど、その前にググってみたら、あっさりと見つ
かったので引用してみる。
http://womancity.jp/page.asp?idx=10001259&date_sel=2008/10/14
>この秋 素敵な本に出会いましたか
>パパの書斎に積みあがった本の中から「読むクスリ」という面白そうな文庫本を見つけ
>ました。
>薬学生の私にとってこの本のタイトルはちょっぴり気になります。
>パラパラっとめくって見てるうちについ夢中になって一気に読んでしまいました
>
>☆ その中でホロリとしたお話を1つご紹介します。
>飛行機の座席はABC…とナンバリングされています。
>ある航空会社は Hの次の?(アイ)は 数字の1とまちがいやすいので飛ばしている
>そうです。
>搭乗券をもらいにきた新婚カップルが“HとJ”の券を受け取り
>「あのう隣の?(アイ)の席はないのですか?」
>そこでカウンター嬢がにっこりと
>「はい。アイ(愛)はちゃんとお二人の間にございます!」
>なんだかほのぼのとするお話です
http://suchi.srs.ne.jp/book/book200003.html
>「読むクスリ」
>あのくそいまいましい「週刊文春」の連載。「本の雑誌」での読者お勧めを見て
>うっかり買う。弱ってるか、おれ?
>
> 飛行機の座席番号には、'1'と混同しやすいため'I'が無い。新婚旅行の客が、
> 二人の席が'H'と'J'で離れていると苦情が来ることもあるそうだ。飛行機会社の
> 担当者は、このことを説明し「大丈夫です、お二人の間にアイがあります」と
> 答える。
>
>いい話じゃないか。こういうくそいまいましい話が満載だが、これ以外なにひとつ
>覚えていない。
番組では「Hの次の?(アイ)は 数字の1とまちがいやすいので飛ばしている」という
説明を飛ばしているのかな、と。
ネタを出したのが唐沢俊一にしても番組のスタッフにしても、参考にしたのが本にしても
ネット上で紹介された文章にしても、その劣化コピーぶりは見事だとしか。
「“HとJ”の券」、「'H'と'J'」とか書かれているものを G と H の間に I という話にしただけ
でも充分 (?) なのに、航空会社の「カウンター嬢」、「飛行機会社の担当者」という話を、
飛行機に乗ってからはじめて気がついてアテンダントに聞く話に改悪しているし。
個人的に、この改悪はちょっとないだろうと思うのは、せっかくの実際にありうる話、
ありそうな話と思わせるものを、ありそうもない間抜けな話に改変してしまっているため。
オリジナルの話では、「?(アイ)の席はない」「アイはない」とか新婚夫婦にいっている
うちに気が引けて、つい「お二人の間にアイがあります」といいたくもなるかなと思える。
唐沢俊一だか番組スタッフだかによる劣化コピーでは、「アイがあります」というオチを
いいたいためだけの不出来な作り話にしか思えない。
2010.09.30 (Thu)
『キリンヤガ』にはンデミやンガイが出てきたりする
・「光宇宙 (ピカチュウ)」は非実在?
・オードリー踊るなら
・一という名字だったら一という名前をつけたくなるかな人情として
・時々でいいからお公家さんのことも思い出してください
・実在しない名字をカウントするのは止めましょうということで 10 万種類
・元データ不明の「知念」は「約20倍いる」
・唐沢俊一に“スミス”を扱わせたのがいけなかったんじゃなかったかという話も
・ほにょ、ほんにょ、ほにお、すずきの木
・佐藤さんといえば大ムカデ退治と西行法師
・天国への梯子だったり天皇の料理人だったりの高橋さん
・笑う藤原氏
の続きのようなもの。ネタが「ん」だから、さすがにそろそろ最後かなあ……。
日テレ『スクール革命』の唐沢俊一担当部分より。
http://www.ntv.co.jp/s-kakumei/onair/100905.html
>Q.「ん」で始まる日本の名字がある「×」
>⇒世界的にも「ん」で始まる名字は少ないが
>アフリカ諸国では「ん」で始まる名字がある。
>例:南アフリカの作家 ンデべレさん
> ジンバブエの歴史学者 ンドロさん など
まあ、「『ん』で始まる日本の名字がある」かどうかについては、かなり意見がわかれる
ところみたいで、たとえば下に引用する「Yahoo!知恵袋」では、同じページに、あるという
人と、ないという人による 2 通りの回答が同居している。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1012271155
>んねさか(兼坂)
>んまこし(馬越)
>んがむら(栂村)
>私が知っているのは、この3氏です。この他にも櫻坂(をさか)、帯刀(をびなた)、
>生実(をゆみ)と「を」から始まる苗字もありますよ。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1012271155
>「ん」や「を」から始まる苗字は、巷間いくつか伝わっていますが、
>おそらく全ていわゆる幽霊苗字(あるというのに、実際に名乗っている人が見つから
>ない苗字)でしょう。
>実在がはっきりと確認されている中で、五十音の最後に来る姓は、
>「分目(わんめ)」さんだそうです。
その他実在派
- http://jp.blurtit.com/q436606.html
- http://homepage3.nifty.com/GREAT/kotoba/n-dic.htm
その他非実在派
- http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/yuurei2.html
- http://miyozi.hp.infoseek.co.jp/saisixyonomixyouzi.html
珍しい苗字ランキング http://vote3.ziyu.net/html/bayaphy.html でも人気の「んねさか
(兼坂)」だけど、出典がはっきりしない。
「全国の苗字(名字)」http://www2s.biglobe.ne.jp/~suzakihp/index40.html をネタ元と
する人 (http://uhotani.web.fc2.com/myouzi.html) もいれば、「日本の苗字7000傑」
http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm にあるという人もいる。
http://www.technorch.com/archives/2007/05/post_115.html
>少々ズレますが実在が確認されているリストとして「日本の苗字7000傑」があります。
>一(にのまえ)・美女(びじょ)・豊饒(ぶにゅう)・戸苣ン斗(こきょんと)兼坂(んねざか)・
>仙人掌(さぼてん)・日本(にほん)
>などです。
しかし、「全国の苗字(名字)」には「んねざか」の読みの登録はないようだし、「日本の
苗字7000傑」では読みを提供していないようなのだけど……。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~suzakihp/index40.html
>9228 兼坂 208 カネサカ カネザカ ケンサカ ケンザカ ケネサカ
それに、以前こちらのエントリーでやったように、日テレ『スクール革命』は名字の順位
づけに「村山ランキング」の順位を使っていて、このような電話帳ベースのランキングを
採用したからには、「個人別の電話帳には、『ん』で始まる名字の人はいない」ことを
理由に、「ん」で始まる名字は実在しないとするのは、一応正しいようにも思う。
http://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/ura/kotoba_ura_08080101.html
>今はほとんど見かけなくなった個人別の電話帳には、「ん」で始まる名字の人はいな
>いために、「ん」の項目はありませんでした。しかし、昭和40年代に店の名前として
>「ん」という登録があったために職業別電話帳には「ん」を設けたそうです。
もっとも、以下のような話も投稿されていたりする……「一(にのまえ)」のときも思った
けれど、ないことの証明は結構大変だなあということで。
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51385632.html
>541 水先案名無い人 :2008/10/28(火) 01:49:11 ID:tZDYogfoO
>283:不法入国者(関東・甲信越) :2008/10/28(火) 00:25:21.38 ID:JCMrxNbr
>むかし、あまりにも暇なんで電話帳みてたら「ん」の欄があって驚いた。漢字も見たこと
>もない読めない字だった。
また、「『光宇宙 (ピカチュウ)』は非実在?」のときに述べたように、現在のところ名前の
読みは戸籍には記載されていなくて、住民票にふりがなが存在するかどうかも自治体
によって異なる。読みをどうするかは、割と自由に変更することができるのだ。
で、下に引用する「んねざか あやり」のような明らかに非実在のキャラだけではなく、
そのまた下に引用する「兼坂安養(んねざかあんよう)です」のような例もある。
http://www26.atwiki.jp/pikuyuri_meibo/pages/17.html
>兼坂 あやり んねざか あやり 百合学芸術 日本史/日本画 24 179 7月14日
http://www.creatorsbank.com/portfolio/index.php?id=hideaway
>フォトグラファー
>兼坂安養函館在住の兼坂安養(んねざかあんよう)です。 函館市街および近郊の写真
>を好んで撮っています。ぜひ、ご覧下さい。
それに、ここの話をいえば、「光宙 (ピカチュウ)」ならまだしも「光宇宙 (ピカチュウ)」が
実在するとか断言する一方、「ん」で始まる名字は実在しないと断言する番組の判断の
基準も、実はよくわからない部分があるが、おいといて。
んで、どちらかというと、こちらが本題のつもりの、「ん」で始まる外国の名前について。
http://okwave.jp/qa/q3127815.html
>「ン」で始まる外国の名前ってありますか?
>子供からの質問で「ン」で始まる外国のの名前を探しています。
>地球儀みても見つからないので、質問しました。
〈略〉
>連想キーワード:ユッスー・ンドゥール ンゴロンゴロ保全地域 ングラライ国際空港
>グラライ ンゴマ
〈略〉
> 地名でよろしいでしょうか?
>タンザニアのンゴロンゴロ。自然保護区になっています。
>http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mimatsu/tabi/africa/ngoro/ngoro.html
>http://www.eic.or.jp/library/pickup/pu061012.html
>同じくアフリカのチャドの首都がンジャメナです。
>http://contest.thinkquest.jp/tqj1999/20280/COUNTRY/Chad.htm
〈略〉
>アフリカでは「ンジャメナ」「ンゴロンゴロ保全地域」という場所が存在します(前者は
>「ウンジャメナ」と置き換えられたりもする)。 またインドネシアバリ島の玄関口である
>デンパサール国際空港の正式名称は「ングラライ国際空港 (Bandara Internasional
>Ngurah Rai / Ngurah Rai Airport) 」であり、これは独立戦争の英雄グスティ・ングラ・
>ライに因んでいます(もっともこれについては「グラライ」の片仮名表記もまた存在する)。
地名ではあるが、「ンジャメナ」「ンゴロンゴロ保全地域」というのは、「ん」で始まる名前
というお題では、よく言及されるものといえるだろう。「ングラライ国際空港」の方は後でも
述べるが、人名由来でもある。
この http://okwave.jp/qa/q3127815.html には「wikipediaさすがですね」という質問者の
コメントがあるが、実際、Wikipedia の「ん」の項は、結構充実しているなあと思った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ん
>「ん」は元来五十音には現われないが、一般にわ行の次に置かれる。
〈略〉
>日本語において、共通語には基本的に「ん」より始まる単語が存在しない。ただし方言
>音などを見ると「生まれる」など語頭に鼻濁音[ŋ]がくる単語があり、それを「ん」で表現
>することがある。1944年に文部省が制定した『發音符號』にて、語頭の鼻濁音は「ん」
>と同じであるが、語頭に「ん」を置くのは違和感があるため、「う゚」を使用するように定め
>たが、この表記はほとんど浸透しなかった。現在、上記の表記を共通語音「う」と特に
>区別する場合、「ん」が使用されることもある。
>・日本では琉球語に「ン」から始まる単語が多数見られ、中でも与那国方言において
> 顕著である。
>・本来「馬」「梅」は「ンマ」 (mma)「ンメ」 (mme) と発音されており、それが方言として
> 残っている地方もある。古典的仮名遣いでは、「馬」は「むま」と書かれた。また、
> これらはいずれも大陸からの移入種であり、遡れば中国語の「マー」「メイ」という
> 発音にたどり着く。
>
>日本語以外の言語に於いても、「ン」から始まる言葉は少ない。外国語の単語を仮名
>表記する際、基本的には鼻音で始まり後続する音が母音でない場合に、「ン」で始ま
>る言葉として表されることがある。ただし、外国語音を日本語でどう捉えるか、仮名で
>どのように表記するかという問題があるため、その多寡を単純には結論づけられない。
「外国語音を日本語でどう捉えるか、仮名でどのように表記するかという問題があるため、
その多寡を単純には結論づけられない」――というのは、まさにその通りと思うので、
「世界的にも『ん』で始まる名字は少ない」とのみ書いて終わりの日テレ『スクール革命』
の製作側には、ぜひ見習って欲しい姿勢だったり。(←偉そう)
以下、Wikipedia の「ん」の項目の続き。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ん
>・中国語の方言である広東語には「ng」および「m」という音節が存在する。例えば名字
> によくある「呉」の発音は「ng」であり、香港の喜劇俳優「呉孟達」の名前を片仮名
> 表記する場合「ン・マンタッ」と書く。
>・台湾語(閩南語)で「黄」の発音も「ng」である。
>・インドネシアバリ島の玄関口であるデンパサール国際空港の正式名称は、ングラライ
> 国際空港 (Bandara Internasional Ngurah Rai / Ngurah Rai Airport) であり、これは
> 独立戦争の英雄グスティ・ングラ・ライに因んでいる。ただしこれについては、
> 「グラライ」の片仮名表記もまた存在する。
>・アフリカではンジャメナ、ンゴマ、ンゴロンゴロ、キリマンジャロ(Kilima-Njaro)、
> ユッスー・ンドゥールなど「ン」から始まる名前・単語が存在する。ただし「ン」の
> 代わりに、「ウン」、「エン」、「ヌ」、「ム」に置き換えられることがある。(エムボマ、
> エンクルマ、ヌデレバ、タボ・ムベキ)
〈略〉
>・Wikipedia:索引 ん - 「ん」もしくは「ン」で始まる単語
>・んとす - 広辞苑の最後の項目。
>・ん廻し - 落語の演題
「キリマンジャロ(Kilima-Njaro)」というのを見て、そういえば昔、「キリマンジャロ」は
「キリマン・ジャロ」ではなくて「キリマ・ンジャロ」という話は読んだことがあるなあと
思い出したりもした。
「『ン』の代わりに、『ウン』、『エン』、『ヌ』、『ム』に置き換えられることがある」のは、
最初に「ン」がくるのをなるべく避けようとするためだろうか。「エムボマ」の場合は、
フランス時代の綴り間違いが原因とのことで、また別かもしれないけど。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ンボマ
>パトリック・エムボマ
>(ンボマ から転送)
>パトリック・エムボマ
>名前
>本名 アンリ・パトリック・ンボマ・デム
〈略〉
>パトリック・エムボマ(Henri Patrick Mboma Dem, 1970年11月15日 - )は、カメルーン
>出身の元同国代表サッカー選手。唇を閉じて「ンボマ」と発音するのが正しいが、フラ
>ンス時代に誤って「M'boma」と綴られたため「エムボマ」と呼ばれるようになったとされ
>る。
さらに、関連項目にある「Wikipedia:索引 ん」を見ると、人名を含む様々な名前を参照
することもできる。ただし、残念ながらこの一覧には、日テレ『スクール革命』のサイトで
紹介されている「南アフリカの作家 ンデべレさん」「ジンバブエの歴史学者 ンドロさん」
どちらも存在しないのだが……。「ンデベレ語」、「ンデベレ人」はあるが作家についての
項目はなく、「ンドロ」の項目はなくて「ンドランゲタ」の次は「んなことあるか」。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ンデベレ語
>ンデベレ語 (ンデベレご、Ndebele) は、ジンバブエと南アフリカ共和国のンデベレ人が
>話す言語の総称である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ンドランゲタ
>ンドランゲタ ('Ndrangheta)は、イタリアの犯罪組織マフィアのうちカラブリア州(特に
>レッジョ・ディ・カラブリア)を拠点にしているものである。 約150団体(約5,200人)を
>擁する[1]、コーサ・ノストラ、カモッラ、サクラ・コローナ・ウニータ(it)と並ぶイタリア4大
>マフィアの一つ。
それに、この「Wikipedia:索引 ん」の項目をながめていると、「ン」が先頭の表記の名字を
例示するにあたり、何もアフリカ諸国にのみこだわることはないのではないか、アフリカ
以外にだって使えそうな名前がいくつもあるのではないかという気になってきたりもする。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ングラライ
>グスティ・ングラライ
>(ングラライから転送)
>グスティ・ングラライ(I Gusti Ngurah Rai、1917年1月30日 - 1946年11月20日)は、
>バリ州バドゥン県のインドネシア独立戦争の英雄。
〈略〉
>彼の名前は、デンパサール国際空港の別名グスティ・ングラライ国際空港としてその
>名前を残し、バドゥン県最北の生誕地近くの村の空港からの道路(ングラライ・バイパ
>ス)とサヌールからヌサドゥアへの道路の交わる交差点の真ん中にングラライの像が
>ある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ン・シンリン
>呉倩蓮
>(ン・シンリン から転送)
〈略〉
>ン・シンリン(広東語)
〈略〉
>呉 倩蓮(ン・シンリン、またはウー・チェンリン、ウー・チェンリェン)は台湾台北市出
>身、中華圏の映画及びテレビドラマで活躍する女優。
女優だけど、本名と芸名が別というわけではなさそう。Wikipedia の「ん」の項目には、
「香港の喜劇俳優『呉孟達』の名前を片仮名表記する場合『ン・マンタッ』と書く」と
紹介されている「呉 孟達」は、多くのページで「ン・マンタ」と表記されていて、この人も
多分芸名も本名も同じ。
http://homepage3.nifty.com/asiastar/person/ngmantat.html
>JISコード表記 : 呉 孟達
>日本での通称名 : ン・マンタ
>アルファベット表記 : Ng Man Tat
http://www.fmstar.com/movie/n/n0140.html
>NG MAN TAT ン・マンタ 呉孟達
http://en.wikipedia.org/wiki/Ng_Man-tat
>Richard Ng Man Tat (simplified Chinese: 吴孟达; traditional Chinese: 吳孟達;
> Cantonese Yale: ng4 maang6 daat6; born 2 January 1952) is a veteran actor in
> the Hong Kong film industry, with dozens of titles under his belt.
これらを考えると、日テレ『スクール革命』のサイトの「アフリカ諸国では『ん』で始まる
名字がある」という記述は、間違いではないものの、何だか今ひとつだなと思えてくる。
また、どうしてもアフリカがよい (?) なら、ナイジェリアの初代大統領ンナムディもいるし、
http://okwave.jp/qa/q3127815.html の連想キーワードにもあったユッスー・ンドゥール
もいたりする。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ンナムディ・アジキウェ
>ベンジャミン・ンナムディ・アジキウェ(Benjamin Nnamdi Azikiwe、1904年11月16日-
>1996年5月11日)は、ナイジェリアの政治家。イボ人。ナイジェリアの第三代総督を
>つとめ、共和制移行後は初代大統領に就任した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ユッスー・ンドゥール
>出生名 Youssou N'Dour
〈略〉
>ユッスー・ンドゥール(Youssou N'Dour, 1959年10月1日 - )は、セネガルの歌手。
でもまあ、唐沢俊一がいっているだけならともかく、「南アフリカの作家 ンデべレさん」
に「ジンバブエの歴史学者 ンドロさん」というのは、何のかんのいって日テレのサイトに
掲載されているものなので、丸っきりデッチ上げとも考えにくいと思って、探してみた。
「"ンデべレ" 作家」や「"ンドロ" 歴史学者」でググっても今ひとつだったのだが、
「"ンドロ" ジンバブエ」で、以下のブログを発見。
http://www.njg.co.jp/blog_morioka.html?itemid=277
> このヌデレバという名字、アルファベットで書くと、“Ndereba”。一般には「ヌデレバ」
>と言われているが、本当の発音は「ンデレバ」に近いのではないだろうか。
> アフリカには、“Nd”で始まる地名や人名がある。しかし、日本語では「ん」ではじまる
>単語はうまく発音できないため、カタカナに直すときに苦労する。現代南アフリカを代表
>する作家、“Ndebele”は、「ンデベレ」、ジンバブエの城壁都市グレート・ジンバブエの
>保護・研究で知られる“Ndoro”は「ンドロ」と書くことが多い。一方、ブルンジの大統領
>“Ndadaye”は「エンダダイエ」或いは「ヌダダエ」と書かれる。
> 直接現地での発音を聞いたことがないため憶測にすぎないが、おそらく本当の発音
>は「ん」に近いのではないだろうか。
上に引用したブログの筆者は、このエントリー、そして、ここでも登場の森岡浩という人。
……何かマジで、パクリ元として狙い撃ちされているのではないかという気が。
それはさておき、上に引用したブログの“Ndereba”、「ヌデレバ」というのは、マラソン
選手のヌデレバのことを指している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/キャサリン・ヌデレバ
>キャサリン・ヌデレバ(Catherine Ndereba、1972年7月21日 - )は、ケニアのニエリ
>出身の女子マラソン選手。2001年10月7日にシカゴマラソンを2時間18分47秒で走り
>当時の世界記録を達成、現在もアフリカ記録(世界第2位)を保持している。日本の
>メディアでは、「ンデレバ」「デレバ」の表記も見られたが、アテネオリンピック以降は
>ほぼ「ヌデレバ」で統一されている。
なるほど、Ndereba つながりで、「アフリカには、“Nd”で始まる地名や人名がある」という
視点で名前を挙げているのだから、Nd ではなく Ng で、しかもインドネシアのングラライ
(Ngurah Rai) だとか、名字が呉 (Ng) であるン・シンリン (ng sin lin、wú qiàn lián) やン・
マンタ (Ng Man Tat) とかの名前が出てこないのは当然である。アフリカであっても、
Nnamdi のンナムディにはいかないのも納得だし……。ンドゥールは N'Dour なので、Nd
に入れられるかどうかは微妙なところだろう。
そういう条件なしで、「ん」で始まる名字の人物というお題が出されたときに、この 2 名
だけを挙げて他はなしというのは……あまりしない選択じゃないかなあ。このブログが
ネタ元とすれば、ググっていて違和感バリバリだった、どうして作家と歴史学者の名前
だというのに、ファーストネームなしの「ンデベレ」「ンガロ」としか書いていないのだろう
という疑問にも説明がつく。
ちなみに、「ンドロ」は、ウェバー・ンドロ (Webber Ndoro)。
http://www32.ocn.ne.jp/~jizaiya/list/magazin/science/316.html
>『コンピューターウイルスvsデジタル免疫系』(98年02月号)
〈略〉
>(4)『アフリカの城壁都市グレート・ジンバブエ』(ウェバー・ンドロ/吉国恒雄訳)
http://www.nikkei-science.com/item.php?did=50802
>アフリカの城壁都市グレート・ジンバブエ
>W. ンドロ
>独立後の国名ジンバブエはこの遺跡にちなんでいます。石造りの優美な曲線をもつ
>城壁都市です。中世ヨーロッパ人の「黒人にこんな立派な文明があったはずがない」
>という偏見のせいで,聖書のソロモン王の黄金都市と間違われ,黄金目当てに破壊
>された,悲劇の遺跡でもあります。
関連ガセビア
・ミラクルアイランドのジパングを信じなさいってピンクレディーもうたっていたよ
http://www.nikkei-science.com/page/magazine/9802/Zimbabwe.html#chosha
>著者 Webber Ndoro
>ジンバブエ大学文学部歴史学科講師。文化財保護と博物館学を教えている。
>ケンブリッジ大学で考古学の学位を,ニューヨーク大学で建築物保存の学位を取得。
>1988年から1994年までグレート・ジンバブエの遺跡保護官を務め,保護計画の立案
>にあたった。
「グレート・ジンバブエの保護・研究で知られる“Ndoro”」との記述の方には問題がない
として、日テレだか唐沢俊一だかがオリジナルに (?) 書いている「歴史学者」というのは
どうなのだろう、どちらかというと「考古学者」という気もするのだけど。
「南アフリカの作家 ンデべレさん」の方は、ジャブロ・S. ンデベレ (Njabulo S. Ndebele)
で、S は Simakahle の S らしい。作家というので、ペンネームだったらどうしようと思った
が、彼は Professor でもあり、Ndebele は本名の模様。
http://www.amazon.co.jp/dp/4883190331
>愚者たち (アフリカ文学叢書) [単行本]
>ジャブロ・S. ンデベレ (著), Njabulo S. Ndebele (原著), 福島 富士男 (翻訳), 村田 靖子
>(翻訳)
http://en.wikipedia.org/wiki/Njabulo_Ndebele
> Professor Njabulo Simakahle Ndebele (born 4 July 1948 in Johannesburg), an
> academic, a literary and a writer of fiction, is the former Vice-Chancellor and
> Principal of the University of Cape Town.
http://www.whoswhosa.co.za/user/1513
> Njabulo NdebeleSouth Africa, Professional Services General
2010.09.25 (Sat)
佐藤さんといえば大ムカデ退治と西行法師
・「光宇宙 (ピカチュウ)」は非実在?
・オードリー踊るなら
・一という名字だったら一という名前をつけたくなるかな人情として
・時々でいいからお公家さんのことも思い出してください
・実在しない名字をカウントするのは止めましょうということで 10 万種類
・元データ不明の「知念」は「約20倍いる」
・唐沢俊一に“スミス”を扱わせたのがいけなかったんじゃなかったかという話も
・ほにょ、ほんにょ、ほにお、すずきの木
の続きみたいなもので、「鈴木」さんの次は「佐藤」さんかなやっぱり、ということで。
日テレ『スクール革命』の唐沢俊一担当部分では、佐藤の由来は以下のようになって
いる。
http://www.ntv.co.jp/s-kakumei/onair/100905.html
>第1位 「佐藤」
>由来:日本で一番繁栄した貴族が「藤原氏」。「佐(すけ)」という職位を務めた藤原氏
>が「佐藤」という名字を付けたことから
>⇒「佐藤」姓が生まれたと言われている。
これについては、既に「唐沢俊一検証blog」が言及している。
http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20100912/1284293800
> さて、番組内で唐沢が「オードリー」には「貴族が持つ精神の強さ」という意味がある
>という雑学を披露したところ、「諸説あります」というテロップが出たので、「ああ、『給与
>明細』再びか…」と思ったものだが、他にも「佐藤」という苗字の由来についても番組で
>紹介された以外の説(藤原秀郷が佐野に住んでいたことに由来する説など)がある。
>どうもこの番組は「諸説」の扱い方がズサン。
『給与明細』関連 (使い回しを含む)
・ガセビアを 一度数えて あきれ果て
・まだまだいそうな人間以外の「正常位をやる動物」
・イモリの黒焼きよりもゴールド、これ最強
・カン違いじゃない「恋愛による興奮」ってのも難しいかも
「貴族が持つ精神の強さ」については、「オードリー踊るなら」のエントリーの方でやった
けど、こういうガセレベルのものに「諸説あります」の方を使って、本当に「諸説あります」
の「佐藤」姓の由来に関しては、そのままスルーというのが、唐沢俊一を起用する番組
らしいクオリティと思えなくもない。
さて、佐藤という名の由来の「諸説」をコンパクトにまとめたものに、以下のようなページ
がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/佐藤
>佐藤の名の由来は諸説ある。
>1. 藤原秀郷をその源流とし、左衛門尉の藤原氏が略されて姓となる。「左藤」でない
> のは、佐の字が吉祥を表す字だったため[1]。
>2. 佐野の藤原氏が略されて姓となる。
>3. 佐渡の藤原氏が略されて姓となる。
>4. 東北地方が深い関連がある。
〈略〉
>1. ^ 「珍姓奇名」佐久間英 ISBN4-15-050072-X
http://www.otona-magic.net/history/190001.html
>佐藤さんの名前の由来は諸説あります。
>
>藤原を名乗れない人達が、藤原にあやかりたいという気持ちで「藤原家の補佐(家
>来)」=補佐の(佐)と藤原氏の(藤)をとった説。
>
>平安時代の武将である藤原秀郷の子孫にあたる藤原公清が左衛門尉(さいもんの
>じょう)という役職に就きました。この、左衛門尉の「左」と藤原の「藤」を重ねて佐藤と
>名乗った説。
>
>さらに、藤原公清が下野国の佐野(現在の栃木県佐野市)で働くよう命じられたため、
>佐野の「佐」と藤原の「藤」を重ねて佐藤と名乗った説などが有力です。
http://blog.livedoor.jp/hiroharu825/archives/462938.html
>佐藤氏の由来には諸説ありますが、鎮守府将軍藤原秀郷の末裔公清が「左衛門尉」
>であったことから「佐藤」となったとの説が広く知られています。
>その他には、藤原秀郷の居住地下野国佐野(栃木県佐野市)に由来するという説、藤
>原秀郷の孫文脩が「佐渡守」に任じられたことに由来する説、公清の父公光が豊後国
>の住人佐伯大神惟基の婿養子となり「佐伯藤大夫」を称したことに由来する説などが
>あります。
テレビ番組で、時間も限られて、という場合でも、Wikipedia でいう 1. と 2.、「左衛門尉の
藤原氏が略されて」と、下野国 (現在の栃木県) の「佐野の藤原氏が略されて」という
代表的な説にふれる時間くらいはあると思うのだけど……。他を見ても、この 2 つの説
のどちらにもまったく言及しない日テレ『スクール革命』は、悪い意味で珍しいパターンに
分類されると思う。
ちなみに、Wikipedia の 1. の出典にある「佐久間英」は、ここで少し紹介した「いわゆる
佐久間ランキング」をつくった姓氏研究家の人。
日テレ『スクール革命』の方は、この Wikipedia の 1. の「左衛門尉」ではなく、また、
2 番目に引用したサイトでいう「藤原にあやかりたいという気持ちで「藤原家の補佐
(家来)」=補佐の(佐)」でもなく、「『佐(すけ)』という職位」という方をとっている。
これは、3 番目に引用したページでは、下の方で紹介されている説なのだけど……。
http://blog.livedoor.jp/hiroharu825/archives/462938.html
>また「佐藤」は「佐(すけ)」という朝廷の職位(次官)を代々務めたことに由来するとの説
>があります。佐藤氏はトップに立つより補佐役として活躍したようです。
>鎌倉期から江戸期まで大名に佐藤氏はなく、主要な公家や神官にも佐藤氏はありま
>せん。領主や主君と同じ名字を家臣は名乗ることはできません。領主層でなかったた
>め、佐藤氏は広がったともいえます。(参照『名字の地図』森岡 浩著)
「『佐(すけ)』という朝廷の職位(次官)を代々務めたことに由来するとの説」を紹介するに
あたり、「『名字の地図』森岡 浩著」と出典を明記しているのは賢明な判断ではないかと
思う――とか書くと何か偉そうだけど、この説は正直いって、「森岡 浩」という名前抜きで
ポンと出されても違和感がないほど、定説みたくはなっていないんじゃないかと。
ちなみに、前述の佐久間英以外の有名な姓氏研究家としては、丹羽基二 (日本人の
名字は「読みの違い」をいれて約 30 万種類を提唱、ここを参照のこと) という人もいる
けど、この人のいっている佐藤の由来も、「佐野の藤原氏」からと、「『左衛門尉』という
役職」からという話。
http://www.athome-academy.jp/archive/culture/0000000147_01.htm
>順位 姓氏 姓氏の型
>1 佐藤 地名・氏名・職名
>2 鈴木 信仰・物象
〈略〉
>丹羽基二氏調べ。苗字は地名姓、氏名姓、建造物姓、信仰姓、物象姓、職名など、
>由来はさまざまであるが、多くは地名に関係する。ちなみに第一位である佐藤さんの
>「佐」は藤原秀郷の居住地、下野国佐野庄(栃木県佐野市)を示し、藤は藤原姓の故
>地、大和国高市郡藤原里を表すという。姓氏の型に「氏名(うじな)」とあるのは「藤」
>が藤原氏の氏名であるため。また、「職名」とあるのは秀郷の後裔公清が「左衛門尉」
>という役職についており、佐藤氏はここから発祥という説もあるため
http://www.houbunkan.jp/shopping/10202/index.shtml
>◆第一章:大姓・珍姓いろいろある(代表的な131の苗字を取り上げて解説)たとえ
>ば、佐藤さん=佐野の藤原氏、加藤さん=加賀の藤原氏、斎藤さん=斎宮頭の藤原
>氏。金持さん=平家が滅んで陰栖、伯耆国の豪族・・・など。
また、森岡浩本人でさえ、「左衛門尉という役職の藤原さん」、「栃木県佐野の藤原氏」、
「佐渡に住んだ藤原氏」というのを全部すっとばして、「『佐(すけ)』という位にあった藤原
さん」一本でいっているわけではないのは、下に引用する通り。
http://home.r01.itscom.net/morioka/myoji/ranking.html
> さて、「佐藤」のルーツは藤原氏です。平安時代、藤原姓の人はものすごくたくさん
>いました。それでは不便なため、区別用に地名や職業と「藤原」を組み合わせて、新
>しい名字をつくったのです。つまり、「佐藤」とは「佐」+「藤原」ということになります。
> では、「佐」とは何かというと、いくつかの種類があります。まず、「佐(すけ)」という位
>です。朝廷の役職には、上から順に「かみ」「すけ」「じょう」「さかん」という四つの位
>(四等官)があり、役所によって色々な漢字をあてました。その一つが、「佐」という漢字
>です。つまり、「佐(すけ)」という位にあった藤原さん、という意味です。また、左衛門尉
>という役職の藤原さんも、「佐藤」を名乗っています。
> 地名由来の「佐藤」もあります。有名なのが、栃木県佐野の藤原氏です。ここは百足
>退治で有名な藤原秀郷が住んだところです。この他にも、佐渡に住んだ藤原氏も「佐
>藤」と名乗っているなど、「佐藤」姓の「佐」にはいろいろなルーツがあります。
> これらの中では、藤原秀郷の末裔で、左衛門尉となった佐藤公清が、佐藤さんの本
>家とされています。この子孫は、代々朝廷に仕えていたのですが、平安時代の末期に
>佐藤義清(のりきよ)が23歳で突如家を捨てて出家したことで没落してしまいます。
>一応、佐藤本家は弟が継いだものの、子孫は歴史の闇の中に埋もれてしまいました。
>この佐藤本家を没落させた張本人は、漂白の歌人として有名な西行法師です。
http://www.ebookbank.jp/murauchi/ep/item/1-131653/
>タイトル : 発見!日本一楽しい名字の地図帳
>監修/森岡浩 著/知的発見!探検隊
〈略〉
>名字ランキング
>☆1位 佐藤(さとう)
>★全国で200万人以上! 皆さん藤原氏の末裔です
> 名字ランキング第1位に輝く「佐藤」。ルーツは、平安時代、朝廷の要職を独占した
>貴族・藤原氏だ。藤原氏の中でも、平将門を討ち東国一帯を支配下に置いた武将・
>藤原秀郷(ひでさと)、その子孫である公清(きみきよ)が「佐(すけ)」という朝廷職位
>についたのが始まりとされている。「佐」の職位に就いた「藤」原さんというわけだ。
>また、下野国佐野(栃木県佐野市)に住んだ藤原氏、佐渡守(さどのかみ)になった
>藤原氏も「佐藤」のルーツといわれている。
ただまあ、上に引用した 2 つのどちらかか、それと似たような文章を流し読みして、後半
を無視し前半部分だけをコピペすれば、日テレ『スクール革命』のサイトにあるようなそれ
になるのだろうなあ、とも思う。
「百足退治で有名な藤原秀郷が住んだところ」とか、「佐藤本家を没落させた張本人は、
漂白の歌人として有名な西行法師」とか、他所でも目にするような面白そうな話は断固
としてスルーというのも、いかにも唐沢俊一らしいというか……。
http://www.harimaya.com/o_kamon1/seisi/best10/satou.html
> 武士に転身した藤原氏のうち、最も活躍したのは、藤原北家藤原房前の子・魚名を
>祖とする「秀郷」の流れと「利仁」の流れだ。
>
> 秀郷は平安前期に関東の任に赴き、下野掾となり、押領使も兼ねた。天慶三年
>(940)に平将門の乱を鎮圧。その功により、武蔵・下野の国司兼鎮守府将軍に任ぜ
>られた。若い頃、「俵藤太」として、近江の三上山に棲む大ムカデを退治した伝説は
>有名。佐藤氏は、この鎮守府将軍「藤原秀郷」六世の孫・公清に始まるとされる。
>公清の官名が左衛門尉で、その子季清、孫の康清も左衛門尉に任ぜられたため、
>その左をとって佐藤と称したという。北面の武士から出家して、歌人「西行法師」と
>なった佐藤義清は康清の子である。
> 秀郷の一族は、下野国安蘇郡佐野庄を中心に広がった。現在、佐野市郊外の唐沢
>山神社に、居館跡が伝えられている。一説には、佐野の藤原であったことから佐藤を
>名乗ったともいう。
> 秀郷の流れの佐藤氏は、相模・伊豆・常陸・甲斐・尾張・伊勢などに土着して勢力を
>伸ばしたが、最も発展したのは本拠の下野から陸奥の信夫郡に進出した奥州佐藤氏
>だ。この一族は奥州藤原氏に属して栄えた。源頼朝の奥州征討のとき、佐藤元治は
>藤原氏に従って戦死。その子継信・忠信兄弟は、源義経の忠臣として源平合戦に活
>躍、最期まで義経に従った。その後一族は、本領を安堵され、信夫庄に根づいて勢力
>を築いた。南北朝の動乱を経て、奥州全域から甲斐・尾張にも移って、その周辺各地
>に分布していった。関東・東北地方に佐藤氏が多いのは、このような歴史背景によっ
>ている。
いや、日テレ『スクール革命』で、唐沢俊一担当部分のネタを集めたのはスタッフだと
いう線が消えたとは思っていないのだけど。でも、唐沢俊一はなくスタッフが収集したの
だとしたら、なぜ番組では森岡浩ではなく唐沢俊一を起用したか、番組のサイトの出典
などに森岡浩の名前がいっさいないのかが、ますますわからなくなる。
こちらのエントリーに書いたように、番組では名字の順位づけに村山ランキングを使用
しているが、この村山ランキングの人は名字の由来とかは語っていない模様。「静岡
大学 城岡研究室」では、名字によく使用される漢字の考察等はおこなっているものの、
十大姓の由来については、やはり言及はない。
前述の佐久間英、丹羽基二の両氏は既に亡くなっていて、専用のサイトなどが存在して
いるわけではない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/佐久間英
>佐久間 英(さくま えい、1913年2月1日 - 1975年12月16日)は新潟県出身の人名研
>究家、歯学博士。日本歯科大学講師。
http://ja.wikipedia.org/wiki/丹羽基二
>丹羽基二(にわ もとじ、1919年9月5日 - 2006年8月7日)は、苗字研究家。オリエンタ
>ル大学名誉教授、文学博士。
これで、ネット上からも気軽に参照できる最新情報が欲しい、でも肩書きもなく著書も
出版していない一個人の書いていることを使うのは不安――とか思ったなら (あくまで
想像)、姓氏研究家の森岡浩という人が書いたものから引っ張ってこようという発想に
なってもおかしくはないと思う。
しかし、その場合、森岡浩という名前をふせるのは変な話で、むしろ専門家によれば
こういう話のようですよと、信憑性の確保のため積極的に前面に出してよいくらいでは
ないかと思うのは、素人考えでしかないんだろうか。
森岡浩という研究家の存在に気がつかないままネタを収集したという可能性についても
一応考えてみたが、今回の「『佐(すけ)』という職位」の件と、「ほにょ、ほんにょ、ほにお、
すずきの木」のエントリーで書いた「刈り取った後の稲藁」その他のかぶり方を考えると、
気づかないでいるのは難しいのではないかと思えてくる。
ただし、気づいていたとしたらしたで首をひねるのが、「高橋」という名字の由来の説明
は一致していないという件。これについては別エントリーでやろうかなと。
その他参考 URL:
- http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1214766787
- http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1998707.html
2010.07.31 (Sat)
ヘンデルのように緑色、ジョンソンのようにクラブ向き、テイラーのようにペテン師で、バッハのように糖尿
バッハ、ヘンデルは、共に失明しているが、目の手術を執刀した医師は
同一人物。
『史上最強のムダ知識』 P.195
× 法皇庁 ○ 法王庁 または 教皇庁音楽の父・バッハと音楽の母・ヘンデルの運命を変えた、その男の正体
とは?
その男は、ジョン・テイラーという、ペテン師的な渡り医者だった。が、
当時の彼は、法皇庁、皇帝公認の称号を得た医師と評判が高く、光学
教授の称号も持っていた。
とはいえ、プロイセンのフリードリヒ大王は彼を国外追放し、イギリスの
サミュエル・ジョンソンは彼を「ずうずうしさが無能を圧倒した例」と評価
しているから、腕前は、推して知るべしである。
が、当時はマスコミがなかったために、彼の評価は広まらず、バッハは
脳卒中後の視力の低下を治療してもらい、ヘンデルは緑内障を治療して
もらった。どちらも治癒せず、バッハは手術から4ヶ月後に、盲目のまま
死亡した。ヘンデルは、8年間生き延びたが、やはり盲目のままだった。
ちなみに、バッハの視力の低下の原因は、食いすぎによる糖尿病である。
「バッハは脳卒中後の視力の低下」「バッハの視力の原因は、食いすぎによる糖尿病」
……って、どちらが原因なんだよっ、という話は、「唐沢俊一検証blog」の「その男は、
唐沢俊一というペテン師的な評論家だった。が、当時の彼は、『トリビアの泉』のスー
パーバイザーとして評判が高く(以下略)。」のエントリーで指摘済みの件。
そこでも元ネタと指摘されていのが http://www.tcat.ne.jp/~eden/MM/B&HEye2.htm
(またはそのページであげられている参考文献) なんだけど、上に引用した唐沢俊一の
文章の中でこのページからのコピペとわずかな修正ですませることのできた箇所は数
多く、「ペテン師」、「プロイセンのフリードリヒ大王」、「国外追放」、「イギリスのサミュエ
ル・ジョンソン」、「ずうずうしさが無能を圧倒した例」、「バッハは脳卒中」、「ヘンデルは
緑内障」、「バッハは手術から4ヶ月後」、「ヘンデルは、8年間生き延びた」などなど。
しかし、下に引用する文章からのコピペだとすると、解せないのは「法王庁」が「法皇庁」
に化けてしまっていること。(「そもそも『法皇』って仏門に入った上皇のことだぞ」――と
いう話については http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/446260 を参照のこと)。
http://www.tcat.ne.jp/~eden/MM/B&HEye2.htm
>依頼内容
> バッハとヘンデルはバロック後期の2大巨匠ですが、二人の生涯は奇妙な符合を
>見せています。 生まれた国(ドイツ)が同じなら、生まれた年も同じで、しかもどちらも
>晩年に視力を失うという悲運に見舞われています。
>
> ところで、妙な噂を聞きました。 この二人、失明したのはどちらも目の手術の失敗
>が原因で、しかもその手術は両方とも同じ医者が担当したそうではないですか。
>
> 二人とも、この手術がもとで死ぬか作曲人生を終えるかしました。 二人の大作曲家
>の目をつぶして死に追いやったこのとんでもない奴は、一体どこのどいつなんでしょう
>か?
〈略〉
> こいつの名前はジョン・テイラーといって、ペテン師に等しいやぶ医者でありました。
>彼に盲目にされた人々は数えきれず、同じイギリス人のサミュエル・ジョンソンはテイ
>ラーのことを「ずうずうしさが無能を圧倒した例」と呼んでおります。
> にも関わらず、テイラーは「法王庁、皇帝、王侯後任の眼科医」「光学教授」その他
>もろもろの称号を帯び、大量のお共を連ねて各地を練り歩いては、さらに称号をかき
>集めました。
>
> 聡明なプロイセンのフリードリヒ大王は、1750年4月にテイラーに王室眼科医の称号
>を与えた時、
>「さあ、お前の欲しい物は与えた。 以後この国では目の治療を行うな。 破ったら縛り
>首にするぞ。 余は国民を余自身と同じように愛しておるから」
>と彼に言い渡し、国外に追放しました。
>
> しかし、残念なことにバッハはフリードリヒ大王のようにテイラーの正体を見抜くこと
>は出来なかったのであります。
>
> 1749年5月、バッハは脳卒中で倒れ、視力が急低下していきます。 そこへ名眼科
>医というふれこみでやってきたのがテイラーでした。
> 1750年3月にライプツィヒにやってきたテイラーに、バッハは治療を頼みました。
>診療代は文字通り“目が飛び出すほど”高く、2回に渡る手術はひどい激痛を伴うもの
>でした。
> 手術後、テイラーは記者会見を行い、手術は成功でバッハの視力は完全に回復し
>た、と自慢げに発表しております。
>
> ところがバッハの目はちっとも見えるようにならなかったのでありました。 テイラー
>の帰国後バッハを診察したライプツィヒ大学医学部のクヴェルマルツ教授は、「テイ
>ラーの手術は完全に失敗で、バッハは後炎症などの後遺症に悩まされ続けている」と
>証言しました。
> そして、65歳の高齢をおして大手術を受けたバッハは体力消耗がひどく、目の手術
>から4ヶ月後の7月28日にとうとう亡くなったのであります。
>
> その2年後の1752年、ジョン・テイラーは性懲りもなく今度はヘンデルの前に姿を現
>しましたのであります。
>
> ヘンデルの視力はオラトリオ「イェフタ」を作曲中の1751年2月頃から低下の一途を
>辿り、その夏に有名な眼科医サミュエル・シャープの治療を受けたのでありますが、
>緑内障で「もう治る見込みはない」と言われたのでした。
>
> 翌1752年8月にはヘンデルも脳卒中で倒れ、遂に視力を失いました。 そこで二人
>の眼科医がヘンデルの目の治療に当たりました。 一人は前に皇太子の侍医をつと
>めたウィリアム・ブロムフィールド、そしてもう一人があのジョン・テイラーだったのであ
>ります。
>
> ブロムフィールドは11月3日にヘンデルの目を手術しました。 視力は一時回復した
>かと思われましたが、結局目は見えるようにはなりませんでした。
> この時テイラーも手術をしたかどうかは定かではありませんが、やった可能性はあり
>ます。
>
> 屈強なヘンデルはバッハと違い、危険極まりないいかさま師に目をいじくられながら
>もその後8年間も生き延びたのであります。 しかし失明のため、以前のように旺盛に
>作品を生み続けることは出来なくなってしまったのであります。
〈略〉
>《主な参考文献》
>渡邊學而『大作曲家の知られざる横顔』丸善 1991年
>エルネスト・W・ハイネ(市原和子訳)『音楽ミステリー 大作曲家の死因を探る』
>音楽之友社 1986年
上に引用の文章では、「テイラーも手術をしたかどうかは定かではありません」となって
いるが、Wikipedia の方ではヘンデルは「1758年の夏、タンブリッジ・ウェルズで眼科医を
名乗るジョン・テイラーにより手術を受けたが成功しなかった」としている。まあ「8年間も
生き延びた」と書いている (コピペしている?) 唐沢俊一は、1758 年手術説は採用しな
かったか、説自体の存在をしらなかったか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル
>1751年に左眼の視力を失い、間もなく右眼の視力も悪化し、1752年に完全に失明し
>た。その後1758年の夏、タンブリッジ・ウェルズで眼科医を名乗るジョン・テイラーに
>より手術を受けたが成功しなかった(ジョン・テイラーは大バッハにも同様の手術を
>施して失敗している)。翌1759年、体調の悪化により死去。享年74。
で、パクリ元有力候補の方には存在しなかった「バッハの視力の低下の原因は、食い
すぎによる糖尿病」との記述だが、これは単独でみればガセとも言い切れない。
http://www.gmcle.com/diabetes/blog/archives/120/
>バッハは美食家としても有名でした。教会のオルガン奏者として招かれた際の晩餐会
>でのメニューの記録が残っているのですが、
〈やたら数が多いので略〉
>を一人で平らげたそうです。
>晩年は、糖尿病に悩まされました。バッハは後年体調を崩し、『フーガの技法』の第
>239小節までを書いて、糖尿病が原因と考えられる白内障の併発でほとんど失明状
>態になりました。1750年7月28日に脳卒中の発作のため世を去った。65歳でした。
>バッハの遺体が、1894年にライプツィッヒの聖ヨハネ教会で発掘されました。そのけっ
>か、やはりかなりがっちりした体格だということが報告されています。また、正真のバッ
>ハの肖像画といわれているものをみても、顔もふくよかであったそうです。不謹慎です
>が、この髪の毛がカツラに見えるのは私だけでしょうか?
>西欧の人の2型糖尿病の典型ですね。晩餐会での食事はすごいごちそうですね。
まあ晩年のバッハが糖尿病にかかって視力が低下していて、さらに「脳卒中で倒れ、
視力が急低下」したのだという解釈も成り立つかもしれないけど、唐沢俊一の文章は、
そういうスタンスで書かれているものとも思えない。「三合でも下戸」や「複数候補の
存在する『ノーベル賞最大の汚点と呼ばれた事件』?」のエントリーで取り上げた件と
同様の混ぜるな危険のパターンで、整合性を考えないで複数のソースから引っ張って
きたのが敗因ではないかと。
他に、パクリ元有力候補の方にはないけれど唐沢俊一の文章には存在する要素として
は、「当時はマスコミがなかったために、彼の評価は広まらず」と、「治療してもらい」、
「治療してもらった」。
後者については、「音楽の父・バッハと音楽の母・ヘンデルの運命を変えた、その男」に
「ペテン師的な渡り医者」と自分で書いておいて、「治療してもらった」もないだろうと思う
が、こちらはまあ唐沢俊一の文章が下手だからという、いつもながらの話として。
「当時はマスコミがなかったために、彼の評価は広まらず」の方は、「法皇庁、皇帝公認
の称号を得た医師と評判が高く」と唐沢俊一自身書いている (「評判が高く」は、コピペ
ではない) が、マスコミがないと悪い評価にかぎって広まらないという主張なのかとか、
フリードリヒ大王がテイラーを国外追放したのはバッハの手術よりも後のことだぞとか、
パクリ元有力候補の方には「手術後、テイラーは記者会見を行い」と書いてあるのが
とか、いろいろと言いたくなってくる。
「当時はマスコミがなかった」を是とするか非とするかは、「マスコミ」をどう定義するかに
よるとも思うけど、18 世紀のヨーロッパの富裕層には、新聞に書かれているような情報
はそれなりに行き渡っていたのでは。
http://ja.wikipedia.org/wiki/マスメディア
>マスメディアは、新聞社、出版社、放送局など、特定少数の発信者から、一方的かつ
>不特定多数の受け手へ向けての情報伝達手段となる新聞、雑誌、ラジオ、テレビなど
>のメディア(媒体)を指す。 マスメディアにより実現される情報の伝達を「マスコミュニ
>ケーション」という。
http://ja.wikipedia.org/wiki/新聞
>中国の唐の時代の713年~734年頃に作られた『開元雑報』が世界で最初の紙で作ら
>れた新聞であるとされる。日本には現在の新聞と似たものとして瓦版が存在し、木製
>のものが多かった。現存する最古の瓦版は1614年~1615年の大坂の役を記事にした
>ものである。
>ヨーロッパでは15世紀に活版印刷術が発明された。16世紀にはドイツの「フルークブ
>ラット」など、ニュースを記述したビラやパンフレット形式の印刷物が出版された。17世
>紀半ばには、ニュース本が定期的に出版されるようになった。特にイギリスでは清教
>徒革命や名誉革命を通じてニュース出版が発展し、日刊新聞や地方週刊新聞も出版
>されるようになった。18世紀には、いろいろな新聞を読み放題のコーヒー・ハウスが登
>場した。裕福な商工業者であるブルジョワジーが新聞を元に政治議論を行い、貴族の
>サロンと同じように論壇を形成した。19世紀には、日曜新聞のような大衆新聞が成長
>した。印刷機の発達やロール紙の採用、広告の掲載などにより労働者階級に低価格
>で販売できるようになった[1]。
おまけ:
http://ja.wikipedia.org/wiki/サミュエル・ジョンソン
>「腐敗した社会には、多くの法律がある。」
>「政府は我々を幸せにすることはできないが、惨めな状態にすることはできる。」
>「結婚は多くの苦悩を生むが、独身は何の喜びも生まない。」
>「怠け者だったら、友達を作れ。友達がなければ、怠けるな。」
>「あらゆる出来事のもっともよい面に目を向ける習慣は、年間1千ポンドの所得よりも
>価値がある。」
>「彼の死を悲しんではならない。彼のようなすばらしい奴と出会えたことを喜ばなくては
>ならない。」
>「過ぎ行く時を捉えよ。時々刻々を善用せよ。人生は短き春にして人は花なり。」
>「ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ。ロンドンには人生が与えうるもの全てが
>あるから。(ジョンソンの言葉で最もよく引用される言葉)」(When a man is tired of
> London, he is tired of life; for there is in London all that life can afford. )
>「地獄は善意で敷き詰められている。」(Hell is paved with good intentions.)
>「愛国心は悪党が最後に逃げ込む場所だ。」(Patriotism is the last refuge of a
> scoundrel. )
>「信頼なくして友情はない、誠実さなくして信頼はない。」(There can be no friendship
> without confidence, and no confidence without integrity. )
2010.05.24 (Mon)
慈悲深さと猫とベンツマーク
メルセデス・ベンツを「ベンツ」と呼ぶのは日本だけ。
メルセデス・ベンツ
ドイツの自動車製造者、ダイムラー・クライスラー社が販売している乗用
車、商用車のブランドのひとつ。バスやトラックなども、このブランド名で
発売されている。
各車両のバンパーなどに、俗に「ベンツマーク」(正式には「スリーポイン
テッド・スター」と呼ぶ)が付いていることで知られる。
ちなみに、メルセデスは、スペイン語で「慈悲深い人」という意味である。
なお、ドイツ語の原音に近い読み方は「メルツェデス」となる。自動車評
論家・徳大寺有恒は、自著ではこの表記を用いる。
×俗に ○俗にいう
「自動車製造者」 (原文ママ) というのも、ちょっと引っかかるのだけど、おいといて。
「正式には『スリーポインテッド・スター』と呼ぶ」と唐沢俊一は書いているが、three-
pointed star というのは、「合併前のダイムラー社が使用していた」トレードマークで
あり、それを「ベンツ社の円形月桂冠とを併せデザイン」したものがメルセデス・ベンツ
のマークではないかと疑問に思った (つまり、この three-pointed star に円形月桂冠
を組み合わせて、このマークにしたという話)。
http://www.mercedes-benz-classic.com/content/classic/mpc/mpc_classic_website/en/mpc_home/mbc/home/knowledge/legends/history_van/1909-1925.html
> The three-pointed star becomes a patented logo
> On 24 June 1909 DMG applied for a patent for the three-pointed star, which was
> soon to become one of the world's most familiar trade marks. Four days later a
> patent application was also submitted for the four-pointed star, although it
> wasn't until 1989 that this logo was first used - at the Dasa aerospace company.
> Both designs were entered in the list of registered trade marks on 9 February
> 1911.
http://ja.wikipedia.org/wiki/メルセデス・ベンツ
>メルセデス・ベンツの車体に輝くエンブレムは、合併前のダイムラー社が使用していた
>スリーポインテッド・スターとベンツ社の円形月桂冠とを併せデザインされたもので
「ベンツマーク」でググると上位にくる以下のページあたりは、「俗に」とか書いてあるし
唐沢俊一のネタ元の有力候補のひとつと思われるが、「正式には『スリーポインテッド・
スター』と呼ぶ」とは書いていないし、「マスコットの付け根を囲む月桂樹は、ベンツの
シンボル」――と、ベンツの方も無視していない。
http://www.club202.jp/policy.html
> しかし、社名が変わろうとも創始者が興したダイムラー・ベンツの名残は、様々なと
>ころに残っています。その一つは、会社名がダイムラー・クライスラーとなり、社名から
>ベンツの名前が消えても、車のブランド名はメルセデス・ベンツとして残りました。
>また、メルセデスのボンネット上に付けられるマスコットにもその名残があります。俗に
>ベンツマークと言われるスリーポインティッドスターは、ダイムラーのシンボルであり、
>このマスコットの付け根を囲む月桂樹は、ベンツのシンボルであり、ダイムラーとベン
>ツによって創設されたこの会社の誇りの現れでもあります。
まあ、もしも唐沢俊一のいう通り、「正式には『スリーポインテッド・スター』と呼ぶ」のなら
ば、「site:http://www.mercedes-benz.com three pointed star」でググっても、ほとんど
何も引っかからないのは不自然な話なので、「正式には〈略〉呼ぶ」というのはガセだと
考えてよいだろう。どうせこれを主張しているのは唐沢俊一くらいみたいだし。
もっとも、だからといって、唐沢俊一のいう「各車両のバンパーなどに」ついているあの
マークを「『スリーポインテッド・スター』と呼ぶ」ことを誤りだと主張したいわけではない。
「site:http://www.mercedes-benz-classic.com three pointed star」でググるといくつか
のページはヒットするし、円で囲まれたスリーポインテッド・スター (three-pointed star
within a circle) は1923 年、合併前のダイムラー社が商標登録している。
http://www.mercedes-benz-classic.com/content/classic/mpc/mpc_classic_website/en/mpc_home/mbc/home/knowledge/beginnings.0005.html
> In November 1921 DMG submitted a trademark application for new versions of
> the existing symbol, registering a three-dimensional three-pointed star within a
> circle and also a version as a radiator mascot. This was registered as a trademark
> in August 1923.
http://www.mercedes-benz-classic.com/content/classic/mpc/mpc_classic_website/en/mpc_home/mbc/home/news/current_exhibitions.html
> The Super Sports Car special exhibition from 27 April 2010 to 29 August 2010
> presents the unique super sports car tradition of the brand with the three-
> pointed star.
その他参考 (?) URL:
- http://en.wikipedia.org/wiki/Mercedes-Benz
- http://www.speedace.info/automotive_directory/mercedes_benz.htm
- http://biz.thestar.com.my/news/story.asp?file=/2010/2/20/business/5710219&sec=business
- http://www.benzinsider.com/2008/04/the-history-behind-the-mercedes-benz-brand-and-the-three-pointed-star/
- http://www.esa.int/esaCP/SEMM1MCUE1G_index_0.html
- http://kohimaru.exblog.jp/5636136/
『史上最強のムダ知識』 P.51
他国では「メルセデス」と呼ぶのが一般的。
〈略〉
なお、「メルセデス」はダイムラー社の経営を援助していた自動車マニア
の大富豪、エミール・イェリネックの娘の名前。フルネームはメルセデス・
アドリエンヌ・マニュエラ・ラモナ・イェリネックという。
エミール・イェリネック (Emil Jellinek) の「フルネーム」は「Adriana Manuela Ramona
Jellinek」であり、「called Mercédès」、つまり呼び名が「メルセデス」であったかのように
英語版 Wikipedia には書いてあるのだけど……。
http://en.wikipedia.org/wiki/Mercédès_Jellinek
> Adriana Manuela Ramona Jellinek called Mercédès (September 16, 1889 Vienna
> - February 23 1929, Vienna) was the daughter of Austrian automobile
> entrepreneur Emil Jellinek and his wife Rachel Goggmann Cenrobert. She was
> born on September 16, 1889 and named as a term of endearment Mercedes.
> She is best known for her father having Daimler's Mercedes line of cars named
> after her, beginning with the Mercedes 35 hp model of 1901. Also, at the 1902
> Paris Automobile exhibition, her father hung a large picture of her.
Mercedes-Benz Club NSW incorporated のサイトの記述も、「named Adriana Manuela
Ramona Jellinek」で、「known as Mércédès」。
http://www.mbcnsw.org/history.php
> Mercedes Jellinek
> Born: 16th September, 1889
> Died: 23rd February, 1929
> Mercedes Jellinek, was born on 16th September, 1889, in Vienna, Austria, and
> named Adriana Manuela Ramona Jellinek, although known as Mércédès, (Spanish
> for grace) she was the daughter of Austrian automobile entrepreneur Emil
> Jellinek and his wife Rachel Goggmann Cenrobert.She is best known for her
> father having Daimler's Mercedes line of cars named after her, beginning with the
> Mercedes 35 hp model of 1901. Also, at the 1902 Paris Automobile exhibition,
> her father hung a large picture of her.
まあ、以下の資料のように「entire name was Mercedes Adriana Manuela Ramona
Jellinek」と書いてあるものもある。
http://en.allexperts.com/e/e/em/emil_jellinek.htm
> Mercedes Jellinek, whose entire name was Mercedes Adriana Manuela Ramona,
> lived in Vienna, marrying twice scandalously
ただし、これは多分 http://en.wikipedia.org/wiki/Emil_Jellinek の古い版のコピーで、
訂正がはいったのだろうか、現在の http://en.wikipedia.org/wiki/Emil_Jellinek には、
上記の記述は存在しない。
もっとも、唐沢俊一のネタ元として、より有力と思われるのは以下に引用する書き込みの方。
http://www.carview.co.jp/bbs/115/?bd=100&pgcs=1000&th=1898181&act=th117
>パジェオさん UID:9C31AA63055F7D7C
>2006/07/02 10:19:15 ID:1940207
>彼女の名前は、メルセデス・アドリエンヌ・マニュエラ・ラモナ・イェリネック。
>ダイムラーのもっとも重要な取引相手だったイェリネックさんの娘の名前です。
>1899年当時、上流社会の趣味として行われていた当時のレースでは、参加者は別名
>を名乗るのが通例であり、彼はメルセデスという名前でエントリーしていました。
>また、好きになって愛してもらうには、クルマは女性の名前でなくてはならないとう言う
>のが、イェリネックさんの考えだったようです。
『史上最強のムダ知識』が 2007 年で、上の書き込みが 2006 年のものなので、時期的
にもあう。……それにしても、前述の「正式には」といい、今回の「フルネームは」といい、
その余計な一言がなければ別に気にならなかっただろうになあ……と思ったりもする。
その他参考 URL:
- http://okwave.jp/qa/q3300891.html
- http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/kaiteki/kodawari_060825_2.html
で、「『ベンツを運転していると他の車がよけてくれるのがイイ』 (by 友人のお母様)」の
コメント欄に書いた、Wikipedia から「ほぼ丸ごとコピペしただけみたい」な件について。
現在の Wikipedia での「メルセデス・ベンツ」の項には、以下のように書かれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/メルセデス・ベンツ
>ドイツ語での発音をできる限り正確にカタカナ表記すると、メアツェーデス・ベンツに
>近い。
〈略〉
>日本においては、高価格帯の車種を中心に輸入するブランド戦略により高級乗用車
>の代名詞とも言えるイメージが定着しており、高級車専業メーカーと誤解されがちで
>あるが、欧米ではトヨタやボルボ、ルノーと並んで、タクシー、バンや大型バス、大型
>トラックなどの営業車・商用車、そして乗用車では高級車から大衆車まで幅広く生産
>する自動車総合メーカーとして認知されている。
〈略〉
>メルセデス
>「メルセデス(スペイン語で『慈悲深い人』という意味)」という名前は、命名された1899
>年当時、ダイムラー車のディーラーを経営していたオーストリア・ハンガリー帝国の領
>事、ユダヤ系ドイツ人エミール・イェリネック(Emil Jellinek)の娘の名前である。「ダイ
>ムラー」という硬い響きを持つブランドネームを避け、当時流行していたスペイン風の
>響きを持つ名前をあえて選んだと言われている。「メルセデス」ブランドは非常に有名
>になったこともあり、ダイムラー・モトーレンは1902年、メルセデスを商標登録した。
>なお、欧米では一般に「メルセデス」「メルセデス・ベンツ」と呼ばれるのに対して、日
>本では「ベンツ」と呼ばれることが多い。
>自動車評論家の徳大寺有恒や、作家・評論家の五木寛之の著書、一部の自動車雑
>誌においては「メルツェデス」という表記が用いられることがある。
「メルセデス(スペイン語で『慈悲深い人』という意味)」という部分が、唐沢俊一の書いて
いる「ちなみに、メルセデスは、スペイン語で『慈悲深い人』という意味である」とほとんど
一致するものの、「ドイツ語での発音をできる限り正確にカタカナ表記すると、メアツェー
デス」や、「欧米では一般に『メルセデス』『メルセデス・ベンツ』」のあたりが、唐沢俊一
の文章と内容が少し異なっている。
ところが、これが『史上最強のムダ知識』の出た 2007 年 4 月よりも少し前の版をもって
くると、一致の度合いがぐんと高くなるのが面白い。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=メルセデス・ベンツ&oldid=10975635
>商用車も高い安全性と先進性、さらに実用性を兼ねそえた事で知られており、そのこ
>とが世界中で高い評価を受け、世界最大の商用車メーカーとなっている。特にヨーロッ
>パや中東、中南米諸国においては非常にポピュラーな存在で、トラックやバスなどの
>商用車のラインナップも充実している。
〈略〉
>メルセデス
>「メルセデス(スペイン語で『慈悲深い人』という意味)」という名前は、命名された1899
>年当時、ダイムラー車のディーラーを経営していたオーストリア・ハンガリー帝国の領
>事、エミール・イェネリックの娘の名前である。「ダイムラー」という硬い響きを持つブラ
>ンドネームを避け、当時流行していたスペイン風の響きを持つ名前をあえて選んだと
>言われている。「メルセデス」ブランドは非常に有名になったこともあり、ダイムラー・モ
>トーレンは1902年、メルセデスを商標登録した。なお、ヨーロッパでは一般に「メルセデ
>ス」と呼ばれるのに対して、日本では「ベンツ」と呼ばれることが多い。
>なお、ドイツ語の原音に近い読み方では「メルツェデス」となる。自動車評論家の徳大
>寺有恒は著書や自動車雑誌の中でこの表記を用いることが殆んどである。また、五
>木寛之も著書の中ではこの表現を固持して使っている。
この時点の Wikipedia の「トラックやバスなどの商用車のラインナップも充実している」
が、唐沢俊一の文章の「商用車のブランドのひとつ。バスやトラックなども、このブランド
名で発売されている」に流用されたものと思われる。
「ヨーロッパでは一般に『メルセデス』と呼ばれるのに対して、日本では『ベンツ』と呼ば
れることが多い」 (この版では「メルセデス・ベンツ」が記載されていない) が、唐沢俊一に
劣化コピーされて、「メルセデス・ベンツを『ベンツ』と呼ぶのは日本だけ」に、「他国では
『メルセデス』と呼ぶのが一般的」ということになったのだろう。
前のエントリーでも少しふれたが、「Mercedes-Benz」、「Mercedes Benz」と書かれて
いるページは数多い。そのため、以前の版の「ヨーロッパでは一般に『メルセデス』と
呼ばれる」は少し問題ありで、「欧米では一般に『メルセデス』『メルセデス・ベンツ』と
呼ばれる」に現在は改善されているのはよいことだと思う。
そして前の版の Wikipedia の「なお、ドイツ語の原音に近い読み方では『メルツェデス』と
なる。自動車評論家の徳大寺有恒は著書や自動車雑誌の中でこの表記を用いることが
殆んどである」にいたっては、唐沢俊一の本の「なお、ドイツ語の原音に近い読み方は
『メルツェデス』となる。自動車評論家・徳大寺有恒は、自著ではこの表記を用いる。」
と、ほとんど同じである。
……もしかして、記述に難ありと後で訂正されるような箇所ばかりをねらってコピー元に
する能力が、唐沢俊一にはあるのだろうかと疑いたくもなる。
類似の事例:
・ムンクは叫び、唐沢俊一はガセり、そしてパクる
・Wikipedia からのほぼ丸ごとコピーと「幼い頃に」はムンクもいいたくなります
・最後のパレードは唐沢俊一と中村克、最初のパレードは織田信長と明智光秀
・弁護士が判事に化けた判じ物――それが大統領の書いたミステリ (←違う)
追記: コメント欄で指摘があったけど、「バンパーなどに、俗に『ベンツマーク』(正式には
『スリーポイン テッド・スター』と呼ぶ)が付いている」の「バンパー」というのも変ですね。
2010.03.16 (Tue)
パクリと劣化コピーとガセにより YouTube のよさの説明にセイコーしてません
テレビ局が探しても見つからなかった映像がユーチューブに載っている
もう少し、ランダムにユーチューブの世界の雑多さを見ていただきましょ
う。
例えばこの「おもしろCM(日本初のCM)」という動画があります。この
フィルムは、以前日テレの番組で「CMについてのトリビアをやってくれ」と
言われたときに、このフィルムを探してくれと日本テレビに頼んだんです
けれども、見つからなかったというものです。それがユーチューブにはこう
やって上がっている。
ここらへんが共有システムの強みですね。たとえテレビ局とはいえ、
探せる範囲というのは限られている。それが、世界中の人が、いろんな
動画を探しまわっているので、はるかにその検索能力が高いんですよ。
これが日本テレビ開局の1953年8月28日に放映された、日本初の
テレビCMです。午後7時の時報もかねた精工舎(現・セイコーHD)の
ものですが、実はこれは実際には第一号ではない筈だったんですね。
同日の正午に放送される予定のものがあったんですが、担当者がフィルム
を裏返しにしてしまったため、音なしの状態で30秒間放送されたという
ことで、民放の放送事故第一号でもあったわけです。
「セイコーHD」の「HD」の部分には、「ホールディングス」というルビがふられている。
「実はこれは実際には」とか、何か日本語が変ではないかと思われる箇所がいくつか
あるのだが、まあおいておくとして。
「担当者がフィルムを裏返しにしてしまったため、音なしの状態で30秒間放送」の部分を
読んだだけでは、なぜ「フィルムを裏返し」たならば「音なしの状態」になるのかよくわか
らなかったのだが、例によって本には URL が記載されていない YouTube 動画を探す
ために、「日本初のCM」でググってみると、Wikipedia にかれている説明が見つかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/コマーシャルメッセージ
>日本最初のテレビCMは日本テレビ開局の日の1953年8月28日に放映された精工舎
>(服部時計店、現・セイコーホールディングス)の正午の時報であるが、当時の放送関
>係者の証言によると放送機材の操作に慣れていなかったため、フイルムが裏返しだっ
>たので、音がまったく出ず、音なしの状態で30秒間放送された(フィルムの場合、映像
>の左側に音を再生するためのサウンドトラックがあり、フィルムが逆向きになると音が
>再生されなかった)。なお、時報音はフィルムと関係なく挿入されたため正確に出た。
>ちなみに同日の午後7時の時報は無事に放映され、これが現存する日本最古のテレ
>ビCMである。翌日の正午、テレビCM第1号になるはずだった正午の時報も無事に放
>映された。従来、「3秒で放送中止となった」というのが定説だったが、これは間違いで
>ある[2]。
〈略〉
>2.^ CMのCMキャンペーン テレビ元年、CMスタート
唐沢俊一の文章には存在しない、「フィルムの場合、映像の左側に音を再生するための
サウンドトラックがあり、フィルムが逆向きになると音が再生されなかった」という説明を
読んで、「音なしの状態」になる理由はわかった。
……それだけではなく、唐沢俊一の文章は、Wikipedia の記述とそっくりだということも
また、同時にわかったわけだが。
しかし、『トンデモ版 ユーチューブのハマり方』という本には参考文献の記載はない。
それとは違い、Wikipedia の方には出典が記載されている。「2. CMのCMキャンペーン
テレビ元年、CMスタート」がそれで、リンク先は現在は存在しないが、Web Archive には
残っている。
http://web.archive.org/web/20071011180839/http://www.enjoy-cm.com/pc/library_1950.html
>精工舎/※時報
>目覚まし時計篇
>「精工舎の時計が7時をお知らせいたします」
>現、セイコー株式会社が日本のコマーシャル第1号として時報を放送。しかしフイルム
>が裏返しだったので音がまったく出なかった(フィルムの場合、映像の横に音を再生す
>るためのサウンドトラックがあり、フィルムが逆向きになると音が再生されない)。な
>お、時報音はフィルムと関係なく挿入されたため正確に出た。
>※従来「3秒で放送中止となった」というのが定説だったが、当時の放送関係者の証
>言によると音なしの状態で30秒間放送された。
>■53年制作
唐沢俊一のコピペ元となっているのは、上に引用のページではなく Wikipedia の方だと
思われる。
で、上記の Web Archive に残っているページの方には、「CM を見る」と書かれたボタン
も残っていたりする。
となると、唐沢俊一が本に書いている、「共有システムの強みですね」とか、「それが、
世界中の人が、いろんな動画を探しまわっているので、はるかにその検索能力が高い
んですよ」とか――後者の文章は今ひとつ意味不明のきらいがあるが――というのは、
どうかなあという話になってくる。
「世界中の人が、いろんな動画を探しまわっている」から、「テレビ局が探しても見つから
なかった映像がユーチューブに載っている」というより、http://www.enjoy-cm.com に
あった動画を、単に誰かが YouTube にアップしただけと考えられるため。
現在は参照できなくなっている「CMのCMキャンペーン ホームページ」だが、このキャン
ペーンは 2005 年に開始。YouTube にアップされている動画の方は 2007 年の日付け
となっているのだ。
つまり、唐沢俊一は、「このフィルムを探してくれと日本テレビに頼んだんですけれども、
見つからなかった」からと、「テレビ局が探しても見つからなかった映像がユーチューブに
載っている」という題をつけているけど、「日本テレビが探しても見つからなかった映像が
日本民間放送連盟によるキャンペーンのサイトには載っていた」とでもいうべき話では
ないかと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/CMのCMキャンペーン
>CMのCMキャンペーン(シーエムのシーエム - )とは、日本民間放送連盟(民放連)が
>2005年7月から実施している民間放送テレビ局のキャンペーンである。民放連が2005
>年度から毎年8月28日を「テレビCMの日」と定めた一環として、これに合わせる形で
>始めた。1953年8月28日に日本テレビ放送網が日本で初の民放テレビ局として開局、
>同日に日本初のテレビCMを放送した事に因む。
http://www.n-c-c.org/modules/lifehack/singlelink.php?lid=1325
>このような貴重な資料がネットで簡単に見れるようになるなんて、この時は誰も思いも
>しなかったでしょうね・・・
>
>→CMのCMキャンペーン ホームページ
>※CMライブラリやCMクイズ、CM作りが体験できるコーナーなどがあります。
http://www.youtube.com/watch?v=vunisyzDy10
>おもしろCM(日本初のCM)
>2007年02月02日
http://www.youtube.com/watch?v=il0E4x0SGOo
>日本で一番最初のCM
>2007年05月05日
>1953年(昭和28年)に日本テレビが開局し、その初日の夜7 時の時報を告げるCMで
>す。昔はフィルムを使用していたせいか、 お昼の12時にも流す予定だったが、逆に
>セットしていたため中止 になり、改めて放送したのがこれです。もうすぐ55年経ちます
>ね 。
なお、「民放の放送事故第一号」というのは本当らしい。Wikipedia によると、「日本初の
テレビ放送事故」でもあるとのこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/放送事故
>1953年(昭和28年)8月28日正午、日本テレビで初の民放テレビ番組放送開始時の
>初のテレビCM(精工舎)が裏返しに映り、音声も流れないという事態が生じた。これが
>日本初のテレビ放送事故である。
2009.12.15 (Tue)
おどま、ぼんじりぼーんじり
http://www.tobunken.com/diary/diary20091210165309.html
あと、こないだの高円寺の火事、調理場で焼いていたぼんじり
の脂が火元だったそうな。あの脂っこさを想えばさもありなんと
いう感じであるが、これも人死にが出ている事件で不謹慎とは思うが
その出火原因の意外さに一瞬、笑ってしまう。鶏の復讐。
「日記にまでコピペ導入かよ」と、2ちゃんねるのスレに書き込まれた (Read More 参照)
件について。パクリ元と目されているのはこちら↓
http://plaza.rakuten.co.jp/hanaichi/diary/200911240001/
>2009年11月24日
>亡くなられた方もいるので、このようなことを言うのは不謹慎だとはわかっているのだ
>が、高円寺の雑居ビルの居酒屋で火事が起こった時に焼き鳥を焼いていた、と言うこ
>とまでは知っていたのだが、ちょいと耳に挟んだところで、焼いていたのは「ぼんじり」
>だった、と言うを聞き、少々笑ってしまった。
ぼんじりを焼いていたという話は、11月 29日の日経の記事にもあった。
http://www.nikkei.co.jp/news/past/honbun.cfm?i=AT1G2800S%2028112009&g=K1&d=20091129
> 警視庁によると、22日午前9時すぎ、焼き鳥の「ぼんじり」を焼いていたガス式の
>調理器具から火が上がった。ぼんじりは尾の肉で脂分が多く、したたり落ちた脂が
>ガスの火に引火したという。高く上がった火は真上の排気用ダクトにこびりついていた
>油にも引火。さらにカウンター席との間にかけられたのれんに燃え移ったという。
>(07:00)
しかし、http://plaza.rakuten.co.jp/hanaichi/diary/200911240001/ は 11月 24日に
書かれているので、元ネタというかソースは、TBS テレビ「エデンの東」あたりではない
かと思われる。
- http://unkar.jp/read/live23f4.2ch.net/livetbs/1259024723
まあ、パクリというのにはちょっと弱いかもしれないけど、「人死にが出ている事件で不謹
慎とは思うが」という唐沢俊一らしくない文章も、「亡くなられた方もいるので、このような
ことを言うのは不謹慎だとはわかっているのだが」が元だと思えば、割と納得。そして、
「少々笑ってしまった」が「一瞬、笑ってしまう」になった、と。
「ぼんじりの脂が火元」ということについて話題にしているブログは他にも見つかったけど、
不謹慎とわかっているけど笑ってしまうという線で書かれたものは、他には見あたらな
かった。
http://dtiniki.dtiblog.com/blog-entry-1.html
>ぼんじりを侮るな
>2009/12/09(水) 17:50:55
>11月に居酒屋が火事になって4人が死亡して、12人が重軽傷を負った火災がありまし
>たね。 その原因が焼き鳥の尾の部分の「ぼんじり」を焼いていて、その脂したたり落
>ちる脂に火が引火して、そのまま脂を受けるトレーの中の脂に燃え移り、さらに1メート
>ル上のダクトにこびりついた油に燃え移り、例の天井に張られた飾り布やのれんに燃
>え移ったそうです。
そして、「脂っこさを想えばさもありなん」と書いたそばから、「出火原因の意外さ」などと
書いているのは、唐沢俊一オリジナルというオチということで……。
2009.10.04 (Sun)
後に会社社長になったそうだの塩瀬盛道
記録上、最高のバッターは 王貞治でも
落合博満でもなく、東急の塩瀬盛道
投手である。昭和25年5月11日、リリーフ
として登板した後 初打席でホームランを
放ったが、彼はこの1試合のみで引退。
(すぱあん)
「あ 当たった」
よって生涯成績は打率10割
長打率40割というカンペキな数字。
(オリックスのシュルジー投手にも同様の記録あり)
上に引用したのは、「『トンデモ一行知識の逆襲』で眠田直のイラストは 9 ページ」で
書いたものと同様、眠田直のイラストに手書き文字がそえられている。
『話のネタ:会話がはずむ教養読本』のエントリーに書いたネタかぶりが 3 件で、これで
4 件目かなと思ったのだけど、『話のネタ』では「塩瀬守道」となってしまっているのが、
唐沢俊一の本の方では正しく「塩瀬盛道」になっているし、文章もだいぶ違う。
『話のネタ』 P.343 ~ P.344
> さて、同じ投手でも、昭和二五年に東急にいた塩瀬守道投手は、打撃のほうで珍し
>い記録を持っている。
> 昭和二五年五月一一日、後楽園の対大映九回戦。
> 五回から塩瀬はプロ入り初登板し、六回表打順が回ってきた。ここで、第一球をたた
>いた塩瀬の打球はライト線ギリギリの三ランホーマー。
> ここまではよかったのだが投げるほうがままならない。一回三分の一を投げて五つ
>の四球を出す無制球ぶりで降板、そしてこの試合以後、まったく出場機会のないまま
>に退団。おかげで投手のほうはさっぱりだが打撃の成績は大したものだ。
> 一打数一本塁打 打点二 実にプロ野球での生涯打率は十割である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/長打率
>参考記録として塩瀬盛道とドン・シュルジーの4.00がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ドン・シュルジー
>日本での通算打率10割・通算長打率40割という、稀有の記録を有する選手である。こ
>の記録は、長い日本プロ野球の歴史の中で、彼と塩瀬盛道の2例しか見受けられない。
となると、「記録上、最高のバッターは 王貞治でも落合博満でもなく」という表現が多少
気になるくらいで、特に問題なしということかなあと思ったんだけど、気になるのは、ふと
ググってみてヒットしたこれ↓
http://www.org-chem.org/yodan/yodan99.html
>(99.9.8)
〈略〉
>昭和27年、東急の塩瀬盛道投手はリリーフで登板した後、初打席でホームランを放っ
>た。しかし塩瀬はこの1試合だけで引退、二度と打席に立つことはなかった。よって彼
>の生涯成績は打率10割、長打率40割となり、記録上史上最高の打者である(後にオ
>リックスのドン・シュルジー投手が同様の記録を達成)。
日付けを信用するなら、上記のページは 1999 年の 9 月のもので、2000 年 9 月初版の
『トンデモ一行知識の逆襲』の 1 年前。「昭和27年」が、『話のネタ』と同様の「昭和25年
5月11日」に訂正されているけど、「リリーフとして登板した後、初打席でホームランを放っ
た」、「生涯成績は打率10割、長打率40割」の完全一致ぶりには、ちょっと感動した。
オリックスのシュルジーへの言及を、最後に括弧で囲んでいれるのも似ている。
「記録上、最高のバッター」は「記録上史上最高の打者」からかとも思えるが、「王貞治
でも落合博満でもなく」や「カンペキな数字」などの違和感のある表現は、唐沢俊一の
オリジナルだったということかと。
2009.09.19 (Sat)
ヒロポンだのドラッグだのが超苦手分野という自覚のない唐沢俊一先生
http://www.shakaihakun.com/vol092/02.html
×アジア系宗教への感心もあり、 ○アジア系宗教への関心もあり、村崎 〈略〉 で、プロサーファー協会に「そんなプロはいません」って冷たく
シカトされてる高相クンは、その後の報道で、一応は本職のプロサーファー
であったらしいことが分かったんだけど、生まれてこのかた41年間、まとも
に働いたことはほとんどなかったんだってね~。家が金持ちだから働かなく
ても遊んで暮らせてたんまりとシャブが買えてラッキー&ハッピー、ついで
に女房がのりピーという、まさに「勝ち組ジャンキー」の頂点みたいなヒト
だったらしい。だからプロサーファーっていうより、プロのシャブ中、すなわち
“プロシャーバー”とでも呼んであげた方がいいかもね。
唐沢 苦しいよ、そのダジャレ(笑)。そもそもアメリカンサーフィンってカリ
フォルニアが発祥の地で、あのあたりは同時にドラッグ文化の発祥の地
でもあるわけでしょ。つながりがないわけがないもんね。ただ、サーファー
たちの御用達ドラッグってのはマリファナなわけ。大波の中に飛び込んで
いく恐怖心をマヒさせるのに必要なんだな。カリフォルニアにドラッグが
広まったのは、カリフォルニア大学がベトナム反戦運動の中心地となり、
やがて平和の聖地というイメージになって自由を求めるヒッピーたちが集ま
り、物質文化から精神文化へ、というムーヴメントが彼らの間から起って、
アジア系宗教への感心もあり、悟りを得る即物的手段として、LSDなどの
ドラッグが用いられるようになった。一方、覚せい剤ってのはキメるとやたら
勤勉になるんだよね。マリファナやLSDじゃなくて覚せい剤ってあたりが
働きバチ的な日本人らしいところというか(笑)。のりピーも「覚せい剤やって
家事がはかどった」とか言っていたらしいし。
村崎 ところがそれが大嘘で、警察がのりピーの部屋を家宅捜査してみた
ら、ジャンキーに良くある、とんでもない汚部屋(おべや)だったらしいじゃん。
部屋がとんでもなく汚いのは、家族の健康にも子育てにもよくない環境だよ~。
唐沢 それだって、シャブやってたからまだそんな状態で済んでいて、もっと
ヒドいクスリやってたらゴミ屋敷とか言われていたと思うよ。夫の愛人に掃除
させていた、という話もあるがな。しかし、そもそも、中学生のときからサン
ミュージックの社長の家に下宿して、そのままアイドル仕事に追われる毎日
じゃ、家事なんか学ぶ暇なんかなかっただろうよ。難しいところで、スターと
いうのは糠味噌臭い、家庭臭がする子というのはダメなんだな。解くに80
年代までは、生れながらのアイドル、まったく生活のアカにまみれていない
感じの子だからこそ、ファンが夢を託せるという部分もある。それが引退して
子育てから家事をやるとなれば、精神的苦痛はそこらの姉ちゃんの比じゃ
あるまいて。
×解くに80年代までは、 ○特に80年代までは、
社会派くんの唐沢俊一と村崎百郎の対談は、2 つのパターンに分類することが可能だと
思う。唐沢俊一がしょうもないことをいう一方で村崎百郎が比較的マトモなことをいって
いるパターンと、2 人ともしょうもないことをいっているだけのパターン。圧倒的に後者の
ことが多いのだけど、今回は「唐沢俊一と中村克は似た者同士のよしみで、いっしょに
最後のパレードしてほしい」のときと同様、前者のパターンが結構混じっているかも。
今回は、唐沢俊一のパートと村崎百郎のパートを別々に見てみると、実は全然種類の
違うことをお互いにいっていることがわかって、ある意味興味深い。上に引用した対話
(になっていない対話) では、村崎百郎がのりピーとその旦那に話題をしぼっているのに
対し、唐沢俊一は使い回し可能な退屈な一般論もどきで字数を稼いでいる感じ。まあ、
マリファナが「大波の中に飛び込んでいく恐怖心をマヒさせるのに必要」とかは、あんまり
使い回しに向いた一般的な話ではないような気もするが。
で、たまにのりピーについて、「『覚せい剤やって家事がはかどった』とか言っていたらし
いし」と話せば、すかさず村崎百郎に「ところがそれが大嘘」、「ジャンキーに良くある、
とんでもない汚部屋(おべや)だった」と返されているのが情けなくてよい。
とにかく唐沢俊一は、「マリファナやLSDじゃなくて覚せい剤ってあたりが働きバチ的な
日本人らしい」とか、勤勉さを増強させるツールとして、ヒロポンとか覚醒剤とかについて
語るのが好きだ。村崎百郎に「汚部屋(おべや)だった」といわれても、「シャブやってた
からまだそんな状態で済んでいて、もっとヒドいクスリやってたらゴミ屋敷」と、根拠なしの
妙な弁護をするくらいに。
しかし、好きこそものの上手なれとは決してならないのが唐沢俊一なので、彼の語る
ヒロポンのネタは初歩的なミスと勘違いによるガセだらけだったりする。
・「疲労をポンと捨てる」がある「ちゃんとした薬品辞典」とは?
・クラプトンの曲にだって「ヒロポン」はないし
・ヒロポンが文学や芸能における傑作群を大量発生させたんだと?
・潮健児のマントの陰に隠れるわけにもいかないヒロポンのネタ
・『星を喰った男』を劣化コピーの『キッチュワールド案内』
それと古い情報ばかりというのも特徴かも。昔の話だらけでも膝をうてるようなものなら
よいけど、時空を歪ませる人でもあるからなあ。「80年代までは、生れながらのアイド
ル、まったく生活のアカにまみれていない感じの子だからこそ、ファンが夢を託せる」と
いうのも何かハズしている感じだし。となりのミヨちゃんなどといわれた浅田美代子が
『赤い風船』を歌っていたのが 1973 年。「スターというのは糠味噌臭い、家庭臭がする
子というのはダメ」といわれても、アイドル以外の普通の女の子は、中学生くらいの年代
で「生活のアカにまみれて」いたのか、いつの時代の話だという気もする。
http://www.shakaihakun.com/vol092/02.html
唐沢 “のりピーに怒っている自分”に対して、「ああ、自分はのりピーの
ような華麗なスポットライトがあたったことはないけれど、少なくともまっとうに
生きている」という安心感がわいて、自分の平凡な人生を肯定できるんだな。
のりピーには悪いんだけどね、一般人にとって、こういう自身のコンプレックス
解消のために、有名人の転落というのは現代社会において必要不可欠な
要素なんだよ。そういう意味では、彼女の行為は立派に社会的ニーズを満た
しているわけ。
村崎 だいたいシャブに関しては、買っている奴より売っている奴のほうが
よっぽど罪深いはずで、シャブ中患者ってのは罪に問われる以前に、等価
交換で自分の命を削って快感を得ているっていうか、すでにボロボロになった
自分の身体で罪の償いを済ませているようなもんなんだぜ。
唐沢 戦後大ブームになったヒロポンなんか、今どきの覚醒剤に比べれば
非常に効果がユルくてちょうど日本人に合っていたんだがなあ(笑)。それが
ヘタに全面禁止して地下にもぐったために、どんどん精度の高い覚醒剤が
出回って、一回やったらもう、脳も体もガタガタになるようなレベルのものが
蔓延しはじめた。
村崎 マジでオレの周囲の話をすると、いまから15年くらい前に編集の仕事で
知り合って交流のあったシャブ中やジャンキーの皆さんは、その後一人残らず
電池切れを起こしたように死んだり自殺したり狂ったり廃人同様になったりで、
ほどんど全滅状態になってるよ。シャブを売って儲けて、それで幸福になった
奴はいるかもしれないけど、シャブの中毒で幸福になった奴なんか一人も知ら
ない。唐突に死んだりする奴も多くて、シャブの快感は生命エネルギーを前借
りするようにして命と引き替えに得られる快感なんだから、罰はシャブをやった
時にすでに受けているといっても過言じゃない。だから善良な庶民の皆さんも
単純に「人気があって金持ちでクスリやり放題で捕まらない芸能人がむかつく」
なんてマジで怒る必要も、実はそれほどないわけよ。ドラッグやっている奴らは
捕まらなくても、追跡妄想でいつもビクビクして見えない警察に怯えて、自分の
命と身体で代償を払っているようなもんなんだから。正直、ジャンキーを刑務所
にぶち込む暇があったら、療養所に隔離して集中治療することを最優先に考え
たほうがいいと思うよ。聞けば、女性の受刑者の半分以上は覚せい剤使用に
よるものだっていうし。
上に引用する部分は、先に引用した部分よりもっと、唐沢俊一と村崎百郎のパートとを
別々に読んでみると面白いというか、もう片方の話していることを隠して読む方が文章
の流れはスムーズというか。唐沢俊一のいつもの恨みつらみ論や、「ヒロポンなんか、
今どきの覚醒剤に比べれば非常に効果がユルくてちょうど日本人に合っていたんだが
なあ」という執拗なヒロポン擁護論を、村崎百郎が完全無視して、シャブを含むドラッグの
悲惨さを、身近な人間たちの例をひきながら結構マジメに語っているのが興味深い。
で、2ちゃんねるのスレでも突っ込みが入っていたけど (Read More 参照)、別に現在は
昔と比べて「精度の高い覚醒剤が出回って」いるわけではないと思うが。金さえ出せば
不純物の少ないドラッグを入手できるのは昔より今かもしれないけど。
「精度の高い覚醒剤」でなければ「効果がユルくてちょうど日本人に合って」いるかという
のはかなり疑問で、単に効き目がユルくなるような混ざり方ならよい (?) が、その不純物
によっては、より危険だったりするという話も。
http://wiredvision.jp/archives/200110/2001102204.html
> 救いは売人の数が多いことだ。売人は手に入れたドラッグを自分で希釈して売りさ
>ばくからだ。だが、もっと巧妙な攻撃を計画するなら、末端の売人の手に渡る前の段階
>で、濃縮した毒物を混入することも不可能ではない。そうなれば確実に使用者全員の
>生命を脅かすことになる。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090804/crm0908041504020-n1.htm
> 押尾学容疑者が使用していたとされるMDMA(メキレンジオキシメタンフェタミン)は
>興奮・幻覚作用を起こす合成麻薬の一種とされる。
〈略〉
> 薬物の専門家は「精神錯乱や抑うつ、不眠などの症状が出るほか、失明や心臓発
>作を引き起こす危険性がある。ほかの麻薬や覚醒(かくせい)剤を混ぜたり、不純物
>が混じっていることもあり、その場合はより危険性が増す」と話している。
まあ、「混ぜるな危険」というのは、ドラッグの場合にも適用できるということで。
で、2ちゃんねるのスレでも大受けだった「アンダーグラウンド」 (Read More 参照) 問題
だが。
http://www.shakaihakun.com/vol092/03.html
村崎 以前、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドへの参加でも有名なアー
ティストのニコを追った『ニコ・イコン』ってドキュメンタリー映画を観たんだけ
どさ、ニコって重度のジャンキーで、恐ろしいことに自分の息子にまで注射
を打ってクスリ漬けにしているんだよ。だけど、その映画のインタビューに
出てくる息子は「ひどい母親だと思う。でも愛しているんだ」って答えてん
のね。泣けるっていうか、なんだかなあ…自分が好きで麻薬やるのは勝手
だけど、母親は息子にそんな台詞を言わせるような状況作っちゃダメだよな。
唐沢 いや、それは“アンダーグラウンド”でない、表街道のスターも一緒
だよ。JFKの妹と結婚したピーター・ローフォードの評伝なんか読むと、
息子の誕生日にドラッグをプレゼントしたりしている。息子がそれで喜んで
“パパ、ありがとう!”ってパーティでさっそくキメたりして(笑)。特殊な業界
にいると、その業界の常識が世間の常識になっちゃうからね。こうなると業界
からクスリを撤廃するなんてことは無理なんだから、むしろクスリとどう共生
していくか、ということを考えた方が現実的なのかもしれない。
唐沢俊一が、バンド名に「アンダーグラウンド」とついたら「表街道のスター」ではない
とマジで思っているかどうかは……どうなんだろう。「いや、それは“アンダーグラウン
ド”でない」と括弧でくくっていっているから、好意的に解釈すれば一応わかっていると
いうことになるし。
でも、まあ、2ちゃんねるのスレへの書き込みにあった、
>>「ダウンタウンブギウギバンドをやっていた宇崎竜童がさぁ」「いや、それはブギじゃ
>ない」
>
>「いや、それは下町ではなくて」も可
が面白いから、素で間違えたという解釈の方でいいや。w
それにしても、アンダーグラウンド問題を抜きにしても、「表街道のスターも一緒」といって
しまう唐沢俊一の粗雑さには少々あきれる。「ひどい母親だと思う。でも愛しているんだ」
と「“パパ、ありがとう!”ってパーティでさっそくキメたりして」が一緒なのかよと。
2009.02.13 (Fri)
旧ブログの「その他の雑学本 パクリ探し編」
その他の雑学本 パクリ探し編 (30)
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