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2010.02.09 (Tue)

多くの人の心の中にいる松田優作は、あなたとは違うんです

<金曜羅針盤 タイムカプセル>唐沢俊一(評論家)*松田優作
2003.04.25 北海道新聞夕刊全道 10頁 カA (全749字) 

 「太陽にほえろ!」のジーパン刑事が殉職するシーンで、松田優作は
助けた相手に銃で撃たれ、血のついた手のひらをぼうぜんと見つめ、

「なんじゃこりゃあ!」

 と叫ぶ。この叫び声は脚本にない、松田優作のアドリブだったそうだ。

 時に一九七四年八月。石油ショックによる物価の高騰、ノストラダムス
の大予言など終末論の大ブーム、そして高度経済成長期のシンボル
だった長嶋茂雄の引退という世相の中でのことだった。迷走を始めた
日本社会の中で、半ばぼうぜん自失の態(てい)だった若者たちの、
いら立ちと憤まんの代弁のように、ジーパン刑事は怒鳴り、そして死んで
いった。この死にざまで、松田優作は同世代を生きる若者のカリスマの
座についた。

 それ以来、彼が演じる役は刑事(探偵)か犯罪者のどちらかに限られ
た感じがあった。もちろん、文芸映画「陽炎座」(八一年)、 「それから」
(八五年)のような例外はあるが、若者たちが自分の姿の投影を見たの
は、やはり犯罪という、社会とのギリギリの接点で、 自分とは何かを
問いつめ続ける松田優作の姿だったと思う。映画「最も危険な遊戯」
(七八年)での殺し屋も、テレビ「探偵物語」の探偵も、 長い手足をどこか
窮屈そうにもてあましながら、自分の本当の居所のない社会と対じして
いた。

 しかし彼が人生の最後に演じたのは、ハリウッド映画「ブラック・レイン」
(八九年)の中での、全くと言っていいほど観客が自己投影できない、
悪の権化のような犯罪者役だった。いったい、松田優作はこの映画で何を
伝えようと思っていたのか。その意味をこちらが考える暇もなく、 膀胱
(ぼうこう)がんで、三十九歳の若さで帰らぬ人となる。何故かその死が、
時代の壁にぶつかり続けた末の憤死に思えるのがいかにも彼らしい。


唐沢俊一が「時に一九七四年八月」といっている「『太陽にほえろ!』のジーパン刑事
が殉職するシーン」。

http://www.246.ne.jp/~mtn/a3taiyo.htm
>優作は1年で、マンネリになったとし、この役を殺してもらうことになる。命懸けで助け
>たちんぴら会田に射殺されてしまうのだ。テレビ史上に残るラストシーン、そのときに
>吐いたラストのセリフは、実はシナリオにはない。完全に優作の創作だった。死ぬ間
>際にそんなことをいうわけはないなどと論議をよんだが、その斬新さ、鮮烈さは視聴者
>に圧倒的に支持された。それがあの有名な一言、”なんじゃこりゃあ!”1974年8月
>30日だった。<Quarterly M>第4号より


それを唐沢俊一は「長嶋茂雄の引退という世相の中でのことだった」と書くが、長嶋茂雄
の引退表明は 10月になってからで、「なんじゃこりゃあ!」の 2 ヵ月後。なのに、そんな
「世相の中でのことだった」も何もないものだ、と。

http://ja.wikipedia.org/wiki/長嶋茂雄
>1974年10月12日、中日ドラゴンズの優勝が決まり、巨人の10連覇が消えると、長嶋
>は現役引退を表明した。


「石油ショックによる物価の高騰、ノストラダムスの大予言など終末論の大ブーム」も、
ちょっとどうかなあと思う。これらは 2 つとも、前年 1973 年 11 月からのできごとで、
たとえばオイルショックに端を発したトイレットペーパー騒動も 1974 年 3 月には収束、
『太陽にほえろ』のジーパン刑事が殉職した 8 月には、騒ぎも落ち着いていたはずな
ので。

http://ja.wikipedia.org/wiki/オイルショック
>1973年(昭和48年)11月16日 石油緊急対策要綱を閣議決定、「総需要抑制策」が
>執られる。結果、日本国内の消費は低迷し、大型公共事業が凍結・縮小された。
〈略〉
>紙資源の不足から、週刊誌や漫画雑誌の頁数が軒並み削減され、小冊子程度の枚
>数となる。


http://ja.wikipedia.org/wiki/トイレットペーパー騒動
>政府は国民に買い溜めの自粛を呼びかけたが、あまり効果はなかった。そこで政府
>は11月12日にトイレットペーパー等の紙類4品目を生活関連物資等の買占め及び売
>惜しみに対する緊急措置に関する法律に基づく特定物資に指定し、翌1974年1月28
>日には国民生活安定緊急措置法の指定品目に追加して標準価格を定めた。3月にな
>ると騒動は収束していき、在庫量も通常の水準に回復した。


http://ja.wikipedia.org/wiki/ノストラダムスの大予言
>1973年11月25日に初版が発行されると、3ヶ月ほどで公称100万部を突破した。これ
>は『朝日新聞』1974年3月2日朝刊の広告によるものだが、同広告ではこの本が戦後
>のミリオンセラーとしては15冊目であることも謳われている。


オイルショックの方はともかく、『ノストラダムスの大予言』は……。1990 年代後半なら
わかるけど、2003 年に発表する文章に無理矢理入れるような項目でもないだろう。

唐沢俊一は、別のところで、地下鉄サリン事件は麻原彰晃が『ノストラダムスの大予言』
の「恐怖の存在アンゴルモアの大王と自分自身を重ね合わせて起こした犯行」とか書い
たり、「大パニックを巻き起こし」て、「大学受験や会社への就職をやめてドロップアウト
する者」を「多出させた本」であると断じたり、どうも『ノストラダムスの大予言』の影響を
トンデモなく高く見積もっているきらいがあるのだ。

映画『ノストラダムスの大予言』の中でだけは大パニック発生
2000 年の新世紀に少しだけ破滅した世界というポエム

ちなみに、1974 年の懐かしネタを、Wikipedia からいくつか拾ってみたのが以下のもの。
オイルショックまして『ノストラダムスの大予言』をいつまでも引っ張らなければいけない
ほど、何も起きなかった年というわけではない、ということで。

http://ja.wikipedia.org/wiki/1974年
>3月10日 - ルバング島で小野田寛郎元少尉を発見。
>3月30日 - この日放送のTBSテレビ『8時だョ!全員集合』で、ザ・ドリフターズのリー
>ダーいかりや長介が荒井注のドリフターズ脱退と志村けんのドリフターズ正式加入を
>発表。
〈略〉
>4月20日 - 東京国立博物館でモナ・リザ展開催(6月10日まで)。
〈略〉
>7月24日 - 北の湖が史上最年少(21歳2か月)で第55代横綱昇進。
〈略〉
>8月29日 - 『ベルサイユのばら』が宝塚大劇場で初演を迎える(大ヒットになり、以後
>宝塚歌劇団の代表作の一つに)。
〈略〉
>10月6日 - テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』第1作がよみうりテレビ・日本テレビ系で放
>映開始。


で、まあ、これは主観に左右されることでしかないけど、リアルタイムに『太陽にほえろ』
を見ていたひとりとしていわせてもらえば、唐沢俊一のいう「迷走を始めた日本社会の中
で、半ばぼうぜん自失の態(てい)だった若者たちの、 いら立ちと憤まんの代弁のよう
に、ジーパン刑事は怒鳴り、そして死んでいった」には、個人的に「なんじゃそりゃあ!」
と思ったりするんだけど……。

そもそも松田優作が人気がでたのって、もっと単純に、その長身、手足の長さ、アクション
等々、とにかくかっこよかったから――というのではダメなのかなあ。

「社会とのギリギリの接点で、 自分とは何かを問いつめ続ける」姿に、「若者たちが自分
の姿の投影を見た」とかいわれても、その手の自分探しブームって、『太陽にほえろ』等
より後、1980 年代に入ってからで、「なんじゃこりゃあ!」 とはあまり関係ないと思うし。


それはさておき、2ちゃんねるのスレでも批判が書き込まれていた、「彼が演じる役は
刑事(探偵)か犯罪者のどちらかに限られた感じ」に、「文芸映画『陽炎座』(八一年)、
『それから』(八五年)のような例外」(Read More 参照)。

書き込みにあったように、「探偵や犯罪者の役のイメージが強かった」とか書けば、まあ
ファンにも納得してもらえたんじゃないかと思うけど、「どちらかに限られた感じ」と書いて
突っ込みを誘発するのが、さすが唐沢俊一というか……。森田芳光監督作品を「例外」
として扱い、『家族ゲーム』をスルーとか、さすがにマズいんじゃないかと思う。

http://www.yusaku-matsuda.com/profile.html
>83年には森田芳光監督『家族ゲーム』に主演し、キネマ旬報主演男優賞・報知映画
>賞など数々の映画賞を受賞。映画スターとして頂点につく。森田芳光監督とは85年に
>『それから』で再度タッグを組み、その年も数々の映画賞を受賞する。86年には『ア・
>ホーマンス』で自ら監督、主演をこなし、話題となった。
>その後、88年吉田喜重監督『嵐が丘』、深作欣二監督『華の乱』に出演。俳優として
>円熟期を迎える。


その他、「悪の権化のような犯罪者役」をやったからといって、どうして「観客が自己投影
できない」とか文句をつけられなければいけないのか、あげく「時代の壁にぶつかり続け
た末の憤死」ということにされなければいけないのか、謎の多い唐沢俊一の文章では
ある。

しかし、まあ、それは主語を 1970 年代の「若者たち」とか、不特定多数の一般大衆と
思うから首をかしげる文章になっているだけのことかもしれない。主語は唐沢俊一だと
思えば、ある意味納得のいく松田優作論ともなりうるのだ。

つまり、唐沢俊一にとって松田優作とは、「いら立ちと憤まんの代弁」、「社会とのギリ
ギリの接点で、自分とは何かを問いつめ続ける」自分を、ものすごく美化した形にして
画面上で展開してくれた存在とすれば、一応つじつまがあう。森田芳光監督作品等、
あまりそのような用途に向かない作品はスルー、『ブラック・レイン』のように「悪の権化
のような犯罪者役」も唐沢俊一が「自己投影できない」ので文句をいう、と。

SHOGUN の BAD CITY、ゴダイゴの Monkey Magic、ともに 1979 年。」のエントリーを
あわせて参照していただきたいのだが、なにしろ「平河町のあたりを、『BAD CITY』を
ウォークマンで 聞きながら、工藤俊作をきどって歩き回ったりしていた」という唐沢俊一
だし、帽子に黒のスーツという“正装”も、松田優作を意識したコスプレとも思えるし。

おまけ (初主演は『狼の紋章』だったのかの松田優作):
- http://www.yusaku-matsuda.com/2008/01/


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2010.02.08 (Mon)

「伊藤剛くんがかつて、“エヴァはボクが作るべき作品だったんです”と言っ」てはいない、と

裏モノ日記 2001年 04月 25日(水曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20010425000000.html

 と、いうわけで、評判の『クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の
逆襲』。快楽亭が今年の現在までのベストワンに推す作品である。

 春休みも終わり、平日の最終回ということであるが、場内にはそれでも
ちょっとした数の親子連れが目立つ。なかなかのヒットで結構だ、と思った
のだが、観ている最中に、こいつらがいなくなればいいのに、と真剣に
思った。うるさいとか、そういうのではない。この作品を独り占めしたくなっ
たのである。伊藤剛くんがかつて、“エヴァはボクが作るべき作品だったん
です”と言ったが、その口調を借りて“これはワタシが作るべき作品だった”
と言いたい。たぶん、そう思っているオトナたちが、日本国中で十数万人は
いるのではないか。

 これまで、私はアメリカ人をうらやましく思っていた。くやしかった。彼らに
『アイアン・ジャイアント』があったからだ。しかし、これからは堂々と言える。
われわれには『オトナ帝国の逆襲』がある、と。大阪万博で月の石を見られ
なかったトラウマにとらわれ、子供時代に戻ってしまったひろし(しんのすけ
の親父)が、しんのすけの嗅がせたクツの臭さに、現実にもどるとき、自分
のこれまでの人生を走馬灯のように思い浮かべる。ここのシーンに、私は
泣いた。本当に、泣いたよ。場内のガキども、お前らにはここで泣けやしね
えだろう。ざまあみろ。
「懐かしいって、そんなにいいものなのかなあ」
「大人にならないとわからないんじゃないかなあ」
 という、しんのすけや風間くんのセリフが、この映画を観て、お父さん
お母さんが嗚咽しているのを見た子供たちが抱く感想に、そのまま重なる。
うまい! と思う。
〈略〉
 しかし。しかしである。まさに、その“子供向けアニメとしても完成度が
高く、しかもオタク的に楽しめる”という、この作品の全方位的な出来の
よさが、私などにはかえって不満が残る。この作品がカリスマとして、
世のアニメマニアたちの常識をくつがえす力を持っていないのは、まさに
その出来のよすぎるところに原因がある。ダイナミクスというのは、偏頗な
ものに宿るのだ。作品としては欠点だらけなのに、そのテーマとか、パワー
が尋常ではない(それだから作品そのものを破綻させている)という作品
に、時代を変える力が備わる。なまじ出来がいいだけに、この作品が、
単なる佳作で終わってしまう危険性をヒシヒシと感じた。これは、『ギャラ
クシークエスト』のときにも感じたことだ。今の若い監督は、なまじウェル
メイドな作品をまとめる実力を持ってしまっているが故に、小成に甘んじる
傾向がありはしないか?


「伊藤剛くんがかつて、“エヴァはボクが作るべき作品だったんです”と言ったが」は
Twitter 上で本人により思い切り否定されているのが興味深い。

http://twitter.com/goito/status/8768838448
>唐沢俊一が、「伊藤剛くんがかつて、“エヴァはボクが作るべき作品だったんです”と
>言ったが」と日記に書いていたことを知ったが(2001年4月25日)、言ってねえって。
>この手の嘘八百を信じてたひとがいたかと思うとうんざりする。
about 1 hour前 from web


http://twitter.com/goito/status/8768920531
>その日記は「その口調を借りて“これはワタシが作るべき作品だった”と言いたい」と
>続く。例によって、唐沢俊一自身の言いたいことを勝手に架空の”伊藤剛”に仮託し
>てる構図。本当にこの人には「じぶん」というものがないのか。
about 1 hour前 from web


「架空の”伊藤剛”に仮託」しているだけでは足りなくて、「たぶん、そう思っているオトナ
たちが、日本国中で十数万人はいるのではないか」――と、日本という国にいるオトナ、
十数万人にも勝手に仮託しているようだが。……普通に考えて、素晴らしいアニメを見て
感動したとしても、それを“これはワタシが作るべき作品だった”とか、アニメの供給者の
ひとりのような意識をもたないと出てこないような感想をもつ人間が、本当に「日本国中
で十数万人」もいるのかと。しかも唐沢俊一って、別にアニメの製作者側にいる人では
ないし。

参考:
サイコさんまたはエキセントリック中年ミドルエイジからの手紙
スモールサークルまたは破壊的カルトからの生還

唐沢俊一にかかると、「『ああ、あそこまで行けるのだ』という。だから、『負けてたまる
か』なのですね。」あたりが、簡単に「“エヴァはボクが作るべき作品だったんです”」に
変換されてしまうという話かもしれない。


で、上に引用したツイートが発せられる元となったと思われる、2ちゃんねるのスレへの
書き込み (Read More 参照)。

そこで「テンテーのオトナ帝国評、これこそ露骨な嫉妬だよねえ。」と指摘している人が
いるが、「この作品を独り占めしたくなったのである」、「場内のガキども、お前らにはここ
で泣けやしねえだろう。ざまあみろ。」あたりは、確かにちょっと気持ち悪い。

そこまで思い入れたっぷりに語りながら、ちゃんと貶しもいれるのが唐沢俊一らしいと
いえばらしいのだが……批判するところがあったから批判するとかいうのならともかく、
「単なる佳作で終わってしまう危険性」だの、「小成に甘んじる傾向」だの、難癖としか
いいようがない文句をつけてくるのだから困る。


それにしても、この日記で思い出して、改めて臼井儀人の訃報の際の「社会派くん」を
読み返すと、マジで唐沢俊一という人が怖くなる。

・「事件性はないってニュースであれだけさんざん言ってるのに」、「決して幸せではな
 かったと思う」と主張する人

唐沢俊一はそこで、「あれだけ大ヒットを飛ばした成功者であっても、決して幸せでは
なかったと思うんだ、臼井さんは。」と語っているのだ。存在もしない「下品なマンガ描い
ている ヤツが死んだ。ざまァ。メシがうまい」とかいうネット上の書き込みをでっち上げて
まで。


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2010.02.07 (Sun)

どうしてエジソンについて唐沢俊一先生に聞いたりするのですか日テレさん

http://www.ntv.co.jp/don/don_02/contents_01/2010/02/post-75.html

「それって常識!クイズ"知ってるつもり"」
〈略〉
Q、発明王エジソンの名言。
  「発明とは、1%のひらめきと99%の汗」の意味は?
A、・エジソンが談話で語っているが、あれは記者が書き変えたんだと。
  言いたかったのは"99%の努力しても、1%ひらめきがないと
  発明はできない。ひらめきが大事ということ。 (コラムニスト 唐沢俊一先生)


日テレの番組『おもいッきりDON!』のサイトより。最初に2ちゃんねるのスレで情報を
提供してくれた人の書き込みは Read More を参照のこと。そこでもいわれている通り、
1月 30日の裏モノ日記で「某テレビ局インタビュー」とか書かれているのは、多分この
番組のためのもの。

裏モノ日記 2010年 01月 30日(土曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20100130172514.html

1時、部屋で某テレビ局インタビュー。
1時間ほど。
仮仕事場のシチュエーションを絶賛してくれた。


しかし、この番組の名は『おもいッきりDON!』であって『おもいッきりDQN!』ではない
のに、どうしてまた唐沢俊一をここに使うのか、理解に苦しむ。

http://www.ntv.co.jp/don/don_02/contents_01/2010/02/post-75.html に載っている
他の Q&A を見ると、「缶コーヒーの容量表記は?」との質問に「全国清涼飲料工業会」
のような当事者っぽい人を選んでいたり、「『憮然』ってどういうときに使う言葉?」の質問
には「筑波大学名誉教授 北原保雄」のような偉い人に回答させたりしているのに。
「唐沢俊一先生」だけ、当事者でも関係者でも研究者でも専門家でも何でもない。

さて、「唐沢俊一検証blog」の「フラーアンニ、と同意。」のエントリーには、「まあ、ウィキ
ペディアに書いてあることそのままなのだが」と書かれている。確かに、以下に引用する
文章に書かれていることと似たようなことが、「唐沢俊一先生」の言葉として紹介されて
いる。……ちょっとイヤな気分になるのは、考え過ぎかもしれないが、出典は Wikipedia
だとは堂々といえないテレビ局が、雑学ロンダリングみたいな用途で「唐沢俊一先生」を
使っているのではないかという疑惑が頭をよぎるせい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/トーマス・エジソン
>しかし、本人が後年語ったところによると、「取材した若い記者は私の言葉を聞いて
>落胆したのか、大衆受けを狙ったのか、努力の美徳を強調するニュアンスに勝手に
>書き換えて発表してしまった」ものであった。
>実際は「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」との発言だった。言い換
>えれば、「1%のひらめきさえあれば、99%の努力も苦にはならない」ということである。
>それこそが、竹のフィラメントを発明するのに1万回失敗しても挫折せずに努力し続け
>るよう彼を支えたものであったと思われている。つまり、エジソンにはひらめきに裏付
>けられた確信があったのであろう[5]。
>最高級のひらめきは突然やってきては一瞬のうちに消え去ってしまうものが多い。よ
>いアイデアほど、自分の深層意識のより深いところからやってくるものであり、それが
>深ければ深いほど、表層意識では意識できないので、いとも簡単に忘れてしまうという。
>エジソンは、ペンと紙を常時携帯し、思い浮かんだ瞬間には面倒くさがらずに書き留
>めていた。ちなみにアインシュタインもメモ魔として有名であった[6]。
〈略〉
>5. ^ 出典: 浜田和幸『快人エジソン - 奇才は21世紀に甦る』日経ビジネス人文庫、
> 2000年 ISBN 4-532-19020-7


しかし、2ちゃんねるのスレの「努力も必要なんだよ」との書き込みを頭において見直す
と、「唐沢俊一先生」の言葉はもちろん、Wikipedia の記述も、どうかなあと思えてくる。
出典が『快人エジソン - 奇才は21世紀に甦る』とか、題名だけで判断するのも申し訳
ないけど、何か微妙かなあという気がしてくるし。

ちなみに、英語版 Wikipedia の方の記述は、以下のみ。

http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Edison
> "Genius is one percent inspiration, ninety-nine percent perspiration."– Thomas
> Alva Edison, Harper's Monthly (September 1932)


もう少し詳しい記述があるのが、下に引用する Wikiquote。

http://en.wikiquote.org/wiki/Thomas_Edison
>・Genius is one percent inspiration, ninety-nine percent perspiration.
> ・Spoken statement (c. 1903); published in Harper's Monthly (September 1932)
> ・Variants:
> ・None of my inventions came by accident. I see a worthwhile need to be met
>  and I make trial after trial until it comes. What it boils down to is one per cent
>  inspiration and ninety-nine per cent perspiration.
>  ・Statement in a press conference (1929), as quoted in Uncommon Friends:
>   Life with Thomas Edison, Henry Ford, Harvey Firestone, Alexis Carrel &
>   Charles Lindbergh (1987) by James D. Newton, p. 24.
> ・Variant forms without early citation: "Genius is one per cent inspiration and
>  ninety-nine per cent perspiration. Accordingly, a 'genius' is often merely a
>  talented person who has done all of his or her homework."
>  "Genius: one percent inspiration and 99 percent perspiration.


「私の発明品のどれも偶然にできあがったものはありません。私は出会うべき価値の
あるものを理解し、それを得るまで試行錯誤を繰り返します。結局それは何かというと、
1パーセントのインスピレーションと99パーセントの汗なのです。

「天才は1パーセントインスピレーションと99パーセントの汗です。」 「したがって、'天才'と
はしばしば、単に自分の宿題を全部すませている、才能ある人にすぎません。」

……って、訳す途中で以下の 2 サイトを発見。同じようなことを考え、同じ文章の訳に
トライしているような……。

http://d.hatena.ne.jp/rhb/20090410
>「天才("a 'genius'")ってのは、たいていの場合("often")、単に("merely")才能が
>ある人("a talented person")が取り組むべき課題をすべてこなしている("has done
>all of his or her homework.")ってだけなんだよ。」
〈略〉
>まずは"I see a worthwhile need to be met"という「目の付けどころ」が大事であっ
>て、あとはそれが解決されるまで試行錯誤を重ねる("I make trial after trial until it
>comes")ってことか。うーん。でも、これなら、努力の価値は否定してないような気も
>するんだけど。まずはきちんと問題点を把握しておき、それに向けて試行錯誤していく
>んだよ、と当たり前のことを言ってるような。


http://www.tired-life.jp/old/282
>それについてこの友人が言ったんです。
>「日本人はそれを勘違いしているが、その言葉には前後の文脈があって、1%のひら
>めきがなければ、99%の努力に意味はない、というのが真意だ」
〈略〉
>しかし、その後にいろいろ調べた結果、友人の論も実は全然見当はずれということが
>発覚。発覚したことが2点あります。
>まず、「日本人は勘違いしてる」という点についてですが、勘違いしているのはあなた
>です。 外国ではむしろ友人の論を唱える人は少数派でした。
>そしてもう1点、肝心の真意ですが、友人の言う「前後の文脈」を見て分かりました。
>引用します。
>「None of my inventions came by accident. I see a worthwhile need to be met and
>I make trial after trial until it comes. What it boils down to is one per cent
>inspiration and ninety-nine per cent perspiration. 」
>(訳:私の発明で偶然によって生まれものは何一つとしてない。私はひらめきに出会う
>ため必要なものを知っており、そしてその発明ができるまで何度も何度も実験を繰り
>返しているのだ。天才は1%のひらめきと99%の汗から成る)
>私の訳で一部直訳が難しいので意訳しましたが、大意は通ると思います。
>さて、この前後の文を見て「1%のひらめきがないと99%の努力は意味がない」という
>意味にどうやったら取れるんですかね?


この線で解釈するとすれば、最初に引用した「唐沢俊一先生」の言葉に戻ると、「言いた
かったのは"99%の努力しても、1%ひらめきがないと発明はできない。ひらめきが大事
ということ」とかいうのはガセとみなしてよいだろう。Wikipedia の記述の方もまあちょっと
まずいのではないかという感じ。

つまり、努力の大切さのみばかりを強調するのは、なるほどエジソンの発言の意図とは
少しはずれるかもしれないが、「99%の努力しても、1%ひらめきがないと」との意訳は
飛躍が過ぎるということで。


しかし、2ちゃんねるのスレに書き込まれていた「リトルピープル」バージョン (?) の方を
とるとするならば、話は厄介になるかも。

「リトルピープル エジソン」で捜してみたかぎりでは、エジソンがこういう発言をしたとする
元ネタは、Wikipedia の出典としてもあげられている「浜田和幸著『快人エジソン』」のよう
なのだ。(さらに、それを村上春樹著『1Q84』に出てくる「リトルピープル」と関連づけて
いるブログその他も結構多い)。

http://www.radiance.gr.jp/mm/mm15.htm
> 今回は、あの発明王エジソンについての面白い記述を見つけましたので報告しま
>す。日経ビジネス文庫の浜田和幸著「快人エジソン」です。この本は、著者が実際に
>エジソンゆかりの地を訪ね、彼の書き残した日記や、彼を事直接知っている人から
>聞いた話を元にして書いたものだそうです。
〈略〉
> また、その延長線で、輪廻の概念を自分なりに追求しているのも 興味深い。エジ
>ソンの仮説は、人間の記憶は電子と同じような構造でできている、というものである。
>しかも、この電子構造物は、時空を超えて移動する性格のものである。また、他の宇
>宙からの知性を地球上にもたらす役割をも果たしている。そして、人間の肉体や魂に
>性格や知能を植え込む作業を繰り返している。それ以外には「自分の発想や発明
>の、真の理由が全く見当たらない」とまで言い切っ ている。エジソンは、これらの地球
>外生命に「リトル・ピープル・イン・マイ・ブレイン(私の脳に住む小人)」とあだ名を付
>けている。

> 世界の名言集に必ず出てくるエジソンの「天才とは1%のひらめ き(インスピレー
>ション)と99%の努力(パースピレーション) のたまものである」という言葉は、彼の
>本心通りには解釈されていない。この名言がいつ、どんな場所で語られたかについて
>は不明で ある。ただ、エジソンの日記を調べると、1929年2月11日、 彼の82歳の
>誕生日に、フーバー次期大統領も臨席しての記者会見ですでに一人歩きしていた名
>言の真意を明らかにしている。「それは赤ん坊の頭脳の中に天才を見いだしたこと
>だ。生まれたての頭脳ほどリトル・ピープルにとって住みやすい場所はない。つまり、
>年が若いほど、自分の脳に宿っているリトル・ピープルの声に素直に耳を傾けることが
>できるのである。大人になってからでは至難の業になるが、それでも何とか1パーセン
>トのひらめきと99パーセン トの努力があれば不可能ではない」
>  それが、この有名な台詞の本当の意味するところであった。残念ながら、当時の新
>聞記者たちは、エジソンの真意を理解できず、「ひらめきだけでは天才となれず努力
>が肝心」といった勝手な解釈を一層広めてしまったのである。そのため、エジソンは
>後に、「たとえ1パーセントでも、ハイヤー・パワーの知性の存在を確認できれば、
>努力も実を結ぶ。それがなければ、いくら努力をしても無駄なこと。この発想の原点で
>あるリトル・ピープルの声、すなわち、1パーセントのひらめきが最も重要なのだが、皆
>このことがわからないようだ」と語っている。
〈略〉
> どうだったでしょうか、エジソンは輪廻転生や魂の存在を肯定していただけでなく、
>実験までもしていた。そして、ハイアーセルフのことを肯定しハイアーパワーという
>名前を付けたり、ガイドからのメッセージをリトルピープルからのメッセージとして肯定
>している。「エジソン文献研究プロジェクト」からの発表が楽しみですね。


……何か読んでいて頭がクラクラしてくるが、おいといて。

上でいうように、もしエジソンが「たとえ1パーセントでも、ハイヤー・パワーの知性の存在
を確認できれば、努力も実を結ぶ。それがなければ、いくら努力をしても無駄なこと」だと
本当にいったとすれば、「99%の努力しても、1%ひらめきがないと発明はできない。
ひらめきが大事ということ。」という「コラムニスト 唐沢俊一先生」の言も嘘ではなくなる。

ただし、その場合、inspiration というのは、日常会話でいうところの「ひらめき」などという
生やさしいものではなく、「地球外生命」「ハイヤー・パワーの知性」といったものにより、
人類にもたらされるものということになる。

……まあ確かに、エジソンはオカルトに傾倒していたという話も、よく耳にするところでは
あるけれど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/トーマス・エジソン
>エジソンにはオカルト・超自然的なものに魅せられていたという一面もあった。ブラヴァ
>ツキー夫人やバート・リーズの降霊術を信じていて、ブラヴァツキー夫人の開く神智学会
>に出席したこともある。また、来世を信じ、後半生は死者と交信する電信装置 (Spirit
>Phone) を研究していた。ただし、あくまでエジソンは合理主義者を自負しており、
>1920年代を通じて常に自由思想家協会を支持していた。


では、件の名言は、エジソンが「オカルト・超自然的なものに魅せられていた」からこそ
発せられた言葉――ということにして終わりにしようにも、「ハイヤー・パワーの知性」とか
いう文章の、元の英文がなかなか見つからないのだから困る。

「Edison "Higher Power"」で捜しても該当しそうな文章が見つけられないわ、「エジソン
ハイヤー・パワー」では「浜田和幸『快人エジソン』」のみを出典としているページしか
見あたらないわ……ということで、現時点では、やっぱりガセらしいということにさせて
もらおうかと。

さらに、先に述べた、どうして専門家でもない唐沢俊一に聞いたりしたのかという問題。
ネタが先行していたとすれば、放映にあたって誰かにお墨付きをもらおうとしたけれど、
大学の先生などにはすべて断られた――という推測も成り立つ。推測でしかないし、なぜ
浜田和幸に声をかけなかったのかという疑問は残るけど。


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2010.02.05 (Fri)

アーサー・C・クラークを「そんなに読まれていた作家だったか」ってのも、なあ……

裏モノ日記 2008年 03月 20日(木曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20080320130106.html

昨日のマイミクさんたちの日記はアーサー・C・クラーク追悼
一色になっていた。そんなに読まれていた作家だったか。
まあ、あの映画があるからなあ。
しかし確かこの人、2001年に自分の毛髪を保存して、
将来クローン再生させる“エンカウンター2001計画”に
参加していたはず。
て、ことはまた近い将来、お会いできるはず。
それを信じる方が科学を真っ正直に信奉していたクラークの
ファンらしいだろう。だから黙祷は捧げない。
いや、それにはもうひとつ理由もある。

私的に言えばクラークのベスト作品は何といっても短編
『太陽系最後の日』である。このラストの衝撃の前には
『幼年期の終わり』も『都市と星』もかすむ。
デビュー作のこれを最高傑作とされることにクラークは忸怩たる
ものもあったと思うが、このショッキングなアイデアは、
キリスト教国の人間ならわれわれの数倍、数十倍するインパクトを
感じたことだろう。そして反発も当然ながら。

『幼年期の終わり』での痛烈な皮肉、『2001年宇宙の旅』での
徹底した無視など、クラークとキリスト教の間の相容れぬ関係を
たどってみる研究書がこれからきっと出てくるに違いない。
これは、一説による、ナイト位授爵の遅れに関連する、
彼の性的嗜癖と何か関連があるのだろうか?
“復活”したクラークはその研究書を目にするだろうか。


×デビュー作のこれ ○最初期の作品のこれ

2ちゃんねるのスレでは、「クラークのデビュー作は『抜け穴』なんですが・・・・・・
ページ開いた瞬間にガセが見つかるテンテーって素敵w」などと書かれてしまっている
(Read More 参照)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/アーサー・C・クラーク
>1946年、アスタウンディング4月号に掲載された短編『抜け穴』で商業誌デビューす
>る。最初期の作品としては翌5月号に掲載された短編『太陽系最後の日』の評価が
>高く、日本では『S-Fマガジン』創刊号に翻訳が掲載され、支持を得た。1953年には
>人類の宇宙的な進化を描いた『幼年期の終わり』を刊行。現在でもSFのベスト級作品
>として評価されている。


http://www.isfdb.org/cgi-bin/ea.cgi?Arthur%20C.%20Clarke (isfdb の Arthur C.
Clarke - Summary Bibliography) を見ると、1937 年の『Travel by Wire!』他、1946 年
の『Loophole (抜け穴)』よりも前に雑誌に掲載された作品も存在するが、それらは
Amateur Science Stories という fanzine (同人誌のようなもの) への掲載であり、
商業誌デビューは Analog Science Fiction and Fact の前身、Astounding Science
Fiction に 1946 年 4 月に掲載の『Loophole』ということでよいだろう。

『Rescue Party (太陽系最後の日)』は、同じく Astounding Science Fiction に、翌月
5 月の掲載。

http://en.wikipedia.org/wiki/Travel_by_Wire!
>"Travel by Wire!" is Arthur C. Clarke's first published story. It was first published
> in December 1937 in the magazine Amateur Science Stories.


http://en.wikipedia.org/wiki/Amateur_Science_Stories
> Amateur Science Stories was a short-lived (three issues) science fiction fanzine
> notable for publishing Arthur C. Clarke's first stories, including Travel by Wire!,
> Retreat from Earth and How We Went to Mars.


http://en.wikipedia.org/wiki/Loophole_(short_story)
> Loophole is a science fiction short story written by Arthur C. Clarke and first
> published in 1946 in the magazine Astounding Science-Fiction.


http://en.wikipedia.org/wiki/Analog_Science_Fiction_and_Fact
> Analog Science Fiction and Fact is an American science fiction magazine. As of
> 2009, it is the longest running continually published magazine of that genre.
> Initially published in 1930 in the United States as Astounding Stories as a pulp
> magazine, it has undergone several name changes, primarily to Astounding
> Science-Fiction in 1938, and Analog Science Fact & Fiction in 1960. In
> November 1992, its logo changed to use the term "Fiction and Fact" rather than
> "Fact & Fiction".


http://www.isfdb.org/cgi-bin/title.cgi?41198
> Title: Loophole
〈略〉
> Astounding Science Fiction, April 1946, (Apr 1946, John W. Campbell, Jr., Street
> & Smith Publications, Inc., $0.25, 180pp, Digest, magazine)


http://www.isfdb.org/cgi-bin/title.cgi?40995
> Title: Rescue Party
〈略〉
> Astounding Science Fiction, May 1946, (May 1946, John W. Campbell, Jr., Street
> & Smith Publications, Inc., $0.25, 180pp, Digest, magazine)


で、唐沢俊一の書いた「デビュー作のこれを最高傑作とされることにクラークは忸怩たる
ものもあったと思う」のネタ元候補には、以下に引用する Amazon のカスタマーレビュー
とかがある。

http://www.amazon.co.jp/dp/4150106606
>アーサー・C・クラークの傑作短編集, 2003/5/25
>By 中島 文寛
>〈略〉この本の著者はアーサー・C・クラークである。この本のアメリカでの初版は‘56
>年である。にもかかわらず、この本のトリック、ストーリーテリングの手際の良さはいま
>だにSFの最高レベルである。それどころかこの短編の最初に出てくる「太陽系最後の
>日」はクラークの短編では最高傑作と論評する人もいる。(もっともこの作品はクラーク
>が最初に書いた短編で、その後に自分の作品の評価を考えて本人が少々うんざりし
>ていることもまえがきに書いているが)


http://nobuneko.com/blog/archives/2007/06/c.html
>アーサー・C・クラーク自身が収録作品についての解説を行っている。1945年に執筆し
>た「太陽系最後の日」が最高作品であると称されていることについては、「もしそれが
>本当なら、過去十年間、わたしはつねに下り坂にあったことになる。」というぼやきが
>大変面白い。


初期作品が大人気で作者が複雑な心境を語るというのは、アシモフの『夜来たる』に
似てますな、というのは、おいといて。

混乱の原因は、『太陽系最後の日』が、商業誌に最初に“売れた”作品ではあるが、
最初に掲載された作品ではないため――と考えてよいだろうか。

http://en.wikipedia.org/wiki/Rama_Revealed
> The aliens operating Rama, as revealed at the end of this story, share a very
> similar origin with the aliens in "Rescue Party" (1946), the first story sold by
> Clarke (though not the first published).



また、唐沢俊一はこの日の日記に、「自分の毛髪を保存して、将来クローン再生させる
“エンカウンター2001計画”に参加していたはず」だから、「て、ことはまた近い将来、
お会いできるはず」とも書いている。どうしてそういうことになるのかは不明……。保存
された毛髪からのクローン再生って、「近い将来」に実現しそうな技術だっけ。

「また近い将来、お会いできるはず」とかいうのも、まるで唐沢俊一が A・C・クラークに
直接会ったことがあるような書き方で地味に気になるし。まあ、それは言葉の綾として、
唐沢俊一が生きているうちにクラークが復活するという予想を前提としないと、「近い
将来、お会いできるはず」にはならないはず。

そもそも、「自分の毛髪を保存して、将来クローン再生させる」という書き方も何か変で、
これだけ読むと、以前にうちのブログでも取り上げたアルコー延命財団に似た、肉体の
一部を保存して科学技術が発達した未来に復活させるプロジェクトみたいに思える。

冷凍を例にすると唐沢俊一の史上最強の単細胞生物ぶりがよくわかる……?
不死にまつわる不思議な計算 (←題名負け)
おっしゃる通り『不死テクノロジー』を参照してみましたが?
http://www.alcor.org/ くらいはチェックしておけばよかったのに


しかし、「アーサー・C・クラーク氏も参加!」の、「アメリカのEncounter 2001社が中心
に行っている壮大な宇宙プロジェクト」である「DNAスペーストラベル・キット チーム・エン
カウンター」とは、お客の書いたメッセージが収められた高密度ディスクと、専用の袋に
入れた数本の髪の毛をロケットに積載して発射し、「半永久的に宇宙空間を飛び続け」
させるというものなのだ。

その髪の毛を発見した「ETや未来の科学者があなたのクローンを造ってくれる可能性
も!」という話で……夢にあふれたプロジェクトとは思うが、どう考えても、これによって
クラークに「また近い将来、お会いできるはず」なんて望みをもつ気には到底なれない。

http://www.amazon.co.jp/dp/4899760221
>ロケットにあなたのDNAを積載して発射!
> 「DNAスペーストラベル・キット チーム・エンカウンター」は、アメリカのEncounter
>2001社が中心に行っている壮大な宇宙プロジェクト。あなたの分身であるDNAや、
>あなたの書いたメッセージをロケットに積み込み、宇宙へ発射しようというものです。
>DNAは髪の毛を数本抜いて、専用の袋に入れるだけ。メッセージは専用の申し込み
>用紙に自由に書いて頂ければ、電子化して高密度ディスクに収めます。これらを積載
>した宇宙船(セイルクラフト)は、地球軌道離脱後、太陽風を利用して半永久的に宇宙
>空間を飛び続けます。”誰か”に発見されるまでは・・・・・・。
> その「誰か」とは、地球外生命体かもしれませんし、未来の地球の科学者かもしれま
>せん。もしかしたら、ETや未来の科学者があなたのクローンを造ってくれる可能性も!
〈略〉
>アーサー・C・クラーク氏も参加!
>  「2001年宇宙の旅」の原作者、アーサー・C・クラーク氏もこのプロジェクトに賛同。
>すでに髪の毛と自分のメッセージを提出し、参加手続きを済ませています。また、子
>供の科学教育にぴったりと評判になり、アメリカでは学校単位で参加したり、東京の
>科学館では改装オープンの際に記念イベントとして申し込み受付を行いました。
> キットボックスの内容
>1. サンプル・スリーブ(髪の毛を入れる袋)
>2. アーカイブ・フォーム(ロケットに積載するメッセージの申し込み用紙)
>3. コスミックコール・フォーム(パラボラ・アンテナで発信するメッセージの申し込み用紙)
>4. 返信用封筒(上記三点を入れて送る)
>5. ミッション・ログ(本商品の説明書)
>☆アーカイブ・フォームなどを返送して頂いた後、参加証明書を発行いたします。


ついでにいえば、「だから黙祷は捧げない。いや、それにはもうひとつ理由もある。」の
「もうひとつ理由」とやらも最後まで語られないままだ。いや別にそれを知りたいわけでも
ないのだけど。


それと、唐沢俊一が「彼の性的嗜癖」とかもってまわった書き方をしている、クラークの
ショタ疑惑。ネット上では割と頻繁に目にしていた噂だけど、根拠というかその発信源
については、よくわからない。

http://shadow-city.blogzine.jp/net/2008/03/post_3be5.html
>彼は1954年からずっとスリランカに在住で、国籍がどうだったのかは不明だが、なん
>でもショタで「サー」の称号貰うはずが貰えなくてスリランカに逃げたとか、そんな噂も
>あるわけだ。その後もショタ事件とか何度も蒸し返されているんだが、もうすぐ死ぬか
>ら、というのでお目こぼしになっていたらしい。
〈略〉
>SF作家としてもじゅうぶんに有名なんだが、作家という肩書きがなくても科学史に名前
>を残すだけの功績のある人である。小説家としてのデビューが1946年、初期代表作
>「幼年期の終り」が1953年で、1956年にはスリランカに移住してしまったので、早くか
>ら「伝説」的な存在になっていて、常に「まだ生きていたのか」と言われ続けていたw
〈略〉
>投稿 N | 2008/03/20 21:51
> 貴重なまだ生きていたのかランキング一位保持者が… よって二位のサリンジャー氏
>が自動的に一位となります。 三位のブラッドベリ氏は暫定二位の座を現四位の森繁
>氏と争う事となります。


http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/801/1198778511/
>93 :風と木の名無しさん:2008/03/21(金) 01:38:46 ID:tEwozGEY0
>お年考えれば当たり前なのに、自分も何だか大御所の方々は死なないような気がし
>てた。
>クラーク先生のご冥福をお祈りします。

>この人ってショタだったんだっけ

>94 :風と木の名無しさん:2008/03/22(土) 06:14:20 ID:rpD637260
>>>93
>かなりガチみたいだねー。かなりおっさんになってからだけど、養子縁組してる。


その他参考 URL:
- http://www.unkar.org/read/love6.2ch.net/sf/1205877795

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2010.02.04 (Thu)

最後まで「悪ノ娘〜凄艶のジェミニ〜」とは書かなかった唐沢俊一先生

裏モノ日記 2010年 01月 31日(日曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20100131172937.html

別府さやかちゃんと待ち合わせて、佐藤歩が客演しているX-QUEST
公演『悪ノ娘〜残虐のジェミニ』観劇。
〈略〉
ただ、最終日に見たせいか、みなさんちょっと疲れが出ていて、
アクションのキレや滑舌にやや、難あり。
ギャグもすべっていたもの多し。
ダンスシーンも“あれ、もう終り?”という感じで次に言って
しまい、なんだか勿体ない。先ほど、テンコ盛りが好みと書いたが、
テンコ盛りするなら、出し惜しみはダメなのである。
もういいです、とゲップが出るくらいサービスしないと。
作・演出のトクナガヒデカツ氏が馬の役で(笑)出ていたのが
一番面白かった。

http://megalodon.jp/2010-0204-2309-33/www.tobunken.com/diary/diary20100131172937.html

×『悪ノ娘〜残虐のジェミニ』 ○『悪ノ娘〜凄艶のジェミニ〜』

『悪ノ娘〜凄艶のジェミニ〜』、本当にみにいくのですか唐沢俊一先生」のエントリーに
書いたのだが、2010年 01月 18日 の裏モノ日記では、「佐藤歩出演の『悪の娘〜戦慄
のジェミニ』」――と間違えて書いていた。

「悪の娘」を正しく「悪ノ娘」と書くようにしたのはよいのだが、前は「戦慄」と間違えて
いたのが、今度は「残虐」と間違えている。どうしても、正しく「凄艶」とは書きたくない
らしい。

http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1265097764/311
>311 :無名草子さん:2010/02/04(木) 17:52:44
>>佐藤歩が客演しているX-QUEST
>>公演『悪ノ娘〜残虐のジェミニ』観劇。

>○:「悪ノ娘〜凄艶のジェミニ〜」


素朴な疑問として、パンフレット等は購入しなかったのか、佐藤歩のブログとかは見ても
いないのか、などと思ったりもする。

http://blog.livedoor.jp/ayumi_voice0617/archives/51508997.html
>AG‐ONEプロデュース
>X‐QUEST舞台「悪ノ娘〜凄艶のジェミニ〜」
>御来場誠にありがとうございました!!
>赤のメイド・シャルテットを演じさせていただきました〜。
>本当に参加できて楽しかった作品でした。


あげく、ネチネチとケチをつけて、「作・演出のトクナガヒデカツ氏が馬の役で(笑)出て
いたのが一番面白かった」と失礼な言葉で締めるというのも、人としてどうかと。

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23:34  |  その他の雑学本 間違い探し編 (324) +  |  TB(0)  |  CM(5)  |  EDIT  |  Top↑

2010.02.03 (Wed)

夏夕介氏に何か恨みでもあるんですか唐沢俊一先生

裏モノ日記 2010年 01月 27日(水曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20100127151438.html

夏夕介氏・胃ガンで死去。59歳。
こないだ『突撃! ヒューマン』(72)のことが話題になった
ばかりというのに。
公開番組という特異な性格の番組だった故に、フィルムの中でだけ
ヒーローでいればいい、というわけにはいかなかった。
終演後、ちびっ子ファンたちのサイン攻めに応じながら、
「来週も応援してね!」
と叫び続けていた姿が印象に残っている。
後には東映で『宇宙鉄人キョーダイン』の主役・スカイゼルこと
葉山譲治を演じており、ヒーロー役者として記憶されるべき、
なのではあるが、藤岡弘、佐々木剛、誠直也、宮内洋といった
昭和東映ヒーローの“濃さ”の中では、イマイチ線が細い
ように感じた。初主演でヒットを飛ばした上記のヒーロー役者たちに
比べ、やはり初主演番組が二ヶ月でコケた、ということがトラウマと
して出ていたのだろうか。後に『特捜最前線』で藤岡弘と共演した
とき、夏は藤岡に
「裏でしたが、負けました」
と話したそうだ(『ヒューマン』は『仮面ライダー』の裏番組)。
わざわざそんなこと持ち出すというのは、やはり気になっていたのだろう。

実は私が夏夕介で強烈に印象に残っているのが、『純愛大河・愛と誠』
(74)で主役を張った直後に彼が出演した、あのカルト監督・
石井輝男が全くのルーティンで撮った(のであろうと思われる)
暴走族映画、『爆発! 暴走族』(75)。
確か星正人主演の『男組』の併映だった。岩城滉一主演の作品で、
『メカゴジラの逆襲』の藍とも子も出ている。
当時の実在の暴走族をゾロゾロ登場させるというキワモノぶりが
いかにも石井らしいのだが、そこで夏は、藍をチキンレース勝負で
一匹狼ライダーの岩城と取り合う暴走族のリーダー役をやっていた。
金持ちのぼんぼんで二枚目で、暴走族のリーダーとしてバイク技術でも
それなりの尊敬を受けていたのだが、チキンレースで敗北したことで
一切の地位も恋人も失い(ここらが70年代的単純さ)、最大の勢力を
誇っていた暴走族のリーダーに岩城の悪口を吹き込んでやっつけ
させようとする、という絵に描いたようなコソクな手段をとる
チンピラ役だった。仮にもヒーローを演じていた役者がこういう役を
引き受けるということに当時高校生だった私は愕然とした(いや、
もっといろんな例がある、ということは大学に入って名画座めぐりを
するようになってからわかったのだが)。

代表作でも主役でもないこんな役がなんで印象に残っていたか
というと、その役が実に似合っていたからである。
つまりはこういうヒネクレた役も楽々出来てしまう人だったと
いうことだ。本人自身は極めて明るく、ノリのいい人だったと
いうことだから、全くその本質と異る役を演じていたわけで、
演技派だったのだろう。平成の今なら、影のあるヒーローや
美形の悪役を演じて、若い女性(ママさん)たちに取り巻かれて
いたのではあるまいか。残念ながら、昭和のヒーローにはそのような
影は必要とされなかった。

役者として致命傷である、顔面マヒで表情が出せないという
ハント症候群に長くなやまされ、そのキャリアに影を落として
いたのも残念だ。やっと回復し、これからというところでの死。
無念だったとは思うが、今は安らかな眠りを祈りたい。黙祷。

http://megalodon.jp/2010-0203-0055-20/www.tobunken.com/diary/diary20100127151438.html

×『突撃! ヒューマン』 ○『突撃! ヒューマン!!』

それと「『突撃! ヒューマン』(72)」の「(72)」という表記は、何のことかわかりにくい
ので、1972 年といいたいのなら別の書き方にしてほしいと思ったり。

「こないだ〈略〉話題になったばかり」というのも唐沢俊一のこの日の日記だけ読んでも
よくわからないが、一般家庭からの映像の発掘、仙台放送からの DVD 発掘の件か。

http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1263461968/
>1972年、当時の一部のチビっ子たちをトリコにしながら、
>「映像は現存しない」(特撮関係者)とされていた
>幻のヒーローの雄姿が、仙台市の一般家庭から偶然にも“発見”された。
>映像は地元テレビ局がDVDに収録し、昨年末に発売された。

- http://maki555.blog88.fc2.com/blog-entry-1574.html
- http://www.ox-tv.co.jp/shopping/dvd-showa.shtml

で、「残念ながら、昭和のヒーローにはそのような影は必要とされなかった。」について、
2ちゃんねるのスレには多数の異論反論が書き込まれて――という様子は Read More
を参照のこと。

非オタクの自分でさえ、初代仮面ライダーは? キカイダーは? ガルーダハイネルは?
――とか瞬時に頭の中が疑問符でいっぱいになったくらいだから、「平成の今」ではない、
昭和の時代の「影のあるヒーローや美形の悪役」の例が多数書き込まれるのは、当然
すぎることといえるだろう。

「仮面ライダー旧1号もライダーマンもキカイダー・ジローもザビタンも ロボット刑事K」、
「『悪魔のようなあいつ』の沢田研二」、「日本版スパイダーマン」、「レインボーマンも割と
悩むヒーロー」、「時代劇だって座頭市やら必殺やら」、「ヤマトの古代進だって悩むヒー
ローじゃん」、「矢吹ジョーを忘れてませんか」、「カゲスターとベルスター」、「百鬼丸なん
てまさにそのダークヒーロー」等々。

これもスレで名前があがっていたけど、美形の悪役は少なくても手塚治虫が 1960 代に
発表した作品のキャラクターにまでさかのぼることが可能なのだし。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ロック・ホーム
>ロック・ホームは、手塚治虫の漫画作品に登場する架空の人物である。作品によって
>は間久部緑郎(まくべ ろくろう)という名で登場することもある。
〈略〉当初はあまり人気がなかったが、『バンパイヤ』で悪役になったら、若い娘がファン
>レターを山のように送ってくるほどの人気になった[1]。


スレでは名前があがってなかったかもだけど、デビルマンとか、もろ「影のあるヒーロー」
じゃないかと思うし、飛鳥了の方は「美形の悪役」といえそうだし。

で、スレへの書き込みで個人的に一番受けたのは、「真樹日佐夫原作・影丸穣也作画
『ワル』
」だったり。最後に女教師が「連れて行って」とか電車に飛び乗るんだったっけ。

そして、「影のあるヒーロー」といえば、唐沢俊一が日記の中で、題名だけあげている
『純愛山河・愛と誠』はどうなるんだろうという疑問もわく。


実は、唐沢俊一のこの日の日記は、長々と語っている『爆発! 暴走族』の話以外は、
『純愛山河・愛と誠』などのタイトルの列挙、「藤岡に『裏でしたが、負けました』と話した
そうだ」というエピソード、「ハント症候群」の話など含め、Wikipedia の記述をひょいと
もってきたような感じなのだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/夏夕介
>オックス解散後の1972年には舞台番組『突撃! ヒューマン!!』で主役に抜擢された。
>1974年に『ラブラブライバル』、『純愛山河・愛と誠』でヒロインの相手役を務め、お茶
>の間の人気者となり、1976年には、『愛のなぎさ』で映画初主演する。その後も『赤い
>絆』、『人はそれをスキャンダルという』、『特捜最前線』などの人気ドラマに出演する。
>大病から復帰まで
>その後、ハント症候群という病気に罹り、しばらく表舞台から姿を消していたものの、
>克服し劇団「シアタージャパン」の俳優代表として活躍した。
>2004年、創価学会に入会(盟友・真木ひでとも会員である)[1]。[2]。
>『ヒューマン』の裏番組であった『仮面ライダー』で仮面ライダー1号(本郷猛)役を演じ
>た藤岡弘とは『特捜最前線』、2号(一文字隼人)役を演じた佐々木剛とは『宇宙鉄人
>キョーダイン』で共演している。『特捜最前線』で、夏が藤岡と出会った時、藤岡に「裏
>番組でしたが負けました」と語ったという逸話が伝えられている。


このような材料プラス『爆発! 暴走族』の話で、唐沢俊一の日記のような故人をひどく
貶めるような文章ができあがってしまうことに驚く。

『爆発!暴走族』で「絵に描いたようなコソクな手段をとるチンピラ役」をしていたと書く
その一方で、「その役が実に似合っていたからである」と書くのはあんまりな話し方だろう。

「ハント症候群に長くなやまされ、そのキャリアに影を落として」と書いて、Wikipedia で
いう「克服し劇団『シアタージャパン』の俳優代表として活躍した」をスルーしているような
感じなのもひどいんじゃないかと思う。

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2010.02.03 (Wed)

唐沢俊一はサリンジャーの訃報を書くか―― 1月 29日の裏モノ日記を待とう

裏モノ日記 2010年 01月 27日 (水曜日) ――この日の日記に書かれていたことについて
は別エントリーでアップする予定だけど、その前に、この日には書かれていなかったこと
について言及しておこうかと。

1月 27日にはサリンジャー (「ジョン・サリンジャー」ではなく、ジェローム・デイヴィッド・
サリンジャー
) が亡くなっているのだけど、「有名人が亡くなると必ず追悼文を書く」とも
いわれた唐沢俊一が、この日の日記にはサリンジャーのサの字も出していない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/J・D・サリンジャー
>ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー(Jerome David Salinger、1919年1月1日 -
>2010年1月27日[1])は、アメリカ合衆国の小説家。ニューヨーク市マンハッタン生ま
>れ。小説『ライ麦畑でつかまえて』で知られている。


http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2688345/5249983
>【1月29日 AFP】代表作「ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)」で知られ
>る米国の作家、J・D・サリンジャー(J.D. Salinger)氏が27日、米ニューハンプシャー
>(New Hampshire)州の自宅で亡くなった。91歳だった。ニューヨーク(New York)に
>ある同氏の出版エージェント、ハロルド・オーバー・アソシエーツ(Harold Ober
>Associates)が28日明らかにした。死因は明らかにされていない。


まあ報道されたのは 1月 29日なので、まだアップされていない 29日の日記に唐沢俊一
が書いてくる可能性は、まだ消えてはいないのだけど。


町山智浩ブログに「唐沢俊一はサリンジャーに土下座しろ!」というエントリーがアップ
されたのが 2010年 1月 29日。同じ日の早朝、そして翌日に、Twitter に以下のような
ツイートが書き込まれてもいる (リツイートの人数にも注目)。

http://twitter.com/TomoMachi/status/8335595072
>サリンジャーが可哀相。http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20100129
4:45 AM Jan 29th from web
>55人がリツイート


http://twitter.com/TomoMachi/status/8341603703
>文春は朝日の左派偏向報道を叩き続けるけど、朝日で叩くべきはこんな男に何年も
>書評委員をやらせてたことだ。こいつの「アフリカという国」などという妄言を校閲なし
>で印刷したことだ。 http://bit.ly/dCMmIc
7:42 AM Jan 29th from web
>16人がリツイート


http://twitter.com/TomoMachi/status/8375824985
>唐沢俊一のサリンジャー書評を取り上げたのは、有名人が亡くなると必ず追悼文を
>書く唐沢が加藤和彦さんについて書いたようなことをサリンジャーについて書かせない
>ためです。http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20100130
2:15 AM Jan 30th from web
>80人がリツイート



上でいう「こいつの『アフリカという国』などという妄言」については、「アフリカという国
などないっ!
」のエントリーを参照のこと。

また、「サリンジャーが可哀相」と書かれるのも無理はない――という感じの、唐沢俊一に
よる『ライ麦畑でつかまえて』のトンデモ書評については、以下を参照のこと。要するに、
『ライ麦畑でつかまえて』の作者名も主人公の名前も間違えるわ、主人公は大学生だっ
たことにするわ、1950 年代のアメリカに生まれた世代はロスト・ゼネレーションたちで、
この小説を熱狂的に受け入れたんだとか時空を歪ませまくるわ、『ライ麦畑でつかまえ
て』は殺人教唆の「悪魔の書」と巷間いわれていることにしてしまうわと、もう無茶苦茶。

『月刊ほんとうに怖い童話』掲載の書評:
似ているようで違う――サリンジャーとサレンダー
似ているようで違う――失われた世代と打ちひしがれた世代
『ライ麦畑でつかまえて』は殺人教唆はしていない
『ライ麦畑でつかまえて』が「悪魔の書」である平行世界の話?

さらに、「加藤和彦さんについて書いたようなこと」については、「唐沢俊一にとっての
『プロデュース』とは
」のエントリーを、「唐沢にサリンジャー追悼記事を書かせないため
です
」のブログで言及されている「忌野清志郎さんの死について」は「聞いたことのない
『雨上りの夜空に』
」も参照のことというか。追悼を追討と誤記したりする唐沢俊一だけ
あって、ヒドい追悼文が本当に多いのだ。

なお、資料置き場には、今までの「唐沢俊一による書評いろいろ」や「失礼な訃報たち」
も集めておいてあるので、興味のある方はどうぞ。

唐沢俊一は他にどんなトンデモなことを書いているのかに興味をもった人は、「そして
百バカは百を超える」や「いろいろ『と』リンク」などを参照していただくのがいいかも。


で、Twitter での反響の方に話を戻すと、http://togetter.com/li/2549 にも収録させて
いただいているが、大森望や豊崎由美といった人たちも反応しているのが興味深い。

http://twitter.com/nzm/status/8354083561
>バットで打ち返さないとね! RT @EnJoeToh: 下で受け止めちゃ駄目だろ……。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20100129
1:24 PM Jan 29th from TweetDeck


http://twitter.com/toyozakishatyou/status/8376284033
>これ、必読。 RT @TomoMachi 唐沢俊一のサリンジャー書評を取り上げたのは、有名
>人が亡くなると必ず追悼文を書く唐沢が加藤和彦さんについて書いたようなことをサリ
>ンジャーについて書かせな// http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20100130
2:28 AM Jan 30th from web
>5人がリツイート


独立したブログのエントリーとして書くほどではないが、自分はこの件について知ってい
るぞ、それなりに興味をもっているぞといった意思表明みたいなものが可視化されやす
いのが Twitter というものなのかなとも思った。RT を使う人が多いのは、他の人にも
積極的に知らせたいという意図をもつ人が多いということでもあるし。
(はてなブックマークというのものもあるけど、Twitter の方が、より素直な反映かなあと、
何となく思ったり)。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20100129
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20100130


で、まあ、前述したように、唐沢俊一がサリンジャーの訃報について裏モノ日記に書くか
書かないかについては、1月 29日の裏モノ日記がアップされるのを待つということで。

http://twitter.com/goito/status/8386279457
>町山智浩さんが「唐沢俊一はサリンジャーに土下座しろ!」というエントリーを書いた
>理由を「サリンジャーの追悼文を書かせないため」と説明している。唐沢の追悼文は
>本当にひどいからだ。だが「自滅志向」のため、馬鹿な追悼を書く可能性は残る。
http://qurl.com/1n9td
7:15 AM Jan 30th from web
>2人がリツイート


http://twitter.com/goito/status/8386417891
>もっとも、唐沢俊一はたいへん小心でもあるので、サリンジャー追悼はスルーする可能
>性はある。できればそうしてほしい。だがもし「追悼」が書かれたら、サリンジャーの読
>者をコケにするような、それはひどいものになることが予想される。
7:19 AM Jan 30th from web
>5人がリツイート


http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1264084003/953
>953 :無名草子さん:2010/02/02(火) 16:08:09
>今日、連続して28日以降の日記がアップされないってのは
>書いていない(書けない)って事なんじゃないのかな?

>これまで、常に亡くなった人の事を熱心に書いているのに
>サリンジャーの死にまったく触れないというのは
>異常に不自然なので、触れないワケにはいかない
>でも・・・・・

>それか、一旦書いてしまったけれど、現在慌てて書き直しているとか



おまけ (漫棚通信からの盗作発覚直後の唐沢俊一スレではテンプレに入れていたやつ):

http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/16.html
>「週刊新潮」記事に対する大森望の意見
>http://www.ltokyo.com/ohmori/
>> ■2007年06月14日 週刊新潮・唐沢俊一盗作疑惑記事の謎
>>  「漫棚通信ブログ版」はけっこうマメに読んでるので、騒動の最初からウォッチ
>>してたわけですが、 今日届いた週刊新潮6月21日号の記事、『朝日新聞“書評
>>委員”に浮上した「ブログ盗用疑惑」』の 書きっぷりはちょっとひどいんじゃないか
>>と思った。
>>
>>まるで、匿名クレーマーの地雷をうっかり踏んで大変な目に遭ってる被害者に同情
>>するかのような論調。全然そういう性格の問題じゃないと思うんですが。
>>もうひとつ、週刊新潮の記事で謎なのは、唐沢氏が「書評委員をつとめる朝日に
>>対しては、当分、原稿を自粛したいと申し入れた」という一節。「裏モノ日記」を読む
>>と、 出稿・出演を自粛しない媒体もたくさんあるようなので、なぜ朝日新聞だけ特別
>>に自粛する のか意味がわからない。世間を騒がせると新聞の書評原稿は自粛す
>>るのが社会常識なんでしょうか?

>狂乱西葛西日記2007年6月1日〜6月30日


http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/17.html
>唐沢俊一の謝罪文に対する大森望の意見
〈略〉
>>他人の原稿について、「文章がヘタ」と指弾することで有名な人としては非常な悪文。
>>目的語が二つあったり、やたらくりかえしが多かったりして意味が分かりにくい。  
>>「とはいえ」っていうのも、なにが「とはいえ」なんでしょうか。
>>
>>さらに、終始一貫、「『サンナイン』のあらすじ紹介」部分の盗用(借用)しか認めて
>>ない。
>>平野威馬雄『空飛ぶ円盤のすべて』からの引用箇所がすべて漫棚通信と一致して
>>るのは偶然ということか。
>>それにしても、「あらすじ引用という当該部分の性質上、原稿チェック時にその文章
>>の同一性につい意識が回らぬまま、結果的に」って部分はばっさり削除したほうが
>>まだしも印象がいいだろうに。
>>あらすじ紹介はだれが書いても大差ないので……と言いたげな書きっぷりは、あら
>>すじをどう書くかに日々アタマを悩ましている人間としてはけっこうむっとするね。
>>
>>「最終的にこれを商業的な単行本として出版したことは完全に唐沢に責任があるこ
>>とであり、執筆者としての最終判断をないがしろにしてしまった過失」というのもわざ
>>わざ書く意味が分からん。執筆者じゃなくて「監修者」なら意味が通じますが。


追記: 結局 1月 29日の日記は、「日記予定地」で対応した、と。2ちゃんねるのスレでの
盛り上がりぶりは、Read More を参照のこと。

裏モノ日記 2010年 01月 29日(金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20100129172144.html

日記予定地
12時までベッドの中。
朝鬱ひどし。
昼は山かけご飯。
鳩山首相の演説。
「いのちを守りたいのです」
と言う声が裏返っていた。
面白過ぎ。
原稿書き。夜は昨日に引き続きどぶろく鍋。



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2010.02.02 (Tue)

本当は怖い高師直の人妻に横恋慕話

『史上最強のムダ知識』 P.185

「つれづれの 他に 恋しく候も書き」
 という川柳がある。『徒然草』の作者、吉田兼好が、足利幕府の高官・
高師直のために恋文を代筆した逸話を詠んだ句だ。この話は『太平記』
の中にあり、人妻に横恋慕した師直が、彼女に出す恋文を、文章の名人
の兼好に依頼したというものだ。兼好は、綿々たる恋文を書き上げるが、
彼女の心は動かず、師直はふられる。怒った師直は、兼好を出入り禁止
にしたという。
『徒然草』で悟りの境地を記した兼好らしからぬ話であり、以前はこの
逸話は創作だとされていた。が、最近の研究によれば、どうも事実だった
らしい。
 当時の知識人にとって、歌や手紙の代筆は、格好の副業だったので
ある。紫式部や清少納言も、主な仕事は、主人である中宮の、恋の歌の
代筆だった。
 当時の歌人が、無数の恋の歌を詠んだのは、腕前の宣伝でもあった
のだ。


×怒った師直は、兼好を出入り禁止にしたという。
○怒った師直は、人妻の夫である塩冶高貞に謀反の罪をきせて一族を滅ぼしたという。

『太平記』には、人妻にふられた後の高師直が、恋文を代筆した兼好をどうこうしたとは
書かれていない模様。その代わりというか、怒った高師直が、人妻の夫である「高貞に
謀反の罪を着せ、塩冶一族が討伐され終焉を迎えるまで」を書いている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/吉田兼好
>また晩年は、当時の足利氏の執事高師直に接近したとされ、『太平記』にその恋文を
>代筆したとの記述がある。


http://ja.wikipedia.org/wiki/高師直
>また、師直が塩冶高貞の妻に横恋慕し、恋文を『徒然草』の作者である吉田兼好に
>書かせ、これを送ったが拒絶され、怒った師直が高貞に謀反の罪を着せ、塩冶一族
>が討伐され終焉を迎えるまでを描いている。


……何か、普通に考えて、「兼好を出入り禁止にした」うんぬんという話より、恋に狂った
あげく相手の一族もろとも滅ぼしてしまう話のほうがインパクトが強いんじゃないかと思う
んだけど。「乳との記憶違い。」などと同様、正確さの面ではもちろん、面白おかしさでも
Wikipedia に軽く負けている事例のひとつと考えてよいかと。

また、兼好の代筆した恋文について唐沢俊一は、「兼好は、綿々たる恋文を書き上げる
が、彼女の心は動かず」と書いている。これだと美人妻が一応その恋文を読んだけど
心を動かすことはなかったという話のように読めるけど、『太平記』の記述では、そもそも
「見もせずに庭に棄てられました」ということになっているようだ。

http://www.j-texts.com/yaku/taiheiky.html
>侍従が帰つて様子を告げると、師直は兼好(けんかう)と云ふ遁世者を呼び寄せ、そ
>れに手紙を書かせて、使の者に持たせてやつた。やがて使者が帰つて来て、「御文を
>手に取らせられたばかりで、見もせずに庭に棄てられました。」と云ふと、師直は忿つ
>て、ちやうど用事で来合はせた薬師寺次郎左衛門公義(きんよし)に相談をした。
〈略〉
>二間(ふたま)(八)の所に身を縮めて垣の隙(すき)から覗いて見ると、女房は今湯か
>ら上つたと見えて、紅梅色の鮮かな上に、氷のやうな練貫(九)の小袖の撓々(しを/
>\)としたのを掻い取つて、濡れ髪長く垂れかゝり、袖の下に焚きこめた香の煙の匂
>ふのを聞くと、其人が何処にゐるかもわからぬほどに心は茫然となり、巫女廟(ふぢよ
>べう)(一〇)の花は夢の中に残り、昭君村の柳は雨の外に疎(おろそ)かな心地し
>て、師直は怪しきものに憑かれたやうに、只だわなわなとふるへるばかりであつた。
>余り長引くと、主人が帰つて来るかも知れないので。侍従は師直の袖を引いて半蔀
>(はんじとみ)(一一)の外まで出たが、師直は縁の上にひれ伏して、どんなに引立て
>ゝも起き上らず、其儘息が絶えてしまひさうに思はれた。
>それを侍従が促して、漸くのこと邸に帰らせたが、今は只だ恋の病に臥し沈んで、気
>が狂つたのかと思はれるほど、寝ても覚めてもあられもない事ばかり云ひ続けてゐる
>といふ噂を聞いて、侍従は愚図々々してゐては、どんな目に会はされるかも知れない
>と、恐ろしさに行方を晦ませて片田舎へ逃げ落ちた。これから後は指図する人もない
>ので、師直はどうしようかと嘆いたが、色々思案のまゝ遂に心を決して、塩冶判官が
>陰謀の企てをしてゐる事を将軍に讒言した。


さらに、唐沢俊一のいう「悟りの境地を記した兼好らしからぬ話であり、以前はこの逸話
は創作だとされていた。が、最近の研究によれば、どうも事実だったらしい」とかいう話を
裏づける資料は見つからなかった。

「この逸話は創作」ではないかとされているのは、「悟りの境地を記した兼好らしからぬ
話」だからというより、そもそも『太平記』とは「歴史小説」だからという話もあって……
皆が皆、唐沢俊一のように、小説に描かれたことを史実であるかのようにあつかうわけ
ではないということであって (参照: 「久生十蘭の小説だけでチベットを語る?」)。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~katakori/taiheiki/e00/ekiken.html 
>「太平記・原文」は「歴史書」ではありません、「歴史小説」です。
>そこに書かれている事のうち、どこまでが過去に本当にあった事(史実)で、どこから
>が「太平記・原文」の作者が創造したフィクション(作り話)なのか、それは、鎌倉時代
>から室町時代にかけての詳細な研究をしておられる歴史学の専門家にしか判断でき
>ません。いや、専門家の方々でさえ判断できない部分も非常に多いようですよ。


で、兼好の恋文代筆について、「最近の研究によれば、どうも事実だったらしい」という
話になっているわけではないようだ。一方、高師直が塩冶高貞の美しい妻にふられた
ことが原因なのかどうかは別にして、塩冶高貞が高師直に滅ぼされたというのは史実と
考えてよいだろう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/塩冶高貞
>高師直の讒言[2]により謀反の疑いをかけられたため、暦応4年(1341年)3月ひそか
>に京都を出奔し領国の出雲に向かうが、山名時氏らの追討を受けて、妻子らは播磨
>国蔭山[3]で自害した。高貞はなんとか出雲に帰りついたものの、家臣らに妻子の自
>害した旨を聞き「もはやこれまで」と、出雲国宍道郷の佐々布山で自害[4]したという。
>これにより、高貞の子弟殆どが共に討ち取られるか没落した。
〈略〉
>2. ^ 『太平記』によると高師直の讒言の原因については、師直が塩冶高貞の妻に恋
>  心を抱き、恋文を吉田兼好に書かせて彼女に送ったが拒絶され逆上したためとも
>  言われているが、史実としての真相は不明である。また、高貞が足利直義を支持
>  して師直を支持する在地の武士達と対立関係にあったためとする見方も存在する。


その他参考 URL (吉田純著「郷土の歴史物語」より):
- http://t-shioji.com/page3/frame.htm

ただまあ、唐沢俊一は冒頭に川柳をひいているが、川柳の世界では、高師直が人妻に
横恋慕して、吉田兼好に恋文を代筆させて、だけどふられたとかいうのは、史実のように
あつかわれるというお約束にはなっているとのこと。

http://homepage3.nifty.com/muratoma/yakusoku_2.html
>☆このお約束集は古川柳という仮想現実世界の歴史上の人物のキャラクター設定
>です。よって、本当の歴史とは多少あるいは全然違いますが、知っていると古川柳は
>かなり理解しやすくなると思います。
〈略〉
>高師直(1300頃?〜)
> 塩谷判官高貞の妻の顔世御前に横恋慕した
> 侍従の局の手引きで顔世御前の湯上がりを覗いた
> 吉田兼好に恋文の代筆を頼んだが結局振られた


この『地上最強のムダ知識』の唐沢俊一の文章は、『太平記』に書かれていることを
無条件に史実としてあつかっているというよりも、川柳に書かれていることは、どれも
『太平記』の記述に沿ったものと混同しているのかもしれない。

それにしても気になるのは、「つれづれの 他に 恋しく候も書き」という川柳が本当に
あるかどうかということなんだけど。これはググってもうまく見つけられなかった。


ところで、もしも唐沢俊一のいうように紫式部や清少納言の「主な仕事は、主人である
中宮の、恋の歌の代筆だった」のならば、それは「副業」とはいわないのではないかと
いう気がしてたまらないのだが……。

中宮に仕える女房の仕事を、「主な仕事は、主人である中宮の、恋の歌の代筆」と
いってしまうのも、少々乱暴な気もする。

http://ja.wikipedia.org/wiki/女房
>女房(にょうぼう)とは、平安時代から江戸時代ごろまでの貴族社会において、朝廷や
>貴顕の人々に仕えた奥向きの女性使用人。女房の名称は、仕える宮廷や貴族の邸
>宅で彼女らにあてがわれた専用の部屋に由来する。
>もっぱら主人の身辺に直接かかわる雑務を果たす身分の高い使用人であり、場合に
>よっては乳母、幼児や女子の主人に対する家庭教師、男子の主人に対する内々の秘
>書などの役割を果たした。主人が男性の場合には主人の妾(召人)となったり、女性
>の場合には主人のもとにかよう男と関係を持つことが多く、結婚などによって退職する
>のが一般的であった。




追記: 唐沢俊一の元ネタっぽいものを発見。これが正しいとすると、
×つれづれの 他に 恋しく候も書き ○つれづれの他にまいらせ候も書き
ということになるのだが、うまく裏を取ることはできなかった……。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~tenti/library/tableback/tableback-195.htm
>●□ ネットワーク テーブル 第195号       天地シニアネットワーク
>○■                                   発行日 2006.11.28
〈略〉
> 艶書の相手は出雲の守護・塩治判宮高定の北の方、「忠臣蔵」では、顔世御
>前と名付けられた絶世の美人。師直は何とかそのハートを一発で射抜くよう
>な、希代の名文を期待したのであろうが、人が熱くなればなる程、超然として
>涼しい顔をして見せるのが兼好である。

>  兼好はあの面でかとなぐり書き
>  そう旨く行けば良いがと兼好書き
>  ただも居られず師直は墨を磨り
>  兼好はあつかましいと後で言ひ

> その気になって書いたのではない証拠には相手の北の方、手に取り上げるこ
>ともせず、そのまま立って、行ってしまったから、使いの者は止むを得ず、手
>紙を拾って帰って来たのだが、聞いた師直の怒るまいことか、
>「イヤイヤ、物ノ用ニタタヌモノハ、手書キナリケリ。今日ヨリハソノ法師、
>コレニ寄スベカラズ。」
> と言ったと書いてある。大いに面目を失った訳だが、その蔭で兼好のニヤニ
>ヤ笑う顔が、目先にちらついて来るような話である。江戸っ子は勿論、兼好び
>いきで固まっているから、
>「ナーニ、あの大通和尚がその気になれば、どんな女だって一ころなんだが
>ね。」
> と信じて疑わなかつた気配がある。

>  つれづれの他にまいらせ候も書き
>  いでやこの世に生まれては文も書き
>  兼好は中宿などもする気なり

> いっそ商売にしたら、さぞかし繁盛したであろうと言うわけである。それだけ、
>兼好と艶書という組合せには、何かぴったりした感じがあるのであろう。


で、上が元ネタだとすると、ただでさえ (?) フィクション混じりの『太平記』だが、
それにフィクションとしてのアレンジが加わっている浄瑠璃や歌舞伎、さらにそれを
元にした一種の二次創作である川柳の世界のお約束ごとを、唐沢俊一は史実として
あつかってしまったということになるだろうか。


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2010.01.31 (Sun)

苦痛に耐えるのが美徳という、さかやきのささやき

『史上最強のムダ知識』 P.186 (表題)

初めてカミソリを月代に使ったのは、織田信長である。


『史上最強のムダ知識』 P.187

 信長以前は、カミソリで頭髪を剃るのは坊さんだけだった。武士たちは、
伸びた毛をいちいち毛抜きで抜いて、月代(頭の中央の毛が除かれた
状態)を整えていた(抜く時の苦痛に耐えるのが美徳とされていた)。
 武士は普段は総髪で、烏帽子をかぶっていた。合戦の時にのみ、毛抜き
で毛を抜いて、月代にしていたのである。
 ちなみに、月代にするのは、頭頂部がカブトで、蒸れないようにするため。
周囲の毛は、カブトと頭の間とのクッションになる。
 信長が生きた戦国時代は、合戦が日常化していたため、つねに月代で
ある必要があった。このため、いちいち毛抜きを使っていては時間がかかる
と、信長は月代をカミソリで剃るようにした。
 いかにも合理主義の彼らしいエピソードである。


×月代(頭の中央の毛が除かれた状態)
○月代(前額部から頭上にかけての髪をそったこと。また、その部分)

唐沢俊一のいう「頭の中央の毛が除かれた状態」だと、まるでカッパハゲか、逆モヒカン
状態のヘアースタイルになりかねないので、ここは辞書の定義にしたがって、額から頭
の中ほどにかけて髪をそったことにしましょうということで。Wikipedia の定義の方では、
「頭髪を、前額側から頭頂部にかけて半月形に、抜き、または剃り落としたもの」となる。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=月代&stype=0&dtype=0
>さか‐やき【月=代】
>1 古代以後、成人男子が常に冠や烏帽子(えぼし)をかぶったためにすれて抜け上
>  がった前額部。つきしろ。つきびたい。
>2 中世末期以後、成人男子が前額部から頭上にかけて髪をそり上げたこと。また、
> その部分。


http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=月代&enc=UTF-8&stype=0&dtype=0&dname=0ss
>さかやき0 【〈月代〉】
>[1] 平安時代、男子が冠や烏帽子(えぼし)をかぶったとき、髪の生え際が見えない
>ように額ぎわを半月形にそり上げたもの。つきしろ。つきびたい。ひたいつき。
>[2] 室町後期以後かぶりものを省く露頂の風が一般化する中で、成人男子が額から
>頭の中ほどにかけて髪をそったこと。また、その部分。庶民の間にも広く見られ、明治
>の断髪令当時まで続いた。


http://ja.wikipedia.org/wiki/さかやき
>さかやき(月代)は、日本の成人男性の髪形のひとつ。頭髪を、前額側から頭頂部に
>かけて半月形に、抜き、または剃り落としたもの。
>「サカヤキ」の語源、また「月代」の用字の起源は諸説ある。
>一説にさかやきはサカイキの転訛であるという。 戦場で兜をかぶると気が逆さに上る
>から、そのイキを抜くためであるという伊勢貞丈の説が広く認められている。
> 『玉葉』安元2年7月8日の条に、「自件簾中、時忠(平時忠)卿指出首、(其鬢不正、
>月代太見苦、面色殊損)」とあり、平安時代末期、行われていたことが分かる。
>『太平記』巻5に、「片岡八郎矢田彦七あらあつやと頭巾を脱いで、側に指し置く。実に
>山伏ならねば、さかやきの跡隠れなし」とあり、絵巻物などと照らし合わせると、鎌倉
>時代、室町時代にさかやきが行われていたと分かる。当時は、戦場にある間だけのこ
>とであり、日常に戻った時は総髪となった。
>戦国時代になると、さかやきが日常においても行われるようになり、江戸時代になる
>と、一定の風俗となった。公卿を除く、一般すなわち武家、平民の間で行われ、元服
>の時はさかやきを剃ることが慣例となった。


また、「信長以前」も、「坊さん」が「カミソリで頭髪を剃」っていたのなら、「初めてカミソリ
を月代に使ったのは、織田信長である」という P.186 の表題はガセじゃないか――という
のはおいとくにしても、大辞林の定義「平安時代、男子が冠や烏帽子(えぼし)をかぶった
とき、髪の生え際が見えないように額ぎわを半月形にそり上げたもの」を素直に信用す
るなら、「カミソリで頭髪を剃るのは坊さんだけ」とかいうのも、本当かなあと思えてくる。

さらに、この「冠や烏帽子(えぼし)をかぶったとき、髪の生え際が見えないように額ぎわ
を半月形にそり上げたもの」 (大辞林)、または「烏帽子(えぼし)をかぶったためにすれて
抜け上がった前額部」 (大辞泉) を採用するならば、唐沢俊一のいう「月代にするのは、
頭頂部がカブトで、蒸れないようにするため」にも首をひねりたくなる。Wikipeda でいう
「戦場で兜をかぶると気が逆さに上るから、そのイキを抜くためであるという伊勢貞丈の
説」を、少し劣化コピーしたような感じ。(なお Wikipedia の「さかやき」は 2008 年 1 月に
新規作成されたもので、2007 年の『地上最強のムダ知識』のネタ元にはなれない)。


で、織田信長の肖像画が月代を剃った姿であるのに対し、その前の戦国武将が総髪で
描かれているためか、月代を最初に剃ったのは織田信長だという主張もネット上でよく
見かけるが、月代を剃るとの記述自体は平安後期や鎌倉時代まで遡ることが可能。

http://mentai.2ch.net/history/kako/996/996995968.html
>1 名前: 不勉強男 投稿日: 2001/08/05(日) 16:19
>スミマセン、質問なんですが、武士が月代を剃るようになったのはいつ
>からなんですか?
>歴史上の人物の肖像画を見ると、大体冠などを被っているから判らない
>し、足利尊氏なんかは月代を剃らずに長髪姿の肖像画になっているけど。
>月代を剃った肖像画で一番古いのは織田信長(私が知っている限りでは)
> ですが、信長が始めたんでしょうか?
>知っている方、どなたか教えて下さい
〈略〉
>7 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2001/08/05(日) 21:46
>月代は、烏帽子を着用して、髪際の出ないように剃ること。
>並行して、兜を装着したときにズレナイようにという配慮でもある。
>生えてくるのを遅らせるために毛は抜いてしまっていた。
>信長がはじめて剃刀をつかったというが、これはあやしい。ただ、その頃から剃刀を
>使用するようになったようだ。
>『平治物語』に牛若丸が、
>承安四(一一七四)年三月に、十六歳の元服の歳、
>鞍馬寺を出ていくその日、
>近江の鏡の宿で夜半、髪を自分で剃上て、烏帽子のほこりをはらって着る情景が
>みえている。
>これが最古の文献で、 彼がはじめたわけではもちろん無いだろう。


http://www.warbirds.jp/ansq/6/F2000301.html
>2. 散髪について検索して調べてみたら、日本で始めて月代を剃ったのは織田信長で
>意外と新しいようです。短髪の普及は散髪用具の発展とかなり関係が深いと見ていま
>すが。剃刀、西洋はさみ、バリカンの順に発明されてきているわけで、19世紀バリカ
>ンの発明により、刈上げが素人でも簡単にできるようになったため、短髪が主流に
>なったのでは。
>3.
>>2
>月代剃りについてですが、信長よりもう少し遡れるのではないでしょうか。平凡社世界
>百科大事典の「髷」の項にはこうあります。「また鎌倉時代からは,額から頭頂にかけ
>て髪を円く剃りあげる月代(さかやき)の風習も武家の間で広まった。この形の起りは
>諸説あるが,戦場で冑をかぶるおりに熱気がこもるためというのが定説になってい
>る。」太平記(14世紀後半には成立)には大塔宮の熊野落ちで、山伏に扮したが「さ
>かやき」でばれるというシーンがあったはずです(記憶モード故やや自信なし)。また、
>後期倭寇についての中国側資料は、倭寇の特徴として「頂前剪髪、椎髷向後(前と上
>の髪を刈り、横と後ろの髪を結う)」「こん髪薙頂(あたまの上を剃る)」などを挙げ、月
>代を日本人倭寇を判別するポイントとしています。後期倭寇ですと時代的には信長の
>少年・青年時代と重なりますが、両者のあいだに関連はないでしょう。おそらくその
>記事は、信長が冠、烏帽子を被らないで月代と髷を露出する、露頭・月代髪のパイオ
>ニアだったことをいっているのか、あるいは戦争のための実用としてではなく、ファッ
>ションとして月代を剃ったという事かも知れません。


ただし、唐沢俊一の書いている通り「初めてカミソリを月代に使ったのは、織田信長」
――と、最初に「月代をカミソリで剃るようにした」のは信長だとする資料は存在する。

下記に引用する資料を読んで、「カミソリで頭髪を剃るのは坊さんだけ」との唐沢俊一の
記述は、「カミソリは法具であり一般的には使用されていなかった」ことからきているよう
だと納得できた。信長以前には月代を剃るために、カミソリではなくて「小刀など当時の
道具を使用したようですね」とのこと。

しかし、下記の資料を信用するとすれば、唐沢俊一のいう「抜く時の苦痛に耐えるのが
美徳とされていた」というのは多分ガセということに。カミソリがあまり使用されなかった
大きな理由は「一般的にはまだまだ剃刀は高価なものだった」ためで、織田信長以降も
まだまだ「庶民などは毛抜きで月代を行っていた」ようだともいう。

まあ、その方が、戦国武将が「苦痛に耐えるのが美徳」と思うマゾ体質と考えるよりは
納得のできる話ではある。そして織田信長がカミソリを使用した理由は、裕福でもあり、
当時のファッションリーダーでもあったためとするのが妥当ではないかと思う。

http://www.kamisoriclub.co.jp/question3.htm
>飛鳥時代になると仏教伝来とともに日本にも大陸からカミソリが持ち込まれ、当時は
>法具としてヒゲをを剃る儀式に用いられたみたいですね。この時代くらいから一般の
>人もヒゲを剃るようになりましたが、カミソリは法具であり一般的には使用されていな
>かったと思われます。小刀など当時の道具を使用したようですね。また当時の中国か
>ら伝わった「けっしき」といわれる毛抜きで抜いて整える方法も一般的だったようです。
>室町時代から江戸時代まで
>室町時代に入ると、当時のヘアスタイル?として月代(さかやき)を剃る露頭が定着し
>はじめておりまして、月代を剃る際に剃刀をはじめて用いた人物は織田信長と言われ
>ております。ただ、一般的にはまだまだ剃刀は高価なものだった為に庶民などは毛抜
>きで月代を行っていたようです・・痛そすですね。


http://www.riyo.or.jp/library/etc_kobore_03.html
>室町時代に入ると、一般の風俗として月代(さかやき)を剃る露頭が定着しはじめまし
>た。この月代剃りに、剃刀を用いた初めての人物が織田信長だといわれています。
>しかし、剃刀は高価なものであったため、普通は毛抜きで月代を行っていたといわ
>れ、頭中血だらけで苦行のようでした。


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2010.01.30 (Sat)

医者が理容師を利用していたわけでもないだろう

『史上最強のムダ知識』 P.199

 また、古代から中世にかけて、理髪師は医術家でもあった。当時の医者
は診断だけで実際の治療は滅多にせず、患者の血を抜く「瀉血」や、でき
ものを切ってウミを出す、といったことは、理容師達の担当だった。
 当時の理髪師さんは、医学と情報に長じた、最先端の職業だった。


美容店でのパーマを付随しない男性カットは本当は法律違反とな」で引用した箇所の
左のページに書かれている文章。

唐沢俊一のいう「当時の医者は診断だけで実際の治療は滅多にせず」というのを読む
と、そもそも「治療」とは何か、「患者の血を抜く『瀉血』や、できものを切ってウミを出す」
などは「理容師達の担当」だったとしても、それ以外の治療行為――投薬や手術などを
含む――について、本当に当時の医者は「滅多にせず」で過ごしていたのか、いろいろと
疑問が頭に浮かぶ。

実際は、唐沢俊一の書いているように「医者は診断」で手を動かすのは「理容師達の
担当」といったように分業化されていたわけではない模様。というか、唐沢俊一の記述
は、医者と理容師が別々の職業として存在していたことを前提とするが、中世の西欧
諸国では「理容師は外科医を兼ねて」いて、「外科医と理容師は同一の職業」であった。

中世の頃も日本では理髪師が医者の仕事をすることは特になかったが、西欧諸国では
理髪外科医 (または理容外科医、barber surgeon) が、現在の外科医や歯科医の仕事
をしていた。「理髪師の仕事と外科医の仕事が専門職としてはっきりと区別されるように
なったのは,ルイ15世(Louis XV,在位1715〜1775年)の時代の1745年から」である。
「内科医と外科医とは対等にみられる」ようになるのも、このときからという。

つまり、理容師が医術家を兼ねていた時代は、古代からの「外科医は内科医よりも一段
と低い職業と見なされ」る傾向がまだ続いていた時期ともいえる。唐沢俊一は、「医学と
情報に長じた、最先端の職業だった」と持ち上げているが、当時の世間では「最先端の
職業」という目では、おそらく見られていなかっただろう。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=治療&stype=0&dtype=0
>ち‐りょう〔‐レウ〕【治療】
>[名](スル)《「ぢりょう」とも》病気やけがをなおすこと。病気や症状を治癒あるいは
>軽快させるための医療行為。療治。「歯を―する」


http://ja.wikipedia.org/wiki/治療
>呪術医の時代から科学に裏打ちされた近代医療へと医学を変化させたとされるヒポク
>ラテスは、「医師が病を治すのではなく、身体が病を治す。」と表現、患者など治療さ
>れる側の「治ろうとする身体機能」を補助するのが治療であり医療行為だとしている。
>この考えは現代にも継承されており、患者自身の治ろうとする意思を尊重する形で、
>医療方針が選択されている(→インフォームド・コンセント)。
>21世紀の現代では、生物の体の機能がより詳しく解ってきたため、より積極的な各種
>手法を導入する様式が一般的となっている。病気や疾病・怪我(外傷)などを医学的
>に観察(問診を含む)し、必要であれば各種検査(血液検査、尿検査、放射線検査
>等)を行う。結果に応じて疾患及び合併症を考慮し投薬(与薬)ないし手術など処置を
>行う。
〈略〉
>日本では人体を侵襲する治療行為は、医師免許を持つ医師または医師の指示を
>受けた看護師(やはり資格・免許を持つ)以外が行ってはならないことになっている。
>また資格を持つ救急救命士も、特定の救命措置に関して、気管挿管による気道確保
>や点滴の刺針・所定薬剤の投薬などの、所定の救急医療措置を行うことができる。
>鍼灸師(→鍼)による針治療も認められているが、こちらも資格による免許制である。
>もしも、それ以外の無資格・無免許の者がこれら侵襲性の処置を行った場合は、医師
>法違反で逮捕されることになる(自己採血や糖尿病患者のインスリン自己投与などは
>除く)。


http://ja.wikipedia.org/wiki/理容師
>中世の欧米諸国では理容師は外科的処置を行う外科医、歯科医師でもあった。その
>頃医学は内科学主流とされていたため、怪我の処置や四肢の切断等に至るまで、
>理容師がこれを行っていた。「瀉血(血抜き)」、吸角法、ヒル療法、浣腸、抜歯を行っ
>た。その為、彼らは「barber surgeon(理髪・外科医)」と呼ばれ、1094年に最初の組
>合を作った。
>理容師は1462年に、エドワード4世 (イングランド王)により、ギルド(職業組合)として
>法定化され、外科医はその30年後にギルドが出来たが、1540年にヘンリー8世によ
>り"The United Barber Surgeons Company"(理髪・外科医組合)として成された。
>〈略〉ジョージ1世時の1745年、外科医は理容と分けることが法定された。


http://www.riyo.or.jp/library/riyo_history.html
>理容の歴史
>記録によれば、理容はエジプトから始まり、ギリシア時代にヨーロッパで理容業が
>スタートしました。当時の理容師は外科医を兼ねていましたが、各国における理容師
>の歴史を調べてみても、ローマのように外科医と理容師は同一の職業でした。
〈略〉
>腕を切開して噴出させた血液を、理容外科医が、金属製の皿で受けている。 後に
>フランスの理容店の看板の基になったとされている。


http://dentaltoday.blog122.fc2.com/blog-entry-44.html
>16世紀のフランスにおける歯科医療は,主に理髪外科医によって行われた.しかし簡
>単な抜歯は,しばしばその使用人か,無資格の歯科医術者が行ったといわれる.この
>時代の歯科医術はその大部分が理髪師,または社会的に地位の低い歯科医術者に
>よって行われていた.
>また,エジプトやローマの古い記録によると,外科医は内科医よりも一段と低い職業と
>見なされ,紀元前5世紀頃から理髪師が手先の器用さから,簡単な外科手術や抜歯
>などの歯科手術を行っていたといわれる.
>理髪師の抜歯は,古代ローマだけでなく,中世にはヨーロッパやアラビア人の間にも
>広がり,外科手術を行う理髪外科医(Barber-Surgeon)という職業がほぼ確立し,そ
>の理髪外科医が行っていた.フランスでは1745年までこの制度が存続した.それ以
>後は理髪師は彼ら自身の同業組合を創立するために,理髪外科医の組合から分か
>れた.
>理髪外科医の社会的地位は外科医の下の階級であった.しかし,理髪外科医は歯科
>医術の発展に重要で,有利な職業的地位を占め,大部分の国々では特定の小手術
>を行う特権が与えられていた.
>理髪師の仕事と外科医の仕事が専門職としてはっきりと区別されるようになったの
>は,ルイ15世(Louis XV,在位1715〜1775年)の時代の1745年からで,またこの時
>はじめて内科医と外科医とは対等にみられるようになった.内科医,外科医,理髪外
>科医はそれぞれ歯科医業の進歩に貢献した.他に,技能のすぐれた職人である歯科
>技工士によって歯科補綴と技工が発達した.


http://dentaltoday.blog122.fc2.com/blog-entry-50.html
>フランスの外科医アンブロワーズ・パレ(Ambroise Pare,1510〜1590)は,理髪師の
>徒弟から身を興し,国王の侍医頭に任じられ,近代の外科学を確立した.パレは豊か
>な解剖学の知識を応用して外科手術法に改良を加え,外科学の基礎を固めた.そし
>てパレは,外科が,それまでは身分の低い理髪師の仕事とされていたのを一躍,内
>科と並ぶ地位にまで高め,近世外科学の父と呼ばれるようになった.彼の貢献は外
>科学だけでなく,内科学,産科学,そして歯科学にも及んでいる.


その他参考 URL:
- http://www.fukai-net.jp/dental/column/c05.html
- http://www.riyo.or.jp/library/etc_rekisi_03_01.html
- http://www.riyo.or.jp/library/etc_rekisi_03_02.html

追記: 「米」をいれてよいかどうか不明なので、「欧米諸国」を「西欧諸国」に変更。


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2010.01.30 (Sat)

「人間な脳の重量」というのは原文ママ

『史上最強のムダ知識』 P.39

 なお、漱石の遺体は、彼の死の翌日、主治医の手により解剖されている。
 この時、摘出された脳と胃は、帝国大学(後の東京大学)に寄贈された。
 現在も、東京大学医学部には、アルコール漬けにされた漱石の脳が保管
されている。その重さは1425グラム。
 ちなみに、人間な脳の重量は1200から1600グラム。量と頭脳は比例
しないので念のため。
 量だけでいうなら、現代人よりもネアンデルタール人(平均1600グラム)
の方が、よっぼど多いのだ。


×人間な脳の重量 ○人間の脳の重量
×アルコール漬けにされた漱石の脳 ○ホルマリン溶液の中の漱石の脳

甘いもの、こってりしたものが好きだった胃弱の夏目漱石」のエントリーに引用した部分
の続き。

「量」を「重量」または「重さ」に置き換えて、「よっぽど多い」は「よっぽど重い」にして
くれた方が、よっぽどわかりやすいような……ということについては、後述するとして。

唐沢俊一は「主治医」としか書いていないが、夏目漱石の遺体を解剖したのは、東京
帝国大学の病理学教授だった長與又郎 (長与又郎)。漱石の主治医は真鍋嘉一郎と
している資料もあるが、彼もまた長与とともに漱石の臨終に立ち会ったという話らしい。

その長與又郎が、「『東洋人の脳は、西洋人に比べ小さい』という説に憤慨」して、
「『日本民族の優秀性』を実証する事例として集めた」「『傑出人の脳』のコレクション」
の中に、漱石の脳の標本も含まれる。長與は、1939年「傑出人脳の研究」で、「生前
優れた能力を示した人の脳は、一般人よりも重く」と結論づけていたが、「今は、脳の
大きさと頭の良さは関係ないというのが常識」というのは、唐沢俊一も書いている通り。

漱石の脳は、「ホルマリン溶液の中」にあるという。唐沢俊一のいう「アルコール漬け」
は、「局方ホルマリン」に含まれるというメタノールとの混同か、Wikipedia の「現在もエタ
ノールに漬けられた状態」からきているものと思われる。で、まあ Wikipedia の夏目漱石
の項目
にある「エタノール」との記述は出典が不明なため、齋藤磐根著『漱石の脳』の
解説にある「ホルマリン溶液の中の夏目漱石の脳」を採用させていただくということで。

そして、漱石の脳は多分今も東大医学部にあるのだろうけど、「東大医学部標本室は
一般には公開されていない」ものであり、「医療関係者は許可を受け閲覧することができ
る」というものだそうで、一般人がその目で実際に確認するのは容易ではなさそう。

1995 年の国立科学博物館「人体の世界」展では漱石の脳も展示されていたという話
だが、今は「故人の尊厳への配慮もあり、現在は、個人が特定される標本の情報は
明らかにしない」ようになっているとのことなのだ。

で、唐沢俊一のいう「人間な脳の重量は1200から1600グラム」の1200から1600
グラム」というのは、Wikipedia の「脳」の項にある「1.2〜1.6キログラムの質量」からとして、
ネアンデルタール人の脳については、Wikipedia の「ネアンデルタール人」の項では「男性
の平均が1600cm3」と、重量ではなく容量の記載となっている。

これで、前述の違和感のある表現――「重量」または「重さ」ではなく「量」が、「重い」
ではなく「多い」としている――となった理由がわかったような気が。「平均1600グラム」
と変換してよいのかどうかは不明で、通常は 1cc = 1g では計算していないようだけど。

ちなみに、英語版 Wikipedia ではネアンデルタール人の脳容量は「1,200–1,900 cm3」
となっている。これをとるにしても唐沢俊一のいう「よっぼど多い」が適当かどうかは微妙
なところだなあと思ったりもする。

しかし、まあ、唐沢俊一は、1998 年の『トンデモ一行知識の世界』の時点では、
・ネアンデルタール人とクロマニヨン人の頭のよさは、猿と人間ほどに違っていた。
という意味不明な一行知識を書いているのだから、それと比べれば格段の進歩かも。

http://ja.wikipedia.org/wiki/長與又郎
>夏目漱石の主治医でもあり、1916年(大正5年)、漱石が病死した際には、未亡人
>夏目鏡子の希望で、漱石の遺体を解剖した。


http://ja.wikipedia.org/wiki/眞鍋嘉一郎
>また、中学で漱石に学んだ21年後、長与らと漱石の臨終に立ち会ったほか、大正天
>皇、浜口雄幸など数々の著名人の主治医も務めた。


http://www.jsp51.umin.jp/annai2.htm
>東大医学部標本室は一般には公開されていないが,医療関係者は許可を受け閲覧
>することができる.標本室に入ると,まず文身,刺青の標本が展示されている.その
>中の児雷也の刺青にヒントを得て,高木彬光が推理小説「刺青」を書いたことは有名
>である.
〈略〉
>文身に次いで有名なものとしては「傑出人の脳」のコレクションがある.これは病理学
>の長与又郎教授が「日本民族の優秀性」を実証する事例として集めたものであり,
>「三四郎」の作者,夏目漱石の脳も含まれている.このことから題名を取った本,齋藤
>磐根著「漱石の脳」には,東大医学部標本室の展示物の背景,エピソードが詳しく紹
>介されているので,是非,御一読いただいて,実際に標本室を訪問されることを勧め
>たい.参考のために各章のタイトルを紹介しておこう.文身,骨標本,鋳型標本,人工
>腫瘍,原爆症,漱石の脳,プラスティネーション,学生実習用プレパラートである.あと
>がきにはこう書いてある.「東京大学医学部標本室は,単に標本が並べて置いてある
>というところではない.それだけで精神空間を作っているのである.」
>平成17年度には本館の近くに教育研究棟が完成し,本館には解剖室,講堂,実習室
>を残して,解剖学,病理学,法医学,免疫学教室のすべてが引越しすることになって
>いる.解剖,形態学という枠組みではない,「基礎医学」という精神空間の中で,病理
>学教室(人体病理学)もまた大きな影響を受けることだろう.


http://www.koubundou.co.jp/books/pages/75010.html
>漱石の脳
>(叢書・死の文化 20)
>齋藤 磐根=著
〈略〉
>解説 東京大学医学部標本室─記憶装置としての不思議な精神空間屍体国有論を
>唱えた夢野久作の父の骨やホルマリン溶液の中の夏目漱石の脳が眠る、東京大学
>医学部標本室。鋳型標本から最新のプラスティネーションまで、記憶装置としての不
>思議な精神空間でいま目覚めようとする、死者たちの物語。


http://ja.wikipedia.org/wiki/夏目漱石
>漱石の死の翌日、遺体は東京帝国大学医学部解剖室において長與又郎によって解
>剖される。その際に摘出された脳と胃は寄贈された。脳は、現在もエタノールに漬けら
>れた状態で東京大学医学部に保管されている。重さは1,425グラムであった。


http://ja.wikipedia.org/wiki/ホルマリン
>ホルマリン (formalin) は、ホルムアルデヒドの水溶液のこと。無色透明で、刺激臭が
>あり、生体に有害。生物の組織標本作製のための固定・防腐処理に広く用いられる。
>また、ホルマリンによって死滅する菌類、細菌類が多いことから、希釈した溶液を消毒
>用にも用いる。
〈略〉
>日本薬局方で定められた局方ホルマリンとして市販されているのは、35〜38%ホルム
>アルデヒド水溶液で、安定化剤(にごり防止)として10%以下程度のメタノールが加えら
>れている。一般にはこれを5〜10倍程度に希釈して用いる。


http://ja.wikipedia.org/wiki/アルコール
>ヒドロキシル基が結合している炭素原子が結合する炭素原子の数で第一級、第二
>級、第三級という区別がある。酸化すると第一級アルコールはアルデヒドとなり、第二
>級アルコールはケトンとなる。第三級アルコールは酸化されにくい。なお、メタノールは
>炭素原子どうしの結合を持たないが、酸化してホルムアルデヒドとなるので、一般に
>第一級アルコールに含まれる。


http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20061226us41.htm
> かつては、夏目漱石の脳が国立科学博物館の「人体の世界」展に貸し出されて
>公開されたこともあった。しかし、故人の尊厳への配慮もあり、現在は、個人が特定さ
>れる標本の情報は明らかにしない。標本は一般には非公開で、標本室の存在自体も
>ホームページに記されていない。
> 夏目漱石などの脳の標本は、「東洋人の脳は、西洋人に比べ小さい」という説に
>憤慨した医学部教授が集めたものだった。「傑出人脳の研究」(1939年)にまとめら
>れ、「生前優れた能力を示した人の脳は、一般人よりも重く、その能力に相当する中
>枢が発達している」と結論付けた。
> しかし、「今は、脳の大きさと頭の良さは関係ないというのが常識」(金子博士)だ。


http://blog.goo.ne.jp/konstanze/e/a88e1cb85be40fb2924f3400d718ec99
>私は夏目漱石の脳を見たことがある。加賀乙彦氏の著書「雲の都 時計台」で、作者
>のモデルである東京大学医学部の学生、悠太が脳研究所に通いはじめるようになる
>と、標本室にある夏目漱石の脳を見る文章で思い出したのだ。夏目漱石などの脳の
>標本は、、「東洋人の脳は、西洋人に比べ小さい」という説に憤慨した医学部の教授
>が蒐集して、1939年「傑出人脳の研究」にまとめられ、優れた能力を発揮した人物の
>脳は一般人よりも重く、その能力に相当する中枢が発達している」とされていたそう
>だ。悠太が標準より少し重い漱石の脳を見た時代では、すでに先輩の研究者から脳
>の重さと頭脳の優秀さに相関関係はないと説明されている。私が見る機会をえたの
>は、国立科学博物館主催の「人体の世界」展に出品された時である。

>現在、漱石の脳はどこへ行ったのか。
>歴代の教授の胸像や肖像画が並ぶ東京大学医学部本館の3階。厚い鉄の扉で閉め
>られ、日差しをさけるためのカーテンで窓を覆われた300平方メートルほどの標本室
>で静かに眠っている。
〈略〉
>「父さんの体を返して〜父親を骨格標本にされたエスキモーの少年」という本が出版
>されて、博物館で骨格標本として陳列されている父を発見して遺骨を取り戻そうとした
>息子の実話が話題になったのは、その後である。今では、個人の尊厳への配慮から
>個人が特定される標本の情報すらもあきらかにされず、標本室の存在自体すらもHP
>にあきらかにされていない。夏目漱石の脳が現存していることすらも、やがて一般の
>人々は誰も知らなくなるだろう。


http://ja.wikipedia.org/wiki/脳
>ヒトの脳は頭蓋内腔の大部分を占めている。成人で体重の2%ほどにあたる1.2〜1.6
>キログラムの質量がある。


http://ja.wikipedia.org/wiki/ネアンデルタール人
>ネアンデルタール人の脳容量は現生人類より大きく、男性の平均が1600cm3あった
>(現代人男性の平均は1450cm3)。


http://en.wikipedia.org/wiki/Neanderthal
> 1,200–1,900 cm3 (73–116 cu in) skull capacity

http://www.shuyukai.or.jp/hanashi_jyuuyousa.html
>約20万年前のネアンデルタール人で1,200cc〜1,600ccは現代人の平均1,450
>ccに勝るとも劣らない大きさであった。
〈略〉
>日本人の脳の重さは、男で1,350から1,400g、女で1,200〜1,250gで女の
>方が平均で150gほど軽い。


http://mblog.excite.co.jp/user/kappanochi/entry/detail/?id=12158808
>脳の重さはジャワ原人では900g・ネアンデルタール人では1500g。現代人はと言う
>と、1400gです。


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2010.01.26 (Tue)

黙して語らざるには忍びないから憤怒を籍りて書くのである (by 徳南晴一郎)

裏モノ日記 2010年 01月 23日(土曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20100123174456.html

帰宅、1時半就寝。徳南晴一郎氏死去の報あり。
その人生の、世の中というもの、運命というものへの親和力のなさは
自伝『孤客』にあきらかで、異常な読後感のあったことを思い出す。
孤客とは誰がつけた書名が知らないが、まことに実をついた
タイトルであるなあ、と読んでため息をついたものであった。
晩年に意外な評価を受けたことは徳南氏にとってどういう
意味があったのか。他者の伺い知られることではないと思うが、
今は慎んで黙祷を捧げたい。

http://megalodon.jp/2010-0126-0107-29/www.tobunken.com/diary/diary20100123174456.html

×誰がつけた書名が知らないが ○誰がつけた書名か知らないが

2ちゃんねるのスレには、「でも”実をつく”って表現、初めて聞いたぞ」という突っ込みも
(Read More 参照)。確かに「"実をついた"」と二重引用符つきでググった結果 7 件を
みると、これも違うんじゃないかという気がする。

しかし、唐沢俊一のこの日記は、余計なことをあまり書いていないのはよいとして、必要
なことまで省略してしまっているような。徳南晴一郎が実際には昨年 2009年 12月 24日
に亡くなっていたという話も、彼がかつて貸本漫画家であったこと、『怪談 人間時計』等
の作品でカルトな人気を博していたこと、そして唐沢俊一著の小説『血で描く』と『怪談
人間時計』のつながりも、日記ではいっさい語られないままである。

どうしてそこでもっと凝ろうとしないのか<『血で描く』」のエントリーをあわせて参照して
いただきたいのだけど、『血で描く』の出た当時、SF マガジンで、「『怪談人間時計』の
徳南晴一郎をモデルにしたと思しい貸本テイストだが、作中の仕掛けも含めて今ひとつ
徹し切れておらず残念」と評されている。そのエントリーのコメント欄には、以下のように
書き込んでくれた人もいたけど:

http://tondemonai2.web.fc2.com/684.html
>2008/9/30 17:47
>投稿者:岡田K一
>徳南晴一郎には「孤客」という、ものすごいテンションの高い「孤独な魂の叫び」系の
>読者を圧倒する「自伝」があるのですが・・。唐沢は読んでいるのでしょうか・・。
>あの本を読んでいれば、この人をモデルに、しゃらくさい「仕掛けの小説」なんて、書こ
>うとは普通は思わないもんですが・・。
>それこそ、徳南ばりに、「孤独なオタク少年(青年)だった自分」を描いた小説を書け
>ば、それなりの作品になったでしょうに・・。


今回の唐沢俊一の日記で、「唐沢は読んでいるのでしょうか・・」の答えはえられたという
ことになるだろうか。

また、SFマガジンの「徳南晴一郎をモデル」うんぬんも、『血で描く』の漫画の部分を
担当した河井克夫のツイートにより、傍からそう見えるというだけではなく製作者側も
明確に意識していたことが裏づけられた感じ。

http://twitter.com/osuwari/status/8113347364
>唐沢俊一さんとの「血で描く」で徳南絵柄に挑戦しようとしたが難しかった。ていうかあ
>の世界は絵じゃないかんじ。ご冥福をお祈りします。RT @KandaMori 徳南晴一郎さん
>死去 - 長谷邦夫の日記 http://ff.im/eIh3Q

12:14 AM Jan 24th from TwitBird iPhone KandaMori

「絵」もかなり重要だと思うんだけど、まあおいといて。上記のツイートは、下記に引用の
「長谷邦夫の日記」が元情報となっている (ついでに、この日記がもとになっている様々
なツイートを、http://togetter.com/li/4063 に集めてみたので、そちらもよろしく)。

http://d.hatena.ne.jp/nagatani/20100123
>2010-01-23 徳南晴一郎さん死去
>★昨年の12月24日に亡くなられてしまったとの知らせがあった。
>元曙出版の宮川氏に、名古屋にお住まいの親族から便りがあったとのことです。
>合掌。
>★★ぼくは彼の貸本単行本作品のアシストを、たった一晩、徹夜でやった
>ことがあります。
>版元社長が「遅れているので、仕上げを手伝ってやってくれ」ということで
>雑司ヶ谷墓地そばにある、彼の下宿部屋へ行ったのです。
>彼は、小野寺章太郎(石ノ森)の組織した「東日本漫画研究会」のメンバー。
>ぼくもその同人だったことがあるんです。
>同人誌「墨汁一滴」ですね。


上でいう「彼の貸本単行本作品」は、「雑司ヶ谷墓地そばにある、彼の下宿部屋」とある
ことから、徳南晴一郎がまだ手塚治虫風の絵を描いていた頃のマンガと思われる。

『孤客』 P.17
> 鬼子母神前「並木ハウス」から都電の線路に沿って雑司ヶ谷墓地への坂を昇りつめ
>ると左手に木造の異人館が現われる。その北側、雑司が谷四丁目、藤井宗一郎氏宅
>に引っ越した。


『孤客』 P.20
> やがて曙出版からB六判丸背、カバー巻きの単行本『怪猫雪姫』『怪猫紅行燈』
>なる化猫漫画を出版することができた。
> 鬼子母神前から坂を登り雑司ヶ谷に寓居を構えたがまた坂を降って早稲田に引き
>移った。新宿区戸塚町一丁目、山口彰氏のアパート二階、三畳一間、半畳の釣押入
>れ付き。


http://ja.wikipedia.org/wiki/徳南晴一郎
>1957年10月に上京。雑司が谷にあった手塚治虫の住居"並木ハウス"に居候してい
>たこともある。緒方知三郎を訪ねたものの年齢を理由に治療不可能なることを告げら
>れ、落胆する。原稿の売込にも失敗したため前途に絶望。手塚家を出て雑司が谷の
>別の下宿に移ってからガス自殺を図ったが、大家が元栓を締めていたため未遂に終
>わる。
>その後、曙出版で原稿の売込に成功し、同社から『怪猫雪姫』『怪猫紅行燈』『忍法
>無惨帖』などを上梓。同じ時期に早稲田へ転居。このころ、曙出版専属漫画家の親睦
>会「+画人会」(ぷらすがじんかい)のメンバーに長谷邦夫、川田漫一、ヒモトタロウ、
>江戸川清、鈴原研一郎らがいた。


『怪談 人間時計』 P.228 〜 P.229
>徳南作品をもっと知りたい人へ 宇田川岳夫
> 徳南晴一郎のマンガ家としての活動は、一九五五年から六三年までの八年間で
>ある。この短い期間に彼の作風は四度変化している。〈略〉
> 第一期は五五年から五九年まで。大阪の東光堂からデビュー作『あらしの剣』を
>発表し、その後各社から手塚治虫的な絵柄の時代劇物(例『笑狂四郎捕物控』三島
>書店)を発表した末に曙出版に活動の場を定めるまでの、マンガ家・徳南晴一郎に
>とって幼年期とも言うべき時期である。この時期の彼の作風は、何の変哲もない児童
>向け貸本マンガと言うべきものであり、古書的価値はないと思われるが、化け猫を
>扱った怪談物(『化猫』シリーズ、曙出版や作品中の謎を解くうえで猫が大きな鍵を
>握っているもの『笑狂四郎捕物控』が多く、後年の作品『猫の喪服』への影響を考える
>うえで興味深い。
〈略〉
> 第三期は六二年七月から九月まで。一連のシュールな作品、『化猫の月』『人間
>時計』『猫の喪服』等を何かにとりつかれたかのように連発した時期である。〈略〉
>『人間時計』『猫の喪服』は不条理に満ちたストーリー、表現主義的な描写、作者の
>SF小説に関する当時としては非常に深い造詣がうかがえるなど実験的作品の性格
>が強い。



で、唐沢俊一の日記の記述についての話に戻すと、裏モノ日記の「晩年に意外な評価を
受けた」の「晩年」に、多少引っかかりをおぼえたりする。(「意外な」にも引っかかるもの
はあるが、おいとくとして)。

太田出版が『怪談 人間時計』を復刻 (『怪談 猫の喪服』も同書に収録) したのが 1996 年、
徳南晴一郎の自伝である『孤客』が 1998 年。徳南晴一郎の亡くなった 2009 年の
10 年以上も前のこととなる。

さらに、1980 年前後に、『怪談 人間時計』の限定復刻、一部の雑誌で取り上げられたり
もしているので、後年の再評価を「晩年」のもののみにする記述には違和感がある、と
いうことで。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1413082689
>ばん‐ねん【晩年】一生の終わりに近い時期。
>年老いてからの時期。何歳とかは分かりません。
>英語だと、最後の数年ですね。
>晩年に late in life; 《フォーマル》 in one's last [closing] years.


http://ja.wikipedia.org/wiki/徳南晴一郎
>徳南 晴一郎(とくなん せいいちろう、男性、1934年6月1日 - 2009年12月24日)は、
>日本の漫画家。大阪市北区南森町に生まれる。現在は大阪在住。本来の読み方は
>「とくなん」だが、戦時中「国難」と掛けて学校でさんざん虐められた悲惨な思い出もあ
>り、また「十苦難」と意味が重なるのを避けるため、30歳のとき「とくなみ」と改めた。
〈略〉
>永らく忘れられた漫画家だったが、1979年に『怪談 人間時計』が限定450部復刻さ
>れる。後年、一部の漫画マニアに評価をうけ、著作は10万円以上のプレミアがつくほ
>どのカルト的人気を得、1990年代以降、太田出版から続々と旧作が復刊された。
>趣味は読書と漢詩とクラシック音楽鑑賞。夏目漱石や永井荷風を愛読し、ベートー
>ヴェンを崇拝している。
>著書に、特異な自伝『孤客』(太田出版、1998年)がある。


http://www.amazon.co.jp/dp/4872333136
>怪談人間時計 (QJマンガ選書) (単行本)
〈略〉
>出版社: 太田出版 (1996/11)


http://www.amazon.co.jp/dp/487233387X
>「こんな呪われた人間には、なるたけ近づかん方が良い」異端の貸本漫画家・徳南晴
>一郎の呪われた自伝が、ついに刊行!!近年再評価の高まる怪作「怪談・人間時計」は
>どのようにして生み出されたのか?侏儒病という「生涯における罰課」の意味を問い、
>苦役としか言いようのない凶星の生涯を告白する。青春マンガ自選集「ひるぜんの曲」
>で紹介し波紋を呼んだ原稿「凶星の漫画家」も併録。20世紀最後の奇書。
〈略〉
>出版社: 太田出版 (1998/03)

『怪談 人間時計』 P.224
>こうしてボクが『人間時計』を紹介した 山崎春美
〈略〉
> ところで「HEAVEN」8号でお披露目した、徳南晴一郎の『怪談・人間時計』を憶えて
>くれているだろうか。実は、あの時点で既に、早稲田の「現代マンガ図書館」にて件の
>「人間時計」だけが、ひっそりと復刊されていたらしい。

(以上、1982 年にフォトジェニカ掲載の「アングラ・コミックス秘話」からの抜粋とのこと)。


さて、『孤客』の解説を書いた宮川義道 (元・曙出版編集長) によると、この本が出版
された 12 年前の寅年、徳南晴一郎から「新しき年と『虎視誕誕』重ねておめでとう
ございます。今回の機縁を大切に交友を暖め度いと願っております。よろしく!」との
賀状が届き、その裏には徳南の「油絵『聖の極みなる告知の処女が』が、力強い筆致
と色彩で描かれて」いたという。(「虎視誕誕」は孫が続々誕生する予定の宮川義道が
「虎視眈眈」をもじって賀状に書いた言葉)。

徳南晴一郎は晩年、油絵を描き続けていただろうか、『孤客』の最後の方に書いていた
「漢検」一級は取得できただろうか、安らかに日々をすごせていたならよいなあと思う。

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2010.01.25 (Mon)

お尻だってなめて欲しい……わけでもない

『史上最強のムダ知識』 P.112

モーツァルトは『俺の尻をなめろ』という曲を作っている。


『史上最強のムダ知識』 P.113


 ちなみに「俺の尻をなめろ」は、当時のドイツでは、ポピュラーな言葉
だった。この語は1773年に発行された、文豪ゲーテの処女戯曲『ゲッツ・
フォン・ベルリヒンゲン』の騎士ゲッツのセリフが出典で、戯曲のヒットと
共に広まった。またドイツでは「ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」を「尻」の
意味で使うこともある。例えば「俺のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンにキス
しな!」といった具合である。


×処女戯曲『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』
○処女戯曲『鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』

×「ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」を「尻」の意味で
○「ゲッツ (・フォン・ベルリヒンゲン)」を「俺の尻をなめろ」の意味で

"kiss my ass" という意味のことをいうのに、「俺のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンにキス
しな!」は、ちょっと長過ぎて、あまり一般的ではないんじゃないかなと思う。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン_(ゲーテ)
>『鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』(Götz von Berlichingen mit der eisernen
>Hand )は、1773年に発表されたヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテによる戯曲。
>史実の人物ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンを題材にした史劇である。ゲーテの処女戯
>曲であり、友人のヨハン・ハインリヒ・メルクから援助を受けて自費出版されるとドイツ
>中の注目を集め、ゲーテの名を一躍有名にした。
〈略〉
>主人公ゲッツが「Leck mich am Arsch!」(俺の尻を舐めろ!)と叫ぶシーンは有名にな
>り、ドイツ語ではGötz(ゲッツ)という言葉が同じ意味の侮辱語として通用するほどに
>なっている。この台詞は元々はゲッツの生まれ故郷の言い回しで、ゲーテが戯曲で
>取り上げたことから一般化した。なお、この台詞が書かれているのは1773年に自費
>出版した初版だけで、以後は削除されているが、この作品の代表的な台詞として定着
>している。


「Götz」や「Götz von Berlichingen」は、「尻」単独というより、「Leck mich am Arsch!」
(俺の尻を舐めろ!)のシノニムという感じ。

http://de.wiktionary.org/wiki/leck_mich_am_Arsch
> Synonyme:[1] leck mich am Hintern, leck mich am Allerwertesten, du kannst
> mich mal, du kannst mich mal im Frühling besuchen, du kannst mich mal
> kreuzweise, du kannst mich mal gern haben, du kannst mir mal im Mondschein
> begegnen, rutsch mir doch den Buckel runter, Geh mir doch ab!; Geh mir vom
> Acker, Bleib mir bloß weg, Bleib mir vom Acker, Götz von Berlichingen, Götz-
> Zitat, der berühmte, bekannte, berüchtigte Satz des Götz, aus dem Götz



その他参考 URL:
- http://de.wikiquote.org/wiki/Arsch
- http://coilhouse.net/2008/03/the-iron-hand-of-gotz-von-berlichingen/
- http://shibuya.cool.ne.jp/steiner/99/99-15.html
- http://ansaikuropedia.org/wiki/鉄腕ゲッツ

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23:50  |  その他の雑学本 間違い探し編 (324) +  |  TB(0)  |  CM(8)  |  EDIT  |  Top↑

2010.01.25 (Mon)

鹿せんべい以外のエサを食べさせたがるのもゴミ放置も仕方ないことだとでも?

裏モノ日記 2010年 01月 20日(水曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20100120225739.html

先日、テレビで奈良の鹿の数が激減、というニュースがあった。
原因は人間によるエサのやり過ぎだという話。
専門家の、“鹿は満腹感を感じないので限度を超えていくらでも
エサを食べてしまって死に至る”という説明に驚く。
鹿の脳というのはどうなっているのか。

それより興味深かったのは、禁止されても怒られても、なお
鹿にエサをやり続ける人間たちの姿である。おじさん、おばさんに
多いようだ。中にはトラックにキャベツの芯やパンの耳を山積みにして、
山中の道路で“こっそり”やっているおばさんもいる。あれが毎日だと
したら、いったいいくらかかるのだろう。
番組の中で注意されたおじさんは逆ギレしていた。
いくら、奈良の鹿は飽食状態なのだ、と言っても聞き入れない。
こうなると、エサをやること自体、彼ら彼女らにとって、
快感なのだと思わざるを得ない。以前住んでいた参宮橋にも、
公園でいくら注意されても、毎日大量のエサを持ってきてハトに
やっているおばさんがいた。

いや、鹿やハトに限らない。おじさん、おばさんはたいてい、若いものに
食事をおごるのが好きだ。私も若い頃は、もう食べられませんと
言っているのに、年配者に“いい若いもんがなんだ”と言われて
食事を強いられた。自分がおじさんになってみると、やはり
若い劇団員などにおごるのは一種の楽しみである(中年の劇団員に
おごるのはあまり楽しくない)。以前読んだプロレスラーの裏話本では、
阿修羅・原が借金まみれになってプロレス界を追放されたた原因は、
後輩たちにおごるのが道楽で、それで大借金を作ったため、とあった。
ホントかどうかしらないが、読んでちょっと戦慄した。
世の中にはギャンブルや女狂い以外に、こんなことで破産する人間も
いるのか、と知って、我が身を省みてゾッとしたのである。

他人に食事をおごり、それをその人がおいしそうに食べるのを見る
という行為は、どこかで人間の心の空白を埋める効果があるのだろう。
鹿やハトにエサをやっている老人たちを見ると、たいていが身なりに
まったく気を使っていない。気を使うべき人間が周囲にいないのだろう
と思われる。人間は愛を受けるだけでは満足できず、愛を与えなければ
生きていけない動物だ。食事を与えるという行為は最もダイレクトな
愛情の表現である。彼らはそれで、寂しい心をなぐさめているのである。
エサを与えられすぎて死亡する鹿も問題ではある。しかし、その番組は
踏み込んでいなかったが、鹿にエサを与えないではいられない人間の
増加が、鹿の病死の増加につながっているのではないか。

http://megalodon.jp/2010-0125-0218-51/www.tobunken.com/diary/diary20100120225739.html

×追放されたた原因 ○追放された原因

2ちゃんねるのスレに「2010/01/24(日) 23:31:50」に「こんな時間に裏モノ日記更新。」
と書き込まれてから、あっという間にいろいろと突っ込まれていた。そのスピードには
驚くものが。

で、スレでも突っ込まれていた (Read More 参照) けど、唐沢俊一の書いている「原因は
人間によるエサのやり過ぎだという話」というのは、要約として適切ではない模様。

日記にある「先日、テレビで奈良の鹿の数が激減」の「テレビ」というのは、1月 28日の
『ひるおび』をさしているものと思われるが、番組の感想を書いているブログによると、
鹿の健康にはよくない食べ物をエサとしてあたえる人間が多いことと、ゴミとして捨てら
れたビニール袋を鹿が食べてしまうことが鹿の激減の原因 (交通事故も原因) と考えら
れるため、『鹿せんべい』以外のエサをあたえないこと、ゴミは持ち帰ることが大切だと
いう番組内容だったとのこと。

エサの量が主な問題ではない。鹿が食欲旺盛であることが原因とはいえるだろうけど、
量を多めに食べてしまうことよりも、何でも食べてしまうことが問題となっている。

「奈良の鹿愛護会」のトップページにも、「野菜や果物、お菓子類を食べると体調をこわし
ます」と書いてあるし、そりゃ「キャベツの芯やパンの耳を山積み」にしてもってきて、鹿に
あたえるおばさんとかは、注意されるのも無理はないという感じ。

http://blog.oricon.co.jp/miyunonaka/archive/2939/0
>2010年01月18日
>奈良の鹿激減…
>以前から奈良の鹿さんが減ってると言われてましたが、今『ひるおび』で特集されて
>ました。
>観光客が増えるであろう平城遷都1300年祭の今年
>鹿さんの為にも『鹿せんべい』以外は与えないで下さい。
>ゴミも持ち帰りましょう。

>ごくごく当たり前のことですが、誰かがやってたしいいよね?
>みたいな甘い考えが鹿さんの命を奪ってるんですね。
>自分の大切なペットがビニール食べたり、人間と同じ物を食べたら心配
>になりますよね?


http://yomoyuki.blog45.fc2.com/blog-entry-569.html
>今日は休みなので、「ひるおび!」を見ながらご飯を食べてた。
>すると、奈良のシカの特集をやっててね。
>そのシカが、近年数が激減してるんだって
〈略〉
>何で『人間のえさやり』が激減の原因かというとね。 シカは食欲旺盛な生き物。
>で、奈良公園のシカは人に慣れてるから、人間によくおねだりをするんだって。

>でもエサも鹿せんべいをやってれば問題はないんだけど。。。
>シカがおねだりすると、ついせんべい以外のモノ
>(パンとかスナック菓子etc...)
>をやってしまう人が多いそうな。

>  シカは草食動物だから本来食べることのない
>  甘味や肉はよくないんだって。
>  それに野菜も少しならいいけど、たくさん食べると
>  中毒を起こして死んでしまうらしいよ。

> <参考>財団法人 奈良の鹿愛護会
>     鹿からのメッセージ

>それとか道に落ちてたお菓子をビニール袋ごと食べて、
>そのビニールが消化されずに胃に残ってしまってね。
>それが原因で、栄養不良て死んでしまうシカもいるんだとか。


http://naradeer.com/index.htm
>鹿たちは、奈良公園に自生する植物(シバや木の実など)を主食として生息しています。
>そのため、野菜や果物、お菓子類を食べると体調をこわします。
>鹿には、鹿せんべい以外の食べ物を与えないでください。


で、この論旨のねじ曲げは、どこまで意図的なものなのだろうと、つい考えてしまったり。

「エサをやること自体、彼ら彼女らにとって、快感なのだと思わざるを得ない」と唐沢俊一
は日記に書いているが、エサをやるのが快感というだけの話ならば、鹿せんべいを多め
に買ってあたえればよいではないかという気もする。

もっとも、唐沢俊一が「いったいいくらかかるのだろう」と書いている「キャベツの芯やパン
の耳」よりは、鹿せんべい (http://mikasaya.ftw.jp/u33970.html によると 10 枚 150 円)
の方がずっと高くつきそうだけど。というか、「キャベツの芯やパンの耳」って、鹿がいな
ければゴミとして捨てるものをもってきているだけではないかという気もするし……。

いや何がいいたいかというと、この件については、単に唐沢俊一が勘違いしてガセビア
を書いているのか、強引にでも「もう食べられませんと言っているのに」、「“いい若いもん
がなんだ”」といって食事をおごりたがる年配者に話をもっていきたかったのかが、判然
としないのだ。

強引といえば、「後輩たちにおごる」のが好きだったという阿修羅・原と、鹿やハトにエサ
をやっている「身なりにまったく気を使っていない。気を使うべき人間が周囲にいない」
老人たちといっしょくたにして、「おごり、それをその人がおいしそうに食べるのを見ると
いう行為は、どこかで人間の心の空白を埋める効果があるのだろう」だの、「彼らはそれ
で、寂しい心をなぐさめている」だのと書いているのも、どうかと思う。おごる対象の後輩
たちは、唐沢俊一にとっては鹿やハトと変わらないのか、と。

それと、かつて唐沢俊一におごってくれた年長者って、食糧難の時代をしる世代だから、
量を食べさせたがる傾向があったのではないかとも思う。その人たちがまるで、身なりに
構わず、おごる相手の迷惑や健康も考えず、ただ心の空白をうめるために唐沢俊一に
おごっていたという解釈を彼自身がしているとすれば、かなり失礼で恩知らずな話という
ことにもなりかねない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/阿修羅・原
>同じ長崎県出身の後輩、長与千種をかわいがり、試合会場が近いときは長与のほ
>か、ライオネス飛鳥、大森ゆかり、デビル雅美ら全日本女子プロレスの選手らと頻繁
>に飲み会を開いていた。当時、過密スケジュールで試合をしている彼女らを労い、
>支払いはすべて原が持っていた。原本人は酒が嫌いだったが、酒好きの天龍らとの
>付き合いを重視し、スタッフやマスコミも誘って連日飲み歩いた。お金が足りなくなると
>当時若手だった冬木弘道や川田利明に馬場の元へ金を借りに行かせるなどさせた。
>借金を重ねた原因の一つにに、これらのサービス精神があった。


そうまでして鹿のエサの話を、おごりの話に結びつけたい理由は……唐沢俊一自身が
寂しいからおごりたがるタイプの人間なのだという寂しさアピールなのか、いやそれとも
破産が怖いので人におごるのは控えようという意思表明なのかと、いろいろ想像して
しまう。



追記: コメント欄で指摘があったけど、「阿修羅・原が借金まみれになってプロレス界を
追放された」もまた、唐沢俊一のガセ。阿修羅・原は「プロレス界を追放」されていない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/阿修羅・原
>その後1988年11月に控室や事務所まで「借金取り」が来るほど金銭にルーズである
>ことを理由に全日本を解雇となり、札幌で隠遁生活を余儀なくされる。しかしまもなく
>盟友・天龍の願いを受け1991年に天龍が所属していたSWSにて復帰。SWS崩壊後は
>天龍らとWARへ移籍。





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2010.01.23 (Sat)

今まで出した本の 8 割 5 分が文庫になっていない――の方が実際に近いような

http://www.surfcom.jp/shop/randomtalk/13index.html

日時:2005年11月10日(木)
対談:出版評論家 大内明日香(おおうちあすか) × 
評論家/作家 唐沢俊一(からさわしゅんいち)
テーマ:「古書と新刊の話」
〈略〉
大内 ― 新刊は「空間軸」だと?

唐沢 ― そう、本屋のスペースにどれだけ多く本を占められるかっていうモノ。
ところが古書っていうのは、どれだけ長い時間、みんなの記憶に残り、「この
本ありませんか」と探してくれるかっていう時間軸の勝負。ただ僕は、新刊書
でも、その時間軸の勝負っていうのはできるんじゃないかと思うんですね。
できるかぎり売れる本を狙うのは当り前なんだけれども、売れてそのまま
消えてしまわないで、文庫に降りて、自分が偉くなったら全集になっていく
ものを作ろうと考える。つまり1粒で2度、3度おいしいっていう商売。僕が、
こんなことばっかりやっていても食べていけてるのは、今まで出した本の8割
5分が文庫になっているからなんです。文庫になれば、また印税が入るし、
そこで新しい読者が開拓できる。


「今まで出した本の8割5分が文庫になっている」って、どう計算してもそうはなりません
――という件について。

まあ、2ちゃんねるのスレで調査結果を書き込んでくださった人がいて、このエントリーは
それをコピペしただけみたいなものなので、Read More 参照だけで用は足りるかも。

ベースとしたのは、こちらの人同様、http://www.tobunken.com/links/link.html
唐沢俊一本人が、「ここが一番情報が早く、充実しています。ときどき、私も参考にして
いる(笑)」と述べている「唐沢俊一著書リスト」。

http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder.html

リストにある著作には 1. から 132. まで番号がふられているけど、「8割5分が文庫に」
とかいっている対談が 2005 年 11 月なので、「96. 唐沢先生の雑学授業」までを対象に
すればよい、と。

そして、リストの 96. までで文庫本になっているのが 31 冊で……となると、「8割5分」
どころか 3 割ということになってしまう。

これを、最大限好意的に解釈して (?) 計算すると何割までいくかは、2ちゃんねるのスレ
に書き込んだ人がすでに試みていて、「もう無理です、ごめんなさい」というしかないとこ
ろまでやっても 6 割が限度。

http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1263791311/664
>664 :663:2010/01/21(木) 01:10:02
>本当に唐沢の著書の”8割5分が文庫になっている”のか?
>リストには132点が掲載されていて、そのうち文庫化等されてるのが32点
>32÷132=0.2424
>24%?
>とはいってもリストの最終更新が2009年12月だから、
>2005年の発言を検証するにはもちろん当時のデータでなければねw
>というわけでリストの96番( 唐沢先生の雑学授業  2005.09)までをとりあえず対象
>にしよう。
>96番までで文庫化等されているのは31点
>31÷96=0.3229
>32%、すこし上がったね。
>リストには 87.日本オタク大賞2004のような複数著者の本もあるからそういうのは
>除外しとこう
>全部で20点、そのうち文庫化されている5点は可哀想だから残してやるかw
>31÷81=0.3827
>65 社会派くんがゆく! みたいな共著19点も除外!ただし48 トンデモ創世記2000他
>文庫化された5点は残すw
>31÷67=0.4627
>森由岐子の世界 のような監修本や訳書12点もまとめて除外だ除外!
>31÷55=0.5636
>最初から文庫だと文庫化不可能だよね!というわけで34 トンデモ美少年の世界他系
>4点も除外!
>31÷51=0.6078

>もう無理です、ごめんなさい
>12 ぶんかノ花園 唐沢俊一(作)、唐沢なをき(画)
>こういうのを共著として除外しても追いつきそうにないです


そもそも、唐沢俊一は、「文庫になれば、また印税が入るし、そこで新しい読者が開拓
できる」ともいっているので、文庫本でしか出ていない 5 冊――『トンデモ美少年の世界』
『世界の猟奇ショー』『切手をなめると、2キロカロリー』『怪奇トリビア』『唐沢先生の
雑学授業』――をも入れるのはどうかと思ったりもする。

「と学会著」である『トンデモ本の逆襲』、『愛のトンデモ本』、『トンデモ本 女の世界』、
「官能倶楽部(編)」の『官能博覧会 活字のHを生み出す現場から』は、唐沢俊一の本と
いうには、唐沢俊一の書いているパートはそんなに多くないし。

さらに、「唐沢俊一・毛髪探検隊(著)」だった『Kamidas 現代ヘアーの基礎知識』を、
「唐沢俊一(著)」ということにして文庫化した『育毛通』、「潮健児(著)」『星を喰った男』
を、「唐沢俊一(編著)」にしてしまうという盗人猛々しいことをしている本をも含めての
31 冊であり 3 割でしかないのが何とも。

参考 URL:
『育毛通』にまつわる疑惑。
潮さんの彼女、メフィストの帽子
『星を喰った男』の著者が潮健児というのは単行本の嘘だったの?
『星を喰った男』の著者が唐沢俊一というのは文庫版の嘘だとしか
『星を喰った男』の「文庫版あとがき」 1 ページ目
『星を喰った男』の「文庫版あとがき」 2 ページ目
『星を喰った男』の「文庫版あとがき」 3 ページ目
星を喰った男を食い物にした男、唐沢俊一
文庫版の『星を喰った男』には載っていないこと
『星を喰った男』でも時空を歪ませた唐沢俊一であった
唐沢俊一と潮健児の過ごした平成の 2 年間と数ヶ月について
Amazon に怒るも唐沢俊一に怒るも早川書房に怒るも……自由だー!

で、http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder.html をベースにした、唐沢
俊一の著作 (……ともいいにくいものも含まれているけど) のうち文庫になっている本、
31 冊を以下に並べてみる。

ついでに、「一円で唐沢俊一の本は買えますが」のエントリーでのリストアップの結果を
反映して、Amazon の中古商品なら 1 円で買える本については、URL の右に★をつけ
てみた。在庫で新品 0 冊ならさらに★を 1 個追加ということで。

http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/001.html
>『ようこそ、カラサワ薬局へ ちょっとあぶないクスリ通になる、まちの薬局完全攻略』
>[ハヤカワ文庫JA版は『薬局通』と改題]
>唐沢俊一(著) 徳間書店, TOKUMA BOOKS, 1990.02
>早川書房, ハヤカワ文庫JA, 1996.07


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/004.html ★★
>『マンガ年金入門 知ってトクする年金のしくみ』
>原智徳(監修)、鹿野景子(画)、唐沢俊一(作)
>サンマーク出版, 1991.07サンマーク出版,
>サンマーク文庫, 1997.07


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/005.html
>『脳天気教養図鑑』
>唐沢商会(作)
>青林堂, 1992.02
>幻冬舎, 幻冬舎文庫, 1998.02


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/007.html ★★
>『原子水母』唐沢俊一(作)、唐沢なをき(画)
>ぶんか社, 1993.05
>幻冬舎, 幻冬舎文庫, 1999.12


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/008.html
>『星を喰った男』
>潮健児(著)、唐沢俊一(編集・構成)
>バンダイ, 1993.09早川書房,
>ハヤカワ文庫JA, 1996.09
>[ハヤカワ文庫JA版は"唐沢俊一(編著)"で、"名脇役・潮健児が語る昭和映画史"
>という副題が付く]


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/009.html
>『まんがの逆襲 脳みそ直撃! 怒涛の貸本怪奇少女マンガの世界』
>唐沢俊一(監修)
>福武書店, 1993.11
>光文社, 光文社文庫, 1998.04


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/016.html
>『Kamidas 現代ヘアーの基礎知識』
>[ハヤカワ文庫JA版は『育毛通』と改題, 唐沢俊一(著)]
>稲葉益巳(監修)、唐沢俊一・毛髪探検隊(著)
>同文書院, 1995.10
>早川書房, ハヤカワ文庫JA, 1998.04


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/018.html ★★
>『古本マニア雑学ノート 人生に大切なことはすべて古本屋で学んだ』
>[幻冬舎文庫版には副題無し]
>唐沢俊一(著)ダイヤモンド社, 1996.03
>幻冬舎, 幻冬舎文庫, 2000.08


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/019.html
>『トンデモ本の逆襲』
>と学会(編)洋泉社, 1996.04
>宝島社, 宝島社文庫, 2000.01
>洋泉社, 洋泉社文庫, 2006.06


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/020.html
>『カルトホラー漫画秘宝館 かえるの巻』
>[光文社知恵の森文庫版は『ホラーマンガの逆襲 かえるの巻』と改題
>唐澤俊一(編)ネスコ, 1996.04
>光文社, 光文社知恵の森文庫, 2000.09


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/021.html
>『カルトホラー漫画秘宝館 みみずの巻』
>[光文社知恵の森文庫版は『ホラーマンガの逆襲 みみずの巻』と改題]
>唐澤俊一(編)
>ネスコ, 1996.04
>光文社, 光文社知恵の森文庫, 2000.10


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/024.html ★★
>『トンデモ怪書録』
>唐沢俊一(著)、唐沢なをき(イラスト)
>光文社, 1996.08
>光文社, 光文社文庫, 1999.09


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/025.html
>『大猟奇 F(フォーラム)脳天気』
>[幻冬舎文庫版には副題無し]
>唐沢俊一(作)、ソルボンヌK子(画)
>光文社, 1996.08
>幻冬舎, 幻冬舎文庫, 1998.10


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/027.html
>『唐沢俊一のカルト王 アナーキーな活字たち』
>[幻冬舎文庫版タイトルは『カルト王』、副題無し]
>唐沢俊一(著)大和書房, 1997.02
>幻冬舎, 幻冬舎文庫, 2002.12


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/029.html
>『官能博覧会 活字のHを生み出す現場から』
>官能倶楽部(編)
>朝日ソノラマ, 1997.04
>幻冬舎, 幻冬舎アウトロー文庫


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/034.html ★★
>『トンデモ美少年の世界 あなたを惑わす危険な人々』
>唐沢俊一(著)
>光文社, 光文社文庫, 1997.10


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/041.html ★★
>『トンデモ一行知識の世界』
>唐沢俊一(著)
>大和書房, 1998.08
>筑摩書房, ちくま文庫, 2002.05


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/043.html ★★
>『お父さんたちの好色広告博覧会』
>唐沢俊一(著)
>ぶんか社, 1998.10
>筑摩書房, ちくま文庫, 2002.12


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/047.html
>『世界の猟奇ショー』唐沢俊一(作)、ソルボンヌK子(画)
>幻冬舎, 幻冬舎文庫, 1999.06


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/048.html ★★
>『と学会白書シリーズ トンデモ創世記2000 オタク文化の行方を語る』
>[扶桑社文庫版は『トンデモ創世記』と改題]
>唐沢俊一・志水一夫(著)イーハトーヴ出版, 1999.08
>扶桑社, 扶桑社文庫, 2002.07


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/051.html
>『カラサワ堂怪書目録』
>唐沢俊一(著)、唐沢なをき(イラスト)
>学陽書房, 1999.12
>光文社, 光文社知恵の森文庫, 2003.12


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/052.html
>『トンデモ本 女の世界』
>と学会(著)
>メディアワークス, 1999.12
>扶桑社, 扶桑社文庫(上巻), 2004.07
>扶桑社, 扶桑社文庫(下巻), 2004.07


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/053.html
>『裏モノの神様』
>唐沢俊一(著)、ソルボンヌK子(イラスト)
>イースト・プレス, 2000.01
>幻冬舎, 幻冬舎文庫, 2005.10


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/056.html ★★
>『カラサワ堂変書目録』唐沢俊一(著)、ソルボンヌK子(イラスト)
>学陽書房, 2000.06
>光文社, 光文社知恵の森文庫, 2004.12


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/057.html ★★
>『トンデモ一行知識の逆襲』
>唐沢俊一(著)
>大和書房, 2000.09筑摩書房,
>ちくま文庫, 2004.01


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/067.html ★★
>『笑うクスリ指』[幻冬舎文庫版は『クスリ通』と改題]
>唐沢俊一(著)
>幻冬舎, 幻冬舎文庫, 2003.02


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/076.html
>『壁際の名言』唐沢俊一(著)
>[幻冬舎文庫版は『ダメな人のための名言集』と改題]
>海拓社, 2003.07
>幻冬舎, 幻冬舎文庫, 2005.08


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/078.html
>『愛のトンデモ本』と学会(著)
>扶桑社, 2003.08
>扶桑社, 扶桑社文庫(上巻), 2004.07
>扶桑社, 扶桑社文庫(下巻), 2004.07


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/083.html ★★
>『切手をなめると、2キロカロリー 一生に一度は役立つかもしれない話題のタネ』
>唐沢俊一(監修)サンマーク出版, サンマーク文庫, 2003.12


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/093.html
>『怪奇トリビア 奇妙な怪談傑作選』唐沢俊一(編著)
>竹書房, 竹書房文庫, 2004.10


http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/096.html
>『唐沢先生の雑学授業』
>唐沢俊一・おぐりゆか(著)、藤本和也(イラスト漫画)
>二見書房, 二見文庫, 2005.09


んで、もしかしたら唐沢俊一の発言のうち、一番の突っ込みどころは、「売れてそのまま
消えてしまわないで、文庫に降りて、自分が偉くなったら全集になっていくものを作ろうと
考える。つまり1粒で2度、3度おいしいっていう商売」の、「全集」かもしれないと思ったり
もするが……ただ、これを深く追求すると、他人事ながらものすごく寂しい気分になりそう
なので、今回はパス。


テーマ : 感想 - ジャンル : 本・雑誌

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2010.01.22 (Fri)

『悪ノ娘〜凄艶のジェミニ〜』、本当にみにいくのですか唐沢俊一先生

日記 2010年 01月 18日(月曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20100118135242.html

家を出て新中野駅方面に歩く。
ローソンでチケットをとっていた佐藤歩出演の『悪の娘〜戦慄の
ジェミニ』を受け取る期限が今日一杯だったので、近くのローソン
まで行ってとってこよう、と思ったら……何とそのローソンが
無くなっていた。しょうがないから、別のローソンに、と思って
鍋屋横丁を歩くが、ファミリーマートやセブンイレブンはちょこちょこ
見つかるし、デイリーマートまであるのにローソンが見当たらない。
仕方なくバスに乗って新宿まで行き、西新宿のナチュラルローソン
でやっと換券。こんな手間取るとは思わなかった。
〈略〉
帰宅途中で某社から電話、出した原稿、一部ネタに
以前出したものとカブりあり、とのこと。うわ、ウッカリしていた。
定番ネタを取り上げる場合、こういうことがよくある。
そこだけ書き換えようかと思ったが、面倒くさい、全部書き直し
ちゃえということになり、帰宅してすぐ別ネタを準備して、
ダダダと書き出す。8時に書き出して10時45分に原稿用紙10枚分、
書き上げ。こういうときは燃える。迷惑かけた分、前回の原稿より
面白くしなければいけないという気持ちもあり、力入ったものになる。

http://megalodon.jp/2010-0121-1757-21/www.tobunken.com/diary/diary20100118135242.html

×『悪の娘〜戦慄のジェミニ』 ○『悪ノ娘〜凄艶のジェミニ〜』

http://blog.livedoor.jp/ayumi_voice0617/archives/51465837.html
>「悪ノ娘〜凄艶のジェミニ〜」
>2010年1月27〜31日!
>東京芸術劇場小ホール2にて

>株式会社AG-ONEプロデュース
>X-QUEST

>「悪ノ娘〜凄艶のジェミニ〜」
http://x-quest.jp/akuno/


公式サイトからリンクされている↓これが、「ボーカル&サウンドトラック試聴曲」だそうだ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9443941

「凄艶」を「戦慄」にしてしまっているのもアレだし、ロゴにもなっている (?) 「悪ノ娘」を
「悪の娘」にしているのも、どうかなあと思う。

ついでに、動画を見ただけの印象でいえば、唐沢俊一がその客席にいる姿というのが、
何か想像がつきにくかったり。(←余計なお世話)


「出した原稿、一部ネタに以前出したものとカブりあり、とのこと」については、この前、
『幽』に使い回し発覚、でも「怪我の功名」←間違った方向に全力でポジシン」の
エントリーで取り上げた件を思い出させる。

『幽』の原稿について、メディアファクトリーの人に、「以前同誌に同じ作品を扱ったものを
載せており、カブるので差し替えを」と指摘された件について、唐沢俊一が日記に書いて
いたのが、昨年 2009 年の 11 月 17 日。……まだ 2 ヵ月しか経っていない。

今回は「某社から電話」としか書いていないため、どの原稿かは、はっきりとしない。
2ちゃんねるのスレに書き込んだ人は「これは前日17日に書いてたT社の原稿かな」と
いっている (Read More 参照)。一方、先月の日記では 18 日に「ラジオライフ原稿」とか
書かれているので、そちらの原稿だったという可能性もあるかも。

裏モノ日記 2010年 01月 17日(日曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20100117190757.html
>原稿、T社。カリカリカリという感じ。
>ネタ決定に苦労した原稿というのは無意識に予定字数を多く
>イメージしてしまうので、書き出してみるとこっちが思っているより
>早めに埋まってしまう。そうなると、後から削るのに苦労するので
>用心しつつ書き進める。


裏モノ日記 2009年 12月 18日(金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20091218005814.html
>日記つけ、ラジオライフ原稿にかかる。
>資料をダンボールから引っ張り出すのに時間かかる。


で、「こういうときは燃える。迷惑かけた分、前回の原稿より面白くしなければいけないと
いう気持ちもあり、力入ったものになる」というのは……この前のアレと同様、間違った
方向にポジティブシンキングじゃないかなあと思ったり。


追記: 2ちゃんねるのスレで指摘があった通り、引用部分を間違えていたので訂正。
スレに書き込めないので、こちらでお礼とお詫びをさせてください。 (_ _);

http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1264084003/82
>82 :無名草子さん:2010/01/23(土) 00:48:55
>トンデモ一行さん、ネタかぶりの言い訳は
>悪ノ娘とローソン探索の後ですよ。

>悪ノ娘って女性客多そうだし
>唐沢テンテーは異常に悪目立ちしそうですねー。


追記 2: ボーカロイド (ボカロ) 関係の2ちゃんねるでの書き込みを追加。
ついでに、個人的に、Firefox のペルソナを
http://www.getpersonas.com/en-US/persona/79567 に変更 (←サイトに関係ないw)

テーマ : 感想 - ジャンル : 本・雑誌

21:09  |  その他の雑学本 間違い探し編 (324) +  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2010.01.21 (Thu)

亡くなった方を「追討」するのだけはマジでやめてください唐沢俊一先生……

裏モノ日記 2010年 01月 18日(月曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20100118135242.html

どたばたで朝食は摂らず、ジュースのみ。
もともと今日は母が出かけているので12時の昼食はナシ。
バウムクーヘンとミルクコーヒーの軽食を昼過ぎくらいにとって、
朝昼兼用とする。さまで空腹も感じず。

小林繁、浅川マキ、そして郷里大輔と訃報立て続け、とても
追討記事、追いつけるものにあらず。郷里氏は自殺ということで
さらに悲哀感が高まる。しかも刃物による、というのは
只事でない動機があったと思われる。何があったのか?

小林繁氏はあの“空白の一日”のことを、出会った人全員から
言われるのを非常に気にしていたという。
浅川マキ氏は70年代アンダーグラウンド・シーンとばかり
自分の歌を結びつける評論にウンザリしていたという。
とはいえ、やはりどんなに本人が嫌がっても、世間というのは
人をそのように標本箱の中に展示して数行の記載をつけて
これがこの人というもの、と規定してしまう。
世の中とはそういうものなのだろう。

http://megalodon.jp/2010-0121-1757-21/www.tobunken.com/diary/diary20100118135242.html
×追討記事 ○追悼記事

……単純な誤変換というのはわかるけど、「追悼」を「追討」に間違えるのは、シャレに
ならない感じがするので、マジでやめてほしいと思った。唐沢俊一の裏モノ日記の記述
は、「その死をいたみ悲しむ」ようなトーンが希薄なことが多いだけに……。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=追悼&dtype=0&stype=1&dname=0ss
>ついとう[―たう] 0 【追悼】
>(名) スル 死者の生前をしのび、その死をいたみ悲しむこと。
> ・ 殉職者を―する


http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=追討&dtype=0&stype=1&dname=0ss
>ついとう[―たう] 0 【追討】
>(名) スル 敵を追って討つこと。追手(おつて)をさしむけて敵を討つこと。追伐。
> ・ 賊軍を―する



さて、2ちゃんねるのスレへの書き込みでは、「自分のこと他人事みたいに書いてるん
じゃないよ」と突っ込まれている「どんなに本人が嫌がっても、世間というのは人をその
ように標本箱の中に展示して数行の記載をつけてこれがこの人というもの、と規定して
しまう」との記述について (Read More 参照)。

個人的には、「標本箱の中に展示して数行の記載をつけてこれがこの人というもの、と
規定」する作業自体は、悪いものではないと思っている。最近になって、山田風太郎の
『人間臨終図鑑』を読み始めたせいもあり。

「人間臨終図巻〈1〉 (徳間文庫) (文庫)」の Amazon のカスタマーレビューより。

http://www.amazon.co.jp/dp/419891477X
>これは人間の臨終場面のみを記述したものではない。その人間の人生を散文詩の
>ように短く的確に描写している。


唐沢俊一の裏モノ日記の問題は、その「数行の記載」の質ではないだろうか。

たとえば、「郷里氏は自殺ということでさらに悲哀感が高まる。しかも刃物による、という
のは只事でない動機があったと思われる。」と唐沢俊一は書く。このようなレベルのこと
しか書かないならば、ニュース記事の引用または URL の提示のみの方がマシではない
かと。たとえば以下の記事:

http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/story.html?q=20fujizak20100120001
>声優界衝撃
>「ロビンマスク役」郷里大輔さん路上死のナゾ 「キン肉マン」のロビンマスク役や報道
>番組のナレーションで活躍中だった郷里(ごうり)大輔さん(57)が17日、東京都内の
>路上で血を流して死んでいるのが発見された。自殺とみられている。


この記事の中の各関係者の声は、ひとりあたり数行程度の長さしかない。しかし、その
どれかひとつのみを抜き出しても、情報量も故人をしのぶ気持ちも、唐沢俊一の日記の
記述を上回るものといえるだろう。いや唐沢俊一のコメントって、実は何もいっていないに
等しいので、比べるだけ失礼ということになってしまうかもしれないのだけど……。

(声優仲間)
>「数年前から糖尿病を患い、網膜剥離を併発して視力が極端に低下していたようだ。
>仕事のたびに『台本が読めない。思うように仕事ができない』と愚痴をこぼしていた」


(声優仲間)
>「怖い声とは正反対に、誰からも慕われる優しい人柄だった。本当に残念です」

(アニメ誌の編集者)
>「主役を張ることは少なかったが、声を聞けば誰もが分かるはず。昨年8月のガンダ
>ム30周年イベントでザビ家の声優が一同に集まり、『やらせはせんぞ!』と名ぜりふ
>を発した時は、とても元気そうだったのに…」


(親友だった声優の井上和彦)
>「19歳のころから養成所で一緒だった。2人でテレビを録音して練習したり、声を出す
>ために立ち食いそばでアルバイトもした。昨年末にアンパンマンの収録で会った時は
>『もう年だよ』と、元気がない感じだった。思い詰めていたことに気づかなかったのが悔
>しい。結婚してお子さんもいたので、あまり連れ出すのも…と思い、付き合いが減った
>のが残念。もっといっぱい話したかった」



また、唐沢俊一は、「小林繁氏はあの“空白の一日”のことを、出会った人全員から言わ
れるのを非常に気にしていたという」と書いているが、ソースは不明。黄桜の CM 撮影で
江川と会話をかわす場面は、さんざんテレビでもやっていたのだけどなあ。

http://www.youtube.com/watch?v=xRN080ew1Ms
http://www.youtube.com/watch?v=OLpeLzBIgbg

http://kirei.xsrv.jp/archives/cat32/post_535/
>小林「お互い避けてたんかな?」
>江川「え〜…」
>小林「俺もしんどかったけどな。2人ともしんどかった」
>江川「そうですよね」
>こんな 二人の 会話が印象的な 黄桜のCMなのですがまだ公開されていない秘蔵
>映像には こんな会話も。
>江川「こんな事を聞いていいのかな?巨人ファンだったのですか阪神ファンだったの
>ですか?」
>小林「オヤジの影響で 巨人ファンだったけど 自分の野球をやるようになってから
>阪神ファンと言っていた。」


http://www.j-cast.com/tv/2010/01/21058408.html
> ところがこのCМが放映された当時、我々は過去にあのように物議を醸した確執が
>あった2人なのに、あまりにも会話が自然なので、てっきり、練りに練った脚本と、2人
>に対する根回しがされた後に撮影されたのだろうと思っていた。下手するとぶち壊しに
>なるから。
> 聞いてびっくり。事前の根回しどころか、当CMは完璧なぶっつけ本番で撮影された
>のである。話の進行も何も決めず、ただ2人の28年後の再会を、じっとカメラを回して
>撮っただけなのであった。恐縮して深々と頭を下げている江川に対し、ダンディで男の
>色気たっぷりのスリムな小林繁がにこやかに入ってきて、さりげなく、だが、あの話題
>を避けもせず、大人の会話を続けたのだ。立派だった。合掌。


あえて、「あの“空白の一日”」以外の話をするというスタンスをとるとしても、野球選手
としての実績、その投球フォーム、モデルのようだといわれた容姿その他、いくらでも
語ることはありそうなのに、唐沢俊一は「あの“空白の一日”のことを、出会った人全員
から言われるのを非常に気にしていた」 (って本当に全員?) のみで終わりにしてしまう。

http://mytown.asahi.com/fukui/news.php?k_id=19000001001210005
>江本さんは「すさまじい投球で、人間とはあんなに力が出るのかと思った。めいっぱい
>やったので、ごくろうさんと言いたい」とねぎらった。


http://www.j-cast.com/tv/2010/01/18058130.html
> 独特の横手投げで巨人と阪神のエースとして活躍した小林さん。中日などでプレー
>し、打者として小林さんと対戦経験をもつ大島は、「巨人時代の小林投手には大島、
>全く手が出ませんでした。33打数ノーヒット」とその実力を称える。小林さんが阪神に
>移籍してからは、何本かヒットを打てたこともあったらしいが、「独特の投球フォームか
>ら繰り出されるそのボールは攻略が非常にむずかしかった」と振り返る。


http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/npb/news/CK2010011802000128.html
>因縁の後楽園球場での巨人戦で、帽子を飛ばしながら力投する阪神時代の小林さん
>=1980年、後楽園球場で


http://www.daily.co.jp/newsflash/2010/01/20/0002654510.shtml
>近鉄がリーグ優勝した2001年、小林コーチから指導を受けた大塚晶則投手が「小林
>さんは、人生は人との出会いで決まるとおっしゃっていましたが、今でもこうして野球
>人でいられるのは小林さんのおかげです」と弔辞を読み上げた。


http://ja.wikipedia.org/wiki/小林繁
>1976年から2年連続で18勝を挙げ、エース投手として優勝に貢献した。1977年に
>沢村栄治賞(沢村賞)を獲得。
>1978年11月に起きた『江川事件』(『空白の一日』の言葉で知られる)の犠牲となる形
>で、1979年2月に江川卓との交換トレードで阪神タイガースに移籍(詳細は当該項を
>参照のこと)。移籍1年目は22勝で最多勝利、2度目の沢村賞を獲得。特に古巣・巨
>人に対しては8勝0敗の成績で神がかり的な強さを発揮し、巨人キラーとして活躍、古
>巣に「巨人のエース」の貫禄を見せつけ脅威の存在となる。かつセーフティバントを
>狙って左打席に立つなど気迫を見せた。また、巨人時代の1976年から現役最終年と
>なる1983年まで8年連続で2桁勝利を記録した。


http://www.ikemen-search.com/水嶋ヒロ/小林繁+水嶋ヒロ


「浅川マキ氏は70年代アンダーグラウンド・シーンとばかり自分の歌を結びつける評論
にウンザリしていたという」のソースも不明。

少なくとも公式サイトには、それを思わせるような記述は見あたらなかった。
- http://www.emimusic.jp/asakawa/newalbum/index_j.htm
- http://www.emimusic.jp/asakawa/live/

「自分にすごく厳しい人で、周りが完ぺきなコンサートだったと思っても、自分でそのよう
に言うことは一度もなかった」といわれ、「“アンダーグラウンド”と“(いわゆる)アングラ”
を混同してはならない」、「時代に合わせて呼吸をするつもりはない」と主張したという
浅川マキのイメージだと、「評論にウンザリ」というほどには評論や評論家を眼中におか
ないという気もするのだけど……。

「音質が気に入らなかったの、特に『マイ・マン』の(CDの)音はジャズではないんです」
といって CD を廃盤にし、「生涯、CDの音質について懐疑的な姿勢を示した」ともいう。

……そのような人の曲を http://nippop.com/artists/Maki_Asakawa/ 経由で YouTube
で聞いている自分は、唐沢俊一のことをどうこういえません、すみません。(ついでに、
そこにある「ふしあわせという名の猫」ってカルメン・マキではなくて?)。

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2010011902000145.html
> 劇作家で詩人の故寺山修司さんに見いだされ、「かもめ」などの曲で団塊世代を
>中心に人気のあった歌手の浅川マキ(あさかわ・まき)さん(67)が17日夜、名古屋
>市内のホテルの自室で倒れているのが見つかり、その後死亡していたことが18日
>分かった。名古屋・中署によると、死因は急性心不全で事件性はないという。石川県
>白山市出身。葬儀は近親者のみで行う。
〈略〉
> 浅川さんは高校卒業後に一度就職したものの、その後、歌手を目指して上京。1967
>年に「東京挽歌(ばんか)/アーメン・ジロー」を発表。68年に寺山さんが演出した東
>京・新宿のアンダー・グラウンド・シアター「蝎(さそり)座」のワンマン公演が若者たち
>の熱い支持を得た。黒装束に身を包んだ独特のライブ活動で知られ、ステージを主体
>の音楽活動を展開、「アングラの女王」と呼ばれた。毎年大みそかに東京の池袋ル・
>ピリエで開いてきた公演は大きな話題を呼んだ。
〈略〉
> 作詞家の喜多条忠さんの話 亡くなったという連絡を受けた時はびっくりして、動け
>なかった。自分にすごく厳しい人で、周りが完ぺきなコンサートだったと思っても、自分
>でそのように言うことは一度もなかった。昨年末に新宿でライブを見た時は血色が良
>く、声もよく出ていて、すごく元気だった。「1月の名古屋公演が終わったら6月まで何
>もないから、一緒に歌でも作ろうよ」と言われたのに…。


http://ja.wikipedia.org/wiki/浅川マキ
>CDの音質に対して懐疑的であり、それ故1998年より新譜を発表していないが、2000
>年以降はジャズ・クラブ「新宿 PIT INN」を本拠地として定期公演を再開。 ジャズ、ブ
>ルースや黒人霊歌を独自の解釈で歌唱する姿勢は定評がある。
〈略〉
>浅川マキは音楽そのものに限らず音質、ジャケットデザイン、ライナーノート、ポスター
>の配置などにも一貫した美意識を持ち、今日もその姿勢は崩していない。
>日本国内に於けるアンダーグラウンドを主体とした音楽活動の第一人者であるが、
>“アンダーグラウンド”と“(いわゆる)アングラ”を混同してはならないと主張。独自の
>美意識を貫く姿勢を「時代に合わせて呼吸をするつもりはない」と自ら表現している。
〈略〉
>ライターになる前の藍渕邪子が楽屋を訪れ、「『東京挽歌』の音源を持っている」と告
>げたところ即座に「棄ててください」と返答した経緯がある。『東京挽歌』が世に出たこ
>と自体は否定せぬものの“歌手・浅川マキ”の意向が反映されていないためディスコ
>グラフィーから外しているという。その経緯はステージ公演中に本人も話題にすること
>がある。
>1993年、東芝EMIが“音蔵シリーズ”と称するアルバム作品群のCD化企画を行い、そ
>の中に浅川マキのアルバムが4タイトル含まれていたが発売するも短期間で自ら廃盤
>にした。「音質が気に入らなかったの、特に『マイ・マン』の(CDの)音はジャズではな
>いんです」と語った。後日別件でEMIを訪ねた藍渕が「浅川マキの作品は浅川本人の
>意向により廃盤せざるを得なかった」と当時の担当者より取材している。生涯、CDの
>音質について懐疑的な姿勢を示した。


http://kinginc.co.jp/blog/muro/2010/01/-nb-15.html
>収録出来なかった゛アメリカの夜″を始め、゛時代に合わせて呼吸する積もりはない″
>など、僕らRAP世代にもガンガン響いてしまう曲やリリックが、テンコてんこ盛りあります。
>機会があったら皆さんも、浅川マキさんの曲で人生一度は救われてみてください。


http://club-willbe.jp/zamma/2010/01/118-3.html
>1/18(月)浅川マキさんが作ってくれた茗荷の味噌汁。
〈略〉
>1970年代、ニューミュージックを聴きながら、浅川マキも聴いていた。ライブも何回か
>行った。黒いロングドレスと黒いブーツ。いつのころか黒い服が好きになり、この30年
>はほとんど黒ばかりを着ているが、根底には「大人の黒」をまとった、浅川マキがいた
>ような気がする。



追記: 2ちゃんねるの過去スレから、浅川マキ関係を抜き出し Read More に追加。

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2010.01.21 (Thu)

iTunes Store 経由でもハイチへの募金は可能

裏モノ日記 2010年 01月 17日(日曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20100117190757.html

ハイチの地震の報道に心痛む。
しかしハイチと言えばブードゥー教の本家というイメージがある。
ニュースを見るとやはり、今回の地震の被害者を集団墓地に
儀式もせず埋葬するのはブードゥーの教義に反する、とブードゥーの
指導者が大統領に苦情を申し立てた、とある。
被害者の集団埋葬は伝染病などの第二次被害が広まらないための
必要な措置なのだが、宗教上の理由でそれがなかなか進まないらしい。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2010011702000072.html
ハイチときてブードゥーとくれば連想はゾンビ、となるが
不謹慎につきその連想は割愛。
ウィキペディアによれば、ハリウッド映画でゾンビものが作られた
のは、20世紀初頭にハイチを占領したアメリカがブードゥーの
イメージダウンをはかったため、とあるが本当か?
(19日のニュースだが、中国の中央日報によるとアメリカの
キリスト教保守派の大物パット・ロバートソン牧師が今回の地震は
ブードゥーを信じたことによる神の罰だ、と発言したそうである)

http://megalodon.jp/2010-0120-2334-50/www.tobunken.com/diary/diary20100117190757.html

×中国の中央日報 ○韓国の中央日報

「不謹慎につきその連想は割愛」と書いておきながら、「そっから下の文章ずっとゾンビ
話とかブードゥーの悪口でしっかり不謹慎じゃないかよ」――と2ちゃんねるのスレでは
突っ込まれていた (Read More 参照)、それをおいとくとしても、よくわからない日記。

唐沢俊一のいう「儀式もせず埋葬するのはブードゥーの教義に反する、とブードゥーの
指導者が大統領に苦情を申し立てた」というのは、日記に書かれている URL:
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2010011702000072.html
に書かれていることかと思ったが、実際にそのリンク先を見ると、そうは書いていない。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2010011702000072.html
>衛生か 信仰か 路上に犠牲者放置 儀式前は触らせず
>2010年1月17日 朝刊
> 【ニューヨーク=加藤美喜】中米ハイチの大地震から四日がたった十六日、首都
>ポルトープランスでは依然として路上に大量の死者が放置され、衛生状況の悪化が
>深刻になっている。遺体処理が進まない背景には、被害そのものの大きさに加え、
>遺族感情への配慮やハイチ独特の民間信仰の影響を指摘する声がある。
> ハイチのビアンエメ内相は十五日、「これまでに五万人の遺体を収容した。死者は
>全体で十万人から二十万人に及ぶ可能性がある」と述べ、まだ多数の犠牲者が放置
>されている現状を指摘した。
> カリブ海の島国ハイチでは、日中の気温は三〇度近くにも上る。AP通信は、遺体が
>あえて建物の中ではなく路上や倒壊家屋の前に置かれたままなのは、生存者が、身
>内の遺体を見つけやすいようにという地元の人々の配慮があると伝えた。
> またハイチでは、アフリカからの黒人奴隷が持ち込んだ民間信仰とキリスト教が融
>合したブードゥー教の信仰が根強く残る。国連ハイチ安定化派遣団の主力部隊である
>ブラジルの国防省は「ブードゥー教にのっとった儀式をきちんと執り行うまで、遺体を
>触らせないという遺族が多い」と述べ、尊厳ある扱いを望む遺族の思いを指摘。
> 一方で、腐敗した遺体から感染症が広がるのを防ぐために、人々の信仰を尊重した
>墓地の設営を早急に行うことを、ハイチ政府に提案した。


上記の記事を、唐沢俊一は、「被害者の集団埋葬は伝染病などの第二次被害が広まら
ないための必要な措置なのだが、宗教上の理由でそれがなかなか進まないらしい。」
――と要約しているが、これもちょっとどうかと思う。

記事で言及されている「被害そのものの大きさ」や、「生存者が、身内の遺体を見つけ
やすいようにという地元の人々の配慮」 (「遺族感情への配慮」) を無視して、「宗教上
の理由」のみが原因と報じられているかのように、唐沢俊一は書いているのだ。

また、唐沢俊一の日記のみを読んだ時点では、「集団埋葬は伝染病などの第二次被害
が広まらないための必要な措置」で、「宗教上の理由でそれがなかなか進まない」という
ことは、伝染病の発生防止には集団埋葬以外の方法はないのか、そしてブードゥー教の
教義では集団埋葬を禁じているから「なかなか進まない」という話なのかと、首をひねっ
ていたのだけど……。

ニュース記事の方を読むと、「路上に大量の死者が放置」されている状況は、なるほど
「腐敗した遺体から感染症が広がる」原因となる恐れはあるだろうということがわかる。
そして、このニュース記事によると、ブラジル国防省が「ブードゥー教にのっとった儀式を
きちんと執り行うまで、遺体を触らせないという遺族が多い」という「尊厳ある扱いを望む
遺族の思いを指摘」して、「人々の信仰を尊重した墓地の設営を早急に行うことを、ハイ
チ政府に提案した」という。

「儀式をきちんと執り行う」ことを望むのは、別にブードゥー教にかぎらず、その宗教への
信仰があつければ遺族としては自然な感情ではないかと思う。そして、「人々の信仰を
尊重した墓地の設営を早急に行う」という提案が有効ならば、ブードゥー教が集団埋葬を
禁じているという話ではなさそうだ、と。いや、ブードゥー教が集団埋葬を禁じているうん
ぬんについては、単に自分が唐沢俊一の日記を誤読していただけだといわれると、それ
までの話でしかないけど。


要約としてどうかというのは、「ウィキペディアによれば、ハリウッド映画でゾンビものが
作られたのは、20世紀初頭にハイチを占領したアメリカがブードゥーのイメージダウンを
はかったため」についてもいえる。

Wikipedia のゾンビの項目 http://ja.wikipedia.org/wiki/ゾンビ には、そのような記述は
なくて、唐沢俊一の日記のもととなったのは下記の「ブードゥー教」の記述と思われる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ブードゥー教
>20世紀初頭にハイチを占領したアメリカは、ハリウッド映画などでゾンビを面白おかしく
>題材にし、ブードゥーのイメージダウンを行った。


上記の Wikipedia の記述自体「要出典」というやつではないかと思うが、それをおいて
おくとしても、Wikipedia でいっているのは、「ブードゥーのイメージダウン」のために、
「ゾンビを面白おかしく題材」にしたハリウッド映画がいくつか作られたということでしか
ないのではないか。

これが唐沢俊一にかかると、「ハリウッド映画でゾンビものが作られたのは、20世紀
初頭にハイチを占領したアメリカがブードゥーのイメージダウンをはかったため」となり、
ハリウッド映画のゾンビ映画は、最初のものから、どれもこれも、アメリカがブードゥーの
イメージダウンをはかったため」のような印象をあたえる。

最初に製作されたゾンビ映画は、ベラ・ルゴシ主演の『White Zombie』ということになって
いるようだけど、これも「アメリカがブードゥーのイメージダウンをはかったため」ということ
になるのだろうか。まあ裏モノ日記の方はともかく、Wikipedia の方はそこまではいって
いないと思うけど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ゾンビ映画の一覧
>1932 恐怖城 White Zombie アメリカ合衆国 ヴィクター・ハルペリン ベラ・ルゴシ
>主演。ビデオ題は『ホワイト・ゾンビ』もしくは『ベラ・ルゴシの ホワイト・ゾンビ』



で、絶対に何か間違っていると思うのが、「(19日のニュースだが、中国の中央日報に
よるとアメリカのキリスト教保守派の大物パット・ロバートソン牧師が今回の地震はブー
ドゥーを信じたことによる神の罰だ、と発言したそうである)」のくだり。

http://japanese.joins.com/ を参照すると、タイトルヘッダは「中央日報 - 韓国の最新
ニュースを日本語でサービスします。」となっているので、唐沢俊一の書いている「中国
の中央日報」とは間違いで、「韓国の中央日報」が正しいということになるが、間違いは
それだけではない。

中央日報のパット・ロバートソン牧師の顰蹙発言について報じたのは、唐沢俊一自身が
書いている通りで「19日のニュース」。どうしてわざわざ 2010年 01月 17日 (日曜日) の
裏モノ日記に、その 2 日後に報じられた記事について書かなくてはいけないのかと。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=125277&servcode=100§code=120
> 「ハイチは神の呪いを受けた!」最悪の地震で数えきれない命が散り失せた悲劇を
>前に出た声だ。米国キリスト教保守派の大物パット・ロバートソン牧師がひどい言葉の
>張本人だ。18世紀末、フランスの残酷な殖民支配に苦しんだハイチの人々が自由の
>対価として悪魔に仕えるという契約を結んだのだ。その結果、独立は得たが、神の怒
>りのせいで災いが相次ぎ、今日の生き地獄を経験することになったというのだ。
〈略〉
>2010.01.19 11:20:03


そんなに、パット・ロバートソン牧師の発言をネタにしたかったのならば、1月15日の AFP
の記事を引けばよかったのに……と思う。これならば日記内時間跳躍の必要もないし、
パット・ロバートソンのトンデモ発言については、ホワイトハウスも遺憾の意を示している
ことが明確になっている。

http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2682913/5169634
>「ハイチ大地震は悪魔と契約した神罰」、米伝道師が過激発言
>【1月15日 AFP】過激な発言で知られる米テレビ伝道師パット・ロバートソン(Pat
>Robertson)師(80)が、ハイチで12日起きた大地震について、「悪魔と契約したことに
>対する神罰だ」と発言し、物議を醸している。ホワイトハウス(Whitehouse)は14日、
>発言について「まったくバカげている」とのコメントを出した。
>  ロバートソン師は13日、自身が運営する米キリスト教系テレビ局「クリスチャン・ブ
>ロードキャスティング・ネットワーク(Christian Broadcasting Network、CBN)」の番組
>で、「ハイチはかつて、フランスに支配されていた。そこで人びとは悪魔と契約したの
>だ」と述べた。
>「ハイチの人々は、『フランスから自由にしてくれたらおまえに従おう』と悪魔に約束
>し、悪魔は『よし、契約成立だ』と答えた。これは真実の話だ」「だから、それ以来ハイ
>チは呪われ、次々と災難に見舞われている」
>  さらにロバートソン師は、ハイチと同じイスパニョーラ(Hispaniola)島にある隣国ドミ
>ニカ共和国に言及。ドミニカが「繁栄し健康で、多数のリゾート地に恵まれているの
>に、ハイチは絶望的な貧困状態にある。同じ島にあるのにだ。ハイチの人々、そして
>われわれは、神がこの悲劇をくつがえして下さるよう祈らねばならない。私は事態が
>好転するとの楽観的な見通しを持っている」などと持論を展開した。
>  ハイチは、数世紀にわたりスペイン、フランスの植民地支配を受けた後、1804年に
>奴隷反乱により独立した歴史を持つ。
> 一連の発言について、ロバート・ギブス(Robert Gibbs)米大統領報道官は定例記者
>会見で、「恐ろしい災害が起きた時にこんなバカげたことを言い出す人がいるとは、驚
>きを禁じ得ない。だが同様のことはしばしば起きる」とコメントした。
>  ロバートソン師は扇動的な発言でたびたび物議を醸しており、同性愛や中絶に反
>対の立場を取っている。1988年の大統領選挙では共和党の指名獲得争いを繰り広
>げ、当時の副大統領で、前大統領の父親のジョージ・ブッシュ(George Bush)氏に敗
>れた。(c)AFP



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2010.01.18 (Mon)

一円で唐沢俊一の本は買えますが

『トンデモ一行知識の世界』 P.135 欄外

・一円で、昭和二二年には葉書が二枚出せた。昭和三五年にはチューイン
 ガムが一枚買えた。現在では一円切手しか買えない。


「一円で、昭和二二年には葉書が二枚」は正しいとして。

http://homepage3.nifty.com/sanidai-nozomi/hagaki.htm
>昭和21年7月25日〜  15銭
>昭和22年4月1日〜   50銭
>昭和23年7月10日〜  2円
〈略〉
> **資料提供**北九州中央郵便局  須山裕隆さま



「昭和三五年にはチューインガムが一枚買えた」は、多分無理。バラ売りで低価格の
駄菓子屋のガムも、1 個 5 円で売られていたようなので。

http://www.maboroshi-ch.com/sun/pha_34.htm
> コリスの前身は昭和二三年に創業された「桔梗屋」。桔梗屋は笛ガムの研究を行
>う。昭和二七年一〇月に、一緒に笛ガムを開発して来た大阪の丹信堂が「チウイン
>ガム笛」の実用新案を取得する。この権利をハリスが買って、ハリス板ガムの断ち落
>しを利用し、コリスが笛ガムを作ってハリスから発売した(昭和三五年からは笛ガムの
>発売元がハリスからコリスへ変更)。ガムばかりではなく昭和三八年四月にはフエラ
>ムネも発売し、こども達に楽しんでもらえる菓子作りを行っている。
> マーブルガムを作る工場だった下新庄工場が昭和二八年五月にハリスから独立し、
>コリスは子ども向けのガムを作る。その時からあてクジガムはあった。「五円出して二
>〇円分のガムがもらえるかもしれない楽しみがあったので人気となりました」(コリス社)
>ガムだけに「夢がふくらんだ」のだ。



そして、「現在では一円切手しか買えない」と唐沢俊一は書いているが、1 円で買える
ものは、「一円切手」以外にもいろいろある模様。

たとえば、『トンデモ一行知識の世界』の出た 1998 年の時点でいえば、1 円の PHS、
ケータイも売られていたはず。加入料はかかるけど、本体価格は 1 円という感じで。

http://www.gojinka.co.jp/ichien/web/9610.html
>池袋駅で電車を降り、雨の中、ビックカメラに向かって歩くと、すぐに例の『PHS・
>1円』の看板が目にとまった。 店内に入ってみると京セラ製のDDIポケットの電話機
>に赤い"1円"のシールが貼られていた。
〈略〉
>「だからなんで一円なの? 五円でも十円でもタダでもいいのに、どうして一円になっ
>たの?」
> ぼくが訊くと男はそこではじめて露骨にメンドクサソウな顔を見せて、
> 「タダだと色々と問題があるんですよ。
> それで最低料金の一円で買って頂いているんです。
> でもお客さん、これはあくまでも電話機だけの値段で、後で加入料七千二百円をお
>支払い頂くことになりますんで、一円だけってことにはなりませんよ」


また、以下のリンクにあるのは、お試し価格の商品いろいろという感じ。

http://plaza.rakuten.co.jp/airgun/diary/200912240000/
>一円商品特集 一円で何が買えるのか
〈略〉
>楽天市場内の一円の商品を集めてみました。一円でもいろいろ買えますね。


定価で 1 円というのにこだわるなら、秋葉原の店で売られている部品いろいろとか。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1451406.html
>1円で買える物って?
>何も買えないと思っていましたが、
>「1円切手」と聞いて、なるほど!と思った事がありました。
>他にも何かあるでしょうか?(特売、限定品は除く)
〈略〉
>ネジ、歯車、ワッシャなどの細かい部品は、一円のものが何種類もあります。細かす
>ぎて10個1円とかもありますが、1個0.1円ではさすがに売ってもらえませんでした。



で、1 円で買えるといえば、Amazon で唐沢俊一の本も 1 円でたくさん売られていたな
――と思ってリストアップしようとしたのが運のツキ (?) で、予想以上の数で大変なこと
になってしまったというオチ。

Amazon 中古商品なら 1 円で買える唐沢俊一の著作一覧 (最初の数字は新品在庫数)
0 - 新・UFO入門―日本人は、なぜUFOを見なくなったのか (幻冬舎新書) (新書)
0 - トンデモ一行知識の世界 (単行本)
0 - トンデモ一行知識の逆襲 (単行本)
0 - トンデモ一行知識の世界 (ちくま文庫) (文庫)
0 - トンデモ一行知識の逆襲 (ちくま文庫) (文庫)
0 - 裏モノの神様 (単行本)
0 - ウラグラ!―ベスト・オブ・裏モノの神様 (単行本)
0 - 切手をなめると、2キロカロリー―一生に一度は役立つかもしれない話題のタネ
   (サンマーク文庫) (文庫)
0 - 笑うクスリ指 (単行本)
0 - 薬の秘密―薬局のクスリ大研究 (単行本)
0 - クスリ通 (幻冬舎文庫) (文庫)
0 - キッチュワールド案内(ガイド) (単行本)
0 - 唐沢俊一のB級裏モノ探偵団 (単行本)
0 - お父さんたちの好色広告 (ちくま文庫) (文庫)
0 - 唐沢俊一のカルト王―アナーキーな活字たち (単行本)
0 - B級学 マンガ編 (単行本)
0 - トンデモ怪書録―僕はこんな奇妙な本を読んできた (単行本)
0 - トンデモ怪書録―僕はこんな奇妙な本を読んできた (光文社文庫) (文庫)
0 - トンデモ美少年の世界―あなたを惑わす危険な人々 (光文社文庫) (文庫)
0 - 古本マニア雑学ノート―人生に大切なことはすべて古本屋で学んだ (単行本)
0 - 古本マニア雑学ノート (幻冬舎文庫) (文庫)
0 - カラサワ堂変書目録 (知恵の森文庫) (文庫)
0 - 壁際の名言 (単行本)
0 - 近くへ行きたい (単行本)
0 - 裏モノ日記 (単行本)
0 - 怪網倶楽部 (単行本)
0 - こんな猟奇でよかったら―命なくします (単行本)
0 - 大猟奇―F脳天気 (BUNKA COMICS) (コミック)
0 - 女性自身ってば!? (単行本)
0 - トンデモレディースコミックの逆襲 (幻冬舎文庫) (文庫)
0 - 〈マンガ〉年金入門―知ってトクする年金のしくみ (サンマーク文庫) (文庫)
0 - カミダス―現代ヘアーの基礎知識 (単行本)
0 - トンデモ創世記2000―オタク文化の行方を語る (と学会白書シリーズ) (単行本)
0 - トンデモ創世記 (扶桑社文庫) (文庫)
0 - オタクアミーゴス! (単行本)
0 - 社会派くんがゆく! 死闘編 (単行本)
0 - 原子水母 (BUNKA COMICS) (単行本)
0 - 原子水母 (幻冬舎文庫) (文庫)
0 - ぶんかノ花園―原子水母2 (単行本)
0 - ギロチン女 (スコラレディースコミックス)
0 - 魂食! (単行本)
0 - クソゲー天国 (CULT CULTURE BOOKS) (単行本)
0 - 夜霧のファンタジー―伝説の少女マンガ家:中川秀幸の世界 (唐沢俊一コレクション)
   (コミック)
1 - 史上最強のムダ知識―「唐沢俊一の絶対にウケる!!雑学苑DS」公式本 (廣済堂
   ペーパーバックス) (単行本)
1 - 裏モノの神様 (幻冬舎文庫) (文庫)
1 - 唐沢先生の雑学授業 (二見文庫) (文庫)
1 - 笑う雑学 (広済堂文庫) (文庫)
1 - 薬局通―目からウロコが落ちる薬の本 (ハヤカワ文庫JA) (文庫)
1 - カルト王 (幻冬舎文庫) (文庫)
1 - カラサワ堂変書目録 (単行本)
1 - カラサワ堂怪書目録 (単行本)
1 - 怪奇トリビア―奇妙な怪談傑作選 (竹書房文庫) (文庫)
1 - 大猟奇 (幻冬舎文庫) (文庫)
1 - 世界の猟奇ショー (幻冬舎文庫) (文庫)
1 - ダメな人のための名言集 (幻冬舎文庫) (文庫)
1 - 唐沢商会のマニア蔵 (DNA comics) (コミック)
15 - 社会派くんがゆく! 激動編 (単行本)

まあ Amazon だけが書店ではないのだけど、新品の在庫が 0 冊、中古商品として 1 円
出せば入手可能という本については、プロフィールに書名をあげたりしない方が、なんと
いうか、みっともなくなくてよいのではないかと思う。(←大きなお世話)

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2010.01.18 (Mon)

チーズはどこで固まる?

『史上最強のムダ知識』 P.105 漫画パート

ビールの食い合わせ

「チーズフォンデュおいしい〜
ビールもおいしい〜」 (外人っぽい男性)
そのころ胃の中では
溶けたチーズが冷えたビールと固まって……
幽門閉塞を起こし死亡という事件があった
「ふつーに食べていれば大丈夫だよ」 (唐沢俊一)
「お湯割り下さい」 (若い女性)


「溶けたチーズが冷えたビールと固まって……」といわれても。チーズフォンデュって、
食べる直前にはすでにピザの上のチーズと同程度には固まっている状態で、さらに
口の中にいれて飲み込んだ時点で、温度はだいぶ下がっていると思うんだけど。

チーズフォンデュが危険ならば、熱々のピザその他、溶けたチーズを使った料理全般、
冷たいビールと組み合わせると危険という話にもなりそうだ。

唐沢俊一の似顔絵のキャラは、「ふつーに食べていれば大丈夫だよ」といっているが、
漫画の中の死亡してしまった男性は、チーズフォンデュを「ふつーに食べて」、ビールを
「ふつーに」飲んでいるようにしかみえない。最初のコマに描かれているウェイトレスも、
「ふつーに」笑顔で客をながめている。

そして、この漫画では、「幽門閉塞を起こし死亡という事件」とやらが、いつ、どの国で
起こったかの情報なんてのも、いっさい書かれていないし……ということで、ググって
みたら、引っかかったのは以下のようなもの。

まず、2002年 1月の、2ちゃんねるでの書き込み。「胃の中でチーズが固まりそうで
見ていてヒヤヒヤ」とのみ書いてある。

http://natto.2ch.net/food/kako/1010/10104/1010405851.html
>118 名前:   投稿日: 02/01/12 14:27
>チーズフォンデュの直後に冷たい冷たいビールのかぶ飲みは
>胃の中でチーズが固まりそうで
>見ていてヒヤヒヤする食べ合わせですな。

>119 名前: もぐもぐ名無しさん 投稿日: 02/01/12 16:53
>>>118
>別にビールでなくても


上の 10ヵ月後、2002年 11月に、2ちゃんねるの「夫を早死にさせる家庭料理」 (何と
いうスレ……) に、「食道でとろけたチーズが急速に固まり死んだ人がいると聞いたこと
がある」という書き込みがある。

http://food2.2ch.net/cook/kako/1038/10382/1038233143.html
>82 名前: ぱくぱく名無しさん 投稿日: 02/11/28 22:53
>熱々チーズフォンデュをキンキンに冷えたビールを流し込む、これ最強

>157 名前: ぱくぱく名無しさん 投稿日: 02/11/30 16:14
>チーズフォンデュを食べさせたあと冷たいビール。
>食道でとろけたチーズが急速に固まり死んだ人がいると聞いたことがある。


どちらも都市伝説未満という感じでしかないけど、チーズフォンデュと冷たいビールに
ついて言及しているものが、あまりないのだから仕方ない (?) というか。

そして、以下に引用するブログのコメント欄への書き込みは、講談社『FRIDAY』に連載
されていた「唐沢俊一トリビアルな日々」 (『史上最強のムダ知識』の収録元のひとつ)
の内容に言及していると思われる。これが 2005 年 7 月。2ちゃんねるに書き込みの
あった 2002 年よりも後は、この 2005 年の書き込みまで、チーズフォンデュとビールが
ネット上で話題にされていた痕跡はない。

http://blogs.dion.ne.jp/raian/archives/1503026.html
>チーズフォンデュを食べた後、冷たいビールを飲むと胃の幽門閉塞が起きるので
>(解けたチーズがビールで冷やされて固まってしまうから)死ぬ、、、と今日床屋に
>おいてあったフライデーに書いてあったな。
>Posted by 代走飯島 at 2005年07月18日 21:59



で、以下に引用するのが、2005 年 10 月に放送されたラジオ番組「サントリー なるほど
コール 赤坂5丁目分室」での Q&A。『FRIDAY』の唐沢俊一連載の影響かも。

そこには、「ビールと一緒に食べても胃の中のチーズが固まるということはありません。」
という心強い (?) 回答が……まあ、そうでしょうなあ。

http://www.tbs.co.jp/radio/call/bk/20051008.html
>2005年10月08日放送
>Q1 チーズフォンデュを食べる時ビールを一緒に飲むと、チーズが胃の中で固まって
>しまうと聞きました。本当でしょうか?

>A1 ビールと一緒に食べても胃の中のチーズが固まるということはありません。 本場
>のスイスでも冷えたビールや白ワインがメニューに載っていますし、皆さんチーズフォ
>ンデュに合わせておいしく飲んでいます。脂分を溶かす性質の少ない飲み物、水や
>ジュースなどや冷たいビールを飲みながらですと、 口の中で溶けたチーズが固まりや
>すいかもしれないので、のど越しが良くない、という意味でそう思われたのでしょうか?
>胃の中には胃酸がありますので、強い酸の働きで食べ物を溶かしてしまいますので
>心配は要りません。 フォンデュにすると思いがけなくたくさんチーズをたべてしまいま
>すので、もたれた感じがするのは食べすぎ、 飲みすぎかもしれませんね。



それにしても、唐沢俊一のガセ元が 2002 年の2ちゃんねるの書き込みだとしたら、
「幽門閉塞」というのは、どこからもってきたのかという謎は残る。どこか別のところに
ネタ元があったけど、今は消えてしまっているという話なのかもしれない。

テーマ : 感想 - ジャンル : 本・雑誌

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