2009.11.07 (Sat)
いそうでいない? マジョリティの魔女
ついでに言えば、魔女裁判(正確には、裁判前の拷問)も、有料だった。
「このような拷問をしたので、いくら払え」という請求が、魔女の遺族にきた
そうだ。
「不器用な死刑執行人ジャック・ケッチがケチだったかどうかは不明」の引用では、
「〈略〉」と書いたところに、この記述が入る。で、この部分もガセといってよいのでは
ないかと。
「魔女裁判(正確には、裁判前の拷問)も、有料」という書き方では、まるで「裁判前の
拷問」にかぎって有料だったかのように読める。しかし、毎日新聞社の『話のネタ』という
本 (この本については、ここやここを参照) によると、魔女裁判とはそんな甘いものでは
決してなくて……。
『話のネタ』 P.264 〜 P.265
> 密告によって容疑者が逮捕されると、すばやく管財人が家宅捜索して、全財産を
>没収する。もし、人に金を貸していたら、その債務者を呼びつけて借金を取り立てる。
>そして、その没収財産の中から、逮捕や尋問、拷問の経費、獄中での食費、火刑の
>ロープ代、たき木と油代、裁判官や下役人、処刑吏の日当と旅費まで、一切合財が
>細かく計算されて差し引かれる。処刑がすんだあとの慰労会費まで含まれていた。
>そして、余った財産は、ローマ教会、国王、異端審問官、司教たちが、それぞれ山分
>けしたのである。囚人は自分で費用の全額を支払って殺されたのである。
> だから、これほど儲かる裁判はない。生産力の低い中世にあっては、ぬれ手であわ
>式に、巨大な利益をあげる。魔女狩りは、人血から金銀をつくる錬金術だったのである。
要するに全財産没収であり、逮捕から処刑までにかかった費用は細かく計算され分配
されて、「余った財産は、ローマ教会、国王、異端審問官、司教たちが、それぞれ山分け」
だったという。なお、この財産没収については、1970 年刊の岩波新書『魔女狩り』の中
でも言及されている。
http://plaza.rakuten.co.jp/1492colon/diary/200908020000/
>『魔女狩り』森嶋恒雄 岩波新書
〈略〉
> 著者は、このような「魔女裁判」の目的が、財産没収ではなかったかと推測していま
>す。このことは、財産没収が禁じられてから魔女の摘発が格段に減少したことからも
>裏付けられています。
http://www.amazon.co.jp/review/RUH7R4R5WHC2N/
>魔女は、逮捕されてから処刑され、その後の係官が催す慰労会までを含めた魔女
>裁判に関わる全ての費用を自弁することになっていて、聖職者同士が魔女の財産没
>収権をめぐり、醜い争いを繰り広げることもあったそうである。神聖ローマ帝国が財産
>没収を禁じた年は魔女の摘発が急減するという現象が起きたのだが、このことからは
>魔女狩りのもう一つの面が見えてくる。
唐沢俊一は、こちらに引用したように、前後の文章では首切り役人の賃金だの、彼に
渡すチップだのという話をしているのに、どうして処刑にかかる諸経費 (?) をすっとばし、
わざわざ「正確には、裁判前の拷問」などと書いたのか、理解に苦しむ。個人的には、
「慰労会費まで含まれていた」も興味深いポイントと思ったが、唐沢俊一はスルーの
法則を発動させているし。
ちなみに、Wikipedia の記述では、「金銭目当て」説には、やや否定的。しかし、まあ、
こちらは他に決定的な要因をあげているわけでもなく、魔女とされた者の財産没収や、
裁判に関係する費用の全額負担を否定しているものでもない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/魔女狩り
>たとえばドイツの歴史家ヴィルヘルム・ゾルダン(Wilhelm Soldan)は魔女狩りとは権
>力者や教会関係者が金銭目当てで行ったものだという説を唱えた。つまり封建制度
>時代によく行われていた私的徴税の一種を行うための詭弁として魔女狩りが行われ
>たというものであるが、被告のほとんどが財産をもたない貧しい人々であったことや、
>告発者が利益を得る仕組みがなかったことが明らかになっているため、現在では受け
>入れられていない。
その他参考 URL:
- http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/yaziuma/essay2.html
- http://astore.amazon.co.jp/code-jp-22/detail/4004130204
- http://ginyobi-moon.s10.xrea.com/WITCH/Hunt/whdata1.html
- http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=189545
2009.11.07 (Sat)
ピアノと呼ばれるその楽器を別の名前で呼んだとしても、その甘美な音色に変わりはない
ピアノの正式な名称は「グラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」。
×ピアノの正式な名称 ○ピアノの名称の由来
『史上最強のムダ知識』 P.137
「グラヴィチェンバロ」とは、チェンバロのこと。そして「ピアノ・エ・フォルテ」
は、イタリア語で「弱い音と強い音」の意味。「弱い音と強い音の出せる
チェンバロ」という意味である。
そもそも、大きな音量が出せるが、強弱をつけた音を出すのが難しいチェン
バロと、強弱をつけられるが、音量が非常に小さいクラヴィコードという、2種
類の鍵盤楽器を合体させて誕生したのがピアノなのである。
前エントリーとは「正式」つながりというか、2ちゃんねるへの書き込み風にいえば、
「唐沢俊一、お前もう、『正式』って書くの禁止な」といいたくなるというか。
唐沢俊一の定義する「正式な名称」とは、多くの場合、いくつかある呼び名のうち、
一番長ったらしい名前をさしているのにすぎないのではないかと疑いたくなる。
で、「ピアノの正式な名称」については、「ピアノ」「piano」でよいかと思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ピアノ
>「ピアノ」という名の由来は、イタリア語の「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォル
>テ」(Clavicembalo col piano e forte)、もしくはそれに類する表現である。
>現代では、イタリア語・英語・フランス語では “piano” と呼ばれる(伊・英では
>“pianoforte” も使用)。〈略〉
>20世紀後半以降、あえて「フォルテピアノ」「ハンマークラヴィーア」「ハンマーフリュー
>ゲル」などと呼ぶ場合は古楽器(およびその復元楽器)、すなわち現代ピアノの標準
>的な構造が確立される以前の構造を持つ楽器を指す場合が主で、モダンピアノが普
>及する以前に作曲された作品を、当時のスタイルで演奏する古楽派などに用いられて
>いる。これに対して19世紀半ば以降のピアノを区別する必要がある場合には「モダン
>ピアノ」などと呼ぶ。
「ピアノ」は「ピアノフォルテ」の略で、正式には「ピアノフォルテ」――という話ならば、耳に
したことがある。実際、プログレッシブ英和中辞典では、piano は「PIANOFORTEの短縮
形」としている。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=piano&stype=1&dtype=1
>[PIANOFORTEの短縮形. 「強い音(FORTE2)も弱い音(PIANO2)も出せる楽器」の意]
一方、新グローバル英和辞典では、その定義を採用していなくて、こちらの辞書では
piano の項目に pianoforte の文字はなく、pianoforte という語の項目自体も存在しない。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=piano&dtype=1&stype=1&dname=1ss
さらに、今回の唐沢俊一の文章で引っかかるのが、「『グラヴィチェンバロ』とは、チェン
バロのこと」という部分。
その一方で、唐沢俊一自身、「チェンバロと、〈略〉クラヴィコードという、2種類の鍵盤
楽器を合体させて誕生した」と書いているため、「グラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エフォ
ルテ」とは「『弱い音と強い音の出せるチェンバロ』という意味」だというなら、
1. クラヴィコードの方は、その長ったらしい名前のどこにも反映されていないの?
2. 「グラヴィチェンバロ」の「グラヴィ」って何?
という疑問がわいてくる。
実は、上の方に引用した Wikipedia では「クラヴィチェンバロ」「Clavicembalo」のみの
記載であったことから、このエントリーを書きかけのときには、
×グラヴィチェンバロ ○クラヴィチェンバロ
としていた。しかし、以下の記述を見ると、「グラヴィチェンバロ」「gravicembalo」という
こともあるらしいので、それはナシにした。
http://en.wikipedia.org/wiki/Piano
> The word piano is a shortened form of the word pianoforte, which is seldom used
> except in formal language and derived from the original Italian name for the
> instrument, clavicembalo [or gravicembalo] col piano e forte (literally harpsichord
> with soft and loud).
「clavicembalo」なら clavi の部分はクラヴィコードからきているっぽい (素人考え) し、
「gravicembalo」だとすれば、「重さがあるチェンバロ」といった意味合いか。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=gravity&stype=1&dtype=1&dname=1ss
>〔[語源]GRAV「重さがある, 重い」: aggravate, gravitate, gravity; grave; grief, grieve
>(‘..に重荷を負わせる’)〕
ただ、「gravicembalo」という語自体、イタリア語の「clavicembalo」がなまって変化した
もの (corruption、corrupt form) とされているので、その点でも「ピアノの正式な名称」
っぽくはない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Gravicembalo
> The harpsichord (a corruption of the Italian term clavicembalo)
http://en.wikipedia.org/wiki/Harpsichord
> The type of instrument now usually called harpsichord in English is generally
> called a clavicembalo (sometimes in the corrupt form gravicembalo, both
> masculine) or simply cembalo in Italian, and this last word is generally used in
> German as well (Cembalo, neuter).
http://ja.wikipedia.org/wiki/チェンバロ
>チェンバロ(独: Cembalo, 伊: Clavicembalo)は、鍵盤を用いて弦をプレクトラムで弾い
>て発音する楽器で、撥弦楽器(はつげんがっき)、または鍵盤楽器の一種に分類され
>る。英語ではハープシコード(Harpsichord)、フランス語ではクラヴサン(Clavecin)と
>いう。
また、呼び名はともかく、ピアノという楽器自体が「2種類の鍵盤楽器を合体させて誕生
した」ものといえるかどうかは微妙な気が。
ピアノは、ハンマーで弦を上から叩くことによって音を出す。この点で、絃を弾いて音を
出す方式のチェンバロ (ハープシコード)、弦を下から突き上げて音を出す方式のクラヴィ
コード、どちらとも異なるため。
http://www.wound-treatment.jp/next/dokusyo/279.htm
> ピアノが産声を上げたのは1709年で,クラヴィコード(水平に張った弦を下から突き
>上げて音を出す)やハープシコード(弦を弾いて音を出す)のように鍵盤を持った楽器
>の一つとして考案された。前二者と異なっているのは「弦を上から叩く」ことであり,発
>明当初は優れた楽器としては考えられていなかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ピアノ
>ピアノに先行する弦を張った鍵盤楽器としてはクラヴィコードとチェンバロが特に普及
>していた。クラヴィコードは弦をタンジェントと呼ばれる鉄の薄い板で突き上げるもの
>で、鍵盤で音の強弱のニュアンスを細かくコントロールできる当時唯一の鍵盤楽器で
>あったが、音量が得られず、狭い室内での演奏を除き、ある程度以上の広さの空間で
>演奏するには耐えなかった。一方のチェンバロは弦を羽軸製のプレクトラム(ツメ)で
>弾くものである。
http://www.cakewalk.jp/MC/glos/html/glos1ld5.shtml
>クラビ/clavi《鍵盤楽器》
>クラビというのは省略した名称なのですが、この語源となる言葉(楽器)はふたつあり
>ます。ひとつはクラビコードという古くからある打弦楽器、そしてもうひとつは一般的に
>クラビネットと呼ばれている電子楽器です。
>クラビコードの方は、ピアノと同様に弦を叩いて音を出す楽器ですが、ピアノがハン
>マーで弦を叩くのに対して、クラビコードは金属の板で弦を叩きます。ですから、ピアノ
>に比べて繊細できらびやかな音色となります。
- http://www.seibupiano.com/column/column6.html
- http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0444.html
2009.11.07 (Sat)
唐沢俊一の脳内でのみ「正式」<インクレディブル・ハルク・ホーガン
ハルク・ホーガンの正式なリングネームは、「インクレディブル・ハルク・
ホーガン」
『史上最強のムダ知識』 P.155
ホーガンのリングネームは、人気コミックの「超人ハルク」にちなむのは
有名な話(正確には「超人ハルク」のテレビドラマ版にインスパイアされた
名前)。『超人ハルク』の原題は(コミック、ドラマ版共に)『インクレディブル・
ハルク』。故にホーガンの方も、正式には「インクレディブル」がつく。
まあ、そもそも、唐沢俊一が「正式」とかいっているものについては、まずガセビアを疑う
のが無難ではあるのだけど。
・特殊○○○とはどういう○○○か
・博多四十日という地方品種もあり
・「疲労をポンと捨てる」がある「ちゃんとした薬品辞典」とは?
・タケコプターも「回転翼航空機」なんだろうか
・「ひっそぎ」が「正式名称」となった経緯は謎
・「腸」の読みはひとつじゃない
・「絶対サー・ロクストンではない」←ロードにしたらいいと思うよ
・「万歳三唱令」ってのは偽書だし、「かなり奇妙な万歳ポーズ」ですよ唐沢俊一先生
で、何をもって「正式なリングネーム」とするのかという話もあるけど、ハルク・ホーガンの
場合、日本語版および英語版の Wikipedia、IMDb (The Internete Movie Database) の
どれをとっても「ハルク・ホーガン」または「Hulk Hogan」。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ハルク・ホーガン
>ハルク・ホーガン(Hulk Hogan、1953年8月11日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。
http://en.wikipedia.org/wiki/Hulk_Hogan
> Terry Gene Bollea[6] (born August 11, 1953)[1] better known by his ring name
> Hulk Hogan, is a professional wrestler currently signed to Total Nonstop Action
> Wrestling.[7]
http://www.imdb.com/name/nm0001356/
> Hulk Hogan
それに何より、The Official Website の http://www.hulkhogan.com/ で Hulk Hogan と
なっているので、「正式なリングネームは、『インクレディブル・ハルク・ホーガン』」という
のは、立派な (?) ガセということでよいだろう。
また、ホーガンが Incredible Hulk Hogan というリングネームを使ったことがあるかどうか
は微妙。英語版 Wikipedia http://en.wikipedia.org/wiki/Hulk_Hogan に列挙されている
Ring name(s) には一応 Incredible Hulk Hogan も含まれているものの、他の名前と違い
http://www.onlineworldofwrestling.com/profiles/h/hulk-hogan.html のような出典が
明記されていない。IMdb の biography http://www.imdb.com/name/nm0001356/bio
に列挙されている Nickname の中にも Incredible Hulk Hogan はない。
http://www.onlineworldofwrestling.com/profiles/h/hulk-hogan.html
> Wrestler: Hulk Hogan
〈略〉
> Previous Gimmicks:
> Super Destroyer (masked)
> Sterling Golden
> Terry "The Hulk" Boulder
> "Immortal" Hulk Hogan
> Hulk Machine
> The Hulkster
> "Hollywood" Hulk Hogan
> Mr. America -masked-
そもそも、『超人ハルク』の原題が『インクレディブル・ハルク』だから、「故にホーガンの
方も、正式には『インクレディブル』がつく」という理屈も、よくわからないし……。リング
ネームの由来が『超人ハルク』からだからといって、「正式なリングネーム」にも「インク
レディブル」をつけなきゃいけないわけではないと思うが。本家 (?) のスーパーヒーロー
の Hluk にだって、常に Incredible がつくわけではないので、なおさら。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ハルク_(コミック)
>ハルク(The Hulk)、又の名を超人ハルク(The Incredible Hulk)は、マーベル・コミック
>刊行のアメリカン・コミック(アメコミ)に登場する架空のスーパーヒーロー。ハルクの
>キャラクターは、スタン・リーとジャック・カービーにより生み出され、1962年5月のマー
>ベル・コミック『The Incredible Hulk vol. 1, #1』で初登場した。
>漫画のキャラクターとしては初めて蝋人形館マダム・タッソー館への展示を果たし、
>プロレスラーハルク・ホーガンのリングネームの由来になるなど、彼はマーベル・コミッ
>クのもっとも知られたスーパーヒーローの一人となっている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Hulk_(comics)
> Hulk Vol. 1, #1–11 (#475-485) (Marvel Comics, April 1999–February 2000)
> Hulk 1999 (Marvel Comics, 1999)
まあ、唐沢俊一のいう「正確には『超人ハルク』のテレビドラマ版にインスパイアされた
名前」というのは――「正確には」の使い方には疑問があるものの――一応本当らしくて、
そのテレビシリーズ (実写版) は、確かに『The Incredible Hulk』なのだけど。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ハルク・ホーガン
>1979年12月にニューヨークのMSGに初進出したのを機にリングネームをテレビシリー
>ズ「超人ハルク」にあやかり、ハルク・ホーガンに改名した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Hulk_Hogan
> During this time, he appeared on a talk show, where he sat beside Lou Ferrigno,
> star of the television series The Incredible Hulk.
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Incredible_Hulk_(TV_series)
> The Incredible Hulk is an American television series based on the Marvel comic
> book character of the same name.
2009.11.05 (Thu)
不器用な死刑執行人ジャック・ケッチがケチだったかどうかは不明
処刑の代金の支払いを渋った場合、首切り役人による、世にも恐ろしい
イジワルが待っている。わざと処刑を失敗し、死刑囚をなかなか絶命させず
におくのである。このため、みんな素直に賃金を支払っていた。
〈略〉
なお、イギリスでチャールズ2世に反乱を起こし処刑されたモンマス公
ジェームズ・スコットは、処刑時に、首切り役人に気前よくチップをはずん
だ。が、チップの額に興奮した首切り役人の手が震えて狙いがそれ、何度
も失敗してしまったという。
×チャールズ2世 ○ジェームズ2世
モンマス公ジェームズ・スコットは、チャールズ2世とその愛妾との間に生まれた子で
あり、父の「チャールズ2世に反乱を起こし」たのではなく、チャールズ2世の死後に、
叔父のジェームズ2世に「反乱を起こし処刑された」人。
また、「首切り役人の手が震えて狙いがそれ、何度も失敗」した理由が、「チップの額に
興奮した」からだとはいわれていない模様。
執行人のジャック・ケッチは、もともと技術に難があるというか、「処刑技術の拙劣さで
悪名高い」執行人だったため、モンマス公ジェームズ・スコットは彼に 6 ギニーを渡し、
先に処刑されたラッセル公のときのように「3、4回も滅多打ち」するのはやめてくれと
頼んだという。
そのラッセル公の方は、ジャック・ケッチに心付けをはずんだという話も伝えられていな
いようなので、金を多めに払おうが払うまいが、処刑される側がおそろしい苦痛を味わう
はめになるのは同じ――といえそう。
さらに、処刑の不手際は、「司法長官の叱咤」や「群集から罵声」を受ける理由となった
そうでもあるので、唐沢俊一の書いているような、「イジワル」で「死刑囚をなかなか絶命
させずにおく」処刑人がそもそも存在していたかどうかも疑問に思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/モンマス公爵ジェームズ・スコット
>チャールズ2世と愛妾ルーシー・ウォルターの子として、ロッテルダムで生まれた。
〈略〉
>母と死に別れ、1663年に14歳のジェームズはイングランドへ渡り、父親の元に名乗り
>出た。美男で聡明だったというジェームズに、チャールズは早速ドンカスター伯・タイン
>デイル男爵という称号を与え、自分の子として認知する(いったん認知すると、食いは
>ぐれずに済むよう、称号と領地を与えるのがチャールズの常だった)。
〈略〉
>1665年、叔父ヨーク公ジェームズ(のちのジェームズ2世)指揮下で第二次英蘭戦争
>を戦ってから、彼は功績を重ね、軍人として昇進を重ねていった。
〈略〉
>1683年のライハウス陰謀事件で、モンマス公の名前が出たため、ジェームズはオラ
>ンダへ亡命した。チャールズが没すると、反乱を起こし叔父の即位阻止に動くが、
>1685年のセッジムーアの戦いで完敗。自ら出頭したジェームズは、同年7月にタワー
>・ヒルで断頭刑にされた。
http://www.ff.iij4u.or.jp/~yeelen/system/howto/behead.htm
> もっとも、事が斧の一閃で済むという保証はどこにもなかった。むしろ、死刑執行人
>の不手際による無用な惨劇は日常茶飯事であり、受刑者にとっては死そのものより
>も、執行人の失態によってもたらされるおぞましい苦痛こそが恐怖の的であった。
> その処刑技術の拙劣さで悪名高い「初代」ジャック・ケッチが1685年7月15日にモン
>マス公の首の上で繰り広げた有名なエピソードは、その恐怖が極めて至当なもので
>あったことを示している。自分こそチャールズ2世の正統の後継者と主張し、ジェーム
>ズ2世に対する叛乱を企てたモンマス公ジェームズ・スコットは、その日、タワーヒル
>で斬首刑に処されるにあたり、執行人であるケッチに6ギニーの心付けを与えて首尾
>よく事を済ませるように重ねて頼んだ。にもかかわらず、ケッチの最初の一撃は公の
>首の肉をえぐっただけであった。さらに、二度、三度と斧を振り下ろしても公の頭部を
>切り落とすどころか絶命させることすらできず、挙げ句には血だまりの中でのたうち回
>る公をそのままに斧を放り出し、「俺にはできない」と泣き出す醜態をさらけ出した。結
>局、司法長官の叱咤を受けてさらに二度斧をふるった末に、痙攣する胴体からナイフ
>で首を切り落としたのであった。(注2)
http://www.kingdom-rose.net/history39-monmas.html
>7月15日、ロンドン塔の前で、モンマス公は処刑されます。
>その時の様子を、ホーンという人物がTable bookという本の中に書き残しています。
>
>「モンマス公を担当した死刑執行人は、格別仕事が下手だった。
> 公は執行人に言った。『この6ギニーはおまえにやる。頼む、うまくやってくれ。
> ラッセル公 (注1)の時には3、4回も滅多打ちしたそうじゃないか。そんな目に
> あうのはごめんだ。召使いに残りの金を渡しておく。首尾良くやったなら、そちらも
> 受け取るがいい』公は斧の切れ味を確かめて、『今ひとつだな。』(中略)
>
> 執行人はいよいよ仕事にとりかかった。公があれほど注意したのが、かえって
> 裏目に出てしまった。気が動転している執行人が最初にふりおろした斧は、
> 首をかすっただけだった。公は顔をあげて執行人をにらみつけた。
> さらに二回、斧が振り下ろされた。が、首を切断するまではいかず、公は
> 血の中でうめき声をあげていた。とうとう執行人は斧を放りだし、『だめだ、
> 俺にはできない!!』と叫んだ。しかし気を取り直して斧を拾い上げ、さらに
> 二回振り下ろして、ようやく首を切断した。」
http://www.kingdom-rose.net/tyu8.html
>注1)ラッセル公1683年、チャールス2世暗殺計画に連座して処刑される。この時も処
>刑人はモンマス公と同じジャック・ケッチ(?〜 1686)でした。ラッセル公の首を切り
>落とせず、数回斧を振り下ろしたが、うまく切断できなかったと伝えられています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャック・ケッチ
>その死刑執行の手際は非常に不器用で残酷だったと伝えられている。
〈略〉
>1685年7月15日にモンマス公爵ジェームズ・スコットの処刑を行った際にも、一撃での
>斬首に失敗。〈略〉最終的には斧ではなくナイフで首を落としたが、あまりの不首尾に
>より、見物していた群集から罵声を浴びた。
で、唐沢俊一の書いた文章に近い感じのものも存在する。この2ちゃんねるへの書き込み
が元ネタの可能性は結構高そう。
http://occult.blog62.fc2.com/blog-entry-356.html
>15 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 18:19:48 0
>十六世紀のイギリスでは、死刑は斧による斬首だった。しかし一撃で安楽死とはいかず、
>腕の悪い首切り役人に当たると悲惨だった。
>1684年、謀反の罪で断頭台に送られたモンマス侯爵は首切り役人のジャック・ケッチ
>に6ギニーのチップを手渡した。
>手際よくあの世に送ってくれ、という意味である。しかしこれが逆効果、ジャックは緊張
>し、最初の一撃は首の肉を多少削ぎ落としただけ。モンマス侯爵に睨まれて再度斧を
>振り下ろしたがまた失敗。
>さらに二度三度と振り下ろしたが首は落ちない。
>血塗れで痙攣を起こすモンマス侯爵。ジャックは斧を諦め、ナイフでようやく首を落とした。
>見物人の民衆はあまりの腕の悪さに激怒し、袋叩きにされかねない状況だったという。
>
>二年後、ジャックは首切り役人をクビになった。
これが元だとすると、唐沢俊一は、出典が怪しげなもの (処刑の年など、他の資料との
食い違いがみられる) をベースに、「緊張」を「興奮」と劣化コピーしたり、「イジワル」とか
妄想を追加したりすることにより、さらにガセ度を高くして発表した――ということになる。
2009.11.04 (Wed)
http://www.alcor.org/ くらいはチェックしておけばよかったのに
・冷凍を例にすると唐沢俊一の史上最強の単細胞生物ぶりがよくわかる……?
・不死にまつわる不思議な計算 (←題名負け)
・おっしゃる通り『不死テクノロジー』を参照してみましたが?
『史上最強のムダ知識』 P.89
現代の医学ではどうにもならない「死」も、未来には克服できるかもしれ
ない。それまで遺体を冷凍保存しておき、蘇生手段が発見されたら解凍
する、というのがこの会社の目的。
現在、予約者は数百人、実際に保存中の人も数十人いる。予算はひとり
1450万円ほどだが、「頭部のみ」のコースなら600万円程度ですむ。
未来には、頭部を他の肉体につなげて蘇生する技術もできる、という
希望的観測によるものだが、さて……?
×1450万円 ○1800万円
×600万円 ○960万円
上の数字は、1 ドル 120 円と計算しての費用。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211488497
>アメリカドルは1ドル=120円くらい
〈略〉
>回答日時:2007/5/3 18:40:03
「遺体を冷凍保存しておき、蘇生手段が発見されたら解凍する」という「この会社」とは、
「アルコー延命財団」をさす。この会社の価格設定では「冷凍保存のプロセスそのもの」
に「全身保存で約15万ドル、頭部のみの保存で約8万ドル」かかる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アルコー延命財団
>人体を冷凍保存するには、本人が財団の登録メンバーとなり年会費を払う必要があ
>る。年会費は冷凍保存をした後(つまり死後)も払う必要があり、生命保険などを充て
>る者もいる。冷凍保存のプロセスそのものには全身保存で約15万ドル、頭部のみの
>保存で約8万ドルかかる。冷凍保存の費用に関しては、ライバル企業(団体)と目され
>るクライオニクス研究所は約2万8000ドルという価格を設定している。
http://www.alcor.org/FAQs/faq01.html#cost
> Q: How much does cryonics cost?
> A: Most people pay for cryonics with life insurance, and since the actual cost of
> that depends on your age and health, to find out your specific cost you would
> need to shop for life insurance. Alcor offers two options: for whole body
> preservation you would need a minimum policy of $150,000, and for
> neuropreservation you would need a minimum policy of $80,000.
$150,000 が「1450万円」になっているのは、1 ドルを約 96.7 円で計算したため――と
仮定するとしても、$80,000 が「600万円」になってしまっているのはおかしな話だ。
実は、WebArchive をたどってみてわかったんだけど、2004 年の 12 月頃までは、全身
保存が $120,000 で、頭部のみの保存が $50,000 になっていた。1 ドルを 120 円として
計算すると、1440 万円に 600 万円と、かなり近い値になる。
http://web.archive.org/web/20041210091258/http://www.alcor.org/FAQs/faq01.html
> Alcor offers two options: for whole body preservation you would need a minimum
> policy of $120,000, and for neuropreservation you would need a minimum policy
> of $50,000.
しかし、2005 年 2 月の時点ではもう、現在と同じ $150,000 の $80,000 となっている。
『史上最強のムダ知識』が 2007 年なので、これは使用したデータが古過ぎだろうという
ことで。
http://web.archive.org/web/20050207073719/http://alcor.org/FAQs/faq01.html
> Alcor offers two options: for whole body preservation you would need a minimum
> policy of $150,000, and for neuropreservation you would need a minimum policy
> of $80,000.
ついでにいえば、「頭部を他の肉体につなげて蘇生する技術もできる、という希望的観
測によるもの」という唐沢俊一のまとめ方も、ちょっとどうかと思う。全身に比べ頭部だけ
の方が「維持費がずっと安上がり」だし、死ぬほど (?) 痛んだ肉体は冷凍処置のみを
考えても手間がかかる。「体の他の部分にも、大切な情報があるにちがいない」という
信念がないかぎり、全身の冷凍を選ぶ理由がないという考え方もあるし、実際の冷凍
睡眠希望者の多くは、そのように考えるとのこと。
『不死テクノロジー』 P.172
>頭部だけの方が、維持費がずっと安上がりだからである。ソウル・ケントの説明による
>と、「全身を一つ入れるカプセルの中に、頭だけならおそらく二〇は入りますからな」と
>いうことである。
『不死テクノロジー』 P.191
> ボブは「ニューロ」志望ではなかった。脳だけではなく、体の他の部分にも、大切な
>情報があるにちがいないと思ったのか、(これはクライオニシストのあいだでも問題に
>なっている点だが)全身の冷凍を選んだのだ。こうなるとやや面倒な問題がもちあがっ
>た。この患者はもう二回も動脈バイパス手術を受けており、アルコーの連中が心臓の
>ところまでメスを進めてわかったように、心臓周囲はひどい状態だったのである。結局
>主要な構造だけ見分けるたのに、なんと三時間も解剖作業をするというありさまだった。
『不死テクノロジー』 P.195 〜 P.196
>ダーウィンはじめ「アルコー人」のほとんどは、「ニューロ」方式を選ぶ。正気なら誰も
>自分の使い古した体が欲しいなどと思う者はいないはずだ、と彼らは信じているのだ。
2009.11.04 (Wed)
おっしゃる通り『不死テクノロジー』を参照してみましたが?
生物の肉体を低温で保つと、細胞内の水分が凍ってしまい、膨張した氷
が細胞を破壊してしまう(冷凍マグロを解凍した時にしみ出る、赤い液体を
思い浮かべるといい)。
この問題のために、SF小説のように人間を人工冬眠させる技術は、困難
だとされている(精子などの単細胞生物なら、現代でも冷凍保存できるが)。
トリビアで紹介している、死体の保存業者の場合、血の変わりに不凍剤
を入れて、特製の低温維持装置に遺体を入れて保存している、というが、
はたして、どの程度、細胞の冷凍を防げているのだろうか……。
×血の変わりに ○血の代わりに
×細胞の冷凍を防げて ○細胞の破壊を防げて
2 番目の段落に書かれている「精子は単細胞生物」問題については、「冷凍を例にすると
唐沢俊一の史上最強の単細胞生物ぶりがよくわかる……?」を参照のこと。そちらのエン
トリーを書いた時点では見逃していたけど、「細胞の冷凍」自体を防げてしまっては、ダメ
なんじゃないかと。
で、こちらのコメント欄でもふれたけれど、唐沢俊一はかつて『トンデモ本の逆襲』で、
五島勉のスパイ小説の冷凍描写に突っ込んだついでに、このようなことを書いていた。
『トンデモ本の逆襲』 P.135
(大いなる蛇足とは思うが肉体の低温保存 (クライオニクス) については
エド・レジスの『不死テクノロジー』などを参照のこと。
しかし、「エド・レジスの『不死テクノロジー』」を参照して、それをベースにするならば、
「細胞の冷凍」どころか、細胞の破壊ですら致命的な問題にはならないともいえる。
ナノテクノロジーで修復できさえすればよいのだから。
『不死テクノロジー』 P.152
> ドレクスラーもまだMITの学生だったころ、クライオニクスを調べたことがあったが、
>最初は彼もまたヘンソンと同じ反応を示した。そんなことがうまくいくものか! とまず
>思ったのだ。そもそも凍らせるべき人間は、まず死んでいなくてはならないのだから、
>あまり感心できた材料とはいえない。おまけに冷凍による(そして生き返るときには
>解凍による)損傷があることを考えれば、ドレクスラーがクライオニクスに魅力を感じ
>なかったのは当然のことだった。〈略〉
> ところが彼はその後、分子サイズのロボットを考えついたのだ。ここにいたって、
>クライオニクスに対する彼の懐疑的態度は、がらりと変わった。まず原子一個一個を
>あつかえるロボットなら、傷ついた細胞をわけなく修復できる。凍傷を例にとると、細胞
>はもちろん傷ついているが、全体の構造は低温で保存されており、超ミニ細胞修復
>マシンの一群が修復して、元の機能にもどせるほどの材料が残っているはずだ。
> それができるというなら、クライオニクス・サスペンション過程で受けた冷凍・解凍時
>の損傷を修復できないはずはない。もちろんロボットどもにそれをさせるには、今まで
>の何乗という大変なプログラミングと、従来試すはおろか想像もできなかったほどの、
>高度で膨大なソフトウエアが必要だ。どう考えても、これは確かに至難のわざである。
>だが肝腎なのはそれが可能だということなのだ。
以前に、「不死にまつわる不思議な計算 (←題名負け)」のエントリーに書いた内容から
判断するに、唐沢俊一は一応、『不死テクノロジー』を読んではいるとは思うのだが……
ナノテクノロジーに関する記述を含む部分までは、読んでいないのかも。
ちなみに、『不死テクノロジー』 P.168 〜 P.169 では、体外受精した「受精卵が何個か
の細胞に分裂したあと二か月のあいだ、液体窒素に漬けこまれ、摂氏マイナス一九六
度という低温状態におかれたもの」が、その後で母親の胎内に移植され、9 か月後には
無事に出産されたこと、「一九八七年ともなると、冷凍した胎児などちっとも珍しくなくなっ
てしまい」、バチカンが「人類の尊厳に対する罪とみなされる」という声明を発表するまで
になったことも紹介している。
また、この本には、「クライオニクスの患者もまったく同じ温度下で同様の液体の中に
保存される」とも書かれている。
まあ、生きている状態の受精卵と、死んだあとに冷凍される成人の肉体とは違うという
意見もあるとは思うが、唐沢俊一の書いた「細胞の冷凍を防げて」うんぬんは、「『不死
テクノロジー』などを参照のこと」とふいた割には、半分くらいしか読んでいないだろうと
いうものでしかない、と。
2009.11.03 (Tue)
輝きが一瞬だったのは三遊亭圓楽のことではなくて……
http://www.tobunken.com/diary/diary20091030133250.html
http://s02.megalodon.jp/2009-1103-2121-08/www.tobunken.com/diary/diary20091030133250.html三遊亭圓楽死去、肺ガン、76歳。
〈略〉
なお、円楽については四年ほど前に、追悼みたいに見える
文章を日記に記している。
http://www.tobunken.com/diary/diary20051014000000.html
その中で
「正直言って、今、圓楽さんが亡くなったとして、私に何か
慨が浮かぶかというとあまり期待できそうにない」
とシニカルなことを書いたが、やはりそんなことはない。
自分が最も落語を熱意もって聞いていた時代に、一番人気の
あった人だもの。
『近日息子』ではないが、先回りで追悼文を書いていたのかも
知れない。
略した部分に書かれている『円楽のプレイボーイ講座12章』、“星の王子様”、「実家が
寺で、名前も寛海」、「中原弓彦脚本の『すすめ! ジャガーズ敵前上陸』での色男の刑
事役」――等々については、唐沢俊一の日記なんかより、以下のページ等を読んだ方が
よさそうだとして。
- http://ja.wikipedia.org/wiki/三遊亭圓楽_(5代目)
- http://plaza.rakuten.co.jp/cinemaopensaloon/diary/200910310000/
- http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-749.html
10月 30日の日記では、唐沢俊一は特に印象に残るようなことも書いていないようだが、
気になるのが、「四年ほど前に、追悼みたいに見える文章を」とかいうリンク先の内容と、
「自分が最も落語を熱意もって聞いていた時代に、一番人気のあった人」という記述。
で、唐沢俊一がわざわざ自らリンクまでしている「先回りで追悼文」とは……
裏モノ日記 2005年 10月 14日(金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20051014000000.html
タクシーで仕事場。白夜書房のレトロムックの原稿を書いて送る。三遊亭
圓楽が脳梗塞で倒れた(実際は倒れたわけでなく自分で歩いて病院まで
行って脳梗塞の症状が発見されたらしい)との報。命に別状はないらしい。
「実際は倒れたわけでなく自分で歩いて病院まで」には、夏コミの頃のこういうの↓を
思い出したり (あ、冬コミ当選、おめでとうございます>kensyouhan さん)。
http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20090820/1250781295
>>toronei otaku, blog このブログの人に関しては、どっちもどっちという思いしかないで
>>すわ。少なくとも唐沢さんが倒れたときのエントリーは、このブログの中に出てくる人
>>よりドン引き言動でしたし
>
>“toronei”さんがどのような感想を持っても自由だし、妖怪「どっちもどっち」と仲良くさ
>れるのも自由なのだが、唐沢俊一っていつ倒れたんだろう? 入院したときのことを
>言いたいなら、唐沢は自力で病院まで行って医者から「入院しろ」と言われているの
>だから間違いですよ。どんな感想を書かれてもかまわないけど事実誤認はよくないと
>いうことで。
唐沢俊一定義でも、こういうのは「実際は倒れたわけでなく」――であるということで。
唐沢俊一の場合はさらに、「自分で歩いて」というだけでなく、タクシー使って自宅と病院
を往復までしているのだし (「2 度の入院手続き、そして 2 度の帰宅」を参照のこと)。
それはともかく、さすが唐沢俊一自身が「先回りで追悼文」などと表現しているだけのこと
はあって、この日の日記にはロクなことが書かれていない。
http://www.tobunken.com/diary/diary20051014000000.html
しかしながら、正直言って、今、圓楽さんが亡くなったとして、私に何か感慨
が浮かぶかというとあまり期待できそうにない。最後にお仕事をしたのが
もう二十年くらい前の横浜の落語会であったが、楽屋の椅子(教育会館の
応接室を使っていたので豪華なソファがあった)にすぐ横になって寝てしまっ
たので、
「ああ、ホントに体が弱いんだな」
と思ったものだ。
とはいえ、そこでの高座(『短命』)はさすが自家薬籠中のものという感じ
だったし、特別企画での談志との対談では若竹をネタにして丁々発止と
やりあって、なかなかのものだった。そのすぐ後、私は行かなかったが
学校寄席の仕事で一緒に行った事務所の者によると、高座に上がった
ものの落語などやらず、中学生を前にしてえんえんと教育論を語り、それ
が面白いならまだしも今の教育はなっていない、という年寄りの管巻きに
近いもので、生徒たちは不満でブーブー言う、主催者の学校からは文句を
言われるで、さんざんだったそうだ。
それ以来、うちのプロダクションは圓楽さんに仕事を頼まなくなってしまっ
た。体調不良が神経をいらだたせて、現代日本への不満を口走らせた
のだろうか。また、コアな落語ファンには弟弟子の圓丈が書いた『御乱心』
の中での悪役のイメージが染みついてしまい、ついにそれを払拭できな
かったことも、イラつきの原因だったかもしれない。
「高座(『短命』)はさすが自家薬籠中のもの」とか、「特別企画での談志との対談では
若竹をネタにして丁々発止とやりあって、なかなかのもの」とか、すごい上から目線の
褒め言葉 (?) が少々で、あとは何だか悪口めいた記述だけというか……。
気になるのは、2005 年時点の日記で、「最後にお仕事をしたのがもう二十年くらい前の
横浜の落語会であった」、「それ以来、うちのプロダクションは圓楽さんに仕事を頼まなく
なってしまった」などの記述である。2005 引く 20 は 1985 年で、その頃の唐沢俊一は、
仙台の東北薬科大学に通いつつ、イッセー尾形の劇団の「木戸御免になり、 スタッフ
まがいのことなど」をしていたはずの頃。
さらに、1986 年になると、北海道の実家に戻り、黒ブリーフに白衣の姿でひたすらデータ
打ち込みとボディビルにはげむようになった頃のはずでもあって。
叔父の小野プロを手伝っていたにしても、このような状況で、「うちのプロダクション」も
「最後にお仕事をしたのが」もないものだと思うが。
参考
・結局何歳のときに白衣に黒のブリーフでボディビルしてたんですか唐沢俊一先生
・うちのうちの詐欺
そして、2005 年時点の日記を読んでいくと、唐沢俊一の「自分が最も落語を熱意もって
聞いていた時代」とは、何のことはない、彼の高校時代だったということがわかる。
http://www.tobunken.com/diary/diary20051014000000.html
http://s04.megalodon.jp/2009-1103-2041-49/www.tobunken.com/diary/diary20051014000000.html高校生のころ、ラジオ局主催で行われる札幌のホール落語会に足しげく
通い、談志の『風呂敷』や『権兵衛狸』、圓楽の『悋気の火の玉』『阿武松』
『短命』などを聴くのが本当に楽しみだった。思うにあの頃が圓楽さんの
全盛期だったろう。『阿武松』は以前ラジオで聴いた師匠の圓生のものより
はるかに面白く、その日の鑑賞日記に
「談志より大衆性があり、しかもスケールが大きい。ずっと気になっていた
言いよどみや噛みも驚くほど少なくなった。そのうち圓生を継ぐのだろうが、
やはり将来の落語界を背負っていくのは圓楽師の方かもしれない」
と書きつけたくらいだ(実際、師匠の圓生は教えはしたが自分では『阿武松』
は高座にかけておらず、圓楽がやってあまりに受けるので自分もやりはじ
めたらしい)。で、半可通な高校生の私でもわかったくらいであるからかなり
評判になったのだろう。
〈略〉
・・・・・・とにかく、今の圓楽しか知らない人には信じられないだろうけど、次代
の落語界のエース争いで圓楽が談志や志ん朝に一馬身の差をつけていた
次代が本当にあったのだ。
今思えば一瞬の輝きだったが。原因は、やはりあの三遊協会設立騒動だろ
うか。あそこで談志のように機を見るに敏で、これはこっちに不利だ、と見る
とさっさと袂を分かってしまうことが、フットワークの遅い圓楽には出来なかった。
×次代が本当にあった ○時代が本当にあった
(次代ではなくて) 時代が本当にあった、「一瞬の輝きだった」については、他人事ながら
少々胸が痛む。
……いや、5 代目三遊亭圓楽に対してではなく、唐沢俊一が対象だけど。「落語会に
足しげく通い」、鑑賞日記をつけていたりした時代が、唐沢俊一にもあったのだなあ、と。
「一瞬の輝き」だったにしても……。
三遊亭圓楽に対しては、落語にくわしくない自分からみても、「一瞬の輝き」というのは、
そりゃないでしょうという感じ。笑点でおなじみの人でもあったし、手元にある『一個人』
編集の『落語入門』では、「現代の噺家列伝 この10人の名人芸をきけ!」のコーナーに
取り上げられている 10 人のうちのひとりになっている。
『落語入門』P.131
> ダンディズムを貫いた三遊亭圓楽にとっては、二〇〇七年二月の「引退宣言」は、
>苦汁に満ちた決断だった。
> 身体は大丈夫、噺の中身もしっかり理解できる、ファンも聞きたがっている――なのに
>である。
>「ろれつが回らない。自分の芸に納得できない」が、理由であった。周囲はその引退を
>押し留めようとした。だが、圓楽の美学はそれを許さなかったのだ。
> 圓楽の師、六代目三遊亭圓生は常々、人情噺・こっけい噺・怪談噺が出来てはじめ
>て一人前の噺家、と言っていた。圓楽もそれを目指し、人情噺については到達点に、
>こっけい噺も境地に近づいた。特に、人情噺には、圓楽独特の感情を盛り込んだ名演
>を披露した。
>「薮入り」で見せる子どもへの愛情、「中村仲蔵」で示した師弟・夫婦の絆の強さなど、
>圓楽の場合は感情を惜しげもなくさらし、激情が涙となってあふれることもある。
> 一人で何役も演じる落語では、演者の涙はご法度である。他の人物描写に影響する
>からだ。だが、圓楽はかまわず泣いた。それが人情噺の圓楽を創り上げた。まだまだ
>聴けるはずの噺家だった。
2009.11.03 (Tue)
ムンクは叫び、唐沢俊一はガセり、そしてパクる
「叫び」は、描かれている人物が叫んでいるのではなく、まわりにいる人間
たちが叫んでいる状況の絵である。
題名からしてガセの『切手をなめると、2キロカロリー』という本から。
「叫び」とは、ムンクの『叫び』のこと。「描かれている人物が叫んでいるのではなく」という
のは正しいとして、「まわりにいる人間たちが叫んでいる」って……その「まわりにいる人
間たち」とは誰のことで、どこにいるのかと。
『叫び』の中には、耳を押さえている人物のすぐ近くには誰もいない。少し離れた場所に、
2 人の人物が小さく描かれているが、静かに歩いているだけという感じで、どう見ても
叫んでいるようには見えない。

大きな画像を見たい人は、http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/munch/ の縮小画像
をクリックして、http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/munch/munch.scream.jpg や、
http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/munch/munch.scream2.jpg を参照のこと。
で、以前に、「はやく真人間になりたい――とか?」のエントリーにも書いたことがあるけど、
『切手をなめると、2キロカロリー』 (2003 年) に収録のネタは、『史上最強のムダ知識』
(2007 年) に多数使い回しされている。
『史上最強のムダ知識』 P.263
×『切手をなめると2キロカロリー』 ○『切手をなめると、2キロカロリー』*本書は、『切手をなめると2キロカロリー』(サンマーク出版)、『本の中の
トンデモ職業大発見(北海道アルバイト情報誌『CLUE』連載)、『唐沢俊一
トリビアな日々』(講談社『FRIDAY』連載)などのほか、著者の既存原稿に
新たな材料を加え、加筆、改稿し、再構成したものです。
自分の出した本の題名くらい、間違えないで書けないものか、というのはおいといて。
実は、『史上最強のムダ知識』では、ムンクの『叫び』についての記述は訂正 (?) されて
いる。
『史上最強のムダ知識』 P.35
ムンクの代表作『叫び』は、中央の人物が「頬に手を当てて叫んでいる」
と思われがちだが、実はそうではない。そもそもこの『叫び』は、ムンクが
体験した幻覚を絵にしたもの。
ムンクの日記によれば、その幻覚は、
「突然、空が血のような赤色に染まった。私は立ちすくみ、疲れ果てた身体
を柵にもたれかけさせた。青黒いフィヨルドと街の上に血と炎の舌が覆い被
さるようであった。そして、自然を貫く、果てしない叫びを聞いた」
と、いうようなものだった。つまり、『叫び』とは、ムンクが体験した「果てし
ない叫び」のことなのだ。中央の人物は、この叫びを感じて、耳を押さえて
苦悩しているのである。
上に引用した唐沢俊一の文章は、Wikipedia の記述を下手クソにリライトしたような感じ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/叫び_(エドヴァルド・ムンク)
>この絵は、ムンクが感じた幻覚に基づいており、このときの体験を日記に次のように
>記している。
>
>> 私は二人の友人と、歩道を歩いていた。太陽は沈みかかっていた。突然、空が
>> 血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて、柵に寄り掛かった。
>> それは炎の舌と血とが、青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。友人は
>> 歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦いていた。そして私
>> は、自然を貫く果てしない叫びを聞いた。
>
>しばしば誤解されるが、「叫び」はこの絵の人物が発しているのではなく、「自然を貫く
>果てしない叫び」のことである。絵の人物は、「自然を貫く果てしない叫び」に恐れ慄い
>て耳を塞いでいるのである。
さらに、ググってみたら、こういう↓のを発見。
http://mblog.excite.co.jp/user/hamburg/entry/detail/?id=4597163
>“夕暮れ時、私は二人の友人と共に歩いていた。
>すると、突然空が血のような赤に染まり、私は立ちすくみ、
>疲れ果ててフェンスに寄りかかった。
>それは血と炎の舌が青黒いフィヨルドと街に覆い被さるようだった。
>そして、自然を貫く果てしない叫びを感じた。”
>(※Wikipedia「叫び」から引用)
唐沢俊一の文章の「突然、空が血のような赤色に染まった。〈略〉自然を貫く、果てしない
叫びを聞いた」の箇所と、そっくりである。
実は、Wikipedia の「2007年1月12日 (金) 15:44」の版では、ムンクの日記の記述は下記
の通り。唐沢俊一は、これをほぼ丸ごとコピーしただけという可能性が非常に高い。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=叫び_(エドヴァルド・ムンク)&direction=next&oldid=9417234
>> 夕暮れ時、私は二人の友人と共に歩いていた。すると、突然空が血のような
>> 赤に染まり、私は立ちすくみ、疲れ果ててフェンスに寄りかかった。それは血と
>> 炎の舌が青黒いフィヨルドと街に覆い被さるようだった。そして、自然を貫く果て
>> しない叫びを感じた。
2009.11.01 (Sun)
ヘヴィメタとヘヴィ・メタルの違いについては……きかないでください
http://www.tobunken.com/diary/diary20091029135019.html
ヘモロイド・メタル・シティ
ハードロッカーは力むんで痔になりやすいんだぜ、ファ〜ック!
×メタル ○ロック
または
×ハードロッカー ○メタラー
http://kotobank.jp/word/ヘモロイド
>ヘモロイド【hemorrhoid】
> 「痔(じ)」に同じ。
ホメオパシーつながり (?) で、以下のようなものも。それにしても、商品名にヘモロイドとつけてしまうとは、つくづく怪し気さとまぎらわしさとの先端をいくホメオパシーだけある。
http://www.sapoo.com/item/pno_10387
>ヘモロイド 100錠
>商品説明
>トイレ時のおしりの痛み・かゆみなど、相談しにくい痔の悩みをサポートする「ヘモロイ
>ド」。セルフディフェンス力に働きかける“ホメオパシー療法”を取り入れて開発された
>ヘルスケアサプリメントです。
そして、2ちゃんねるのスレでも「唐沢は『DMC』も読んでないだろうね。クラウザーさん
ぽくないし」と指摘されていた (Read More 参照) けど、「ファック」連発はよいとしても、
「んだぜ、ファ〜ック!」はちょっとないような気がする。なぜ、「ファ〜ック」と長音を「〜」
にするんだろう、というか。それ以前に、聖飢魔II同様、地獄の帝王という前提でキャラを
つくっているのに、「力むんで痔になりやすいんだぜ」って人間みたいなことをいうのは
ダメ過ぎじゃないかという問題もあるが。
ちなみに、DMC の公式サイトは http://www.younganimal.com/dmc/ で、こちらで
試し読みも可。
http://ja.wikipedia.org/wiki/デトロイト・メタル・シティ
>キッスや聖飢魔IIを彷彿とさせる「白塗り」「自称悪魔」などヘヴィメタルの俗世のイメー
>ジを最大限に利用し、これと一般社会とのギャップを強調することで笑いを生み出し人
>気を博した。
〈略〉
>メンバーはKISSを彷彿させるようなフェイスペイントをしているが、容姿全般について
>はTHE CRAZY SKB聖飢魔IIや初期のXやLUNA SEAから、ステージパフォーマンスは
>ザ・フーやイギー・ポップ、ジミ・ヘンドリックスなどの影響も見受けられる。
で、キッスのデトロイト・ロック・シティならばハードロックに分類してもよいが、デトロイト・
メタル・シティは、名前のとおりメタルなので、「ハードロッカー」などと書いてはいけない。
こっちはデトロイト・ロック・シティ:
- http://www.youtube.com/watch?v=jQlMA6gjB_w
- http://www.youtube.com/watch?v=TgsoJrzplUI
- http://www.youtube.com/watch?v=jFcrKx9sw4s
デトロイト・ロック・シティがハードロックではなくメタルであることは、『魔界遊戯』を聞いて
みればわかる。
http://www.amazon.co.jp/dp/B001CRGUNQ
>魔界遊戯~for the movie~(初回限定盤)(DVD付) [CD+DVD] [Limited Edition]
>デトロイト・メタル・シティ
って、聞いてみればわかるで終わりにしちゃ、ダメかしらやっぱり……。「ハードロックと
ヘビーメタルの違い」でググってみれば、ゾロゾロいろんなページがヒットするけど、何か
言語化しようとすればするほど難しい話になっていくような。
http://www.google.com/search?client=safari&rls=en&q=ハードロックとヘビーメタルの違い&ie=UTF-8
http://www.metalgate.jp/C_diffarence.htm
>HR/HMを聴き始めたばかりのリスナーの多くが、「ハード・ロックとヘヴィ・メタルはどこ
>がどう違うのか」という疑問を抱き、あまつさえ身近にいる「上級者」に直接質問してし
>まうことさえ稀ではないが、納得の得られる回答が得られることは極めて稀である。そ
>の正確性はともかくとしても、何らかの説明がなされればまだいい方で、「聴いている
>うちにわかる」などという乱暴な返事が返ってくることも多い。しかし、この答えは一見
>無責任なように思えるが、実はある意味最も正確な回答なのである(本人としては単
>に適切な説明が難しいためにこのように投げやりな回答をしたに過ぎないのかもしれ
>ないが)。
〈略〉
>以下は1993年に音楽之友社から刊行された『はじめての音楽通』のコラムにおける
>米持孝秋氏の解説である。
>
> サウンド面での両者の違いを具体的に挙げると、例えばギターでは、イコライザーの
>セッティングが違うだけなんですけど、余分な低音が出て中域が引っ込んでくると、い
>わゆるヘビー・メタリックな音になります。それからメタルにはツイン・バス・ドラムが多
>くて、全体に低音が豊かです。聴いていて一番わかりやすいポイントは、曲の間中
>ずっとギターのリフが鳴りっぱなしかどうか、という点ですね。鳴りっぱなしなのがヘ
>ビー・メタルで、単なるひとつの要素として使っているのがハード・ロックというわけです。
>
> ギターのリフが鳴りっぱなし、という表現にはやや語弊があるが、サウンド面での特
>徴に関する説明は非常に明快である。こうした低音の利いたサウンドが俗にいう「メタ
>リックなサウンド」であり、その違いはHRとHMを区別するひとつの明解な要素と言える
>だろう。
>
>意外なところでは、KKベストセラーズから出版された『今さらこんなこと他人には聞け
>ない辞典』に書かれている記述がなかなかツボを心得ている。同書の「ヘビー・メタル
>/ハード・ロック」の項には、
>
> 「ブルース・ロック」を母体とする「ハード・ロック」と、それに演劇的なドラマ性と、メタ
>リックな音色感を加えたものが「ヘビー・メタル」
>
>と記載されている。この説明はシンプルながらなかなか的確である。ここで説明されて
>いる「メタリックな音色感」というものが、前述した米持氏の説明であることはいうまで
>もない。さらに、この項目の補足説明として、以下のような解説も併記されている。
>
>R&Bをロック的な解釈によって小編成バンドのエレキ・ギターを中心とするアンサンブ
>ルと即興演奏を展開した「ブルース・ロック」が60年代半ばに登場し、これが70年代初
>めにエレキ・ギターの長時間のソロ演奏と大音量を特徴とする「ハード・ロック」に発展
>した。その後、そうした「ハード・ロック」が様式化していく中で、過激なコスチュームに
>も特徴される「ヘビー・メタル」が生まれた。
>
>これも簡潔にすぎるとはいえ、流れとしてはほぼ正確な説明である。とりわけ、上記の
>説明の中で、へヴィ・メタルの「ドラマ性」に着目している点は高く評価できる。単なる
>転調にとどまらないドラマティックな展開というのは、JUDAS PRIESTやIRON MAIDEN、
>そして初期のMETALLICAなどにも顕著な特徴であり、パンク・ロック等他のジャンル
>のロックにはあまり見られない要素であるからだ。
……と、長々と引用してみましたが、引用した本人は、リフってものをあんまり理解して
いません、すみません。ついでに、歪んだ音は皆ディストーションということで脳内処理
して終わっていたり。オーバドライブはモナリザしかしらないというか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/リフ
>デヴィッド・ブラケット(1999)は、リフを“短旋律”と定義し、同じ頃リチャード・ミドルトン
>(1999)は同様に“短いリズム的、旋律的、または和声的音型の繰り返しであり、楽曲
>の基礎構造となるもの”と定義した。
>リッキー・ルークスビー(2002, p.6-7)は“リフとは短く、繰り返され、憶え易いフレーズ
>であり、ギターの低音部が良く用いられ、ロックに於けるエネルギーと興奮の中心であ
>る”と述べた。
ええと、以下のような説明の方が、具体的なバンド名が多数列挙されていて、わかり
やすいかも。
http://q.hatena.ne.jp/1110452143
>知人が「KISSはハードロック。聖飢魔IIはヘヴィメタ」と言ってましたが、見た目は一緒
>に見えます。何が違うのでしょう。
〈略〉
>「ハード・ロック HARD ROCK
>60年代後半にイギリスを中心に、ブルースロックを基礎とした、より音が大きくディス
>トーションがかかり、ヘヴィーなリフの繰り返しと長めのギターソロを特徴としたロック
>が出現した。70年代初頭ハードロック御三家と呼ばれるレッド・ツェッペリン、第2期
>ディープ・パープル、ブラック・サバスが大ヒットを放つと、急激にハードロック人気は
>加速し、70年代中期には全盛を極めていった。そして、78年デビューのヴァン・ヘイレ
>ンを最後に急失速していった。ハードロックの歴史は優れたロック・ギタリスト達の歴
>史でもあり、この全盛期はギタリスト花形時代とも言われた。その最後の大物エディ・
>ヴァンヘイレン以降、オリジナリティのある優れたギタリストが出現しなかった(イング
>ヴェイなど、うまい人はいます)ことも、ハードロック人気衰退の要因になった。全盛期
>に活躍したアーチストは、この御三家の他、ユーライア・ヒープ、マウンテン、グランド
>ファンク、カクタス、スージークワトロ、UFO、PARIS、スコーピオンズ、レインボー、
>BBA、クイーン、エアロスミス、キッス、ブルー・オイスター・カルト、AC/DC、ジャー
>ニー、シンリジィ、ミスターBIG、テッド・ニュージェント、ランナウェイズ、そして初期の
>ヴァンヘイレン達だ。その後、ハードロックは、その様式美だけを追求したヘヴィメタル
>に取って代わられることとなる。(HINE)」
>「ヘヴィ・メタル HEAVY METAL
>ヘヴィ・メタルとは、ロックの形式の中で、激しさ、重厚感、スピード、荘厳性などの雰
>囲気を、いくつかの典型的な様式によって特に強調して表現するスタイルである。そ
>の表現とは、歪んでよく延びるエレクトリック・ギター・サウンド、基音に5度上の音を加
>えた2つの音によって構成されるパワーコードを効果的に使って組み立てたヘヴィさを
>うまく醸しだすリフなどである・・・(200ロック語事典/立風書房)
>また、評論家の渋谷陽一氏が好きなのがハードロックで伊藤政則氏が好きなのがヘ
>ヴィ・メタルだという笑い話もある。いずれにしろ、明確な定義はないのだが、80年代
>前後から現れ、80年代中期〜末期に黄金期を築いた古典的ブリティッシュ・ハード
>ロックの後継者達だ。その手本とされているのは、ハードロック御三家と呼ばれた
>ツェッペリン、パープル、サバスやユーライアヒープあたりだが、その模倣にとどまら
>ず、情緒性を極力排除した独特のスタイルで、新しい美学様式を形成していった。
>「ヘヴィ・メタル」という言葉は、そもそも米国作家ウイリアム・バロウズによって初めて
>使われたが、ロック界では、映画「イージーライダー」のテーマ曲ステッペン・ウルフの
>「ワイルドで行こう!Born to be Wild」(68年)の中に出てくるのが最初。
>ヘヴィメタ黄金期を支えた面々は、ハードロックからの過渡期に現れたヴァン・ヘイレ
>ン、スコーピオンズ、ジューダス・プリースト、MSGに始まり、アイアン・メイデン、デフ・
>レパード、サクソン、ホワイトスネイク、イングヴェイ・マルムスティーン、ジョー・サトリ
>アーニ、スティーヴ・ヴァイ、パンテラなどである。そして、80年代後半には速度を売り
>にするスラッシュ・メタル(メタリカ等)、悪魔崇拝や死の世界を表現するデス・メタル(デ
>ス等)、終末感を表現するドゥーム・メタル(カテドラル等)などへとサブ・ジャンル化して
>いった。(HINE)」
>だそうです。
で、デトロイト・メタル・シティは一応「悪魔崇拝や死の世界を表現するデス・メタル」に
分類されるはずなんだけど、http://www.amazon.co.jp/dp/B001CRGUNQ のレビュー
を読むと、予想通りというか、いろいろと異論が……。
http://ja.wikipedia.org/wiki/デトロイト・メタル・シティ
>また、デスメタルバンドでは珍しくワンバスである。
――という理由ではなく、「メロディアスだという時点ですでにデスメタルじゃない」とか、
「Vocalはデス声では、あんまりないのですが」とか。
個人的には、メロディアスで、あんまりデス声ではないのにはむしろ助かったって感じ
だけど、もっと疾走してくれた方がよかったとは思う。
2009.11.01 (Sun)
いつまでも財務省印刷局と思うなよ、と。
お札の図案デザインと原版の彫刻は、財務省(旧・大蔵省)印刷局の
職人公務員「工芸官」が担当している。
この職は、高卒以上で美術関係を専攻していたことが採用の条件である。
紙幣などは、そうそう図案を変えるものでもないので、普段は、証券類
(国債、収入印紙など)、郵券類(切手、ハガキなど)、各種入場券、政府の
刊行物などの絵柄も描いている。
だいたい25人前後が勤務していて、そのうち半分がデザインを担当、
残り半分が原版の製作を担当している。
工芸官の持つ技術は、非常に高度で、原版製作に必要な彫刻技術
ひととおりをマスターするには、15〜20年かかるとされている。
×財務省(旧・大蔵省)印刷局 ○独立行政法人国立印刷局
×職人公務員 ○国家公務員
財務省印刷局は、2003 年 (平成15年) に独立行政法人に移行して、「独立行政法人
国立印刷局」となった。2007 年刊の『史上最強のムダ知識』に、それが反映されて
いないのは、ちょっと情けない。
「職人公務員」というのは、唐沢俊一の造語っぽくて、「"職人公務員"」と二重引用符
つきでググると、「職人、公務員」の類いしかヒットしない。
まあ確かに工芸官、特に原図をもとに原版を彫刻する担当は「職人」というのにふさわ
しい――「実際の日銀券では、1 mm間隔に約11本の線が引かれている」そうだ――とも
思うけれど、ここは素直に「国家公務員」と書くのがよかったのではないかと。唐沢俊一
は「半分がデザインを担当」とも書いているが、彼らの方は、職人というよりデザイナー
ではないかと思うし。まあ、お札の原図を「筆と絵の具で」描くような細かい作業は、
これも職人技といっておかしくないかもしれないけど。
http://job.mynavi.jp/11/pc/search/corp86079/outline.html
>特定独立行政法人(身分は国家公務員)として、社会に貢献しています。
〈略〉
>1943年11月 大蔵省所管の「印刷局」となる
>1952年 8月 大蔵省の附属機関「大蔵省印刷局」となる
>2001年 1月 省庁再編により「財務省印刷局」となる
>2003年 4月 「独立行政法人国立印刷局」となる
http://www.mof.go.jp/finance/f1909e.pdf
>財務省本省だけでは、子ども達の関心を惹くイベントを行うことが難しいため、印刷局
>滝野川工場や東京税関への見学を実施してきた。平成15年の印刷局の独立行政法
>人への移行や平成16年の新日本銀行券への改刷等により、国立印刷局が工場見学
>の受入れ自体を停止したため、平成15年度以降は東京税関の見学のみを実施して
>きた。
〈略〉
>本年の「子ども霞が関見学デー」の開催に当たり、多くの方の参加を可能とするため、
>国立印刷局での見学の可能性について検討した。独法移行からある程度経過し、改
>刷も無事完了したこと等から工場見学の受入れを再開したこと、国立印刷局としても
>独自に子ども霞が関見学デーへの参加を検討していたこともあり、東京税関と国立印
>刷局の両機関においてそれぞれ見学を実施することとした。
〈略〉
>国立印刷局では、ビデオによる業務紹介ののち、工芸官の実演が披露された。工芸
>官は、紙幣の原図のデザインや、原図に基づく原版の彫刻などを担当しており、実演
>風景は今回の見学での特別イベントとして実施したもので、通常の一般見学では見る
>ことが出来ない、貴重なものであり、その卓越・熟練した技術には見学者も驚嘆して
>いた。また、子ども達が実際に原版に彫刻する体験も実施したが、1/15ミリくらいの
>線を彫った子がいたり(ちなみに実際の日銀券では、1 mm間隔に約11本の線が引
>かれている)、思わぬ出来の良さに工芸官が驚くなど、こちらが逆に子どもの順応性
>の高さを垣間見るようであった。
「採用の条件」が、「高卒以上で美術関係を専攻していたこと」かどうかは、調べてもよく
わからなかった。国立印刷局の採用情報 http://www.npb.go.jp/ja/recruit/index.html
の「区分」から推測するに、「美術関係を専攻」というのが学歴として反映されている必要
はなさそうだし、工芸官が全員、美術系の高校または大学を卒業していると明記してい
る資料も見つからなかったので……。
「だいたい25人前後が勤務していて」も微妙。2007年 9月 14日 (『史上最強のムダ
知識』の出た 5 ヵ月後) の朝日の記事では、「デザイン担当」と「彫刻担当」が「約10人
ずつ」となっているので、約 20 人の計算になるが、13 歳のハローワークのサイトでは、
「お札は30数名、切手は数名の工芸官」と記述している。唐沢俊一の「25人前後」という
のは、これら 2 つを足して二で割ったわけでもないと思いたいが。
http://kotobank.jp/word/工芸官
>朝日新聞掲載「キーワード」の解説
〈略〉
>国立印刷局所属の国家公務員。お札などの原図を描くデザイン担当と、原図を基に
>原版を手彫りする彫刻担当が約10人ずついる。普段は印紙や証紙、国債などの製造
>で技術を磨き、ベテランの彫刻担当は1ミリ幅に10本以上の線を彫り込むという。工
>芸官の間では「針研ぎ3年、描き8年、美蘭(びらん)咲く(ビュランという特殊な彫刻刀で
>美しいランの花を彫れるようになる)のは18年」と言い継がれる。
>( 2007-09-14 朝日新聞 朝刊 2経済 )
13歳のハローワーク 編集部の職業紹介「工芸官」
http://www.13hw.com/job/J000100115-a.html
>紙幣、切手、国債、収入印紙、国営公園の入場切符などのデザインを行う国家公務
>員。紙幣の場合、原画担当、原図担当、彫刻担当などの分業で作業が行われる。原
>画担当が図柄の原案を作り、原図担当が偽造防止のための技術などを使い、カラー
>の下図案を仕上げる。次に彫刻担当が全て手作業で印刷用の原版を作成する。お札
>は30数名、切手は数名の工芸官によってデザインされ、いずれも少数精鋭で専用の
>執務室で作業する。絵やデザインの知識や企画力、手先の器用さが求められる仕事
>だ。定期的な募集はなく、欠員が出たときにのみ美術大学などに募集があるのが実
>情である。
そして、唐沢俊一が、「原版製作に必要な彫刻技術ひととおりをマスターするには、
15〜20年かかる」としているのは多分、上の朝日の記事でいう「針研ぎ3年、描き8年、
美蘭(びらん)咲く(ビュランという特殊な彫刻刀で美しいランの花を彫れるようになる)のは
18年」の「18年」からきていると思われるが、「必要な彫刻技術ひととおりをマスター」と
いうのならば、下でいう「ビュラン研ぎ3年、描き8年」までの 10 年前後をとるのが適切
ではないかとも思う。原版製作の彫刻担当が全員、15 年を超える見習い修行期間を
経た者に限定されるとも考えにくいし。
http://www3.boj.or.jp/nagoya/kaisatsu/world.pdf
>ビュランはすぐに刃先が磨耗するため、常に刃先を研ぐ必要があり、工芸官の世界で
>は「ビュラン研ぎ3年、描き8年」といわれるそうです。
さらに、朝日の記事でいう「普段は印紙や証紙、国債などの製造で技術を磨き」はよい
として、唐沢俊一の書いている「普段は、〈略〉政府の刊行物などの絵柄も描いている」
については、かなり疑問あり。
確かに、独立行政法人国立印刷局では、「官報」をはじめ、「法律案、国の予算書など
の国会用製品を製造」しているとのことだが、工芸官がこの「絵柄も描いている」かどう
かは、また別かと。
http://job.mynavi.jp/11/pc/search/corp86079/outline.html
>◆情報製品製造部門
>国が発行する唯一の法令公布の機関紙・国の広報紙・国民の公告紙としての役割を
>果たしている「官報」の編集、印刷をはじめ、正確性・秘密性・迅速性が求められる法
>律案、国の予算書などの国会用製品を製造しています。
というか、「政府の刊行物などの絵柄」というのが、そもそもどういうものが想定されて
いるかも、よくわからない。小冊子に挿入されるイラストでも描かせるというのだろうか。
少なくとも、彫刻担当の出る幕はあまりなさそうだし、辞書の工芸官の説明に含まれて
はいないのが、「切手・収入印紙・国債」などとは異なる。
http://kotobank.jp/word/工芸官
>デジタル大辞泉の解説
〈略〉
>こうげい‐かん〔‐クワン〕【工芸官】 紙幣・切手・収入印紙・国債などの原画を描き、
>印刷原版を彫刻する技術者。独立行政法人国立印刷局に所属する国家公務員。
(さすがに、唐沢俊一とは違って、「独立行政法人国立印刷局に所属する国家公務員」
と正しく書いている。当然だけど)。
ついでに、13歳のハローワークでは、工芸官が切手のデザインもやっているかのように
書いているけど、これもちょっと疑問。今は、郵便事業株式会社の「切手デザイナー」が
切手の図柄を作成し、「候補の中から、郵便事業株式会社の社長が決定」するそうだ。
http://www.npb.go.jp/ja/museum/kitte.html
>切手の図柄
>郵便事業株式会社(2007年10月1日〜)の切手デザイナーが作成しています。十分
>に考証された複数の候補の中から、郵便事業株式会社の社長が決定します。
その他参考 URL:
- http://www3.boj.or.jp/nagoya/kaisatsu/world.pdf
- http://www.npb.go.jp/ja/security/link/documents/sosiki11.pdf
追記: 「郵券類(切手、ハガキなど)、」を抜かしていたので追加。
2009.10.31 (Sat)
カーキー色 ―― #C3B091 または マンセル値 1Y 5/5.5
裏モノ日記 2009年 10月 24日(土曜日)
http://s04.megalodon.jp/2009-1031-2226-33/www.tobunken.com/diary/diary20091024232656.html朝のベッド読書中、“カーキ色”のカーキって何だったっけ、
と急に気になって、急いで携帯から検索。
ヒンディー語から英語化された言葉で、“土埃”の意、だそうで
ある。なるほど、と感心したが結局、今朝読んだ資料類で
頭に残ったのはこれだけであった。
〈略〉
台風接近とやらだが空模様どんより。
南国へ行きたしと思う。
死んだ加藤和彦の『パパヘミングウェイ』から
『SAN SALVADOR』。
http://www.youtube.com/watch?v=hfPqA8A4L00&feature=player_embedded
大学時代にこの曲をBGMにしたアニメを作ろうとした。
実写部分を本当にサン・サルバドールで撮る必要があって
挫折したんだったが(笑)。
2ちゃんねるのスレでは、「英語化された背景は知らないままなんだろうな」と書き込ま
れていた (Read More 参照) 「カーキ色」について。
http://ja.wikipedia.org/wiki/カーキ色
>語源
>ペルシャ語の「khak」(土埃を被った茶色)であり、ヒンドゥー語の「khaki」、さらに英語
>で同じつづりでカーキと読むように変化した。
>カーキ色に関する事項
>軍服としてのカーキ色は、19世紀半ばに植民地であるインドに駐留していた英国軍
>が、白い夏服の汚れを嫌って当地の土を用いて服を染め、それを現地語でカーキと
>称したのが始まりであると言われている。その後、「軍服色」という意味において、森
>林地帯を想定して作られた米軍のくすんだ緑色(オリーブドラブ)のこともカーキと呼ば
>れるようになり、英語圏においても色の定義が混同されるようになっていった。しかし
>ながら、主にヨーロッパ諸国で用いられる灰緑色など青やグレー系統の色は、軍装色
>であってもカーキと呼ばれることはない。
>日本では、明治39年に陸軍がそれまでの濃紺に代えて採用した帯赤茶褐色がカー
>キ色として紹介された。これは当時の主戦場であった朝鮮半島や中国大陸の黄土の
>色に合わせたもので、このため日本語でカーキ色と言う場合には、欧米のそれよりも
>かなり赤みの強い色を指すこともある[1]。
まあ、上に引用した Wikipedia の記述を読んでいたのなら、19世紀に「インドに駐留して
いた英国軍が、白い夏服の汚れを嫌って当地の土を用いて服を染め、それを現地語で
カーキと称した」ことはわかるとして、唐沢俊一の書いている「ヒンディー語から英語化」
から判断するに、多分今回の日記のネタ元は、「ヒンドゥー語」との表記を採用している
Wikipedia ではない。
http://gogen-allguide.com/ka/khaki.html ならば、今回の唐沢俊一の日記と同様に
「ヒンディー語」と表記しているので、こちらからとったということはありそう。ただし、これも
Wikipedia も、ペルシャ語の「khak」が大元であることには言及しているのに、唐沢俊一が
それをすっ飛ばした理由は、よくわからない。意外とこれ↓が唐沢俊一のネタ元だったり
して……。
http://life.2ch.net/fashion/kako/1011/10116/1011693292.html
>70 名前: Idiot ◆niclzmcM 投稿日: 02/01/27 04:33
>カーキ=枯草色。語源はヒンディー語の「土埃」から。
>だそうだ。
ちなみに、大辞泉では、語源は「ウルドゥー語」と表現している。その他、語源には異説
もある模様。また、オリーブグリーンのような色をカーキと呼ぶこともあるため、あちこちで
議論の種になっていたりもする。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=カーキ&dtype=0&dname=0na
>《カーキはkhaki (土ぼこりの意で、もとウルドゥー語)から》黄色に茶色の混じったくす
>んだ色。軍服などに用いられる。枯れ草色。
http://ww1.m78.com/question/khaki.html
>「カーキ」の語源はパンジャブ語の『汚穢色』からきたようです。
http://fashion.yahoo.co.jp/qa/detail/1010876375/
>カーキって、年齢でイメージが分かれる色です。
>若い人・・・くすんだ緑
>年輩の方・・・黄土色
〈略〉
>若い人は黄色よりの方、年輩の人は緑よりの方をイメージする場合が多いようです。
〈略〉
>ファッション限定ではカーキは深緑なんじゃないでしょうか?
http://oshiete.hmv.co.jp/qa623261.html
>自衛隊の軍服の色はたしか「オリーブ・ドラフ」と呼ばれるものだったような気がします。
>でも言われてみると確かに自衛隊の軍服の色をカーキと 呼んでいるのも聞いたことが
>あるような気がします。
それと、2009年 10月 17日の日記では、加藤和彦の曲名を間違えまくりの唐沢俊一
だったけど、この日の日記では、「『パパヘミングウェイ』から『SAN SALVADOR』」に
言及している。音楽ネタを引っ張るのは、唐沢俊一にしては珍しいかも。
アルバム名は、『パパヘミングウェイ』というより『パパ・ヘミングウェイ』または『PAPA
HEMINGWAY』と書くべきではないかとも思うが、おいといて。
http://www.amazon.co.jp/dp/B0002XVUKY
>パパ・ヘミングウェイ(紙ジャケット仕様)
残念ながら、唐沢俊一が示した URL:
http://www.youtube.com/watch?v=hfPqA8A4L00&feature=player_embedded
これは、「利用規約に違反しているため、この動画は削除されました。」とのことだが、
まあ、曲の一部は、
http://www.shinseido.co.jp/cgi-bin/WebObjects/Catalog.woa/wa/detail?r=OMCA-1032
などで聞くことはできる。
で、「大学時代にこの曲をBGMにしたアニメを作ろうとした」のはよいとして、自分で好き
に企画することのできる、それもアニメなのに、どうして「実写部分を本当にサン・サルバ
ドールで撮る必要があって挫折」なのかは不明。どんな理由で、どのような構想を立てて
いたために「本当にサン・サルバドールで撮る必要」があったのか、ちょっと想像がつか
ない。
http://d.hatena.ne.jp/huraibou/20091018/p1
>■[music]加藤和彦『パパ・ヘミングウェイ』
〈略〉
>フォークルやミカバンドもさることながら、個人的にはこの作品から始まる“ヨーロッパ
>三部作”が忘れがたい。この時期の加藤和彦や高橋幸宏、大貫妙子などの音楽に
>よってヨーロピアンなポップスの魅力を教えてもらいました。加藤和彦の音楽は興味が
>ない方にはただの絵空事としか感じられないでしょうが、聴きかえす度に、洗練された
>サウンドの中から己のセンスに全てをかけた凄みがくっきりと浮き彫りになってくるよう
>に思えます。
その他参考 URL:
- http://wagamamakorin.client.jp/saku-yasui-kato.html
- http://tisen.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-5993.html
- http://blogs.dion.ne.jp/lotus/archives/1311649.html
2009.10.31 (Sat)
「好きという気持ち」「真摯な気持ち」………… orz
そして、この blogram というサービスの「みどころガイド」とかいうやつが、何をトチ狂った
か、こんな文章を出力するようになってくれやがったという……。
http://blogram.jp/users/analyze/?uid=41927
>「トンデモない一行知識の世界 2 - 唐沢俊一のガセビアについて -」には、baudrateRA
>さんの唐沢俊一に対する「好きという気持ち」「真摯な気持ち」が、とにかく詰まってま
>す。キーワードは「唐沢俊一先生」「本当に」「日本映画」です。
>最近は、2ちゃんねる 政治にも関心が向いているようです。
http://s01.megalodon.jp/2009-1031-1359-19/blogram.jp/users/analyze/?uid=41927
これまで「唐沢俊一」というカテゴリは存在しなかったのが、昨日か今日あたり、親切にも
新設されてしまったせいらしい。ハロウィンを記念して、だろうか。(←ちょっと違う?)
で、キーワードや関心についての方は、ブログを更新するたびに変動するだろうけど、
「唐沢俊一に対する『好きという気持ち』『真摯な気持ち』が、とにかく詰まってます」の
部分は、ずっと表示され続けるのではないかという、イヤな予感が、ひしひしと。
好きじゃないのはもちろんのこと、「真摯な気持ち」ってのもないんですが。これだから、
人工無能は……。
まあ、ある意味おもしろいので、今はそのままにしておくけど、ある日ブチ切れたら、
blogram からは手を引こうかと。w
2009.10.31 (Sat)
1973 年の『小学六年生』には、「ドラえもん」と「天地真理物語」
http://www.tobunken.com/diary/diary20091026160642.html
小学館が『小学五年生』『小学六年生』を休刊とやら。
愛読していたのに残念である。もっとも、もう大学に行くか
行かないかという時期だったが。1976〜77年ころである。
『小学六年生』を毎号買って、高校生の弟と一緒に熱心に
読んでいた。
“ハロー6ワイドショー”というコーナーがあって、そこで
描いている二人のマンガ家が抜群に面白かったからである。
それが、ろくだのぼる(現・六田登)とみく・さとみ
(現・御厨さと美)の二人。みく・さとみは“みくちゃん”、
ろくだのぼるは“どくたー・のぼーる”が愛称だった。
基本的に読者のお便りを紹介しつつ二人がマンガで雑談しながら
進行していく形だったのだが、その雑談のセンスが他のオトナ
向け雑誌の読者コーナーをはるかに飛び越していて、兄弟して
「これを小学生にだけ読ませておくのは勿体ない」
と思っていた。ときには、自殺をにおわせる手紙などもあって、
それにろくだが真摯に返事して、
「わかるけど……生きようよ」
と答えていたり。
http://www.j-cast.com/2009/10/26052537.html
>小学館、「小学五年生」「小学六年生」を休刊
>2009/10/26 16:20
> 小学館は、2009年10月26日、学習雑誌「小学五年生」と「小学六年生」を09年度末
>の号を最後に休刊すると発表した。「小学一年生」など他の学年別学習雑誌の刊行
>は継続し、来年春には高学年向けの新学習漫画誌を創刊する予定という。
> 「小学五年生」は10年2月3日発売の3月号、「小学六年生」は09年12月28日発売の
>2・3月合併号が最終号。両誌は、1922年の同社創設時に創刊され、ピーク時の1973
>年4月号では「小学五年生」が63万5000部、「小学六年生」も46万部を記録したが、
>近年は5〜6万部に低迷していた。
自分が小学生の頃には、小学館の小学○年生シリーズは、小学生の 3 人に 2 人が
読んでいます、みたいなことを堂々と誌面に書いていたと記憶しているけど (記憶違い
だったらスマソ)、それが休刊かとか、最近の付録はすごいらしいとかは、おいといて。
参考 URL:
- http://blogs.itmedia.co.jp/akihito/2008/03/post-7115.html
- http://netkun.com/magazine/sho6/
「少なくとも俺が読んでた頃は、『どくたー』は付いてなくて単に“のぼーる”だった。」
と、2ちゃんねるのスレには書き込まれていた (Read More 参照) が、 自分の記憶でも
「どくたー」はついていなかったし、漫画に描かれたキャラもドクターという感じの扮装 (?)
ではなくて、ややヒッピー風というかカジュアルな格好だったような。まあ、『愛と誠』は
第一部はまあまあだったけど第二部の影の大番長って何だそれとマジで怒っていたり
していた (これも記憶違いだったらスマソ) ので 1974 年の時点のことであり、唐沢俊一
のいう 1976 年から 1977 年のことではないのだけど。
でも、“どくたー・のぼーる”と二重引用符でググっても、ヒットするのは唐沢俊一の日記
ただ 1 件のみだし。Wikipedia の記述によると、「ろくだのぼ〜る」だし。
http://ja.wikipedia.org/wiki/六田登
>高校時代はアストロ作画会や作画グループで同人活動を行っていた。1971年、19歳
>で漫画家を目指し、ヒッチハイクで上京[1]。初めはルポイラストや単行本の企画・構
>成をする。その後、ろくだのぼ〜る名義で、御厨さと美と共に『小学六年生』(小学館)
>の読者ページ「ハロー6ワイドショー」にて活躍。
http://kntk123.michikusa.jp/manga/rokuda/list.htm の作品リストにも、「ろくだのぼる」
や「ハロー6ワイドショー」の文字はあっても、「どくたー・のぼーる」はないし、六田登の
サイトの掲示板では、本人が「のぼーるの時代」という書き方をしているし。
http://8012.teacup.com/climbers/bbs
>M.Sさん 投稿者:六田登 投稿日:2009年 8月 4日(火)13時57分37秒 返信・引用
>ありがとうさん。のぼーるの時代から、遥かに時間が経ってしまいましたなあ、お互い
>に…。
で、考えられる可能性としては:
1. 「ろくだ」と「どくたー」をかけて、「どくたー・のぼーる」が登場した号があって、それが
唐沢俊一の記憶に強くのこった。
2. 唐沢俊一の脳内で、 「ろくだ」と「どくたー」が混ざって、「どくたー・のぼーる」が誕生
した。
2. だったら笑えるけど、どうなんだろう。
それと、2ちゃんねるの書き込みには、「みく・さとみは1976年3月号までの参加」という
ものもあったけど、そうなると唐沢俊一のいう「1976〜77年ころ」はどうなのか、「高校
生の弟と一緒に」と書いてあるが、1961 年生まれの唐沢なをきが本当に高校生だった
ときのことなのか――という疑問もわいてくる。弟より 3 歳上の唐沢俊一が「もう大学に
行くか行かないかという時期」だったかどうかも……。
http://ja.wikipedia.org/wiki/御厨さと美
>1970年代前半には小学館の学習雑誌『小学六年生』の「ハロー6」のスタッフだった
>こともあり、「みく・さとみ」(愛称=みくちゃん)の名前でデフォルメした自画像で登場
>していた。
上に引用の Wikipedia の記述だと「1970年代前半」だし、御厨さと美の作品リストを掲載
しているページ http://www5a.biglobe.ne.jp/~natsuman/mikuriya.htm でも、1976 年に
なると、御厨さと美の作品は、「ビッグコミックオリジナル」、「パワァコミック」、「漫画アク
ション」に掲載されるようになっているし。
さらに、気になるのは、小学五年生や小学六年生の売り上げが、この年はピークだった
と報道されている 1973 年の頃は、どうだったのかと。唐沢俊一の日記では、「愛読」
していたのは、「もう大学に行くか行かないかという時期」に限定されているみたいに
読めるけど、1973 年は弟の唐沢なをきがリアル小学六年生で、「みくちゃん(御厨さと
美)、のぼーる(六田登)」が「ハロー6ワイドショー」で活躍していた時期のはずなのに。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~natsuman/mikuriya.htm
>1973年(昭和48年)
>ハロー6 小学六年生
http://salad.2ch.net/comic/kako/990/990103404.html
>41 名前: 名無しんぼ@お腹いっぱい 投稿日: 2001/05/20(日) 09:07
>1975年前後の小学館の「小学六年生」の読者ページ:
>「ハロー6(シックス)ワイドショー」。
>みくちゃん(御厨さと美)、のぼーる(六田登)、ロコたん
>の3人が担当してた。
>すっげー思い入れがあるんですけど、他のひとはどう?
http://d.hatena.ne.jp/lacopen/20050824
>ではなぜ捨てられなくなったかというと、小学館の学習雑誌をあっさり捨てられたのが
>原因です(おいおい)。これは小学六年生に限りますが、御厨さと美、六田登、中山蛙
>などが読者ページをやっておりまして、今30代のりぼんっこなら「みーやんのとんでも
>ケチャップ」みたいなのを覚えているでしょうが、あんなもんじゃなかった。後にビックリ
>ハウスや(あまり読んでいない)岡崎京子さんが投稿していたポンプみたいな投稿誌
>が現れましたが、そのルーツみたいな読者ページ(私が読んでいた時は「ハロー6ワ
>イドショー」って名前だったと思う)があったんですな。その当時は小学館の学習雑誌
>が最高に売れた時期で、六年生だけじゃなくて(私も五年生でしたが)もっと年上の人
>の投稿があったり、全部で16〜24ページくらいあったような気がします。ああいう誌上
>コミケみたいなページができたのはいつ頃からなのだろうかとちょっと気になっていま
>すが、自分の弟の時ももっとページ数はかなり縮小はされながら早稲田漫系のマンガ
>家の卵のような人がやっていましたけど、おたくのルーツのようなものがあそこには
>あったような気がしています。
2009.10.31 (Sat)
似ているようで違う ―― 多幸であると、タコである
http://www.tobunken.com/diary/diary20091026160642.html
テレビで雨の中、傍聴券希望者にインタビューしていたが、
ほぼ全員が40代という感じだった。今から20年前、
80年代後半にどれほど彼女が若者(だった彼ら)を熱狂させて
いたか。あの時代は今とは比べ物にならないほど、アイドルという
存在が時代の先端を走っていた、その文化の全盛期だったのだ。
彼らが“のりピー”を見に走るのは、単なるミーハー精神ではない。
自分の青春時代の再確認なのだ。ここまで堕ちたのりピーを
見捨てないことこそが、自分のアイデンティティの肯定につながるのだ。
そして、今のテレビが彼女の報道以外視聴率がとれずに苦戦している
のは、まさに80年代から先、テレビが国民の関心から外れてしまった
という事実、それ以降“文化リーダー”になれなかったという
事実の反映だろう。
演劇祭関係者からメール、それに返事など。
私は少なくとも、50代になったいま、リアルタイムで
心を打ち込めるものを持っている。多幸であると思う。
「唐沢、お前これから『ホッピー』以外のカタカナ使用禁止な」と、2ちゃんねるのスレには
書き込まれていた (Read More 参照) が……確かに、上の文章中の「リアルタイム」は、
使い方が変なような。
ちなみに、唐沢俊一ならではの奇妙な「ベッドタウン」の定義についてはここ、「コリドー」
や「ツール」についてはここ、パブリックドメインについてはこちらを参照のこと。
「50代になったいま、リアルタイムで心を打ち込めるものを持っている」とか書いている
ので、推測するに、唐沢俊一にとっては「いま」と「リアルタイム」は同格なのかなと、
思ったりする。「リアルタイム」の部分を「現在」とか「現在進行形」あたりに置き換えた
としたら、まあ普通の文章になりそうな気が。
でも、唐沢俊一以外の定義では、リアルタイムって、そういう意味じゃなくて。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?stype=0&ei=UTF-8&dtype=0&p=リアルタイム
>リアル‐タイム【real time】
>同時。即時。「歴史的瞬間を―で映し出す」
英和で引いても結果はほぼ同じ。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=real-time&stype=0&dtype=1
>1 《コンピュ》リアルタイム;実時間.
>2 即時, 同時
で、まあ、「心を打ち込める」の「心を」は余分とか、「多幸」の使い方が、辞書上の定義
はともかく、何か変――というのも、2ちゃんねるのスレで指摘 (Read More 参照) されて
いた通りとして。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?stype=0&ei=UTF-8&dtype=0&p=多幸
>たこう[―かう] 0 【多幸】
>(名・形動) [文]ナリ
>[1] 非常に幸福なこと。よいことが多くあること。また、そのさま。多福。
> ・ 御―を祈る
> ・ ―に過ごす
>[2] 〔専門〕 医 本人や周囲の客観的状況にそぐわず、内容のない爽快な気分の
>状態。老人性痴呆や薬物中毒・神経疾患などにみられる
唐沢俊一は、のりピーの裁判を傍聴しようとつめかけた 40 代について、「自分の青春
時代の再確認」のためだ、「ここまで堕ちたのりピーを見捨てないことこそが、自分の
アイデンティティの肯定」なのだと、何だか過去にしがみつく人たち扱いして、それに
引き換え、演劇祭という、「50代になったいま、リアルタイムで心を打ち込めるものを
持っている」自分は、「多幸」であると主張したいようだ。「多幸」というより、80 年代の
流行語としての「タコ」の方がふさわしいんじゃないかと思うが、まあおいといて。
個人的には、むしろ雨の中で並ぶ傍聴券希望者は、報道等にリアルタイムに反応した
人たちじゃないかと思ったりもする。たとえば、お詫び会見のときの酒井法子について、
テレビのワイドショーでは、のりピーに同情的なコメントをよせる人間はもちろん、台本を
そのまま読んでいるような感じで反省しているかどうか疑問だなどと批判的なことをいって
いた者でさえ、予想以上に可愛かった、専門のメイクがついていただけある、などと
褒めていた。これがすっかりやつれて見る影もなくなっていたら、唐沢俊一のいう「ここ
まで堕ちたのりピー」というのにも、割と素直にうなずけていたかもしれないのだけど。
そもそも、80 年代頃にアイドルだった人たちって、そうそう容貌の衰えた姿を人目にさら
したりしてくれないというのもある。唐沢俊一がインタビューを受けた号のプレイボーイで
も、「美しすぎるオーバー30」とか巻頭カラーで特集していたりするし。さすがに酒井法子
は載っていなかったけど、宮沢りえ (36)、小泉今日子 (43)、川島なお美 (48) 等はいた。
それに、のりピーをさして、「アイドルという存在が時代の先端を走っていた」といわれる
と、大人気だったかもしれないが、「時代の先端」というのは違うんじゃないかと思えて
ならない。「なんてったって 80 年代アイドル」でもちょっと言及したけど、のりピーって
オーソドックスな正統派アイドルという感じで、先端で売っていたわけではないような。
新曲が出ると歌詞の分析が一般紙に載ったりしていた百恵とか、アンアンに連載を
もっていたキョンキョンとかとは少し違う感じだったし。
まあ、この件にかぎらないんだけど、唐沢俊一の語る過去って、「青春時代の再確認」と
いうには、本当にその時代の同じ空気を吸っていた人間のいうことなのか、読んでいて
首をひねることが多い。かと言って、いま現在の話題を持ち出すこと自体、割と少ない
ので、現在に生きるタイプの人とも思えない。……かといって、未来に生きる人とも到底
思えない。
2009.10.28 (Wed)
そもそも「ふてくされ力」とかいうゴタク、どこに需要があるんです?
ノムさん流“ふてくされる力”で勝つ!!
さて、ここで「ふてくされる力」の歴史をひもといてみよう。
「ふてくされの文化は、日本史の中に連綿と受け継がれているんですよ」
こう分析するのは、雑学王でコラムニストの唐沢俊一氏だ。
「例えば北畠親房の『神皇正統記』。南北朝時代に南朝の正統性を書い
たものなのですが、『ホントは自分たちが正しいのに…』と、トーンとしては
完全にふてくされている。また、江戸時代に大久保彦左衛門が記した
『三河物語』。これも、幕府に冷遇された旗本たちのふてくされ記録です。
国民文学ともいえる夏目漱石の『坊っちゃん』も主人公がずーっと愚痴を
言っている。ふてくされの極みです」
また、幕末〜維新を駆け抜けたあの英雄たちの運命も「ふてくされる
力」に左右されたと唐沢氏は続ける。
「勝海舟などは、まさに戦略的にふてくされていました。徳川幕府解体後、
彼は明治政府にグチグチ言い続けることで旧幕府側の人間のガス抜き役
となり、うまく周囲をコントロールしていたんですね。一方、それをしなかっ
たのが西郷隆盛。あの人は自分の考える『征韓論』が受け入れられない
と黙って下野した。結果、下級武士たちの不満が爆発し西南の役となっ
たわけです。もし彼がふてくされた態度を見せていれば、下級武士も『ここ
は西郷どんの気持ちを汲んでガマンじゃ』となったでしょうに…」
もし西郷どんが上手にふてくされていたら、歴史は変わっていた!?
裏モノ日記 2009年 10月 19日(月曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20091019183340.html
http://s04.megalodon.jp/2009-1028-2220-37/www.tobunken.com/diary/diary20091019183340.html4時、朝電話で連絡とったS社のKさんとヴェローチェで
待ち合わせ。以前、時間割でインタビューに応じたことのある
人だった。時間割、なくなっちゃったんですよと言ったら
大いに驚き残念がってくれた。
野村監督の辞任劇でのグチ攻勢を記事にすることで、日本における
グチというものの役割について語れ、と言われて、なるほど、と
思い、そこから“日本史を変えたグチ”について語り、そこから
“日本グチ国家論”に及び、“グチ不可欠論”にまで達する論説を
展開する。たぶん1/10、いや1/20も記事には反映されまいが
Kさんが喜んで聞くものだからつい、フロシキを広げてしまう。
帰り際にちょっと思わせぶりなこと、聞かされたが、さて。
何かリクエストがあったようなので、週刊プレイボーイは買って読んだのだけど (Read
More 参照、2ちゃんのスレに記事を入力してくれたのは別の人)、スレへの書き込みに
あった「ふてくされるのと愚痴をこぼすのとは違うような気もするが、どうなん?」というの
には、激しく同意。
唐沢俊一にインタビューしたのは、「野村監督の辞任劇でのグチ攻勢」にからめて、
「日本におけるグチというものの役割」――でも、週刊プレイボーイの記事のタイトルは
「ノムさん流“ふてくされる力”で勝つ!!」だし、記事は「ふてくされ」だらけで、野村監督
はもちろん、小沢一郎幹事長も、橋下徹府知事も、岡田監督も「ふてくされ」っぷりを
褒めたたえられている。
要するに、唐沢俊一の日記に登場の「S社のKさん」とやらが、愚痴をこぼすことイコール
ふてくされるという妙な定義をしているらしくて、唐沢俊一のコメント以外の部分を含め、
記事全体が首をひねる感じのものとなっているのだ。さすが、ガセパクリ王の唐沢俊一
を、「雑学王でコラムニストの唐沢俊一氏」と紹介する人だけあるような。
ちなみに、「ふてくされる」と「愚痴」を辞書でひいてみると……。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=ふてくされる&dtype=0&stype=1&dname=0ss
>ふてくさ・れる5 【不▽貞腐れる】
>(動ラ下一) [文]ラ下二 ふてくさ・る 不平・不満から反抗的になったり、投げやりに
>なったりする。
>・注意されるとすぐ―・れる
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=ふてくされる&enc=UTF-8&stype=1&dtype=0&dname=0na
>ふて‐くさ・れる【不▽貞腐れる】
>[動ラ下一][文]ふてくさ・る[ラ下二]不平・不満の気持ちがあって、なげやりな態度
>や反抗的な態度をする。ふてくさる。「―・れて返事もしない」
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=愚痴&enc=UTF-8&stype=0&dtype=0&dname=0ss
>ぐち0 【愚痴】
>[1] 言ってもしかたがないことを言って嘆くこと。
>・―を言う
>・―をこぼす
>[2] 〔専門〕 仏 三毒の一。物事を正しく認識したり判断したりできないこと。愚かで
>あること。痴。癡。→(句)愚痴(ぐち)の闇(やみ)
推測するに、愚痴すなわち「言ってもしかたがないことを言って嘆くこと」では、しっくり
こないのではないかと、「ふてくされ」連発に切り替えたのではないだろうか。……でも、
「ふてくされ」たあげく、「投げやりになったり」しては、うまくいくものもいかなくなるような
気がしてたまらないのだが。
それに、「ふてくされ」だと、辞書の文例にもあるように「返事もしない」というのもありな
はずなのだが、この記事は、「男は黙って…なんてのは幻想にすぎない。古今東西、
デキる男はふてくされてきたのだ。」と最後の方に書いてあったりするので、わけがわか
らない。さすが唐沢俊一にインタビューしてコメントをもらう編集者だけのことはある。
それでもまだ、小沢一郎、橋下徹、岡田くらいまでならば、「不平・不満の気持ち」がある
ことを、「反抗的な態度」でしっかり文句をいってアピールすることを「ふてくされ」と表現
しているのか――などと好意的な解釈をしながら読み進めることも一応は可能 (?) だけ
ど、唐沢俊一の語っている部分は、そんなものではフォローしきれなくて……。
唐沢俊一自身が「南北朝時代に南朝の正統性を書いたもの」と語っている「北畠親房の
『神皇正統記』」は、ふてくされ、愚痴、反抗的に不平不満を言い募るの、どれにも該当
しそうにない。「大久保彦左衛門が記した『三河物語』」も同様。「夏目漱石の『坊っちゃ
ん』にいたっては、何も一人称で語る小説の主人公をここで出さなくても……という感じ。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0815.html
> 親房が『神皇正統記』を筑波くんだりで書いたというのも、このとき親房が小田城を
>拠点にして、南朝のための東国工作に従事していたからだ。そのころ南朝の勢力は
>そうとうに逼迫しつつあって、なんとか常陸や下野を傘下におさめようとしていたのだ
>が、北朝は足利氏を軸に高師冬をさしむけて、南朝切り崩しにかかっていた。関東で
>の戦端もしばしば開かれ、親房はその合い間をぬって『正統記』を書いたのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/三河物語
>『三河物語』(みかわものがたり)は、大久保忠教(大久保彦左衛門)によって書かれ
>た、徳川氏と大久保氏の歴史と功績を交えて武士の生き方を子孫に残した家訓書で
>ある。元和8年(1622年)成立。3巻からなり、上巻と中巻では徳川の世になるまでの
>数々の戦の記録が、下巻では太平の世となってからの忠教の経験談や考え方などが
>記されている。
>本来門外不出とされ、公開するつもりもなく子孫だけに向けて記されたため、逆に忠
>教の不満や意見などの思いがそのまま残されている。しかし忠教の思惑とは裏腹に
>写本として出回り、人気になったと伝えられている。もっとも、下巻の巻末には読み手
>に対して、「この本を皆が読まれた時、(私が)我が家のことのみを考えて、依怙贔屓
>(えこひいき)を目的として書いたものだとは思わないで欲しい」といった趣旨の言葉が
>記されており、門外不出と言いながらも読み手を意識しているという忠教の人間くささ
>がうかがえる。
>内容的には徳川びいきの記述が目立ち、また、大久保氏が関わった部分にも創作が
>ある。しかし、同時代の一次資料とも合致する部分も多く、多くの学術書の出典となっ
>ており、良質な資料として評価されていると言える。
http://www.hamajima.co.jp/aichi_bungaku/koten/39.shtml
> 『三河物語』は、大久保彦左衛門忠教(おおくぼひこざえもんただたか)によって書か
>れ、徳川氏代々の功績や三河武士の姿が描かれている。
〈略〉
> 家康の天下統一に力を発揮したのは、「質朴で、困苦に耐え、利害よりも情義を重
>んじる」(『覇王(はおう)の家』司馬遼太郎)三河以来の譜代(ふだい)衆である。しか
>し、幕藩体制が確立するにつれ、忠節に励んできた主家は時とともに疎遠なものに
>なっていく。彦左衛門は、徳川家累代の功績、合戦の様子、家臣の言行、自らの体験
>などを『三河物語』三巻に述べ、大久保一族の三河以来の忠節を強調し、譜代衆へ
>の扱いがその苦労にふさわしくないと憤慨している。一族の払った犠牲を空しいものと
>彼は感じるが、いまさら主家を去るわけにもいかず、子孫に対して主家への変わらぬ
>忠勤を求めている。
さらに、一番わけがわからないのが西郷隆盛について語っているくだり。「黙って下野」
は「ふてくされた態度」ではなく、「明治政府にグチグチ言い続ける」のが「ふてくされ力」
のある奴だと……。しかし、仮にそれで、周囲の人間の「ガス抜き役となり、うまく周囲を
コントロール」したとしても、下級武士の反応としては『ここは西郷どんの気持ちを汲んで
ガマンじゃ』とはまた違ったものになるはずと思うけど。「気持ちを汲んでガマンじゃ」は、
ちょっと違うだろう。
ちなみに、唐沢俊一は、「以前、時間割でインタビューに応じたことのある人だった。時
間割、なくなっちゃったんですよと言ったら大いに驚き残念がってくれた」とか書いている
けど、時間割という店が閉店のは、去年 (2008年) のはじめ頃だから、1 年半以上も前
のこととなる。
http://www.tobunken.com/diary/diary20080124110226.html
帰ったらオノが仕事していたので、時間割閉店の話を聞かせたら
「エエッ〜!」
と絶叫に近い声。
前々から、“あと時間割が無くなったら渋谷にいる意味が
無くなるな”と話していたのである。
これで引っ越しのための精神的準備は整った、ということか。
いや、まあ、別によいんだけど、何が彼を 1 年半ぶりに唐沢俊一にインタビューしたいと
いう気持ちを起こさせたのか、唐沢俊一がインタビューで語ったという「“日本グチ国家
論”に及び、“グチ不可欠論”にまで達する論説」ともども、ちょっと聞いてみたい気も。
怖いもの見たさ (?) に似た心理で。
追記: 橋下を橋本と誤変換していたのを訂正。 (_ _);
2009.10.27 (Tue)
「美しい星」の美しさから目をふさいでいるみたいな唐沢俊一 (3)
今回は、かなり主観に左右される問題かなと思ったので、「間違い探し編」には入れない
つもりだったんだけど、表題の「作家が描いたオカルト信者の心理パターン」や新潮文庫
『美しい星』の表紙写真の下に、以下を見つけたので……。
『トンデモ本の世界R』 P.338
新潮社
1978年
×1978年 ○1967年
こちらにも引用したように、『トンデモ本の世界R』 P.338 には、「私(唐沢)が所持している
文庫版(新潮文庫、昭和四二年発行、 昭和四四年三刷)の解説でも、文芸評論家の
奥野健男氏は」と、ちゃんと書いてあるんだけど。
それに、1978 年だと、こちらでふれた「雑誌『地球ロマン』(絃映社)の『総特集・天空人
嗜好』」の 1976 年の 2 年後になってしまう。唐沢俊一いうところの「奥野の無知と偏見
について」批判した号が先に出たという時空歪みの発生……。
で、別件で 4 ページ以上を消費し、残り 2 ページ半を切ったあたりで、やっと表題にも
なっている「作家が描いたオカルト信者の心理パターン」の話がはじまるわけだが。
『トンデモ本の世界R』 P.338
トンデモ本とは決して言えないこの本をあえてここで取り上げたのは、作品
そのものこそ、一九六〇年代の冷戦の記憶も薄れている今日、その主旨を
つかみにくくなているとはいえ、そこに登場する“円盤にとらわれた”人間
たちの思考パターンに注目すると、それがまったく変化することなしに、今の
UFO論者、また他のトンデモさんたちの主張にあてはまるということに気が
つくからである。ここらへんの人間の心理パターン洞察の鋭さには、さすが
三島、と感嘆せざるを得ないのである。
「一九六〇年代の冷戦」と、1950 年代を抜かして 1960 年代に限定する理由は不明。
http://ja.wikipedia.org/wiki/冷戦
>1945年から1989年まで続き、直接武力衝突して殺戮を伴う戦争を生じなかった為、
>殺戮を伴う「熱戦」「熱い戦争」に対して、「冷戦」「冷たい戦争」と呼ばれた。「冷戦」と
>いう語は、アメリカの政治評論家ウォルター・リップマンが、1947年出版の著書のタイ
>トルに使った事から、一般に流布したと目されている。
1955 年の、日本最初の UFO 研究団体である「日本空飛ぶ円盤研究会」(JFSA)設立、
1957 年の、「宇宙友好協会」 (CBA) の設立とそれらの活動、さらにその背景にもなって
いた核による人類滅亡の可能性の恐怖と不安があっての、1962 年の『美しい星』連載
開始とかいう考えは……唐沢俊一にはあまりないらしい。
『トンデモ本の世界R』 P.342 〜 P.343
主人公である大杉重一郎は芸術的なセンスを持ち、学歴もあるが、実務
能力は無いに等しい、親の残した財産を食いつぶすだけの無能力者である。
表面上は平凡な一般社会人を下に見て高踏的な生き方をしているふりを
しているが、親からは罵られ、劣等意識に苛まれながら青春期を過ごし、
無為の存在のまま五十代を迎えた彼は、心の底で、自分のその劣等感を
根底からひっくり返してくれる恩寵を望んでいた。そして、それはある日突
然、空飛ぶ円盤という形をとって現れたのである。
「自分はそこらの平凡な連中とは違う。選ばれた、特別な存在なのだ」
という認識を持つことは、およそ人間と生まれ自意識のある者全てにとっ
ての、火の出るような願望であろう。しかし、その認識を得るための努力を
厭い、かつ、心の底で、自分の持つ能力が果して衆に抜きん出るものである
かということに深刻な疑問を持つ者にとり、最後の希望は、何かそこに超自
然的現象が働くことで、“ある朝、突然に”自分が選ばれた存在となることで
ある。円盤(宇宙人)とのコンタクトなどは、まさにその理想型ではないか。
「芸術的なセンスを持ち、学歴もあるが」以外は、唐沢俊一その人のことではないかと
いう素晴らしい文章だ。まあ、こちらにも書いたように、「人間と生まれ自意識のある者
全て」を、勝手に巻き添えにしないてくださいとしか。
「主人公である大杉重一郎」の方はというと、確かに唐沢俊一のいう通り、「親からは
罵られ、劣等意識に苛まれながら青春期」を過ごしたとも書かれているが、実際に読ん
でみた印象はだいぶ違った。
『美しい星』 P.13
> 重一郎自身にとっても、五十二歳になって突然こうして身に添うた自明な優越感は、
>思い設けぬことと云う他はなかった。彼は劣等意識に苛まれた青年期を持っていた。
>実利家の父からは罵られ、温和なやさしい各種の芸術に救いを求めた。父が生きて
>いるあいだは怠けながら会社の仕事を手伝っていたが、死後はその必要もなくなった
>ので、何もせずに暮した。ときどき東京へ妻を連れて芝居や展覧会を見に行き、息子
>と娘は東京の学校へ入れた。そして私鉄でわずか一時間のこの地方都市に、ものし
>ずかな孤立した知的な家族を作った。
「火の出るような願望」があったり、「自分の持つ能力が果して衆に抜きん出るもので
あるか」を重要視したりするくらいなら、会社経営に精出すとか、もっと活動的な人生を
選んでいたように思うけど。若いときはそれなりに野心があったが挫折したというタイプ
と描かれているわけでもないのだ。それに、「そこらの平凡な連中とは違う」とは、近所
の人たちにもしっかり認めてもらっていて、「浮き世の塵には染まらないというような顔を
して、一家そろってお高くとまって暮らしている」、「亭主は学者気取」 (『美しい星』 P.35)
等々、たまたま円盤関係につぎこむため暴落前に株を売り払ったこともあいまって、マジ
でかなり妬まれていたりする。
「知的な家族」というのも嘘ではなく、重一郎が瞑想の後に、「今夜は諸君も、この茶
の間で一緒に試験勉強をやらんかね。」と呼びかけると、当の父親が講演旅行用に
地図を調べ、母親が編み物をする茶の間で、息子は「国際法のノオト」をめくり、「娘は
ポオの詩の勉強」をするのだ。それも割と真面目に。そもそも、1960 年はじめに、息子
も娘も東京の大学に通わせることができるのは、選ばれた一家のみといえそうな気も
する。
『トンデモ本の世界R』 P.343
父と極めて似通った性格を持つ長男の一雄は、自分も宇宙人であると
認識した後、こう告白する。
「お父さん、僕は満員電車に揉まれていても、前のように腹が立ちませ
んね。僕はずっと高いところから、この人たちを瞰下しているように感じる
から。僕の目だけは澄み、僕の耳だけは天上の音楽を聴くことができると
思うから。この汗くさい奴らは何も知らないが、こいつらの運命は本当の
ところ、僕の腕ひとつにかかっているんだものな」(二三ページ)
糸のように細いプライドでかろうじて自分を律しながらも、それを世間との
摩擦の中でスリ切れさせてしまっている現代の若者が、オカルトや新興宗教
に走る動機は、この一雄の尊大な告白の中に全て言い表されているのでは
ないだろうか。
唐沢俊一のこの文章を読んだときは、厳しい仕事にあくせくしている若手サラリーマン
みたいな印象だったけど、実際に『美しい本』を読んでみたら、東京の大学に通う学生
で、女たらしだと近所でも評判の若者なんだもんなあ。ガールフレンド多数でとっかえ
ひっかえ。
この一雄のような野心家でまだ挫折をしらない学生と、「糸のように細いプライドでかろう
じて自分を律しながら」や「世間との摩擦の中でスリ切れさせてしまっている」などとは、
あまりつながらない。「満員電車に揉まれ」るくらいのストレスしか、日常的に感じないの
ではないかと思うくらいで。むしろ彼のケースは、傍から見ていてイケていて楽しそうな
若者でも、オカルトにハマることがあるのだなあ――という例だろう。
それに、「父と極めて似通った性格」をしているようには、この長男は描かれていない。
重一郎は、心優しく繊細な芸術家タイプで、雄一は野心と支配欲のある政治家志望で。
いや、まあ、どちらも三島由紀夫に似たところがあるとはいえるかもしれないけど。
とにかく、唐沢俊一が上で引用した、「こいつらの運命は本当のところ、僕の腕ひとつに
かかっているんだものな」との一雄の言葉の続く、以下の文が、2 人の性格の違いを
語っているかのように思う。
『美しい星』 P.13
> と一雄が朗らかに語ったとき、重一郎はさし迫った危険を感じた。もし一雄の心中を
>彼らが知ったら、彼らは決して恕さないだろう。そればかりか、俗習は彼を殺すだろう。
>「凡人らしく振舞うんだよ」と父親は懇ろにさとした。「いやが上にも凡庸らしく。それが
>人に優れた人間の義務でもあり、また、ただ一つの自衛の手段なのだ」
妬まれ慣れている人間の世間智の描写ととるべきか、『スラン』や『アトムの子ら』等の
黄金時代のSFが三島由紀夫にあたえた影響をみるべきかは、判断に迷うけれど。
『トンデモ本の世界R』 P.343
また、重一郎が三流雑誌の“趣味の友”欄に出した広告
◎に関心をお持ちの方、お便り下さい。相携えて世界平和のために
尽くしましょう。 (同。“◎”は空飛ぶ円盤を示す略画)
には、数年前に世間を騒がせたオカルト雑誌投稿欄の、前世少女たちの
投稿の原型のようなものを見ることができる。あれも、自分がどこにでもいる
平凡な人間であることに耐えられない思春期の少女たちが作り上げた、
幻影世界の自己増殖であった。
(上の引用の「◎」は、実際には、内側の円は黒く塗りつぶされている)。
×数年前 ○10 年以上前
『トンデモ本の世界R』 の初版 2001 年の時点で、「世間を騒がせたオカルト雑誌投稿
欄の、前世少女たち」というのは、10 年以上前のお話になっていた。
1988 年には、『ムー』が前世ネタお断りと言い出したとのことだし、ブームに大きな影響
を与えた『ぼくの地球を守って』の作者、日渡早紀が、「始めから最後まで、間違いなく
バリバリの日渡の頭の中だけで組み立てられているフィクションです」との手書きコメント
を単行本に載せたのが 1989 年のこと。確か、「あーっ、夢がないっ」とか嘆いてもいた。
そして、前世少女のインタビューを載せた別冊宝島のムック『いまどきの神サマ』が、
1990 年 7 月なのに対し、『トンデモ本の世界R』は 2001 年 10 月。
http://tiyu.to/permalink.cgi?file=n0703_sp1
>1986年末から、『花とゆめ』で「ぼくの地球を守って」という漫画の連載がスタート。
>作中で、前世の夢を見た主人公たちが、『ブー』という雑誌に「柊・秋海棠・紫苑・繻子
>蘭 心あたりあれば連絡下さい。こちら玉蘭・木蓮・槐です」と投稿。
〈略〉
>1988年
>・この時期以降、「ムー」は前世少女の投稿を載せなくなったので、前世少女たちは、
>別のオカルト雑誌に投稿するようになっていきました。
>
>※1989年の夏、自分たちが古代のお姫様「エリナ」「ミルシャー」の生まれ変わりだ
>と思った徳島の女の子たちが、意識不明になれば前世が見られると考えて、解熱剤
>を飲んで倒れました。
>※徳島の事件の影響か、1989年12月出版の「ぼくの地球を守って」の第8巻では、
>作者の日渡先生が、「『ぼくの地球を守って』というマンガは、始めから最後まで、間
>違いなくバリバリの日渡の頭の中だけで組み立てられているフィクションです」という
>コメントを出しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ぼくの地球を守って
>「ムー」誌面での読者の呼びかけは1987年前後の読者交流コーナーに、日渡による
>宣言はコミックス8巻(初版1989年12月)に見ることができるが、白泉社文庫版・ジェッ
>ツコミックス愛蔵版では編集上、「わずか1/4のたわごと」(雑誌掲載時は1話につき1
>〜2ページ、端に縦4分の1相当の広告スペースが入るが、コミックス収録の際に作者
>のコメント欄に差し替えられている)がイラストに差し替えられており、今では確認する
>ことが出来ない。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4796691146
>いまどきの神サマ―退屈な世紀末、人びとは何を祈る (別冊宝島 114) (単行本)
>単行本: 271ページ
>出版社: 宝島社 (1990/07)
それと、唐沢俊一は、『ムー』の PF (ペンフレンド) 募集欄と、意見を掲載する投稿欄を
混同しているかもしれないのが、少々気になったり。
この投稿欄もなかなか面白くて、「俺は天使だ」という投稿に、別の投稿者が反応して
あれこれ議論になったり、まあ男性もいろいろ活躍していたと。「ぼくの地球を守って」
より前にも前世がどうのこうのとかいう話は確かあって (というか、それを見た日渡早紀
が漫画に使った)、「光の天使」とかは多分『幻魔大戦』からの流れなんで、前世少年も
そこそこいたはず。
その他参考 URL:
- http://tiyu.to/news/07_03_07.html
『トンデモ本の世界R』 P.344
この小説の中では、長女の暁子が、自分を金星人と思い込むことにより、
その脆いアイテンティティを保持しようとする少女として描かれる。やがて
彼女の自我防衛努力は、自分も金星人だと名乗る男に肉体を弄ばれ、
妊娠することで徹底的に裏切られるのだが。
唐沢俊一が「どこにでもいる平凡な人間であることに耐えられない思春期の少女たち」
だの、「脆いアイテンティティを保持」だの、「自我防衛努力」だの書くので、この暁子が
「美しい娘」「美人」とか繰り返し書かれているのは叙述トリックで、実は……というオチ
まで期待 (?) してしまったが、そんなこともなかったぜ、と。
また、唐沢俊一が、「彼女の自我防衛努力は〈略〉徹底的に裏切られるのだが」とか
書いているので、妊娠によっていやおうなく自分が「どこにでもいる平凡な人間である」
と認めることになるのか、発狂または退行の方向にいくのかと想像したりしたけど、
そんなことでもなかったぞ、と。
暁子は、相手の男は金星に帰ってしまったと嘘をついた父、重一郎にこう語る。
『美しい星』 P.276
> 虚偽の矢が、自分の誰よりも愛した恋人から放たれ、又その上に、自分のたった
>一人のお父様から放たれては、私はどうやって身を衛ったらいいのかわかりません。
〈略〉
> 宇宙人は真実に仮面をかぶさなければ真実の顔をおそろしくてみられないほど弱い
>生物ではありません。私たちは人間とちがって、真実を餌にして夢を見ることもできる
>んだわ、そうではなくて? 私たちの夢はむしろ虚偽とは反対物なのですわ。そうでは
>なくて? いたわりの嘘の中に一瞬間でも生きることは、自分の夢を蝕むことになるん
>だわ。それが怖ろしい結果を惹き起す、怖ろしい結果を。私たちは人間になってしまう
>のです」
『美しい星』 P.278
>「暁子、負けたよ。真実はこうだ。あの男は地球人の女たらしだった。そしてお前の
>陶酔に乗じて、お前に子供を授けて、逃げ出したのだ」
> 重一郎はこれをきいた娘が、一瞬、めり込む程に強(きつ)く目を閉じるのを見た。
>彼は次に暁子がめをひらく刹那が怖かった。
> しかし目をひらいた暁子の口辺には、夜明けの光りのような微笑があって、彼女が
>はや、一瞬のうちに、何ものかを乗り越えたのが感じられた。
>「ふしぎな感じがしたわ。少し揺れたわ。でももう大丈夫。妙なことに、今、私は一等
>最初からそれを知っていたような気がしているの。きっと私はそれを知っていたんだ
>わ。あの人はただ、私のために触媒のような作用をするために招かれたんだわ。
>地球にいて金星の子を生むためには、あの睡い蜜蜂の唸りのうちに花園の上をさま
>よう嘘つきの微風のような、地球人の助力が要ったんだわ。それだけでいいの。……
>もう私は二度とあの人のことを考えないですむでしょう」
ええと、一種の選民意識にしても、ここまで気合いの入ったものをもつことができるなら、
「どこにでもいる平凡な人間であることに耐えられない」と悩む必要はあまりないような
気がする。「どこにでもいる平凡な人間」にはできそうもないもの、これ。それとも前世
少女には、こういうタイプが多かったのかなあ。“現実”をつきつけられて落ち込むか、
やはり相手は金星人だったとか処女懐胎だとか、さらに虚偽に逃げ込むのが、オカルト
にハマる平凡な人間のパターンじゃないかと思うのは、紋切り型にすぎる発想だろうか。
まあ、唐沢俊一の語ったイメージそのものの「オカルト信者の心理パターン」もまた、
『美しい星』には登場するので、それを期待して読んだとしても安心 (?) ではある。
白鳥座六十一番星からきたという三人組が結構そのパターンで、特に、容貌にめぐま
れてなくてモテない栗田あたりが一番近いのではないかと。劣等意識や嫉妬や「心の
底で、自分の持つ能力が果して衆に抜きん出るものであるかということに深刻な疑問」
については三人ともなかなかだが、助教授の羽黒は一応インテリだし、床屋の曽根は
妻や子どもへの愛はあるので。
2009.10.25 (Sun)
特定商取引法に基づく表記の住所表示は私書箱ではダメ――これ豆知識な
以下のエントリーを参照のこと。まあ、あまり参考にならないかもしれないけど。
・笑えばいいと思うよ < あたしに言わないでよ!きーーーー!
・と学会って……何だったんだろうとガッカり
何か、「そういや志水一夫の蔵書処分は終わったのか?」という話 (Read More および
「魔境はあなたの心のなかに……」参照) から、蔵書処理のイベントの話、そしてなぜか
出版評論社の住所が「立川から吉祥寺に引っ越し」という話になって、さらにその住所は
「私書箱会社の私書箱じゃん!」という方向に話が転がっていってしまったという……。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1256218698/
>314 :無名草子さん:2009/10/24(土) 22:04:44
>>>309
>そうですよね。
>出版評論社さんは立川から吉祥寺に引っ越したんですね。
>新しい家は立派なビルのようです。
>いよいよ都心に進出でしょうか。
>不況不況といわれる時代に規模拡大ってうらやましいな。
>
>321 :無名草子さん:2009/10/24(土) 22:52:08
>吉祥寺?
>ああ、これか?
>http://bestseller.jp/?mode=sk
>このサイトで疑問なんだけど、なんで住所だけ"画像"で貼り付けてあるの?
>こういうのって検索に引っかかりたくない人の常套手段だよね?
>
>322 :無名草子さん:2009/10/24(土) 22:57:08
>>>321
>このショッピングカートサービスの標準のサービスだから>住所の画像化
>
>意図は推測の通りだと思う。
〈略〉
>329 :無名草子さん:2009/10/25(日) 00:10:32
〈略〉
>その出版評論社の住所なんだけど、私書箱会社の私書箱じゃん!
>
>日本総合私書箱センター
>http://www.j-shisyobako.com/
>
>住所とか掲載されてないのに検索に引っかかったからおかしいと思ったけど、
>よく調べたらページの下のほうに、白地に白文字で住所が記載されている!
>(つまり見えない)
で、以下が、同人誌等の通販をやっている「出版評論社@Web」の「特定商取引法に
基づく表記」。
http://bestseller.shop-pro.jp/?mode=sk
>特定商取引法に基づく表記
>販売業者 出版評論社 大内明日香
>運営統括責任者名 出版評論社 大内明日香
>郵便番号 180-0004
>住所 東京都武蔵野市吉祥寺本町2-6-8 ムサシビルディング401号室
>商品代金以外の料金の説明 送料は、購入金額にかかわらず全国一律500円となり
>ます。 代金引換をご利用の場合は決済手数料として460円いただきます。 コンビニ
>決済をご利用の場合は決済手数料として200円いただきます。
http://s04.megalodon.jp/2009-1025-1309-23/bestseller.shop-pro.jp/?mode=sk
住所の部分は画像 (http://s04.megalodon.jp/contents/6667396) になっていたので
手入力した。
そして、わけがわからないのが、この私書箱会社。
http://www.j-shisyobako.com/
>警察庁が犯罪に関与した私設私書箱等の住所を公表しました。
>当然弊社の私書箱はこのリストに入っておりませんので、ご安心下さい。
>これによって一般の私書箱利用のお客様も信用が下がってしまうかと思います。
>これを機に弊社私書箱をご検討いただいてはいかがでしょうか?
〈略〉
>※日本総合私書箱センターでは、インターネット上では住所を一切表示していません。
>(運営会社住所は記載しております)その理由は、お客様が御利用の御住所がイン
>ターネットからの検索により、日本総合私書箱センターのものだと、知られてしまうの
>を防ぐためです。
http://s03.megalodon.jp/2009-1024-1358-42/www.j-shisyobako.com/
「住所を一切表示していません。」、だけど、「よく調べたらページの下のほうに、白地に
白文字で住所が記載されている!」というのは、HTML ソースで参照すると、以下のよう
になっている部分のこと。
<span class="style18">東京都武蔵野市吉祥寺本町2-6-8第三武蔵野ビル 4F</span></strong></span><br>
ちなみに、この会社、http://www.j-shisyobako.com/tokusho.html (魚拓) の、特定商
取引法表記は画像 (http://www.j-shisyobako.com/gazou/tokusho.gif) にしている。
特定商取引法表記の方の住所は、「東京都武蔵野市吉祥寺本町2-6-8 4F」……。
さらに、この日本総合私書箱センターの料金プランのところには、以下のようなことも
書かれている。
http://www.j-shisyobako.com/service2.html
>・個人名義でも通販などのご商売でご利用の場合やサークル(個人名義以外)での
> ご利用の場合は、ビジネスプランになります。
では、個人事業者の通販サイトでは、住所の表示は私書箱のものでオッケーかという
と……経済産業省のページによると、それはダメってことになっていて。
http://www.meti.go.jp/policy/consumer/tokushoho/gaiyou/tsuuhan_koukoku_qa.htm
>Q12:私は個人事業者ですが、住所を表示しなくてはいけないのでしょうか。
>A12:住所については、現に活動している住所について、省略せずに(例えば部屋番
>号まで)表示することが必要です。個人事業者についても、事業所の所在地を住所と
>して表示する必要があります。個人が自宅で 事業活動を行っているのであれば、自
>宅の住所を表示する必要があります。
>Q13:住所表示については、①登記簿・住民票記載の住所や②実際に活動している
>住所を表示する必要があるとされていますが、郵便により連絡をとることが可能な私
>書箱表示でもよいでしょうか。
>A13:本法での「住所」とは、会社の場合は本店の所在地など、営業上の活動の拠
>点となる場所を指すものです。私書箱を表示しても、このような場所を表示したことに
>はならないので、「住所」の表示をしたことにはなりません。
そういえば唐沢俊一の実家の薬局では、「薬剤師による診断行為は薬剤師法違反!?」に
引っかかっりそうなことをやっていたり (ここのコメント欄参照のこと)、何か法的にグレー
なことをしている人が唐沢俊一周辺に多いみたいな。
2009.10.25 (Sun)
日本空飛ぶ円盤研究会 (JFSA) と宇宙友好協会 (CBA) とは別団体――これ豆知識な
参照し、その流れで『奇人怪人偏愛記』の該当部分を見てみて、あれっと思った箇所。
『奇人怪人偏愛記』 P.214
「日本におけるUFO研究団体の中で、最も古いものとされている」、「日本最初の研究冒頭に出てくるCBAという団体こそ、日本UFO研究史に大きな足跡を
残しながら、その存在をむしろ汚点のように記憶されている団体である。
その正式名称を『宇宙友好協会』という。CBAは英語名“コスミック・ブラ
ザーフッド・アソシエーション”の略である。設立は一九五七年。日本におけ
るUFO研究団体の中で、最も古いものとされている。しかし、その日本最初
の研究団体は、設立後数年にしてカルトUFO教団と変容した。もちろん、
そういう団体としても日本最初の栄誉(?)は有している。
団体」というのは、CBA こと『宇宙友好協会』ではない。1955 年に設立された「日本空
飛ぶ円盤研究会」(JFSA)が「日本最初のUFO研究団体」である。
「『美しい星』の美しさから目をふさいでいるみたいな唐沢俊一 (2)」で書いたことの繰り
返しになるが、http://www.asahi-net.or.jp/~ve3m-snd/shindo/essay/cba.html という
ページは、唐沢俊一著『新・UFO入門』および『奇人怪人偏愛記』のパクリ元といわれて
いる。
で、パクリだ盗用だとまではいえないが、最初に引用した唐沢俊一の文章の下敷きに
なったのではないかと思われる以下の文章も、このページの中にある。
http://www.asahi-net.or.jp/~ve3m-snd/shindo/essay/cba.html
> CBA……。その名はUFO関係者の間に古傷のように記憶されている。昔からの
>UFO研究者には、CBAか、と吐き捨てるように言う者が多い。逆に少数だが、CBA
>の活動を絶賛する声もある。反応にこれだけの差があることからも、彼らが当時の
>UFO関係者にいかに強烈なインパクトを与えたかがわかる。
> CBAの正式名称は「宇宙友好協会」(コスミック・ブラザーフッド・アソシエーション)
>といい、一九五七年に設立された日本でも最も早いUFO研究団体のひとつである。
>しかしCBAの名が記憶されているのは、単なる研究団体としてではない。大洪水に
>よる地球滅亡と宇宙連合による救済を唱える擬似宗教団体、すなわちUFO教団とし
>てである。
ここに書かれている「最も早いUFO研究団体のひとつ」――これは何も間違っていない――
を、唐沢俊一は「最も古いものとされている」と間違った言い換えをして、自分自身のミス
にひきずられたような格好で、「その日本最初の研究団体」だの、「そういう団体としても
日本最初の栄誉」だのと、やってしまった模様。
このページの該当個所の数段落上、「CBA誕生」という小見出しのすぐ下には、ちゃんと
以下のように書かれているのに……。
http://www.asahi-net.or.jp/~ve3m-snd/shindo/essay/cba.html
> 一九五五年、荒井欣一によって日本最初のUFO研究団体「日本空飛ぶ円盤研究
>会」(JFSA)が設立された。氏はその最初期からメンバーに名を連ね、理論面を中心
>に活発な活動を展開した。その後、UFO研究仲間だった星新一らを誘って創刊したの
>が、日本最初のSF同人誌『宇宙塵』となるわけである。
さらに、「あーあ」と思うのは、こちらにも引用した通り、『トンデモ本の世界R』の中で唐沢
俊一は、「一九五五年に結成された『日本空飛ぶ円盤研究会』(代表荒井欣一)」とか
書いているのだ。
『トンデモ本の世界R』 P.341
要するに三島はこの作品を書くにあたり、当時の日本の文化人の間にかな
りの程度蔓延していた“空飛ぶ円盤シンドローム”に興味を持ち、また自らも
ハマっていたようなのである。彼は一九五五年に結成された『日本空飛ぶ円盤
研究会』(代表荒井欣一)の、創設時からのメンバーとして石原慎太郎、黛敏郎
などと共に名を連ねているし(三人ともその後右寄り的論客として世間で有名
になったのは一奇だけれども)、作家の北村小松と共に、自宅の屋根に上って
再三ならず、円盤観測を試みていたという。
それだけではなく、ここ↓にも……。
http://moura.jp/liter/toukouran/034/index.html
「天文台へ随分報告があるが、観測したという事実を認めてもそれを“空飛ぶ
円盤だ”というのは天文学者に言わせると全くナンセンスだという」 と、この
記事はまとめられている。これに噛みついたのが、1955年に設立された、
日本UFO研究団体の先駆けである『日本空飛ぶ円盤研究会』の面々だった
わけである。
2001 年の『トンデモ本の世界R』、2007 年の Web 連載には一応正しいことを書いてい
るけど、2006 年の『奇人怪人偏愛記』では……。唐沢俊一は、三島由紀夫もメンバー
だったという「日本空飛ぶ円盤研究会」 (JFSA) と、のちにトンデモカルトと化した「宇宙
友好協会」 (CBA) の区別がついているのか少々不安になったりもする。
その他参考 URL:
- http://www5e.biglobe.ne.jp/~ufo-kn/65458928/
- http://www5e.biglobe.ne.jp/~ufo-kn/37128925/
- http://www5e.biglobe.ne.jp/~ufo-kn/20829845/
2009.10.25 (Sun)
「美しい星」の美しさから目をふさいでいるみたいな唐沢俊一 (2)
唐沢俊一が、『トンデモ本の世界R』に書いた、三島由紀夫『美しい星』についての文章
について。表題は、「作家が描いたオカルト信者の心理パターン」。
『トンデモ本の世界R』 P.341 〜 P.342
作中に登場する円盤と宇宙人に関する理論は、その当時の“円盤業界”に
おける多くの理論を借用したものであり、メン・イン・ブラックを連想させる
三人の宇宙人と主人公との論争も、そのころ、世界平和問題を宇宙人と
からめて語っていたCBA(宇宙友好協会)の主張のパロディ的な性質を
有している。三島自身は、この作品に着手するまでに、円盤や宇宙人を
頭から信じ込むという状態からは一歩退いていたけれども、しかし、これは
モデル小説に近いまでに、一九六二年の作品発表時あたりの日本の空
飛ぶ円盤事情に通じていないと理解できない部分を持つ、ジャーナリス
ティックな作品なのだ。
にも関わらず、SFですら純文学の世界に持ち込むことをタブー視する
文壇が、空飛ぶ円盤などというさらにアヤシゲなものを天下の三島由紀夫
が書いた、ということを認めたがるわけがない。前記の奥野健男による新潮
文庫の解説は、空飛ぶ円盤のようなゲテものを三島が作中に持ち込んだ
のは、そのテーマを些末な現実から超越させて核心に迫らせる手段として、
だったのだ、とコジツケている。そして、三島自身、トラジ・コミック(悲喜劇)
の味をねらったと告白しているその論争場面に“手に汗を握るような迫力が
ある”と感動し、
ぼくは現代の小説でこれほど精神的な興奮をおぼえ、感銘を受けた
作品を知らない(二九八ページ)
と言い切ってしまっている。これこそトラジ・コミックそのものではないか。
奥野の無知と偏見については、すでに一九七六年に、ジャーナリストの
中園典明が雑誌『地球ロマン』(絃映社)の『総特集・天空人嗜好』の中で
フンガイしているが、別にこの項は、純文学畑のSF軽視を糾弾するのが
目的ではない。
唐沢俊一は、「奥野の無知と偏見」と言い切ってしまっている。
「別にこの項は、純文学畑のSF軽視を糾弾するのが目的ではない」っていわれても
なあ……上に引用の記述までで、この項の 4 ページあまりを使っていて、唐沢俊一が
表題にしている「作家が描いたオカルト信者の心理パターン」については、残り 2 ページ
半の記述にとどまっているのが、微妙にトンデモないというか、奥野健男の糾弾に向ける
エネルギーのすごさを感じるというか。
さて、前のエントリーでも引用したが、奥野健男の解説には以下のように書かれている。
『美しい星』 解説 P.296
>ところが、この作品を書く一年ぐらい前から、作者は北村小松氏などに影響されたの
>か、空飛ぶ円盤について、異常なほどの興味を示し、円盤観測の会合にも参加したり
>していた。今考えると、それは『美しい星』を書くための準備であったのだろう。谷崎潤
>一郎の『春琴抄』などがその典型であるように、小説家が身魂をこめてひとつの作品
>を書くとき、他人の目からはたとえ異常に見えようとも、その世界に溶け込み夢中にな
>らなくてはならない。三島もある時期、空飛ぶ円盤に憑かれていた。その実在を心か
>ら信じこんでいるようであった。と同時に小説家の目でそういう自分や円盤マニアの生
>態を冷静に観察していたのだろう。
唐沢俊一は、上記の説明を読んでもまったく頭に入れることができなかったのか、この
ような説明ではまだまだ不十分だと主張したいのか。……唐沢俊一のことだから、前者
の可能性は決して低くないものの、このエントリーでは後者と仮定して話をしてみる。
ただし、その前に、唐沢俊一の書いていることの、おかしな部分は指摘しておきたい。
「純文学畑のSF軽視」はともかく、「SFですら純文学の世界に持ち込むことをタブー視
する文壇」というのは、唐沢俊一の脳内にのみ存在する文壇といってよいだろう。
たとえば、もし本当にSFを「純文学の世界に持ち込むことをタブー視」しているのなら、
筒井康隆の「泉鏡花文学賞受賞」、「谷崎潤一郎賞受賞」、「川端康成文学賞受賞」は
なぜ可能だったのかと。まあ唐沢俊一の定義では、『虚人たち』、 『夢の木坂分岐点』、
『ヨッパ谷への降下』といった作品は、どれもこれもSFではないのかもしれないけれど。
参考ガセビア:
・筒井康隆の「人生後半」って何年から開始?
また、唐沢俊一は、まるで奥野健男が「空飛ぶ円盤のようなゲテもの」と解説に書いた
ような紹介をしているが、奥野健男は、空飛ぶ円盤のことを、「ゲテもの」とも「アヤシゲ
なもの」とも書いていない。これらは唐沢俊一自身の発した言葉でしかない。奥野健男の
表現で一番それに近いのは、下記の引用中の「いわばいかがわしいもの」だ。そして、
それは、奥野健男自身が円盤を「いかがわしいもの」と断じる意思表明ではない。
『美しい星』 解説 P.297
> さてぼくが『美しい星』を読んで大丈夫なのかと心配したのは、純文学の世界に、
>宇宙人とか、空飛ぶ円盤とか、いわばいかがわしいものを持ち込んだことについて
>である。明治以来の近代日本文学は、きわめて真面目であり、日常的であり、リアリ
>ズムしか信用しない伝統がある。この世にあらぬものが書かれているだけで、そっぽ
>を向き、信用しない風潮がある。奔放な空想、荒唐無稽なことが体質的に嫌いなので
>ある。もちろんはじめから戯画的、風刺的に、譬え話として書くのなら多分許される
>だろう。ところが作者は、大真面目な姿勢で円盤とか、宇宙人とかを小説の世界に
>持ち込んだのである。これではその上にいかに完璧な美的宇宙をつくりあげても、
>まっとうな純文学としては認められないのではないか、そういう危惧を抱いたのである。
奥野健男は気の毒なことに、唐沢俊一には「空飛ぶ円盤などというさらにアヤシゲな
ものを天下の三島由紀夫が書いた、ということを認めたがるわけがない」文壇の代表例
のような扱いをされているが、上に引用した文章だけみても、唐沢俊一の書いていること
は何か変だとわかるだろう。奥野健男は、「ところが作者は、大真面目な姿勢で円盤か、
宇宙人とかを小説の世界に持ち込んだのである」と明言している。「認めたがるわけが
ない」どころではない。
その奥野は、他人には「まっとうな純文学としては認められないのではないか」と「危惧
を抱いた」と書く一方、しかし、そのような心配は、連載が進むにつれて、「完全に忘れて
しまった」とも書いているのだ。
『美しい星』 解説 P.298
> ぼくは『美しい星』の連載が進むにつれて、この作品の世界にひきこまれ、夢中に
>なり、はじめ抱いた抵抗や不安など完全に忘れてしまった。高橋義孝氏が「最も困難
>な現実と反現実の熔接に成功している」とこの作品を評しているが、その通りであり、
>宇宙人という設定にひとつも違和感をおぼえなくなる。
そして唐沢俊一のいう「コジツケ」、つまり「空飛ぶ円盤のようなゲテものを三島が作中に
持ち込んだのは、そのテーマを些末な現実から超越させて核心に迫らせる手段として、
だったのだ」というようなことは、実際には以下のように述べられている。
『美しい星』 解説 P.298
>ぼくは現代の小説でこれほど精神的な興奮をおぼえ、感銘を受けた作品を知らない。
>特に大杉重一郎と、白鳥座第六十一番星の未知の惑星から来たという羽黒一派の宇
>宙人たちとの、人類の運命に関する論争の場面は、手に汗を握るような迫力がある。
>ぼくはドフトエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の章を思い浮かべた。
>ここで作者は核兵器という人類を滅亡させる最終兵器を自らの手でつくり出した現代
>という状況をふまえて、人類の存在の根源を問おうとしているのだ。それは地球人の
>生存と滅亡を賭けた大法廷である。この問答は、現代人に適 (ふさ) わしく、意識的に
>軽佻化され、戯画化された言葉が用いられているが、その内容は厳しく、重い。ドフト
>エフスキーの「大審問官」の問答に匹敵する人類の根源的なテーマが展開されている
>のだ。
> どうして今までこのような重要なテーマが、小説において真正面から扱われたことが
>なかったのだろう。現代の文学者なら、必ず逢着せざるを得ぬ最重要なテーマではな
>いか。だが余りに大きなテーマである故、志しながら文学者たちは、それと対決する決
>心がつかなかったのであろう。また従来のリアリズム中心の小説作法では、このよう
>な問題を表現することは困難だ。書こうとしても現代の複雑な政治、社会状況に足を
>すくわれ、泥沼の中に埋没してしまう。そこから人類の根源的なテーマを抽出すること
>ができなくなる。余りにスコラ的な現実の中にがんじがらめになり、究極のテーマを見
>失ってしまう。
> ところが三島由紀夫は、現実の泥沼をとび超え、いきなり問題の核心をつかむ画期
>的な方法を発見したのだ。それが『美しい星』の空飛ぶ円盤であり、宇宙人である。つ
>まり地球の外に、地球を動かす梃子の支点を設定したのだ。宇宙人の目により、地球
>人類の状況を大局的に観察し得る仕組を得た。人間を地球に住む人類として客観的
>に眺めることができる。そこから自由に奔放に地球人の運命を論じることができる。こ
>れはまさにコロンブスの卵と言えよう。書かれてみると、今まで誰も気付かなかったこ
>とが不思議にさえ思えるが、事実は誰もが三島由紀夫より前に行う先見の明と大胆さ
>を持ちあわせていなかったのだ。
「空飛ぶ円盤のようなゲテもの」というニュアンスは、奥野健男の解説の中にはない。
上の引用からは、唐沢俊一が批判している「三島自身、トラジ・コミック(悲喜劇)の味を
ねらったと告白しているその論争場面に“手に汗を握るような迫力がある”と感動」という
のも、奥野健男は「意識的に軽佻化され、戯画化された言葉が用いられている」と、先刻
承知ではないかというのもみてとれる。
「三島自身、トラジ・コミック(悲喜劇)の味をねらったと告白している」、そして、『トンデモ
本の世界R』 P.339 の「作者自身が、登場人物たちが自分の手にあまる問題について
“無理に背伸びをした論争”をしていることを悲喜劇的に示唆しようと意図している」という
のは、本当に三島由紀夫がそういっていたとしても (未確認です、すみません)、それを
もって、「“手に汗を握るような迫力がある”と感動」、「精神的な興奮をおぼえ、感銘を受
けた」ことを一方的に批判できるものではない。それも奥野健男のいう「意識的に軽佻化
され、戯画化された」の部分を伏せて、無知が原因の誤謬のように決めつけてすませよ
うとする姿勢は、決して褒められたものではない。
まあ、個人的には、この奥野健男の書いていることも、どうかなあと思わないでもない。
「地球の外に、地球を動かす梃子の支点を設定」、「地球人類の状況を大局的に観察し
得る仕組」、「人間を地球に住む人類として客観的に眺めることができる。そこから自由
に奔放に地球人の運命を論じる」ことを、「コロンブスの卵」であり、三島由紀夫による
「画期的な方法」であって、それ以前の「文学者たちは、それと対決する決心がつかな
かったのであろう」というのは、奥野健男の目には、SF作家たちは、「それと対決する」
「文学者たち」としてうつっていなかったのかなあ……と寂しい気がするため。
なので、唐沢俊一が、そのような線で「純文学畑のSF軽視を糾弾」していたのならば、
少なくとも心情的にはかなり同意できたはずなのだが……唐沢俊一にかかると、「些末
な現実から超越させて核心に迫らせる手段として、だったのだ、とコジツケ」ということに
されてしまっているので、寂しさはいや増すばかり。唐沢俊一に「コジツケ」と片づけられ
ている「現実の泥沼をとび超え、いきなり問題の核心をつかむ」「人類の状況を大局的に
観察し得る仕組」こそが、SFの大きな魅力のひとつと思うのに。
それから、「メン・イン・ブラックを連想させる三人の宇宙人」と唐沢俊一は書いている
が、これも少々首をひねる表現ではある。
「白鳥座第六十一番星の未知の惑星から来たという羽黒一派の宇宙人たち」三人は、
論争のために大杉重一郎宅を訪問するが、彼らは別に、黒い服、黒い帽子、黒い眼鏡を
身につけているように作中で語られているわけではない。まあ、車は黒で、三人のうちの
一人は羽黒という名で (後の二人は曽根と栗田)、黒幕 (?) の名前は黒木というけど。
そして彼らの目的は、「『未確認飛行物体や宇宙人の目撃を他言しないように』との警告
や脅迫」ではなかったし、そのようなことはいっさいおこなわなかった。下の Wikipedia で
いう「写真を撮影したり、家の近くをうろつきまわる」こともしない。自称宇宙人とはいえ、
三人とも「人間が日常生活において通常ついているはずの知識」は充分そなえている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/メン・イン・ブラック
>メン・イン・ブラック(Men in Black、MIB、黒衣の男、ブラックメン)は、UFOや宇宙人な
>どの目撃者・研究者の前に現れ、警告や脅迫を与えたりさまざまな圧力や妨害を行う
>謎の存在とされ、実在するしないに関わらず、その存在自体が一種の都市伝説や陰
>謀論となっている。
〈略〉
>外見
>報告によって詳細は異なるが、多くの証言では、未確認飛行物体や宇宙人を目撃し
>た後に、目撃者の家や職場に黒スーツ、黒いソフト帽、黒レンズのサングラスを着用
>し、キャデラックやビュイックなどの黒塗りの大型セダンに乗って2人あるいは3人組で
>訪れ、「未確認飛行物体や宇宙人の目撃を他言しないように」との警告や脅迫を行っ
>たり、脅迫のためか目撃者の家の写真を撮影したり、家の近くをうろつきまわるとされ
>る。
〈略〉
>また、「エネルギーが切れる」と言って立ち去る、機械的な直線的な歩き方しか行えな
>かったり、目撃者の家において出された飲み物のストローや、デザートのスプーンの使
>い方がわからないなど、人間が日常生活において通常ついているはずの知識が欠如
>していることが多いため、「地球人の格好をした宇宙人ではないか」と言われることも
>ある。
さて、唐沢俊一は、『美しい星』は、「一九六二年の作品発表時あたりの日本の空飛ぶ
円盤事情に通じていないと理解できない部分を持つ、ジャーナリスティックな作品」だと
主張する。
しかし、そうだとしても、唐沢俊一の「作中に登場する円盤と宇宙人に関する理論は、
その当時の“円盤業界”における多くの理論を借用」、「三人の宇宙人と主人公との論
争も、そのころ、世界平和問題を宇宙人とからめて語っていたCBA(宇宙友好協会)の
主張のパロディ的な性質を有している」という説明だけでは、何だかよくわからない。
唐沢俊一によれば、「雑誌『地球ロマン』(絃映社)の『総特集・天空人嗜好』の中で」、
「ジャーナリストの中園典明」が、「奥野の無知と偏見について」「フンガイ」していたとの
こと。ググって調べてみたら、1976 年 10 月号の『地球ロマン』では、CBA についての
詳細が語られ、「このCBAを小説の題材に取り上げたのが三島であり,その作品が
『美しい星』だった」ことが語られているらしい。そしてその号には、「【対談】日本円盤
運動の光と影」と題した、荒俣宏 (団精二名義) と堂本昭彦と中園典明との座談会が
あったと。
http://www42.atwiki.jp/aryamatakoryamata/pages/131.html
>1976年10月号(復刊No.2) 1976.10 【特集】天空人嗜好 【対談】日本円盤運動
>の光と影(×堂本昭彦×中園典明) P122
http://www.t3.rim.or.jp/~yoshimi-/nenp/197000a.html
>76.10. 書籍(雑誌)絃映社
>堂本正樹*、中園典明/対談「座談会 日本円盤運動の光と影」
>※団精二/名義、*)次号で堂本昭彦氏と訂正
>(地球ロマン 復刊2号 p.122- 134 総特集/天空人嗜好)
http://noraya51.hp.infoseek.co.jp/SakuinIcon/0601.html
> 「天空人嗜好」のなかに,“ドキュメント・CBA”と題する宇宙友好協会の1959年から
>67年までの活動史がまとめられている。(ハヨピラとかチプサンとかその他もろもろ)
>ここだけこのまま復刊しても十分に面白い内容で,曰く
>
> 「少なくとも一九六一年の以降CBA(中略)は単なる円盤研究団体ではなかった。
>宇宙連合のブラザーとコンタクトしている松村雄亮氏を頂点にいただくCBAこそは,
>宇宙連合の地球上における唯一絶対の代理機関であり,新時代建設の前衛であると
>いう途方もない主張が,相当数の平凡な一般市民に受け入れられていたのみならず,
>彼等を他の円盤研究団体,宗教団体,はては教育機関との抗争にかりたて,ハヨ
>ピラののピラミッド建設へと動員しえたのは何故なのか?(後略)」
> 「地球ロマン復刊2号」p.154,1976
>
> という案配なのだ。
> で,このCBAを小説の題材に取り上げたのが三島であり,その作品が『美しい星』
>だった。(と,たぶん佐野洋の『赤外音楽』もそうかもしれないが)そうした理由で読ん
>だところ,これがまさにCBAそのもの。三島の小説で後にも先にも,この小説ほどあっ
>という間に読み終えてしまったものはない。
〈略〉
> で,もってきたついでに「地球ロマン」復刊2号を読んでいたところ,信じるも何も,見
>事なスタンスでテーマを扱っているものだ。「天空人嗜好」には,堂本正樹・団精二
>(荒俣宏)・中園典明の座談会「日本円盤運動の光と影」でシニカルにとらえながら,
>一方で,ここで俎上に載せられた高坂剋魅(克巳)が第三回国際古代宇宙会議の模
>様をレポートした原稿を併せて掲載。さらに山梨の精神科医らしき筆者・遠藤淳による
>「宇宙から来た男――臨床記録」,前世は天王星の指導者・鷲雄善山(彼の地では
>“ワシュー”との愛称で呼ばれ,彼のためにたくさんの讃歌が作曲されたとか)の天王
>星訪問記など,面白いの何の。
ここまでで何とか、「三人の宇宙人と主人公との論争も、そのころ、世界平和問題を宇宙
人とからめて語っていたCBA(宇宙友好協会)の主張のパロディ的な性質を有している」
――と唐沢俊一に語らせたネタ元の存在とその経緯はわかった気がする。
しかし、唐沢俊一が「日本の空飛ぶ円盤事情に通じていないと理解できない部分」が
あるといい、「奥野の無知と偏見」を非難する理由は、やはりよくわからない。「作中に
登場する円盤と宇宙人に関する理論は、その当時の“円盤業界”における多くの理論を
借用」、「論争も、そのころ、世界平和問題を宇宙人とからめて語っていたCBA(宇宙友
好協会)の主張のパロディ的な性質を有している」などとは、解説で特に言及していない
ことが、そんな非難されるような「無知と偏見」の結果だとでもいうのだろうか。
たとえそうだとしても、唐沢俊一の不親切な説明だけを見てもしょうがない――「理論を
借用」、「パロディ的な性質」というのをとことん重視して、それにふれないのはとにかく
ダメということにするなら別だが――検索では、「六〇年代のハルマゲドン −UFO教団
CBAの興亡―」のページもヒットしたので、それを改めて参照してみるテスト。
http://www.asahi-net.or.jp/~ve3m-snd/shindo/essay/cba.html
> この方面の資料としては一九七〇年代の伝説的雑誌『地球ロマン』(絃映社)に載っ
>た詳細なレポートが有名である。
このページは、唐沢俊一著『新・UFO入門』および『奇人怪人偏愛記』のパクリ元といわ
れていて、新戸雅章著『歴史を変えた偽書』 (1996 年) 所収論稿の加筆修正版である。
参考 URL:
- http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/52.html
- http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/55.html
- http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10788&pg=20070808
- http://blog.goo.ne.jp/tesla1856/e/18f00fbae97c8256df0f508db9b53ec7
- http://d.hatena.ne.jp/sfx76077/20091019/1255948187
http://www.asahi-net.or.jp/~ve3m-snd/shindo/essay/cba.html
> CBA……。その名はUFO関係者の間に古傷のように記憶されている。昔からの
>UFO研究者には、CBAか、と吐き捨てるように言う者が多い。逆に少数だが、CBA
>の活動を絶賛する声もある。反応にこれだけの差があることからも、彼らが当時の
>UFO関係者にいかに強烈なインパクトを与えたかがわかる。
> CBAの正式名称は「宇宙友好協会」(コスミック・ブラザーフッド・アソシエーション)
>といい、一九五七年に設立された日本でも最も早いUFO研究団体のひとつである。
>しかしCBAの名が記憶されているのは、単なる研究団体としてではない。大洪水に
>よる地球滅亡と宇宙連合による救済を唱える擬似宗教団体、すなわちUFO教団とし
>てである。
〈略〉
> 初期の活動は際立って過激ということはなかったが、会誌に勇ましいスローガンを
>並べたり、政財界や文化人を取り込もうとしたりと、のちの騒動を予見させるものも
>あった。彼らの活動が急激に尖鋭化するのは、一九五九年半ば頃からである。のちに
>代表となる松村雄亮が異星人とのテレパシー・コンタクトや会見などを主張し始め、
>のちの「『地軸は傾く』騒動」の下地がつくられていく。
〈略〉
>傑作なのは、CBAから会員に出されたという、のこぎりや薪割りを用意しろという指令
>である。円盤が松の木に降りる時に邪魔になるから、それで切れというのである。
> 余りの反響の大きさにさすがのCBAも腰が引けたか、六〇年三月に騒動を幕引き
>するかたちで、久保田八郎を代表に新体制が発足した。その後、会内のボード派(西
>洋コックリさんを信じる一派)との権力闘争などもあったが、最終的に松村体制に落ち
>着く。
これを読むと、確かに『美しい星』の大杉重一郎が試みていたのは、「テレパシー・コンタ
クト」といえるかもとか、ラストで円盤は林の中に着陸していたしなあとか、思ったりもする。
『美しい星』 P.286
>重一郎はひたすら白い無表情な天井に瞳を凝らした。〈略〉
> もし宇宙の最高意志が、この白い無趣味な天井を貫いて、彼を地上へ送った企ての
>隠された意味を明かしてくれるなら、彼は自分の死に確信を持てるようになるだろう。
〈略〉
> しかし何度も試みて、思わしい成果の挙らなかった彼の宇宙交信法は、果して隠さ
>れた最高意志に問いかけることができるかどうか、覚束ない。ただ一つの方法はこれ
>だけで、これに頼るほかはないというだけだ。注視をつづけている重一郎の目の底は
>熱して痛んだ。
〈略〉
> そのとき、白い天井が左右にのびのびとひらけたように重一郎は感じた。彼の心は
>一方では歓喜に博たれ、一方では至極現実的な、当たり前のことに直面している心
>地がしていた。彼は声を聞いた。声は涼しく明晰で、重一郎は一語一語を、あやまた
>ずに聴くことができた。
『美しい星』 P.294
> 円丘の叢林に身を隠し、やや斜めに着陸している銀灰色の円盤が、息づくように、
>緑いろに、又あざやかな橙いろに、かわるがわるその下辺の光りの色を変えている
>のが眺められた。
CBA の発行した文書を読めば、この手の類似点は他にもいくつか見つかる可能性は
あると思う。しかし、それは『美しい星』を鑑賞するにあたって、どれだけ重要な要素と
なる知識といえるのか――という疑問は消えない。
ただ、奥野健男による文庫本解説には、以下のようなことも書かれている。
『美しい星』 解説 P.299
> こういう発見は偶然のことではない。発見し得たのは、三島由紀夫が、人類の滅亡
>について、美の本質について、たえず心の底で反芻し、深めていたからに他ならぬ。
>二十歳という自己形成期に、原子爆弾の投下を知り、敗戦に遭遇した三島由紀夫は、
>その目で世界の崩壊、人生の終末を見たのだ。
これと、新戸雅章による以下の文章を重ね合わせると、なるほど CBA についての言及
のなさは、残念なものだったかもしれないと思えてくる。唐沢俊一が読んでいながら、
『トンデモ本の世界R』ではまったくふれていない論点が、ここにある。
http://www.asahi-net.or.jp/~ve3m-snd/shindo/essay/cba.html
> 当時、UFOに関心を寄せる文化人は質、量ともに現在をはるかに上回り、実際に活
>動に参加した者も少なくなかった。前出の平野威馬雄や北村小松、石黒敬七、徳川
>夢声、三島由紀夫、石原慎太郎、星新一、糸川英夫と並べて見ると、なかなか壮観
>である。三島由紀夫や半村良などはUFOをテーマにした小説をあらわしているし、
>『少年ケニア』の作者山川惣治のように、CBAに入会し、活動を擁護する者もいた。こ
>れも、彼らが新奇さという以上のある切実さをUFOにまつわる物語に感じたからだろう。
> たしかにCBAはUFO研究の鬼っ子だったし、実質的な被害を蒙った関係者も少なく
>なかった。一時は随伴したアダムスキー研究者たちにとっても、恥部として忘れたい
>存在なのかもしれない。しかしUFO研究の草創期には科学派とコンタクト派が協同し
>て、核兵器廃絶と恒久平和を訴える「宇宙平和宣言」を出したこともあったのである。
>両者は同じ危機感を共有していたはずである。
> こうしたことを考えると、単に切り捨てたり、アメリカのトンデモ本が生み出したUFO
>騒動として笑い飛ばすだけではすまされないのではないだろうか。
> 核時代という状況の中でその不安や危機意識を極限まで推し進め、あげく自己解
>体した団体、それがCBAだった。ここまで言うと過大評価かもしれないが、UFO思想
>やUFO運動という範疇で考えれば、これほど危険で、魅力的な存在もないのである。
(多分、続く)
2009.10.23 (Fri)
「美しい星」の美しさから目をふさいでいるみたいな唐沢俊一
俊一は、『トンデモ本の世界R』に、三島由紀夫『美しい星』についての文章を書いてい
る。表題は、「作家が描いたオカルト信者の心理パターン」。
唐沢俊一自身は最初に、『美しい星』の内容を以下のように紹介する。
『トンデモ本の世界R』 P.338
主人公は火星人である。この地球を核軍拡の危機から守り、美しい星と
して宇宙人の仲間に迎えいれるという使命を帯びている。長い間彼は自分
を一介の地球人だと思い込んで暮らしていたが、ある日、空飛ぶ円盤に
遭遇した瞬間、真実の記憶を呼び起こされ、自らの使命に目覚め、家族と
いう形をとって暮らしている金星人の娘、水星人の息子、木星人の妻と共
に、核軍縮・世界平和達成を訴える運動を起こす。
そして、唐沢俊一は、「現実ばなれしたストーリィでありながら」、「空飛ぶ円盤以外、SF
的なものは一切登場してこない」、「超能力や超科学的危機などというSF風ガジェット」
は存在しないこと、「主人公と白鳥座61番星の宇宙人たち」との間の「激しい戦い」は、
「論争という形をとって行われ」ることを説明する。そしてその「“地球人類を存続させる
べきか、滅亡させるべきか”についての論議」は「どこか薄っぺら」で、「読者はそんな
議論をえんえんと、文庫版で五〇ページ以上にもわたって読まされるハメになる」と愚痴
ったあげく、この作品は「極めて変てこ」で、「どういうつもりで書いたのか、判断になやま
ざるを得ない珍作」であると、まあ好き勝手に貶している。それに続けて、こう語る。
しかし、なにしろ“あの”三島由紀夫である。一筋縄で行くわけもないこの
作者が、SFという手法をとって描こうとしたテーマは一体何だったのか。
今、“SFという手法”と書いた。確かにこの作品はSF的である。ラストに
おいて、ちゃんと本物の円盤が登場するのである。スピルバーグの『未知と
の遭遇』のラストは、あるいはこの作品の結末をより具体的に、派手に映像
化してみせたものかもしれない。『未知との遭遇』がSFならば、この作品も
SFでなければならない。三島はこのラストについて、“あれ(円盤)は出て
こなければならないように書いた”と言っているそうだ。
「ラストにおいて、ちゃんと本物の円盤が登場する」というのはよいとしても、では「ある
日、空飛ぶ円盤に遭遇した瞬間、真実の記憶を呼び起こされ」たという、最初の方に
登場する空飛ぶ円盤は「本物の円盤」ではないということにするのか、ラストに「本物の
円盤」が出てくるのは同じ (?) だからといって、「『未知との遭遇』がSFならば、この作品
もSFでなければならない」という理屈はありなのか、何だかよくわからない。
もしかして、続きの文章でいう「三島文学研究家」、「彼ら三島信奉者」を貶したい一心
で書いているだけだったりして……。
しかし、この作品が発表されてから今まで、三島文学研究家の多くは、
この作品をSFとは認めていない。彼ら三島信奉者は、天下の三島由紀夫
がポルノならまだしも(三島自身、自分の作品『憂国』がポルノとして読める
ことを認めている)、SFなどという子供だましを書いたなどと信じたくないの
である。私(唐沢)が所持している文庫版(新潮文庫、昭和四二年発行、
昭和四四年三刷)の解説でも、文芸評論家の奥野健男氏は、この点に
ついて、作者が“SFめいた題材を提出するに当たって、これはSFでない
と明らかにするため”主人公の息子や妻を水星人や木星人という設定に
したのだ、と主張している。なぜかというと水星や木星にはどんな生物も
住めないとされているから、なのだそうな。しかし、三島はちゃんと、
これは、宇宙人と自分を信じた人間の物語であって、人間の形を
した宇宙人の物語ではないのである。(エッセイ『「空飛ぶ円盤」の
観測に失敗して〜私の本「美しい星」』)
と言っている。で、あれば、主人公たちの故郷は天王星でも冥王星でも
かまわない筈なのではあるまいか。
×当たって ○当って
「宇宙人と自分を信じた人間の物語」であり、唐沢俊一が自分の文章の表題にしている
「作家が描いたオカルト信者の心理パターン」を語った話ならば、「これはSFでない」と
解説に書いたからといって、それは「天下の三島由紀夫が〈略〉SFなどという子供だまし
を書いたなどと信じたくない」せいでもないのではないかと思うのだが……。唐沢俊一の
真意はつかみかねるが、主人公たちはただの人間、でも円盤は本物、だからこれをSF
と認めないのは、「三島信奉者」がSFを「子供だまし」と思っているせいで、その代表格
といえるのが文庫の解説を書いている「文芸評論家の奥野健男氏」――との主張らしい。
しかし、新潮文庫の解説を読むと、奥野健男がSFに無理解で偏見をもっているから
「これはSFでないと明らかにするため」うんぬんと語っているようには思えない。
『美しい星』 解説 P.297
> さてぼくが『美しい星』を読んで大丈夫なのかと心配したのは、純文学の世界に、
>宇宙人とか、空飛ぶ円盤とか、いわばいかがわしいものを持ち込んだことについて
>である。明治以来の近代日本文学は、きわめて真面目であり、日常的であり、リアリ
>ズムしか信用しない伝統がある。この世にあらぬものが書かれているだけで、そっぽ
>を向き、信用しない風潮がある。奔放な空想、荒唐無稽なことが体質的に嫌いなので
>ある。もちろんはじめから戯画的、風刺的に、譬え話として書くのなら多分許される
>だろう。ところが作者は、大真面目な姿勢で円盤とか、宇宙人とかを小説の世界に
>持ち込んだのである。これではその上にいかに完璧な美的宇宙をつくりあげても、
>まっとうな純文学としては認められないのではないか、そういう危惧を抱いたのである。
>それではSF作品としてのリアリティーを持っているかと言うと、それも欠けているのだ。
>主人公の大杉一家は次々に円盤を見てから自分たちは宇宙人であると信じ込むのだ
>が、その生まれ故郷は主人の重一郎が火星人であることはいいとしても、娘の暁子が
>金星人、そして妻と息子は、人間はおろかどんな生物も住めないとされている木星、
>水星をそれぞれ故郷としているのだ。一家が揃って火星人とか金星人とかいうのなら
>SF的知識として素直に受け取れるが、火、水、木、金の星をそれぞれ故郷にすると
>いう設定からして、お伽話めいている。もちろんSFに造詣の深い作者が、そんなこと
>を知らないわけがない。とするとこれは作者が、円盤とか、宇宙人とか、いかにも
>SFめいた題材を提出するに当って、これはSFでないと明らかにするため、こういう
>設定にしたと考えられる。作者はSF的な制約や雰囲気からも独立し自由であろうと
>したのだ。
奥野健男自身は、その前のページ (P.296) で、「いささかうちわ話めくが、ぼくは作者
が、超現実な怪奇譚やSFや、特に空飛ぶ円盤の話に興味があるのを知っていた。僕も
そういうことには人一倍関心がある方なので、作者と会うたびに話題はSFや円盤のこと
になった」と書いている。
このような人が、唐沢俊一のいう「SFなどという子供だましを書いたなどと信じたくない」
という理由で、「SFでない」と主張するとは考えにくい。実際、奥野健男のいっているの
は、「SFに造詣の深い作者」ならば、「SF作品としてのリアリティー」をもつ作品を書く気
ならば書けたところを、あえて避けて、読者にもこれはいわゆるジャンルSFの作品では
ないと示しているということではないか。妥当な分析だと思うし、それに異を唱えるとして
も、唐沢俊一による「文芸評論家の奥野健男氏」の主張の紹介のしかたは、公正さを
欠くひどいものだ……。
そして、唐沢俊一は、奥野健男が無知だから、作品の「真の意味」がわからない――と
いわんばかりの解説を開始する。
『トンデモ本の世界R』 P.340 〜 P.341
UFO関係史にちょっとくわしい人ならば、なぜ三島が、その発表当時(一九
六二年)、すでに時代遅れとされていた太陽系惑星の住人を登場させたのか、
その真の意味がわかるはずだ。そう、コンタクティー派として有名なアダムス
キーは、その著書で、太陽系の各惑星にはそれぞれ人間そっくりな宇宙人が
存在する、と言っているのである。また、アダムスキーと一緒に宇宙人と出会っ
たG・H・ウィリアムソンなどは、太陽は実は冷たい星で、そこにも人類が住んで
いる、と一九六一年の段階でもなお、主張しており、彼の講演は三島も聞いて
いるらしい。
要するに三島はこの作品を書くにあたり、当時の日本の文化人の間にかな
りの程度蔓延していた“空飛ぶ円盤シンドローム”に興味を持ち、また自らも
ハマっていたようなのである。彼は一九五五年に結成された『日本空飛ぶ円盤
研究会』(代表荒井欣一)の、創設時からのメンバーとして石原慎太郎、黛敏郎
などと共に名を連ねているし(三人ともその後右寄り的論客として世間で有名
になったのは一奇だけれども)、作家の北村小松と共に、自宅の屋根に上って
再三ならず、円盤観測を試みていたという。
「一奇」って辞書にない言葉のようなのだけれども、まあおいといて。
ウィリアム・ハーシェルだけでなくG・H・ウィリアムソンも、太陽に人類が住んでいると主
張したのかどうか、三島は「創設時からのメンバー」だったのか、よくわからないが、これ
もまあおいといて。
http://gakken-publishing.jp/mu/library/wkagaku.html
>●冷たい太陽
>太陽といえば、熱いものというのは、あまりにも常識すぎる常識だ。ところが、この常識
>にあえて反対した人物がふたりいる。ひとりは天文学者ウィリアム・ハーシェルで、太
>陽には人間が住んでいると考えた。もうひとりはアダムスキーとともに金星人とコンタク
>トしたというG・H・ウィリアムソンで、異星人が太陽が冷たいことを教えてくれたという。
アダムスキーの話をそのまま書いたら、その当時でも、まっとうな (?) SFにはなるわけ
がなく、「これはSFでないと明らかにするため」と矛盾はしないと思うが。唐沢俊一自身、
「その発表当時(一九六二年)、すでに時代遅れとされていた」と書いているくらいだし。
http://www.asahi-net.or.jp/~ve3m-snd/shindo/essay/cba.html
>実はアダムスキー批判のひとつに、なりそこねのSF作家説というのがある。これはS
>F雑誌編集者のレイ・パーマーが伝えた話とされているが、アダムスキーは彼の編集
>する雑誌に一編の長編小説を送りつけて来た。これは採用にならなかったが、彼の体
>験談はこの小説の焼き直しだというのである。
それに、アダムスキーをなぞるならば、金星人や火星人、せいぜい土星人にとどめるの
ならともかく、奥野の指摘している水星人や木星人も混ぜるというのは、やはり変なので
はないかという気もする。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョージ・アダムスキー
>その後もアダムスキーは、他の宇宙人に会ったと主張している。会った宇宙人は、ほ
>とんどが金星人だが火星人や土星人もいたという。また、巨大な円筒形状の宇宙船
>(母船)に乗り月を一周したときには、月の裏側で谷や都市を見たとの主張をした。
>また金星を訪問したときには自分のかつての妻の転生した少女にあったと主張した。
で、「“空飛ぶ円盤シンドローム”に興味を持ち、また自らもハマっているようなのである」
と、何だか唐沢俊一は、私だけが知っているという風に書いているが、それは新潮文庫
の解説にも、ある程度言及されていることでしかない。
『美しい星』 解説 P.296
>いささかうちわ話めくが、ぼくは作者が、超現実な怪奇譚やSFや、特に空飛ぶ円盤の
>話に興味があるのを知っていた。僕もそういうことには人一倍関心がある方なので、作
>者と会うたびに話題はSFや円盤のことになった。ところが、この作品を書く一年ぐらい
>前から、作者は北村小松氏などに影響されたのか、空飛ぶ円盤について、異常なほ
>どの興味を示し、円盤観測の会合にも参加したりしていた。今考えると、それは『美し
>い星』を書くための準備であったのだろう。谷崎潤一郎の『春琴抄』などがその典型で
>あるように、小説家が身魂をこめてひとつの作品を書くとき、他人の目からはたとえ
>異常に見えようとも、その世界に溶け込み夢中にならなくてはならない。三島もある時
>期、空飛ぶ円盤に憑かれていた。その実在を心から信じこんでいるようであった。と
>同時に小説家の目でそういう自分や円盤マニアの生態を冷静に観察していたのだ
>ろう。
まあ、要するに唐沢俊一は、この『トンデモ本の世界R』で、「作家が描いたオカルト信者
の心理パターン」を語る以上のウエイトで、「文芸評論家の奥野健男氏」への批判をえん
えんと続けているのだ。それも公正さを欠くやり方で、悪意をもって相手を貶めるような
方法で。
(長くなったので、次に続く)






