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2012.02.18 (Sat)

「師匠の名を辱めていない」はちょっと何様な言い草の『新撰組血風録』

http://www.tobunken.com/news/news20120216162318.html

イベント
2012年2月16日投稿
存在感の人 【訃報 左右田一平】
〈略〉
札幌時代、小野栄一と広田信夫(後の左右田一平)とうちの
親父は、しょっちゅうつるんで遊んでいたそうだ。
〈略〉
代表作は何と言ってもテレビ『新撰組血風録』(1965)の
斎藤一だろうが、時代劇の代表作の役名が一(はじめ)なのに、現代劇の
方を見てみると、甚平だの源三だの留吉だのといったものが多いのが笑える。
どっちが時代劇だかわからない。要は、そういう顔、なのである。

もともとは自分も俳優になる気はなかったのだが、遊び仲間の
小野栄一に、人数が足りないからと素人劇団に引っ張り込まれた。
私の母(小野の妹)とも舞台に立ったという。
〈略〉
師匠の薄田は東映の時代劇俳優として戦後有名になるが、弟子の
彼も、代表作が東映/NET制作の『新撰組血風録』であるところ、
師匠の名を辱めていない。

http://megalodon.jp/2012-0218-0951-36/www.tobunken.com/news/news20120216162318.html

×新撰組血風録 ○新選組血風録

小ネタだけど、報道でも Wikipedia でも「新撰組血風録」ではなく「新選組血風録」。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/entertainment/351012.html
>俳優の左右田一平さん死去 時代劇などで活躍(02/15 18:41)
> 左右田 一平氏(そうだ・いっぺい=俳優、本名広田信夫=ひろた・のぶお)10日
>午後0時10分、S状結腸がんのため東京都内の病院で死去、81歳。北海道出身。
>葬儀・告別式は近親者で済ませた。喪主は長男広田圭一朗(ひろた・けいいちろう)氏。
> 映画「お葬式」や、テレビ時代劇「新選組血風録」「燃えよ剣」などに出演。味のある
>演技で脇役として活躍した。殺虫剤のCM出演でも知られた。


http://ja.wikipedia.org/wiki/左右田一平
>新選組血風録(1965年 - 1966年、NET / 東映) - 三番隊組長・斎藤一

http://ja.wikipedia.org/wiki/新選組血風録_(テレビドラマ)
>『新選組血風録』(しんせんぐみけっぷうろく)は、司馬遼太郎の同名の短編小説集を
>原作とした連続テレビドラマ。
〈略〉
>NET(日本教育テレビ、現テレビ朝日)系で、1965年7月11日から1966年1月2日まで放>送された、全26話のモノクロ作品。放送時間(日本時間)は毎週日曜21:30 - 22:30。
>非常に高い完成度の作品と評価され、根強いファンが多く、1960年代のモノクロ作品で
>あるにもかかわらず全話ビデオソフト化され、またDVD化もされている。俳優は東映所
>属の俳優だけではなく、劇団くるみ座や東京芸術座などから起用している。特に、土方
>歳三を演じた栗塚旭と沖田総司を演じた島田順司と斉藤一を演じた左右田一平は文
>字通りのはまり役になった。


原作小説も、1965 年のテレビドラマを収録した DVD も「新選組血風録」。

http://www.amazon.co.jp/dp/4041290074
>新選組血風録 (角川文庫) [文庫]

http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000228U44/
>新選組血風録 VOL.1 [DVD]

まあ、「新選組」単独なら、「新撰組」と表記しても間違いとはいえないようだけど……。

http://ja.wikipedia.org/wiki/新選組
>なお、「選」の字は「撰」とも表記されることが多く、実際「新撰組」と表記された史料も
>多くある。局長の近藤勇自身、表記には両方の字を用いている。



で、「私の母(小野の妹)とも舞台に立ったという」という記述に、へえ、唐沢俊一の母も
演劇をやっていたとは初耳かも……と思ったら、2ちゃんねるのスレでは、唐沢俊一の
母親は東京育ちという設定ではなかったっけとか盛り上がり中 (Read More 参照)。

確かに、自分も、唐沢俊一の父は北海道生まれ北海道育ちで、唐沢俊一の母が東京の
人だと思っていたが……今回の文章では、札幌を舞台に、唐沢俊一の父と小野栄一、
その妹 (後の唐沢俊一母) が「しょっちゅうつるんで遊んで」いたようにしか読めない気が。

これについては後でじっくり整理してみるのがよいかも。とりあえず、小野栄一は、北海道
生まれの北海道育ちというのは、2ちゃんねるのスレで指摘されている通り。

http://ja.wikipedia.org/wiki/小野栄一
>1930年(昭和5年)2月5日、北海道に生まれる。新制・北海道立札幌第二高等学校(現
>在の北海道札幌西高等学校)では映画評論家の品田雄吉と同期、俳優の左右田一平
>は一期下であった[1]。同校卒業後、北海道大学に進学するも、中途退学する。


で、これもスレで紹介されているが、「私たちは東京生まれよ!」なんて唐沢俊一の母が
言っているかのように、裏モノ日記では紹介されている。

裏モノ日記 2001年 06月 14日(木曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20010614000000.html

私のおふくろというのがまた、こういう酔っぱらいというのが大嫌いなタチで、
よく親父が酔っぱらったときにも“恥ずかしい、なによその酔い方は”などと
説教していた。今回も、最初は“あら、嫌だ、恥ずかしいわねえ”とか言って
いたが、叔父の酔い方が尋常一様でなくなってきたのを見て、とうとうたまり
かねて
「あなた、ちょっとそこへおすわりなさい、今日はどういう席だと思ってんの」
 と談判しだす。いくら談判されても相手は酔っぱらいなのだからさっぱり
要領を得ない。
「ねっちゃん、何を言うとるんじゃ」
「ねっちゃんとはなによ、どこの言葉よ、私たちは東京生まれよ!」
 というようなアリサマで、見ていて大笑いした。


うーん、ずっと東京に住んでいる母方の親戚がいるみたいだから、そこから母親は東京の
人という混同というか妄想が出てきた、とか?
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2012.02.05 (Sun)

高度経済成長が終わっても“人外のもの”はブーム

http://www.tobunken.com/news/news20120203105722.html

イベント
2012年2月3日投稿
怪奇を語った男 『訃報 山田野理夫』

1月24日、没。89歳。
1960年代半ばに、ちょっとした妖怪ブームが起こって、そのたぐいの
出版物があちこちの出版社から大量に出た。この時期、空飛ぶ円盤などの本も
ブームであり、これら“人外のもの”のブームと、折りから不安定となっていった
政治状況とのからみは決して浅くない。
高度経済成長は当然のことながら、その成長に乗った者と乗り損ねた者の格差
を拡張し、発展の影に潜む者どもとして、怪獣や宇宙人、そして妖怪といった
零落した神たちに人々が関心を示したのも当然のことだった。
山田野理夫はその時代に、民話の専門家の余技として、怪談の世界に
足を踏み入れた。

大正11年、仙台に生まれた氏は、東北大学文学部史学科卒、第6回
農民文学賞受賞というその経歴が物語るように、郷土とそこに生きる人々の
歴史を語ることをライフワークとした人だった。そして、時代が、彼を妖怪の
語り部とした。

その語り口、そして妖怪とか怪異とかを見る視点は、当時の妖怪関係の著者たち
の中では異質なものだったと言っていい。今昔物語でも、江戸の奇譚であっても、
詩人でもあった彼の文章によって綴られたとき、それは“山田野理夫“の作品
になった。逆に言えば、非常に現代的な要素を持った作品になった。

それがいいことであったかどうか、現在の視点からは批判も多い。
彼の詩心からつむぎだされた妖怪譚が、果たして本当にその地域の伝統の
中から生まれたものかどうか、現在のマニアックな妖怪学の方法論から
すれば、単なるデタラメな作り話としか見られず、妖怪学の研究を
混乱させるものでしかない、という糾弾もネットの上にはある。

しかし、1960年代における妖怪譚は、現在のオタク的な知的欲求から
求められたものではない。この世界の秩序、この世界の理論的構成から
外れた、非常識の世界への逃避がニーズだったのだ。妖怪ライター数ある
中で、山田野理夫の怪異譚は、まさにその、現実の世界に隣接する非現実
の世界を描き出していた気がする。

訃報を知り、書庫から、中学生のときに読んだ『日本怪談集・その愛と死と
美』(1965年、潮文社リヴ)を掘り出して、改めて目を通してみたの
だが、その文体(「……いたのです」を繰り返す文体が非常に印象的だった)
以外、ほとんど記憶から消えていたのに驚いた。妖怪図鑑的な知識
の充足を期待して購入した中学一年生には、山田氏の文章が描く、詩的
な世界はついていけないものだったのだろう。ことに、古典から採られた
エピソードのあいまにときおりはさまる、出来の悪いコントのような落し噺に
ヘキエキしたものだ。それも内容はほとんど忘れていた。

確かに読んだ、という証拠として記憶にあったものは、後にNHKの
番組で実際に見た、千葉の仏教劇『鬼来迎』のシナリオ採録(?)と、
ところどころに挿入される、氏の詩であった。特に、下記の詩は少年時代の
私にとってトラウマとなっていたものだった。

『水稲』
「あの男には肛門がない
 田んぼの中に
 べっべっと口から
 血の混った糞をする
 水稲には虫が涌き

 茎は朱になる」

農業を営む者たちにとっての稲の病気を妖怪的存在にイメージさせた
その表現は、“この世ならざるところにいる”妖怪ではなく、現実世界
にある災厄や現象すなわち妖怪なのだ、という著者のメッセージが強く現れた
ものだ。

その後、山田氏は東北の民話・怪談の研究者として活躍した。
ふるさと・東北の被災に、どのような思いを胸中に抱いたこと
であろうか。訃報を記に、中学一年生以来数十年ぶりに、氏の
著作を渉猟してみたい気になった。
冥福をお祈りする。

http://megalodon.jp/2012-0204-2312-23/www.tobunken.com/news/news20120203105722.html

×1965年、潮文社リヴ ○1967年、潮文社新書
×訃報を記に、  ○訃報を機に、

「そのたぐいの出版物があちこちの出版社から大量に出た」のは、「1960年代半ば」
というより 1970 年代ではないか――というのは後述するとして。

実は、報道や Wikipedia などの記述から、「×第6回農民文学賞受賞 ○第6回日本農民
文学賞受賞」ではないかと最初は思ったのだが、これは日本農民文学会の人が「農民文
学賞」で募集しているようので、間違いではないとして。

http://blogs.yahoo.co.jp/yumetoutusemi/5829105.html
>第五十五回農民文学賞募集要項 日本農民文学会

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120127/bks12012719130000-n1.htm
>作家、詩人の山田野理夫氏が死去
>2012.1.27 19:12
> 山田野理夫氏(やまだ・のりお、本名・徳郎=のりお=作家、詩人)24日、急性心
>不全のため死去、89歳。葬儀・告別式は近親者で済ませた。喪主は長男、野理光
>(のりみつ)さん。
> 宮城県出身。著書に日本農民文学賞を受けた「南部牛追唄」など。


http://ja.wikipedia.org/wiki/山田野理夫
>山田 野理夫(やまだ のりお、1922年 - 2012年1月24日)は、日本の小説家、詩人。
>宮城県仙台市出身。東北大学農学部卒。大学で農業史を専攻。卒業後、農林省統計
>調査員、宮城県史編纂委員、東北大学付属農学研究所員などを経て作家へ。『南部
>牛追唄』で、第6回日本農民文学賞を受賞。東北地方、みちのく、特に岩手県をテーマ
>にすることが多い。
>2012年1月24日、急性心不全のため死去[1]。89歳没。
〈略〉
>・日本怪談集 その愛と死と美 潮文社新書 1967


問題は、すぐ上に引用した Wikipedia の記述では、『日本怪談集 その愛と死と美』は
1967 年の潮文社新書になっているのに対し、唐沢俊一は「書庫から、中学生のときに
読んだ『日本怪談集・その愛と死と美』(1965年、潮文社リヴ)を掘り出して」などと
書いていること。

で、試しに「日本怪談集 1965年 潮文社リヴ」でググってみると、検索結果のトップに
今回唐沢俊一の書いた文章がきて、2 番目にくるのがこれ。↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/中岡俊哉
>・『世にも不思議な物語』続(私は幽霊を見た)、潮文社〈潮文社リヴ〉、1972年。

これは……と思って「日本怪談集 山田野理夫」でググると、Amazon のページとか普通
に表示され、Wikipedia 同様、1967 年の潮文社新書ということになっている。

http://www.amazon.co.jp/dp/B000JA7XTW
>日本怪談集―その愛と死と美 (1967年) (潮文社新書)

ちなみに Google の Book 検索だと、1972 年というのがあったり、やはり 1967 年という
のがあったり。

http://books.google.co.jp/books/about/日本怪談集.html?id=bComAAAAMAAJ&redir_esc=y
>潮文社, 1972 - 218 ページ

http://books.google.co.jp/books/about/日本怪談集.html?id=4fGSZwEACAAJ&redir_esc=y
>潮文社, 1967

まあ、唐沢俊一が題名を間違えたり (ここここなどを参照)、本の出版社を間違えたり
(ここここを参照) するのはいつものことであり、本の出た年を勘違いしているのでは
ないかというケースだって、これまでにもあった (ここを参照)。だが、今回は「書庫から、
〈略〉掘り出して」現物を手元に書いたものだろうに……と思うと、さすがに解せない。

アップされている本の表紙画像:
http://www.tobunken.com/news/images/e697a5e69cace680aae8ab87e99b86.jpg
これも手元にある本をスキャンしたものだよね……と思って、これと同じ表紙のある他の
ページを探したら、どうも http://short-short.blog.so-net.ne.jp/2010-04-22 の画像:
http://short-short.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_d53/short-short/E697A5E69CACE680AAE8AB87E99B86.jpg
をそのまま、いただいたものっぽい。

同じ本の表紙画像は、http://blog.bk1.jp/genyo/archives/2009/10/post_1737.php
http://blog.bk1.jp/genyo/noriokwaidan.jpg にもあるけど、撮り方によって色調や鮮明さ
などが異なってくるものなのだなぁという証明みたいなものになっている。


で、それはいったんおいておくとして、「現在のマニアックな妖怪学の方法論からすれば、
単なるデタラメな作り話としか見られず、妖怪学の研究を混乱させるものでしかない、と
いう糾弾もネットの上にはある」という記述も気になったので、探してみた。多分、「山田
野理夫」でググると上から 2 番目あたりにくる、これ↓のことだろうと思うのだが……。

http://www.asahi-net.or.jp/~qy4s-nkmr/free4.html
>[694] Re[693]
>投稿者:タキタ 投稿日:2001/02/17(Sat) 23:46
>山田野理夫氏の『怪談の世界』(昭和53年、時事通信社発行)を入手しました。
>ここに「コナキジジイ」という項目があり珍しい記載があったのですが、いったい信用して
>よいのかどうか疑問です。
>どうして、山田氏は評判を自ら落としているのでしょうか?
>というか「全国妖怪事典」という功績のある千葉幹夫さんも、少年向きの本で「コナキ
>ジジイ」を記載しているのですが、抱き上げると赤ん坊の顔がシワだらけのお爺さんに
>なるとかって記載してあります。
>こういう創作って困るなあ。でも少年向きの場合には創作っておおよそ判断できるけど
>も、大人向きの『怪談の世界』の記載って困る。
>せめて我々は、これらを他山の石として、出典元や話者の年齢や取材地の地名の記
>載を後世のために併記して記載するべきだと思います。
>なお、山田氏は「コナキジジイ」には陰毛のあるものもあると記載しています。
>そんなことを記載する必要があるのだろうか?

>[695] 山田氏の一連の著作物
>投稿者:屶丸 投稿日:2001/02/19(Mon) 00:22
> なんか山田野理夫氏の著作物で話がふくらんでいるようなので、参加させてください。
> まずは『東北怪談の旅』。昭和49年に自由国民社という会社から出されたこの本の
>前書きには、【東北ほど怨念のみちあふれているところがないだろう。それで怪談の数
>が多いのだ。私は数多い怪談から一冊を編んだ。】という箇所があります。
>それから後書きには【私の怪談収拾ノートにはまだねむっている全国の怪談が数多くあ
>る】云々という箇所があります。この他には、これが創作であるとか、実際に現地で調
>査した云々ということは書かれていません。
> この本に収められた怪談がすべて聞き集めたものだとしても、そのタイトルにあるウワ
>ンとかオトロシ、赤舌、ドロ田坊、小雨坊、コクリ婆、イヤミ、インモラ、古篭火、網切りと
>いった妖怪は、いずれにしろ山田氏がつけたものだということ は明らかだと思われるの
>です。


しかし、上に引用したページのことだとすると、話題にしている本は 1978 年 (昭和 53 年)
の『怪談の世界』と 1974 年 (昭和49 年) の『東北怪談の旅』。つまり、唐沢俊一のいう
「1960年代における妖怪譚は、現在のオタク的な知的欲求から求められたものではな
い」というのは、的外れのフォローにしかならない。話題にされているのは 1970 年代の
作品なのだから。

では、別のページのことかもしれないなと、一応他もあたってみたのだけど、それらしい
ものは見つけられなかった。

- http://blog.goo.ne.jp/itsukapochi/e/3d9ed9cd3e7a20a82db88862df7c4ecc
- http://myn.north-tohoku.gr.jp/kodawari/db03-m002-t024.php3
- http://www.touhoku.com/to-b31-nanbu.htm
- http://d.hatena.ne.jp/samatsutei/20110304/1299245682

なお、先に引用した http://www.asahi-net.or.jp/~qy4s-nkmr/free4.html の方にしても、
唐沢俊一の書いている「単なるデタラメな作り話としか見られず、妖怪学の研究を混乱さ
せるものでしかない、という糾弾」というのは言い過ぎで、山田野理夫の怪談の語り手と
しての能力の高さや芸術性を認める書き込みが続いているので、興味のある人はぜひ
元のページを参照してほしい。


さて、このエントリーの最初の方に、「1960年代半ば」というより 1970 年代ではないか
とか書いたのは、『東北怪談の旅』や『怪談の世界』といった、よく言及される作品が
1970 年代に発表されていることや、1960 年代は『日本怪談集』 (1967 年) と『日本妖怪
集』 (1969 年) の 2 または 3 冊にとどまる対し,1970 年代には『おばけの民話 幻の園・
闇の声から』 (1973 年) や『おばけ文庫(全12巻)』 (1976 年) を含めると 15 冊くらいに
なりそうなのが理由のひとつ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/山田野理夫
>・日本怪談集 その愛と死と美 潮文社新書 1967
〈略〉
>・日本妖怪集 1-2 潮文社新書 1969
〈略〉
>・おばけの民話 幻の園・闇の声から 星光社, 1973
〈略〉
>・東北怪談の旅 自由国民社 1974
〈略〉
>・おばけ文庫(全12巻) 太平出版社 1976 (母と子の図書室)
〈略〉
>・怪談の世界 時事通信社 1978


それと、「山田野理夫は七〇年代怪談ブームの牽引役の一人であり」というのが、どうも
専門家 (唐沢俊一も連載をもっている『幽』の編集長) の見解のようだというのが、理由の
もうひとつ。

http://www.mf-davinci.com/yoo/index.php?option=com_content&task=view&id=1847&Itemid=28
>出版点数が増加の一途をたどる怪談関連本の世界で、いま注目すべき動きが始まっ
>ている。怪談文学史に残る名著でありながら、これまで復刊のチャンスに恵まれなかっ
>たマニアライクな作品の数々が、このところ相次いで復刊されているのである。まさしく
>“怪談温故知新”を実践するかのような最新の動向を、『幽』編集長みずから取材・報
>告する。
> 構成・文=東 雅夫 写真=首藤幹夫
〈略〉
>  近刊では、仙台を拠点にユニークな企画・出版活動を展開している荒蝦夷から、二
>月に相次ぎ注目本が刊行される。『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談』と『山田野理夫 
>東北怪談全集』だ。杉村顕道は仙台で医療関係の事業に携わるかたわら多彩な文業
>を遺し、そのひとつに一連の怪談作品がある。それを初めて集大成しようという画期的
>企画だ。一方の山田野理夫は七〇年代怪談ブームの牽引役の一人であり、先ごろ
>『怪談実話系2』で復活を果たしたのも記憶に新しいが、今回は東北関係の怪談作品
>が一巻にまとめられる。


さらに、唐沢俊一は「中学生のときに読んだ」、「中学一年生」と繰り返し書いているのも
気になるところで……。唐沢俊一が今回言及している『日本怪談集・その愛と死と美』が
1967 年に出たものにしても、唐沢俊一のいうように 1965 年のものだったとしても、唐沢
俊一が読んだのは「1960年代半ば」ではなく、1970 年代になってからだろうという問題
もあって……。1958 年生まれの唐沢俊一は、1960 年代には小学生。

いやまあ、以前、「そもそも『共産党シンパであった私の小学校の担任』って実在の人物
なの?
」のエントリーで取りあげた文章では、なぜか 1972 年の 2 月の時点で小学生で
あったと書いていた唐沢俊一であり、それを信用するとすれば (ここに書いた小学校留年
説でも持ち出す必要あり?)、中学一年生の頃とは 1973 年をさすこととなって、「高度
経済成長は当然のことながら」と書いている割には、実は高度経済成長が終わるあたりの話
――ということになってしまうのだが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/高度経済成長
>日本の高度経済成長期
>日本経済が飛躍的に成長を遂げた時期は、1954年(昭和29年)12月から1973年
>(昭和48年)11月までの19年間である。


で、「高度経済成長」といえば、うちのブログで取りあげた分だけでも、いろいろある。

快楽は遠い昔の花火ではない
多くの人の心の中にいる松田優作は、あなたとは違うんです
何かおかしくないか唐沢俊一チャン
「手塚さんもやってたんじゃないかと思うよ」のヒロポン (理由:「徹夜の連続」)
大きくしたんじゃなくて増やしたそうです<味の素の瓶の穴

そのうちのひとつ、「快楽は遠い昔の花火ではない」で引用したことのある「社会派くんが
ゆく!」の対談では唐沢俊一は以下のようなことをいっていたりする。

http://www.shakaihakun.com/vol093/06.html

高度経済成長期の日本人は、普通に生きていても毎日が刺激的で、
一般人はシャブなんかに手を出す暇もなかったってことよ


同じ (?) 高度経済成長が、今回は「高度経済成長は当然のことながら、その成長に乗っ
た者と乗り損ねた者の格差を拡張し、発展の影に潜む者どもとして、怪獣や宇宙人、そし
て妖怪といった零落した神たちに人々が関心を示したのも当然のことだった」となるのだ
から、たまらないというか……「普通に生きていても毎日が刺激的」なんじゃなかったの
かと。

また、「多くの人の心の中にいる松田優作は、あなたとは違うんです」のエントリーに引用
させてもらった北海道新聞の記事では、唐沢俊一は「時に一九七四年八月。石油ショック
による物価の高騰、ノストラダムスの大予言など終末論の大ブーム、そして高度経済成
長期のシンボルだった長嶋茂雄の引退という世相の中でのことだった。」と語っている。
この年に山田野理夫は『東北怪談の旅』を出版し、翌々年に『おばけ文庫(全12巻)』と、
まさに「七〇年代怪談ブームの牽引役の一人」というにふさわしい活躍をしていたんじゃ
ないかとも思う。


それから、「妖怪図鑑的な知識の充足を期待して購入した中学一年生」だったら、なぜ
「日本妖怪集 1-2 潮文社新書 1969」の方にいかなかったんだろうとか、「中学一年生
以来数十年ぶりに、氏の著作を渉猟」って、『日本怪談集 その愛と死と美』一冊だけでも
「渉猟」というのか、それとも他に何冊か読んでいたのかなど、気になる箇所はいくつか。


個人的には、「怪獣や宇宙人、そして妖怪といった零落した神たち」というのにも少し
引っかかった。怪獣や妖怪はまあ、そういう考え方感じ方もあるよね、ということでよい
として (←偉そう)、宇宙人を神のように扱っていた人たちは、「零落した神」ととらえては
いなかったのでは。むしろ、新鮮な崇拝の対象だったのではないかと思うけど……。

追記: 申し訳ありません。「1965年、潮文社リヴ」は正しかったようです。(_ _)(_ _);
やっぱり現物を入手してからでないとダメねと反省。中身を読んでからの感想は後日。

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2012.01.29 (Sun)

モンティ・パイソン関連の話題に今度はキリル文字を導入した唐沢俊一

裏モノ日記 2012年 01月 25日(水曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20120125152852.html

観劇日記・11『モンティ・パイソンのスパマロット』
〈略〉
もともと、ブロードウェイで原作の『モンティ・パイソン・アンド・
ホーリーグレイル』を舞台化する、と聞いたとき、古いモンティファン
の多くの頭の中に浮かんだのは
「あのラストをどうするんだ?」
ということだったろう。いかにもパイソンズらしいジョークとして、
この映画の制作者たちは映画という枠組みそのものをぶち壊し、
壮大なドラマをいとも簡単にブッた切って終らせてしまった。
まさかああいう真似は舞台ではできまい。
その一点だけでも、舞台版は映画とはまったく違うものになるという
ことはわかっていたはずだ。だから原作と同じ感覚を期待する方が
おかしい……ということはわかっている。わかっているが、ならば
“モンティ・パイソンの”と、わざわざタイトルに冠しないでほしい、
(ブロードウェイ版とかは単に『SPAMALОT』である)と
思うのはこちらのわがままなのだろうか……。

http://megalodon.jp/2012-0129-2133-23/www.tobunken.com/diary/diary20120125152852.html

×モンティ・パイソン・アンド・ホーリーグレイル
○モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル
×SPAMALОT ○SPAMLOT
×(ブロードウェイ版とかは単に『SPAMALОT』である)
○(ブロードウェイ版とかは『onty Python's Spamalot 』である)

まず、2ちゃんねるのスレに、以下のような書き込みがあって。

http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1326721519/543
>543 :無名草子さん:2012/01/27(金) 23:06:45.23
>25日水曜日観劇日記・11『モンティ・パイソンのスパマロット』
>http://www.tobunken.com/diary/diary20120125152852.html

>>(ブロードウェイ版とかは単に『SPAMALОT』である)

>唐沢(ニセモノ)よ、公式サイトには「Monty Python's Spamalot」と
>書かれているんだが?
>↓

http://www.montypythonsspamalot.com/


「公式サイトには『Monty Python's Spamalot』と書かれているんだが」というのは、本当
(後述)。それに加えて、『SPAMALОT』の「О」が不自然に浮いているのが気になった。

以下、フォントによってはわかりにくいかもしれないので申し訳ないが、「L」と「T」の間が
全角の大文字 O (オー) ならば『SPAMLOT』だし、全角のゼロだったら『SPAML0T』と
なるはずで、つまり唐沢俊一の書いている『SPAMALОT』の「О」は、全角のオー「O」
でもゼロ「0」でもないということで……。

わからないので、「О」でググってみたら、検索結果のトップにきたのが、これ↓
……どういう入力方法をとったら、こういうことが起こるんだろう。

http://en.wikipedia.org/wiki/O_(Cyrillic)
> Not to be confused with the Latin letter O.
> O (О о; italics: О о) is a letter of the Cyrillic script.
> O commonly represents the close-mid back rounded vowel /o/, like the
> pronunciation of ⟨o⟩ in "go".



それと、『Monty Python and the Holy Grail』の邦題についてはまあ、たとえば「モンティ・
パイソンとホーリーグレイル」のようにするならともかく、「モンティ・パイソン・アンド・」と
こさせるなら、「ホーリー・グレイル」にしないと少し変でしょう、ということで。

http://ja.wikipedia.org/wiki/モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル
>『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』(Monty Python and the Holy Grail)
>は、1974年に公開されたモンティ・パイソンによる低予算で作られたコメディ映画。イギ
>リスのアーサー王伝説をもとにしたパロディ作品である。
〈略〉
>2005年には、エリック・アイドルが本作を元にミュージカル・コメディ劇『スパマロット』を
>作り、トニー賞を受賞した。

> あらすじ
>932年のイングランド、旅を続けるアーサー王と従者パッツィーは忠誠を誓う騎士を集
>め、円卓の騎士をそろえる。彼らは神の命を受けて聖杯を探すことになるが、フランス
>人やNiの騎士、殺人ウサギなど、行く手には数々の困難が立ちふさがる。
>ようやく聖杯を見つけたと思ったアーサー王だったが、最後は殺人容疑で警察に逮捕さ
>れてしまった。


で、上の Wikipedia の項に「ミュージカル・コメディ劇『スパマロット』」とあること、または、
以下に引用する記述で「『スパマロット』(Spamalot)」が「日本版として『モンティ・パイソン
のスパマロット』の題名で」となっていることが、唐沢俊一の「ブロードウェイ版とかは単に
『SPAMALОT』である」のもととなっている可能性が高いのではないかと思う。

http://ja.wikipedia.org/wiki/スパマロット
>『スパマロット』(Spamalot)は、映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』
>(1975)から「割愛された」コメディミュージカルである。
>モンティ・パイソンメンバーのエリック・アイドルが脚本と作詞を担当。作曲はアイドルと
>ジョン・ドゥ・プレッツが共同で行った。ブロードウェイでの初演は2005年3月17日。
〈略〉
>映画と同様にアーサー王伝説の不謹慎なパロディだが、ブロードウェイ劇場のパロディ
>が含まれている点などが異なる。
〈略〉
>日本公演
>2012年1月、日本版として『モンティ・パイソンのスパマロット』の題名で、赤坂ACTシア
>ターと森ノ宮ピロティホールにて公演される予定。


しかし、「モンティ・パイソンメンバーのエリック・アイドルが脚本と作詞を担当」だというし、
2ちゃんねるのスレで指摘した人の書いている通り、本国の公式サイトでも「Monty
Python's Spamalot」と書いているし、「“モンティ・パイソンの”と、わざわざタイトルに冠し
ないでほしい」というのは、唐沢俊一本人も薄々気づいているように単なる「わがまま」と
いうものだろう。

http://www.montypythonsspamalot.com/
> Monty Python's Spamalot - A Musical Now Playing on Tour

ちなみに、上のサイトで「A Quest」をクリックすると、
http://www.montypythonsspamalot.com/monty_pythons_spamalot.php
のページに飛び、「What About Monty Python」と書かれたバナーが表示されたりする。
そのバナーをクリックしたページに書かれていることは以下の通り。

http://www.montypythonsspamalot.com/about_spamalot.php
> In fact it was this constant reference to the movie musical that in 2003 got Eric
> Idle thinking about adapting MONTY PYTHON AND THE HOLY GRAIL into a
> musical.
> SPAMALOT is not exactly like the film. For example it doesn’t come in a metal
> canister but it does feature many of the same characters and the same sense of
> Python humour.


唐沢俊一は、「原作と同じ感覚を期待する方がおかしい」と書いているが、供給側の意見
はまた別、ということのようで。

ええと、それから、唐沢俊一が「古いモンティファン」なのかどうかは、はなはだ疑わしい
――という問題については、以下の関連ガセビアを参照のこと。

弟に見送られて逝った山城新伍
「(しばらくの間、笑)」じゃ怪しさ三割増なんですが<モンティ・パイソン
スパム、ストーム、ストーブ
卵とスパムとソーセージとベーコンとスパムとスパムとトマトとスパムのスープ
似ているようで違う ―― スパムメールとスパンコール


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2012.01.29 (Sun)

で、『株式会社カラサワ企画(オノプロ)』って何……?

裏モノ日記 2012年 01月 26日(木曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20120126223715.html

観劇日記・12『坂の下商店街再開発計画』劇団カンタービレ公演
『坂の下商店街再開発計画』
劇団カンタービレ
作・演出/渡辺勝巳
出演/加山到・森本縁・黒澤光義・斉藤こず恵・今村和代・俊依里・小林真実
   山岸恵美子・たにやん・大曽根徹・近藤ミキヲ・谷岡友和・中上友博
   梅岡寛正・野本由布子・伊藤和哉・嘉手納莉菜・木村エリカ 他
於/ウッディシアター中目黒
2012年1月25日 観劇
〈略〉
なぜ、今日初めて芝居を観た劇団をライバルなどと思うかというと、ここの
座長をつとめる作・演出の渡辺勝巳くんは、今から17年前、私の部下、
つまり『株式会社カラサワ企画(オノプロ)』のアルバイト社員だったので
ある。潮健児さんの付き人もやらせていたので、あの当時のことを最もよく
知る人物でもある。

彼は仮面ライダーショーの仕事などもやった経験があり、潮さんの付き人には
最適な人物だった。我が強いタイプではないので、いわゆる役者の子供ぽい
わがままにも神経を痛めず対応できる。すでに身体が弱っていた潮さんに
ついて、ロケやイベントにも同道し、世話をしていた。横浜でのSF大会の
ショーで、仮面ライダースーパー1に扮して潮さんとアクションをしたことも
あった。潮さん亡き後、そのお弟子さんの関係で舞台の仕事も始めたという
ことは知っていたが、それは役者としてであり、まさか自分が劇団を率いて、
作・演出までやるようになろうとは、想像もしていなかったのである。
数年前、小野栄一のショーの後で偶然再会し、結婚して劇団を作ったという
ことは聞いていたが、ドタバタしていて観に行きそこなっていたのである。
今回、案内をもらって、今度こそ“観てあげなくては”と、いささか上から
目線で出かけたというのが正直なところだったが、あげるどころか、これは
油断ならん、と瞠目した次第だった。

ナベちゃん(つい、昔の呼び方で呼んでしまうが)は当時から、若いに
似合わぬ老成したところがあったが、今回の芝居には、そういうナベちゃん
らしさが十二分に出て、まだ芝居を書き初めて四年目、公演は5回目という
頼りなさは微塵もない。逆に言うと安定感が強すぎて、いわゆる新しさ、
演劇界に切り込んでいこうという野心、客気のようなものは全く感じられない。
そこが物足りないと言えば物足りないと言えるかもしれない。しかし、これだけ
の完成度を保つということは、それだけで凄まじい価値を持つ。

このウッディシアターという劇場にも初めて行ったが、舞台シモテ(下手)に
http://www.woodytheatre.com/
出っ張った部分があり、ここを“第二の舞台”として使用できる。
『楽園』の大扉前の三角コーナーと同じであり、使いようによっては
面白い効果が出せると思った。もちろん、今回も徹底して使っていたのは
当然である。

役者では主人公の奥さん役の今村和代が演技にも安定感があり、美人で
元・看護婦という知性を感じさせて大変によかった。上記の斎藤こず恵、
さらには歌手の黒沢光義など、意外なキャスティングも、どういうつながり
で呼んできたのか、私の元を離れてからのナベちゃんが、無駄に人生を
歩んでいなかったという人脈を感じさせて、それだけでとてもうれしく
思った舞台なのでありました。


×今から17年前 ○今から20年前
×小野栄一のショーの後で偶然再会 ○浅草ダンナさん会で偶然再会
×芝居を書き初めて ○芝居を書き始めて

唐沢俊一と潮健児の過ごした平成の 2 年間と数ヶ月について
「今は『さらば』といわせてくれ」のコメント欄
下北沢で一番小さな劇場は……?

も、あわせて参照のこと、かなぁ……。

今年 2012 年から 17 を引くと 1995 年。「渡辺勝巳くん」が「横浜でのSF大会のショー
で、仮面ライダースーパー1に扮して潮さんとアクション」したのは、今から 20 年前の
1992 年のことだし、その翌年 1993 年 (潮健児の亡くなった年) に事務所を閉じたと、
唐沢俊一は 2002 年の裏モノ日記に書いている。なので、「今から17年前」というのは、
まずない。

唐沢俊一と潮健児の過ごした平成の 2 年間と数ヶ月について」のエントリーに書いた
ことの繰り返しになってしまうが、「横浜でのSF大会」というのは、唐沢俊一は文庫版の
『星を喰った男』に「一九九三年」とか勘違いしたことを書いていたりするけど、実際は
1992 年のことである。

『星を喰った男』 (文庫本) P.319
> ここに採録した対談は、一九九三年八月、横浜において開催された日本SF大会
>(HAMACON)会場で、唐沢俊一と唐沢なをきの司会のもと、行われたものである。


http://www.sf-fan.gr.jp/jsfcon/list.html
>1993年  32  DAICON 6  大阪
>1992年  31  HAMACON  横浜


そして、「奈落の年」であった 1994 年の「前年にオノプロを閉じて」と唐沢俊一が書いて
いる裏モノ日記はこちら↓

裏モノ日記 2002年 05月 05日(日曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20020505000000.html
> 整理したフロッピー原稿で、94年の日記というのがあったので、ちょっと読んでみた
>が、イヤハヤ。ずーんと暗い気持になる。〈略〉
>前年にオノプロを閉じて、これで記憶ではライターに専念することが出来て、以降右肩
>上がりだと思っていたのだが、その前にこの奈落の年があったのですな。

http://megalodon.jp/2012-0129-1621-42/www.tobunken.com/diary/diary20020505000000.html

まあ時空歪ませが得意な唐沢俊一だから、上に引用の裏モノ日記の記述も、どれだけ
当てになるかわからないという問題もあるが、下に引用の裏モノ日記には「潮さん亡き
後、もう一度芝居をやりたい、と退社」と書いてあるし、1994 年ないし 1995 年まで社員
でいた可能性は低いと考えてよいだろう。

裏モノ日記 2001年 11月 17日(土曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20011117000000.html
>それから懐かしや、かつて私が社長をしていた時代のオノプロの社員のナベちゃん
>(潮健児の付き人もやってくれていて、ハマコンでの地獄大使ショーではXライダーを
>演じた)も来ている。潮さん亡き後、もう一度芝居をやりたい、と退社していったが、いま
>も演劇と映像関係で仕事しているそうで、まず、重畳である。

http://s03.megalodon.jp/2008-1220-1520-30/www.tobunken.com/diary/diary20011117000000.html

ちなみに、すぐ上の引用で「地獄大使ショーではXライダー」というのは多分間違いで、
今回唐沢俊一の「仮面ライダースーパー1に扮して潮さんとアクション」の方が正しい――
って、唐沢俊一の文章の間違いをモグラ叩きしていったらキリがない。

『星を喰った男』 P.322 ~ P.323
>今、所属しているプロダクションで僕の付き人みたいなことをやってくれているナベちゃ
>ん(渡辺克己くん)も、ショーで仮面ライダーを演じてました。横浜でやったSF大会の
>ショーで彼のスーパ-1と対決したんですが、なにしろ僕が主演のショーですからね。
>いくらスーパー1でも地獄大使にかなわない。最後に僕が勝ってしまうというとんでもな
>いショーでしてね。ファンたちも大喜びで、僕もあんなに気持ちのいいことはなかった
>な、アッハッハ。


それはさておき、微妙に気になったのが、2001 年の裏モノ日記では、「私が社長をして
いた時代のオノプロの社員のナベちゃん」に「潮健児の付き人もやってくれていて」という
書き方だったのが、今回の唐沢俊一の文章では、『株式会社カラサワ企画(オノプロ)』の
アルバイト社員」に「潮健児さんの付き人もやらせていた」と、「上から目線」が鼻につく
ような表現に変わっているような気がすること。

「社員」が「アルバイト」に――というだけなら、以前にコメント欄に引用した 2010 年の
裏モノ日記も「アルバイト」となっているのだが、こちらは「伯父の芸能プロダクション」、
「事務所のアルバイトとして働いてくれた人」という書き方で、今回の唐沢俊一の文章の
ような低好感度な代物にはなっていない。ついでに「今から20年前」というのも正しい。

「数年前、小野栄一のショーの後で偶然再会」というのは、「2 年前、浅草ダンナさん会」
が正しかったというのも、以下の日記からわかる。まあ、2 年前も「数年前」のうちだけど。

http://www.tobunken.com/diary/diary20100211135810.html
>※浅草ダンナさん会
〈略〉
>今から20年前、私が伯父の芸能プロダクションを引き継いでエンヤコラ
>やっていた時に、そこの事務所のアルバイトとして働いてくれた人だ。
>その頃はうちももう、事務所をたたむ末期で(もともと、伯父の作った
>借金の後始末をするために存続させていた事務所だった)、
>怪しげな人物は出入りするわ、伯父自身は鬱病をこじらせるわで、
>私も大変だったが、ナベちゃんも大変だったと思う。

>それでも、もともとヒーローショーで仮面ライダーの中に入ったり
>演芸が好きで寄席に通い詰めをしていたような人物。
>潮健児さんの付き人をして潮さんの地獄大使とSF大会で
>仮面ライダースーパー1のショーをやったり、あるいは伯父と
>一緒に地方の寄席に旅興行をしたり、という生活が気に入って
>いたのだろう、安月給に文句も言わず、よく勤めてくれていた。
〈略〉
>もう40代半ばのはずだが、ヒゲに白いものが混じっている他は、
>変わらぬ童顔。 「えーっ、ナベちゃんか? なんでここに?」
>と言いかけて気がついた。そうか、プロダクションを解散してから
>伯父が個人で芸術祭などに参加する際、まだブラ談次だった頃の
>談奈がよく手伝ってくれた。そこを、ナベちゃんも昔のよしみで
>仕切っていてくれたのだ。

>「今、何やってるの」
>と訊いたら、
>「自分の劇団やってます」
>とのこと。

http://megalodon.jp/2012-0129-1746-03/www.tobunken.com/diary/diary20100211135810.html

今回の唐沢俊一の文章は、「今度こそ“観てあげなくては”と、いささか上から目線で
出かけたというのが正直なところだったが、あげるどころか、これは油断ならん、と瞠目
した」だの、「私の元を離れてからのナベちゃんが、無駄に人生を歩んでいなかったという
人脈を感じさせて」だの、一応褒めている形はとっているものの、何だか無駄に「上から
目線」で喧嘩腰のように思う。「油断ならん」とか「無駄に人生を歩んでいなかったという」
とか、身内でなくなってずいぶん経っているのに、ひたすら目下扱いしてるし。

演劇自体についての評も、「安定感が強すぎて、いわゆる新しさ、演劇界に切り込んで
いこうという野心、客気のようなものは全く感じられない」などと、2ちゃんねるのスレへの
書き込みでいう「どうしても『他をくさす一文』を入れないと気が済まないんだな」 (Read
More
参照) という唐沢俊一の特性がいかんなく発揮されていて……。

この難癖のつけ方は、『クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の 逆襲』について、
「常識をくつがえす力を持っていないのは、まさにその出来のよすぎるところに原因が
ある。ダイナミクスというのは、偏頗なものに宿る」 (ここを参照) と書いたそれにカブる。
「『他をくさす一文』を入れないと気が済まない」唐沢俊一が、特に貶すところを見つけら
れない作品に言及するときの、ひとつのパターンなのかもしれない。

で、唐沢俊一から一方的に「ライバル」と呼ばれ難癖をつけられている劇団カンタービレ
だが、「ここを“第二の舞台”として使用できる」に興味をひかれて「ウッディシアターという
劇場」を見てみると:

http://www.woodytheatre.com/profile/index.html
>「客席数:76-108席」

これに対し、唐沢俊一の活動場所である『楽園』は、「客席数=約70~90席」であること
は、「下北沢で一番小さな劇場は……?」に書いた通り。

かつては社長の唐沢俊一 (といっても叔父からの引き継ぎだけど) の下で、アルバイト
社員として働いていた人間が、唐沢俊一より少し上をいっているという感じ。それは、
文章に敵意がにじんできても無理はない、というか。いや、少し上なんて書き方は多分
相手に失礼で、「まだ芝居を書き初めて四年目、公演は5回目という頼りなさ」なんて
唐沢俊一は書いているが、劇団を主宰している渡辺勝巳と、劇団を持っているわけでも
ない唐沢俊一 (「うちのうちの詐欺」ってのはあったけど) は同列に比較できるレベルに
達していないと考えるのが妥当だろう。

http://www.theatrical-cantabile.com/members.html
>劇団員渡辺 勝巳(ワタナベ カツミ)
> 生年月日:1965年12月16日
> 出身:新潟県
> 趣味:猫いじり
> 特技:猫を大人しくさせる
> ----------
> 芸歴: 1980アクションチーム所属。
> その後、小野栄一(ボードビリアン)、潮健児(俳優・故人)の付き人を経て役者となる。
> 以降、舞台・映画・Vシネマ・CM等、多数出演。
> 現在『劇団カンタービレ』『様様寄席』主宰


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2012.01.28 (Sat)

唐沢俊一が語った非実在石堂淑郎

http://www.tobunken.com/news/news20111230150540.html

イベント
2011年12月30日投稿
苦悶していた男 【追悼 石堂淑郎】
〈略〉
監督の大島渚が、この“人間のアイデンティティ問題”をさらに
明確にテーマとして押し出したのが1968年の『絞死刑』(ATG)
だろう。ただし、この脚本は田村孟、佐々木守等で、石堂は加わって
いない。彼はこの映画には役者として出演し、自分が自分であるという
記憶を失ってしまった死刑囚・Rに、なんとか自分が死刑囚であること
を思い出させようと悪戦苦闘する教戒師を演じている。女性を強姦して
死に至らしめた罪で死刑の宣告を受けたことをRに説明しているうちに
「ハッ、今、私は自分の心の内にみだらなことを思い浮かべてしまった。
悔い改めなくては!」
と、部屋の隅に座り込んで神に祈りを捧げ始めるというトボケぶりが
何とも可笑しかった。たぶん、『瘋癲老人~』の記述から見るに、
石堂のこの、自分の中の性欲との戦いは知人間では有名なもので、
それが台本に取り入れられたのではあるまいか(この映画の台本が
記載された『シナリオ』誌を学生時代、古本屋で手に入れたときは
飛び上がって喜んだのだが、いま、ちょっと出てこない)。

日本の思想家というのは、例えば小林秀雄などが典型だろうが、
小柄で痩躯、考える機械的な存在で、性や食といった肉体的欲求
からは解脱した、という外観(内面がどうなのかは知らない)を
持つというイメージがこの時代、常であった。石堂氏も、理想は肉欲
を思想に昇華させたシンキング・マシンであったろうが、
残念ながら、後に大河ドラマ『花神』で力士隊の隊員役まで演じた
ほどの彼の肉体が持つ動物的欲望は、その思考を押しつぶすほど
強かった。似たような悩みを持った人物に作家の胡桃沢耕史がいるが、
数年のタッチの差で満蒙へ飛び出し、大陸の地でその発散の場を
見つけた胡桃沢に比べ、7年年下の石堂は敗戦後の日本国内に閉じ
こめられ、悶々とするしかなかった。高校二年で大学入学資格を得て
広島大に入学し、さらに東大に再入学したという優秀な頭脳を持った
石堂にとり、その頭脳が肉体の欲望に蹂躙される苦痛は耐えがたかった
ことだろう。そして、結局思想は肉体という現実の存在にかなわない
のではないか、というアイデンティティ不審につながっていく、と
考えるのは自然なことと思える。


×アイデンティティ不審 ○アイデンティティ不信

去年から持ち越しの話になってしまうけれど、

身長に身長を重ねて語る試み
“枯れない老人”は彼じゃない老人」

の続き。

“枯れない老人”は彼じゃない老人」では突っ込み忘れの「×不審 ○不信」を追加して
おきます。ご指摘ありがとうです。

http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1324453913/881
>881 :無名草子さん:2012/01/01(日) 03:19:38.75
>一行知識さんもツッコみ忘れたようだけど。

>http://www.tobunken.com/news/news20111230150540.html
>>そして、結局思想は肉体という現実の存在にかなわない
>>のではないか、というアイデンティティ不審につながっていく、と
>>考えるのは自然なことと思える。

>それを言うなら「不信」なんじゃありませんか、テンテー。
>アイデンティティが「不審」なのは、韜晦趣味が何ちゃらとおっしゃる御自分のことでは。


まあ、「アイデンティティー」でなく「アイデンティティ」という表記自体、コンピュータ用語
でもないのに最後の「ー」を省略しているのが個人的に少し気持ち悪く感じるし、「結局
思想は肉体という現実の存在にかなわない」とかいうのが、「アイデンティティー不信」と
表現するようなことになるのかは疑問に思うのだが。

そもそも、唐沢俊一のいう「たぶん、『瘋癲老人~』の記述から見るに、石堂のこの、自分
の中の性欲との戦いは知人間では有名なもの」、「石堂氏も、理想は肉欲を思想に昇華
させたシンキング・マシンであったろうが」――なんていうのが、どこから出てきたのかが、
よくわからない。少なくとも、『偏屈老人の銀幕茫々』には、そういう感じのことは書かれて
いない。

『偏屈老人の銀幕茫々』 P.74 ~ P.75
> 私の老年期襲来現象の自覚は、早くも五十歳前後のことで、不純異性交遊の最中に
>突然不能に襲われた時である。
〈略〉
> 爾来、丁稚坊はしばしばアカンタレと化すことが多くなった。思えらく、私を突然訪れ
>た不意打ちは、若いころからの現象で、二十五歳前後、ひょんなことで知り合った料亭
>の女将、彼女は三十五歳だったが、一目惚れの想い叶って女の部屋に潜り込み、さ
>あ、いよいよとなって全くそういう状態にならなかった。体をくねらしている女に頭を下げ
>る他無かった。
> 存命だった頃の浦山桐郎に、かくかくしかじかと事情を話すと、信じられぬ、俺なんぞ
>は機会があって立たなかったことがないね、君はデリケートなんだよと、褒めているの
>か貶しているのか分らぬ笑い声をたてた。それからというものしばしば不能が訪れた
>が、特に慌てふためくということはなかった。私には自ずと異なる見解があったのだ。私
>には畏れ多くもベートーヴェンと同じ潜在ホモセクシャルの要素がある、という自覚であ
>る。


ちなみに、上に引用した文章の続きには、ベートーヴェンのホモセクシャル疑惑は、どうも
ガセらしいという意味の記述がくるのだが、本題 (?) に直接関係がないので、おいておくと
して。

『偏屈老人の銀幕茫々』 P.75 ~ P.76
>それはさて置き、彼の隠れホモ説に思わず膝を打った私は、といえば、楽聖から置き
>去りにされはしたものの、ホモでこそないが、顧みて若干両刀使いの気配なきにしも
>非ずなのだ。
> 仲間の猥談等に耳をすましていてもどうも性力は強くなく、女肉に恋い焦がれて居て
>も立っても居られないというような衝動を持て余すこともなく、上背の割には人を脅かす
>ような振る舞いに出ることもなく、吉行淳之介さんに君は背丈を感じさせないねと言わ
>れるような大人しい青年だったのだ。


上の文章で石堂淑郎の書いている「居ても立っても居られないというような衝動」という
ようなことは、大島渚あたりが昔、酒鬼薔薇事件の頃に力説していたっけ。青春時代は
疾風怒濤の時期だからどうのこうのって。(←うろ覚え)

で、大島渚とか、先に引用した文章に登場の浦山桐郎とか、石堂淑郎の周囲には軽く
上手をいきそうな人材がゴロゴロしているのに、石堂淑郎の「性欲との戦いは知人間では
有名なもの」だったとも考えにくい。

まあ先に引用した文章は石堂淑郎が老人になってから書いたもので、唐沢俊一のいう
「若い日々の悶々とした性欲との戦いの、露悪的なまで饒舌な記録となっていて、読んで
いていささかヘキエキするほど」の文章――主に「第二部 青春 放浪記」に書かれている
分 (前エントリー参照) ――とは少し様子が違ってはいる。

しかし、「第二部 青春 放浪記」の記述でさえ、「性欲との戦い」とか、「動物的欲望は、
その思考を押しつぶすほど」とかいわれると、ちょっと、いや、だいぶ違うんじゃないかと
いう気がするものだったりする。

『偏屈老人の銀幕茫々』 P.102
> 中学生の癖して六尺あり、唇は厚く、頭はネジレ、運動神経はゼロである。
>「ああ、俺は正にフランケンシュタインじゃ」と嘆きつつ、落ち着かぬ日々を送っていた。
> 当時は、食料難であると同時に、衣料にも不足していた。
> 私は常に兄二人のお古で、祖母は「男は服のことを言うもんじゃない。古うてもよう
>洗ってあればそれでええ」と力説するが、大分縮んだ色あせた服も癪の種で、そこで、
>私にたったひとつ残された途は他でもない“ガリ勉”である。
> 勉強さえできればええじゃないか、私はほとんど復讐の念をもって机に向かった。
> ああ、しかし、私には何がなくともまず“根気”がないのであった。
> 二時間も机に向かえば、何やら大事業をしたような気になり、すぐレコードに耳を傾け
>てしまう。
> 私は今も昔もクラッシック党で、この頃、ベートーベンに熱中し、そのわけは、ベートー
>ベンの顔がまずいからであった。
> ベートーベンの顔を見ていると、言いようのない慰めを得ているような気がしたのであ
>る。

> ネジレ頭をかくしたい、長髪にして、百八十センチもある怪獣的中学生から脱して、何
>とか大人に見られたい、私は日々悶々とし、遂に三年の冬、大ピラに頭髪を認めている
>学校に転校することにした。
> 両親には、都会の学校に行って刺激を受け、もっと勉強したいと主張し、そう言われ
>れば親もどうしようもない。私はうまく岡山一中に転校してしまった。一中四年制という
>わけだが、この年、新学制の切り替えがあり、一中、改めて朝日高校の一年生、という
>ことに相成った。
> つまり、高一の年、私は親の膝元をはなれてしまったのである。
> 忽ち髪ものばし、親は兄の目をぬすんでやっていたマスに大っぴらで熱中し、私はは
>じめて何がしかの落ち着きを得たような気がする。
> そして同時に、多少とも日々の生活が面白くなるとともに、復讐としての“ガリ勉”の
>根拠が失われた。


思うに、石堂淑郎という人は、あの年代の男性には珍しく、自分の容姿へのこだわりや
劣等感といったものをあまり隠そうとしなかった人なのだなあ。自分の外見に対する嘆き
も、必ずしもそれが異性を手中にする妨げになるというのみの理由ではないような。

それを原動力にして、「復讐としての“ガリ勉”」に走ったり、長髪にしたいからと早くも浩一
で「親の膝元をはなれてしまった」り……つまり、まあ、唐沢俊一のいう「石堂氏も、理想
は肉欲を思想に昇華させたシンキング・マシンであったろうが」とは、まるで違うことしか
『偏屈老人の銀幕茫々』という本には書かれていないようなのだ。

で、親元を離れた石堂淑郎少年は夜の街をうろつくようになり、「ヒロポンが流行していた
が、勿論とうしろうの高校生の手に入るわけはないし」ということで、映画などを見て回る。
「生意気にも洋画ファンであり、日本映画には見向きもしなかった」彼は、「ジャン・ルノア
ール監督の『大いなる幻影』」に感銘をうけたり、「日本映画でも、阪妻だけは別」という
ことで、『無法松の一生』を見たりもしていた。

そして、唐沢俊一のいう「高校二年で大学入学資格を得て広島大に入学」するまでの
経緯は、以下に引用する通り。

『偏屈老人の銀幕茫々』 P.106
> 高校一年生はこのようにしてふわふわと夢のように過ぎ、二年の春、私は一大ニュー
>スに接して又しても地球を呪いたくなったことであった。
> 岡山朝日高校は第二高女と合体するというのである。
> 日夜マスの対象に思い浮べたブルマーの太腿たちと机を並べられるというのである。
> 有難く思わなければならない。しかし、私はワクワクしつつも、やはり、地球を呪っ
>た!
> つまり、共学になっても、女は誰も私に口を利いてくれそうもない、俺一人、仲間はず
>れにされるのではないかと恐怖にうなされはじめたのである。
> ああ、どうして俺はフランケンシュタインなのかと、六尺の上背を怨み、大きな口を
>呪った。
〈略〉
> その結果、長髪のために転校したごとく、今回は共学を呪って退学することにしたの
>である。
> ある日、私は新制大学入学試験という制度の存在を知り、これは旧制中学を出ただ
>けで、大学を受ける資格のない人たちのための救済制度だったのだが、私はこの制度
>を研究し、新制高校一年生は昔の中学四年生に相当するのだから、高校二年生にも
>この制度を利用する資格があるはずだと、件の教育委員会にかけあい、私の三百代言
>的言質にウンザリした委員会は一人くらいならと、とうとう許可をくれたのである。


『偏屈老人の銀幕茫々』 P.107
>あくる年の春、私は東大と広大の二つを受け、東大は物理の問題が一題も解けずに大
>失敗、結局、広島大学の英文科にもぐりこんだ。


唐沢俊一のいう「優秀な頭脳を持った石堂」というのまではまあよいとして、「その頭脳が
肉体の欲望に蹂躙される苦痛は耐えがたかったことだろう」とか、そういう話ではないよ
うな……。「理想は肉欲を思想に昇華させたシンキング・マシン」などということをうかがわ
せるような記述も出てこない。

「肉体の欲望」というのが多少なりとも関係してきそうなのは、「さらに東大に再入学」する
にいたった経緯の方ではあるが……そちらも「理想は肉欲を思想に昇華させたシンキン
グ・マシン」とかいうのとは、ほど遠い様子である。

『偏屈老人の銀幕茫々』 P.107 ~ P.108
> 広島は原爆の地ということで学生たちの反戦運動はかなり盛大だった。
> 私もその渦に巻きこまれ、街頭に立って反戦ビラを撒いたりして活動家みたいな顔を
>することにした。
> 当時マッカーサーの弾圧に改めてひらき直った感じの共産党の荒びた感じも悪くはな
>かった。もっとも、臆病者の私はその周辺をウロウロしているだけであった。
> ところが、又しても、私に旅立てと命令する声が聞えてきたのである。
> ああ、私は平和運動の女闘士に恋をしたのでる。
> その女闘士は一級上の哲学科に在籍し、度の強いメガネをかけ、骨太でがっしりと
>し、餅肌のいかにも肉感的な女だった。〈略〉とくにカッとのぼせあがり、夜な夜なこの
>女闘士を想いつつせっせとマスをかいた。
> 勿論、この恋はならなかった。
> しかも、この片思いの破れ方はちとばかし荒っぽく、私はこの女性の性行為を見てし
>まったのであった。
> ある日、夜も更けて、学校に忘れ物をしたのに気づき、寮を脱けて教室に入り、そこで
>反戦運動の幹部級の四年生とポルノをやってるところを見てしまったのだ。
〈略〉
> 十八歳の童貞先生にはあまりにも目の毒すぎ、しばらくの間、私は茫然としていた
>が、六月の末、ふいに広島を去って尾道に帰ってしまった。
> 用もないのに帰ってき、憂愁なる面持でじっと息をつめている私におやじは呆れ帰った。
>「何じゃ、お前は」
>「うん、わしはもう大学を止めるけの」
>「何? この気狂い」
>「とにかく、もう広島には帰らんで」
> 私は涙を流しながらわめいた。純情とバカが一緒くたになって実にいい気なもので
>あった。
> すったもんだの家族会議ののち、もう一遍だけ大学を受けさせてやる、あとは知らんと
>いうことになり、私は広島大学に退学届を郵送し家にいても仕方がないので、また岡山
>に舞戻った。

> もう一遍大学を受けさせてくれるのなら、何としても東京に出たい、しかし、東大は一
>度でコリゴリしたから、受験科目の少ない私立の早稲田あたりにしたい、私がそう父に
>申しこむと官立でなければ駄目だという。
> この頃、父は脳軟化の徴があらわれていて、舌がもつれて弁護士商売も一向にパッ
>とせず、そろそろ売り喰いがはじまっていたのであるからこれは申しこむ方が無理なの
>である。
> そこで、捲土重来、いま一度、東大を目指して泣く泣くガリ勉を開始することにした。


「復讐としての“ガリ勉”」の次は、「何としても東京に出たい」から「泣く泣くガリ勉」で
ある。これで本当に東大に入学するのだから「優秀な頭脳」には間違いはないとは思う
が、「肉欲を思想に昇華させたシンキング・マシン」を目指していたようにはやはり思え
ないし、「自分の中の性欲との戦い」も何も、性欲と戦い思想的な高みを目指そうという
意欲も感じられない。

『偏屈老人の銀幕茫々』 P.110
>東大文二に何とかもぐりこめた

> さて、入学して、一月、二月、学校の事情もあらまし解ったあたりで、私は何の意欲も
>なくしてしまっていた。
> 何も彼も面白くない。
> 大学などというところは、学者になろうという勤勉な者だけがくればいいので、それ以
>外の人間を入れるのは間違いじゃねえか、そんな気がしてならないわけだ。


いやまあ、あの年代の人には、大学で授業をサボった自慢が好きな人は結構多いよう
だから、自著に書かれていることをどれだけ額面通りに受け取ってよいかという問題は
あると思うのだけど。しかし、唐沢俊一は「『瘋癲老人~』の記述から見るに」と書いて
いるのだし、他の情報源を示しているわけでもない。

で、最初の方に戻って、「結局思想は肉体という現実の存在にかなわないのではないか、
というアイデンティティ不審」 (原文ママ) という唐沢俊一による記述については、そもそも
石堂淑郎がいつ、どこで、「思想」と「肉体という現実の存在」を対比させ競わせて語って
いたのかという疑問が。さらに言えば、唐沢俊一のいう (石堂淑郎にとっての) 「思想」
とは、どのようなものかさえも謎である。唐沢俊一の脳内の、学問を究めたいのに性欲に
負ける戯画化された学者像に、勝手に石堂淑郎を当てはめてみただけとしか思えない
のだが……。

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2012.01.23 (Mon)

昭和の雑誌『グロテスク』を大正に

『東大オタク学講座』1997年9月26日版
http://netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/books/otakusemi/No12.html

唐沢 歴史をひもとくと、日本では大正一〇~一五年にかけてもこういう
変態セックスが流行っています。たとえば今回資料として持ってきたのは
これ、大正一五年頃の『ぐろてすく』という、日本で初めて大々的に売れた
変態エロ雑誌。エロではあるんですけど猟奇性も全面に打ち出した構成
になっていて、目次を見ると「世界残虐刑罰史」とか「支の泥棒市場」とか
「近世詐欺捕物講」とか、犯罪系の企画がブームであったということが
うかがえますね。この頃の時代は変態と猟奇の全盛期だったんですけれ
ども、日本がだんだん戦争へと向かっていって、変態どころじゃなくなって
しまったんです。日本史上最大の抑圧時代ですね。その抑圧が一気に
弾けたのが第二次大戦後なんですよ。カストリ雑誌というのが流行り出し
まして、これはズバリ猟奇がテーマです。軍国主義の抑圧から解放され
て、変なセックスへの欲求が吹き出したんですね。ちょっと後の方の時期
ですけど、ここに昭和二八年発行の『風俗草子』という本がありますんで
見てみましょうか。

岡田 あ、見ます見ます。

唐沢 怪奇幻想っぽいテイストで、頭から終わりまでアブノーマルな特集
ばかりです。これ見てもらえますか?(巻頭カラーイラストを開く)いきなり
女が縛られてますよね。これを描いてる中川彩子って人がほんといい味
出してるんですよ。トンデモ系のSMばかりでして、はるか雲の彼方まで
届くような高ーい柱に女が磔≦はりつけ≧になってるとか(笑)。もっと
すごい作品だと、デパートが並んでてその屋上のすべてに、アドバルーン
にくくりつけられた裸の女が浮かんでるとかいうのがあって、そういうわけ
わかんないのをいっぱい描いてる人です。この女の人は(笑)。

岡田 こっちの特集は、これ、SM指導ですか?

唐沢 「異性六態」ですね。このお爺さんは伊藤晴雨という、日本の責め
縛り絵の 第一人者です。陵辱の構図とかいって、「これ、こうするのじゃ」
なんて指導してるんですが、いい表情でしょう、このお爺ちゃんがまた(笑)。

http://megalodon.jp/2012-0122-2159-22/netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/books/otakusemi/No12.html

×大正一五年頃の『ぐろてすく』  ○昭和四年の『グロテスク』
×「世界残虐刑罰史」 ○「世界惨虐刑罰史」
×「支の泥棒市場」 ○「支那の泥棒市場」
×「近世詐欺捕物講」 ○「近世詐欺捕物考」
×『風俗草子』 ○『風俗草紙』
×「異性六態」 ○「陵辱の構図」 (中川彩子「犠牲六態」との混同)

2ちゃんねるのスレでの検証してくださった人の書いたこと (Read More 参照) とほぼ同じ
ことを書いているだけだけど……。

「ぐろてすく 雑誌」でググると、「もしかして:グロテスク 雑誌」と表示され、『グロテスク
(GROTESQUE)』という「何度も発禁処分を受け」た雑誌についての情報が、ズラズラと
検索結果に表示される。

http://ja.wikipedia.org/wiki/梅原北明
>彼の業績の中でよく知られたものとして、1928年(昭和3年)11月から1931年(昭和
>6年)8月まで何度も発禁処分を受けながらも出版をつづけた雑誌『グロテスク
>(GROTESQUE)』(全21冊)があげられる。当局の弾圧をかわすためグロテスク社、
>文藝市場社、談奇館書局など数回にわたり発行所の変更を余儀なくされた。


http://ameblo.jp/mandara/entry-10081763436.html
>復刻する雑誌は、あの梅原北明が携わった『グロテスク(GROTESQUE)』(全21冊)で
>ある。この雑誌は昭和3年11月から6年8月まで、何度も発禁処分を受けながらも、グロ
>テスク社、文藝市場社、談奇館書局などと当局の弾圧をかわすために発行所をかえな
>がら、出版し続けたことで知られている。


で、すぐ上に引用したブログには、「昭和4年11月発行、文芸市場社五周年記念特集号、
第二巻 第十一号」の表紙も引用されていて、そこには「ぐろてすく」 (「くすてろぐ」と
書くべきか) という文字が見える。
(画像: http://ameblo.jp/mandara/image-10081763436-10054571665.html )

実は http://www001.upp.so-net.ne.jp/yokai/b-grotesque.htm に「グロテスク」全号の
表紙をアップしている人がいて、平仮名の「ぐろてすく」の文字が確認できるのは、この
「昭和4年11月発行」の号、一冊のみ。唐沢俊一が東大に持ち込んだのは、この本だっ
たと思われる。昭和 3 年創刊の雑誌で、「大正一五年頃」というのはないだろう。

その他参考 URL:
- http://kanwa.jp/xxbungaku/Publisher/Senzen/Hokumei/Hokumei.htm

追記:
>「世界惨虐刑罰史」「近世詐欺捕物考」の連載は昭和四年三月号で終っていますし、
>「支那の泥棒市場」は昭和四年三月号の単発記事ですので、東大に持ち込んだのは
>昭和四年三月号ではないでしょうか?

との指摘がコメント欄にあり。「ぐろてすく」になったのは……唐沢俊一は 2 冊所持して
いたのかも。


で、「世界残虐刑罰史」の方はまあ、以下のページでも「世界残虐刑罰史」となっている。

http://www001.upp.so-net.ne.jp/yokai/page_thumb39.htm
>世界残虐刑罰史・・・才田禮門

しかし、同ページからリンクされている「新年増大号チラシ」の画像:
http://www001.upp.so-net.ne.jp/yokai/grotesque-c0001.htm
を見ると、2ちゃんねるのスレに書き込んだ人の言う通り「世界惨虐刑罰史」になっている
ようなので、こちらを優先させてもらおうかと。

「支の泥棒市場」とか「近世詐欺捕物講」の方は……日本語になっていないというか、
もしも唐沢俊一の書いた通りだとしたら、雑誌に酷い誤植があったということになりかね
ないような。

「近世詐欺捕物講」の方は、下記のページも2ちゃんねるのスレへの書き込みも「近世詐
欺捕物考」だったけど、前述の「新年増大号チラシ」の画像では「近世詐欺捕物帳」と
書かれているようなので、「○近世詐欺捕物帳」というようにさせていただいた (が、コメ
ント欄
の指摘にならって「○近世詐欺捕物考」に訂正)。

http://www001.upp.so-net.ne.jp/yokai/page_thumb41.htm
>・近世詐欺捕物考・・烏山朝太郎

「支の泥棒市場」は、何かの間違いであることはほぼ確実と思うけど、これについては
正解は何かの裏が取りきれなかった……。
「支那の泥棒市場」 (コメント欄参照)。


次に、「風俗草子」の件だが、「中川彩子 風俗草子」でググったら、「もしかして:」の表示
さえもされなくて、ただ淡々と (?) 「風俗草紙」と書いてあるページのみが検索結果に表示
されたりする。

http://smpedia.com/index.php?title=中川彩子
>絵師。シュールリアリズムの画家として名を成した藤野一友の変名。風俗草紙から
>登場。奇譚クラブには描いていない。拷問画が特徴。春川光彦の変名で裏窓に小説も
>書いている。漢文学者の藤野岩友を父に持つ。


http://blogs.yahoo.co.jp/miya1728/54563862.html
>★「風俗草紙」(昭和28年12月15日発行)より、 中川彩子「灼熱の虐なみ」

唐沢俊一が、「いきなり女が縛られてますよね。これを描いてる中川彩子って人がほんと
いい味出してるんですよ」といっているのは、上の引用にある「灼熱の虐なみ」というのを
多分さしているのだろう。

ちなみに、「わけわかんないのをいっぱい描いてる人です。この女の人は」との記述に
関して唐沢俊一は、5 年後の 2002 年の裏モノ日記に、「そこで私が中川彩子を“この
女の人“と言っているようになっていること。あちゃあ。〈略〉単行本でも見逃していたのは
不覚。これでは私が中川彩子マニアでございなどと主張しても面目まるつぶれである。
岡田さん、ここ、訂正しといてくれないかしら。」――などと書いている。「岡田さん」が訂正
してくれなかったこの件については、前に「『受験で上京したばかりの高校生』が SM 緊縛
画集にハマった様子
」のエントリーでも言及したことがある。


それはさておき、中川彩子が登場する「昭和28年12月15日発行」の「風俗草紙」には、
「異性六態」……ではなく、喜多玲子の「犠牲六態」というのが載っているというのは、
2ちゃんねるのスレで指摘していた人の書いていた通り。

http://smpedia.com/index.php?title=喜多玲子
>喜多玲子「犠牲六態」 風俗草紙 1953年(昭和28年)12月号より

これについては、該当ページの画像も
http://smpedia.com/index.php?title=ファイル:Suma24.jpg
で見ることができたりする。

で、唐沢俊一も「陵辱の構図とかいって」と書いているが、「異性六態」ならぬ「犠牲六態」
の方がイラストであるのに対し、『凌辱の構図』はグラビアの写真記事だったようだ。

http://blog.livedoor.jp/mrkinbakusyashin/tag/風俗草紙
>12-02) 風俗草紙 12  53年12月号グラビア『凌辱の構図』のアングル違いです。

この号の伊藤晴雨は、『明治の無惨繪』や『国周ゑがく女の責め場』というのを書いて
いたみたいだけど、それに加えて「グラビア『凌辱の構図 指導する伊藤晴雨画伯』」
――と、グラビアの指導も担当していた模様。

http://smpedia.com/index.php?title=伊藤晴雨
>伊藤晴雨『明治の無惨繪』風俗草紙1953年(昭和28年)12月号, グラビア
>伊藤晴雨『国周ゑがく女の責め場』秘蔵版風俗草紙1953年(昭和28年)12月号増刊号,
>p148


http://blog.livedoor.jp/taiyoyaro/archives/51774828.html
>風俗草紙 昭和28年12月号
〈略〉
>グラビア「凌辱の構図 指導する伊藤晴雨画伯」


その他参考:
http://smpedia.com/index.php?title=風俗草紙
>1953年(昭和28年)9月、 p29 『女体の縛り方一五種』では伊藤晴雨が縛り方を図入り
>で解説。美濃村の縛りも口絵で紹介。上田青柿郎も出ている。
>1953年(昭和28年)12月、臨時増刊号として『秘蔵版 風俗草紙』



追記: コメント欄で指摘いただいて (ありがとうございました) から、日数が経ってしまい
非常に申し訳なかったですが、やっと修正。(_ _);

目次の画像はコピーしたので、下のサムネイルをクリックすれば参照できます。
1327277248.jpg


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2012.01.22 (Sun)

ドン・シャープがいっぱい

http://www.tobunken.com/news/news20120108202611.html

イベント
2012年1月8日投稿
名コンビだった男 【訃報 ドン・シャープ】
〈略〉
R.I.P.

※なお、ドン・シャープと言えば東宝特撮ファンには、1969年の本多猪四郎
監督作品『緯度0大作戦』のプロデューサーとして知られており、訃報記事
にもそのことに触れたものがあったが、IMDb(インターネット・ムービー・
データベース)によると、監督のドン・シャープと、プロデューサーのドン・
シャープは別人、という扱いになっている。名前のスペルも、監督の方は
Sharp、プロデューサーの方はSharpeである。音が同じゆえの混同だろうか。
監督のドン・シャープがプロデューサーをしたのは1950年、自らが出演した
自主製作映画『Ha'penny Breeze』だけのようだ。


「名コンビだった男」で済ませるのはちょっとヒドいと思う<ドン・シャープ

の続き。結論から先にいえば、去年 12 月に亡くなったドン・シャープは、『緯度0大作戦』
のプロデューサーとは別人――というのは唐沢俊一に同意なんだけど、興味深いネタだな
と思ったので、ちょこっとだけ調べてみた。

唐沢俊一が「訃報記事にもそのことに触れたものがあった」と書いているのは、多分以下
の記事のこと。

http://www.cinematoday.jp/page/N0038167
>2011年12月28日
>[シネマトゥデイ映画ニュース]
> クリストファー・リー主演映画『怪人フー・マンチュー』などで知られるドン・シャープ監
>督が現地時間12月14日に亡くなっていたことが明らかになった。
〈略〉
> 1969年には『ゴジラ』で知られる本多猪四郎監督の特撮映画『緯度0大作戦』にプロ
>デューサーとして参加したシャープ監督は、1990年代以降は第一線から退いている。
>バラエティーによると、享年90歳で、死因などの詳しい情報は明らかにされていない。
>(編集部・福田麗)


日本語版 Wikipedia も、2011年12月14日に亡くなったドン・シャープが『緯度0大作戦』
のプロデューサーとしている (後述の通り、英語版 Wikipedia では混同されていない) の
は、まあ 007 の件もあるし (ここを参照)、想定内として。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ドン・シャープ
>ドナルド・ハーマン・"ドン"・シャープ(Donald Herman "Don" Sharp, 1921年4月19日 -
>2011年12月14日)は、オーストラリア出身のイギリスの映画監督である。
〈略〉
>・緯度0大作戦 (1969) 製作


今回少し意外に思ったのは、http://blogs.yahoo.co.jp/gh_jimaku/7641559.html
引用の画像を見ると、日本で発売の DVD の解説でも、「『緯度0大作戦』の製作者」
となっているらしいこと。

http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/46/82/gh_jimaku/folder/274617/img_274617_7641559_3?1254238576
>日本では東宝の特撮映画「緯度0大作戦」の
>製作者としても有名



とはいえ、唐沢俊一のいう IMDb、それと英語版 Wikipedia をたどる限りでは、『吸血鬼の
接吻』などを監督した Don Sharp と、『緯度0大作戦』 (Latitude Zero) の Don Sharpe
とは別人として扱われている。

英語版 Wikipedia の Latitude Zero の項から http://en.wikipedia.org/wiki/Don_Sharp
へのリンクは張られていない (日本語版だと昨年 12 月に亡くなった「ドン・シャープ」 に
リンクされる)。

http://en.wikipedia.org/wiki/Latitude_Zero_(film)
> Produced by Don Sharpe
> Tomoyuki Tanaka


IMDb では Don Sharp と Don Sharpe は別のエントリーになっていて、「緯度0大作戦」の
プロデューサーは後者 (下記の IMDb の検索結果では 2. の方) となっている。

http://www.imdb.com/find?q=Don+Sharpe&s=allNames
> (Exact Matches) (Displaying 2 Results)
> 1. Don Sharpe (I) (Sound Department, Aliens (1986))
> aka "Donald Sharpe"
> aka "Don Sharp"
> 2. Don Sharpe (II) (Producer, "My Hero" (1952))
> aka "Don W. Sharpe"
> aka "Donald W. Sharpe"
> aka "Don E. Sharpe"


上の 1. の方の人は、Don Sharpe だったり Don Sharp だったりするのでややこしいが、
そちらも『吸血鬼の接吻』 (The Kiss of the Vampire) などの Don Sharp とは別人 (没年
は 2004 年) で、2011 年に亡くなった Don Sharp はこちら↓

http://www.imdb.com/name/nm0789033/
> Don Sharp (1921–2011)
> Director | Writer | Second Unit Director or Assistant Director
> Don Sharp was born on the island of Tasmania off of Australia, and began his
> show-business career there as an actor. After World War II he traveled to England
> and continued his acting carer.


ついでに、前のエントリーで、どうして「リーとは6本もの作品で組んでいる」のは当たって
いるのに、『海賊船悪魔号』をスルーし、フー・マンチューの第一作目より後の『白夜の
陰獣』について「これでリーとはウマがあったのか」などと、時系列が無茶苦茶な記述が
出てくるのか不思議に思ったのだが、こういう記述↓を発見して謎がとけたような気が。
各作品をチェックして 6 本とかいっていたのではなく、「Directed Christopher Lee six
times」をそのまま持ってきたのだと考えれば納得はいく。

http://www.imdb.com/name/nm0789033/bio
> Trivia
> Directed Christopher Lee six times.


それはさておき、『緯度0大作戦』の方の Don Sharpe のエントリーはこれ↓

http://www.imdb.com/name/nm1094693/
> Don Sharpe (II)
> Producer | Miscellaneous Crew | Actor
> Contribute to IMDb. Add a bio, trivia, and more.
〈略〉
> Ido zero daisakusen (producer) 1969


この人について IMDb にはバイオグラフィーとかは未登録なので、生没年等の情報は
IMDb からはたどれなかった。IMDb の「Ido zero daisakusen」の記述の方は以下の通り。

http://www.imdb.com/title/tt0064470/
> SEE RANK Ido zero daisakusen (1969)
〈略〉
> Production Co: Ambassador Productions, Don Sharpe Enterprises, National
> General Pictures See more »


この Don Sharpe Enterprises というのも、1952 年から 1953 年に My Hero という TV
シリーズをやって、その後は 1969 年の「Ido zero daisakusen」が最後の作品のように
書かれていて、これだけだとよくわからない。

http://www.imdb.com/company/co0014843/
>Don Sharpe Enterprises
〈略〉
> Production Company - filmography
> 1. Ido zero daisakusen (1969) ... Production Company
> 2. "My Hero: Beauty and the Beast (#1.19)" (1953) ... Production Company
> 3. "My Hero: The Boat (#1.14)" (1953) ... Production Company
> 4. "My Hero" (1952) ... Production Company
> 5. "My Hero: Oil Land (#1.1)" (1952) ... Production Company
> 6. "Terry and the Pirates" (1952) ... Production Company
> 7. "Terry and the Pirates: The Maitland Affair (#1.2)" (????) ... Production Company


興味深いと思ったのは、Don Sharpe Enterprises は、単独での資金繰りは無理そうだと
いうので、製作費を東宝と折半の日米合作と持ちかけたのはよかったんだけど、結局、
アメリカ側の資金調達は難航して、全額を東宝が負担することになったり、ドン・シャープ
プロは倒産して権利関係が長いこと不明瞭になったりしたとのこと。

http://www.scifijapan.com/articles/2009/02/26/
> latitude-zero’s-linda-haynes-interviewed/Haynes was a neophyte actress when
> producer Don Sharpe whisked her away from Hollywood to Japan, where she spent
> several months filming alongside big-screen legend Joseph Cotten and co-stars
> Patricia Medina, Richard Jaeckel, Cesar Romero, Akira Takarada, and others in the
> troubled U.S.-Japanese co-production about a war between undersea kingdoms.


http://www.badmovies.org/capsules/l/latitudezero/
> Joseph Cotten talks about this film over an entire chapter in his autobiography,
> detailing the US producer Don Sharpe's money hassles and that the cast, to
> preserve face for Toho, agreed to finish the film for nothing provided that the
> studio took care of all their living expenses etc.


http://www.geocities.jp/tustation/idozero.html
>そこでシャードマンは気鋭の監督であったドン・シャープに本作品の企画を打診すること
>となったがここでも問題となった。ドン・シャープはプロダクションを所有しているとはいえ
>大予算の映画は不可能であったのだ。そこでドン・シャープは東宝に共同制作を申し入
>れるという方法を取り映像化する事を思いついたのである。


http://ja.wikipedia.org/wiki/緯度0大作戦
>当初、アメリカ側のキャストの諸費用はアンバサダー(ドン=シャープ)、日本側のキャ
>スト及びスタッフは東宝、製作費(公称3億6千万円、実質2億9千万円)は折半として契
>約がまとまり、『海底大戦争 -緯度ゼロ-』の仮題で製作発表された。70ミリパナビジョ
>ン大作での案もあったが、当時日本に機材がなかったため実現しなかった。撮影中、
>ドン=シャープ側の資金調達が困難となり、撮影が一時中断。契約不履行でアメリカ側
>のキャストが帰国すると言い出したため、ドン=シャープ側が支払うべきギャランティー
>と製作費は全て東宝が負担することで、撮影を再開、完成させることになった。製作費
>の大部分はアメリカ側キャストのギャラであり、1969年(昭和44年)製作の東宝映画で
>は、この作品の直後に公開された戦争大作『日本海大海戦』の予算を大幅に超える結
>果となった。


http://godzilla.open-g.com/latitude_zero_1969.html
>東宝、ドン・シャーププロによる日米合作映画。
〈略〉
> 元々は戦前の1940年代にラジオで放送された"Tales of Latitude Zero"の映画化を
>原作のテッド・シャーマンが1960年代になってドン・シャーププロに持込み、制作費を安
>く上げたい米側と映画低迷期に入り資金難であった東宝側の思惑が合致し日米合作
>での制作が決定した作品です。しかし、米側の資金調達が難航し、結局東宝側が全額
>負担した上、契約関連が不明瞭であった事とドン・シャーププロの倒産などを原因とす
>る版権等契約絡みの問題で、人気がある作品にも拘らず長らくソフト(DVD、LD、ビデ
>オ)が発売が出来ない状態にあった為に"幻の作品"となっていた映画です。(現在は
>2006.4月よりDVDで発売中。
〈略〉
>しかし、ドン・シャーププロの資金調達の失敗と制作費の殆どが日米の豪華な出演者の
>ギャラに充てられた為か、本来東宝が得意とする筈の着ぐるみ登場シーン、緯度0や
>ブラッドロックなどのセットが貧弱になっているところは残念なところ。



で、「緯度0大作戦」の Don Sharpe に話を戻すと、彼は 1975 年に亡くなっていたという
話らしい。本人が亡くなっているので、日本での勘違いが訂正される機会も少なかったと
いうことになるかもしれない。

http://reaper-g.livejournal.com/297925.html
>1975: DON W. SHARPE, co-producer of “Latitude Zero”, dies at his home in Studio
> City, Calif.


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2012.01.16 (Mon)

「名コンビだった男」で済ませるのはちょっとヒドいと思う<ドン・シャープ

http://www.tobunken.com/news/news20120108202611.html

イベント
2012年1月8日投稿
名コンビだった男 【訃報 ドン・シャープ】

12月14日死去。89歳。

タスマニア(オーストラリア)生まれで、第二次大戦でイギリス空軍に
属したことからイギリスに定住、オーストラリア時代からやっていた演劇の
経験を活かして映画とラジオの役者になったが、すぐ演出の方にシフトした。
1963年、怪奇映画専門の制作会社ハマーフィルムから演出を依頼され、
『吸血鬼の接吻』のメガホンをとる。それまで怪奇映画を撮ったことなど
なかったが、数日、ハマープロダクションのアーカイブにこもって昔の
作品を見まくり、すぐにハマースタイルの演出法を身につけたという。
ハマーのドラキュラと言えばクリストファー・リーであるが、この作品は
ハマーがリーばかりにドラキュラをやらせてはすぐ飽きがくるだろう、と
かけがえの吸血鬼シリーズを企画した一本だった。怪奇ものは初めての
シャープに撮らせたのも、新しい血(文字通り!)を入れようとしての
ことではなかったろうか。

結局、やはり商品的価値としてはリーのドラキュラにかなうわけもなく、
ハマーの吸血鬼映画としては鬼子扱いの作品になってしまったが、しかし
この作品、ポランスキーの『吸血鬼』(1967)がアイデアをいただいた
と思われる吸血鬼一族の舞踏会シーンがあったり、ラストで、普通なら
吸血鬼の手下として描かれる吸血コウモリを使って吸血鬼たちを退治する
など、アイデア満載の脚本(これはハマー生え抜きのアンソニー・ハインズ
がジョン・エルダー名義で書いた)を、シャープは耽美調の演出で見事に
仕切った。その手腕をかわれてか、すぐアメリカに招かれてロン・チェニィ・ジュニア
主演の『Witchcraft』(1964)を撮ったり、ヒットした蝿男ものの
第三作『蝿男の呪い』(1965)を撮ったりする(ただしこの三作目は
蝿男とタイトルに謳っていながら肝心の蝿男が出てこないサギまがいの作品だったが)。
そして、ハマーもシャープを放っておかず、すぐイギリスに呼び戻して、前作では
組めなかったリーとコンビを組ませ、リーがラスプーチンを怪演した
『白夜の陰獣』(1965)を監督させた。

これでリーとはウマがあったのか、イギリス映画界の異才ハリー・アン・
タワーズがリーを起用した怪人フー・マンチューシリーズで、シャープは
シリーズ初期の、良質な二本の作品を監督している。本家のドラキュラもので
こそ組めなかったものの、最後の『オーロラ殺人事件』(1979)まで、
リーとは6本もの作品で組んでいる。リーを怪奇映画の大スターにした
テレンス・フィッシャーがリーと組んだ作品の数が12本ということを考えると、
途中参加でこれだけの作品を残したのは、お互い気のあった名コンビだった
と言えるだろう。

低予算の怪奇映画やB級スパイアクションの監督は、高い評価とは無縁な
運命のもとにある。しかし、それを厭わず、大衆の嗜好に合わせ、
職人として娯楽ものを作り続けてくれたその手腕には、深く感謝の意を
表したい。
R.I.P.


×ロン・チェニィ・ジュニア ○ロン・チャニィ・ジュニア または ロン・チェイニー・ジュニア
×『白夜の陰獣』(1965) ○『白夜の陰獣』(1966)

「"ロン・チェニィ・ジュニア"」と二重引用符つきでググると、唐沢俊一の書いた文章しか
ヒットしなくて、「もしかして:ロン・チャニィ・ジュニア」と表示される。Wikipedia の方は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/ロン・チェイニー・ジュニアとの表記。

で、「タスマニア(オーストラリア)生まれで、第二次大戦でイギリス空軍に属した」に、
「オーストラリア時代からやっていた演劇の経験」、「プロデューサーをしたのは1950年、
自らが出演した自主製作映画『Ha'penny Breeze』」、唐沢俊一があげている作品とその
公開年といった情報は、Wikipedia から拾うことができる。……「白夜の陰獣 Rasputin:
The Mad Monk (1966) 監督」を、唐沢俊一は「『白夜の陰獣』(1965)」と書いてしまって
いるけど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ドン・シャープ
>ドナルド・ハーマン・"ドン"・シャープ(Donald Herman "Don" Sharp, 1921年4月19日 -
>2011年12月14日)は、オーストラリア出身のイギリスの映画監督である。
>オーストラリアや日本の舞台・ラジオで俳優として活動した後はイギリスに移り、
>『Ha'penny Breeze』(1950年)で初めて脚本・製作を手掛ける。
>1960年代にはハマー・フィルム・プロダクションで『怪人フー・マンチュー』などのホラー
>映画を監督する。
〈略〉
>・吸血鬼の接吻 The Kiss of the Vampire (1963) 監督
>・Witchcraft (1964) 監督
〈略〉
>・蝿男の呪い Curse of the Fly (1965) 監督
>・怪人フー・マンチュー The Face of Fu Manchu (1965) 監督
>・白夜の陰獣 Rasputin: The Mad Monk (1966) 監督
〈略〉
>・怪人フー・マンチュー/連続美女誘拐事件 The Brides of Fu Manchu (1966) 監督・
> 脚本(クレジット無し)
〈略〉
>・オーロラ殺人事件 Bear Island (1979) 監督・脚本


『白夜の陰獣』 (Rasputin, the Mad Monk) は、英語版 Wikipedia でも IMDb でも 1966 年
になっているので、1965 年というのは単なる間違いと考えてよいだろう。

http://en.wikipedia.org/wiki/Rasputin:_The_Mad_Monk
> Rasputin, the Mad Monk is a 1966 Hammer film directed by Don Sharp.

http://www.imdb.com/title/tt0059635/
> Rasputin: The Mad Monk (1966)

しかし、「怪人フー・マンチュー The Face of Fu Manchu (1965) 監督」の方が、1966 年
の『白夜の陰獣』よりも前の作品ということは、唐沢俊一が今回書いた「『白夜の陰獣』
(1965)を監督させた。これでリーとはウマがあったのか、イギリス映画界の異才ハ
リー・アン・タワーズがリーを起用した怪人フー・マンチューシリーズで、シャープはシリー
ズ初期の、良質な二本の作品を監督している」の、「これでリーとはウマがあったのか」
がちょっと間抜けな記述となる。

さらに頭が痛いことに、1965 年よりさらに前、「海賊船悪魔号」 (The Devil-Ship Pirates)
にも、クリストファー・リーは出演しているようなのだが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ドン・シャープ
>海賊船悪魔号 The Devil-Ship Pirates (1964) 監督

http://www.imdb.com/title/tt0058011/
> The Devil-Ship Pirates (1964)
〈略〉
> Director: Don Sharp
> Writer: Jimmy Sangster
> Stars: Christopher Lee, Andrew Keir and John Cairney



さて、各作品についてだが、「吸血鬼の接吻」でググると、トップには以下のブログがくる。

http://blogs.yahoo.co.jp/gh_jimaku/7641559.html
>1963年 イギリス・ハマーフィルム作品 『吸血鬼の接吻』
>THE KISS OF THE VAMPIRE

>監督はドン・シャープ
>ハマー・フィルムのドラキュラシリーズとは
>別に製作された吸血鬼映画。
〈略〉
>吸血鬼の接吻ジンマー教授の魔術は成功し、何千匹のコウモリが城を襲い
>吸血鬼たちを滅ぼし始めた。そしてマリアンヌにかけられた
>呪いは消え夫妻は抱き合うのだった。
>日本公開1964年 ユニヴァーサル映画配給)
〈略〉
>吸血鬼が舞踏会を開くのはこの後に製作された
>ロマン・ポランスキーの「吸血鬼」(1967)に影響を
>与えてると言われています。


「ポランスキーの『吸血鬼』(1967)がアイデアをいただいたと思われる吸血鬼一族の
舞踏会シーン」に「ラストで、普通なら吸血鬼の手下として描かれる吸血コウモリを使って
吸血鬼たちを退治する」というのは、これで裏が取れたと考えるべきか、今回の唐沢俊一
の文章の有力ネタ元候補と考えるべきか。

上のブログには、公開当時のポスターと思われる画像:
http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/46/82/gh_jimaku/folder/274617/img_274617_7641559_0?1254238576
も存在していて、そこには Screenplay by JHON ELDER の文字が見えるけど、IMDb では
脚本はアンソニー・ハインズとなっている。

http://www.imdb.com/title/tt0057226/
> Kiss of the Vampire (1963)
〈略〉
> Director: Don Sharp
> Writer: Anthony Hinds (screenplay)


まあ Anthony Hinds のリンクをクリックして表示されるページには、「Alternate Names:
John Elder」とあるので、「アンソニー・ハインズがジョン・エルダー名義で書いた」という
のも OK。

http://www.imdb.com/name/nm0385573/
> Anthony Hinds
> Alternate Names: John Elder | Tony Hinds


「この作品はハマーがリーばかりにドラキュラをやらせてはすぐ飽きがくるだろう、とかけ
がえの吸血鬼シリーズを企画した一本」かどうかは不明。別の説をとなえているページも
存在していたりする。

http://vampfilms.sakura.ne.jp/kissofthevampire.html
>脚本は「吸血鬼ドラキュラの花嫁 (1960)」「帰って来たドラキュラ (1968)」「ドラキュラ
>血の味 (1969)」「血のエクソシズム ドラキュラの復活 (1970)(未)」のアンソニー・
>ハインズ(Anthony Hinds)(製作も兼任)。
〈略〉
>原作を踏襲する1作目から手心を加えた2作目に移行する中、ここでの新境地の開拓
>も半ば当然の話だが、そもそも本タイトルが番外編のような扱いを受けるようになった
>のも、後の「凶人ドラキュラ (1966)」以降、伯爵の復活路線が大ヒットしてしまったた
>め。まぁ、勝手な憶測にも過ぎないが、前作「吸血鬼ドラキュラの花嫁 (1960)」を手掛
>けたアンソニー・ハインズ(Anthony Hinds)にしてみれば、恐らくは、ここでの画期的な
>内容にも純然たる「シリーズ」としての自負があったに違いない。



で、「蝿男の呪い」でググってトップにくるのが、以下のページ。

http://homepage3.nifty.com/housei/CurseoftheFly.htm
>『蝿男の呪い』(『Curse of the Fly』 1965)
>『蝿男の恐怖』『蝿男の逆襲』に続く蝿男シリーズ第三弾。「今度は戦争だ!」奇怪な
>実験の失敗により街中の人間が蝿男に変身、逃げ遅れた主人公達に迫る…みたいな
>映画を想像していたのですが、実際の映画はまったく違っていたようで。
〈略〉
>なんだ、結局蝿男でないのか、面白かったけど蝿男の映画なんだから、やっぱり蝿男
>がでないとねえ。


読んだのがこのページのみだったとしても、「ヒットした蝿男ものの第三作『蝿男の呪い』
(1965)を撮ったりする(ただしこの三作目は蝿男とタイトルに謳っていながら肝心の蝿
男が出てこないサギまがいの作品だったが)」と書くことが可能かな、と。

その他参考 URL:
- http://www2u.biglobe.ne.jp/~kazu60/saitei1/50bsf2.htm
- http://www.jion-net.com/blog/2010/04/post-1045.html


「白夜の陰獣」でググるとトップにくるのは、Amazon のページ。

http://www.amazon.co.jp/白夜の陰獣-DVD-ドン・シャープ/dp/B00009WL1U
>内容(「キネマ旬報社」データベースより)
>数々のドラキュラ役を務めてきたクリストファー・リーが、ロシア帝政末期に宮廷に潜り
>込み、その後国政にも首を突っ込み暗殺された怪僧・ラスプーチンに扮した異色の伝
>記ホラー。心霊治療シーンや催眠セックスシーンなど、一風変わったシーンにも注目。
>内容(「Oricon」データベースより)
>ロマノフ王朝時代の帝政ロシアで宮廷に入り込み大きな権力を持つまでにいたった怪
>僧グレゴリ-・ラスプーチンをハマー・フィルムの顔、クリストファー・リーが演じた作品。


「リーとコンビを組ませ、リーがラスプーチンを怪演した『白夜の陰獣』」と書くだけだったら
これで充分。


「フー・マンチュー」でトップにくるのは、Wikipedia の以下のページ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/フー・マンチュー
>しかし著者サックス・ローマーの死後である1965年、タワーズ・オブ・ロンドンズはクリス
>トファー・リー主演でフー・マンチュー映画シリーズの製作を開始した。
>・「The Face of Fu Manchu」 (1965)
>・「The Brides of Fu Manchu」 (1966)
>・「The Vengeance of Fu Manchu」 (1967
>・「The Blood of Fu Manchu」 (1968)
>・「The Castle of Fu Manchu」 (1969)


これで、「怪人フー・マンチューシリーズで、シャープはシリーズ初期の、良質な二本の
作品を監督」とは書ける。「これでリーとはウマがあった」、「お互い気のあった名コンビ」
で、唐沢俊一が今回つけたタイトルも「名コンビだった男」なのに、残りの 4 本はリーとの
コンビを解消させられたということにならないか……という疑問はわいてくるのだが。

http://angeleyes.dee.cc/fu_manchu/fu_manchu.html
> 脚本は全てハリー・アラン・タワーズ自身が、ピーター・ウェルベックという変名で手掛
>けている。サックス・ローマ―の原作からは登場人物の設定のみ拝借されており、スト
>ーリーはほぼ全てタワーズのオリジナル。ただし、キッスを用いて相手を毒殺するという
>4作目『女奴隷の復讐』のみ、原作シリーズの第一弾“The Zayat Kiss”に出てくる毒を
>持つトカゲの“キッス”よりヒントを得ている。
> なお、フーマンチューの宿敵ネイランド・スミス役のキャスティングは3回変わったが、
>クリストファー・リーとツァイ・チンの主演コンビ、及びネイランドの親友ピートリ博士を演
>じるハワード・マリオン=クロフォードの3人は、シリーズを通して前作に登板した。


そもそも怪人フー・マンチューのシリーズ 1 作目 (1965 年) から 1 年後の『白夜の陰獣』
(1966 年) の作品で、「これでリーとはウマがあった」もないもんだ――というのは前述の
通りだし、「リーとはウマがあった」、「お互い気のあった」というのが本当だったとしても、
それがそのまま監督と俳優の「コンビ」を組む本数の多さや、「名コンビ」といわれるだけ
はある作品内容への反映に直結するものかは疑問だし。

だいたい、クリストファー・リーの出演作品はやたら多くて、Wikipedia によると 250本。
そのうち 6 本で組んだだけで、ドン・シャープは「名コンビだった男」とまとめるのはどうか
とも思う。唐沢俊一のいうように「テレンス・フィッシャーがリーと組んだ作品の数が12本」
だとしたら、その半分でしかないし、クリストファー・リーと「名コンビ」とくればカッシング
なども思い浮かぶ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/クリストファー・リー
>出演作は250本にも上り、世界で最も多くの映画に出演した俳優としてギネスブックに
>記載されている。ドラキュラ伯爵役が最も有名であり、そのほか『白夜の陰獣』のラス
>プーチン、『007 黄金銃を持つ男』のスカラマンガ、『三銃士』のロシュフォールなど、
>特に悪役でその魅力が際だっている。
〈略〉
>カッシングとは22本の映画で共演したが、『吸血鬼ドラキュラ』を含め、リーがドラキュ
>ラを演じ、カッシングがヴァン・ヘルシングを演じる作品は3本ある。今も尚、このリーの
>ドラキュラ、カッシングのヴァン・ヘルシングを超える組合せは無い、とするホラーファン
>も多い。


具体的な名コンビぶりを説明するならともかく、「途中参加でこれだけの作品を残した」と
いうだけでクリストファー・リーと「名コンビだった男」として終わりというのは、ドン・シャープ
をクリストファー・リーのオマケ扱いしている感じで、唐沢俊一こそが一番彼を「高い評価
とは無縁」の扱いをしているような気がしてならない。

ちなみに、訃報記事でも、組んだ相手としてクリストファー・リーの名前だけがあげられて
報じられているわけではなかったりする。

http://www.imdb.com/title/tt0073103/news#ni19776655
> Director Don Sharp Dies: Worked with Deborah Kerr, Christopher Lee, Lee
> Remick, Vanessa Redgrave
> 18 December 2011 10:38 PM, PST | Alt Film Guide | See recent Alt Film Guide
> news »
> According to various online sources, Tasmanian-born director Don Sharp has died.
> He was 89.


ところで、「『オーロラ殺人事件』(1979)まで、リーとは6本もの作品で組んでいる」と
いうのは正しいのかなと IMDb をチェックしてみたけど、これは 6 本でよいみたい。本文で
唐沢俊一が言及している『白夜の陰獣』に、怪人フー・マンチューのシリーズから 2 本、
下記の「Dark Places」に「Bear Island」 (邦題『オーロラ殺人事件』)、そして前述の「The
Devil-Ship Pirates」 (邦題『海賊船悪魔号』) を加えると 6 本になる。「The Devil-Ship
Pirates」の 1964 年というのを、どうして見逃したんだろうという疑問は、さらに強まるけど。

http://www.imdb.com/title/tt0071391/
> Dark Places (1973)
〈略〉
> Director: Don Sharp
> Writers: Ed Brennan, Joseph Van Winkle, and 2 more credits »
> Stars: Christopher Lee, Joan Collins and Herbert Lom


http://www.imdb.com/title/tt0078836/
> Bear Island (1979)
〈略〉
> Director: Don Sharp
〈略〉
> Christopher Lee ... Lechinski



なお、「R.I.P.」よりも後に書かれている『緯度0大作戦』関連については、別エントリー
でやる予定。

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02:26  |  その他の雑学本 間違い探し編 (324) +  |  TB(0)  |  CM(1)  |  EDIT  |  Top↑

2012.01.15 (Sun)

ここにサッチモあり

http://www.tobunken.com/diary/diary20010704000000.html

 終映8時、タクシー拾って渋谷まで。K子と花菜で待ち合わせて食事。
アジ天ぷら美味。生二ハイ、日本酒(菊水)ちょっと、焼酎ソバ湯割り一
パイ。モリ一枚を二人で分けて食べる。BGMに1920年代のサッチモ
のジャズ。陶然たり。私が生まれる三十年以上前の音楽でちゃんと
ノスタルジーの快感を味わえるのは、学生時代から古い映画、レコード、
本にたっぷりすぎるほど親しんできた恩恵というもの。“自分は若いから”
“世代が違うから”と、ノスタルジーに対する勉強を拒否してきた連中は、
結局、人生を半分(前半分)しか楽しめていない。かわいそうだなあ、と
思う。


2ちゃんねるのスレで話題になっていた、2001 年 7 月の裏モノ日記 (Read More 参照)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ルイ・アームストロング
>ルイ・アームストロング (Louis Armstrong, 1901年8月4日[1] - 1971年7月6日)は、
>アフリカ系アメリカ人のジャズミュージシャンである。
>サッチモ(Satchmo)という愛称でも知られ、20世紀を代表するジャズ・ミュージシャンの
>一人である。
>サッチモという愛称は「satchel mouth」(がま口のような口)というのをイギリス人記者
>が聞き違えたとする説や、「Such a mouth!」(なんて口だ!)から来たとする説などがあ
>る。その他、ポップス(Pops)、ディッパー・マウス(Dipper Mouth)という愛称もある。
〈略〉
>1923年、シカゴに移りキング・オリヴァーの楽団に加入。同年、初のレコーディングを行
>う。1924年にはニューヨークに行きフレッチャー・ヘンダーソン楽団に在籍。この時期、ブ
>ルースの女王ベッシー・スミスとも共演。その後シカゴに戻り、当時の妻リル・ハーディ
>ン・アームストロング(ピアノ)らと共に自分のバンドのホット・ファイヴを結成。同バンド
>が1926年に録音した楽曲「Heebie Jeebies」は、ジャズ史上初のスキャット・ヴォーカル
>曲として知られる[2]。
>1930年代にはヨーロッパ・ツアーも行う。第二次世界大戦時には慰問公演も行った。
>しかし人種差別が法的に認められていた当時のアメリカでは、公演先でも白人と同じ
>ホテルへ泊まれない他、劇場の入り口さえ別々というような差別を受け続けた。

>幅広い活躍
>1950年代には「バラ色の人生」や「キッス・オブ・ファイア」等が大ヒット。また、1953年
>には初の日本公演を行う。1956年にはエラ・フィッツジェラルドとも共演。1960年代、時
>代がビートルズを代表とするポップ・ミュージック一色となる中でも、「ハロー・ドーリー」
>はミリオン・セラーとなり、多くのアメリカ国民に受け入れられた。
>1967年には、「この素晴らしき世界(What a Wonderful World)」が世界的なメガヒットと
>なった。1968年にはウォルト・ディズニー映画の曲を取り上げたアルバム『サッチモ・シ
>ングス・ディズニー』を発表し、ジャンルに縛られない柔軟な姿勢を見せ付けた。
>1969年には、『女王陛下の007』の主題歌に近い挿入歌、「愛はすべてを越えて」を発
>表。イギリスでは1994年に、「ミュージック・ウィーク」誌で、最高位3位を獲得している。
>高い音楽性と、サービス精神旺盛なエンターテイナーぶりが評価され、映画にも多く出
>演した。


代表作のひとつとされる「バラ色の人生」はこれ↓

http://www.youtube.com/watch?v=wADat9wg834
>La Vie En Rose - Louis Armstrong HD

「セ・ラ・ヴィ(これが世の中さ)」なんて訳し方をする唐沢俊一 (ここを参照) にかかると、
「バラ色の世の中」にされかねないが、まあそれはおいといて。

「キッス・オブ・ファイア」、「ハロー・ドーリー」、そして個人的に一押しの「この素晴らしき
世界(What a Wonderful World)」はこれ↓

http://www.youtube.com/watch?v=XCXxJFmfGVc
>Louis Armstrong - Kiss of Fire (El Choclo) - Tango

http://www.youtube.com/watch?v=kmfeKUNDDYs&list=PL2A31A72A53FBB86C
>Louis Armstrong - Hello Dolly Live

http://www.youtube.com/watch?v=m5TwT69i1lU&list=AVGxdCwVVULXfC9Q-wGwVaotcA_HZcgIfU
>Louis Armstrong What A Wonderful World

「第二次世界大戦時には慰問公演」というのは、このあたりか↓

http://www.youtube.com/watch?v=kcyup878Li4
>Louis Armstrong Live

2ちゃんねるのスレでは、「今若い子が初めて聴いても、年輩者が初めて聴いても、最初
からノスタルジーに浸れるはずだ」と書き込まれていたが、それにはひたすら同意としか。

もっとも、上にあげたリンクは「1920年代のサッチモのジャズ」ではない。「食事処の
BGMで掛かっていたサッチモの演奏を1920年代と断定出来るほど好きらしいから」、
「唐沢ってサッチモの1920年代の音源と、40年代の音源の差って理解できるのかな?」
などともスレには書き込まれていたりした。1920 年代といえば、こういう感じ↓

http://www.youtube.com/watch?v=XGgbpe0_47c
>Louis Armstrong - He Like It Slow (1926)

http://www.youtube.com/watch?v=1iJdXWY7JRo
>Louis Armstrong - Savoy Blues (1927)

http://www.youtube.com/watch?v=w1DNA4q14fM
>Louis Armstrong - Got No Blues (1927)

http://www.youtube.com/watch?v=zQBjD06a6l8
>Louis Armstrong - Basin St Blues-1928

http://www.youtube.com/watch?v=tlHUqFSDD9A
>Louis Armstrong - After you`ve gone (1929)

こういうのを聞いて「ノスタルジーの快感を味わえる」ようになるためには、「ノスタルジー
に対する勉強」が必要なのかと考え始めると、なおさらわからなくなる。そもそも唐沢俊一
が古いジャズについて若い頃「勉強」していた話なんて他で目にした覚えもないけどなあ
――と思ったら、スレに書き込まれていた「サッチモはベティ・ブープシリーズの『ベティの
蛮地探検』に出演してるからね」で、なるほどと謎が解けたような。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm665661
>「ベティの蛮地探検」"I'll Be Glad When You're Dead You Rascal You"(1932)

上のリンク↑は、実写の演奏部分も楽しそうだわ、サッチモの首もぶんぶん飛んでいるわ
で、かなりお勧め。このニコ動のコメントにあるように、今なら放映できなさそうな黒人=
土人扱いっぽいものだったりするけど。

それはともかく、前に「Baby Betty Boop Boop a Doop」のエントリーに、ルイ・アームスト
ロングが "boop boop a doop man" と呼ばれていたという話を書いたことがある。サッチモ
とベティとは縁が深いといってよいだろう (?)。

ちなみに、Wikipedia に「ジャズ史上初のスキャット・ヴォーカル曲として知られる」との
説明がある、「1926年に録音した楽曲『Heebie Jeebies』」はこれ↓

http://www.youtube.com/watch?v=ksmGt2U-xTE
>Heebie Jeebies-Louis Armstrong and his Hot Five

で、唐沢俊一が古いジャズを「勉強」したのは、アニドウの上映会などでベティ・ブープを
観たついで――と仮定すると、困る (?) のは「1920年代のサッチモのジャズ」の「1920
年代」。いっそ「×1920年代 ○1930年代」とやってしまいたい気が。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ベティ・ブープ
>1930年8月9日に、フライシャー兄弟による『トーカートゥーン(原題:Talkartoon)』シリー
>ズ6番目の作品『Dizzy Dishes(日本未公開)』で、ベティ・ブープは銀幕へのデビューを
>飾った。



以下、かなりチラ裏。

唐沢俊一が「ノスタルジーの快感を味わえるのは、学生時代から古い映画、レコード、本
にたっぷりすぎるほど親しんできた恩恵」というのは多分、当時はさほど感動も覚えなくて
半分聞き流していたような曲でも、年月を経て聞き直す機会にめぐまれると、懐かしさに
浸れて「陶然たり」の心境になれたりするということに過ぎないのではないかと思う。

リアルタイムではさほど好きではなく、むしろウザいと思って聞いていたような流行曲も、
懐かしのメロディーとかものまね選手権とかいう類いの番組で聞くと、「あ、懐かしい!」と、
つい感動してしまうということがあるもの。

一方、2ちゃんねるのそこここのスレで目にするタイプの意見として、「○○を読んだ /
聞いた / 観たことがないの? それは羨ましい! ○○を、はじめて読む / 聞く / 観るとき
の感動を、これから味わうことができるなんて」とかいうのがあって。

唐沢俊一のいう「ノスタルジーの快感」は、若い頃を思い出すなあ、しみじみ――とかいう
個人的な思い出との連動にひたすら依存するせいで「ノスタルジーに対する勉強」なんて
のが前面に出るしかなく、その作品にはじめてふれた者をも引き込み感動させる、作品
それ自体の力みたいなものを、唐沢俊一はほとんど信じていないんじゃないかと思ったり
する。

まあ、ものによっては、最初はとっつきにくくても、繰り返しふれているうちに良さがわかっ
てくるというものもあると思うし、「“自分は若いから”“世代が違うから”」で喰わず嫌いを
していたらもったいないよ、という意見は充分アリだと思うけど、そういうことを主張したい
なら、「ノスタルジーに対する勉強」じゃなくて、現在進行形であれやこれやを楽しむため
の「勉強」であってよいと思う。遠い未来の自分のためにというより、いま現在またはごく
近い未来の自分のための、お勉強。

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2012.01.14 (Sat)

ガキの使いでもガセ? < 尿道にライフルまたはスクリュー

唐沢俊一は大晦日の夜にガキの使いに出演するか」の続きまたは後日談。

結局、大晦日には唐沢俊一の出演した部分は放映されなかったが、1 月 13 日に『ガキ
の使いSP 完全版!!絶対に見逃してはいけない空港』の方には、少し出ていた模様。

これについては、2ちゃんねるのスレでも話題になって (Read More 参照)、個人的には
以下の書き込みとかが気になった。

http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1325472788/851
>851 :無名草子さん:2012/01/13(金) 20:32:58.88
>面白くも無いし、放送された雑学は3つ
>「飛行機は森鴎外」「尿道にスクリュー」「シマウマはワンと鳴く」
>って雑学は唐沢の本ではなく、
>トリビアの泉で放送済みの雑学ばかりだよ。


で、トリビアの泉で放送済みの雑学かどうかを含めて調べてみた。雑学部分については、
唐沢俊一blog」の「唐沢俊一、『絶対に見逃してはいけない空港24時』に登場。」から
孫引用。


まず「飛行機は森鴎外」から。

http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20120113/1326462635
>(1)「飛行機」という言葉を発明したのは森鴎外である。

「飛行機」という表記を確認できる一番古い文書が森鴎外の「小倉日記」なのは確かな
ようだが、「『飛行機』という言葉を発明したのは森鴎外」とまとめてしまうのがよいかどう
かは少し微妙。

http://www.asahi.com/special/wrightbrothers/TKY200311190212.html
>「飛行機」初訳者は鴎外? ライト兄弟飛行の2年前
〈略〉
>鴎外は著作で飛行機に触れたり、独の戯曲を「飛行機」と改題して訳したりしている。
>村岡さんがさかのぼってみると、「小倉日記」の01年3月1日付に「飛行機の沿革を
>説く」とあるのが初出だった。飛行する機械をつくりたい、と訪ねて来た青年発明家・
>矢頭(やず)良一に、留学時代に知った開発の歩みについて熱っぽく語ったことを記し
>た部分だ。
〈略〉
>英語ではエアプレーン(空の板)だが、独語ではフルークツォイク(飛行道具)。村岡
>さんは鴎外がこちらを念頭に訳したとみる。他の訳に「空中翔機械」「飛空機」「浮空
>機」なども登場したが、「代表的知識人だった鴎外の訳だからこそ、『飛行機』が定着し
>たのでは」という。
>(03/04/12)


上に引用の朝日の記事は、「初訳者は鴎外?」と「?」つきになっているが、疑問符付き
なのもある意味納得というか、森鴎外を訪問して話をしていた矢頭良一が「飛行機」だと
いっていたんじゃないのか、その場合「『飛行機』という言葉を発明したのは森鴎外」といっ
てよいのかという素朴な疑問がわいてくる。

んで、矢頭良一に先行する二宮忠八が、「飛行器」という命名をすでにおこなっていたと
いう話を読むと、「言葉を発明したのは森鴎外」というのは、さらに微妙になってくるような
気がしてくる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/飛行機
>現在の日本語の表記である「飛行機」という言葉は、森鴎外が「小倉日記」1901年
>(明治34年)3月1日条に記したのが初出だとされる[3]。
〈略〉
>3. ^ この日、森(当時、第12師団軍医部長)を訪問した矢頭良一が「飛行機の沿革を
> 説く」とある。矢頭良一より早く飛行機の研究を行った二宮忠八は「飛行器」の表記を
> 用いていた。


http://ja.wikipedia.org/wiki/二宮忠八
>陸軍従軍中の1889年「飛行器」を考案。翌年にゴム動力による「模型飛行器」を製作、
>軍用として「飛行器」の実用化へ繋げる申請を軍へ二度行うも理解されず、以後独自
>に人間が乗ることのできる実機の開発を目指したが完成には至らなかった。なお「飛行
>器」とは忠八本人の命名による[注 1]。
〈略〉
>1.^ 「飛行機」という用語は森鴎外が1901年の日記に使用したのが最初の用例である
> とされる。


個人的には、「『飛行機』という言葉を発明したのは森鴎外」というより、二宮忠八の発明
した「飛行器」という言葉の、「器」を「機」に変更した表記を定着させた人が森鴎外という
ふうに思うけど、まあそのあたりの感じ方については人それぞれということで。

「トリビアの泉」でこの話をやっていたとしたら、どういう表現をしていたのだろうと思って
ちょっとググったけど、森鴎外の「飛行機」ネタについては見つからなかった。森鴎外関連
で見つかったのは以下の 3 つ。他にもあるかもしれないけど。

http://www.oride.net/trivia/trivia297-308.htm
>No.300 森鴎外の好物は饅頭茶づけ(番組評価 74/100へえ)
>森鴎外(1862~1922)は明治時代の末期に活躍し「舞姫」や「山椒大夫」など数多くの
>作品を残した文豪です。甘いものが好きで、中でも饅頭が大好物でした。饅頭茶漬け
>は鴎外のオリジナル作品で、食べ方は鴎外の長女の森茉莉(もり・まり)の著書「記憶
>の絵」の中に「饅頭を4つに割ってご飯の上にのせ、煎茶をかけて美味しそうに食べ
>た」と記されています。味は著書の中に「渋く粋な甘味」と書かれています。饅頭はほぐ
>してお召し上がりください。


http://www.oride.net/trivia/trivia400-407.htm
>No.400 森鴎外が初孫につけた名前は「森マックス」(番組評価 71/100へえ)
>森鴎外の長男である森於菟(もり・おと)の著書「父親としての森鴎外」の中に書かれて
>います。真章(マックス)という名前は、森鴎外がドイツで学んでいたマックス・フォン・
>ペッテンコーフェル先生からとってつけました。子どもたちに洋風の名前をつけたのは
>鴎外自身がドイツで生活していたときに「森林太郎」という本名で不自由したからである
>ことと、ドイツなど西欧に対する興味からと言われています。


http://www.oride.net/trivia/trivia.htm
>No.794 森鴎外の「大発見」という作品には「ヨーロッパ人も鼻クソをほじる」と書いてあ
>る(番組評価 67/100へえ)
> 森鴎外(1862~1922)の作品をまとめた「鴎外全集」の「大発見」という作品の結論に
>「僕は謹んで閣下に報告する。欧羅巴人も鼻糞をほじりますよ。」とあります。鴎外は衛
>生学を修得するためにドイツに留学しましたが、その際にドイツ公使に「鼻クソをほじる
>日本人に衛生学もあるか」と罵倒されました。鴎外は「ヨーロッパ人も鼻クソをほじるは
>ずだ」とドイツ留学の3年間、鼻クソをほじるヨーロッパ人をひたすら探し続けました。結
>局見つけることはできませんでしたが、あきらめきれなかった鴎外は20年以上経ったあ
>る日、デンマークのグスタフ・ウィードによって書かれた「2×2=5(和名:ににんがご)」
>という書物の中で「彼はをりをり何者をか鼻の中より取り出している」という記述を見つ
>け、明治42年(1909年)に「大発見」を発表しました。この時の喜びを「キュリー夫人の
>ラジウム発見やコロンブスのアメリカ大陸発見に匹敵する大発見だ」と自画自賛してい
>ます。記述を見ただけであって、実際にその様子を鴎外が見たわけではありません。


ちなみに、鼻クソの「大発見」の件は、唐沢俊一のお気に入りのトリビアで、著作でも目に
した覚えがあるし、裏モノ日記にも言及がある。

http://www.tobunken.com/diary/diary20030615000000.html

先ほど鼻毛を切って血を出した件のことを記したが、西洋人がはたして
ハナクソをほじるか、という問題を大まじめに追求した『大発見』はやは
実に面白い。




次に「尿道にスクリュー」。

http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20120113/1326462635
>(2)男性の尿道にはライフルが切られている。

以下の知恵袋の質問にある「今日、テレビの雑学で」というのは、日付から判断するに
『ガキの使いSP 完全版!!絶対に見逃してはいけない空港』のことだとは思うんだけど、
何か回答が意味不明で、こちらも質問者同様「よくわかりませんでした」という気持ちに
なってくる。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1279331252
>尿道はスクリューの形状なのですか
>今日、テレビの雑学で上記のようなことを言っていました。
>そこで私なりに調べてみたのですが、よくわかりませんでした。
>スクリュー状ってどんななのでしょうか。男も女もですか。
〈略〉
>質問日時:2012/1/13 22:24:23
〈略〉
>そうです。男女共です。
>たまにボケ老人は逆回転しちゃいますから湯船では体が膨らんでシワがなくなるそうで
す。
>ヘルパーが引っ叩くと正常に回転し元に戻ります。


この「尿道にライフル」も唐沢俊一お気に入りのネタらしく、『ウラグラ! ベスト・オブ・裏
モノの神様』でも使っていた。

『ウラグラ! ベスト・オブ・裏モノの神様』 P.195 ~ P.196

神●観察力こそ裏者の基本じゃぞ。よいか、今度トイレでじっくり観察して
みなさい。キトうの先から出る小水はホースの先をつぶして水をまいている
ときのように平たくなり、しかも尿道口から約1センチのところで1回、ヒネリ
が加わっておる。
唐●え? そうなんですか? ちょっと待っててください(トイレへ行き、しば
らくして急いで帰ってくる)……いやあ、ホントだ! 驚きましたね、オシッコ
にヒネリが入っているなんて初めて知りましたよ! なんでこんな具合に
なるんです?
神●その秘密は、尿道にライフル(腔綫と呼ばれる螺旋状のミゾ)が切って
あるからじゃ。これによって小水ははまっすぐに飛び、かつ尿道口が平たい
形なので、ホースをつぶしたときのように、遠くまで飛ぶ。


ちなみに、「トリビアの泉」では、以下のように取りあげられたらしい。

http://www.oride.net/trivia/trivia489-496.htm
>No.496 成人男性のおしっこは出て2cmのところで180°回転している(番組評価
>65/100へえ)
>成人男性が尿を出すスピードは平均で秒速20ml前後、尿道の直径は平均8mmです。
>この条件が重なると放尿して2cmのところで180°回転します。これは表面張力と地球
>の重力のためと考えられていますが、詳しいことはいまだに解明されていません。


で、唐沢俊一は「尿道にライフル(腔綫と呼ばれる螺旋状のミゾ)が切って」とか書いて
いたが、「腔綫」も「ライフル」も「発射弾に回転運動を与えるために、銃身・砲身の内面に
らせん状につけた溝」とのことで、尿道の溝を指し示す言葉ではないようだ。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/06104800/
>こう‐せん〔カウ‐〕【×腔線/×腔×綫】
>発射弾に回転運動を与えるために、銃身・砲身の内面にらせん状につけた溝。ライフル。


では、尿道の溝は、専門用語 (?) では何というのか気になって調べたけど、Wikipedia の
「尿道」の項を見ても、よくわからない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/尿道
>尿道には、膀胱を出たあと、尿道周囲の筋肉が発達して、内部の尿の通行を妨げる尿
>道括約筋がある。この筋は随意筋で、意識的に尿を我慢するときに用いられる。
>尿道の壁の構造は、内側に、粘膜があり、その外に主に2層の平滑筋が存在するのが
>基本であるが、男性の尿道海綿体内では平滑筋層は明確ではない。尿道内部の壁の
>潤滑剤としての粘液を分泌する尿道腺と呼ばれる小型の分泌腺が多数存在し、尿道
>の内壁を湿らせている。内側の粘膜は、女性では、膀胱のごく近くでは、膀胱と同じ移
>行上皮であるが、それ以外のほとんどは重層扁平上皮である。一方、男性尿道では、
>膀胱の近くでは移行上皮、その後、前立腺内を通るときは前立腺の上皮と同様の多列
>円柱上皮となり、陰茎内では、独特の重層円柱上皮、亀頭部で重層扁平上皮と、様々
>に形を変える。


そして、さらに探していくと、以下のようなブログの記事を発見。

http://kklabo.ti-da.net/e3118368.html
>高校生の時、まだまだうぶな学生の頃の話。
>先生が、男のおしっこが綺麗にまっすぐ前に飛ぶ理由は拳銃と同じであると話してました。
>尿道内にはライフリング構造があり、おしっこも回転しながら飛び出すので、まっすぐに
>飛んで行くと。
>そして、尿道の病気になると、その螺旋構造が破綻し、乱流が発生し、おしっこが飛び
>散る様になると。
>学生の頃はこの話を聴いて、人間の尿道スッゲー! と感動してました。

>それから10年たち、泌尿器科医になり、膀胱や尿道の中を内視鏡で日常的に見る様に
>なりました。
>そして、さらに10年以上、尿道の中を見続けてきました。
>が、尿道の螺旋構造は見あたりません。
>尿道内はツルンとした単なるホースで、おしっこが回転しながら進む様な構造は全くあ
>りません。
>間違いありません。(たぶんね)


え? と思ったけど、「10年以上、尿道の中を見続けて」きた泌尿器科医の人のいう「尿道
の螺旋構造は見あたりません」に「尿道内はツルンとした単なるホース」は説得力がある
し、先の Wikipedia の記述や、「トリビアの泉」では「表面張力と地球の重力のためと考え
られていますが、詳しいことはいまだに解明されていません」と説明されていることとの
整合性もとれる。

つまり、「男性の尿道にはライフルが切られている」は多分ガセ、ということで。


最後の「シマウマはワンと鳴く」だけはマトモっぽい。

http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20120113/1326462635
>(3)〈略〉唐沢は「シマウマは“ワン”と鳴く」という雑学を披露。

http://blogs.yahoo.co.jp/sayakaxx21/29979334.html
>NO.285 シマウマは「ワン」と鳴く。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1148610056
>シマウマって「ワン」と鳴くと 聞いたのですが、本当でしょうか?
〈略〉
>質問日時:2010/10/13 17:33:44 解決日時:2010/10/16 14:03:19
〈略〉
>確かに「ワン!ワン!ワワン!」と鳴きますよw
>初めて聞いた時には思わず笑いました(^ω^)
http://www.youtube.com/watch?v=kZQLVyooScw


上のリンクは音声だけなので、シマウマの画像つきのものを YouTube からいくつか。

http://www.youtube.com/watch?v=1WOU1PcDOdQ
>Calling Zebra

http://www.youtube.com/watch?v=LQcx8C8Aj_g
>Zebra Noise

http://www.youtube.com/watch?v=w0nOXL8taOw
>Zebra making noise!

さらに探してみると、元ネタらしいものも見つかった。

http://www.e-mimi.com/5_links/14.html
>シマウマの鳴き声を教えてください >>
http://www.jazga.or.jp/jazgaqa/qadata/qa172.html
>「ほとんど鳴くことはありませんが、子どもが群れからはぐれたとき、母親が子どもを呼
>び戻すために鳴くことがあります。イヌに似た鳴き声で「ワン、ワン」または「ホワン、ホ
>ワン」と鳴きます。」


http://www.jazga.or.jp/jazgaqa/qadata/qa172.html はリンク切れで、このページ自体は
WebArchive にも残っていないけど、目次に当たる
http://web.archive.org/web/19990209032526/http://www.jazga.or.jp/jazgaqa/qaruibetu.html
はあった。1999 年の時点では、すでにネット上にアップされているネタというところまでは
さかのぼれた、ということで。

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2012.01.09 (Mon)

林光は「変な色眼鏡をこちらに与えていた」 (by 唐沢俊一)

http://www.tobunken.com/news/news20120108000556.html

イベント
2012年1月8日投稿
融合を目指した男 【訃報 林光】

1月5日、死去。80歳。昨年9月自宅の玄関で転んで頭を打ち、意識不明が
続いていたという。

大学生のころ、千石の三百人劇場で大島渚の『忍者武芸帳』(1967)を
観て、主題歌が非常に印象に残った。軽快で勇壮だが、どこかアニメソング調
でもある。ふと、曲調が子供の頃よく歌っていた『バンパイヤ』(1968)
の主題歌とソックリだ、と気がついて、(まだ、パソコンで簡単にググること
などできない時代だったから)わざわざ国会図書館まで行って調べて、二つの
曲が同じ作曲者だと知って、深い満足感を覚えたものである(この二作、どちら
も創造社の俳優たちが多く出演しているとか、監修に福田善之が加わっている
とか、共通点が他にもいろいろある)。
http://www.youtube.com/watch?v=He48iBPpuRY&feature=player_embedded

で、その作曲者が、林光だった。
うっかりだったが、そんな苦労して調べたのに、私の大河ドラマテーマ中、
ベストと思っている『花神』の作曲者の林光となかなか結びつかなかった。
勇壮・雄大なメロディの多い大河ドラマのテーマ中、『花神』のテーマは、
殺伐な幕末のドラマとは思えないほどゆったりとして温かく、ちょっと寂しげ
なところもあり、しみじみと心に染みる名曲だったために、こっちは聞いて
いて、イメージが直結しなかったのだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=y0LuczMCHRU&feature=player_embedded

60年以上にわたって作曲の世界にいた人であるが、その成果の多くは舞台
の上にあった。斎藤晴彦(『ロボット8ちゃん』のバラバラマン)などと
組んで、日本に、日本語によるオペラ、オペレッタを定着させるべく、
活動をしてきたのである。シェイクスピアの『ベニスの商人』を長崎の話
に置き換えたミュージカルを、NHKで観たことがあり、大変に面白かった
ことを覚えている。演劇にハマるのがもう少し早かったら、通い詰める
ようになっていたかもしれない。もっと積極的に追いかければよかったの
だが、思想的には革新系・労組系の人であり、それも変な色眼鏡をこちらに
与えていたのかもしれない。

林光の曲のイメージをひと言で表すとしたら、ちょっとバタくさい、日本調の
西洋楽曲という感じであるが、そのイメージは、ミュージカルにはあまり
向かない日本語と西欧楽曲との融合を目指していたから、ということがいえる
だろう。

他に子供向け、家族向けの名曲も多く残しているが、多くが未聴なのが
残念である。……と、思ったら、凄い曲を覚えて口ずさんでいたことを
思い出した!
なぜかウィキペディアの作品歴の中にも入れられていないが、
谷川俊太郎作詞・熊倉一雄歌のこの曲、これも林光だったのであった。
http://www.youtube.com/watch?v=c-ctneSZMJs&feature=player_embedded
この愛すべき歌を、差別意識云々で葬り去ろうというなら、それは
悲しいことだ。
そこにあるのは、作詞家、作曲家ともども、“日本語の持つイメージ”を愛し、
その響きと創造力の広がりを、歌曲というものの中でより楽しめるものに
しようという、その語感力、なのである。

日本語というものを愛し、それを曲に乗せ続けた類い希な才能に、
敬意を表する。
R.I.P.

http://megalodon.jp/2012-0108-2224-30/www.tobunken.com/news/news20120108000556.html

唐沢俊一のサイトの写真 http://www.tobunken.com/news/images/purof.jpg は、以下
のサイトから取ってきたものっぽい (ファイル名も同じ) けど、よいのかなあ……。

http://homepage2.nifty.com/hayashi_hikaru/newpage2-3.html
>写真:大原哲夫
(画像: http://homepage2.nifty.com/hayashi_hikaru/purof.JPG)

何も、「画像の持ち出しはバーナーを除き、一切禁止」と明記しているところから、パクって
こなくてもよいだろうと思うんだけど。

http://homepage2.nifty.com/hayashi_hikaru/index.htm
>当ホームページの文章の引用・転載は厳禁です。
>画像の持ち出しはバーナーを除き、一切禁止とさせて



「昨年9月自宅の玄関で転んで頭を打ち」と唐沢俊一は書いているが、これは報道よりも
公式サイトの記述をもとにしているためか。どちらにしても発表は 1 月 7 日で、唐沢俊一
が記事をアップしたのは、URL から推定すると 1 月 8 日の 0 時 5 分頃。何をそんなに
急ぐのか、という気が。

http://konnyakuza.blog.shinobi.jp/Entry/78/
>こんにゃく座の芸術監督・座付作曲家である林光さんが、1月5日18時33分、入院先の
>都内の病院で亡くなられました。80歳でした。
>昨年9月に自宅近くで転倒し、頭に大けがを負い、以来意識不明の状態が続いていま
>した。
>葬儀は近親者のみで行なわれ、後日あらためて「お別れの会」を行なう予定です。詳
>細が決まりましたら、お知らせいたします。
>2012/01/07 (Sat)


http://www.asahi.com/obituaries/update/0107/TKY201201060748.html
>2012年1月7日1時9分
>作曲家の林光さん死去 多くの日本語創作オペラ生む
> 日本語の創作オペラと社会性を持った活動で知られた作曲家の林光(はやし・ひか
>る)さんが5日午後6時33分、都内の病院で死去した。80歳だった。葬儀は親族で行
>う。後日、お別れの会を開く予定。



で、2ちゃんねるのスレでは、「『バンパイヤ』を持ち出したけど、『バンパイヤ』は基本
アニメじゃないだろ。 アニメ合成部分もあったけど」と指摘されている (Read More 参照)
『バンパイヤ』。確かにその通りで、唐沢俊一が「アニメソング調」と書いているのは、ミス
リードのきらいがあるかも。

http://www.youtube.com/watch?v=iI8uiQAXOZE
>バンパイア VOL.01 水谷豊主演

前エントリーでやった『傷だらけの天使』でドラム缶に入れられていた水谷豊が、この番組
では狼に変身する (←何という書き方)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/バンパイヤ
>1968年10月5日から1969年3月29日までフジテレビ系で全26話が放送された、実写と
>アニメの合成のモノクロ作品。バンパイヤの変身シーンと変身後の動物形をアニメー
>ションで描いている。
〈略〉
>水谷豊の事実上のデビュー作である。


そして、「曲調が子供の頃よく歌っていた『バンパイヤ』(1968)の主題歌とソックリ」か
どうかは微妙として、『忍者武芸帳』はこれ↓

http://www.youtube.com/watch?v=LsjQI856HEQ
>忍者武芸帳 予告編 Tales of the Ninja
>忍者武芸帳 予告編 1967年 監督:大島渚 製作:中島正幸、山口卓治、大島渚 原作:
>白土三平 撮影:高田昭 音楽:林光


もしかして、「アニメソング調」というのは、『忍者武芸帳』の方からきたのかもしれない
とも思った。白戸三平の絵は、アニメ (動画) ではなく静止画として使われているけど。
確か、唐沢俊一は何かの本で、これをアニドウで上映したら、カムイ伝みたいなアニメを
期待して見にきた客に文句をいわれたとか書いていたような (←うろ覚え)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/忍者武芸帳
>映画版は1967年に大島渚監督が、静止画によるモンタージュという実験的技法で製作
>した。


http://ja.wikipedia.org/wiki/林光
>・忍者武芸帳(1967年)
>  本作には木下藤吉郎役で声の出演もしている。


その他参考 URL:
- http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20101030/1288436420


それから、「殺伐な幕末のドラマ」なのかなあ、の『花神』について。

http://ja.wikipedia.org/wiki/花神_(NHK大河ドラマ)
>『花神』(かしん)は、NHKで1977年1月2日から12月25日に放送された15作目の大河
>ドラマ。周防の村医者から倒幕司令官に、明治新政府では兵部大輔にまで登りつめた
>日本近代軍制の創始者・大村益次郎を中心に、松下村塾の吉田松蔭や奇兵隊の高杉
>晋作といった、維新回天の原動力となった若者たちを豪快に描いた青春群像劇。
〈略〉
>オープニング
>林光が作曲した舟歌風(8分の6拍子)のテーマ音楽[2]。


『花神』のテーマ音楽については、唐沢俊一の示したリンク:
http://www.youtube.com/watch?v=y0LuczMCHRU&feature=player_embedded
をクリックして、ああこれのことかと思ったり、あれこれだったのと意外に思ったり。

「勇壮・雄大なメロディの多い大河ドラマのテーマ中、『花神』のテーマは、」なんて書き方
を唐沢俊一がしていたので、あまり大河ドラマらしくない曲なのかと思ってリンクをクリック
したら、いかにも NHK 大河ドラマだなという感じの、聞き覚えもある曲が流れてきたので。
「勇壮」は該当しないかもしれないが、「雄大」さは感じられるんじゃないかとも思った。

たまたま前エントリーのからみで聞いていた『黄金の日日』 (こちらの作曲は池辺晋一郎)
や、個人的にこれこそ大河ドラマだと思っている『国盗り物語』のテーマ (これは林光) と
並べてみても、『花神』が特に異色とは思えない。他の曲が皆『山河燃ゆ』 (これも林光)
くらいのテンポで演奏されていたら、また別の感想になっていたかもしれないけど。

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&v=GN-ttLjTf9Y
>黄金の日日

http://www.youtube.com/watch?v=CgbVhpXdIAM
>国盗り物語のテーマ

http://www.youtube.com/watch?v=zyxvlyooemI
>[HD]山河燃ゆ OP  Sanga moyu

http://www.youtube.com/watch?v=TfuHA6em9ec
>真田太平記 オープニングテーマ

でも、まあ、そこら辺は、自分も音楽的センスがある方でもないし、ハズした感想を書いて
いるかもしれないし、他人のことはあれこれいえないとして。(『国盗り物語』のテーマなど
は、あえて勇猛さを押さえたという話を聞いた気もするが、自信はない。ご意見募集)。


それにしても、唐沢俊一の「思想的には革新系・労組系の人であり、それも変な色眼鏡を
こちらに与えていたのかもしれない」に、は、いくら何でもなあ……と思った。2ちゃんねる
のスレ
には「なにこの馬鹿文章。てめえが『変な色眼鏡』をかけてたんだろ」とか書き込ま
れていたけど、「変な色眼鏡をかけて見てしまっていた」と書く人は多くても、相手の方が
「変な色眼鏡をこちらに与えていた」というように、色眼鏡は相手の与えたもの、とにかく
相手のせいだといわんばかりの主張をする人は、悪い意味で珍しいと思う。

2ちゃんねるのスレにはまた、「その曲のタイトル『ひとくいどじんのサムサム』を意図的に
書かないってのはどうなんだろ」という指摘もあったけど、「この愛すべき歌を、差別意識
云々で葬り去ろうというなら、それは悲しいことだ」と書きながら、タイトルさえ書かないと
いうのは、これも悪い意味で珍しい。商業誌に掲載しようとしたら編集者に止められたとか
いうならわかるけど、唐沢俊一自身のサイトに載せるなら、いわゆる言葉狩りからも自由
でいられるはずなのに。まあ、唐沢俊一が一時期得意にしていたような、無意味な伏字
の使用ではしゃいだりしなかっただけマシかもしれないのだけれど。

参考ガセビア (「て×か×患者」とか「テ×カ×の守護聖人」とか):
その聖バレンタイン、違う人のことです
ひっくり返りそうになる電波文章 < ×ン×ン退治の守護聖人

その他参考 (「ひとくいどじんのサムサム」関係):
- http://www.nicovideo.jp/watch/sm2306333
- http://www.nicovideo.jp/watch/sm1043110
- http://www.youtube.com/watch?v=75vF4b1FqBo
- http://www.youtube.com/watch?v=gr4lwioYPWo

「他に子供向け、家族向けの名曲も多く残しているが、多くが未聴なのが残念である」とも
書いているけど、たとえば大河ドラマのテーマ曲などは歌詞もないし、「思想的」にどうこう
関係なく聞くことができるのだから、この機会に聞いてみればよかったのにと思ったりも
した。歌詞つきの曲にも、『ひとくいどじんのサムサム』と同様谷川俊太郎の詩もあれば、
宮沢賢治のものもある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/林光
>・四つの夕暮の歌(谷川俊太郎) - 混声合唱版あり。
>・「道」「空」「子供と線路」~ソプラノとフルートのための (谷川俊太郎)
〈略〉
>・セロ弾きのゴーシュ
〈略〉
>・歩くうた(谷川俊太郎)
〈略〉
>・ポラーノの広場のうた(宮沢賢治)
〈略〉
>・岩手軽便鉄道の一月(宮沢賢治)
〈略〉
>・混声合唱とピアノのための「うつくしいのはげつようびのこども」(2003年 マザーグー
> スによる)
>・男声合唱のための「日本抒情歌曲集」(1992年 - 2004年)
>・女声合唱とピアノのための「天使のせいぞろい」(2004年 谷川俊太郎『クレーの天使』
> による)


http://www.youtube.com/watch?v=ZbmuzQ3schM
>武満徹 死んだ男の残したものは / 林光編曲版 東京混声合唱団

まあ、「言葉をきらびやかに飾る天才である谷川俊太郎」とか書いたり (ここを参照)、宮沢
賢治については、こうあああれだったりする唐沢俊一だけど。

映画音楽もいろいろ手がけていて、唐沢俊一が石堂淑郎のときに言及していた『絞死刑』
の音楽担当も林光。

http://ja.wikipedia.org/wiki/林光
>・北斎漫画(1981年)
〈略〉
>・絞死刑(1968年)
〈略〉
>・みんなの科学(1965年 - 1980年、NHK教育テレビ)


http://www.youtube.com/watch?v=9tFn8vz69TI
>Hokusai Manga 北斎漫画 (1981) Trailer

個人的には、「みんなの科学」のテーマ曲も気になっているのだけど、これは現時点では
YouTube にはアップされていない模様なのが残念。

- http://ja.wikipedia.org/wiki/みんなの科学
- http://mkagaku.jugem.cc/?eid=426


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17:10  |  その他の雑学本 パクリ探し編 (30) +  |  TB(0)  |  CM(11)  |  EDIT  |  Top↑

2012.01.08 (Sun)

傷だらけのヒーロー? だが、それがいい

『破壊された男』だったらアルフレッド・ベスター (← 市川森一とは関係ない)

の続き。

http://www.tobunken.com/news/news20120104054833.html

……とはいえ、子供番組を離れても、市川森一のヒーロー像破壊癖は
やまなかった。大谷竹次郎賞を受賞した大河ドラマ『黄金の日々』では、
同じ大河ドラマで13年前に国民的人気を博した『太閤記』のヒーロー
豊臣秀吉を、同じ緒形拳に演じさせ、晩年の、老耄した元・英雄の
人間的愚かさを徹底して描くという、いささか悪趣味なことをやって
いるし、ある種カルトとなっているドラマ『傷だらけの天使』は、
これ全編、タテマエとしてのヒーローのかっこよさをひたすら破壊
していく、市川本人曰くの
「壮大な実験作」
であった。一応探偵ものの主人公でありながら、最終回、相棒(水谷
豊)の死体をドラム缶に入れてゴミ捨て場に捨てにいく主人公(萩原
健一)の姿は、強烈な衝撃となって当時の視聴者の世代の記憶に
残っているはずである。

http://megalodon.jp/2012-0105-0236-55/www.tobunken.com/news/news20120104054833.html

×『黄金の日々』 ○『黄金の日日』
×壮大な実験作 ○壮大な実験劇
×ゴミ捨て場 ○ゴミ集積場 (夢の島)

「大谷竹次郎賞を受賞した大河ドラマ」というのも、それは違うということで (後述)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/太閤記_(NHK大河ドラマ)
>『太閤記』(たいこうき)は、1965年1月3日から12月26日にNHKで放送された3作目の
>大河ドラマ。原作は吉川英治の小説『新書太閤記』。主演には緒形拳が抜擢され、人
>気を博した。
〈略〉
>また、高橋幸治演じる織田信長にも人気が集まり、「信長を殺さないで」という投書が
>NHKに殺到し、本能寺の変の放送回が延期されたという逸話がある。
〈略〉
>(この「緒形秀吉」と「高橋信長」のコンビは13年後の大河ドラマ『黄金の日日』で復活
>した)。


http://ja.wikipedia.org/wiki/黄金の日日
>『黄金の日日』(おうごんのひび)は、1978年1月8日から12月24日に放送されたNHK
>大河ドラマ第16作。クレジット上での原作は城山三郎の同名の小説(1978年刊)、脚本
>は市川森一の書き下ろし(詳細は別途記述)。6代目 市川染五郎(現・松本幸四郎)
>主演。


何も考えないで「黄金の日々」でググったら、Wikipedia その他、「黄金の日日」というのが
ズラズラと……。念のために、YouTube にあるオープニングを見てみても、見覚えのある
黄金色の画面に「黄金の日日」の文字がデカデカと表示される。

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&v=GN-ttLjTf9Y
>黄金の日日

で、当然ながら緒形拳の名前も確認できるのだけど、上の動画では「木下藤吉郎」役と
表示されているので、あれっ、あそうかと思った。唐沢俊一の書いた「晩年の、老耄した
元・英雄の」に、ついつい引きずられてしまったのだけど、「高橋幸治演じる織田信長」
――彼の存在は唐沢俊一には無視されているが――がいるのだから、秀吉が木下藤吉郎
だった頃からのドラマであるのが当然なのであって。

http://ja.wikipedia.org/wiki/黄金の日日
>なお本作では、1965年放送の大河ドラマ『太閤記』で特に人気が高かった豊臣秀吉役
>の緒形拳と織田信長役の高橋幸治を再び同じ役で配して、過去の作品との関連性を
>前面に打ち出している点も注目された。
〈略〉
>また日本史上の人物の中でも人気が高い豊臣秀吉を関白就任後は徹底した悪役に
>描いたり、逆に憎まれどころの石田三成を善意の人物に描くなど、それまでにはなかっ
>た意外性を活かした構成となった。これが功を奏して、平均視聴率も軒並み当時の上
>位につけ、歴代でも『赤穂浪士』の31.9%、『太閤記』31.2%に次ぐ25.9%を記録、最高視
>聴率も34.4%という高い数字を記録した。
〈略〉
>木下藤吉郎→羽柴秀吉→豊臣秀吉
> 演:緒形拳[2]
> 信長の配下時代から助左をかわいがり、助左が今井家から独立すると何かとバック
> アップするなど友好的だったが、天下をほぼ手中に収め権力を手に入れると支配者と
> して助左の前に立ちはだかる。堺の自治を認めず、目をかけるも要求を撥ね付け我
> が道を行く助左や、徳川に肩入れする宗薫ら堺商人たちと対立、徹底的な弾圧を加
> える。ドラマ前半部での人間的魅力に富んだ木下藤吉郎から権力欲の塊の天下人
> 秀吉へと変貌していく姿は今作の見所のひとつでもある。
〈略〉
>第27話  7月9日  信長死す  宮沢俊樹
〈略〉
>第30話 7月30日 大坂築城 宮沢俊樹
〈略〉
>第40話  10月8日  利休切腹  宮沢俊樹
〈略〉
>第47話  11月26日  助左衛門追放  宮沢俊樹


唐沢俊一のいう「豊臣秀吉を、同じ緒形拳に演じさせ」というのも、主語は市川森一なの
かなあ、と疑問に思うが、おいといて。

Wikipedia でいう「豊臣秀吉を関白就任後は徹底した悪役に描いたり」は、7 月末から
8 月あたりからはじまったということで、よいのかな。しかし、権力に固執し主人公に対立
する悪役になってから、唐沢俊一のいう「晩年の、老耄した元・英雄の人間的愚かさを
徹底して描く」までには、さらに回を重ねる必要があったはずで。利休切腹のあたりでは、
悪役にはなっていたかもしれないが、「晩年の、老耄した元・英雄」といえる歳にはまだ
なっていないと思うんだけど、唐沢俊一定義ではどうなっているか。

で、これはありえないだろうというのが、「大谷竹次郎賞を受賞した大河ドラマ『黄金の
日々』」。大谷竹次郎賞は、歌舞伎脚本を対象にするとのことなのだから。

http://www.shochiku.co.jp/shochiku-otani-toshokan/summary/about.html
>大谷竹次郎賞は、新作歌舞伎の脚本賞を設ける事を願っていた大谷竹次郎の遺志を
>継いで、昭和47(1972)年2月14日に設定されました。平成21年度で38回目を数え、延
>べ20名(複数回受賞者は1名と数える)の受賞者を出しています。この賞の特色は、作
>品の芸術的純正度のみに偏らない、特に娯楽性に富んだ歌舞伎脚本を対象としている
>ところにあり、当時の選考委員の一人であった作家の舟橋聖一氏は「舞台にではなく
>脚本に与えられるところが異色だ」と述べています。
>選考対象となる脚本は、毎年1月より12月までの公演で、松竹系に限らず、歌舞伎俳
>優によって上演された新作の歌舞伎及び舞踊の脚本です。


しかし、http://www.shochiku.co.jp/shochiku-otani-toshokan/img/summary_img06.jpg
の「大谷竹次郎賞 歴代授賞作品の台本」には「黄金の日日」と表紙に書かれた脚本も
ある。これは 1978 年の大河ドラマ『黄金の日日』の前年、1977 年の舞台『黄金の日日』
というのが存在していて、1979 年の受賞は舞台の戯曲が対象ということのようだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/市川森一
>1979年、舞台『黄金の日日』の戯曲により大谷竹次郎賞受賞。
〈略〉
>舞台
>・『黄金の日日』(1977年)



さて、唐沢俊一のいう「市川森一のヒーロー像破壊癖」とやらは、『黄金の日日』の豊臣
秀吉についてもどうかと思うが、『傷だらけの天使』となると意味不明になってきて……。
「タテマエとしてのヒーローのかっこよさ」というのがこれといって確立されていない新規の
ドラマが対象で、「ひたすら破壊」といわれてもピンとこないというか、そもそも主人公が
「ヒーロー」じゃなければいけないドラマだったのかという疑問が。当時、探偵物とかいう
んで、ジャンル的なお約束が成立していたというなら別かもしれないけど。

ざっと探してみたかぎりでは、『傷だらけの天使』は、「タテマエとしてのヒーローのかっこ
よさをひたすら破壊していく、市川本人曰くの『壮大な実験作』」とは、いわれてはいない。

だいたい、市川森一は、「壮大な実験作」ではなく「壮大な実験劇」と語っていたとのこと
だし、よく引用される言葉としては「13人の脚本家と監督による壮大な実験劇」。本当に
市川森一に「ヒーロー像破壊癖」があったとして、それが他の脚本家に縛りをあたえる
ものとは思いにくい。

http://ure.pia.co.jp/articles/-/1742
>一方、外国へ高飛びしようとしていた綾部は、修だけは連れていこうと偽造パスポート
>を用意する。それを受け取った修は亨を置いて一度は出ていくが、具合が悪そうだった
>亨が心配になり、戻ってくる。だが、その時、亨はすでに死んでいた。修は亨をドラム缶
>に詰め、リアカーに乗せてゴミ集積場に捨ていく。
>この最終回、じつは冒頭に日本を大地震と津波が襲うシーンが入っている。綾部が日
>本を捨てて出ていく象徴のように挿入されているが、今見るとその絶望がさらに身につ
>まされる。とにかく、弟のようにいつも一緒にいた亨を、ゴミ集積場に捨ていくことしかで
>きないこの最終回のラストシーンは、何度見ても衝撃的だ。
>のちに市川森一がこの『傷だらけの天使』のことを「壮大な実験劇」と語っているように、
>もうこんなドラマは作れないと思う。でも、過激で、優しくて、ファンタジーにあふれた大
>人向けのドラマを書ける人を失ったことが、今は何よりも残念で仕方がない。


http://kininarutantei.zzl.org/kizuten/
>社会の底辺に生きる2人の若者の怒りと挫折を描いた探偵ドラマ。
>裏社会の抗争から捨て子の親探しまでストーリーはバラエティに富んでおり、後に脚本
>を担当した市川森一は「13人の脚本家と監督による壮大な実験劇」と表している。


http://ja.wikipedia.org/wiki/傷だらけの天使
>『白い牙』に続く土曜夜10時の日テレアウトロー路線'[1]第二弾で、2人の若者の怒りと
>挫折を描いた探偵ドラマ。暴力団の抗争から捨て子の親探しまでストーリーはバラエ
>ティに富んでおり、後に脚本を担当した市川森一は「13人の脚本家と監督による壮大
>な実験劇」と表している。


http://kiyosegingateikoku.blog.so-net.ne.jp/2008-07-05
>70年代に放送された日本のドラマとにかくキャストが最高で勢いのあるドラマで、全話
>1話完結モノで、最低限のシリーズとしてのストーリー設定以外は毎回行き当たりばっ
>たりの適当な筋書きという印象が強く、実験的な色合いが濃い作品だと思う。
〈略〉
>原作者の市川森一さんは、当初このドラマの脚本を同性愛者の物語として書いたが制
>作サイドの反対に遭い、路線を変更している。

>有名なオープニングは井上堯之バンドのテーマ曲で始まる。
>ショーケンが皮ジャン、大きなヘッドフォンに水中眼鏡付けトマト、コンビーフ、ソーセー
>ジをガンガン食べ、瓶の牛乳の蓋を口で開けて飲む。

>このシーンはセックスを表現していて最後に射精で牛乳を吹き出すシーンだったらしい
>が、下品であるということと、食べ物を粗末にするなというスポンサーからのクレームで
>吐き出す寸前で画像をストップしている。
〈略〉
>修は行方不明の亨を捜し、オカマバーで働く亨を見つけ叱りつけるが、知り合いのバー
>のママから亨が貯めた金で修と修の一人息子の健太と一緒に、東京から離れた田舎
>で一緒に暮らす夢を聞かされる。
>亨は金持ちの土地成金の息子から金を巻き上げるための賭けゲームで負け、雪の降
>る中噴水に入り風邪をひく。
〈略〉
>広大な夢の島の中を、亨を入れたドラム缶を積んだリアカーを牽いて進む修。
>ドラム缶を降ろした修はリヤカーを牽き立ち去るシーンでドラマは終わる。
>その後、オマケとして短い撮影シーンがあり、死んだ亨も参加しての格闘シーン~撮影
>終了でロケバスに乗り遅れたショーケンがバスの後を追うところで番組は終了する。
〈略〉
>後に市川森一さんはこのドラマを「13人の脚本家と監督による壮大な実験劇」と表して
>いる。
>つまり、「傷だらけの天使」は、テレビ局に壮大な実験劇を行える度量があった良き時
>代の遺産だと思うのだ。


すぐ上に引用の文章にある同性愛的要素について、今回唐沢俊一は言及していない。
まあ、いくら唐沢俊一といっても (?)、同性愛ネタには必ず食いつかないとおかしいとまで
は思わないが、石堂淑郎に関してもあえて避けているのかというフシがあり、市川森一と
石堂淑郎については、その手のネタをあえて封印する方針なのかなあと思ってはいる
(石堂淑郎の話は別エントリーでやる予定)。

それはさておき、「ドラム缶に入れてゴミ捨て場に捨てにいく」と、昔は「ごみ処分場」で
あった夢の島のことを、「ゴミ捨て場」と書いているのには抵抗がある。近所の粗大ゴミ
捨て場に置いてきたという話とは違うのだから。

http://ja.wikipedia.org/wiki/夢の島
>1950年代、東京都内でごみが急増し始め、それに対応するため東京都は当地をごみ
>処分場として決定し、1957年(昭和32年)12月には埋め立てが開始された。それ以
>降、1967年(昭和42年)までこの地への埋め立ては続いた。



ついでに。市川森一とは直接関係なくてごめんなさいだけど、『傷だらけの天使』といえば
「井上堯之バンドによる軽快なタッチのオープニングテーマ曲」だよねえ、ということで。

http://ja.wikipedia.org/wiki/傷だらけの天使
>井上堯之バンドによる軽快なタッチのオープニングテーマ曲も有名で、いまだにテレビ
>CMなどで流用される。ただしCMなどでの演奏は大野克夫バンドによる。
〈略〉
>最終回のラストシーンでの使用が印象深い挿入歌は「一人」。歌うはゴールデン・カッ
>プスの元リーダー、デイヴ平尾。作詞・岸部一徳、作曲・井上堯之。のちに萩原健一の
>主演ドラマ「祭ばやしが聞こえる」でも挿入歌として使用、歌は柳ジョージが担当した。


http://www.youtube.com/watch?v=FSkWtme7af0
>【傷だらけの天使】 井上堯之バンド

http://www.youtube.com/watch?v=yvvMbJiqBSc
>一人 ディーブ・平尾(デイブ平尾)

http://www.youtube.com/watch?v=2xQy8E5kPuw
>柳ジョージ&レイニーウッド 一人~I Stand Alone~

http://www.youtube.com/watch?v=ng43bUxEAbM
>傷だらけの天使 オリジナルサウンドトラック主題曲集 井上堯之バンド47

柳ジョージの「一人」もよいけど、デイブ平尾の方もよいですね、と。


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2012.01.07 (Sat)

『破壊された男』だったらアルフレッド・ベスター (← 市川森一とは関係ない)

http://www.tobunken.com/news/news20120104054833.html

イベント
2012年1月4日投稿
偶像破壊者 【追悼 市川森一】
〈略〉
ウルトラシリーズそのものの生みの親、金城哲夫、その路線を受けつぎ、
東映ヒーローものにも進出した上原正三は沖縄出身。ウルトラマンと
同時期の『マグマ大使』でヒーローものデビューし、『帰ってきた
ウルトラマン』で第二次怪獣ブームの一翼を担った石堂淑郎は
広島県出身。そして、コント畑出身ながら『ウルトラセブン』に
おいて強烈な印象を残す回を担当した市川森一は、長崎出身である。
いずれも、戦争の惨禍を最も大きく受けた地方の出身者だ。
彼らにとり、“正義”“ヒーロー”というものは、決して単純な
受け止め方が出来る存在ではなかった。

中でも市川森一は、最もダイレクトに、単純なヒーロー像そのもの
に対し、偶像破壊を試みた脚本家である。

彼が『ウルトラセブン』の中で創造したキャラクターに、クラタ隊長
(南廣)がいる。キリヤマ隊長と士官学校で同期だったという
彼はいかにもベテラン軍人らしいカッコよさを備えたキャラクター
として描かれるが、彼は実はキリヤマと一緒に、かつてザンパ星人
たちを全滅させた、大量虐殺者としての過去を持っている。
戦争という行為の中でヒーロー足り得るには、そのような一面が
不可欠であることを市川の脚本はさらりと描いているのである。

このアンチヒーロー的世界観は、セブンと同じく地球に単身、派遣され
ている存在で、そのことに堪えられなくなった宇宙人・マヤを描いた
『盗まれたウルトラアイ』、自分の研究を受け入れてくれなかった
国をうらみ、宇宙人に協力してしまう地球人を描いた『ひとりぼっち
の地球人』などに顕著である。さらに、セブン以上にアンチヒーロー観
が際立ったのは宣弘社制作の『シルバー仮面』で、その第4話
『はてしなき旅』では、宇宙人の襲撃から、(主人公たちが追っている)
光子ロケットの設計図を守るため、共同開発者だった博士(伊豆肇)を
ヒーローは守るが、博士はラストで、その光子ロケットの設計図を燃やして
しまう。この設計図がある限り、自分や家族は宇宙人に狙われ続ける……。
言わば、この話で市川はヒーローというものの存在が地球を侵略の危機に
陥らせている、という逆説を提示しているのである。われわれの世代は、
実は単純明快なヒーローものの影に隠れて、すさまじく重い命題をつきつけ
られていたのだった。

http://megalodon.jp/2012-0105-0236-55/www.tobunken.com/news/news20120104054833.html

「最もダイレクトに、単純なヒーロー像そのものに対し、偶像破壊を試みた」に、「実は単純
明快なヒーローものの影に隠れて」って、「ダイレクト」なのか「影に隠れて」か、いったい
どっちだよっ、というか。

それはともかく、市川森一で、子ども向けヒーローの話をしているのに、ウルトラマンAの
話とかしないの――と意外に思ったけど、これ、いつものように2ちゃんねるのスレで評判
の悪い「われわれの世代」、これを書きたかったから、こういう風になってしまったんじゃな
いかなという気が。1958 年生まれの唐沢俊一は、『帰ってきたウルトラマン』のときには
中学 2 年、『ウルトラマンA』のときには 3 年生になっていて、「われわれの世代」をいうの
は無理があると思われるため。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ウルトラセブン
>1967年(昭和42年)10月1日から1968年(昭和43年)9月8日までにTBS系で毎週日曜
>日19:00 - 19:30に全49話が放映された。


http://ja.wikipedia.org/wiki/帰ってきたウルトラマン
>『帰ってきたウルトラマン』(かえってきたウルトラマン)は、1971年(昭和46年)4月2日
>から1972年(昭和47年)3月31日にTBS系で、毎週金曜日19:00 - 19:30に全51話が
>放送された特撮テレビ番組。


http://ja.wikipedia.org/wiki/ウルトラマンA
>1972年(昭和47年)4月7日から1973年(昭和48年)3月30日までTBS系で毎週金曜日
>19:00 - 19:30に全52話が放送された。
〈略〉
>本作で設定された男女合体変身は、それまでのヒーロー番組でほとんど例のない新機
>軸であり、メインライターの市川森一が原案で当初から設定していたことからも、本作
>のテーマの軸をなす設定だったといえる。前半のいくつかの話ではこの設定が生かさ
>れたエピソードも挿入されていたが、いくつかの要因により、南夕子の設定を生かし切
>ることが難しくなってきた。「男女合体変身だとヒーローとして弱々しい」「合体変身を子
>供がまねることが難しい」などの番組の評判としての意見もさることながら、ストーリー
>を展開する上で北斗と夕子のドラマをそれぞれ語る必要があるなど、脚本側の要求が
>あったとも言われている。最終的に第28話で南夕子は番組から降板することとなった
>[8][9]。ただ、オープニングテーマでは彼女の降板後も「北斗と南」というフレーズがそ
>のまま用いられた。
〈略〉
>・市川森一(第1・4・7・9・14・48・52話)7本 ※メインライター


http://ja.wikipedia.org/wiki/市川森一
>子供番組で唯一メインライターに任命された『ウルトラマンA』を、1クール消化の時点で
>降板してしまうが、その理由として「男女の性を超越した神としてのウルトラマン像」、
>「観念的な悪意の具象化であるヤプール」、「徹底したSF路線の追及」といった、企画
>段階で市川が提示した要素が全て排除されてしまい、ウルトラシリーズに対する情熱
>を急速に失ってしまったが故に、と発言している。しかし、同作品の橋本洋二プロデュー
>サーに「メインライターの責任として最終回も書け」と命じられ、番組終了間際に復帰。
>最終回のラストでエースが発した「最後の願い」は、市川的には方向性の合わない作
>品へと変貌したウルトラシリーズへの「捨て台詞」のつもりで書いたものだったという。
>しかし、後年になって周囲から「最後の願い」に纏わる感想を聞く機会が随分増えたと
>語っている[6]。


『唐沢なをきのうらごし劇場』 (ここを参照) を読む前だったら、弟の唐沢なをきは 1961 年
生まれだから、彼につきあって見ていたというのもありなんじゃないのと思えただろうが、
この本には「俺、いいトシして(小4)“ウルトラファイトごっこ”よくやってたもん」 (P.28) とか
「73年というと小学校5年生までこういうものを“卒業”しないで通っていたわけだな まあ
それもひとつの生き方としてごかんべんを」 (P.26) など、微妙な記述が見られる。

小学 4 年生でもう「いいトシ」といわなくてもとか、小学生ならヒーローものの立派な対象
年齢層だったのではないかとか思う一方、小学校も高学年になると確かにその手の番組
を見なくなってくるというのはあって、自分も弟 (1964 年生) がいなけりゃウルトラマン
タロウは見ていなかったかもしれないとは思う。とにかく唐沢兄弟にとって、子どもの頃に
リアルタイムで見てのめりこんだのは初代ウルトラマンとウルトラセブンであり、帰って
きたウルトラマン以降は、そうでもないみたいなのだ。


で、ウルトラセブン。「大量虐殺者としての過去」というのは、「ザンパ星人」でググると
トップにくる、以下のページあたりがネタ元最有力候補。

http://www.bea.hi-ho.ne.jp/nukamisso/aku/meibo/aku_meibo_kiriyama.html
> しかし、問題はここからです。キリヤマによれば、こいつらはザンパ星人の残党なん
>だってさ。なぜ分かる?

>「ザンパ星人は、俺とクラタが数年前に全滅させたから」

> ……ぜ、全滅ですか? み、皆殺しにしたのですかぁ?

> まぁTVだから、なんて言わんで下さい。いくらTVでも、他シリーズなら、そもそも宇宙
>人1人を倒す能力を人間が持つのは非常に稀で(天才イデ隊員は例外です!)、ウルト
>ラマンが敵を根こそぎ全滅させることだって滅多にありません。いや、極めて稀。それを
>個人が……。

> じつは、彼・キリヤマは「常習」なのです。たとえば、6話「ダーク・ゾーン」では、宇宙
>の英知を結集して建造された人工惑星ペガッサ・シティが軌道を外れて地球に迫って
>きます。このときキリヤマは、ペガッサ人と連絡がつかないのを知るや否や、ペガッサ・
>シティの破壊を断固たる態度で決断します。もちろん番組内でも、ペガッサ・シティには
>「数億の人間(異星人)」が住んでることが明らかにされてるんですけどね。ウルトラホ
>ーク1号2号、出撃! ミサイル発射! どか――――――――ん。全滅=ジェノサイド。


しかし、上の引用の続きに書かれている「ノンマルトの使者」 (金城哲夫脚本) のように、
海底に住んでいた地球先住民族を全滅させるならともかく、地球を侵略しにきた宇宙人を
壊滅させたからといって、「単純なヒーロー像そのものに対し、偶像破壊を試みた」、「この
アンチヒーロー的世界観」といわれても……。まあ「ノンマルトの使者」に言及しなかった
のは、これを出すと、「最もダイレクトに」は金城哲夫でないのかという疑問を、ダイレクト
に読者に抱かせてしまうせいではないかと思ったりもする。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ウルトラセブンの登場怪獣
>復讐怪人 ザンパ星人
>第35話「月世界の戦慄」に登場。
>身長:1.9メートル
>体重:60キログラム
>過去に一度宇宙船団で地球に侵攻しようとしたが、ウルトラ警備隊長キリヤマと宇宙
>ステーションV3隊長クラタのコンビによってヘルメス第3惑星の戦闘で全滅させられた
>ザンパ星人の生き残りの一人。キリヤマ、クラタのコンビに復讐するため、クラタの部下
>のシラハマを殺害してなり替わり、再びコンビを組む機会を待っていた。


その他参考 URL:
- http://www2.u-netsurf.ne.jp/~okhr/sight7/page42.htm
- http://takenami1967.blog64.fc2.com/blog-entry-41.html


ただ、ザンパ星人の「月世界の戦慄」はまだよい方 (?) で、「盗まれたウルトラアイ」や
「ひとりぼっちの地球人」となると、どこがアンチヒーローなのか、ますますよくわからなく
なる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/アンチヒーロー
>アンチヒーロー(antihero)は、フィクション作品における主人公または準主人公の分類
>のひとつ。
>「優れた人格を持って、事の解決にあたる」といった典型的なヒーロー(英雄)の型から
>逸脱しているが、ヒーロー同様に扱われる人物である。
>ウェブスター現代英英辞典に拠れば、1714年から使用されている。


http://ansaikuropedia.org/wiki/アンチヒーロー
>かつてヒーローと言えば、勧善懲悪で顔つきも肉体的にも美しい非現実的なのが一般
>的であったが、最近のアニメを見る子供や大人がやけに現実主義的になってしまった
>ため、よりヒーローを現実的な人間に近づけたら、絶対に真似したくない人間らしさが
>生まれてしまった。そのためみんなの憧れである純粋なヒーローと呼ぶにはふさわしく
>なく、隔離された。


関連ガセビア
スーパーモーニングでの金嬉老はヒーロー発言

「自分の研究を受け入れてくれなかった国をうらみ、宇宙人に協力してしまう地球人を
描いた」ら、どうして「アンチヒーロー的世界観」になるのか、誰をさしてアンチヒーローと
いっているのかわからない、唐沢俊一の説明する「ひとりぼっちの地球人」だが、そもそも
この話、唐沢俊一の文章から思い起こされるような、国を恨んで腹いせに宇宙人に協力
する男の話ではなく、宇宙人だって悪い奴ばかりではないと信じて裏切られる男の話の
ような……。

http://www2.u-netsurf.ne.jp/~okhr/sight7/page29.htm
>「ハッハッハ、宇宙人といえば、すぐ侵略者か。教授は違う。彼は僕の電送移動機を
>作ってくれた。地球の学者が見向きもしなかった電送移動の理論を、あの宇宙人だけ
>は認めてくれたんだ」(イチノミヤ)
>「あなたは利用されているんだわ!あたしたちは、地球人じゃあないの…」(サエコ)
>「君たちに何がわかる?…僕は、人間を信じちゃあいない、もういいから、これ以上邪魔
>をしないでくれ!」(イチノミヤ)
〈略〉
>「あれほど地球を脱出したがっていた男が、今度はその地球を命がけで守ろうというの
>か…。いやはや、地球人というのはまったくわからん生物だ」(ニワ教授)
> 「お願いです。さっき言ったことはウソだと言ってください。あなたは侵略者なんかじゃな
>い。僕がただひとり信じることのできた、優れた宇宙人の科学者だ」(イチノミヤ)
〈略〉
>隣室の電送移動機に乗るニワ教授。 そこにイチノミヤが追ってきた。
>「イチノミヤ君。やはり私の星に来たいのか?」(ニワ教授)
>「残念ながら教授。二人同時では再生不能ですよ」(イチノミヤ)
>電送移動機上の教授に飛びかかるイチノミヤ。
>「なに?」(ニワ教授) 教授の言葉が終わる間もなく始動する電送移動機。
>イチノミヤは、自分を認めた宇宙人とともに、宇宙の果てに旅立っていった…。二度とも
>との自分に帰れないことを承知の上で…。


その他参考 URL:
- http://seven.onasake.com/vol29.html

宇宙人宇宙人といっても、ウルトラセブンだって宇宙人じゃんと思いながら見ていたガキの
頃を思い出すなあ……というのは、おいといて。唐沢俊一の説明からではうかがうことは
できないが、命をかけて地球を救ったイチノミヤをアンチヒーローに分類することは可能
かもしれないなとは思った。

しかし「このアンチヒーロー的世界観」とブチ上げるのには弱いんじゃないのという感じも
して……そして、誰がアンチヒーローなのかもわからない「盗まれたウルトラアイ」。

http://www.asahi.com/showbiz/column/animagedon/TKY201112180099.html
> 「ウルトラセブン」第37話「盗まれたウルトラ・アイ」には、マゼラン星人マヤという宇
>宙人が出てくるが、ずっと人間の姿(美少女)のまま。客の消えたアングラバーで、ダン
>は母星に見捨てられたマヤに「この地球で生きよう」と訴えるが、彼女は姿を消し(自害
>したらしい)ダンはむなしく夜の街を歩く。暗いムードと悲しいラストからは、地球にたっ
>た2人の「異邦人」の痛いほどの孤独が伝わり、まだ小学校低学年だった私の心に深
>い余韻を残しました。

> この脚本を書いたのは、市川森一さん。

> 「あれは、予算を使い果たして新しい宇宙人(の着ぐるみ)が作れないから、ナシで
>やってくれって言われて書いたんです。特撮らしい特撮場面もないけど、リアルなドラマ
>として成立していたから、局からも何も言われなかった」

> 「そういえば、着ぐるみも宇宙人との戦闘もなかったです! 今まで気づきませんでし
>た」と私。

> 「それは、こちらの狙い通りですね」。うれしそうにニッコリほほえんだ顔を思い出しま
>す。日常に溶け込む幻想味、哀切な詩情、清冽(せいれつ)なペシミズム――「盗まれた
>ウルトラ・アイ」は、たぶん私にとって、最初に触れた「オトナのドラマ」の一つでした。


これもチラ裏だけど、こういう「オトナのドラマ」、子どもの頃は、番組をつくる人も同じこと
ばかりやっていると飽きるので、いろいろ目先を変えてやっているんだろうなと、勝手に
脳内で補完して見ていた。w

ミニチュアを使った撮影は、時間もお金もかかるという知識は一応あったと思うけど、
それと巨大化した怪獣の登場しない回の存在を、あまり頭の中で結びつけていなかった
というか。そういう回のせいで視聴率も落ちていったそうだ。自分は結構好きだったけど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ウルトラセブン
>しかし前半で予算的に無理をしたこともあって、3クール以降は予算が切り詰められ、
>ミニチュアセット製作コストを抑えられる、等身大サイズの侵略者しか登場しないエピ
>ソード(第33話「侵略する死者たち」、第37話「盗まれたウルトラ・アイ」、第43話「第四
>惑星の悪夢」)も作られた。こうした展開が、ヒーローと大型怪獣との格闘戦を期待する
>児童層の視聴離れを招き、第36話「必殺の0.1秒」で視聴率16.8%を記録して以降、
>17%から23%の間を行き来する状況となった。


ちなみに、「盗まれたウルトラ・アイ」でググるとトップにくるページには、以下のようなこと
が書かれている。

http://www2.u-netsurf.ne.jp/~okhr/sight7/page37.htm
>マヤが現れるのを唯一の頼みに、もう一度、スナックノアを訪れるダン。
>相変わらず、踊り狂う若者たち…。
>確かに、マヤの言う通りかもしれない…。
>退廃的な流行に価値を求めて、生産性を排除した浪費によって、いたずらに時間を
>消費する人間たち…。
>本当に、侵略する価値があるのかどうか…。
>命をかけてまで、守る価値があるのだろうか…、この星を。


こういう考えをベースに、唐沢俊一は「このアンチヒーロー的世界観」と書いたのかもしれ
ないが、唐沢俊一の説明ではこの話は、「セブンと同じく地球に単身、派遣されている存
在で、そのことに堪えられなくなった宇宙人・マヤ」だからなあ……。実際は人類滅亡の
ために地球に潜入する任務をあたえられていたけど、故郷の星に迎えを要請しても受け
入れられず、さすが悪い宇宙人 (?) は平気で仲間を見殺しにするなあという話のようだが。

地球にミサイルをぶち込もうという宇宙人を、「セブンと同じく地球に単身、派遣」みたいな
書き方をする唐沢俊一はちょっとヒドいというか、まるでマヤが平和的な任務で地球に
派遣されているかのように読者に誤解をあたえそうというか。いくら劇中で、モロボシダン
が「僕だって同じ宇宙人」といっていたとしても。

http://paienne.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/37_2ce8.html
>「ウルトラアイを盗む」任務を遂行する、マゼラン星のマヤ。(風貌は、17、18歳ぐらい
>の日本人の女の子)。しかし祖国(星)は、迎えを要請するマヤを裏切り、地球に向け
>恒星間弾道弾を発射する。テレパシーでの会話で、必死に「この星で生きよう。この星
>で一緒に」と説得するダン。しかしマヤは絶望し、ダンにウルトラアイを返したのち、自
>殺する。
>彼女のブローチを見つけ、「なぜ他の星ででも生きようとしなかったんだ。僕だって同じ
>宇宙人じゃないか」と悲嘆にくれるダン。


http://members3.jcom.home.ne.jp/rocky_ultra/37/frame.html
>本作の原題は「他人の星」である。たしかプロデューサーの意向で「盗まれたウルトラ・
>アイ」に変更されたと記憶しているが、この辺に子供番組としての悲しさがあるのも事
>実である。



それから、『シルバー仮面』だけど……あれ、これを唐沢俊一は見ていたのか。『帰って
きたウルトラマン』と同じような時期で、唐沢俊一は中学 2 年生になっていたはずだけど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/シルバー仮面
>『シルバー仮面』(シルバーかめん)は、宣弘社と日本現代企画が製作し、1971年(昭
>和46年)11月28日から1972年(昭和47年)5月21日まで、TBS系で毎週日曜日19:00
>- 19:30にタケダアワーにて全26話が放送された、特撮テレビ番組の題名、およびそ
>の劇中に登場する変身ヒーローの名称。


唐沢俊一は「この話で市川はヒーローというものの存在が地球を侵略の危機に陥らせて
いる、という逆説を提示」というけど、「光子ロケットの設計図を守るため、共同開発者だっ
た博士(伊豆肇)をヒーローは守る」、だけど「この設計図がある限り、自分や家族は宇宙
人に狙われ続ける」と考えた「博士はラストで、その光子ロケットの設計図を燃やしてしま
う」という話のどこが、「ヒーローというものの存在が地球を侵略の危機に陥らせている、と
いう逆説」になるか、さっぱりわからない。

発明者の博士をヒーローと定義しているのかと解釈しようにも、「博士(伊豆肇)をヒーロー
は守る」だから、唐沢俊一定義でもヒーローは博士でないということになるし、「存在が地
球を侵略の危機に陥らせている」なら光子ロケットの設計図自体が該当するかと思おうに
も、設計図のような無生物がヒーローというのも変だし。

他の人の書いたあらすじとか読んでも、破壊された偶像というのなら、ヒーローというより
信念を持って研究を続ける科学者というのが該当するんじゃないかと思うのだが……。

http://tsunoga.blog32.fc2.com/?mode=m&no=224
>シルバー仮面 4話「はてしなき旅」
>電送する装置で寄宿させてもらった博士の娘を電送されたため、探し辿りつくんです
>が、その場所での戦いが良いです。
〈略〉
>娘を取り返したあとの夫婦の醒めた演技とか、そういうテイストなのでいいんですけど、
>心がイヤーな感じになりますねw


http://www.geocities.jp/u_himitu/tondemohanasi.htm
>シルバー仮面・第4話
>はてしなき旅
>1971/12/17放映 脚本:市川森一・監督:山際永三

> 光子ロケットの秘密を解くため放浪する春日兄弟は、父・春日博士が最も信頼してい
>た後輩であり協力者だった湯浅博士の元を訪ねる。全面的な協力を約束し、兄弟を暖
>かく迎える湯浅博士。しかしここにも宇宙人の魔の手が及んでいた。今回兄弟を狙う
>ピューマ星人は、テレビを物質電送機に仕立て上げ、それを利用して兄弟を誘拐しよう
>とするが、誤って博士の一人娘・京子を誘拐してしまう。愕然とする博士とその妻だった
>が、京子の救出のため全力を尽くす。はるかを囮にして星人の元へ送り、その場所を
>突き止めた兄弟は、二人の捕らえられている場所へと乗り込む。光二はシルバー仮面
>となって星人と戦い、苦戦しながらもこれを倒す。京子を救出して湯浅家に戻る兄弟
>だったが、博士の妻は兄弟を冷たくあしらい追い返そうとした。そして博士も春日兄弟と
>はもう会いたくないという。そんなバカなと裏庭へ行ってみると、博士はこれまでの全て
>の研究書類を火にくべていた。これでもうあなた方の役に立てることはない、協力は出
>来ないと。そして尊敬していた春日博士の肖像画までも火に入れようとしていた。博士
>から拒絶された春日兄弟は、さびしく去っていく......博士の娘・京子だけが別れを
>惜しみ、兄弟の車をどこまでも追って行った........

> う~む、一般には「名作」といわれている作品なんですが、春日兄弟が京子を助けに
>行くまでは頑として信念を曲げなかった湯浅博士が、酒飲んで悩んだと思ったら急に態
>度を変えて、これまでの自分を全て否定するような行動に走るあたり、どうも今ひとつ納
>得できないのですが......「立派なことを言っても、自分自身の保身のためには平
>気で信念を曲げる人間の弱さ」を表現したかったのかもしれませんが、博士の心変わり
>があまりにも唐突で、博士自身のキャラクターが薄っぺらな人物に見えてしまうあたり
>意図した部分が成功しているようには思えないのですが.....
>昔発売された「アイアンキング」LD-BOX(東宝版)の解説書の橋本洋二プロデュー
>サーへのインタビューで、が市川脚本に対し「さっきまでこう言っていた人間が、なぜ
>今度はそういう行動を取るのかさっぱりわからず、脚本に関しては、その辺かなりやり
>あった」とありましたが、納得できる話ですね。湯浅博士の著書として名前が出てくる
>「科学と神」とか、宇宙人を「悪魔」に見立てたりとか、クリスチャンである市川氏らしい
>話ではありますが.....
>「私だって科学者の端くれです。宇宙人の脅しに負けるような真似は出来ません」という
>最初のセリフが薄っぺらに聞こえてくるのは問題ではないのかと・・・・・・・・(好きな人
>はごめん)


http://blog.goo.ne.jp/kamekichi1964/e/657756637dee7b37df123f61ea5ed596
>湯浅博士も所詮「人間」だった。
>自分の命が惜しい「人間」だった。
>ちっぽけな平和を望む「臆病な偽善者」だった・・・。


「自分の命が惜しい」なら惜しいで、設計図をヒーローに押し付けて自分は以後無関係で
通すというのはできなかったものかと思ってしまうが、宇宙人の報復を恐れるあまりに、
それでは足りない、設計図も燃やして無関係を強調しないと――という設定だったのかな。
そういう発想でいけば、「ヒーローというものの存在が地球を侵略の危機に陥らせている」
というのは、湯浅博士の立場にいる者の心の叫びとしては、ありかもしれない。逆ギレ、
逆恨みの類いじゃないかとも思うが。


なお、『快獣ブースカ』がデビューなのを「コント畑出身」というのはどうかと最初思ったが、
これは、「はかま満男の弟子でコントを書いていると自己紹介」、「コント作家のはかま満
緒に師事」というので納得。

http://ja.wikipedia.org/wiki/市川森一
>1966年に円谷プロダクション製作の子供向け特撮番組『快獣ブースカ』第4話「ブースカ
>月へ行く」で脚本家デビューする。その後しばらくの間は、子供番組を中心に執筆して
>いた。


http://www2.u-netsurf.ne.jp/~okhr/sight7/page13.htm
>「…三つ揃いのスーツに細身を包み、頭にハンチング、片手にアタッセケースを持ち、
>もう片手で傘をステッキのように突いてチャップリンを気取ったような若者が現れた。
>市川森一だった。はかま満男の弟子でコントを書いていると自己紹介した…」(上原正
>三、※7)


http://www.tokyonews.co.jp/culture/mukouda/prize01.html
>大学時代からテレビ局でアルバイトをし、その後コント作家のはかま満緒に師事。25歳
>のとき日本テレビ系「怪獣ブースカ」の一篇で脚本家デビューする。出世作は74年、日
>本テレビ系で放送された萩原健一と水谷豊がコンビで活躍する「傷だらけの天使」。



追記: 市川森一については、続きはこちら



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2012.01.05 (Thu)

あけましておめでとうございます (2)

あけましておめでとうございます」の続きというか……。

http://www.tobunken.com/news/news20120101031221.html

イベント
2012年1月1日投稿
新年ご挨拶

あけましておめでとうございます。
本年も相変わりませずよろしくお願い申上げます。
〈略〉
まず、昨2011年は本当にいろいろと大変な年でありました。
3月の大震災及び原発事故という国家レベルの悲劇に涙する間も
なく、われわれの仕事のさまざまな面にまで影響が及んできました。
出版業の受けた被害は甚大で、製本用紙の確保から印刷所の
津波による消失、さらには東北地方のマーケットが壊滅状態に
なるという事態に及んで、営業を縮小する出版社、特定部門を
廃止する出版社などが相次ぎ、企画の売り込みが大変困難になって
きたという状況が前半にありました。先行きはどんどん
不透明になっていきました。
〈略〉
一方で本業では、6月に『スコ怖スポット・東京日帰り旅行ガイド』
(二見書房)を上梓して以降、単行本の企画も複数進めていましたが、
先にもいった事情でなかなか進捗せず、刊行が決定しているものも
延び延びになり、かなりはがゆい思いをしていました。

http://megalodon.jp/2012-0101-1133-02/www.tobunken.com/news/news20120101031221.html

×二見書房 ○ごま書房新社

http://www.amazon.co.jp/dp/4341084798
>スコ怖スポット―東京日帰り旅行ガイド [単行本]
>唐沢 俊一 (著)
〈略〉
>出版社: ごま書房新社 (2011/6/28)
〈略〉
>Amazon ベストセラー商品ランキング: 本 - 367,092位 (本のベストセラーを見る)


2ちゃんねるのスレの以下の書き込みを見るまで、全然気がついていなかった自分……、

http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1325472788/299-
>299 :無名草子さん:2012/01/04(水) 23:27:21.52
>http://www.tobunken.com/news/news20120101031221.html
>>一方で本業では、6月に『スコ怖スポット・東京日帰り旅行ガイド』
>>(二見書房)を上梓して以降、単行本の企画も複数進めていましたが、

>なんで二見書房なんだろ.....
>二見書房で出したって2005年の「唐沢先生の雑学授業」が最後だよな.....


>300 :無名草子さん:2012/01/04(水) 23:33:34.60
>自分の出した本の出版社を間違えるなんて普通ありえないだろ。


「本年も相変わりませずよろしくお願い申上げます」には、「自分の出した本の出版社を
間違えるなんて」のも含まれるんだろうかと、しみじみ。これまで、そのパターンはなかっ
たようにも思うんだけど。


それと、「製本用紙の確保から印刷所の津波による消失」など、昨年 2011 年は何かと
大変だったのはわかるのだが、それって唐沢俊一も書いているように「前半にありました」
ということではなかったっけ。

唐沢俊一が「震災デマ本、緊急出版決定」とか書いたのは去年 6 月のことで、「先にも
いった事情」とは、あまり関係のないような気が (ここここを参照)。


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09:26  |  その他の雑学本 間違い探し編 (324) +  |  TB(0)  |  CM(5)  |  EDIT  |  Top↑

2012.01.04 (Wed)

『唐沢なをきのうらごし劇場』に登場する唐沢俊一先生または兄

京本政樹とショッカーO野と唐沢俊一」に、『唐沢なをきのうらごし劇場』は、「『唐沢
俊一先生』は一登場人物として 3 回ほどチラリと登場する微妙な本」と書いたのだが、
どう微妙なのか説明してみるテスト。

『唐沢なをきのうらごし劇場』 P.20 「初出:B-CLUB vol.110 1995年1月号」
>「あれ「アーチーじゃなくっちゃ」ってハンナ・バーベラだっけ」

>「「サブリナ」で「ドボチョン一家」と「アーチー」のキャラが共演してたのみたことあるぞ」
>ハンナバーバラだろ、アレも

>↑じょうほうていきょう唐沢俊一せんせえ


「ハンナバーバラ」は原文ママ。この本の他の箇所では、すべて「バーベラ」表記になって
いるのだが、なぜか「唐沢俊一せんせえ」のお言葉だけ「バーバラ」となっている。

これ、単なる書き間違いではない可能性があって、唐沢俊一は、2007 年の裏モノ日記
にも「ハンナ・バーバラ版」とか書いていて (ここを参照)、一貫して「バーバラ」の人かも
しれないのだ。(←変な日本語)

それはともかく、唐沢俊一が、例の帽子と渦巻きメガネの似顔絵つきで登場するのは、
上に引用した「じょうほうていきょう唐沢俊一せんせえ」のページ (P.20)、この一箇所のみ
である。……そして、その 1 年後に、唐沢なをきは以下のようなことを書いている。

『唐沢なをきのうらごし劇場』 P.34 「初出:B-CLUB vol.122 1996年2月号」
>以前この連載の第10回でCD「ハンナバーベラ日本語盤主題歌衆」をとりあげたときに
>「幽霊城のドボチョン一家」「かわいい魔女サブリナ」「アーチーじゃなくっちゃ」
>…の曲がなんではいってないんだ、ゆるせん!とか書いちゃいましたが、
>当時の日本版プロデューサー高桑慎一郎さんの本を読んだら、これらはHB作品では
>ないそうです.失礼しました
>とほほほ
>イートハーヴ出版「ケンケンと愉快な仲間たち」


「イートハーヴ出版」は原文ママ。本当は「イーハトーヴ出版」というのは、おいといて。

「ハンナバーバラだろ、アレも」という「じょうほうていきょう唐沢俊一せんせえ」は、弟を
相手にもガセで迷惑をかけていたというオチなんだろうか。

http://www.amazon.co.jp/dp/4900779024
>ケンケンと愉快な仲間たち [単行本]
>高桑 慎一郎 (著)
〈略〉
>ハンナ・バーベラ・アニメ初の書籍化。超話題のキャラクター、ケンケンの全貌が今初め
>て明かされる。ケンケンの名付け親・高桑慎一郎が満を持してペンをとった、懐かしい
>のに新しいキャラクターのオン・パレード。チキチキマシン猛レースをはじめとして、電子
>超人Uバード、スカイキッド ブラック魔王、原始家族、などなどハンナ・バーベラ作品勢
>揃い。
〈略〉
>出版社: イーハトーヴ出版 (1995/08)



それから、さらに 1 年とちょっと経ってから、もうほとぼりもさめた (?) との判断か、「唐沢
俊一先生」が再登場。ただし、似顔絵はなし。

『唐沢なをきのうらごし劇場』 P.65 「初出:B-CLUB vol.138 1997年4月号」
>航空情報別冊
>SF・宇宙映画のすべて
>珍資料という意味では当時最高
>「どのくらいヘンであるかは唐沢俊一先生の著作にくわしい」


宣伝してあげているのかなとも思ったが、この「唐沢俊一先生の著作」というのが、どの本
なのかはわからない。『古本マニア雑学ノート』か『トンデモ怪書録』あたりかなとは思うん
だけど……。販促にはならなかったのではないかと想像する。

『唐沢なをきのうらごし劇場』 P.67  「初出:B-CLUB vol.138 1997年6月号」
>では最後にわれらのモリツグが出したレコード、
>コテコテのムード歌謡を紹介してシメたいと思う
> 資料提供は唐沢俊一先生

>「いろいろな意味でタイヘンな歌である」


「われらのモリツグ」というのは、ウルトラセブンのモロボシダン役をしていた森次晃嗣。

「中山大三郎 作詞作曲」で「伊藤雪彦 編曲」の「夢の糸」という歌の歌詞カードらしき
写真が貼付けられているのだが、JASRAC 表記はなし。……そんなことより、これがどう
「タイヘンな歌」なのか、面白さのツボみたいなものが自分にはよくわからなかった。
単なる普通のムード歌謡の歌詞のように思えるし、歌詞の打ち込みは何かと面倒そう
なので、今回はパス。


で、「唐沢俊一せんせえ」「唐沢俊一先生」としての登場は、以上 3 回なんだけど、実は
3 回とも、彼が唐沢なをきの兄だという説明はいっさいないままの登場である。逆に、
唐沢なをきが『宇宙戦艦ヤマト』の思い出を語る箇所では、「兄の紹介でアニメサークル
の連中とつきあうようになるわ」と書いてあっても、「唐沢俊一」の名前も似顔絵も登場
しなかったりする。

『唐沢なをきのうらごし劇場』 P.131 「初出:AX vol.029 2000年9月号」
>あの日以来 私はヤマトのパロディ(笑)マンガを描くようになるわ
>  うへへへー宇宙戦車♪
>アニメ番組をカセットテープに録音したり写真にとったりするようになるわ
>「まだ家庭用のビデオデッキは普及してません」
>兄の紹介でアニメサークルの連中とつきあうようになるわ
>  放課後喫茶店で何時間もダベるやつ
>ヤマトの設定書を文具屋で数百枚コピーするわ
>  (知りあいの店員にオマケしてもらった)
>「すっかり人の道を踏みはずしたマニアになってしまいましたとさ」



唐沢俊一とヤマトについては、ここやそのリンク先を参照のこと。

唐沢なをきが「ヤマトのパロディ(笑)マンガ」を描いていた頃、唐沢俊一は「古代進と森雪
のセックス話をてんでに作って夜の作業に供していたとき、私の作ったストーリィの巧みさ
に全クラスが驚嘆(カトリックの男子校だった)」だったり、「ガッチャマンのパロディ漫画
を、札幌・狸小路のはずれにあった民芸 喫茶で仲間たちと創作していたのが、私のやさ
ぐれ青春」だったりした (ここを参照) のかと思うと、ある意味感慨深い。

唐沢なをきが「ヤマトの設定書を文具屋で数百枚コピーするわ(知りあいの店員にオマケ
してもらった)」だったのが、唐沢俊一となると、札幌のリーブルなにわの十円コピー機が
カウンター方式だったのを、数字をごまかす「ズルの名人」だったと自慢していたりする
(『トンデモ創世記 2000』 P.38、ここに書いたこともある)、その対比も興味深い。

『唐沢なをきのうらごし劇場』 P.131
>…で、私はなぜかその5年後の「ガンダム」には乗りそこねてしまったのだった。
>オタク失格だね。反省。
>  あのころのアニメファンのさわぎようといったらのう
>自分と同年代以降の、「こっちの趣味の方々」とお話しする時はこれが
>よく障害になりますね。



んで、『唐沢なをきのうらごし劇場』に目を通して、ある意味“新鮮”だなあと感じたのは、
「兄の紹介でアニメサークルの連中とつきあうようになるわ」の「兄」という文字以外に、
兄としての唐沢俊一が登場しないこと。

唐沢商会名義の本や、『古本マニア雑学ノート』やなどを読んでいると、唐沢なをきの
描いた漫画で、映画館の中で兄弟隣同士に座っている絵とか、兄弟 2 人きりでオタク話
をしている図とかが数多く出てくるのが当たり前だったりするのだが、『唐沢なをきのうら
ごし劇場』では、ヤマトの話であってもスターウォーズの話でも、何人かの同級生とともに
盛り上がっている唐沢なをきの姿が描かれていて、唐沢俊一らしい登場人物はいない。
映画館の座席には、唐沢なをきが 1 人で座っていたりする。

家の外の話ならともかく、小さい頃、家の中でテレビを見ていたり玩具で遊んでいたとき
の話なら、兄の姿もいっしょに描かれていてよさそうなのに、そういうのもない。まあ、唐沢
商会の本でもないのに、いちいち兄の絵を描き加えて手間をふやすこともないとの判断
なのかもしれないが。


ついでに。描かれていないことに着目するなら、バンダイ時代からの連載で、特撮だけで
はなく必殺シリーズの話題も頻繁に出てくる (担当編集者が必殺ファンだったそうだ) のに
京本政樹がほとんど登場しないのには、何だかなあと思った。自分が見つけたのは,この
一箇所のみ。

『唐沢なをきのうらごし劇場』 P.24 「初出:B-CLUB vol.115 1995年6月号」
>特集第2弾っ
>必殺シリーズと特撮モノとの相関関係
〈略〉
>その4・この人はとりあえずハズせないよね、京本政樹
>仕事人V
>「仮面ライダーBLACK」の」ゲスト役から「スカルソルジャー」まで
>やるしかねえ


いやまあ、扱いが小さいぞ何だかなあと思ってしまうのは、単に自分が、京本政樹ファン
に片足をつっこみかけている、それだけのせいのような気もするが。(←これはこれで京本
政樹ファンの人に怒られるかも……怒らないでください)


テーマ : 読書メモ - ジャンル : 本・雑誌

01:31  |  資料編 (14) +  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2012.01.03 (Tue)

京本政樹とショッカーO野と唐沢俊一

本当はコレクターではなかった京本政樹 (1)
本当はコレクターではなかった京本政樹 (2)
本当はコレクターではなかった京本政樹 (3)

京本政樹の登場する裏モノ日記
京本政樹の登場する裏モノ日記 (2)

の続きみたいなもの……といっても、断片的な情報提示と、あいまいな推測しかできない
けど。

以前にここのコメント欄に、「京本政樹さんは本もたくさん出しているのですよね。その中に
は、唐沢俊一を含む、オタクサブカル系もの書きの人らが、 こんな本を自分で出したかっ
たーとかうらやましがりそうな本も……」と書いたことがある。

http://www.amazon.co.jp/dp/489189234X
>京本政樹のHERO考証学 (B‐club special)
〈略〉
>HEROの再現。京本政樹が、最も力を入れて取り組んできたテーマだ。憧れのHEROの
>最初の姿、最もそのHEROらしい姿を、正確に再現することがHERO研究家としての京本
>政樹の最大の目標なのだ。そのために、貴重な資料を捜し、当時の関係者の証言を
>集め、徹底考証した上で、妥協のない造型に仕上げていく。京本政樹が傾けた、情熱
>の結実が、このHERO再現編なのである。
〈略〉
>出版社: バンダイ (1992/06)


http://www.amazon.co.jp/dp/4575290092/
>HERO交友録 [単行本]
〈略〉
>ヒーローとは何か。黒部進、森次晃嗣ら16人のヒーロー・ヒロインが、真実のエピソード
>や本音を熱く語り合った。バンダイ92年刊の「京本政樹のHERO考証学」の対談部分を
>もとに、新たな原稿を加え再構成。
〈略〉
>出版社: 双葉社 (1999/10)


http://www.amazon.co.jp/dp/4522215118/
>超ウルトラ雑学クイズ―ウルトラ戦士が出題する常識・雑学問題115 [単行本]
〈略〉
>お約束します。この本は絶対おもしろい。ウルトラマンの写真やストーリーがおもしろい
>だけではない。ウルトラマンのこぼれ話だって載っている。おもしろい上に雑学博士に
>なってしまえる。こんなに盛り沢山でいいのだろうか?
〈略〉
>出版社: 永岡書店 (1994/04)


「1990 年代前半の京本政樹とは、唐沢俊一および彼と同系統同クラスのライターたちに
とって、モロ商売仇であったかもしれません。それで一方的に妬まれ恨まれている可能性
もあるかと思えてきました」なんてことも書いたのだが、2ちゃんねるのスレに恨みつらみ
を書く動機となり得る (←あくまで可能性です) のは、時期的には『HERO交友録』の方が
大きいかも。

『京本政樹のHERO考証学』もそうだけど、『HERO交友録』には、仮面ライダーの藤岡弘、
ウルトラマン、ウルトラセブンの両方に出演した毒蝮三太夫、ウルトラセブンの森次晃嗣、
ひし美ゆり子、仮面ライダーV3の宮内洋、人造人間キカイダーの伴直弥、帰ってきた
ウルトラマンの団時朗、榊原るみ等々、素人の自分にもわかるインタビューイの豪華さで
ある。『HERO交友録』にはこれに、柔道一直線の櫻木健一や、仮面ライダー2号の佐々
木剛などが加わる。


で、『HERO交友録』には潮健児の名前は出てこないが、『京本政樹のHERO考証学』の
方には出てくる。『星を喰った男』に書かれているのは、若山富三郎の通夜で潮健児と
京本政樹が出会い、後日電話で京本政樹が潮健児に出演依頼するところまで (1992 年
4 月、ここを参照) しかない。それより後の様子が、1992 年 6 月に出版された『京本政樹
のHERO考証学』 (奥付では「平成 4 年 7 月 1 日 初刷」) からうかがうことができる。

『京本政樹のHERO考証学』 P.144
> その七色仮面だが当時のTVは白黒で、仮面の本当の色はメンコやカルタなどから金
>色と想像するしかなく、通説でも金色とされてきた。だが、出演者の潮健児さんの証言
>で、実は銀色であったという事が判った、この新事実をみなさんにお伝えしよう。

>■特別寄稿
>潮健児
>『七色仮面』は37才の頃の作品です。まだTV映画も初期で、機材も映画と同じ35ミリ
>のカメラを使ってたから、ぼくも本編と同じ気持ちで、コブラ仮面の部下のサソリの万吉
>という役を気合いを入れてやりました。あの仮面よく金色と言われますが実際は銀色で
>したよ。被ったのは主演の波島さんとは別の人と記憶してますが、子供版『多羅尾伴
>内』みたいでしたねぇ。後にダイヤ仮面という役で、七色仮面と対決もしましたしね。
> ぼくは子供番組はとても大事なものだと思います。子供の頃の印象は大人になっても
>残るからね。だから、「子供番組やらせたら潮健児は最高の芝居するね。」と言われた
>いという、プライドを持って仕事してます。長くやって愛着のある地獄大使を初め、ぼく
>がおそらく、子供番組出演の最多記録を持ってるのも、そんなプライドを持ってるからな
>んです。(談)

(「初め」は原文ママ)

『京本政樹のHERO考証学』 P.166
>◀潮健児さん演ずるスカルソルジャーの仲間ガジャ。被っているシルクハットは、『悪魔
>くん』の時使った帽子だ。


上に引用したようなことが、唐沢俊一からは全然情報発信されていないのは、どうした
ものかとも思うが、おいといて。

実は、潮さんの帽子 (ここここを参照) については、後年アトラクションなどのために
再制作された可能性もあるのではないかと疑っていたのだが、「被っているシルクハット
は、『悪魔くん』の時使った帽子だ」と断言されているので、その可能性は消えたということ
でよいだろう。特撮オタクとしての京本政樹――Amazon の内容紹介にも「特撮オタクとして
も知られる著者」と書かれている――のいうことだから信用できるでしょう、ということで。

実際、この本での京本政樹は、ヒーローたちが身につけていたスーツや衣装、小物類を
再現するにあたって、当時のフィルムや写真だけでなく、当時使われていた現物を側に
置いて比較してみたり、よい意味での特撮オタクぶりを発揮していたんじゃないかと思う。


さて、この他に『京本政樹のHERO考証学 (B‐club special)』で興味深いなと思ったのは、
奥付にずらずらと並ぶ「協力」の項に、見たことのある名前があること。

『京本政樹のHERO考証学』 P.168
>協力 吉川愛美(愛企画)
〈略〉
>   大野浩(石森プロ)


「吉川愛美」については、うーん、やっぱり、「(Aプロの女性社長は“わたし、こういうオタク
モノって本当は大ッ嫌い!”と、私をオタクとも知らずにささやいた)」 (ここを参照) とかいう
のは、ガセなんじゃないかとしか。唐沢俊一が「Aプロの女性社長」と書いているのは別人
をさしていたというなら話は別だが、その場合は、じゃあそれは誰のこと? という話になる。

それから、『星を喰った男』のプロデュースを担当した大野浩の名前が、こちらにも登場。
こちらのコメント欄に、「ショッカーO野さんは、当時バンダイが出版していた『B-CLUB』で
連載していたと思いますので、 『星を喰った男』がバンダイから出たのは、O野さんのツ
テだと思います」と書き込んでくれた人もいる。

『星を喰った男』 P.322 ~ P.323
>今、所属しているプロダクションで僕の付き人みたいなことをやってくれているナベちゃ
>ん(渡辺克己くん)も、ショーで仮面ライダーを演じてました。横浜でやったSF大会の
>ショーで彼のスーパ-1と対決したんですが、なにしろ僕が主演のショーですからね。い
>くらスーパー1でも地獄大使にかなわない。最後に僕が勝ってしまうというとんでもない
>ショーでしてね。ファンたちも大喜びで、僕もあんなに気持ちのいいことはなかったな、
>アッハッハ。 役者ばかりじゃない、構成作家をやったり専門学校の講師をやったり、八
>面六臂の活躍をしている、ショッカーO野こと大野浩くんも、戦闘員の出身です。彼と
>も、よく一緒にラジオのトークをやったり、舞台に立ったり……そう考えると、僕の周りは
>本当に、ショッカーで固められているんです。まさにあの役は僕の人生ですね。


http://shocker.sakura.ne.jp/p.html
>『カルトクエスト~仮面ライダー編~』(バンダイ)
>『特撮マン現場報告』(月刊アニメック連載・ラポート)
>『正義の味方を支えた人々』(月刊B-CLUB連載・バンダイ)
>『改造人間今日も行く』(月刊B-CLUB連載・バンダイ)
>『ラジオクローバー』(アニラジグランプリ連載・主婦の友社)
>『後楽園ゆうえんち野外劇場公式ガイド』
>『スーパーヒーローショー大全集』(メディアワークス)
>『星を喰った男』(潮健児著・バンダイ、プロデュース)
>『キカイダー讚歌』(池田駿介、伴大介著・星雲社、プロデュース)


ただ、大野浩と潮健児の付き合いはそれなりに長くて親密なものだったとして、大野浩が
そんなにバンダイの出版部門に押しがきいたものなのかとは、失礼ながら少々疑問の
面があって。バンダイから出した本は上でいう『カルトクエスト~仮面ライダー編~』のみ
で、この本の Amazon のページでは著者として名前はあがっていない。まあ、この本の
Amazon のページにかぎっては、著者の項目自体がないのだけれど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ショッカーO野
>「カルトクエスト500 仮面ライダー編」(バンダイ、1992年発売)

http://www.amazon.co.jp/dp/4891892862
>仮面ライダー (カルトクエスト500) [単行本]
〈略〉
>出版社: バンダイ (1992/11)


http://ja.wikipedia.org/wiki/ショッカーO野
>「カルトクエスト500 仮面ライダー編」(バンダイ、1992年発売)

http://www.amazon.co.jp/dp/4891892862
>仮面ライダー (カルトクエスト500) [単行本]
〈略〉
>出版社: バンダイ (1992/11)


実は、「B-CLUB」には唐沢なをきも連載していて、もしかしたら弟のツテがあった (ここ
参照) からバンダイと話がついたのかとも思ったのだけど、「唐沢なをきの裏漉し劇場」の
連載は 1994 年からであり、『星を喰った男』が出た 1993 年の翌年なので、その可能性
はなし。

http://ja.wikipedia.org/wiki/B-CLUB_(模型雑誌)
>・唐沢なをき「唐沢なをきの裏漉し劇場」
〈略〉
>・ショッカーO野「改造人間今日も行く」


http://www.amazon.co.jp/dp/484021851X
>唐沢なをきのうらごし劇場 [単行本]
>唐沢 なをき (著)
〈略〉
>本書は『B‐CLUB』と『AX』にまたがり、1994年から2000年までおよそ7年間連載してい
>たマンガコラムをまとめたものである。


ちなみに、『唐沢なをきのうらごし劇場』は唐沢商会の本ではなく、唐沢俊一は関与して
いない。「唐沢俊一先生」は一登場人物として 3 回ほどチラリと登場する微妙な本


まあ、そんなこんなで、『星を喰った男』は、京本政樹の引きがあったからバンダイから
出版できたのではないかと、個人的には妄想しているわけなんだけど、それは妄想に
しか過ぎないし、ショッカーO野と唐沢俊一の関係について気になることもあるし、という
ことで。

「ショッカーO野 唐沢俊一」でググるとトップにくるのが「唐沢俊一検証blog」の「星を喰っ
ちゃえ。
」で、同ブログには「十五年前のカゲロウ。」という、記憶に新しいエントリーもある。

http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20111001/1317436644
> まず、「裏モノ会議室」の1995年12月11日の書き込みで(一応発言者の名前は伏せ
>ておく)、『サイキック青年団』で京本政樹が潮健児の葬儀に乗り込み地獄大使のマス
>クを無理矢理持ち出そうとして、制止しようとした遺族に向かって5万円を叩きつけた、
>と竹内義和が怒っていた、という話を紹介している。…この書き込みを見る限り、『サイ
>キック青年団』が京本の悪評を広めたという事実は確かにあったのだろう。
> この発言に対して、唐沢俊一はやはり1995年12月11日の書き込みの中で「5万円」
>云々は虚偽であるとしたうえで、京本が潮健児の葬儀に当たって尽力したことも説明し
>ている。ただ、その後で京本が「形見分け」と称してメフィストの帽子と靴を持ち出そうと
>したのをショッカーO野と2人で止め、潮健児が所有していたコレクションを2人で引き
>取ったことも記している。


これを読むと、唐沢俊一とショッカーO野はそれなりに仲良し (?) で、潮健児の遺品も
2 人で仲良く山分けかとも思えるが、考えてみれば「裏モノ会議室」に書き込まれたこと
をショッカーO野がチェックできる状況にあったかというのは疑問で、ここでも唐沢俊一は
言いたい放題でフカしている可能性はある。

裏モノ日記で、潮健児がらみで、ショッカーO野 (大野浩) の名前が登場することはない。
彼の名前が出てくること自体あまりなくて、見つけたのは以下の 3 ヵ所くらいのもの。

http://www.tobunken.com/diary/diary20000420000000.html

昔、潮健児さんにショッカー大野が交通事故で脾臓破裂になったらしい、
と電話したときの第一声が“それはヒゾウ事態だ”というもので、思わず
“うまいっ!”と叫んだものだ。


http://www.tobunken.com/diary/diary20030713000000.html

今日の上映の正式タイトルは『日本漫画映画発達史~嗚呼! 先駆者
たち』であるが、今日びこんな古い日本のアニメ作品を見にこようという
人がどれくらいいるのかねえ、と思っていたら、続々という感じでつめかけ、
550席ある中野ゼロ小ホールの、7分は埋まった。ショッカーO野なんて
顔も見えて、こういうアニメなど見るのか、と意外だったが、考えてみれば、
片山さんと知り合いだった。


http://www.tobunken.com/diary/diary20031217000000.html

原田智生監督『牙吉』試写。20分前に着いたのだが、すでに満員の
盛況。なんとか席を見つけて坐る。肩をポンと叩かれたのでよく見たら
林家しん平さん。他に見渡すと、氷川竜介さんご夫妻の姿あり、金子
吉延さんの顔あり、ショッカー大野氏もいた。いやに顔見知り度の 高い
試写である。



一方、2ちゃんねるのスレへの書き込みで散見されるのが、潮健児の本をめぐって、唐沢
俊一とショッカーO野が、もめたという話。2 人が仲が良いという話は見つからない。

http://mimizun.com/log/2ch/sfx/953083444/
>17 :名無しさん:2000/03/19(日) 11:40
>潮健児の伝記本をめぐって、唐沢俊一とショッカー大野が
>もめたそうだが?
>あと、遺品の衣装を勝手に持ってっちゃった人がいたとか。


まあ「ショッカー大野」という表記は、唐沢俊一だけがするわけではないけどねえ……。
それを抜きにしても、上の過去スレの書き込みの人は、何だか唐沢俊一風味の文体。

http://mimizun.com/log/2ch/sfx/960043292/
>22 :潮さんの死の際 :2000/10/19(木) 21:21
>唐沢俊一に言いがかりをつけた男ですね。 裏フィギュア王に書いてたんで

>44 :警報!:2000/11/02(木) 05:50
>唐沢俊一が書き込んでいる模様。


「裏フィギュア王」というコピー本があって、そこで唐沢俊一は「ショッカーO野をボロクソに
書いていた」という話も、唐沢俊一スレの過去ログで見つかったりもする。

http://yomi.mobi/read.cgi/love6/love6_books_1185300258
>269 名前:無名草子さん mailto:sage [2007/07/30(月) 21:14:09 ]
>潮健児氏の本ではショッカーO野と揉めたな
>今思うとあれも何か妙な事件だった。


http://log2ch.net/read.php/books/1228498104/
>23 : 無名草子さん[] : 2008/12/06(土) 09:39:54
>ヒーロー特撮といえばこの人、のショッカーO野さんは何と言ってるんだろうねぇ

>36 : 無名草子さん[sage] : 2008/12/06(土) 12:38:55
>>>23
>唐沢は「星を喰った男」の件で、「裏フィギュア王」ってコピー本のなかで
>ショッカーO野をボロクソに書いていたのを記憶している
>当時はそんなもんかと思っていたけど、今考えてみると唐沢の怒り方は
>いつものパターンだね(相手を一方的に悪者にする)


http://unkar.org/r/books/1229176354
>195 :無名草子さん:2008/12/15(月) 09:42:38
>「トンデモない一行知識の世界」さんの「星を喰った男」関連エントリを読んだ。
http://diary.jp.aol.com/yzuc9ww/803.html
>吐き気がした。本気で、めまいを起こした。
>唐沢俊一、てめえ人間じゃねえ。

>…なるほどな、これじゃあショッカーO野さんとケンカになったわけだ!


「裏フィギュア王」というのは 1999 年に出したらしい。

http://picnic.to/~babylon/exdia/dia199902.html
>休憩時間に真道寺軍が来ているのを発見。ちょっと話をして、真道寺軍がいらないとい
>う「裏フィギュア王」を譲ってもらう。並ぶのめんどくさいんだもん。


入手は難しそう……と尻切れトンボで終わることをお詫びするです。

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2012.01.02 (Mon)

“枯れない老人”は彼じゃない老人

身長に身長を重ねて語る試み」では、石堂淑郎とは関係のない身長ネタしかやらなかっ
たが、今回はちゃんと (?)、著書の『偏屈老人の銀幕茫々』について。

http://www.tobunken.com/news/news20111230150540.html

2011年12月30日投稿
苦悶していた男 【追悼 石堂淑郎】

11月1日に膵臓癌により死去していたことが、一ヶ月ほどして
公表された。79歳。

ウィキペディアでは2008年に上梓された『偏屈老人の銀幕茫々』の、
「私の文筆の仕事は本書で終わりました。後は冥界で実相寺昭雄や
今村昌平と会うだけです」
と言う文章を引用していて、これだけ読むと何やら石堂氏は枯れて
もう生命に固執がなかったかのように思われるが、とんでもない、
当の『偏屈老人~』を読んでみると、彼ら亡友への追慕にからめ
て、若い日々の悶々とした性欲との戦いの、露悪的なまで饒舌な
記録となっていて、読んでいていささかヘキエキするほどである。

もう四十数年も前に関係した女性との関係を克明に描写する
その記憶力に驚嘆すると共に、石堂という人の、“人間”という存在
への熱烈な執着に圧倒される思いがする。しかも、この連載原稿を
書いていたのが、70歳を越えて心筋梗塞と脳卒中に見舞われ、
半身不随になって入院したベッドの上、なのである。その連載の
最終回は、入院した病院の若い看護師の女性との交合を夢に見る
話である。まさにバイタリティというか、生命への執着は並大抵
のものではない。


内容的には、2008 年の朝日書評欄の使い回しといってよいだろう。「若い日々の悶々と
した性欲との戦いの、露悪的なまで饒舌な記録」とかいうあたりは、そのまんまである。

一方、「もう四十数年も前に関係した女性との関係」みたいな馬から落馬的な記述とか、
「読んでいていささかヘキエキするほどである」という貶しの入れ方とかは、朝日の書評に
はない。「もう四十数年も前」という、何かの間違いと思われるが (後述)、どう直せばよい
のかわからない記述も、以下に引用する文章には存在しない。

http://book.asahi.com/review/TKY200805270122.html

偏屈老人の銀幕茫々 [著]石堂淑朗
[掲載]2008年5月25日[評者]唐沢俊一(作家)
■なんとお元気な、圧倒されました
 “枯れない老人”という一群の人々がいる。齢(よわい)70半ばを超え、
脳梗塞(こうそく)と心筋梗塞という二つの大病に襲われ、普通なら生への
欲求も尽き果てるところを、まだくたばらんぞとギラギラした執着を見せな
がら周囲を睥睨(へいげい)している老人といったおもむきが、本書の著者、
石堂淑朗にはある。

 一応表向きには、「私の文筆の仕事は本書で終わりました。後は冥界で
実相寺昭雄や今村昌平と会うだけです」と生への未練のなさを表明して
いるものの、書かれている内容は、亡友への追慕にからめて、若い日々の
悶々(もんもん)とした性欲との闘いを、露悪的なまで饒舌(じょうぜつ)に
語る“性”春記だ。

 その記憶力に驚嘆すると共に、ここまで過去の性体験にこだわるのは、
いまだこの著者の体内に、その欲望が尽きていない証拠ではないかと
読み進みながら思っていたのだが、案の定、本書の元となった雑誌連載
の最終回は、心筋梗塞で入院した病院の若い看護師嬢との交合を夢に
見る話なのである。本書や、前後して出た団鬼六の『我、老いてなお快楽
を求めん』(講談社)などを読んで思うのはこの世代の人々が、性を仲介
にして人生の晩期までなお、社会にコミットし続けようとする、その執着力の
凄(すさ)まじさだ。それに圧倒され、自分などまだまだ小僧っ子だな、と
再認識してしまうのである。


「2011年12月30日投稿 苦悶していた男 【追悼 石堂淑郎】」の方はもちろん、上に
引用の朝日の書評でも、「若い日々の悶々(もんもん)とした性欲との闘いを、露悪的な
まで饒舌(じょうぜつ)に語る“性”春記」、「その記憶力に驚嘆すると共に、ここまで過去
の性体験にこだわるのは」といった記述から、「齢(よわい)70半ばを超え、脳梗塞(こう
そく)と心筋梗塞という二つの大病に襲われ」た老人が、病床で過去の性体験を赤裸裸
に綴った本であるかのように読める。

少なくとも自分は、そうとしか読めなかった。

しかし、『偏屈老人の銀幕茫々』という本の前書き (唐沢俊一のいう「表向き」) には、以下
のように書かれている。

『偏屈老人の銀幕茫々』 P.2
> 本書は一読されると、お分かりになると思うが、前半と後半の筆致が截然と分かれて
>いる。前半(第一部)は脳梗塞と心筋梗塞と二つの重大な発作に襲われた跡、古希を
>越えてからの執筆(月刊「ちくま」に連載)によるものである。後半は古い雑誌のシミと
>化していた拙文を編集者が発掘の努力をしたたまもので、後々単行本に収録されると
>は夢想だにしないで、書き飛ばした威勢の良さだけが取り柄である。前半が何処と無く
>沈んでいるのは発作後の後遺症との闘いに疲労困憊気味のせいである。
> しかし連載中、目に留めてくれた論客亀和田武氏の「偏屈老人」なる言辞を使っての
>筆者への叱咤激励には救われた。もしかしたら誰も読んでいないのでは、という不安が
>あったからだ。本書書名の「偏屈老人」は亀和田氏からのパクリである。亀和田氏への
>感謝をここで改めて述べさせていただく。
> 私の文筆の仕事は本書で終わりました。後は冥界で実相寺昭雄や今村昌平と会うだ
>けです。


で、唐沢俊一のいう「若い日々の悶々(もんもん)とした性欲との闘いを、露悪的なまで
饒舌(じょうぜつ)に語る“性”春記」というのは、「第一部 往時茫々」、「第二部 青春
放浪記」、「第三部 そして誰もいなくなった」のうち、主に第二部に書かれている内容
なのだ。

この「第二部 青春放浪記」は「青春放浪記」と「滑稽なる色情家」からなり、前者は
「『青春遊泳ノート』所収・一九七三年八月・双葉社『週刊漫画アクション」連載」、後者は
「『好色的生活』所収・一九七〇年九月・講談社 『別冊小説現代』一九六九年新秋特別
号掲載」とある。

石堂淑郎は 1932 年 (昭和 7 年生まれ) で、「青春放浪記」の文章を書いたのは 41 歳
の頃、「滑稽なる色情家」の方は 38 歳の頃という計算になる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/石堂淑朗
>石堂 淑朗(いしどう としろう、1932年7月17日 - 2011年11月1日)は、日本の脚本家、
>評論家。


そして唐沢俊一のいう「“性”春記」は 1951 年 (昭和 26 年) あたりからの思い出を綴った
もので――要するに、40 歳くらいの著者が 20 歳頃の出来事を書いたものである。

これが唐沢俊一の朝日の書評では、「その記憶力に驚嘆すると共に、ここまで過去の性
体験にこだわるのは、いまだこの著者の体内に、その欲望が尽きていない証拠ではない
かと読み進みながら思っていた」――本が出た 2008 年 3 月の時点では、石堂淑郎は
75 歳である――となるのだからたまらないというか、朝日新聞はどうしてこれをそのまま
載せたんだろというか。

さらに、今回の“追討”では、「もう四十数年も前に関係した女性との関係を克明に描写
するその記憶力に驚嘆する」となるのだから、まったくわけがわからない。40 歳の頃に
20 歳前後のことを書いているのだから、石堂淑朗の描写の対象は 20 年前の出来事で
ある。「古希を越えてからの執筆」と誤解していたのなら、50 年以上前とか書くはずなの
に、なぜか「四十数年も前」……。


それから、今回は「“人間”という存在への熱烈な執着に圧倒される思い」に「生命への
執着は並大抵のものではない」 (執着執着と少しクドい)、朝日の書評では「性を仲介に
して人生の晩期までなお、社会にコミットし続けようとする、その執着力の凄(すさ)まじさ」
を示すものとして唐沢俊一があげているのが、「心筋梗塞で入院した病院の若い看護師
嬢との交合を夢に見る話」。

この話は、確かに「第一部 往時茫々」の方に出てくるのだが、「交合を夢に見る話」と
いうよりも、交合できるかなと思ったらダメだったという夢を見る話、という感じ。

『偏屈老人の銀幕茫々』 P.94 ~ P.95
> 担架に乗せられたまでは記憶にあった。病院では人工心肺を付けられ丸三日意識
>不明、四日目に意識を取り戻した。目の前に女の顔があった。「バルタンセイジン! 
>バルタンセイジン!」女の声が二つ聞こえて私の体を引っ張っている。私はベッドの
>下に落ちて、看護婦二人が掛け声を掛けながら私をベッドに引き揚げていたのだ。
>彼女らは私がウルトラマンの脚本家と知って、ならばバルタン星人に違いなしとあって
>の掛け声だったのである。とにかく、生き返ったのである。目の前で笑っている若い女
>二人の印象は強烈だった。顔も笑い声も命のシンボルに思えた。
> 去年の夏、定期検診で引っかかり、造影剤を注入して血管の具合を検査して貰った。
>異常無しで無罪放免になったが、その時面倒を見てくれたのが、この時のバルタン
>セイジンの看護婦さん。冬の間白かった顔が今度は真っ黒。聞くとサーフィン。どこで。
>伊豆の雲見海岸。私はググッときてしまった。
> 伊豆の海は私にとって言わば不滅の海である。三十代、四月二十九日は個人的に
>伊豆の入間で海開きだった。明けても暮れても潮騒とともに暮らしていた。雲見の海も
>私の庭である。その雲見に休みごとに行ってサーフィン。彼女は若い娘にして命その
>ものである。
> ついに夢に見た。
> 時は昭和らしい。場所は世田谷の等々力渓谷と思しい。ベンチの上で彼女と私は
>戯れる。股間何やら膨張している。しめた。今度は交合可能らしいぞ。と時間は瞬時に
>して流れて平成だと教えられる。股間はたちまち萎縮して、高揚感は瞬時に消えた。
>嗚呼死ぬまでこんなことを繰り返すのだ。
> 昭和ファルスの瞬時に平成ペニスになれるかや。


唐沢俊一のいう「“枯れない老人”」に分類するとしても、「普通なら生への欲求も尽き果て
るところを、まだくたばらんぞとギラギラした執着を見せながら周囲を睥睨(へいげい)して
いる老人といったおもむき」とまで書かれると、感じ方は人それぞれとはわかっていても、
どうにも首をひねってしまう。

まあ石堂淑朗本人も、「お分かりのように古希老人の生臭さはまだ相当なもので、いま
だに惚れる相手を見合い写真よろしく懸命に探しているのである」 (P.93) なんて書いて
いたりするのだが。ちなみに、この相手は、雑誌「ランティエ」に肖像写真が掲載されて
いた「翠姐さん」 (石橋翠?) で、「歩行困難では万障繰り合わせてストーカーというわけ
にはいかない。悔しい。」とか書いていたりもする。

で、「“枯れない老人”という一群の人々」で思い出すのが、唐沢俊一が『愛のトンデモ本』
に書いた「少しは年寄りらしく枯れろッ、と、ちとキツく言ってやらないと土留めが効かない
くらい、実は老人たちは元気で、ヤツらの精力は有り余っているンである」 (「土留め」は
原文ママ、ここを参照)。

ここで唐沢俊一に取りあげられていた『性生活報告』では、70 代、80 代のお年寄りが、
何というか、日々元気に「交合」を実践している。それを唐沢俊一が、ややテンション高め
に報告している。

そのノリを『偏屈老人の銀幕茫々』の紹介の方に持ち込んだために、「まさにバイタリティ
というか、生命への執着は並大抵のものではない」とか、「まだくたばらんぞとギラギラし
た執着」とか、どうにもテンション高めの描写となり、「交合を夢に見る話」となったのでは
ないか。冷静に考えれば、病院のベッドの中の石堂淑朗の場合、「夢」の話にとどまる
ものでしかなかったわけだが。



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2012.01.01 (Sun)

あけましておめでとうございます

http://www.tobunken.com/news/news20120101031221.html

イベント
2012年1月1日投稿
新年ご挨拶

あけましておめでとうございます。
本年も相変わりませずよろしくお願い申上げます。

相変わらずと申上げましたが、今年は私の生活はずいぶん相変わる
予定であります。ひょっとして、文筆業になって最も大きな変化かも
知れません。この年齢になってから、こういう面白いことが
出来るとは、と自分で驚き、いささか興奮しています。
〈略〉
……これは2月以降、全てが決定してからくわしくご報告したいと思い
ますが、今年、ひとつ新会社を立ち上げる予定になっています。
2012年から最低5年をかけてのプロジェクトのための設立で、
自分にとり、数年前からの夢が、何とも簡単に実現してしまった、
という驚きと、これからどう面白いことをやっていこうか、という
期待に胸がふくらむ提案でありました。

もちろん、本業の執筆活動も、今年遅れをとった分は取り返していく
つもりです(既に半ば以上原稿があがっているものだけで、4冊が
進行中です)。ただし、少なくともこの1年に関して言えば、上記の
企画の準備と活動が、生活の中心になるとは思います。こんなこと、
公演が終った時点では創造もしていませんでした。まさに今回の
公演のタイトル『タイム・リビジョン/時間修正作戦』のように、
自分の人生が修正された、そんな思いがしています。

http://megalodon.jp/2012-0101-1133-02/www.tobunken.com/news/news20120101031221.html

×創造もしていませんでした ○想像もしていませんでした

書かれていることよりも、書かれていない事柄の方が気になったりする、唐沢俊一の
「新年ご挨拶」。

2ちゃんねるのスレで、「北海道のは?シカトしたらユーマンが可哀想だろ?」と指摘して
いた人もいるように、北海道でのイベントの話がない。川口友万のおかげで盛り上がった
(?) のに。やはり、前売り 3,500 円が 1,000 円にダンピングされたり、「20人ぐらいかな、
お客さん」という状況だったりしたのが、まずかったのだろうか (ここここを参照)。

書かれていないことについて、その次に気になったのは、「2月以降、全てが決定してから
くわしくご報告したい」に「2012年から最低5年をかけてのプロジェクト」からの連想で、
そう言えば、極秘プロジェクトやらは、どうなったんだっけ――ということである。

唐沢俊一は、2010 年 2 月 27 日に、「日記更新をお休みさせていただきます。書き下ろ
しの締切に火がついてきたというのが喫緊の理由ですが、ちょっと新しいプロジェクトの話
があり、日記に書けぬことがいろいろ出てきたのも理由のひとつです」と書いて、裏モノ
日記の更新を停止したのだった (ここここここを参照)。

「こんなこと、公演が終った時点では創造もしていませんでした」 (原文ママ) という記述が
あるので、上でいう「新しいプロジェクトの話」というのが、今回の「2012年から最低5年
をかけてのプロジェクト」をさすという可能性はない。結局、どこへいってしまったのだろう、
裏モノ日記の更新停止の原因となった「新しいプロジェクトの話」って。

それはともかく、「ひとつ新会社を立ち上げる予定」とも書いてあるので、それが「近く新た
な日記サイトを立ち上げ」るとかいう話――「ということで唐沢俊一ホームページの華麗な
リニューアルをお待ちしています
」のエントリーに書いた件――と関係してくるのかと思い、
読みすすめていっても、新サイトの話は出てこないまま文章は終わる。

「今年一杯くらい(未定)をもって当サイトを休止する予定です。訃報、映画評、読書記録、
新刊情報、公演情報などの他、多くの方々から要望のあった裏モノ日記も復活させたいと
思っております」というのは没になったんだろうか。となると、tobunken.com のドメインは
継続するのかなと思って (ここを参照)、http://www.ip-adress.com/whois/tobunken.com
を見てみたら、11/24/2011 が Updated Date、01/20/2013 が Expiration Date になって
いた。あと 2 年は、toubunken.com というドメインを保持するつもりらしい。

まあ、どちらかというと、toubunken.com のサイトもリニューアルする、新会社のサイトは
サイトで新しいドメインで構築するというオチとなった方が、ヲチのネタもふえて望ましい
のだけど……どちらもなしで、ズルズルいきそうな予感。

書かれていないことで気になることというのは他にもあって、『トンデモ非常時デマ情報
レスキュー』 (ここを参照) というのが、「1月19日あたりから書店に並びます」というのは
どうなったのかなあ、と。

今回の唐沢俊一の、「既に半ば以上原稿があがっているものだけで、4冊が進行中です」
という書き方には、微妙に不安を感じるというか……進行中の 4 冊に『トンデモ非常時
デマ情報レスキュー』は含まれるんだろうか。含まれるとして「既に半ば以上原稿が」って
あと 20 日で発売される本が、そういう進行状況でよいのだろうかとか、余計な心配 (?) を
してしまう。

ブリックス株式会社のページ http://www.j-brix.co.jp/publication/index.html を見ても、
「引き続き第二弾として、あの雑学王唐沢俊一氏が(震災など)非常時におけるトンデモ
デマなどに対する情報対処法についての解説書を近日に上梓予定」と、発売日は未だに
明記されていないままだったりするし。



あけましておめでとうございます。本年もよろしくです。

GEISYUN.jpg

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2011.12.31 (Sat)

身長に身長を重ねて語る試み

http://www.tobunken.com/news/news20111230150540.html

日本の思想家というのは、例えば小林秀雄などが典型だろうが、
小柄で痩躯、考える機械的な存在で、性や食といった肉体的欲求
からは解脱した、という外観(内面がどうなのかは知らない)を
持つというイメージがこの時代、常であった。

http://megalodon.jp/2011-1230-2326-16/www.tobunken.com/news/news20111230150540.html

2ちゃんねるのスレには、「小林秀雄って美食家だし長谷川泰子寝取るし、外に出てる
部分だけで充分肉体的欲求まみれだと思うんだが…」 (Read More 参照) と書き込んで
いる人がいた。

それもそうだし、個人的には小林秀雄が「小柄」とか書かれているのにも驚いて、これは
自分が何か勘違いしているのかと、あわててググってみたりした。

https://twitter.com/#!/mn725/status/16535321604784128
>@mn725
>なつお
>小林秀雄は高学歴高身長高収入の3Kイケメンなので人気があるのは当然だな
>20 Dec 10 via web


やっぱり小林秀雄って高身長のイメージだよねえ、と。唐沢俊一は三島由紀夫あたりと
混同しているのだろうか (以下は「小林秀雄 身長」でググると上位にくるページ)。

http://blogs.yahoo.co.jp/eraser1eraser/60191522.html
> -三島由紀夫は評論が素晴らしいと思う。小林秀雄よりも23年遅れて生まれたこの男
>は、
> о1902年に生まれていたら、どんな人生を歩んだであろうか?
> -だが、この男は163センチの虚弱な小男に過ぎなかった。陸士・陸大には耐えられ
>なかったであろう。三島由紀夫がどうしても欲しかったものは多分、
> о知性など要らぬから強靭なる肉体&高身長
> -だったに違いなかった。


または、まさかと思うが、以下のような2ちゃんねるの書き込みを唐沢俊一は信じたとか
(これも「小林秀雄 身長」でググると上位にくる)。

http://mimizun.com/log/2ch/book/1069048237/
>34 :吾輩は名無しである:04/01/09 23:10
>小林秀雄は145cmだっけ?


そこまでの「小柄」というのは、小林秀雄ではなくて、長谷川泰子 (「グレタ・ガルボに似た
女性」) を小林秀雄と取り合った中原中也の方だよなあ……と。

http://ohisamanokakerat-t.at.webry.info/200707/article_8.html
>中原中也は、盆地-山口市(人口約15万人)-にある湯田(ユダ)温泉で
>1907(明治40)年に産まれました。
>成人時の身長は四尺六寸五分(約141㎝)でした。
>体重は、標準で約43.73㎏です-推定。
>1923(大正12)年9月1日に関東大震災は発生しました。
>小林秀雄は、リュックを逆さまに背負いおふくろさんを探し回りました。
>1925(大正14)年に、地方出身者の中也は、同棲していた長谷川泰子
>と京都から上京し、江戸っ子-東京市神田区(現東京都千代田区)出身
>-で長身でやせ型の小林秀雄と知り合いましまた。
>中也18歳、泰子21歳、小林23歳のときでした。
>その年の11月末、 中也は泰子から捨てられました。
>別離の当日、小林が関東大震災のとき使用したであろうリヤカーで、
>荷物を運び出す泰子を静かに中也は見送りました。
>『・・・・私はただもう口惜しかった、私は<口惜しき人>であった』
>小雪がちらついていたのかも知れません。
>泰子は、友人小林のもとへ去ったのでした。
>奇怪な三角形-小林記-は成立しました。
〈略〉
>※1
>小林秀雄の身長体重は不明です。
>推測では、165~175㎝で、当時としては長身やせ型の部類だと思います。
>標準体重では、59~67㎏となります。
>女優長谷川泰子の身長体重も不明です。
>推測では、165~170㎝だと思います。
>泰子は、小林と離別後、「グレタ・ガルボに似た女性」で松竹キネマに一等
>当選しているので、女性としては大柄だったと思います。
>この手の記録がないというのが、この列島の特徴でもあります。
>中也に身長の記録があるのは特別なことです。


上に引用した人の書いている通り、「この手の記録がない」というのは、ある。中也の身長
だって、下に引用した人のように「150cm位」という人もいるし。自分の記憶していたのは、
こちらが近い。

http://lookyamaguchi.blog70.fc2.com/blog-entry-361.html
>中也の結婚式が行われた山口市湯田温泉西村屋で撮影された写真。
>実は、中也は、身長が150cm位と小柄であり、
>妻の孝子さんは、座っての写真撮影であったこと。


その他参考
- http://www.chuyakan.jp/01chuya/01main1.html
- http://plaza.rakuten.co.jp/pess5547/diary/200803200000/

しかし、中也と泰子と小林の三角関係は漫画化もされていて、ビジュアルを思い浮かべ
やすい珍しいケースではないかと思ったら……。

http://blogs.yahoo.co.jp/orchestraofangels/58985437.html
>ってことで、曽根富美子の「含羞 我が友中原中也」を紹介♪
>…………。
>                           …絶版じゃん。(号泣)


Amazon の中古本では買えるけど安くなかったりするし。あらら。

- http://www.amazon.co.jp/dp/4061027247
- http://www.amazon.co.jp/dp/4061027255

で、まあ、「この時代、常であった」といわれても……「小柄で痩躯」や、「性や食といった
肉体的欲求からは解脱」というイメージを、そもそも唐沢俊一がどこから引っ張ってきたの
かさえも、結局謎のままである。

実際の身長や体重なんかわからないよ、というのなら、漠然と中肉中背の体型を思い浮
かべるのが普通じゃないかと思うし、三島や中也あたりと混同していたと仮定するなら、
「性や食といった肉体的欲求からは解脱」なんて方向には連想がいかないだろうという
気がするし。三島は同性愛だとか (ここを参照)、芥川は「妻子ある女性との不倫」 (原文
ママ、ここを参照) とか、そういう話が大好きなのが唐沢俊一なのだから。

いや唐沢俊一がいっているのは「日本の思想家」であって、文学者とは別系統――と思お
うにも、「小林秀雄などが典型」と書いているその小林秀雄は、批評家とか文芸評論家に
通常は分類される人であるし。

http://ja.wikipedia.org/wiki/小林秀雄_(批評家)
>小林 秀雄(こばやし ひでお、1902年(明治35年)4月11日[1] - 1983年(昭和58年)
>3月1日)は、日本の文芸評論家。
>日本の近代批評の確立者であり、西田幾多郎と並んで戦前の日本の知性を代表する
>巨人であり、戦後も保守文化人の代表者であった。いわゆるフランス象徴派の詩人、
>ドストエフスキー、志賀直哉らの文学、ベルクソンやアランの思想に大きな影響を受け
>る。本居宣長の著作など近代以前の日本文学にも深い造詣と鑑識眼を持っていた。


ちなみに、クリスチャンの狐狸庵先生はどうかとも思ったが、遠藤周作も「痩身長躯すらり
とした体つき」だったとか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/遠藤周作
>狐狸庵先生などと称される愉快で小仙人的な世間一般の持つ印象とは異なり、実物
>の遠藤周作は、おしゃれで痩身長躯すらりとした体つき(戦後間もない時代に176cm
>前後)の作家であり、豪放磊落開放的な態度で一般とも接するのを常としていた。


考えてみれば、唐沢俊一のいう「この時代」の文化人って裕福な家庭の子が多く、「小柄
で痩躯」どころか、同時代人の中では恵まれた身長の者が多かったという可能性も。

「性や食といった肉体的欲求からは解脱」というイメージだったら、西田幾多郎あたりは
どうかとも思ったんだけど、彼の父親と同じだったら「身長通常」といったところか。

http://www.ritsumeihuman.com/publication/files/ningen_5/013-22.pdf
>父について,幾多郎は,西田家に伝えられている『過去帳』の中で,次のように書いて
>いる,「父,名ハ,得登,幼名ハ藤蔵,祖父新登アラノリノ末子,天保5年4月生。明治
>31 年10 月9日,余,山口高等学校ニ在職中,肺炎ヲ病ミテ金沢市竪町ノ家ニ没ス。
>享年65。父,身長通常,背稍ヤヤカガミ,眼鋭ク鼻高シ,性淡泊ニテ,雷雨一過痕ヲト
>ドメザルノ風アリ。思ヒタチシ程ノ事,貫カザレバ止メズ。深ク意ヲ我等ノ教育ニ用ユ。
>我等今日アルハ一ニ父母ノ力ニヨルト言フベシ」と。ここに「金沢市竪町ノ家」とあるの
>は,父の妾宅のことである。


その他参考 URL:
- http://www.nishidatetsugakukan.org/


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11:21  |  その他の雑学本 間違い探し編 (324) +  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2011.12.30 (Fri)

カッコをつけない方がよかったんじゃないかの『僕らを育てた声・田の中勇編』

http://www.tobunken.com/news/news20111228194720.html

アンドナウの会・冬コミ新刊は今年1月に亡くなられた声優・田の中勇さんの、
おそらく生前最後のインタビュー集。
『僕らを育てた声・田の中勇編』

生い立ちのこと、声優という職業に対してのスタンス、目玉親父のキャラクター
についてなど、飾らずに淡々と語っていただいたのが印象的でした。

この貴重なインタビュー集を、ぜひともお読みいただき、半世紀近く、われわれ
を楽しませてくれた声のエンターテイナーの業績に思いを馳せてくださいませ。

定価500円。

http://megalodon.jp/2011-1229-2005-56/www.tobunken.com/news/news20111228194720.html

×今年1月に亡くなられた ○去年1月に亡くなられた

今年って 2011 年だよね……。田の中勇が亡くなったのは 2010 年 1 月のことである。

http://gigazine.net/news/20100115_isamu_tanonaka/
>2010年01月15日 18時23分51秒
>「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズでずっと目玉おやじを演じてきた田の中勇氏、死去

>1968年に第1シリーズが放送され、これまでに5回テレビアニメシリーズ化されている
>「ゲゲゲの鬼太郎」。この長いシリーズの間、ずっと変わらずに目玉おやじを演じてきた
>声優の田の中勇さんが、13日に心筋梗塞のため自宅で亡くなったことが明らかになり
>ました。77歳でした。



これを書いている時点で、「田の中勇 唐沢俊一」でググると、トップにくるのは唐沢俊一の
サイトのページではなく、「唐沢俊一検証blog」の「キャンド・ツイート。」である。

http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20111220/1324378458
>●アンド・ナウの会のTwitterを見たところ、どうやら唐沢俊一の冬コミの新刊は田の中
>勇のインタビュー本のようである。唐沢は田の中さんに2009年7月2日にインタビューし
>ている(裏モノ日記)。「NO&TENKI商会」の方はどうなっているかな。
> 唐沢は2008年1月に飯塚昭三さんをゲストに招いて「僕らを育てた声」というイベント
>を行っていて、何人かの声優さんにインタビューを行っていたのもこの企画の関連らし
>い。まあ、公式サイトに「ついに始動!」と書かれているのに第2回が行われていないの
>はどうかと思うし、田の中さんにインタビューしてから本を出すのに2年もかかったのもど
>うかと思う。全員分出すのに何年かかるのかと。


そして検索結果の 2 番目にくるのが「藤岡真blog」の「唐沢俊一の書く文章は、なんで
人をいらつかせるのか
」。

http://d.hatena.ne.jp/sfx76077/20100118/1263424425
>>帰宅の車中、Taka@モナぽさんからの連絡で、田の中勇さんの
>>他界を知る。驚きと落胆と、それから、せめて生前にインタビュー
>>しておいてよかった、という気持ちとが交錯して、複雑な気持ち。

> 「せめて」の使い方がおかしい。文筆を生業にしたいのなら、せめて言葉の座りの悪
>さくらいには、気付けるようにしてもらいたい。「せめてもの慰め」だろう、この場合は。
>そして、生前インタビューが出来たのがせめてもの慰めでも、それと訃報を量りにかけ
>て複雑な気持ちになるなんて書いてはいけない。主我的な喜びが沸き起こる後ろめた
>さなんて、唐沢の筆では到底書けるようなものではないからだ。


「せめて」については、2ちゃんねるのスレでも違和感を表明している人がいる (Read
More
参照)。引用されている唐沢俊一の追悼文章は 2011 年 1 月 15 日にアップされた
もの。そして唐沢俊一が田の中勇にインタビューしたのは 2009 年の 7 月のことらしい。

裏モノ日記 2010年 01月 15日(金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20100115161403.html

7月にインタビューさせていただいたとき
http://www.tobunken.com/diary/diary20090702113927.html
には声も衰えておられず、むしろ
「目玉親父の声なんか、この年になってやっとやりやすくなりましたね」
とおっしゃっていたのに。

登山を愛し、音楽(シャンソン)を愛し、芝居を愛しという、
多才、多趣味な方だった。文化的な家庭に育った恩恵だろう。
だから、声優というお仕事に対しても、“その中のひとつの選択肢”
で、声優が本業と思われたのはつい、最近、と飄々と笑っておられた。

http://megalodon.jp/2011-1229-2325-06/www.tobunken.com/diary/diary20100115161403.html

裏モノ日記 2009年 07月 02日(木曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20090702113927.html

青二プロダクション事務所で、田の中勇さんインタビュー。
イメージ通りの飄々とした方で、いろいろ伺うお話も面白い。
声優になる気は全くなかった、というか自覚すら20年前に
やっと芽生えた(現在76歳でいらっしゃるから56歳のとき!)
というのが驚き。本当はシャンソン歌手になりたかった、とのこと。

こちらから是非、伺いたかった飯塚昭三さんの伊右衛門、
田の中さんのお岩の『四谷怪談』に関しては、楽しい思い出
として明確に記憶されており(31歳のときのこととか)、
伺えて実に嬉しかった。
まさに噛めば噛むほど味のある俳優さんである。

http://megalodon.jp/2011-1229-2323-15/www.tobunken.com/diary/diary20100115161403.html

さて、唐沢俊一が田の中勇にインタビューして聞いたという、「目玉親父の声なんか、この
年になってやっとやりやすくなりましたね」は、以下の引用の中の、「このごろ目玉親父を
アイドル化しようとしている感じがあって、目玉親父はものすごくいじられるから。けっこう
大変なんですよ、この歳だと(笑)。こっちはそのまま演じられるからすごく楽ですし、新
鮮」と比べあわせると、ちょっと微妙な感じがする。

http://dic.nicovideo.jp/a/田の中勇
>2007年スタートの「ゲゲゲの鬼太郎」第5期では、目玉おやじ役を後進に譲ろうとして
>いたが、田の中勇以外に適役な者がいないとの理由で、高齢の為に収録スタジオに
>専用のマイクをセットしてもらって収録に参加した。

>また、「ゲゲゲの鬼太郎」が原作の本来のおどろおどろしさを潜めて子供向けの作品に
>なるにつれ、目玉おやじの演技もコミカルさが要求されるようになったりした為に窮屈さ
>を感じていたのか、2008年に放映されたノイタミナ枠のアニメ「墓場鬼太郎」収録に、旧
>知の野沢雅子らと共に目玉おやじ役として参加した際は

>> これまでのシリーズに比べて、かえってやりやすいんです。このごろ目玉親父を
>> アイドル化しようとしている感じがあって、目玉親父はものすごくいじられるから。
>> けっこう大変なんですよ、この歳だと(笑)。こっちはそのまま演じられるからすごく
>> 楽ですし、新鮮でした。

>と後に答えている。


同じようなことは Wikipedia の「田の中勇」の項目にも書かれている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/田の中勇
>アニメ雑誌に掲載された記事によれば、目玉おやじは近年ではマスコット・アイドル化
>されていることから苦労していたが、コミカルな表現が抑えられた『墓場鬼太郎』での
>目玉おやじのほうは新鮮で演じやすいと田の中は発言している。一方で当初は慣れず
>に戸惑いも感じる部分もあったという。何度か初期メンバー(鬼太郎役の野沢雅子とね
>ずみ男役の大塚周夫)で演じる機会はあったが、『墓場』が三者揃った最後の共演と
>なった。


ただし、出典が「アニメ雑誌」としか書いていないのが、これはこれで微妙な気が。もしか
したら『オトナアニメ』のことかと思ったが、この「三条陸に聞く!」というのは連載記事の
ようなので、号を特定するのが少し難しい。そのため記事を探すことについては挫折中。

http://ja.wikipedia.org/wiki/劇場版_ゲゲゲの鬼太郎_日本爆裂!!
>脚本・シリーズ構成を担当した三条は、雑誌『オトナアニメ』のインタビューで、本作に
>登場する鬼太郎が恋をする人間の少女・風祭華をテレビアニメ第3シリーズに登場した
>天童ユメコのオマージュだと明かしている。


http://youkaiyokochou.web.fc2.com/
>『オトナアニメVol,12』(洋泉社MOOK)の「三条陸に聞く!」で、かなり内部事情に踏み込
>んだインタビュー記事が掲載されました。



それから、唐沢俊一は「声優になる気は全くなかった、というか自覚すら20年前にやっと
芽生えた(現在76歳でいらっしゃるから56歳のとき!)」と書いているが、これに関しても
微妙というか……以下の書き込みでいう「俺らの世代でなりたくて声優になったような奴
は居ないよ」と照らし合わせると、田の中勇の真意はどのようなものだったのだろうかと
思えてくる。

http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-2501.html
>5. 名前: #- | 2010/01/15(金) 20:18 | URL | No.:148512
>一次の声優ブームの時、ごきげんように出演した折、「俺らの世代でなりたくて声優に
>なったような奴は居ないよ」と空気の読めない発言をまったくシャレのニュアンスを含ま
>ないテンションで語っていたのは今でも鮮烈に記憶に残っている

>12. 名前:名無しビジネス #- | 2010/01/16(土) 22:46 | URL | No.:148934
>>「アドベンチャーロード」の「妖精作戦」で真田佐助役のを聞いたのが最初だった・・・
>ご冥福をお祈りいたします orz

>懐かしい…。
>俺らの世代で好きで声優になった奴はいない…は正直だったな。
>アニメのキャラは年取らないし、しんでも甦る事が多いけれど、現実の人間は時間に逆
>らえないんだな。



さて、あれこれ探していたら、以下のようなツイートを見つけた。

http://twitter.com/#!/kokko3/status/150464765012099073
>@kokko3 そら
>田の中勇インタビュー本らしい。唐沢俊一だけど。bit.ly/uoClhw
>12月24日 Janetterから


「唐沢俊一だけど」には、うーむと思ったけど、おいといて。上のツイートでリンク先に指定
されているのは、同人誌の通販ページである。

http://www.toranoana.jp/mailorder/article/04/0030/01/21/040030012121.html
>「ゲゲゲの鬼太郎」目玉のおやじ役の声優 田の中勇さんの亡くなる半年前に行った
>インタビューを収録。
〈略〉
>サークル   アンド・ナウの会
>主な作家   田の中勇 唐沢俊一
>サイズ    A5 52p
>発行日    2011/12/30
〈略〉
>価格:735円(税込)


唐沢俊一のページでは不明だったページ数が、ここで明らかになっている。唐沢俊一が
サイトに書いていた「定価500円」というのはコミケ特別価格みたいなもので、通販では
700 円で売るよ、ということだろうか。以下は立ち読みコーナーをながめての感想。

表紙:
http://www.toranoana.jp/mailorder/article/04/0030/01/21/040030012121_popup1.html

唐沢俊一のサイトの縮小画像 http://www.tobunken.com/news/images/tanonaka-3.jpg
を最初に見たときは、マイクらしきものの側に描かれているのが何なのか、すぐにはわか
らなくて、少ししてから、目玉のおやじがマイクの後に隠れている絵なのか、キャラクター
の版権に気を使って一部だけの表示にしたのかもしれないが、わかりにくいなと思った。

そして立ち読みコーナーの少し大きめの絵を見たら、マイクというにはあまりに平べったい
感じの絵に見える、そちらの方が気になったりした。最近の唐沢俊一本の表紙って、何だ
かなあと思ったりする (ここを参照)。

立ち読み 1 ページ目:
http://www.toranoana.jp/mailorder/article/04/0030/01/21/040030012121_popup2.html

田の中発言は 6 行分なのに対して、唐沢俊一の自己紹介発言が 38 行分は長過ぎ。
インタビューの趣旨説明みたいなものも必要だろうけど、ここまでやられるとウザい。

立ち読み 2 ページ目:
http://www.toranoana.jp/mailorder/article/04/0030/01/21/040030012121_popup3.html

> (ところが)その頃、父(の仕事)が、戦争で一番、悪くなって「お前だけは、大学(行く
> の)は止めてくれ」と言われ、それでやること無くなっちゃって。
唐沢 ご家庭の事情で目標が無くなってしまい、そういう研究所にお入りになった。
> では、戦後の混乱があったがゆえに、偶然その道にお進みになったということですね。
田の中 偶然ですよ。どうしてもやりたいと思って(た訳ではない)。なんか段々と流され
> てっただけで。
唐沢 時期が時期,時代が時代であったがゆえにということですね。そういう意味では、
> 我々はその偶然に(感謝しなくてはいけない)。本当に幸運だったんですね(笑)。


多分、()で囲まれた部分は、実際の発言には含まれていないがインタビューの記事を
まとめた側が補足のために加えた言葉ということなんだろうけど、「どうしてもやりたいと
思って(た訳ではない)」とか、「我々はその偶然に(感謝しなくてはいけない)」とかの
部分は、()内を省略した場合に、意味が逆っぽくなりそうだったり不自然だったりするの
が少し気になる。

立ち読み 3 ページ目:
http://www.toranoana.jp/mailorder/article/04/0030/01/21/040030012121_popup4.html

田の中 父は、東京で一軒(しかやっていない)という特殊印刷(工場を)台東区で
> (持っていた)。今で言うブリキ印刷 (*24) ですね。もの凄い羽振りよかったんですよ。
> それが大空襲で(工場が)焼けちゃったんです。
唐沢 それで戦後ご苦労されたんですね。家庭で、全くお芝居などは(御覧にならな
> かった)?
田の中 うちはおよそ無かったですね。
唐沢 所謂、昔の家庭だったんですね。
田の中 でも、何故か、気が付いた時には戦前のジャズのレコードがありましたよ。
唐沢 ご実家に?
田の中 ええ、こんなでっかい電蓄 (*25) を誂えたのがあったんですよ。
唐沢 それは、当時としては凄いことですね。工場を経営していて、戦前は裕福なご
> 家庭だったのですね。
田の中 すっごい、今で言うハーレー (*26) みたいの乗って、宮城前 (*27) でとっ
> 捕まったり。 そういう親爺だったんですよ。新しもん好きで。
唐沢 お父様の新しもん好きな血が、田の中さんにも流れておられるということですか。
田の中 クリスマスの飾りなんか一杯あったけど、僕が生まれてからは一回もやった
> ことがないんですよ。長男を凄く可愛がったんです。
唐沢 成る程ね。しかも、仕事がどんどん拡がっていけば、そういう様なものに(時間を
> 使えない)ということで。
>  お兄様方は、どういうお仕事をなさったのでしょうか?
田の中 長男は、慶応の工科を主席で卒業して……。
唐沢 技術系で。


「そういう様なものに(時間を使えない)ということで」など、()の補足を抜かして読むと
不自然さを感じる箇所があるのは、ここでも同様。

先に引用した通り、2010 年に唐沢俊一は、「登山を愛し、音楽(シャンソン)を愛し、芝居
を愛しという、 多才、多趣味な方だった。文化的な家庭に育った恩恵だろう」と書いている
のだが、「文化的な家庭に育った恩恵」っていわれても、「全くお芝居などは(御覧になら
なかった)?」「うちはおよそ無かったですね。」「所謂、昔の家庭だったんですね。」という
やり取りをしながら、どうして「芝居を愛し」が「文化的な家庭に育った恩恵」と書いたのか
は謎。「登山」とどう関係するかもわからないし。

まあ、読む人は、多少の読みにくさは覚悟の上で……ということになりそう。


その他参考 URL:
- http://news.mynavi.jp/articles/2008/10/29/kitaro/index.html
- http://www.4gamer.net/games/073/G007307/20111014059/

テーマ : 感想 - ジャンル : 本・雑誌

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